SSブログ

告知と放談の部屋☆ 放86 「若い編集者たちの協力」 [趣味・カルチャー]


1984年6月に発売された地上編宇宙皇子の第一巻目である「はるかに遠い都よ」をきっかけにして、半年の間に第二巻目の「妖かしの道地獄道」第三巻の「妖かしの道地獄道」が発売されて、すべて順調な売り上げを記録していきました。若い世代に対する影響力が勢いづいて、これまでにはなかった新しい読者層の掘り起こしをしたようです。


 その頃から角川書店は、A編集長の下に若手の編集として三人の若者をつけてきました。何かと私の手足となるようにということでしたが、これまでの編集スタッフではない体制を作ってきたのです。S君はこれまで他の出版社で人気作家であったN氏のデーターマンとして働いていた経験がありましたので、A編集長のアシストとして、私と直接接触しながら原稿の受け取り役をして、それを次の作業に受け渡す役割を果しながら、私の原稿の進行状態からイラストのいのまたむつみさんに連絡を取りながら、次回出版予定の本のどのあたりにどんなイラストを描いて貰いたいかを注文したりして、出版のためのさまざまなセクションに連絡を取って、その準備をしていく中心的な役割を果すようになりました。


一寸個性的なセンスを発揮しそうな若者であるY君は、 某社において人気の主婦向雑誌の編集長をしている父親を持ちながら、彼は角川書店で修業中という若者でしたが、父親が業界ではかなり著名な方であったことから、どうしても父親とは気質が折り合わないというので、独自の世界を築きたいと思っている意欲的な青年でしたが、もう一人のT君はそれまで角川春樹社長の監督する眉村卓原作の「時をかける少女」で、新人女優の原田知世さんの相手役に選ばれた、新人俳優の主役を演じて人気俳優となった慶応大学出身の異色編集で、私の企画物に関しての編集をしてくれることになったようです。


次第に新参の作家藤川支援の空気は広がりつつありましたが、それでもまだまだ社内には新しい流れが動き始めているということに気が付かない、旧態依然とした体質のままの編集者もかなり存在していますから、それらの人とどこで巡り合うか判りません。ところが「宇宙皇子」が1・2・3巻と極めて重要なヒット作品になったということもあって、社内の空気がかなり変わってきていたのですが、あっという間に半年が過ぎて1986年が来ると、「野性時代」という青年層を狙った総合誌から依頼のあって、小説の執筆依頼があったのですが、なぜかその作業の間で編集長と連載の方向についての食い違いがあって、ぶつかり合うことが多くなってしまったのです。そのために暫く頓挫してしまったまま連載執筆を拒否するといいう状態にまで発展してしまったのです。


「宇宙皇子」のヒットが続いている最中の連載執筆という依頼ですから、そのシリーズとは当然のことですが違ったタイプの作品を書こうということで、重量感というよりも多少軽量の青春物を書こうと考えたのです。これまで宇宙をドラマチックな海だという発想でヒット作品をかなり書いてきていましたので、今回は宇宙を青春の広場として、自由に動いて楽しむ若者たちを書こうということで、「銀河AV0番地」という企画を考えて執筆し始めたのですが、その原稿にあれこれと注文を付けてきたのが始まりで、編集長とはその基本的な方向性で完全にすれ違ってしまって、ぶつかることになってしまったのでした。


                               「野性時代1986年3月」1.jpg 「野性時代・1986年3月」1.jpg


もう連載の一回目を書き直すのも拒否することになってしまいましたし、二回目はもう連載を止めることにしたのでした。編集長はこれまで「野性時代」を率いてきいているのは自分だということを前面に出して、強引に原稿の変更を主張してまったく時代が求めている変化には頓着していない様子です。彼の頭にはこんな宇宙を遊び場にするような青春物などというものは存在していなかったのでしょう。どうやら時代認識ということでまったく私とは違っているようです。如何にも昔のままの感覚で連載小説を組み立てようとするのです。新しいものを欲しがっている若い読者の思いというようなことについては、まったく関心がないようなのです。兎に角キャリアを振りかざして、新参の作家に注文を付けてくるのです。どうもこういう人に出会ってしまうと、戦って決着をつけるか、自らその作業から退いてしまうかの二つに一つの私流です。こと時はついに一番よくない戦う方向に向かってしまったのです。私には「宇宙皇子」という大きなヒットになってきている作品の執筆もあり、とても「野性時代」での悶着に気持ちを乱すことはしたくないという気持になってきましたので、社長に問題を訴える気持ちになっていったのですが、会社の中にはその編集長問題は副社長に訴えられた方がいいのではないかとアドバイスをする方もあったのですが、いろいろと考えた末に私は会社のトップということでは社長に訴えることで筋を通すべきだと判断して、当初の思いのまま社長に直訴の手紙を送ったのでした。結果はあまりにも鮮やかな結論が出てしまいました。「野性時代」の担当編集長は新しい人に交代ということになってしまったのでした。あまりにも早い決定を知って、はじめて仕事をし始めた新参作家としては、いささか出過ぎたことをしてしまったのかもしれないと、しばらく心につかえてしまうことになってしまいましたが、もう次の「宇宙皇子」の執筆に向わなくてはなりません。そんな姿を見ていた若い編集者たちは、前任の編集長は時代感覚のない古いタイプの編集者であったといって、却って新編集長への交代を喜んでくれましたが、それから数年後には私が書き下ろすことになった作品の出版を前にして、Y君とT君は「野性時代」での私の仕事の担当をする編集として働いて貰うことになりました。新作のアピールを兼ねて特集を企画して「野性時代」に載せてくれたのでした。


    「野性時代・1989年10月」1.jpg 「野性時代1989年・特集1」1.jpg 「野性時代1989年・特集2」1.jpg 「野性時代1989年・特集3」1.jpg


本来の「宇宙皇子」の出版についてはS君が担当してくれているので、イラストの打合せもすべて任せてありますが、彼とも連絡を取りながら、Y君とT君は雑誌「野性時代」に私のアピールができるような企画者を考えたりしてくれたりしていくようになったのでした。


 兎に角1984年から始まった角川書店での仕事は進められましたが、それから数年間というものは、兎に角私にとっても不慣れなことが多くて、戸惑うことが多く、いろいろとこれまでとは違った体験をすることになってしまうのでした。


 


 


 


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。