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アニメと音楽の部屋☆ ア55「放送作家30周年とウインダリア公開」 [趣味・カルチャー]

  

1986年「童話めいた戦史 ウインダリア」公開をまえにして1985年11月29日には、新宿のセンチュリーハイアットで、放送作家30周年の記念パーテイが開かれましたが、これはさまざまな分野からの来客があって大パーテイになりました。


 放送作家としての一つの到達点でした、ある程度やろうとしたことができたという達成感がありましたが、時代の進化によって変化が求められていると判断して、影像の世界から活字の世界へと転換して角川書店で「宇宙皇子」という古代歴史ロマンを発売して、大きなヒットのきっかけを作ったところです。幸いなことに私の親しい大学の先輩が、ここの総支配人であった縁を利用させて頂いて、その会場にさせて頂いたわけです。


                                            「パーテイ挨拶」1.jpg  


殆ど自己資金でのパーテイが目的でしたので、スタッフはもちろんですが、かなり沢山の会社からの寄付もして頂き、「宇宙皇子」の出版をして下さった角川書店からは、副社長の角川歴彦さんを始め、イラストを受け持って下さっているいのまたむつみさん、


フオーク・デユオのダカーポ、歌舞伎俳優の中村又蔵さんが、私が東京下町の出身ということで、お付き合いのある親方以下50人という親しい火消しのみなさんと共に駆けつけて下さって、パーテイに華やかさを添えて下さいましたが、それ以上に嬉しかったのは、小学、中学、高校、大学の親友たち、お仕事関係のみなさんが、大きな会場いっぱいに駆けつけて下さったことです。しかしプライバシーの保護のために、写真で個人の情況が察知できる方々の紹介はしない方がいいと判断して残念ですが省くことにいたしました。


                                              「放送作家30周年のひ・記念升」1.jpg


  手塚治虫先生にもご招待状を出してはあるのですが、何しろ多忙な方で、その日も大阪で所用があるというお返事を頂いていたので、やはりおいで頂くのは無理ではないかと思っておりました。お祝いの鏡割りをして、参加者にはそれぞれ記念にお渡ししましたが、やがてそれが大変なことに役立つことになりました。それはもう暫く時間経過が必要でした。今回は私の企画した放送作家30周年を記念して、それまでの仕事で支援しつづけて下さったさまざまな番組の制作会社やスタッフはもちろんのこと、その一つ一つの作品を支援して頂いたファンのみなさんへの感謝をこめたものにしようとしたのですが、それを知った映画「童話めいた戦史 ウインダリア」のプロデュウサーであるO氏の申し出を受けて、この機会に映画のアピールがさせて貰えないかということに、協力することになりましたが、その日のパーテイの様子をビデオで記録するという約束をしたものの、残念ながらほとんど使い物にならずに失敗してしまいましたので、私の手元に残ったのは親しい後輩たちに依頼しておいたカメラで撮ってくれていた写真だけということになってしまいましたが、この日の雰囲気の高まりはいつまでも私の心の中に残りつづけていますが、残念ながらプライバシーを考慮して、写真は一切削除することにいたしました。


 


                    「ウインダリア原作」1.jpg                                     


          「ウインダリア・小説」1.jpg 「ウインダリア」1.jpg 「ウインダリア・AR台本」1.jpg


  前にこの作品を書くことになったきっかけについてはかなり書きましたが、今回はこのタイトルについて触れておきたいと思います。


 これは当時の総合雑誌として評判であった花森安治編集の「暮らしの手帳」という雑誌に載っていたフランスのセーヌ川を起点にして、富豪を載せて運河づたいに旅をする青年男女のドキュメントの中で、二人は故郷の「ウイリンダリア」という樹木を使って作った船で、いつか今のようにヨーロッパを運河つたいに旅をしたいと夢を話していたのです。


 私はこの二人の若者の夢を託した故郷の樹木に惹かれて、いつかそれを使った作品を書く時に使おうとしていたのですが、それが今回のきっかけとなったのでした。本当は「ウイリンダリア」というのが正式な樹木の名ですが、映画を観た人たちが直ぐに覚えて頂けるようにという配慮から、少しでも簡単な名称にしようと考えて「ウインダリア」としたのです。


ところで余談についてお話をしている間に、問題の手塚治虫先生がほとんど参加不可能と思われたパーテイの終了近くに、「愛は地球を救う」という日本テレビの番組で、先生原作の「プライム・ロ-ズ」の脚本を書いたお礼にといって、大阪での所用があったにも関わらず、帰途を急いでパーテイに間に合うようにと、わざわざセンチュリーハイアットまで駆けつけてきて下さったのでした。写真は割愛いたしました。


 わたしの喜びはもちろんで、約束を果たして下さったことには、本当に感謝の思い出いっぱいでしたが、この時はもっと喜んだのは会場にいたファンたちでした。たちまち先生を囲んで、その日記念に配った記念の「升」にサインをして頂いたようです。


 その角川書店で仕事をする中で、同じ角川で映像関係の仕事をすることで角川春樹社長と会う機会のあった手塚先生は、「宇宙皇子」についてあんな作品は私が書きたかったと仰ったということを、のちに角川社長から聞かされました。


 いろいろな思いの籠った放送作家30周年の記念パーテイは、無事に終了することができましたが、このホテルはその後、私はその四間もある広い日本間で、所謂缶詰め作業で原稿を書くところになったりしたものです。         


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