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閑話 嵯峨天皇現代を斬る その二の六 [趣味・カルチャー]

      第二章「安穏な暮らしを保つために」()

        為政者の課題・「情報の必要不可欠」

  早いもので、承和九年(八四三)を迎えています。

仁明天皇(にんみょうてんのう)はすでに在位十年になります。

父である嵯峨太上天皇は病勝ちになっていたこともあって、為政についても、父の病状の回復を願う気持ちも真剣そのものでした。

恒例により天皇は嵯峨院へお尋ねして、新年のご挨拶を済ませると、雅楽寮(うたりょう)が音楽を奏し、公卿は酔いに任せて感興の赴くままに、それぞれ立ち上がって舞いました。

体調の思わしくない嵯峨太上天皇を、少しでも元気づけようという配慮でもありました。

このところあまり異国の使節が来朝することが無なくなっていたのですが、異国ではいろいろな動きがあるようですが、兎に角海を越えた国で起こっていることについては、ほとんど情報が入ってくることはありません。それだけに様子が知れないということは不安の原因になるものです。

そんなところへ筑紫(つくし)大津(博多津)へ李少貞(りしょうてい)に率いられた四十人の新羅(しらぎ)人が到来するのです。直ちに大宰府は役人を送って来朝の理由を問いただしたのですが、李少貞はそれに対してある情報をもたらしたのです。

 これまで嵯峨太上天皇は常々、

「治にいて乱を忘れずとは、古人の明らかな戒であり、将軍が驕り、兵が怠けるようなことは軍事の観点からあってはならない。たとえ事変がなくて慎むべきことである」(日本後紀 

こうおしゃっていたのです。

かつて「対岸の火事に学ぼう」ということで、日本から離れたところでどんなことが起こっているのかという情報を得て、それを鑑にして自分たちの暮しで、糺しておかなくてはならないことがあれば、正常に整理をして万一に備えるようにしようと致しましたが、今回は一寸その頃の状態とは違った状況があります。

嵯峨太上天皇の病臥という状態にありましたから、政庁は勿論のこと官衙で絶大な信頼感のあった方だけに、様々な不安を抱えている最中のことだったのです。

大宰府から、取り調べの結果を報告してきました。

新羅(しらぎ)国の集団の長である張宝高(ちょうほうだか)が死去したことから、その副将である李昌珍(りしょうちん)たちは反乱を起こそうとしたのですが、武珍州(ぶちんしゅう)(韓国光州)列賀閻丈(れつがえんじょう)が兵を率いてそれらを平らげ、心配はなくなったのですが、その時捕足を逃れた賊徒が、日本へ向かい人々を騒がす心配があるということでした。政庁では一時騒然としましたが、どうやらこの少貞は現在列賀閻丈の使人となって動いているということが判ったことから、あまり深入りは出来ないということが判ったために、それ以上深入りはせずに、適当な時期に帰国させることにしました。何か不穏な空気が漂う平安京になりましたが、そんな中に不安を更に掻き立てるように、得体の知れない怪しいものが、宮中にも現れたりするようになったのです。なにか不安が漂う世相ですが、そんなところへ異国に起こる異変が、日本へ飛び火して来るかも知れないという事態になってしまったのです。正に新羅国の事件は、対岸の火事と高みの見物を決め込んでいるわけにはいかなくなってしまいました。

何かにつけて頼りにしていた、嵯峨太上天皇の病状がよくないということもあって、天皇は不安を掻き立てられてしまっています。

しかもそんな中で、天皇も体調を崩してしまいます。

為政者・仁明天皇

承和九年(八四三)正月十日のこと

発生した問題とは

 政庁では使人を平安京の七寺と平城京の七大寺へ派遣して、天皇の体調回復を祈らせました。

その甲斐があったのでしょうか、間もなく天皇は快癒されました。ところがそうこうしているうちに、貢調の期限と納入する物品について、様々な問題が生じていることが判ったので、それについていろいろと指示をしなければなりませんでした。

この頃貢調の期限と納入する物品については、賦役令(ぶやくりょう)に詳細に規定されているですが期限に遅れたり粗悪品があることが判ったのです。

こういう者には決まりが明記されているのですが、しかし国司は朝廷の委任を果たさず多く怠慢している。ある者は桑麻の不良を理由に絹布が粗悪になったと偽り、ある者は貢納途次の事故により納入が長延いてしまったと巧みに申し出ている。これは徒に法を定めるだけで、守ろうとしない仕業である。そこで、五畿内・七道諸国・大宰府に命じて、従前の怠務を改めさせ、今後このようなことのないよう戒めるべきである。また、貢納途次の諸国では公のことと思わず、安易に事故によるとの遅延状を発給しているが、今後はそのようなことをしてはならないと仰いました。

 時代はどうもうまくいっていない状態でした。

 思い出すのは、前の年の秋です。

遣唐使船の乗船拒否という大きな罪を犯して、配流にあった小野篁(おののたかむら)は赦されて、一年で官衙へ戻ったのですが、天皇はその後の様子が気になっていました。

実は篁が遣唐福使として出発した後、大変な海難事故にあって、その後遣唐使として出帆することを拒否して流刑になるのですが、その真相については、第三章「時代の変化にたえるために」「その三の六」「遣唐大使の要求に小野篁拒否」の閑談のところで、詳しく触れてありますので参考までにご覧ください。

やがて無位の篁に、正五位下を授けて力になって貰いたいというお気持ちでした。

その時このようなことをおっしゃったようです。

 「篁は国命を承け期するところがったものの、失意の情況となり、悔いている。朕は以前の汝のことを思い、また文才を愛する故に、優遇処置をとり、特別にこの位置に服することにする」(続日本後紀)

 政庁の手助けとなって欲しいと、しきりに思うのですが、

絶対的な存在感を保ってこられた嵯峨太上天皇も、病臥していらっしゃるのです。その為に何かと騒がしいことが官衙に漂っているのです。

 「近頃、春のほどよい時雨が少なく、日照りのため水が涸れてきている。百姓は耕作ができず、播種不能の状態である。そこで弘仁九年四月二十五日の格に倣い、王臣の田如何に問わず、水のあるところを百姓に耕させて種子を下ろし、田植えにより苗を他の田へ還したあと、そこをもとの土地の所有者に戻せばよい。神社・寺の田地についても同様の扱いとすべきである。また、田に灌漑するに当たっては、貧しい者の田に先に水を灌ぎ、富貴の者の田を後にせよ。ただし、これは臨時の処置であり、恒法としない」(続日本後紀)

 天皇は更に次のようにおっしゃいました。

 「ことが深刻になる前に災いを(はら)わないと播種(たねまき)の時期を失する恐れがある。そこで、五畿内・七道諸国に命じて、不退転の心意気で修業している者二十人を選んで、国分寺において三日間、昼は「金剛般若経」を読み、夜は薬師悔過(やくしけか)を行うべきである。この善き修行の間は殺生を禁止し、仏僧への布施には正税(しょうぜい)当てよ。もし疫病が発生している地域があれば、国司が出かけ、疫神を防ぐ祭礼を行い、精進、斎戒(さいかい)して、ともに豊年を祈願せよ」(続日本後紀)

 天皇の指示で使人を貴布禰(きふね)住吉(すみよし)垂水(たるみ)丹生川上(にふかわかみ)などの神社に派遣して祈雨(あまごい)をした。

 間もなく五月五日重用(ちょうよう)の節句を間近にして天皇は 

 供奉(ぐぶ)する四衛府(しえふ)(左右近衛府(このえふ)・左右兵衛府(ひょうえふ))の六位の官人以下の者の装束は、甲冑の飾り意外に金銀や金銀の箔(金銀を薄く伸ばしたもの)・泥(金銀粉を膠水(ろうすい)にまぜとかしたもの)を使用してはならない。五位以上の者の走馬の鞍と飾りは新旧を問わず、金銀を用いても良い。ただし、箔・泥を私用してはならない」(続日本後紀)

 節約を指示された。そして更に 

 「近頃、ものの怪が出現したので占ってみると、疫気のとがめの兆しと出た。五畿内・七道諸国および大宰府に命じて、謹んで疫神を祀り、この咎めの兆しを防ぐべきである」(続日本後紀)

先帝である淳和太上天皇は三年前に崩御してしまわれていますし、四十代を間近にした天皇は、為政を率いる者としての責務を果たしていかなくてはならなくなり、何もかも不安な状態になっていたころのことです。

 不安な情報といえば、現在日本では、三十年以内に大きな地震が起こるということが半ば確かな情報として伝えられているのですが、その中でも東南海地震が一番危ないということが言われたりしています。関東地区などはもうとっくに危険な周期を越えてしまっているというところもあります。そんな不安を感じながら、近隣の国際問題にも神経を使わなくてはならない現代です。今の内に何らかの態度は決めておかなくてはならないでしょう。

温故知新(up・to・date)でひと言

マスコミの発展、インターネットの進展によって、現代ではありとあらゆる情報が入り乱れて飛び交う状態ですが、「抱薪救火(ほうしんきゅうか)といって、世界各地の騒動の様子が伝わってきています。どこか世の中に落ち着きがなくなっているように思えるのです。古来「用意周到(よういしゅうとう)という教えがあります。あらかじめ用意して手抜かりのないようにしておくことが大事だということです。用心深い段取りを整えておくようにしなくてはなりません。さまざまな情報を集めるのはいいのですが、得てしてそれらの情報が雑多で、「玉石混交(ぎょくせきこんこう)という状態でもあります。中には貴重な情報もあるけれども、中にはまるであてにはならないものまであるものです。情報の取捨選択をしなければなりません。それを可能にするためにも情報の選択を誤まらないだけの落ち着きと、判断をどう受け止めるかということで、それぞれの素養を蓄えておかなくてはなりません

  


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