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告知と放談の部屋☆ 放84「テレビファンの支援嬉し」 [趣味・カルチャー]

  

「宇宙皇子」の地上編といわれる10巻が出版され始めたのは1984年(昭和59年)の6月に一巻目が発売されたのをはじめに、二巻目は8月・三巻目は10月とそれほど間を開けずに発売されたこともあったためか、その半年間というものは私自身想像も出来ないような変化に直面してしまいました。短期間なうちにベストセラー作品になってしまったこともあって、ファンクラブが結成されたり、地方の文化関係機関からの講演会とサイン会の申し入れがあったりいたしました。思いがけないことが次々と起こったりしましたので、とてもこれまでとは違い過ぎる日常が始まりました。これから暫くは、この半年間に原稿を書くこと以外に起ったあれこれについてのお話をしたいと思います。


                                   「藤川桂介公開講座」1.jpg


                               (京都嵯峨美術大学での公開講義風景)


  既に前述したことではありますが、今回俄かに人気作品として注目を浴びるようになってしまった「宇宙皇子」の発想をしたのは、テレビ界全体が勢いを失ってしまって、放送界はもちろんですが、私も新たな転換を模索している時のことでした。時代の波に便乗して、脚本家も四十歳を越えた人はいらないなどとかなり挑戦的なことを発言した某局のプロデウサーが現われたりしましたが、いささか新しいものには飛びつくといった時代で、ちょっと古くなったものはみな無視するような風潮がある時代になってきていました。この頃すでに四十代を迎えていた私は、彼の発言に反発を感じながらも、これからアニメーションで生きていくには、かなり困難を伴うようになるだろうと真剣に考えるようになっていた、時代の変わり目のような時でした。一世を風靡した「宇宙戦艦ヤマト」への深いかかわりから抜け出したものの、依然として宇宙を舞台にしたアニメーションが作られていたのですが、そろそろそういった傾向の作品もそれを楽しんでくれる視聴者たちから飽きられてきていたところで、東京ムービーが立ち上げたのが、バンダイという玩具制作会社がスポンサーとなったSF作品である「六神合体ゴットマーズ」という番組でした。お陰様でこれまでとは違った発想で作られましたので、すっかり宇宙を舞台にした作品は飽きられていましたが、この作品から「17歳の伝説」というサブストーリーまで生み出すことに成功はしたものの、そろそろ私のアニメーションでの脚本家としての活動には終止符を打たなくてはならない時が来たのではないかと思って、声から先に転身する場はどこにあるのだろうかと真剣に模索し始めている最中のことでした。


  「このままでは作家として生き残れない」


 そんな危機感から抜け出すために密かに苦闘し始めていたのです。


 私が「六神合体ゴットマーズ」が終わる頃から、あまり次のアニメーション番組に対しての積極的な姿勢を見せないのを知って、ファンの間では何か次に出す作品の準備をしているのではないかと思い出していたのかもしれませんが、私はまったく別の次元で葛藤していたのです。兎に角表向きにはそんな気配を出すようなことはありませんでしたから、きっとファンのみなさんはこれからもきっと仮想現実に基づいた異色作品を生み出そうとするだろうと考えていたと思います。ところが私はドラマ界からアニメーションという世界へ転身してある程度の成功を収めてきたものの、そろそろこの世界での限界を感じ始めていたのです。


 「これから先のことを考えなくては・・・」


 そう思えば思うほど、アニメーションの世界というのは、年齢を積み重ねていくことは大変困難な世界だということを実感するようになっていたのです。これまでかなりヒット作品にかかわってきたとはいっても、それが実績として評価の対象にならないのを実感し始めたのは、「六神合体ゴットマーズ」が人気作品として注目され始めた頃からなのです。アニメーションでは何といっても大事なのは若い感性です。年を経て来たことは決して勲章にはならないのです。この番組の人気が冷め切らない内に、新たな転身の世界を開拓できなかったら、前途に希望は無くなってしまうと考えるようになっていた私は、これまでにない自分に変わってきてしまいました。


「六神合体ゴットマーズ」の番外編として制作した「17歳の伝説」をはじめ、「プラレス3四郎」「キャッツアイ」にはメインライターとしてかかわってはいながら、シリーズを一気に書ききるという熱意が伝わらずに、途中で番組から抜け出してしまいましたし、私らしさを発揮することもないままでした。しかもそれから後、これまでの人気番組に通じると思われる仮想現実の世界を描く「超獣機神ダンクーガ」で勝負をするのかと思っていたら、いきなりその期待感を裏切るように番組のスタートだけで、後を弟子に託して去ってしまいました。


 「藤川桂介は何を考えているのだろう」


 多くのファンはそんなことを考え始めていたところでしよう。


 この間に私は紆余曲折の道筋をたどりながら、やっと宇宙皇子の実現に向かい始めていたのでした。そこで先ずお話しておかなくてはならないのは、「宇宙皇子」というタイトルのことです。これはかなり話の構想を固めていきつつあった頃に、ある歴史書を読んでいるうちに、あの富士山麓の村の中には、「宇宙村」というところがあったという記述があるのを知ったのです。古代の村でありながら、「宇宙」などという言葉を使っていたということに異色な発想を感じた私は、その「うつのむら」という名称から頂いて、物語の主人公を「宇宙皇子(うつのみこ)」としようと決めたのでした。


 これまでは殆ど超未来の仮想現実の世界を描いてきていた私が、日本の古代というこれまでのイメージをすべてひっくり返してしまった世界で、権力によって支配する者たちに戦いを挑む若者・・・小子辺(ちいさこべ)が、超能力者役小角の弟子となって不動明王を具現しようと葛藤する歴史物語として、ファンたちに訴えかけていったのです。テレビで私の作品のファンとなって下さった人たちは、ここでもう一つの驚きに接したことでしょう。


 イラストにいのまたむつみさんを起用したことです。


「プラレス3四郎」で一緒に仕事をした彼女は、業界のあちこちからあまりにも若くして作画監督をやってしまったことに対して反発されて、すっかり嫌気がさして洋画を勉強したいといって、アニメからさよならをすると言い出していたのです。それを思い留まらせるために、拙作原作「ウインダリア」を担当して貰ったり、活字の世界でのイラストを描いて貰うことにしたのでした。私はもちろんのことですが、彼女についても、これまで積み重ねてきていた現代的な世界の表現とはとは違った、古代の歴史世界に挑んで貰うことになったのでした。その分テレビファンのみなさんは意表を衝かれたのではないでしょうか。まさか私がいわゆるSF的な仮想現実を放棄して、小説の世界で勝負し始めるとは思わなかったのでしょうし、当時はまだ無名といわれていた(いのまたむつみ)さんが、まさか予想もしていなかった小説のイラストへ進出するとは思わなかったことでしょう。ファンのみなさんはその日から、「宇宙皇子」の支援者として書店へ走ってくれたのではないかと思います。さまざまな困難を乗り越えた上での私と彼女の初体験する出版でしたが、テレビのファンであった人々が、我々の新しい出発を後押ししてくれたのでしょう。大変嬉しいことでした。


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