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思い出作品の部屋☆ 思17「イベントとファンクラブ1」 [趣味・カルチャー]

  

ファンクラブの東京の拠点であるだけに、各地のファンクラブからの私の参加を希望するという希望に、どう応えていくのかということではスタッフの会議での大きな問題でありましたが、そんな中から浮かび上がってきたのは、東京での大きなイベントというものがまだ行われてはいないということでした。地方からの希望は沢山あるのですが、「宇宙皇子体験ツアー」という行事の企画と実行ということだけでも、容易なことでは運営できるものではありませんが、それを何とか事故もなく終了することができたばかりです。


「宇宙皇子体験ツアー」というものは、小説の援護射撃ということでは大変有効な企画したから、ファンクラブとしては発足すると同時に大きな役割を演じてくれたことになりました。この企画は1985年から毎年陰の大役を見事に演じ切ってくれたのですが、ツアーに参加できる読者は200人弱という幸運な方だけに限られていましたので、あれだけ大きなヒット作品になりましたので、ツアーに参加できなかった日本全国各地に存在している読者からは、次第に欲求不満が出てきます。特に東京はファンクラブの拠点として確立していましたから問題はないとしても、横浜・名古屋・大阪・福岡などの地方の都市はもちろんのこと、それぞれ県単位でも独自のファンクラブが生まれていて、それぞれの土地に相応しいリーダーが生まれて独自に活動をし始めていましたから、東京の本部に対して、私を中心に各地へ来て貰って直接話ができる機会を作って欲しいという要求が、頻繁に入ってくるようになっていたのです。


その結果編集長との協議をした結果、地方へ出かける予算が取って頂けるようにというお願いをしなくてはならなくなってしまいました。兎に角ファンクラブには大量の資金が与えられていたわけではありません。ほとんどは自発的な活動だったので、兎に角援助して頂かなくては思うような活動もできません。まして全国の各地からの集会要求に応えるためには資金が必要になりますので、編集長の協力は絶対に必要でした。しかしそれ以上に問題なのは角川書店としての出版の予定がありますから、私の都合でそれが思うようにならなくなってしまうということには出来ません。ファンクラブのスタッフは相談ということで、よくやって来るようになっていました。確かに彼らの全国のファンの要望に応えて上げたいという純粋な熱意を思うと、無碍には拒否は出来ません。結局いろいろ検討した結果、私が現状を更に厳しくする過密スケジュウルを我慢するという決心をすることで話し合いは決着したのでした。


そんな中でようやく第一回目の体験ツアーをやり遂げたのですが、ファンクラブのスタッフたちには、ツアーに参加できなかったファンたちから、読者たちとの親睦を図って欲しいという希望が集まり、ファンクラブとしては「体験ツアー」という大役を果たしてほっとしていたのですが、そのまま息継ぎをしている暇もなく読者から寄せられる希望に応えることについて新たな知恵を絞らなくてはなりませんでした。そこで考えられたのが、「クリスマスイベント」を行ってはどうかという提案でした。勿論私はまったくそうした独自の計画にはかみこむ余裕がありませんから、そのプロセスに関してはまったく判りません。次の出版に向った作業にかかっていましたので、スタッフからイベントについての報告を聞くだけでやり過ごしていました。しかし宇宙皇子が出版され、体験ツアーが行われ、畳み込むように東京のファンクラブ主催のクリスマスイベントが12月22日に行われることになったのでした。


やはり東京の中心であるファンクラブとしての存在感を示すためにも、みなそれなりに意味のあるものにはしておきたいという気持になってきたところです。しかし1985年ですからまだファンクラブが正式にスタートしてから数か月のことです。銀座のヤマハホールで「クリスマスイベント」を行ったのでした。勿論私は会場いっぱいの読者を前にして、冒頭の挨拶をいたしました。ファンクラブのお披露目という意味もありましたが、日本の各地域の人たちがわざわざ東京まできて参加してくれたことには感謝でしかありません。作家の私もその反響の大きさに、改めて感動しながら宇宙皇子に対する反響は普通ではないと実感いたしました。


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これが毎年年末の行事として定着していくことになったのですが、それは東京だけに限られず、地方各地に誕生している「宇宙皇子ファンクラブ」の活動に組み入れられていきました。


 全国の若い人たちと出会って話をするということができるということでは、出版で言うお客様の時代意識や生活感というものが生で知るいい機会に恵まれるのです。これまで何度か経験しましたが、所謂出版社の編集者は、大体会社にいて持ち込まれる作品に目を通すという作業はするものの、生の読者の動向についてはほとんど受け取る機会を得られないままでいることがほとんどだったのです。


 私にとって大変厳しい日程をこなさなくてはならないことではありましたが、その分各地の若者たちと直に話ができるという収穫もあるのです。私は彼らが組んできた予定のイベントには喜んで参加をすることにしたのでした。すべての記録を紹介することは出来ませんが、それぞれの地方へ編集長をはじめファンクラブのスタッフは、私と共に出かけて行って親睦を図りました。宇宙皇子についての話と読者たちからの質問に応える時間は、これまでには考えられない和やかで親しみを増した時間になりました。しかしどこへ行っても必ず最後はサインをしなければならなかったのは、なかなかくたびれるものでした。


 私は若い人が、小説をどのように受け止めてこられたのか、若者としての受け止め方を、生の声として受け止めることができた、大変参考になるしんぼく会でしたが、ファンクラビのスタッフは、地元の世話役との親睦に務めながら、東京がその中心であるために地方の会員の要望を受け止めながら、角川書店の意向、私の意向に配慮しながらほとんど問題を起こさずに、ファンクラブの維持を見事に果たしていったのでした。しかしこの頃、当時はまだジャニーズ人気もそれほど大きなものではなく、特に現代ようにアイドルを追い回すようなこともそれほど大きな動きにはなっていませんでしたので、それぞれの歌手についているファンも宇宙皇子の会員の数には叶わないほどであったといわれました。まして作家にとってのファンクラブというものが、これほど大きな形で運営されていたものはありませんでしたから、みなさん異様に思われたでしょうね。


そんな人気を支えてくれていた縁の下の力持ちたちは、みな二十歳前後のスタッフで、ファンクラブという大きな親睦組織を維持しながら支えていくということに、ほぼ四年間という間を充実したものにしてくれました。その中でも毎年行われるようになったクリスマスのイベントは、東京だけでなく各地で行われるようになっていきました。次回はそんな中でも目立った地方のグループによる「クリスマスイベント」の催しを、大座パですが紹介したいと思います。


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