SSブログ

思い出作品の部屋☆ 思14「溢れるいけいけの気分」 [趣味・カルチャー]

  

もう一度1986年の頃のことを思い出してみて下さい。角川書店が地上編「宇宙皇子」を完結して次の天上編のスタートまで数か月の空白の時間ができた時のことでした。


映像時代からお付き合いの深かった徳間書店で小説を書いて下さいという依頼があって、私は古代歴史ロマンの「宇宙皇子」とは世界の違う現代を舞台にした青春小説として「エプリル・シャワー物語」を書きました。イラストも「宇宙皇子」のいのまたむつみさんとはまったく違った正統派の太田慶文さんというまったく違った画質の方を起用して、その特徴を鮮明にしました。そして更に徳間書店は時を置かずにその本についてのサイン会を企画したのです。小説の舞台であった横浜の港が見える丘公園にある「大佛次郎文学記念館」で、かなり多くのファンとの交歓会を催したりしました。


 この頃の私としては、いくらでもものが書けるというエネルギーに満ちた時代であったこともあって、実にごく自然の流れの中での作業であったのですが、今となって考えてみると、とてもそんな悠長な話として済ませてはおけない問題が漂ってしまったのです。勿論私にはそんな気配があるような雰囲気は見せませんでしたが、角川書店ではその徳間書店の参入にかなり刺激を受けてしまったようで、「エプリル・シャワー物語」と同じような青春物を書くようにいってきたのです。私はまったく抵抗を感じることなく、軽井沢を舞台に青春物語を書いてみようと思い立っていました。


 私にとっての軽井沢は青春時代からの憧れの地で、いつかいろいろな作家が集まって交歓会を開いていた軽井沢へいけるようになりたいと頑張ってきた経緯がありましたので、放送作家30周年という記念のパーテイを行ったのを境に、映像時代に蓄積した資金で、憧れの作家であった掘辰雄さんが最初に別荘を作ったところで、恋人の入院しているサナトリュウムヘ見舞いに通ったという釜の沢に、「宇宙皇子」を中心に原稿を書く場として山荘を手に入れたのです。


              「涼光山荘・全容」1.jpg 「素材・空を見なさい」1.jpg 「角川・ペパーミントシャワー物語」1.jpg


 


それから毎年夏になると、ここで休息を兼ねながら原稿を書くようになり、角川書店の編集者はもちろんのことですが、さまざまな雑誌社の編集者もここまで原稿を受け取りに来たりしていましたが、後はようやくゆっくりとする時間が持てるようにもなっていました。私は軽井沢の山荘へ行った時は、綺麗に澄んだ美しい夜空の星々の世界を眺めながら、それを率いている月神と対面していました。苦闘時代に仰いだ夜空とは違った達成感を噛みしめながら、ここまで辿り着くまでの私のさまざまな姿を見つめてきて下さった月神を、改めて見つめ直していたのでした。夜になると空を仰ぐことが習慣になっているのはそのためです。どうもぎらぎらと輝く太陽よりも静かな月の静かな姿に惹かれてしまいます。


この頃から私は時間を見つけては一人で山荘へ出かけて原稿を書きました。「ペパーミント・シャワー物語」はそんな状態で書き上げたものです。


 実業界で頂点を極めたある男性が、若者にひと夏の楽しい思い出作りをさせようと考えて、毎年彼の広大な別荘へ泊りに来る若者たちに呼びかけて、男女それぞれ40人の若者を募集して「男組」「女組」と別れて、ひと夏をそれぞれが工夫したカフェで働きながら青春時代をどう生きるのかを実践して貰おうという試みを行うことになりました。寄宿所は提案者の広大な別荘ですが、店は軽井沢駅から真っすぐに伸びている新軽井沢の大通りを右左に分かれて、「ペパーミント・シャワー男組」と「ペパーミント・シャワー女組」というそれぞれが工夫したカフェで、日給1万円という条件で働いて貰おうというのです。しかも夏の終わりには、オーナーから特別に口には出来ない特別料理をプレゼントするという提案もありました。若者たちはそんな条件のもとでそれぞれどんな工夫をしながら、どのくらい楽しく豊かなひと夏を過ごすことになるかという実験でもあるのです。「ペパーミント・シャワー物語」はそんな小説でした。


 ここで「ペパーミント・シャワー物語」の締めくくりとなる、口には出来ない特別料理というものがどんなものであったかを種明かしをしておきます。軽井沢の中心地には離れ山という小さな山があるのですが、そこを避暑客の外人たちは昔からテーブル・マウンテンといっていて、夕日がその真ん中に堕ちてくるのが如何にもテーブルへ特別料理が載っているような絶妙な光景になるといわれているところなのです。


オーナーはこの瞬間を若者たちにプレゼントしたという結末です。


このころの作業としては、兎に角依頼を受けた時に余裕があれば、抵抗感もなく受け入れて作業にかかれる状態であったこともありましたし、青春物については興味ある世界の話でもあったこともありましたので、徳間書店の仕事が完全に終わったあと続編の話はきていませんでしたので、角川書店からの依頼があったのをきっかけに、前述の二冊を連続的に書いていたのです。しかし今となって思い返してみると、この頃の両社はとても平然としていられる状態ではいられなかったのではないでしょうか。角川書店は兎に角勢いに乗っていましたから、私については他社で書かないように寸暇を開けないように動いていたようです。その頃から徳間書店以外の会社からも、かなり私に接触を求める打診が角川書店に入ってきていたようで危機感があったのでしょうか、これまで直接の担当ではないベテラン編集者も私の作業に入ってきて、今回の青春物の執筆を依頼してきたものでした。兎に角角川書店は藤川作品のすべてを独占してしまおうという態勢になっていたのではないでしょうか。それほど社内の雰囲気は、正にイケイケという勢いに乗った状態になっていたのです。


兎に角徳間書店から「エプリル・シャワー物語」を出した同じ1986年6月に、角川書店は「ペパーミント・シャワー物語」を六月に、つづいて「メープル・シャワー物語」は十二月に発売しました。


                                                    「角川・メープルシャワー物語」1.jpg


 過去にいまわしい傷を背負い、未来を失ってしまった女性がやがてアメリカから帰国するのですが、やがて同窓会で出会ったのが、京都の料亭で修業している同窓生でした。二人はやがて苦難の青春時代に夢を拓いて近づいていくというお話でしたが、明らかに徳間書店で青春時代を背景にした「エプリル・シャワー物語」の続編を書かせない態勢になったようです。


天上編の宇宙皇子が出た頃から、私を取り巻く環境にはじょじょに変化が表れてきていたようでしたが、私は兎に角書くことに夢中でしたから、私を巡る他社の関係についてはなかなか厳しい空気が生じていたことについては、ほとんど判らないままでした。しかしそれがやがてそうしたものは、現実のものとして表面化してしまうのです。それから数年後の映像関係の新年会でのことでした。


(ああ、これはあの時から噴き出しつつあったことだったのだな)


はじめて現実の社会ではまったく気が付かないことが進行していたのに気が付いたのです。その時の衝撃的なお話は、その時がやってきた時にお話することにいたします。


nice!(0)  コメント(1) 

nice! 0

コメント 1

Lieshnap

<a href=https://hqd.wiki/>почему hqd светится синим</a>

купить электронные сигареты в кургане
by Lieshnap (2021-07-11 04:03) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。