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思い出作品の部屋☆ 思9「迂闊には歩けない」 [趣味・カルチャー]

  

本がヒットすると、思いがけないところにその反応が現われるものです。


 拙宅のある深沢というところは、かつて農地の多い沢地であったところが開発されたところであったのですが、私がここへ引っ越してきた1973年(昭和48年)の頃は駒沢オリンピック競技場だけがやたらにめだつところで、それ以外は目立ったところもない地味な住宅地になっていたところです。マスコミで騒がれるような芸能人、文化人といわれる人にとっては、あまり目立つことのない隠れ家として暮らせるところだったので、ほとんど目立ないほど静かで落ち着いたところだったように思えます。


町内やその周辺にはパチンコ屋のような遊興施設などはほとんどなくて、都立の小学校、中学校、高校の他に、私立の学芸大学の付属小学校、中学校、駒澤大学、日本体育大学があるという文教地区のような雰囲気のあるところでした。大変のんびりと下雰囲気のあるところでしたので、私は気分転換を兼ねて町内の文房具店を覗いたり、小さな書店へ入っておかみさんと拙著の売れ方についての雑談をしたりしていたのでしたが、この書店での会話には思いがけない利用者である図書の好きなお客の貴重な動向についての情報収集にもなったものです。お客さんの中の若者が書店のおかみさんに、「宇宙皇子」について何といってきているのかというような、率直な思いが伝えられました。そんな中で嬉しくもあるのですが、作家として何とかして上げたくなってしまう情報もあったのです。「宇宙皇子」があまり売れるために、東販、日販という問屋筋は、各社が制作する図書を書店に収める業務を行っている会社なのですが、売れる本は大手の書店を中心に納品してしまうので、とても深沢の小さな書店にはごく少数の本しか入ってこないというのです。そのために欲しい読者が次々と現れてもその欲求に応えられないという情報でした。その訴えを聞いた私はそのままにしておくことができなくなってしまって、作家の地元である書店へはある程度余計に搬入してくれないかと角川書店へ申し入れしたくらいです。


こうして気楽な散歩をしながら文房具店でも拙作の評判を聞いたりしていたくらいでしたので、それだけ地元には大きな出来事だったのでした。 そんなある日のこと家内から思いがけないことを言われました。


 町内の商店街を気持ちの赴くままに歩いているものですから、たちまち目ざとい主婦たちに留まってしまって、日用品を買いに出た家内へ通報されてしまうことになってしまいました。これまでテレビの仕事をしていた時では仮に評判の番組を書いていたとしても、主婦が関心を持って私の姿などを見つめるということはなかったのですが、小説を書くようになってからは、マスコミでの露出が多くなるということもあって話題にされる機会が多くなってしまうようです。それが若い人の話題になったりすると余計に家庭でも話題になりがちです。拙宅近くの商店通りを歩いていたりすると、どうしても気になる対象になるようで、「お宅のご主人、商店街を散歩していたわよ」などと報告されたりするようになってきてしまったのです。


                                「深沢不動交差点」1.jpg


                                 (深沢不動の交差点)


  まさかこんなことで人の目に就くようなことになっては、あまりみっともない格好で散歩しているわけにもいかなくなってしまいます。窮屈なことが起るのだなと思うようになりました。近所の図書館から講演会を開く申入れがありましたので、同じ町内の奉仕のために協力したりしましたので、かなり多くの主婦の方にも姿をさらすことになってしまいました。そんなこともあって、あまり毎日ふらふらと出歩くことは出来なくなってしまったのでした。


 そんなある日のことです。


 私は家内と新宿の紀伊国屋まで芝居を見るために出かけたのですが、ついでに「宇宙皇子」の状態を見に行って見ようかといって、ごく当たり前の客として書店内を見て回ったのですが、かなりの新書版の図書を集めた本棚のところへ来た時、そのしばらく前から私たちが動くのに合わせて動いてくる青年がいるような気がしていたのです。


 「誰か我々をつけているような気がする」


 こっそり家内に伝えて、急いで店を出ようと移動し始めた時のことでした。後をつけていると思われた男性が慌てて駆け寄ってきて、


 失礼ですが、藤川先生ではありませんか」


と、声を掛けてきたのです。


 「どうもおかしいと思っていたよ」


 思わず私は笑ってしまいましたが、彼は切羽詰まったような勢いで拙作の本とサインペンを差し出しながら、署名を入れて頂きたいと申し出たのです。


 こんなところで見つかってしまうということを知って、情報が流布していくと、こんなところで姿を見破られてしまうということを知りました。


 勿論、サインを入れて渡しましたが、彼は映像時代からファンでしたといって、興奮気味になりながら如何にも思いがけないところで出会えたと興奮気味にいって別れていきました。


 出版の世界での出来事であっただけに、今回の出版が大成功であったということを、町内から繁華街で実感した体験談を紹介いたしました。


 この頃は赤川次郎氏がいろいろなことで取り上げられて評判になっていましたが、出版界の転換期でもあったのでしょう。従来の作家とはちょっと違ったタイプの読み物がもてはやされる時代に突入していたのです。私の作品もそんな運気の中で、大きな成功を収めることができたのでしたが、その分だけ一寸窮屈にならざるを得なくなってしまったのでした。


 多忙な日常の中で、一寸した話題として好事家の研究というものが読み物になっているのを思い出すのですが、赤川、藤川と地上より下に存在するものを筆名にした作家には、女性のファンが多くつくということが書かれていたように思うのですが、それに対して男性受けの筆名を持った作家はファンが限られているということまで書いてあったような気がいたします。兎に角1984年の6月以降の半年間は、映像時代とはまったく違ったことを次々と体験することになってしまったのですが、もうその頃には来年の年明けに出版される予定があるために、その準備にかからなくてはならなくてはならなくなっていたのでした。


 


 


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