「落ち穂ひろい 24」微妙な説得屋でした [趣味・カルチャー]
1800年、1900年頃の事です。
気持ちを文字で書いて伝えようとするよりも、見て判るように絵で表現したり、動いて表現するようにしようという、これまでの生活様式を大きく変化させて行こうという時代の波がうねり出していた頃のことです。
それと同時に若い人には、漫画がカルチャーとして広がっていきましたので、これまでの活字による表現よりも、漫画で気持ちを表現するということが、大学生にも大きなうねりとなって広がっていきました。
サブカルチャーと言われる漫画、アニメ―ションも、社会的には昔と違ってかなりうけいれられてきた分野でしたが、家庭の中では世間で騒がれるほど認知されているとはいえない時代でした。
ちょうどこの頃、就職の時期に差し掛かっていた親御さんについては、折角大学の卒業期になったところで、かなり言い会社への就職を決めながら、漫画家を目指したいと言い出して、親御さんと揉めている家庭がかなりあったのですが、そんな中で私が関わっていたアニメ―ションでは「宇宙戦艦ヤマト」「マジンガーZ」「銀河鉄道999」「ゴッドマーズ」はもちろんですが、活字の方では「宇宙皇子」でも大きな支持を得た作品を持っていたために、多少世間でも知られる存在になっていたこともありましたので、同世代の親の方々から、大変な依頼が持ち込まれるようになってしまったのです。
時代の変化に伴って、同世代の親御さんたちの悩みとなってしまったのは、子供が卒業を間近にしながら、就職を考えずに漫画が書きたいといい出したといって、もめる家庭が多くなっていたのです。特に女子大学生で、漫画家志望のために、就職を拒否するようになってしまったというので、親子の生活に対する思いがまるで変わってしまって、説得が出来なくなった同期の友人たちから、何とか娘を説得してもらえないかという相談が、寄せられるようになってしまったのです。
親から藤川桂介のところへ行って、芸界の現状について詳しく話を訊いて、そっちへ向かってもいいかどうかを訊いてきなさいといって送り出されてきたお嬢さんと話をすることになったの+ですが、
私はやってくる娘さんに対して、業界がそうたやすい世界ではないということを丁寧にお話して、方向転換をしてくれるように説得するという大役を果さなくてはならなくなってしまったのです。
どちらかというと、そういった若い人の味方になって、掩護射撃をおしてやりたい気持ちさえあったのですが、親の立場に立つたら、それを無視するわけにはいかなくなります。つまり意に反してしまって、業界の厳しい面での現状をすることになりましたが、その負担と戦うか、嘱望されている会社の意向とを考え合わせて、フリーに転身することがいいことなのかどうかは、親として賛成できないと、大変難しい説得屋を演じなくてはならなくなってしまったのでした。
かなり高校大学でも優秀で、予定されていた会社からは、期待さていた女性たちでしたので、その後挨拶にお出でになられた女性たちは、私の説得に従って・・・つまり友人たちの希望する職種に就いて、かなり会社にも喜ばれたと言う報告を貰いました。しかし私はやはり女子大学生二人、高校生一人の説得をして、親御さんから感謝をされた事がありましたが、実に複雑な心境になった経験がありました。時代の変わり目ということでは、現代でも充分考えられる問題でしょうが、令和ともなると親御さんも昔とは大分違ってきていて、お子さんの選択に、大変理解を持ってくれているようですね。
たしかにたった一度の人生です。
自分で自分の人生の方向を選択することが、後悔しないですむかも知れませんが、ふと、社会人になるのをきっかけにして、親子共々悩んだ時代があったなと言うことを思い出してしまった話しでした。
しかし生涯の判定は終わって見なくては判りませんね。
大変難しい人生問題に直面してしまったことがあったなと、いろいろなことを思いだしています。
あの頃説得に応じて予定通り就職に向かって行った女性たちは、もうみなお母さんとなっていらっしゃるでしょうね。
時々は再会してみたいと思ったりもいたします。
藤川桂介
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