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☆閑談とちょっと気になる新言霊の部屋☆ 言3 [趣味・カルチャー]

「禁断の木の実に異説」

 古代の歴史の中で、いわゆる正史からこぼれてしまいそうになりながら、なぜか忘れられないでいるお話があります。

非時香菓(ときじくのかぐのきのみ)というものがそのお話です。

これにはあまりにも涙ぐましい物語が残されていて、いつまでも語り伝えられているのですがご存知だったでしょうか。

 現代でもできれば元気で長生きしたいと思っていらっしゃる人は、かなり多いのではないかと思うのですが、古代においては現代人とは比べ物にならないくらいに短命であったためもあって、庶民はそれも天命であると思ってあきらめながらも、出来ることなら少しでも長く生きたいと思っていたに違いありません。

そうなると、何でも思うことは手に入れられると考えている時の権力者にとっては、現在の権勢を維持しておくには、不老だけでなく長寿である必要があると、常に考えつづけていたに違いありません。

勿論われわれ平民であっても、病気で長生きしても楽しむということは出来る訳はありません。人生を楽しむには、まず健康第一でなくてはなりませんから、様々な健康維持のためのサプリメントを取り寄せて飲んでいたりしているということが伝えられたりしています。

長寿・・・特に不老長寿は、万人の願いです。

それは古代人も現代人も変わりがありません。

 現代のように医学などの発達のお陰で、長命を願った様々な工夫・研究されていますが、この不老長寿という願いは、日本よりもはるかに古い歴史を誇る中国では、強大な権力を欲しいままに行使してきた秦の始皇帝などは、不老長寿の妙薬が欲しいと願いつづけていたことで知られていました。

ある日。そんな彼のところへ呼び出されたのが徐福(じょふく)という男がいました。

東海の小島に不老長寿の樹の実があるという噂を手に入れると、一刻もじっとしていることができなくなって、徐福に「非時香菓」探し求めてくるようにという使命を申し渡したのです。

徐福は直ちに童の男女三千人と、五穀の種、百種類の工人を伴って船出をしたというのです。始皇帝は直ちにそれを認めました。

不老長寿の樹の実があるという東海の小島は、わりに近くにあると考えていたのでしょう。直ぐにでもそれは手に入れられて帰って来るだろうと考えていたのです。その時こそ不老長寿は約束されることになると、心を躍らせながら待っていることにしたのです。目指して行けば、それほど時を費やさなくても手に入れて戻れるとでも思っていたのでしょう。

始皇帝はその時の徐福の願いについては、まったく疑いもしませんでした。多少は苦労したとしても、童の男女三千人と五穀の種、百種類の工人を伴っていくほど大袈裟な旅をしなくてはならないのでしょうか。しかもあれほど多くの種類の工人たちを連れて行くのは不自然です。皇帝の身近に仕えている要人たちは、ちょっとおかしいと思ったに違いありません。

案の定です。当時秦は法治国家になっていたこともあって、大変息苦しくなっていたのです。どうも徐福は皇帝の命令をいい機会にして、亡命を図ったのではないかと疑っていたというのです。しかしその程度のことには、始皇帝も気が付いていないはずはないのです。

重臣たちの進言を聞きましたが、そんなことは承知の上で「非時香菓」を手に入れてくるようにという命を下したというのです。彼はこの頃中央集権を確立して西、南、北の国境は固めたのですが、東は海でその向こうは未知の国だったのです。やがてそのあたりも征服してしまえば、周辺ばかりでなく世界をも手に入れることになると考えていたのでしょう。

彼は如何にも徐福の目的には気がついていないふりをして、東の未知の国の情報を得るために、噂で名高い東海の小島にあると言われている不老長寿の妙薬を取って来るようにと指示したのです。もしそれが手に入れられれば、まさに一挙両得ということになるとほくそ笑んでいたのです。

 ところが徐福の村では、それ以来始皇帝の希望に応えることもなく、行方不明になったまま帰国しなくなってしまった彼に、怒りを燃やす者が多くなったといいます。

 ところが日本の場合ですが、私たちの年齢の者は「修身」という教科書の中で、必ず載っていた話がありました。

不老不死の妙薬を探して来いという、垂仁天皇の命を受けて旅立った田道間守は、もうそんなことがあったということさえも忘れ去ってしまったと思われる、十数年という長い長い月日をへて、やっと神仙国から「非時香菓」という不老不死の木の実を探し出して戻ってきたという話を、役人の美談として紹介されていました。

 ところが彼に「非時香菓」を取って来いと命じた崇神天皇は、彼がやっとのことで手に入れた橘の香菓を持って戻ってきた時には、崇神天皇は崩御してしまわれていたのです。田道間守は橘の香菓を天皇の陵に献じて、嘆き悲しんで亡くなってしまったということが、伝えられてきています。

現代では欲しいと思うものは容易に手に入れられる上に、「飽食」という問題さえも抱えている時代でもあります。

足もとから健康を害するような誘惑が、身の回りを取り巻いているということがあるということを、決して忘れてはならないと思います。

余談になるのですが、古代では滅多なことでは食べられないものといえば、天上にある楽園でアダムとイブが、禁ぜられている木の実を食べてしまったという伝説があります。それはリンゴであったということになっているのですが、本当はエデンの園で二人が食べてしまった禁断の木の実は、リンゴではなくアンズだったのではないかという説を言っている人があります。大島正満博士という方だそうですが、旧約時代の聖書聖地付近にはリンゴはなかったというのです。後の画家たちが、アンズとリンゴ間違えて描いたに違いないといっているのです。事例や植物学的な見地から様々な反証があるようですね。

洋の東西を問わず、手に入れることが困難であるといわれながら、いつかそれを手にしたいと夢を見るのが、永遠の命というものかもしれません。


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