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「落ち穂ひろい 31」影武者騒動 [趣味・カルチャー]

 長い映像作家としての活動を止めて、活字の世界へ転身した時の事です。なんといっても文芸の世界にはほとんど知り合いもありませんでしたから、作品の発表の場を提供して下さった角川書店に対して、ある種の実績を実証しなくては、転身したものの、その世界では生き延びられるかどうかはまったく不明という状態でした。映像時代ではかなり実績を上げてきた事はたしかでしたが、文芸という世界はまったく未知の世界です。出版したら読者の興味をひいて、一気に勝負して行けなくては、転進作戦は成功しないと決心して作業を開始したのですが、幸いなことに、心配した出版の結果は思いがけない反応で大成功という状態でした。出版界がその作品の表紙に、当代の人気イラストレイターを起用していたのに対して、私はこれからの時代を担うであろうと考えた若いアニメ―ションの世界でイラストを描いていた女性を起用して作品のイラストを担当して貰いました。もちろん出版界の常識を愚痴壊すようなイラストを盗用してきたのですから、角川書店でもかなり抵抗はあった野ですが、それが却って大成功となったのでした。

映像時代に開拓したファンが、出版という別世界で頑張り始めた私が、どんな物を書き始めたのかという興味もあったのでしょう。古代の歴史物というこれまでとはまったく違った世界で勝負に出た私の作品を、興味深く思って買って下さったのでした。


ここでのんびりしていては、結果的にその後のいい展開にならなくなってしまいます。勝負に出た以上、一気に攻め込まなくては駄目だと決心しました。そこで私は作品を連打しようと決心したのです。休むことなく次の作品を執筆していきました。ベテラン編集者の告白によれば、多くの作家は最初に出した作品が成功という状態であった場合は、ほとんど次回の作品は暫く書かずに、ひと息入れてからかなり時間をかけて次回作を出すと言われていました。それが常識的であったようでしたが、しかし私にはとてもそんなのんびりした気分にはなれませんでした。兎に角いいスタートを切ったのですから、その勢いを大事にして突っ走ろうと決心したのです。一巻に四百字詰めの原稿用紙で四百八十枚というかなり多い分量の原稿を、毎月執筆していったのです。その出版のペースに、読者は乗ってくれて、その売り上げは前回をはるかに超えたものになっていきました。そんなことから、業界ではなぜかおかしな噂が広がり始めたようでした。


 「藤川には影武者がいるのではないのか」という噂です。


 通常では考えられない勢いで出版されるのですから、これまでのんびりとしたペースで出版していた作家から考えると、とても考えられないペースで出版する藤川桂介には、影武者がいて執筆を助けているのではないかというのです。


 兎に角「宇宙皇子」は毎月発売になるのです。若い読者たちは、みな「月刊宇宙皇子」などと言って、そのハイペースな出版にびっくりしながら、冗談めいた表現をして楽しんでくれていたのでした。


 私は兎に角布団に寝ることもなく、机の下に置いた毛布を時々かぶって寝るだけで、食事も家内が運んでくれる握り飯を食べて、必死で執筆し続けていたのです。そんな姿を見たこともない人には、とても想像できない姿だったでしょうね。


 はっきり言って、私には影武者などと言う者はいません。


 弟子志願の若者は何人かいましたが、私は彼らに、自分の世界を開拓しなさい。決して私の真似はするなといって、それぞれのテレビ作品を書くように勧めていたくらいなのです。自分の作品は自分で書きました。たった一人で5百枚弱長編のもの作品を、必死で書き続けていたのです。


現在でも毎年私の誕生日には、当時励ましてくれていた読者代表が、遊びに来てくれ、当時の爆発的な人気が全国的に広がっていった様子を、共に思い出して楽しんでいるのですが、例の影武者騒動については、彼らも私のエネルギッシュな作業には、信じられなくなったといって、大ヒットぶりを思い出しています。


それにしても人はいろいろと推測して噂話をするものです。


世間の反応のあり方というものが、どんなものになったのかというくらいのお花にしておくことといたしました。気楽な思い出話にさせていただきました。


 


        藤川桂介


 


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