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アニメと音楽の部屋☆ ア10「新人女性漫画家の生活」 [テレビ]

 

特撮の世界にひとまず区切りをつけることにした結果、思いがけないことで少女漫画の世界という、考えてもいなかった世界と出会うことになりました。もちろんその舞台となる小学館の「少女コミック」は発刊されましたが、先行している他社の少女漫画雑誌はすでに実績を積んでいますから、漫画家を集めるにことでは、後発の「少女コミック」はかなり不利で苦戦していました。新人でもかなり力を発揮している人々が作業をしていましたし、少女漫画界でもかなり注目される大物作家が加わっていたりして、「少女コミック」の力不足は明らかです。新人作家がほとんどで無名の人であった上に、所謂新進の大物作家といえる人はほとんど加わっていません。やがて萩尾望都・竹宮恵子などという力のある作家たちが参加してくるのは、まだ一年後のことですからそれまでは、無名に等しい新人作家たちで頑張らなくてはなりませんでした。

 編集長のY氏は、新たに有力作家を獲得するために全国を駆け巡っていましたが、編集部では新人作家たちの現状を打破するために何が欠けているのかということを検討した結果、新人女性漫画たちの生活のあり方を変えて貰おうということであったのです。彼女たちは狭いアパートと小学館の間を行き来するだけという、単調な生活の繰り返しをしているだけで、常識的な知識や情報を身につける機会がほとんどないという状態であったのです。そんな生活環境を変えて貰えるように仕向けて、作家としての視界を広げて貰う機会を与えたいという狙いから、その解決策として原作を提供することになっている若い脚本家たちに協力を依頼して、新人編集部員たちはプロ脚本家たちと漫画家たちとの仲立ちをして、談笑しながらこれまでとは違った空気を味わってもらおうというのが狙いだったのです。世間にある常識というものがどんなものなのかというようなことについて、少しでも興味を持つようなことが生まれたら、彼女たちの暮らしのメニュウも変わるのではないかということだったのです。

 早速ホテルでのパーテイが開かれ、かなりの数の女性漫画家が参加してきました。

            「編集長山本氏と」1.jpg 「少コミパーテイ」1.JPG 「少コミパーテイ」2.JPG


           (編集長山本氏と)          (パーテイの様子です)  

 彼女たちのほとんどの人は狭いアパートの一室に籠って原稿を書き上げ、出版社である小学館のある神田まで通って編集者と打ち合わせをしたり手直しの指示を受けると、またどこへも寄り道をすることもなくアパートへ戻って原稿を書くというのが日課だったのです。これでは人との交流が生まれるはずはありませんし、読者の生活感性を掴みとることもできるはずもありません。まして男性と出会うこともあるわけがありませんから、これではとても読者を夢の世界へ送ってくれるようなロマンスが描けるわけはないでしょう。兎に角社会人としての常識的な生活というものを知る機会を持ち合わせていないし、所謂常識的な生活感覚を身につける機会も持っていないのです。これでは読者の共感を得る作品も書けないでしょう。それを少しでも改革できないかというのが編集部としての試みだったのです。

 編集部は二次会も設定してありました。

そこはクラブ風の店で、飲食を楽しみながら、時間が来るとバンドがダンスに向いた曲を演奏し始めます。もちろんこのような社交場ともいえるところに、出入りをした経験のない新人漫画家ばかりです。彼女たちの補佐を仰せ使っている若手の編集者たちは、原作担当をしている私たちと彼女たちを何とかペアーにして、まったく不慣れなダンスを楽しむようにと促しました。これもすべて彼女たちの日常に変化と、刺激を与えたいという編集部の工夫でしよう。

男性とこのような形で触れ合うなどということもまったくなかったはずなのですから・・・。それほど彼女たちの生活は単調そのもので、変化に乏しい状態であったのです。しかしこんな機会に遭遇したことは、私たちの脚本家たちにとってもまったく予想外のことでした。これまでとは全く違った環境で、かなり気分転換になりましたし、これまでの気分的に嫌な思いから解放されたということで助かりました。

特撮の世界とは違った新たな世界との接触でしたが、これもこれから進んで行く世界探しの第一歩だったのでした。勿論、これでこの世界の人になるかどうかはまったく考えてもいませんでしたが、これまでの世界とは違った新天地での空気を楽しみながら、果たしてこれからずっとやりつづけられるところなのかどうかと、自問をつづける日々でした。兎に角新人女性漫画家への原作提供という作業はかなりつづきましたが、大変リラックスした状態で作業は進められたように思います。

ひょっとすると私にとって、解放された世界で足場を築く世界となるのではないかと思ったりもしてきていました。兎に角何の制約もなく自由な発想が活かせるということが魅力だったからです。

私の世界を探し求める作業は、こんな環境の中で暫くつづくのでした。

 

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坂東 勇利

藤川先生、

大変ご無沙汰しております。と言っても、最後に先生にお会いしたのはもう27年も前になりますので、覚えていらっしゃらないことかとは思いますが、Webの検索中に偶然先生のお名前を拝見し、懐かしさと嬉しさからコメントさせていただきました。

30年ほど前、先生が「宇宙皇子」を執筆されていた頃、僕は高校生でした。当時、宇宙皇子公式ファンクラブは既に末期でしたが、幸いにも数年間は参加させていただくことができ、公式FCに解散後も何度か先生にお会いする機会があったことを覚えています。

その後、1992年の5月末より、幸運にも米国の大学に正規留学することができました。その出発に際して、FCで出会った友人たちの計らいにより、先生自らメッセージを吹き込んでいただいたカセットテープを頂戴いたしました。あの体験は、今もとても幸せな記憶として心の中に残っております。

その後すぐに米国に出発してしまい、卒業後は仕事等で忙しくおりまして、これまでお礼を差し上げることもできず、長い間心苦しく思っておりましたが、幸いにもここでコメントを書かせていただく機会に恵まれましたので、改めてお礼申し上げたいと思います。

先生、本当にありがとうございました。19歳で単身米国に乗り込んだ僕にとって、先生のメッセージは勇気の源となりました。今でも心より感謝しております。

その後、気候の不安定な時代となってしまいました。まだ日中は気温が高いかと思えば、夜間は急に涼しくなったりと、いささか厳しい天気ですが、どうかお身体を大切に、ご自愛ください。
by 坂東 勇利 (2019-09-27 22:22) 

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