SSブログ

思い出作品の部屋☆ 思6「締切りとの挌闘!」 [趣味・カルチャー]

  

 1984年3月24日・異次元童話 宇宙皇子巻1「はるかに遠い都よ」脱稿。400字詰めの原稿用紙で480枚という大作でした。これまではテレビでの30分番組の脚本を、殆ど200字詰め原稿用紙で50枚か60枚前後で一話を書き上げてきましたが、流石に400字詰め原稿用紙で480枚を超えるというと、その重量感は格別の感慨があるものです。


 私はこれまで何度か宣言してきた通り、それをきちんと守って、約束通り月末あたりという期日よりも前に原稿を脱稿いたしました。


 最後のページを書き終わった時には、


 「書き上った!」


 誰に言うということもなく声を上げて吐き出すと、もう次の瞬間には、机の下から毛布を引っぱり出して体にかけると、そのまま爆睡してしまったのでした。


目覚めたのは翌朝昼近かったのではなかったかと思います。


今から考えるともう40年近くも前のことですから、その時のことはすべての記憶がおぼろになってしまっていて正確なことはお伝えすることができません。特に特徴的なことだけが甦ってくるのですが、中でも筆記用具での円鉛筆は一本や二本という限られた鉛筆では、絶えず削らなくてはなりませんから、かなり無駄な時間つぶしをすることになってしまうので、私はその無駄な時間つぶしをしないために、気持ちが乗ってきた時にはそれを途切れさせないために、少しでもその手を休めないで書き通すために、三菱鉛筆の多少芯が柔らかくて手に負担がかからない「B」と決めて書きました。その数は200本くらいだったと思います。


はじめは著名な会社が制作した万年筆がその時のために何本も保存してあったのですが、結局テレビ時代の習性もあって鉛筆での執筆にしました。俄かに使い慣れていないもので挑戦することにすると、結局思うようにはならずに、余計な時間を潰すことになってしまうと考えたからです。やはりこれまで慣れている鉛筆で書こうと決めましたのでした。200本くらいの鉛筆をすべて削っておいて集中的に使い、書けなくなったら直ぐに新しいものと変えていきますが、200本も削ってあればそう短時間で削らなくてはならなくなるということもないでしょう。執筆の途中でいちいち削ったりするために、乗っている気持ちを途切れさせるようなことにはならないと思います。


それに・・・これまで文芸誌などで読んでいますと、ほとんどの作家は原稿を万年筆で書いているために、その途中で気がつくところがあれば何度も同じところに書き入れてしまうことになるようです。如何に精魂込めて書いたかということは推測できるのですが、気になるところの訂正箇所があまり多くなると後で読み返す時には却って読みづらい原稿になってしまって、修正箇所を確認するだけでもかなり神経を使うことになってしまいます。そこで私は兎に角最後まで綺麗な原稿で脱稿しようと決めたのです。書き直したくなった時にはそのページの原稿はすべて放棄してまた同じところをはじめから書き直しました。出版社に渡った時にはすべてのセクションの人が、これまでにない綺麗な原稿だと思って見てくれたに違いありません。当時は角川書店で書いている作家の中にも悪筆の作家がかなりいて、その作家の原稿を読む人は専門の担当がいたほどです。そんな中で私の原稿は異色であったことでしょう。


作業中に例のS氏が時々調子はどうかと電話をかけてくれましたが、原稿の進行状況は直ぐに編集長に報告されていたに違いありません。A氏からは原稿執筆の依頼を頂いてから、その後はまったく催促がましい電話がかからなかったのは、ひとえにS氏のお陰だっただろうと思います。お陰様で私はまったく自分のペースで執筆に集中することができたように思います。記念すべき小説の第一作は二十数日で書き終えてしまいました。これまで出版社と作家の間にはほとんどの場合、その締切りの期日を守らせようとする出版社と、少しでも思いのまま書きたいという作家の引き伸ばし作戦がぶつかり合って、大変な舌戦が繰り広げられるのだと聞かせられていたのですが、私はテレビ時代に締め切りをきちんと守る事を心掛けてきましたので、少なくともそんなことでは迷惑を掛けないで済ませることができました。


          「宇宙皇子・はるかに遠き都よ・タイトル」1.jpg 「宇宙皇子・はるかに遠き都よ・生原稿」1.jpg


翌日の午後目覚めてから、改めて机上に置かれた480枚という分厚い原稿を見た時の感動は格別のものだったと思います。現在保存してある分厚い原稿を改めて眺めていると我ながら圧倒されてしまうのですが、それと同時に、はじめて本格的な小説に挑むという当時の思いが甦ってきてしまいます。


25日の午後に高揚する気分で角川書店のA編集長に連絡を入れると、彼は「上がりましたか」とびっくりした口調で言うと、「ご苦労様でした」と労を労ってくれると、近々取りに伺いますといって電話は切れたのでした。きっと愛車を駆ってすっ飛んでくるだろうと思って待ち構えていたのですが、それからが問題だったのです。


それから何日待ってもA氏がやって来る気配はありません。一週間近くたったところで、依然として姿を表さないばかりかまったく連絡がなくなってしまったのです。兎に角三月末までという締め切りを決めた以上、絶対にそれを破らないという固い決心で作業にかかった私は、日常生活で無駄な時間を費やさないために環境を整えて集中してきたのです。編集長の喜ぶ姿が見られると内心ワクワクとして待っていたのですが、まるまる一週間も連絡がないままだったのです。


 脱稿の興奮で張り詰めていた気持ちが、日一日と冷めていき始めましたが、それがついに怒りに変わっていってしまったのでした。連絡があるまで待ちきれなくなった私は、はじめてのおつき合いであるということも忘れて、電話を掛けてしまいました。ところが悪いことにたまたまA編集長が出てしまったのです。


「編集長の言った締め切りを守って原稿を仕上げたというのに、一週間も音沙汰なしというのはどういうことなのですか」


詰め寄ってしまったのです。ところが編集長はまったく慌てた様子もなく笑いながら、「すみませんでした」と応じてきたのです。もうこれを読んでいらっしゃる方は、大方見当をつけていらっしゃるでしょうが、実はほとんどの作家が念を押されても「わかった」と言いながら、ほとんど締め切りを守らないのが常だったのでしょう。そんなことから編集長は、多少脱稿が送れるのを計算に入れて三月下旬といったのです。つまり「サバを読んで締め切りを伝えて帰ったのでした。流石にこの結末には、拳を振り上げてしまった私の負けでした。兎に角締切り厳守ということを基本に作業を進めてきていた習慣が、すっかり身に染みていたことから出版界も同じような世界だと思い込んで抗議してしまった、キャリヤのわりに初心(うぶ)な姿を露呈してしまったのでした。


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。