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☆閑談とちょっと気になる新言霊の部屋☆ 閑2 [趣味・カルチャー]

       「政治改革の行方」

昨今は何かにつけて「改革」・・・イノベーションということが叫ばれます。

とにかく大変耳障りがいいものですから、誰も彼も「改革」ということについては特に反対はありません。しかし問題は、改革をした結果どういうところに前とは違った効果が表れているのかということが、評価の対象になるのではないでしょうか。

この改革ということは、決して今に始まったことではなくて、昔高校の日本史の授業などで登場したことがあったのです。思い出すのが、奈良時代から平安時代に変わる過渡期に登場した、光仁天皇(こうにんてんのう)の政治改革のことです。

この頃天皇というのは権力者ではありましたが、本当は政治の頂点に存在する、象徴的な存在に過ぎませんでした。

天皇が祭政一致で権力を掌握していた時代は、天武(てんむ)天皇の在世中のことで、その後持統(じとう)天皇が登場した頃からは次第に祭政一致はなくなり、天皇は祭りごと中心に勤めを果していますが、については皇族、貴族に任せていたのです。その為にやがて皇族は政治から離れるようになり、政は貴族によって行われるようになっていったのです。

ところがその頃から、どうも政治の世界は歪み汚れていってしまったように思います。

要職に就いた者は、出身貴族の一族のために利益を図って、その反映と権力を保持しようとしましたし、自分の野心を遂げるために、都合の悪い者は抹殺してしまうという状態にまでなってしまったのです。しかしこの

ような時代が長くつづいていくと、同じ者がいつまでも権力を握っていることになり、どうしても腐っていくのが政治の世界のようです。

奈良時代の末期にはどうにもならない混乱期が訪れて、権力者であった藤原氏もその威光を失っていってしまいます。

その間に一番問題になっていったのが財政的な逼迫という問題です。

政治の中心であった朝廷も肥大化してしまって、ついには天皇家の生活の中心である内裏の維持費までも、ままならない状態がやってきてしまったのです。そこで登場したのが光仁(こうにん)天皇ということなのですが、兎に角混乱を収拾するために清廉潔白な人ということになって、多少高齢にはなっていましたが有力者たちから押し上げられた方だったのです。

天皇は政治の中心になるところである朝廷が、きちんと機能しなくなっていたのを知っていましたから、先ず肥大化して機能しなくなっているものから整理していくことにしました。

まず朝廷で働く官人の整理です。

つまり役人の整理をすることになって、各省庁からかなりの人を整理していきました。そうなると長いしきたりの中で安住してきた者たちからは、反発を招いたことは間違いありません。しかし光仁天皇は、役人ばかりでなく、ただ権威だからといっていつまでもその頂点に君臨していて、実際には何の活動もしない大学寮の博士・・・今の国立大学の教授のようなものですが、長老だからといって生徒の教育もろくろくやらずにふんぞり返っている者に代って、意欲的な若い教育者を引き上げていったのです。

これなら各界から大絶賛されて評価されることになるだろうと注目していたのですが、しかしそうならないところが世の中の厄介なところですね。

自分たちではどうにもならなくなってしまったのは、光仁天皇に為政を託したからだ。自分たちに不利なことばかり起るのだということになってしまったではないかということになってしまって、改革の象徴であった彼は、たちまち面倒な存在に早変わりしてしまったのです。

一刻も早く天皇の地位から引きずり下ろしてしまおうと動き出します。

まさに古代も現代もありません。政治の世界は進化していないと言うことです。

自分たちの都合で持ち上げておきながら、風向きが変わった途端にたちまち引きずり降ろそうとし始めるのです。

光仁天皇の在位期間は、わずか十一年という短期間で終わってしまいます。その足を引っ張ったのは、何と光仁天皇に政治的な混乱を収拾させようとして即位させた藤原氏そのものだったのです。

古代ではあくまでも天皇は為政の頂点に置いておく飾りのようなものだったと書きましたが、実社会において権力を持っている者たちにとって、都合よく動いてくれなくなった者は、たとえ天皇であったとしても容赦なく退きずり降ろしてしまいます。

まるで現代の政界を見るような気がします。

懸命に為政を(ただ)そうとしてきた人でも権力者にとって都合が悪くなってしまうと容赦なく引きずりおろしてしまいます。

どうして切実であった財政難が迫っていたというのに、このような結果になってしまうのでしょうか。押し上げた者も引きずり下ろすのも同じ者です。

どうも改革という叫び声は美しく響くのですが、実際に運用されるようになった時、本当に国民のためになったのか、いつの間にかごく一部の権力者が有利になってしまっているのではないのかというようなことを、じっくりと見つめていく必要がありそうです。

そうです。

改革の本質を知って見つめつづけるということこそが、改革を実のあるものとする肝心な作業であるように思えます。時代が改革を求めている時であるからこそ、余計に心にかかっています。

 


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