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歴史と旅する部屋☆ 歴4「中国取材・演出上手な皇帝たち」 [趣味・カルチャー]

  

「宇宙皇子」の成功で大変活動しやすくなった私は、古代日本と政治的にも文化の面でも中国大陸との接触は無視できないということを知ったことがきっかけで、是非その原点を知っておきたいという気持になって、古代日本にとって先進国として君臨していた中国大陸の統治をする唐国の様子を吸収しておこうという気持になっていました。兎に角北京へ行ったらその代表的な博物館へ赴いて、日本と関係の深かった唐国様子を調べたいと思いました。お陰様で「宇宙皇子」は営業的にもかなり貢献していましたから、当然のことで直ぐにも許可が出ました。おおむね自分の言ってみたいところを列挙して、その希望する史跡を書いて提出したところ、角川トラベルという旅行を仕切っている部署が、交通関係その他の手配を済ませてくれましたので、私は北京空港から市内の大きい飯店・・・日本でいうホテルへ着くと、直ちに編集のS君を引き連れて北京博物館へ向かいました。日本の常識からいえば首都の代表的な博物館ですから、ここへ行けばほんど目的は果たせると思っていったのです。ところが実際に行ってみて愕然としてしまいました。博物館自体はかなり立派に見えましたが、その内容に関しては愕然としてしまったのです。ここで中国の唐時代の歴史を調べて、日本とのかかわりを調べてから史跡を探訪すれば、宇宙皇子の作品に活かしていけると思っていたのですが、その期待はのっけからすっかりはずされてしまいました。二十世紀後半に起こった中国の歴史的な激変にほとんど無関心であったことによりました。中国は1976年(昭和51年)・・・ほぼこの時よりも10年前に、中国大陸を支配していた保守的な蒋介石将軍を支配者とした政権に対して、周辺の貧しい弱小地域の民兵を率いて戦いを挑んできた毛沢東・江青夫妻を指揮官とする共産軍が、激しい戦闘の結果、蔣介石一派を台湾へと追いやってしまって、毛沢東を頂点とする政権による共産政権の支配に変わってしまっていたのです。仮に政変はあったとしても、すでにそれから10年を経過していましたからすべては落ち着いていると考えていたのが大間違いだったのです。今は必死で新しい政権の統治を徹底しようとピリピリしている状態だったのです。


 私は「唐時代」の朝廷の様子が詳しく知りたかったのですが、現代の新政府は古代の朝廷は人民を苦しめる皇帝という権力者の時代だということで、古代の展示物はほとんど排除されていて、そこに出されているのは簡単な紹介が書かれている説明書だけでした。博物館内の展示はほとんど毛沢東が率いて攻め込んできた共産軍の進行状況や、どうやって蔣介石軍を大陸から追放して行ったのかといったといった、共産軍の勝利までの歴史が補トンです。ほとんど資料となるような図書を買うこともできませんでしたが、ついでにお話すると日本から輸入されている角川新書などは、表紙が刺激的で許せないというので、ほとんどのイラストが描かれた表紙ははぎ取られてしまっていました。そんな状態ですから、取材の目的であった古代の歴史についての資料はまったく手に入れることは出来ず、わずかに古代の三国志の政界での戦いなどに使われたという武器の、常に南を指すという羅針盤である指南盤というものを乗せた指南車を見つけたので、それを模型にして売っていたので購入してこられただけでした。最近はどうか知りませんが、さまざまな競技でその指導者を柔道指南とか県道指南とかいうのは、必ず南の方向を示すという指南盤からきた言葉です。


                             「中国・指南車」.jpg  「中国・指南盤」1.jpg


 こんな状態でしたが、宿泊するホテルも大きなものでしたが、設備はほとんど昔の儘で、新しいものはまったくありません。日本へ電話をかけるにも、廊下に一台だけあって止宿するものの共用で、いちいち電話を繋いでもらうように交換手に申し込んで、部屋で待っているという状態のものでした。あくまでも1985年頃のことですが、それでも私には、当時の中国は日本と比べて100年以上遅れていると思ったものです。


 市民の暮らしもまだまだほとんど昔の儘で、とても新しくなったといえるようなものは見られません。S君と市内へ出かけた時には、街角ではじめて人民裁判というものを実際に見かけました。多くの人々に取り囲まれた中で、争いになっている二人の男が激しく自己主張をし合うのです。それに対して集まっている人民がどっちの言い分が正しいかを判定するのです。


 とても日本では見ることもないような風景を見ることもありましたが、予定されているタクシーで史跡の探訪に出かけた時にびっくりしたのは、まったく整備されない広い大通りを爆走するのです。しかもその間に青島ビールを瓶のまま飲みながらです。S君とひやひやしっぱなしでした。


 郊外に到達して万里の長城へ行った時には、流石に古代の戦いが想像できました。 


こんな状態でしたが、宿泊するホテルも大きなものでしたが、設備はほとんど昔の儘で、新しいものはまったくありません。日本へ電話をかけるにも、廊下に一台だけあって止宿するものの共用で、いちいち電話を繋いでもらうように交換手に申し込んで、部屋で待っているという状態のものでした。あくまでも1985年頃のことですが、それでも私には、当時の中国は日本と比べて100年以上遅れていると思ったものです。


 市民の暮らしもまだまだほとんど昔の儘で、とても新しくなったといえるようなものは見られません。S君と市内へ出かけた時には、街角ではじめて人民裁判というものを実際に見かけました。多くの人々に取り囲まれた中で、争いになっている二人の男が激しく自己主張をし合うのです。それに対して集まっている人民がどっちの言い分が正しいかを判定するのです。


 とても日本では見ることもないような風景を見ることもありましたが、予定されているタクシーで史跡の探訪に出かけた時にびっくりしたのは、まったく整備されない広い大通りを爆走するのです。しかもその間に青島ビールを瓶のまま飲みながらです。S君とひやひやしっぱなしでした。


 郊外に到達して万里の長城へ行った時には、流石に古代の戦いが想像できました。


                      「中国・山を回る長城」1.jpg 「中国・万里長城・攻撃壁」1.jpg


  古来中国は匈奴という騎馬民族によってしばしば侵略されるというので、それに抵抗して戦うために築いた城壁が、取り敢えず観光施設としては解放されていましたが、こんなものを何年もかけて完成させる中国という国の国民性というようなものを感じました。


 


古来中国は匈奴という騎馬民族によってしばしば侵略されるというので、それに抵抗して戦うために築いた城壁が、取り敢えず観光施設としては解放されていましたが、こんなものを何年もかけて完成させる中国という国の国民性というようなものを感じました。


                  「中国・宮殿から見た庭」1.jpg 「中国・香炉の置かれた階段」1.jpg


北京市内へ戻ってから案内して貰ったのが、皇帝の使っていた宮殿の様子でしたが、彼らはその宮殿から現れる時には、そこから下へのびて作られた階段のすべてに巨大な香炉のツボが置かれていて、それから香が立ち昇っているのです。臣下たちはその階段の下の下にいて、やがて合図の妙なる演奏と共にまるで天空から現れるようにして薫香に包まれた宮殿から現れるのです。皇帝は正に神々しい天空から現われる神のような姿となって臣下たちの目には映ったことでしょう。当時の中国皇帝が実に演出上手であったことは、天壇公園というところで皇帝が臣下たちに演説をするところも、岡の上のあるところから演説すると、その声は地上よりも高いところから聞こえてくるように響いて、丘の下に控える臣下たちのいる庭に聞こえたといいます。今もその場は残っていて、観光客がみなその場へいって試しています。皇帝たちの残した遺跡をいくつも見ましたが、彼らは自分を如何に偉大であるかを知らしめるために、さまざまなことを利用して神格化を演出していたのを知りました。北京市内へ戻ってから案内して貰ったのが、皇帝の使っていた宮殿の様子でしたが、彼らはその宮殿から現れる時には、そこから下へのびて作られた階段のすべてに巨大な香炉のツボが置かれていて、それから香が立ち昇っているのです。臣下たちはその階段の下の下にいて、やがて合図の妙なる演奏と共にまるで天空から現れるようにして薫香に包まれた宮殿から現れるのです。皇帝は正に神々しい天空から現われる神のような姿となって臣下たちの目には映ったことでしょう。当時の中国皇帝が実に演出上手であったことは、天壇公園というところで皇帝が臣下たちに演説をするところも、岡の上のあるところから演説すると、その声は地上よりも高いところから聞こえてくるように響いて、丘の下に控える臣下たちのいる庭に聞こえたといいます。今もその場は残っていて、観光客がみなその場へいって試しています。皇帝たちの残した遺跡をいくつも見ましたが、彼らは自分を如何に偉大であるかを知らしめるために、さまざまなことを利用して神格化を演出していたのを知りました。


                     「中国・天壇公園」1.jpg 「中国・円丘の下」1.jpg


いろいろ紹介したいこと、紹介したいところはあるのですが、最後に日本から唐へ渡って、そのまま中国の朝廷に仕えて生涯を終えた阿倍仲麻呂の記念碑を見た時には、ちょっと複雑な気持ちになりました。きっと彼は夜を迎えると、故国日本の平城京の三笠の山に昇る月を思い出して、望郷の思いを噛みしめていたことでしょう。


                                       「中国・吉備真備記念碑前」1.jpg


残念ですが今回は北京での取材を断片的に紹介しましたが、とにかく36年もの昔のお話です。何だか嘘のように思えるかもしれませんが、何もかも旧政権の痕跡を排除するのに必死であった、共産政権の姿だけが印象付けられた取材でした。残念ですが今回は北京での取材を断片的に紹介しましたが、とにかく36年もの昔のお話です。何だか嘘のように思えるかもしれませんが、何もかも旧政権の痕跡を排除するのに必死であった、共産政権の姿だけが印象付けられた取材でした。


 


 


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