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思い出作品の部屋☆ 思7 「出版までの一歩一歩」 [趣味・カルチャー]

  

出版界での作業のあり方にまったく不慣れであったことから、いろいろと困惑することが多いのですが、これまでとは違った異世界での作業です。これからも暫くは恥ずかしながら失敗を重ねることがあろうかとも思います。思えば初めて集英社で「青い鳥」を書いた時のことです。すでにかなり前にブログで紹介したことがあったと思うのですが、「宇宙戦艦ヤマト」であまりにも無理をした作業をさせられていたために、それから時を経ずに書き出したことが原因で、脱稿間近にして胃潰瘍になってしまったことがあったのです。あと100枚というところで激しい腹痛に悩まされてまったく書けなくなってしまい、慌てて出版を延期にして欲しいと申し出たのですが、懇願する私に編集長は「苦しいでしょうが何とか書き上げてくれませんか」といって、延期を懇願する私の申し入れを承諾してくれません。もう原稿が上ると判断して、その後の作業をさまざまな担当の部署に手配をすませてしまっているというのです。もしここで出版が延期となった時は、かなり多くの人の作業がなくなってしまうばかりか作業費を受け取ることもできなくなってしまうというのです。とうとう編集長の必死な懇願に負けて、近くの病院で特殊な治療薬を注射しながら、何とかそのピンチを乗り越えたことがありました。ひょっとするとあの時のことも、実は編集長のお芝居であったのかもしれません。どうも恥ずかしい第一歩のお話をすることになりました。


 お話を本来の予定に戻します。


 1980年を過ぎる頃からは、それまであまり宇宙を舞台にした所謂SFアクションといえる作品が作られ過ぎたために、脚本を書いていた私ですら少々食傷気味になってしまっていたくらいで、何か毛色の変わった作品と巡り合いたいと思い始めた頃のことでした。それで「宇宙皇子(うつのみこ)」の原点となる発想をし始めたのです。テレビ界全体が勢いを失ってしまって、新たな転機を模索している時のことですが、それに拍車をかけたのは「脚本家も四十歳を越えた人はいらない」などと、かなり挑戦的なことを発言した某局のプロデウサーが現われたこともありました。時代の変化が進みつつあることを実感させられたのですが、彼はさまざまな映像関係者から非難されて、現場の視界からは見えないところへ移されてしまいました。ちょうどこの頃問題の四十代を迎えていた私は、彼の発言に反発を感じながらも、物書きとして生き残っていくために何をしなければならないかということを考えるようになったのです。その結果若い頃夢に見たこともあった、将来は作家となって作業をしつづける時が来たのではないかと思い始めたのです。かつてドラマからアニメーションへと転身した時もそうでしたが、時代の流れが私をその方向へと押しやったといっていいでしょう。放送界の流れが大きく変わっていく流れが、今度は私を活字の方向へと押し流し始めていたのです。


 「宇宙戦艦ヤマト」の超ヒットの影響で、テレビのアニメーションはほとんど宇宙ものになってしまったために、脚本を書く者にとっても楽しみがなくなってしまいましたし、それを見る視聴者も不満が蓄積していったのでしょう。アニメーションだけでなく放送という事業そのものが危機的な状況になっていってしまったのです。時代が転換を求めてきていたのでしょう。それに応えようとして生み出したのが「六神合体ゴッドマーズ」という作品だったのです。番組は大変人気を得たのですが、実は私が次第に小説の「宇宙皇子」執筆に傾いていったのもその頃からのことだったのです。幸いなことにこれまでの脚本家としての実績を積み重ねてきましたし、ヒット作品もかなりありましたので、私を支えて下さるファンの存在も後押ししてくれました。大変不安はありましたが、いよいよ小説で勝負する時がやってきたのかも知れません。しかしそう思ったからと言ってすぐに転身できるわけがありません。それが具体的に小説として出版されることになったのは実に八年後のことだったのです。その間に新聞で絵物語として毎日曜日に連載という話があったりしましたが、それでは私の考えている物語のスケールではとても書ききれません。一回で書ける分量ではとても一年間の52回という回数では書ききれそうもないと判断しましたので、残念ながらそのお話はお断りせざるを得なくなってしまいました。その後には集英社からも企画の依頼があった野ですが、「宇宙皇子」とSFファンタジー作品の二つの作品の企画を持って行ったところ、結局選ばれたのはSF作品の方で「宇宙皇子」は採用に至りませんでした。間もなく誕生したのは「新銀河創世記伝」の「聖戦士キリー」という作品でした。やってみようという本人の希望は、さまざまな理由で採用されずに、あまり希望してはいない方向へ向かわされてしまうのでした。多少の救いといえば、この時は異色のイラストレイターである若菜等氏との出会いがあったことぐらいだったでしょうか。その後も小説や絵物語を書くお話はあちこちからあったものの、その度になぜかいろいろな条件が揃わなくて実現しませんでした。


もう「宇宙皇子」を実現することはできないのではないかと、絶望的な気分になりかかっていったのですが、しかしそれでもなぜか諦めきることは出来ずに、思いつくアイデアや、歴史的な発見などを書き止めていくようにはしていました。例えば役小角などはかなり年配者でありましたから、若い人に読んで貰う作品としてはちょっと問題になりそうでしたので、物語の中心人物としては若者を設定しておく必要があるということを決めたりして、その作品の方向付けについての研究をしたりしながら、作品に血肉をつけていくのに費やしました。そしてその企画が取り上げて貰える時を、根気よく待ちつづける状態になっていたのです。


もう駄目かと諦めかかっていた時のことでした。


きっかけを持って来てくれたのが少年画報社の編集者で、「銀河鉄道999」などを担当していたS氏でした。私とも雑誌の原稿執筆でかなり関係があったのですが、たまたま打ち合わせをしているうちに、彼が角川書店のアニメーションにも関係していたことから小説の話になり、すでにブログで紹介した通り「角川で書いてみませんか」という話に発展したのです。


思わぬことで私はA編集長と出会うことになったのでした。


直ちに長年温めていた「宇宙皇子」の企画を出してみたのです。まさに縁というものですね。これまであれこれと事情があって実現しないものが、とんとん拍子で話が進み、会社での会議でも編集長の努力のお陰で何とか出版に向って走り出せたのです。


兎に角私はこれまで映像の世界に長く留まっていたこともあって、ほとんど出版界での暮らし方ということについては、その実像についてはほとんど知らないといっていい状態です。私が原稿を渡した時から、これまでまったく知らない人々があの本にかかわって動き出していて、その分予想もしないことが持ち上り始めたのでした。


 アニメーションなどという、まったく異世界から参入してくる者への拒否感があったのかも知れませんが、時代の変化ということもあったのかも知れません。新たな物を求める流れは、じょじょに出版にも浸透し始めていたに違いありません。しかしこれまで映画界と同じで長い歴史を積み上げてきている出版界です。かなり変化しつつあるとはいっても、その態勢はかなりの岩盤が存在しています。どうやら私はまたそういった流れからははじかれそうになりながら、頑張らなくてはならないと決心していたのでした。


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