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「落ち穂ひろい 26」孤独を思って [趣味・カルチャー]

 

昔は必ずあった公演の遊具で、今はほとんどいなくなってしまったものというと、どんな遊具があるでしょうか。しかしそれを言うよりも、最近の遊具を考えた方がいいようですね。


みんなで遊ぶジャングルジム。滑り台。一人で楽しめるブランコ。平行棒。これは定番ですが、二人で楽しむシーソーは、ほとんどなくなってしまいました。どうしてでしょうか。簡単に言えば、一人では遊べないと言うことです。たまに一人で遊びに行っても、お友達がいなくてシーソーができないことがあります。その時の孤独感は、今でも思いだします。


 遊ぼうとする友達が来ていなかったり、折角来た友達とも、一寸したことで意見が合わなくなってしまって、折角シーソーで楽しく上になったり下になったりしながら楽しく遊ぼうと思ったのに、友達が怒って帰ってしまったりした時などの寂しさは特別です。相手がいないと楽しいシーソーゲームとはならない遊具は、今ではまったく発見できません。それと同じように、縄跳びで遊ぶ時に、一人でやるのはかまいませんが、何人もの仲間が集まって、縄を左右で回す人と、飛ぶ仲間がいないと楽しむことができません。そんなことを考えると、この縄跳びさえも、あまり集団で遊んでいる光景は見なくなりました。みんなで一緒に楽しみたいのに、付き合ってくれる人がいないときには寂しさを味わってしまいます。


 昔はそんなことがよくあった野ですが、現代では一人ぼっちになった時に味わう寂しさがどんなモカということをほとんど味わう機会がないようになっています。


 それはそれでいいことだなと思うのですが、私はある時突然、遊びたいのに、相手がいなくなってしまった時の寂しさを味わうことがまったくないように鳴っている公園の遊具が、本当に子供たちにとっていいことなのだろうかと考えたことがあったのです。


 一緒に遊べる友達がいてくれると言うことは有難いと思ったり、その逆に遊ぼうと思っていた友達が来られなくなってしまったり、時には喧嘩してしまって、一緒に遊べなくなってしまったときの寂しさというものを味わう機会がなくなってしまっている現代の公園は、本当に子供の自然の遊びの中で学んでいく、自然な教育と言うものが、存在しないように思えてきたのです。


 港遊ぶと言うことの楽しさは充分に判るのですが、時には友達と遊べないと言うことの寂しさを味わう機会もあっていいのではないかと思うのです。


 散歩をしていると、結構いろいろなことを考えさせられる事に出会うものですね。


 


藤川桂介


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