「落穂ひろい 21」夢は見るものではない [趣味・カルチャー]
かつて私は若い人へと言うコメントで、「夢は見るものではない」といってきました。答えをはじめに言っておくと、「夢は追うものですと言うことなのです。
そこで再び「夢」ということに話しを戻しましょう。
若い時には、まだ生きていく間には、さまざまな障害があって、思い描くことはほとんど思うように・・・つまり夢で見たようなことがうまくすすんでは行かないようなことが起こります。そのために若者は、ジタバタとし始めてしまいます。
「私は運が悪いんだ」といって、落ち込んでしまったり、運が悪いんだと思いがちで、落ち込んでしまったり、やけを起こしてしまったりするものです。
そこでこんなことを書くことにしたのです。
年齢を積み重ねてくると、同じように夢は見ることがあっても、それを現実のものとするためには、よほど努力を積み重ねなくては、夢に近づくことが出来ないということを知るようになります。
その結果、あれもこれも夢ばかりというような、考えなくなります。
あれこれと考えた結果、「よし、これに挑んでみよう」ということになって、ようやく夢の実現に挑み始めるのです。もちろんその実現に到るまでには、さまざまな困難と出会うでしょう。そして必死でそれを乗り越えるために頑張るでしょう。
実は夢を見る効用と言うのは、「夢を見ると言うことではなく」「夢を実現するために、さまざまな苦難と遭遇するということに意味があるのです。
そういうことを考えると、本当に「夢を追ってみないと、その味わいを知ることもないでしょうし、夢見たことの喜びに浸ることも出来ないでしょう。
若者は施肥沢山夢を見て、それだけで終えずにその夢を現実の物にするために、必死で起きかけて貰いたいのです。その時本当に夢を見る意味を知ることになるように思えます。
何事も、願ったものが直ぐに手には入らないということを知っているだけでも、かなり前進して行けるような気がいたします。
藤川桂介
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