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閑話 嵯峨天皇現代を斬る その二の五 [趣味・カルチャー]

      第二章 「安穏な暮らしを保つために」()


        為政者の課題・「武力研究の戦略転換」


承和四年(八三七)のことです。


仁明天皇(にんみょうてんのう)が即位されてから四年たっていますが、すでに退位されていらっしゃる嵯峨太政天皇は健在ですし、十年という統治で譲位された淳和(じゅんな)天皇も、今は今は後継に嵯峨太上天皇の御子に後継を託して、太上大臣として国の行く末を見つめていらっしゃいます。


かねてから嵯峨太上天皇が望んでいらっしゃった遣唐使の派遣という行事も、御子としては何とか成功させたいと思う熱い願いから、何度かの渡海失敗をしながらも、目的達成を祈りつづけています。これもこのところいささか沈滞している時代の空気を、転換したいという思いもあって日夜腐心していらっしゃいます。


 そんなある日のことです。


仁明天皇が豊楽殿へお出でになられようとしたところ、殿上に設けた天皇の座の近くに、突然得体の知れない「ものの怪」が出現して、慌てて逃げたりしたのですが、別の日には、内裏から見ると、虹が六つも同時に現れたりするという不可解なことが起ったりします。


あまりにもこれまでと違った不可思議な現象が起こるので、心理的には穏やかではいられないのですが、そんなところに地震まで襲来するのです。


既に淳和太上天皇の治世の折にも、ものの怪が何度か現れたということが知られていましたが、何か不穏なことが起こる予兆ではないかと、大変不安になってしまいます。


「天皇は聞くところによると、疫病が間々流行し、病に苦しむ者が多いという。災いを未然に防ぐには般若(仏教の知恵)が何より優れている。そこで五畿内・七道諸国の修行者、二十人以下、十人以上に命じて、國分僧寺において、七月八日から三日間、昼は「金剛般若経」を読ませ、夜は薬師悔過(けか)を行わせよ。これが終わるまで、殺生を禁断せよ」(続日本後紀)


と指示をされたのでした。


 仏の呪力を信じて、必死で困難と闘おうとしていらっしゃったのです。


為政者・仁明天皇


承和四年(八三七)四月二十一日のこと


発生した問題とは


 陸奥出羽按察使(むつでわあぜち)坂上大宿禰浄野(さかのうえのおおすくねきよの)が伝えてきました。


「去年の春から今年の春にかけて、百姓が不穏な言葉を発して騒動が止まず、奥地の住人は逃亡する事態になっているので、守備に就く兵を増やし、騒ぎを鎮めて農に向かうようにすべきです。また栗原(くりはら)賀美(かみ)両群の逃亡する百姓は多数にのぼり、抑止することができませんという知らせが来ています。私浄野が考えますには、未然の内に処置すべきです。それだけでなく栗原・桃生(ものう)以北の俘囚(ふしゅう)は武力に優れたものが多く、朝廷に服属したように見えながら、反抗を繰り返しています四、五月は所謂馬が肥えて、蝦夷らが(おご)り高ぶる時期です。もし非常事が発生しますと、防御が難しくなります。伏して援兵として一千人を動員し、四、五月の間、番をなして勤務させ、暫く異変に備えることを要望します。その食糧には当地の穀を使用し、慣例に従って支給することにしたいと思います。ただし上奏に対する返報を待っていますと、時期を失う恐れがありますので、兵を動員する一方で上奏する次第です」(続日本後紀)


というのです。


為政者はどう対処したのか


政庁は直ちに、


「ことに対処するには時期が大切なので、上奏を許可する。ただしよく臨機応変に対処して、限界と恩恵を併せて施すようにせよ」(続日本後紀)


と指示をいたしました。


しかし政庁では、蝦夷(えみし)との戦いの経験を通して、武器は時を経ると古くなるということが判っていましたので、新しい武器の開発に苦心していたりしていたのです


それでもこれまで静かになっていた陸奥(みちのく)あたりに住まう蝦夷が、突然息を吹き返して政庁に立ち向かってきたりするのです。


政庁ではそれに必死で立ち向かい、鎮圧しようとするのですが、なかなかそれがうまくいきません。それを検討した結果、武器の優劣ということがあるのですが、その前に戦略に間違いがあるのではないかといった問題が持ち出されたのです。


確かに新しく開発された武器の力もあって、ある程度は立ち向かえるものの、弓馬を使った戦いとなると、たちまち機動力は落ちて蝦夷に押し返されてしまうのです。そこで朝廷は武器を含めて検討したことがありました。


かつては嵯峨天皇の温情作戦ということもあって、かなりおとなしくしていた蝦夷でしたが、どうしてもその猛々しい性格は収まらず、また歯向かうようになってきていたのです。


剣戟(けんげき)(つるぎとほこ)は交戦の際に役立つ武器であり、弓弩(きゅうど)(大弓)は離れたところから攻撃する際の強力な仕掛けです。このために、五兵、弓矢(きゅうし)(しゅ)()()(げき)からなる五種の武器)は適宜用いるものであり、一つとして欠けてはなりません。まして弓馬による戦闘は蝦夷(えみし)らが生来(なら)いとしているので、通常の民は十人いても蝦夷一人に適いません。しかし、弩による戦いとなれば、多数の蝦夷であっても、一()の飛ばす(やじり)に対抗できないものです。即ちこれが夷狄(いてき)を制圧するに当たり最も有力です。ところで、今、武器庫の中の弩を調べると、あるものは全体として不調であり、あるものは矢を発する部分が壊れています。また、弩の使用法を学ぶ者がいますが、指導する者がいません。これは事に当たる責任者を置くに必要な財源がないことによります。そこで鎮守府(ちんじゅふ)に倣い、弩師(どし)を置くことを要望します」(続日本後紀)


 


 新たな武器を開発するよりも、戦略の工夫が必要なのではないかということになったりもするのですが、これは現代直面している問題でもあるのではありませんか。


 世界の環境が厳しくなるに従って、国を守るためにはどうすべきなのかという問題に突き当たります。周辺の国が新たな武器の生産に勢力を尽くしている時代ですが、思い切って同じような武器の開発に進まずに、ピリピリとする国際関係を上手くやるための戦略の工夫が必要なのではないかと思うのです。


 どうしても他国に負けない武器の開発という欲求が、強くなっていきそうな気配には不安を感じざるを得ません。


更に進んだものという欲求によって、武器の開発が盛んな現代ですが、すでにそのような者から戦略を練ることに転換しようという動きに変わろうとしているのです。


現代のわれわれとしては、どう対処すべきなのでしょうか。


 日本ではしばらく前になりますが、北朝鮮からのロケット攻撃に備えようとして、アメリカから購入しようとしていた四千億という費用の陸上イージスといわれるイージスアショアなどというものも、結局交渉はまとまらずに、新たな直面を迎えてきています。


こんなことを、もし企業間に行われる商戦ということに置きかえてみたらどうでしょうか。それぞれの企業が戦うための商品を繰り出して相手と戦うことになるのですが、相手を圧倒するために、常に新しい商品を武器として開発をしなくてはなりません。各国がそのための国家の軍事予算を膨大にしつつあるのと同じで、結局企業はその資金の確保に苦慮することになってしまうのではないでしょうか。


しかしもし一度戦いが始まってしまったら、これでもか、これでもかと新たなものを生み出して、他の会社と戦うことになるのですが、やがてそれも飽きられてしまうことになり、経営を苦しくしてしまうことになってしまいます。状況が変わった時にどう備えるのか、すでに商戦を展開中に考えておく必要がありそうです。


温故知新(up・to・date)でひと言


 


四字熟語にはそんな状態を表現する言葉として、古来「光彩離陸(こうさいりりく)というものがあります。光が入り乱れてまばゆいほどに美しく輝くさまをいうのですが、判断がし難くなって、結局これでもかこれでもかと商戦のための武器開発をしつづけることになるということにも通じます。そのための資金の投入に苦慮することになってしまうのではないでしょうか。商戦と違って武器の開発にのめっていくことは、賢明に思えて結果的に愚かなことであるのに気づくのではないでしょうか。しかし先人たちは、こんな言葉も残しています。「騎虎之勢(きこのいきおい)という言葉です。虎に乗って走り出したら、途中で降りることができないという喩え通り、行くところまでいかなくては終えられなくなってしまいます。そんな過ちを犯して、企業本体の維持を危うくしてしまっていいわけはないはずです。武器の開発に勢力をつぎ込むよりも、「樽俎折衝(そんそせっしょう)という武力を用いないで外交交渉によって、問題を解決することを各国で模索することは出来ないのだろうかと思います。どの世界においても、お互いに競争することで発展していくことはいいことなのですが、つい相手を打倒してしまわなくては気が済まないという、本心が頭をもたげてくるようになると、永遠に解決不能の地獄を味わい続けることになってしまいます。平安時代という古代であっても、武器の開発だけではなく、戦略を工夫してみてはどうかと、考え方の転換を図ったのです。現代の人々がそう言ったことが出来ないはずはないのではないかと思うのですが・・・。


 


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