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閑話 嵯峨天皇現代を斬る その一の五 [趣味・カルチャー]

     第一章「卓越した指導者となるために」(五)


       為政者の課題・「地震の被害と謙虚な反省」



今回は二〇二二年の我々から見ると、実に一二〇〇年も前の平安時代の初期の頃のことです。


弘仁九年(八一八)。嵯峨天皇が即位されてから九年後のことです。


 現代では災害の発生については、かなり事前に察知できるようになってきていますが、天災についてはまだまだ正確無比という訳にはいかないようですね。


そんなことを考えると、まだ科学などというものが存在していない平安時代の初期のこととなると、大きな災害が起こった時などは、その被害からの救済ということを考えると、とても想像がつかない困難を招じてしまいます。恐らく政庁は行き届かない事ばかりだったでしょう。


 この年の七月のことです 


為政者・嵯峨天皇


弘仁九年(八一八)八月十九日のこと


発生した問題とは


大きな地震が襲いかかられて、武蔵(むさし)下総(しもうさ)常陸(ひたち)上野(うえの)下野(しもつけ)などの関東の国々の山は崩れ、そのために広大な範囲で谷が埋まり、圧死する者が多かったというのです。


中でも百姓はその数が知れないという報告が行われました。


天皇は諸国へ使いを送ってその被害の様子を調べさせ、被害の激しかった者には援助を与えることにしました。


 こうした大きな自然災害が起こった時、天皇は被害の様子について、使者から報告を受けると、実に謙虚な思いを述べられます。


 (ちん)は才能がないのに、謹んで皇位につき、民を撫育しようとの気持ちはわずかの間も忘れたことはない。しかし徳化は及ばず生気は盛んにならず、ここに至りはなはだしい咎めの徴が下されてしまった。聞くところによると、『上野(こうずけ)國等の地域では、地震による災害で洪水が次々と起こり、人も物も失われている』という。天は広大で人が語れるものではないが、もとより政治に欠陥があるために、天は(とが)めをもたらしたのである。これによる人民の苦悩は朕の責任であり、徳が薄く厚かましいみずからを天下に恥じる次第である。静かに今回の咎を思うと、まことに悲しみ傷む気持ちが起こってくる。民が危険な状態にあるとき君一人安楽に過ごし、子が嘆いているとき父が何も心配しないようなことがあろうか。使者を派遣して慰問しようと思う。地震や水害により住宅や生業を失った者には、使者らが現地の役人と調査した上で今年の租調を免除し、公民・俘囚を問うことなく正税を財源に恵み与えよ。建物の修復を援助し、飢えと露宿生活を免れるようにせよ。


圧死者は速やかに収め葬り、できるだけ慈しみ恵みを垂れる気持ちで接し、朕の人民を思う気持ちに()うようにせよ」(日本後紀)


 災害が発生した時に、その責任を転嫁できるようなことはまったくない時代のことです。


 天から使命を託されて、為政を行う再興責任者と鳴れた天皇は、天から委託された民・百姓の暮らしの安全が守れなかったということで、その責任を自らの至らなさのためだと仰います。これはこれまでのどの天皇にしてもまったく変わりません。天命によって使命を行うものとしての自覚です。


 静かに今回の(とが)のことを思うと、まことに悲しみ痛む気持ちが迫ってきます。


為政者はどう対処したのか


 「天命を受けて皇位に就く者は、民を愛することを大切にし、皇位にある者はものを(すく)うことを何より重視し、よく自制して人の希望に従い、徳を修めて立派な精神を()み行うものである。朕は日暮れ時まで政務に従い、夜遅くなっても、寝ずに努めているが、ものの本性を解明するに至らず、朕の誠意では天を動かすことができず、充分な調和を達成できないまま、咎徴(きゅうちょう)がしきりに出現している。最近、地震が起こり、被害が人民に及んでいる。吉凶は人の善悪に感応して天がもたらすものであり、災害はひとりでに起こるものではない。おそらくは朕の言葉が理に背き、民心が離れてしまっているのであろう。そのため天がこの重大な咎を降し、戒め励まそうとしているのではあるまいか。朕は天の下す刑罰を恐れ心が安まらない。ところで亀甲と筮竹で占うと、今回の地震は天の咎めであることが判った。往時天平年間にこのような異変があり、疫病により国内が衰弊したことがあった。過去のこの異変を忘れてはならず、教訓として役に立たないものではない。百姓が苦しんでいれば、いったい誰と共に君たり得ようか。密かに考えてみるに、仏教の教えは奥深く、慈悲を先とし、教理は優れ、あらゆるものを(あわれ)み、教養は深遠ですべてを救済することを目指している。また疫病の災いを祓除することは、前代の書物に記されている。そこで、天下の職に指示して、斎食を設け僧侶を()び、金光明寺で五日間「金剛般若波羅蜜経」を転読し、併せて(みそぎ)を行い、災難を除去すべきである」(日本後紀)


 国民を率いる責を負っている者として、日ごろの暮らしについても、常に自粛の意識はあるように思えます。


 神仏によるその神秘の力による救済にすがるしかありません。


 その力を引き出すことは僧に課せられる使命です。


 為政者は考えられる手立てを講じようと努力します。


 しかし現代についてはどうでしょう。


国民が困難を被っている時に、為政者はどう受け止めていらっしゃるのかと思ったりするようなことがあります。


古代ではほとんどの場合、天皇は自らの評価を厳しく下した上に、様々な被害を被った者たちへの救済を発表しますが、現代の場合は記者会見などでは、


「現代科学でも予知能力を超えるもので、被害が出たことにつきましては、お気の毒としか申し上げようもありません。処理につきましては充分に調査をして対処する所存です」


 天災の発生は止むを得ないとしても、そのために起こる二次災害のために大きな被害胃が出たりして、そういうことが起ることが前から指摘されながら、まったく手付かずという状態であったということにつては反省も、通り一遍の欠陥があったことを認めて謝罪するだけです。


 恐らく慌てた様子もなく、淡々と被害状況についての報告と、その援助について報告するだけでしょう。


確かに現代科学でもその予知が不可能であることが多いので、とても責める気にもなりません。あとはその救済がどのように処理されていくかが問題になるだけです。


しかし国民の方にも、天災なのだから仕方がないと、納得ししてしまっているのではないでしょうか。関心があるのはその後の救済問題だけです。


科学などの智識もなければ、その発生を事前に察知するようなものは一切持たない、古代の民・百姓と同じ反応になってしまいます。二次被害についても、運が悪くて被害が広がったとしか思わないのでしょう。


兎に角まったく予想もしない天災に襲いかかれてしまったのです。


もっと予知能力を高めるための努力をしてもらうために、働きかけを行いますと、熱心さをアピールするようなリップサービスは、してもいいのではないかと思います。


とても古代の天皇のような、天災を自己責任だと思うような、真剣さが感じられません。


必死に救済を行おうとする働きかけが、その言動からくみ取れるようなものがありません。


被害の大小は別として、そのために被った痛みをどの程度被害者と共有することができるかが、為政を任されている人の存在価値を決めるような気がいたします。


温故知新(up・to・date)でひと言


被害の大小ということはあると思うのですが、古代と現代とでは、その痛みを民と共有しているかどうかということで、大きな差がるように思えてなりません。


関西に起こった西日本豪雨の被害の広がりが予測されながら、宴会など開いていた責任ある議員たちもいたということもありました。


まったく予想される災害に対する緊迫感が感じられません。


決して災害は自らの政治家としての生き方に対する、天の批判なのだというような、思いつめたところなどは感じられません。それだけにこうした災害があった時などは、その対応の仕方に為政者の人間性がはっきりとしてしまうように思われます。


古来天災については「天歩艱難(てんぽかんなん)という言葉があります。時に恵まれず情勢が悪く困難な状態に陥ったのであって、決して為政の誤りであったなどとはいいません。そんな時には、「墜茵落溷(ついいんらくこん)という言葉もあります。人には運不運というものがあるので、それは決して因果応報によるものではないと考えましょうという考え方です。しかし悲惨な目に遭っている人々が出た場合には、「輪写心服(ゆししゃしんぷく)という言葉があるように、為政者はその人々に、自分の思いを正直に吐露して、痛みを共有する気持ちを伝えてあげたいものです。そのお陰でどれだけ救われる人がいるか判りません。そのことはしっかりと心に留めておきたいものです。



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