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ドラマと特撮の部屋☆ ド42「天上編ビデオ発売の謎」 [趣味・カルチャー]

  

副社長が指揮したアニメーション映画「地上編宇宙皇子」が公開されてから二年後に当たる1991年10月に、社長名で制作・販売された「天上編宇宙皇子」のビデオが発売されました。前回お話した映画の公開前に発表された「カセットブック」でのラジオドラマの発売と、今回の「天上編宇宙皇子」のビデオ制作には、あくまでも社長の指揮によるものなのですが、私は現代まで長い年月を経て、やっと二つの行為には共通の思いが込められていたと思うようになったのです。


社長はなぜあのような謎めいたことをしたにかということを考えると、当時はその真意が呑み込めないでいたのですが、映画の公開後から三年近く経たところで「天上編宇宙皇子」のビデオをわざわざ東映動画に依頼して制作販売をされた行為の真意を推測しているうちに、社長の行った不可思議な決断にはなぜか私に対する配慮をして下さった結果、私は今回の作業には納得していないということを、別の形で表現したのではないかと思うのです。そしてそれは親交のあった社長が私にその行為で思いを伝えてくれたように思うようになりました。


 すべては「宇宙皇子」が副社長のラインで、アニメーション映画として制作されるということが決まった時から、行き違いが始まっていたように思えてきます。一応建前としては映画の制作者としては社長の名前で製作されてはいたのですが、実際に制作の指揮を執っていたのは副社長です。角川書店としては「宇宙皇子」の出版をきっかけにしたブームに乗って、映画化という積極的な展開で決定的な勢いをつけたいという思い込みがあったのですが、その制作が始まるに従ってあまり喜ばしくない話が現場から漏れてくるようになってきていたのです。それが決定的になったのは制作途中である部分だけですがラッシュで見てみようということになって、原作者の私も試写室へ招待されたことがあったのですが、その日見せられたシーンの展開の感性がとても現代的であるとは言えないことから、そのまま黙認してしまえるものではありませんでした。映像作家としてのプライドが許せなくなってしまったのです。出版という仕事にかかわるようになってから、もし自作が原作として映像化される時には、必要以上に作業には干渉しないと決めていたのですが、この時ばかりは失望が先走って、思わず同席していた副社長に対して宇宙皇子が幻想の空間を激走するシーンの撮り直しを要求してしまったのでした。恐らく映画監督を何作も行っていたことのある社長は、きっと私が指摘した問題点に納得していらっしゃったに違いありません。


いつかこんなことが起るのではないかと心配していたことが、ついに起こり始めたのですが、どうも今回の映画制作のために決定された制作会社の選定には、はじめから問題が潜んでいたのです。どうも副社長から任されたTさんは私がテレビで活躍していた頃のことを知っていたことから、一寸軽率な判断をしてしまわれたのではないでしょうか。やがて大きなヒット作品になった「宇宙戦艦ヤマト」がテレビ放送をしている時のことですが、同じ時間帯の別の局で放送になっている、「世界名作童話」の制作をしていた「日本アニメ―ション」は常に視聴率で「宇宙戦艦ヤマト」をリードしつづけていたのです。私はいつも無念な思いをさせられていましたので、そのことが頭にあったのでしょう。今回の映画制作の中心となる会社として、その「日本アニメーション」を決定したのです。私にとってはきっと積年の悔しい思いを解消する機会になったのではないかと思ったのかも知れません。しかしその憶測はあまりにも人間観察力に問題があったようです。あのヤマトを圧倒していた作品作りをしていた会社に制作させるのだから、原作者も満足するに違いないという思い込みがあったに違いありません。変更を求めてもすでに状況は不可能でした。当初私が望んでいた「カナメプロ」という制作プロダクションで製作できれば、作画の中心に宇宙皇子のイラストを担当している「いのまたむつみ」さんが中心になって絵作りをしてくれるという計算があって、安心して世に評価を問える作品になるという計算があったのですが、まったくアニメーションについての智識に乏しい人が、あまりにも勝手な判断で映画制作という要となるプロダクションに決めてしまいました。そんな判断の間違いが、このようなことで跳ね返ってきてしまったのでしょう。作業の進行と同時にほころびが噴出してしまったのを社長は逐一情報を得ていたに違いありませんでした。映画制作は副社長が行うということになっている以上、下手に口出しは出来ない社長は、自分が思い描いていた古代史の世界ではない作品になってしまっています。私が感じている無念な思いと共感があるのでしょう。それを解消しようとする思いから、「天上編宇宙皇子」のビデオで制作をしてやろうと決心したに違いありません。古代を背景にした現代的な感性でアクションも描ききれなくてはならないということは、プロダクションとしてもそれに相応しいスタッフが欠いていることをスタッフからも指摘されて、あちこちからそれらの接ぎ当てをするように補充したりしましたが、それ以後制作が進むに従って問題が続出してしまっていました。ざっと見まわしたところ、メインスタッフもただ寄せ集めをしただけという状態で、完成を待つしかありませんでした。私の不満はもちろんですが、制作の中心となっていた副社長も、同時に上映される「ファイブスター物語」との兼ね合いということを考えると、今のままでは私に不満を募らせてしまうだけだと判断されたのでしょう。これまでいくつもの作品の監督を受け持ってこられた社長としては、このままでは期待を裏切られることになると感じられたのは当然です。必死で小説の執筆をしているであろう私自身が作品に対する期待感が薄れ、やがて小説を執筆する勢いを失うと心配されて、情況を挽回するために、映画のプロデユウサーとして俄かに東映動画から呼ばれてきたT氏に対して、「天上編宇宙皇子」のビデオを制作したいという依頼をされたのです。


新たなチーム編成を整えると、もちろん古代を描くための条件を理解して頂き、少なくとも視聴者を楽しませる作品作りということでは、実績をつみ重ねてきたプロデユウサーだけあったこともあって、古代史をエンターテイメント作品として仕立て上げるために、用心して貰いたい要点についての綿密な打ち合わせも行い、お陰でその作業は実に順調な手続きで準備が整えられていったのです。私も折角の機会でしたので、背景になる絵に関しては特別に注文して、時代の背景として、視聴する人のイメージを妨げないようなものが描ける方ということで、松本健治氏に美術監督を依頼したりいたしました。


はじめの制作会社決定に計算違いをしてしまったことから、俄かに私が前から付き合いの濃い東映動画からT氏に依頼して映画の仕切りをして貰っていたことから、現在の苦境を打開するために私のいう基礎的な条件を充たした「天上編宇宙皇子」のビデオの制作しようということになりましたが、映画の公開に先立った地上編宇宙皇子の「カセットブック」の発売をしたりしたこことも、すべては映画制作の時にその制作会社の選択を誤ったことに対する作家の思いに応える社長の思いやりであったということを感じたのでした。1991年10月です。ビデオが完成して発売になりました。 


                                    「天上編宇宙皇子・プレビュウブック」1.jpg 「天上編宇宙皇子ビデオ」1(1991).jpg


すでに新書版と文庫の「天上編宇宙皇子」10巻は発売されていますが、私にとっては「地上編宇宙皇子」とこの「天上編宇宙皇子」は、古代を背景にした世界を描く基本的な約束事が描かれたシリーズでしたので、かなりつづけて書いてきたブログも、宇宙皇子に関してはこの話が発売になるのを機会に終わりにしたいと思っていました。


 シリーズは「地上編」「天上編」で語り尽くされています。その後シリーズとしては「妖夢編」「煉獄編」「再び地上編」とつづいていますが、時代の経過によって次第にその勢いは薄れて行きました。しかし宇宙皇子が発散した困難な時代を生き抜こうとする清冽な思いは今日でも生きつづけています。


まだもう暫く「宇宙皇子」に関係するお話はつづきますのでお付き合い下されば感謝です。


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