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「落穂ひろい 10」 [趣味・カルチャー]

 だんだん季節が変化して温度も高くなっていきますと、お世話になるのが扇子です。


私は若い頃、京都の古寺の大僧正から、扇子に「花開蝶自来」・・・つまり花が開けば、蝶は自ずと集まってくるものですという意味ですが、物書きの私に、焦ることなくゆうゆうと執筆して行きなさいと言う、戒めの言葉と思って大事にしているのです。



 単なる暑さしのぎの材料でしかないかもしれませんが、ちょっとした工夫で、大変興味深いものにもなりますということで書くことにしました。



男性も女性も持ち歩いて、暑さしのぎに使いますが、もともとこれは中国から紙張りのうちわが入ってくるようになると、日本ではこれを真似て、ビロー樹というシュロの一種の葉で団扇を作りました。それがヒントになって、やがて木の板を薄く集めて糸で閉じ合わせて開いたり、閉じたりできる檜扇という板扇が考え出されました。それがやがて糸で止めてあったものを紙で張って止めるようになり、平安時代になると紙が主流になって、板が薄くなって骨になったのでした。これが現代でも使われている紙扇ですが、当時の扇は五本骨で、たたむと二センチぐらいの幅の扇になるので、これが珍しいと評判になって、平安末期ともなると京都で作られて輸出されるようになると、国内でも広がっていきました。



この貿易が足利時代までつづき、やがて中国でも供給過多となって売れ行きが悪くなってしまいました。そこで日本の扇商人は脅かして買わせるようになり、やがて手ぶらで行って略奪して帰ってくるようになったといいます。



ところで扇は開くことができるところから、心を開くという縁起がいいものになり、開くと手の形になるところから、手で神を招くようにできるということで神社の祭礼に使われるようになったといいます。紀州熊野の那智神社の火祭りは、扇を焼きあうお祭りといわれていますが、神の前で行う芸能を猿楽といいますが、これが阿国歌舞伎になり必ず扇を使うといいます。そこには扇で神を招きよせようという宗教疑行為が秘められているということです。



これが踊りの一派である花柳流の踊りとして誕生したといいます。花柳流は扇の舞といわれているのはそのためです。昔は、中国人は日本から買った扇をヨーロッパに輸出していたといいますから、一種の伝達貿易というものですが、調べて見ると、かなり興味深いもののようですね。



 



                                  藤川桂介


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