「落ち穂ひろい 23」言い訳ばかりです [趣味・カルチャー]
テレビでのヒット作品を生むことが多くなった頃から、脚本家藤川桂介の身辺が、俄にこれまでと違ったことが起こり始めました。
1800年代から1900年代頃の時代の転換期の事でした。
面会を希望する中学・高校生が多くなってきたのですが、今回のお話はそんな訪問者についてのあるお話です。
テレビ・小説に興味を持った某有名女子校に通学注の女子高校生でした。大変明るい性格でしたし、家庭環境もよさそうでしたが、私に面会を求めてきた要件を聞いてびっくりしました。脚本家になりたいということだったのです。大体は簡単に思い立っても、そう簡単に脚本家として成り立つ仕事ではありませんから、いろいろアニメ―ションに対するきょうみのある話を窺ったところで、とにかく脚本家希望であるなら、何か書いた物があったら持ってきなさいと言って、その日は帰って貰いました。
すると彼女は数日後には、早速自作の脚本を持ってやって来たのです。彼女の熱心さの表れだと思って、その思い込みに答えるために、早速持参した原稿を読みました。
誰でもそうですが、初心者でしたら表現が不備なところがあるのは当然です。しかしちょっと厳しいとは思ったのですが、作家希望であるということを考えて、ここはどういう意味なのかと、表現が曖昧なところがいくつも見つかりました。一応説明を聞いた上で、そのままでは書こうと思った意図が通じませんよと指摘した上で、あまり説明不足の表現の箇所が多いので、いちいちそれを問い正していったのですが、彼女は「そう書こうと思っていたんです」という釈明をするのです。「そう書こうと思っていたと言うのであれば、ちゃんと書き直してこなくてはだめではありませんかと、いささか厳しくなって原稿を返すと、次回来る時はおかしなところは、きちんと直して持ってきなさいと言って帰って貰いました。
一寸厳しく言いましたので、自信がなくなれば、もう来なくなるだろうと考えていたのですが、びっくりしたのは、彼女は数日後にはまたやって来たのです。いやに熱心なので、びっくりしたのと、彼女は本気でやってきたのだろうと、その熱心さには感心して、持参した原稿を読むことにいたしました。
「先日注意したことは、全部修正してきましたね」と多少柔らかく注意しながら、推敲してきたはずの原稿を読み出したのですが、またまた表現が的確でないところが目立ちます。「こういうところがちゃんと表現してなくては、この前と同じではないか」と言うと、返事も前と同じで、「そう直そうと思っていたんですけど・・・」の連発担ったのです。
流石に我慢強い私も、もうはっきりと言ってやらなくてはならないと思って、同じような原稿を持ってくるのであれば、もうお会いできませんと言って帰って頂きました。兎に角いちいちこちらの注意に対して、「そう直そうと思っていたんだけど・・・」とまったく反省の気持ちがないのに呆れてしまいました。
作家になりたいという気持ちだけが先行してしまってして、肝腎なものを書くのだという心がけとして、何が大事なのかということが、まったく基本的にできていないという、ただ憧れただけの弟子志願の若者がかなりいたお話でした。
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