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言霊謎解きの部屋☆ 言42「ひとくち言霊」(天子南面) [趣味・カルチャー]

                                           「若菜イラスト」.JPG 


 現代の政界の様子を見つめていると、国民を引っ張っていく強力な指導性を持った政治家が見当たりません。そんなことを考えているうちに、ふと思い出したことがありました。

中国の三世紀頃に作られたということが言われている、指南車というものです。はじめに仙人の木像を乗せて南を向けておくと、歯車の仕掛けで常に南を指すようになるという車のことですが、かつて剣道指南をはじめとして。○○指南とか指南番という表現が使われるものが沢山ありました。つまりある世界の指導的な立場にある者を、指南役と呼ぶことが一般的でした。


リーダーたる者は軽挙妄動して、あっちを向いたり、こっちを向いたりして、ふらふらとしないということを示しているのですが、古代において指導的な立場にある者は、常に南を指し示す指南車のように不動の姿勢を表わす象徴として、目指す方向を変えないということを大事にしていたのですが、国の民を指揮しながら進むべき道を示さなくてはならないのは朝廷に君臨する天皇です。そんなことから日本の古代では、天子南面すということが大事にされていました。中国の道教思想によるものでしょう。都が作られる時の指針として、天皇の玉座は常に南に面していられるようなところが選ばれました。


ところが飛鳥時代を築いた天武天皇から皇位を受け継いだ持統天皇が、後押しをしてくれる藤原不比等の出身地である藤原へ遷都しようとした時、天武天皇の長男である武市皇子は、その地が宮都としては向いていないといって反対しました。


ところが彼女は聞き入れずに遷都を強行してしまいました。


しかし間もなく藤原京は、天子南面すという条件を満たすにはあまりにも難点があるということに気がついたのです。つまり天皇がいる場と、臣下の控える場の土地の高さが逆になっていることに気が付いたのです。つまり臣下のいるところが、天皇のいるところよりも高くなってしまい、見下ろす形になっていることに気がついたのです。これでは天皇もいい気持ちでいられるはずはありません。藤原京はわずか十年という短命の都という記録を残して終わることになってしまったのでした。


都はわずか十年という短い年限で終わり慌ただしく平城京へ移転していったのでした。別の言い方をすると、指導者には常に輝く存在であるというお話なのかもしれません。                                          


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