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告知と放談の部屋☆ 放99「生きることの難しさ」 [趣味・カルチャー]

  

多少業界で目立つ存在になるということは、いろいろな意味で有難いこともありますが、そのために今回のように新年会で思いがけない出版社の重役同士が激突するところに立ち会うことになってしまったことは、私にとってあまりにも衝撃的な出来事でした。会社同士が仕事上のことでぶつかり合うことは通常よくあることで、友人同士の日常の会話の中でもよく聞かされる話ですが、ぶつかった原因である本人がいるところで、その存在のあり方が原因でぶつかり合ってしまったのは、とてもよくある話とは受け取れませんでした。とにかく私としては二人の間に入って仲裁するという器用な処理ができるほど修練を積んではいませんから、兎に角議論をぶっつけてきOさんの気持ちを静めて頂いて、その場から離れて頂けるように、「近々連絡を入れますから」と言ってその場から去るようにお願いいたしましたが、華やいだいい気分でいたところに持ち込まれた議論のために、すっかり激してしまった角川書店の副社長には、精々不快な議論の基になってしまったことに申し訳ありませんでしたと、本来はとても謝らなくてはならないような状況でもなかったのですが一応お詫びをしておきました。きちんと両出版社のぶつかり合いが解決したわけではありませんでしたが、取り敢えず新年会からはそのまま退出することになりました。


私が何をしたからという訳ではありませんでしたが、新年会でのぶつかり合いはあまり気分のいいものではありません。しかし二人の議論を聞かされているうちに、現在業界に私が登場してからは、これまでのように平穏な状態ではなくなっていたのです。それはすべて「宇宙皇子」という大きなヒット作品を生み出してしまったことによるのです。その間に状況は一変してしまっていたのです。


私に落ち度はないはずです。しかしO氏が敢えて新年会という場ではあったのですが、


すでに角川書店以外の社が立ち入れないような状況にされているということについて、抗議してきたのは、そこに私もいたことが原因であったかもしれないと考え始めたのです。


 帰宅したあとで平静さを取り戻して考えるのですが、確かに私と「アニメージュ」との付き合いはかなり密であったかもしれませんが、映像の世界でのアニメーションの変化に従って、新たな生き方を模索し始めるようになってからは、若い頃からの目標であった出版界への転身を目標にして活動し始めました。映像への関心が消え失せてしまったとか、興味がなくなったということはありませんが、時代の流れが私を特に必要だとは思わなくなっていたのでしょう。次第に業界の人々との接触も薄れていたのです。従ってあの徳間書店の・・・「アニメージュ」との接触も薄れて行きました。私の出版への働きかけについては、かなり前にお話しましたが、集英社から角川書店との出会いが生まれました。映像界での実績の積み重ねを知っている編集者が、私について橋渡しをしてくれたのがきっかけで、やがて「宇宙皇子」の誕生までに到達したのでした。幸運にも社長との出会いも幸運でした。まったく別の業界での実績を実感していなかったものの、そんな私がこれまでとはまったく違った日本の古代史に挑むという挑戦に興味を持って頂いたのが始まりましたが、これまでとは違った業界への挑戦ということを考えて、兎に角ぐずぐずしている余裕はありません。一気に勝負に出たのです。それが「宇宙皇子」という小説でした。私は映像界からの転職をするきっかけを作り出すために必死で、目標となった角川書店での出版を確実にするために、精一杯エネルギーを注ぎつづけてきていたのですが、そのために配慮しておかなくてはならないことがあったということに、神経がいき届かなくなっていたことに気が付きました。あの時一寸でも前に転身のために角川書店と仕事のきっかけを掴んだので頑張っていますとでも、Oさんに挨拶をしておけば、今になって余計な心配をしないで済んだのにと、転身に夢中で執筆中の「宇宙皇子」の連打に没頭してきたのです。


 千慮の一失ということがありますが、「仕事のはじまりであった頃に、ちょっとO氏に挨拶をしておけばよかった」


 私はこの業界で上手く生きていくために欠かせない気配りが足りなかったと後悔しました。


 確かに映像界でもこうした配慮には事欠かないことが多かったことがかなりありましたが、忙しい時は忙しいなりに、その時ご無沙汰になっている人間関係への気配りはかなり神経を使っていました。そんなことを考えると、まず転身する時に、すでにお世話になっていたO氏への挨拶をしておくべきであったのかもしれません。改めてはじめてといっていい世界への転身に夢中で、映像界におけるかなり細かな目配りを考えると、今回は兎に角夢中で飛び込んできてしまったことで、いささか気配りを怠ったかもしれませんでした。


 ところが後悔先に立たずで、新年会から数日後に、Oさんから電話があり徳間書店にはすでに受け皿を用意してあったようです。書店としてはかつての青春物語として映画化されて、藤山一郎の歌う主題歌と共に大ヒットとなった、石坂洋二郎原作の「青い山脈」の現代版の原作を書いて、映画化をしたいというお話でした。しかもその映画は私の監督で制作して貰いたいというのです。その為のバックアップ態勢は出来ているというのです。普通であったら直ぐにも話を受けて、そのつもりになるだろうと思われるような話です。


 私はかつてアニメージュ文庫で、「エプリルシャワー物語」という学園を舞台にした青春物語を書いたことがありましたので、その後の私の成長ぶりを考えた結果、成人向きのドラマを映画にしようという企画になったようです。私はかなりOさんのお話には興味がありました。しかしその時は迂闊にそれ以上に乗っていくことだけはしないでいました。しかもその時は、「宇宙皇子」のアニメーション映画の監督も依頼したいという話になりました。つまりその出版までも徳間に移してやることもできるという、実に挑戦的な企画でした。スタッフに関しても徳間が責任を持って編成できますからということでした。いろいろと有難い依頼ではありますが、現在お世話になっている角川書店の立場を考えて、温めてお返事をいたしますといって電話は切ることにしました。


 私は暫く前に、作家としての活路を広げたいという思いから、サンケイ出版社の「WOWO」という雑誌に古代史の大作になる「天之稚日子」という連載を承知してしまったことがあったのですが、それが角川書店の社長の目に留まってしまったことから、それに絡んだフジテレビ・ニッポン放送も巻き込んだ騒動になってしまったことがあり、業界のしきたりに不案内であったことを反省しなくてはなりませんでした。


 私は今回の徳増書店からの好条件を、簡単には受けられないという平静な判断が迂闊な動きを制止してきました。さまざまな補佐をして貰ったにしても、特別にそんな分野の訓練をしたこともないのです。ドラマにしてもアニメにしても、自分のスタッフを持っているわけではありませんから、映像作品を作る上での力不足は決定的です。迂闊に徳間の出してきた条件を呑むわけにはいきません。しかも今となっては角川書店の「地上編宇宙皇子」の映画の公開が迫って来ていたのです。もしそんな矢先に徳間書店の話が表になってしまったらかなりの打撃になってしまいますし、私に対する信頼感も一気に薄れてしまうでしょう。ついに私はさまざまな要件を検討した結果、ついに今回のお話には乗れないという丁重な言葉を添えて返事をさせて頂いたのでした。


 業界でたまたま目立つ存在にいたお陰で、生き方を問われるような問題に直面することになってしまったのでした。それにしても同じ業界で上手く生きていくということは、実に難しいことなのだなと、つくづく思ったものでした。私はあの日からこれまでのような姿勢で安閑としては生きられなくなるのではなかという不安が、常につきまとうようになってしまったのでした。しかし徳間書店の重役にとっては、あの頃の角川書店の勢いに何としなくてはならないものを感じていらっしゃったのかも知れません。


 今回はちょっと堅苦しいお話になってしまいました。


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