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告知と放談の部屋☆ 放80「意地悪な自問の襲来」 [趣味・カルチャー]

  

脚本家としての作業から離れて活字の世界に没頭していると、時々休息している時などに気になるのは放送界のことです。これまで長いこと夢中で番組の好不調に気遣いながら、必死で脚本を書いつづけて来たのですから、その思い出多い世界での作業の記憶を、一切払拭してしまうということが出来るわけはありません。しかしそんな記憶をある日から突然断ち切って、活字の世界という不慣れな成果での一歩を踏みしめて歩き始めたところなのです。活字に集中している日常から神経を止めて休息することにすると、つい先ごろまで活動していた世界の空気が流れ込んでくるのです。


「超獣機神ダンクーガ」のスタート原案構成脚本は協力できたものの、それから後はすべて総監督就任した奥田氏にお任せして、若い脚本家の弟子に任せきりにしました。一人は「宇宙戦艦ヤマト」制作の末端で働いていた関係から弟子入りを志願してきた若者で、のちにゲームの「ファイナルファンタジー」でヒットした寺田憲史。もう一人はその後輩で「プラレス3四郎」から弟子となった、のちの「ポケモン」でヒットした武上純希です。何とか私の期待に応えて、それぞれ頑張ってくれていると思うのですが、それまで何度も名称を変えることになっていた番組のタイトルも、どうやら「超獣機神ダンクーガ」ということに決まったようでした。二人の新人脚本家を相手に総監督の奥田誠治氏は頑張ってくれているようですが、葦プロの担当であるK氏と旭通のK氏も何とか時代の要求に応えて、何とか目立つ番組にしたいと努力してくれていたようです。


そのお陰で私は「宇宙皇子」の執筆に精を出すことができたのですが、そんな間にも、番組関係者から作業の進行が判るようにという資料が送られてきます。


          「獣戦機ダイガン・スタッフ」1.jpg 「獣戦機ダイガン・構成表」1.JPG 「超獣機神ダンクーガ」1.jpg


しかしそれを改めて眺めていると、テレビの仕事を断って小説を書くために没頭していることについて、思わず斬鬼の念に駆られてしまいます。もう番組のことであれこれと口を出すことはなくなりましたが、それだけにこうした束の間の休憩時間には、ふとこれまで夢中で作業をこなしていた頃のことを、思い出してしまうことがありました。


テレビの仕事を本格的に書き始めた「宇宙戦艦ヤマト」の頃などは、ほとんど家庭生活などというものには気を使えない無茶苦茶なスケジュウルで仕事をこなしましたが、それが終わった頃からは時代の変化もあって、次第に会社の経営にも変化があり、その社員の働き方も変化がありました。忙しいとはいっても土曜日から日曜日などは、放送局をはじめ映像関係会社も休みを取るようになってきましたので、私に連絡してきたり打ち合わせをしに来たりする担当者もお休みということになって、そのお陰で完全に自由な時間を使って拘束を感じないままで脚本を書くことができました。精神的に大変リラックスした状態で作業を進めることができたのです。これまであまり触れあってやれなかった二人の娘を連れて、自宅の周辺の散策や、美術館・博物館・レジャー施設・公園などへ出かけることもできるようになりました。しかし映像時代での基本的な仕事である脚本書きについてはすべて家庭で行ない、原稿ができるとテレビ局の制作部、アニメーションの制作プロダクションの文芸室、特撮制作の文芸室・アフレコのダビング所などへ出かけてツメの作業をすることになるのです。土日を除いてはほとんど家族との楽しめる時間は取れませんでした。


ところがそんな中で1984年の二月からは、同じように自宅での原稿執筆が中心で、放送時代のような毎日忙しなく出かけるということはなくなりました。しかしこれまでとはまったく内容の違った作業になりましたので、その分今回は活字との必死の挌闘をするようになってしまいましたから、またまた家族とゆっくり楽しめる時間などは取れなくなってしまいました。自由にふらふらとしていたら締め切りに間に合わなくなってしまいます。そんなことにならないためには、かなり集中的に書かなくてはなりません。かねてから文芸誌などで知られている作家の生活ぶりは、かなり自分流の生活のリズムを守るために、家族ですらその作家の時間を邪魔することは許されませんでしたし、原稿の締め切りにしてもあってないようなもので、書けないとなれば出版社と激しくやり合いながら、あくまでも自分のペースでやり通していたようです。しかしそんなことが許されたのは戦前の作家のことで、戦後のしかもかなり時を経た昭和、平成時代ともなると、だんだんそういうことでは許されなくなってきています。ある程度はきちんと守らないと出版社からは嫌われてしまうことになってきています。私は映像の世界でも時間の制約の多いテレビの仕事をしていたこともあって、ほとんど決められた時間を外すようなことはしませんでした。私は性格的に几帳面なところがありましたので、人に迷惑をかけることは極力避けたいという気持がありました。そのためにほとんど九割以上きちんと締め切りを守っていたつもりです。そんなわけですから仕事の世界は変わっても締め切りを守ろうとする気持ちはまったく変りません。兎に角三月いっぱいまでには、きちんと編集長に渡したいと思っているのです。


数か月前に身辺に変化が訪れたために、ふと小説を書こうと思っているという心境をS氏に打ち明けたのがきっかけで、その話が次第に急テンポで進み出してしまい、こうして小説の原稿を書くようになったのですが、兎に角慣れない分野での仕事ですから、気を散らしていることもできませんから、これまで生活の基盤であった映像の世界に関してどうしようとするのかということなど、まったく考えてもいませんでした。


しかし冷静になって考えてみると、もし今回の試みが成功しない場合には、また映像の世界・・・つまり放送界へ戻らざるを得なくなってしまうのですが、簡単に復活することができるのだろうか・・・かなり不安な自問の声に襲われてしまったのです。勿論今回小説を書くことについて、わざわざそれを発表してこれまでの映像界にさよならをしたわけではありません。それでも私の動きについては、もう噂として広がってしまっているでしょう。そんな状態になってしまった中で、もし小説への挑戦に失敗してしまったら、「やっぱり古巣へ戻ってきました」などと言って、平気で復帰するなどということができる訳はありません。私自身のプライドもあります。現実にはそんなことがすんなりとできる訳はないのです。それでも現実に放送が予定されている番組を降りたりもしているのです。そのことについては、自然に業界に広がっていくでしょう。活字の世界への転身を試みている以上、やがては出処進退についてはけじめをつけなくてはならなくなると思うようになったのでした。ふと原稿を書く休息時間というその心の隙に分け入ってきた、予想もしない自問のお陰で、やがてはそれにはきちんと応えなくてはならなくなるなと言い聞かせたのでした。


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