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言霊謎解きの部屋☆ 言17「ひとくち言霊」(蘇民将来(そみんしょうらい)) [テレビ]

                                                 

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初夏になると京都ではもう「祇園祭りの季節です。

私は取材も兼ねてその一日を調べてみましたが、兎に角大変な人気の祭りの一つなので、時には大群衆にもまれながら取材をいたしました。

その日の帰りに買い求めたものが、「蘇民将来之子孫也」と書かれた八幡神社のお札でした。

素戔鳴尊が別に牛頭天王とも呼ばれている韓国古来の厄災を封じる神といわれているのです。素戔鳴尊が朝鮮半島へ行ったことがあるというは、「古事記」にも書かれていることですが、それが素戔鳴尊伝説の始まりになったようですが、広く民間伝承として親しまれています。

そのお守りは我が家の玄関で、魔の寄り付かないように守護してくれていたことがありました。

この「蘇民将来」というのが、実は素戔鳴尊の別称となって、八坂神社の祭りの祇園祭の主役になっているということです。

いわば国津神系の神社で授与される、疫病を除いて福を招くという除災のお守りです。多くの人の信仰を集めているようですね。

 

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告知と放談の部屋☆ 放45「嬉しい知らせあり」 [テレビ]

 

 西崎義展氏に対する信頼感が、俄かに揺らぐようなことに直面してしまいましたが、「宇宙戦艦ヤマト」の完結編の制作にかかる時でもあったことから、それで直ちに関係を絶つというようなことまでにはなりませんでした。ただそれからは、かなり用心しなくてはいけないという気持ちにはなっていました。兎に角「宇宙戦艦ヤマト」の完結を待つことにして、その間にどんなことがあったかということを紹介することにしようと思います。勿論直接関係はないとはいっても、映画の制作が始まったということが背景にあるわけですから、そのために絶えず事務所から呼び出しを受けて、西崎氏から持ち出される相談事などを聞かされたりもしていましたから、まったく無縁で暮らせたわけではありません。「宇宙戦艦ヤマトⅡ」の映画版脚本の訂正稿についての打ち合わせに呼び出されたりしました。実はそうした忙しない作業をこなしていた1976年7月のことです。思いがけない知らせを受けたのでした。大学時代の友人で日活の監督になっていた藤井克彦氏が、この数か月前に「四年三組のはた」という教育映画を撮るので、その主題歌の作詞をして貰いたいといってきたのです。勿論快諾して作業をしたのですが、これが思いがけない記念の仕事になったのです。その作曲はあの頃フォークソングのヒットメイカーであった石川鷹彦氏でしたが、今回はそのことについてのお話ではありません。実はこの作品がイランのテヘラン国際児童映画コンクールで、作品賞・監督賞を受賞して当時の皇帝であった、パーレビ国王から表彰されているのです。

                            「四年三組のはた」1.jpg 「まってました転校生」1.jpg 「先生のつうしんぼ」1.jpg

 

1976年度の最高傑作といわれている作品なのですが、それから数年後に革命が起こって、国王はエジプトへ亡命することになってしまいましたが、お陰様でこの歌の評判がよかったこともあって、その後に制作された「まってました転校生」の主題歌も私が作詞いたしました。実は藤井監督は大学へ入学した時の文学部で一緒になった親友なのですが、その後彼は英文科へ私は国文科へと進むのですが、やがて私の勧めで文化連盟の放送研究会に加わって、あの「ウルトラマン」の飯島敏宏監督の後輩として一緒に活動していました。彼は放研の制作部長になり私は大学放送連盟の委員になって、脚本家として「風」というドラマのコンクールで優勝。「フィアンセ」という詩劇で全国大学の大会で脚本賞を受賞したりして、卒業後にはお互いに藝術関係の仕事を選ぶことになりました。

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 私は一年生と時は本名で脚本を書きましたが、ニッポン放送で放送されていたカレッジアワーという番組などでラジオドラマが放送されると、ラジオから本名が流れてくるのが気恥ずかしくなってしまって、大学二年生になった頃から本名から筆名に変えてしまったのです。しかしそれが気に入りましたので、ついにそのまま今日まで使っているわけです。卒業後彼は日活の助監督となり私は新人作家として苦闘するのですが、今回はそれから19年後に起こったことをお話しました。私が脚本家としての存在感を賭けた映画「宇宙戦艦ヤマトⅠ」の完成を心待ちにしている最中の出来事でした。彼は国際コンクールで監督賞まで受賞し、その年の自動映画としては最高の出来であったといわれていたのですが、今回、敢えて彼の話を書いたのは、大学卒業あたりから映画産業が下火になったために通常の劇場作品の監督としてデビュウする機会がなく、一時はロマンポルノで大活躍をすることになるのです。「四年三組のはた」はそんな最中の作品でした。やがてそれも退いてから病を得て目下闘病中だということですが、それでも車椅子の世話になりながら、半年に一回はアメリカに居住しているお嬢さんに、逢いに行ったりもしているようです。兎に角一刻も早い回復を祈って、思い出の一端でもと思って書いておくことにいたしました。

オフィスアカデミー以外の会社からの依頼はほとんど受け付けられない状態ではあったのですが、わずかにできた寸暇を使って、東映動画の「マグネロボ・ガキーン」・ダックスの「まんが世界昔話」などを書きましたが、特に前者の場合については、私たちが送り出した「宇宙戦艦ヤマトⅠ」がいろいろな点で刺激になったようで、時代の進展に沿った変化が必要ということが、東映動画の制作陣の中でもかなり議論された結果生まれた作品だったように思えます。

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 永井豪氏、安田達矢氏とダイナミック企画による原作の「鋼鉄ジーグ」そして今回の「マグネロボ・ガキーン」とつづく一連の試みであったのですが、その原作が東映プロジェクトチームとなっています。しかしそれはプロデウサーY氏のペンネームである浦川忍が原案であったともいわれていました。タイトルにあるようにマグネット理論と球体関節を柱としたロボットアクションで、玩具メーカーのタカラがスポンサーの作品です。その間に挟まって永井豪氏とダイナミックプロ原作による「UFOロボ・グレンダイザー」がありましたが、あの頃の時代の要求する作品をテレビへ登場させなくては通じなくなっていると判断して制作された実験的な試みを持った三作品だったように思われます。しかしこの頃の私はちょっと東映動画とも距離ができてしまっていましたので、それ以上の詳しいことは判りません。兎に角西崎氏の作業にかかわっている限り、かつて宣告された通り企画書を貰って、スタート台本から脚本執筆を依頼されるということもなかったのですが、そんな中でもわざわざ仕事の依頼をしてくれることに感謝していたくらいでした。案の定、また連絡があってオフィスアカデミーから連絡があって出向くことになりました。映画の制作に入るところになったところで、一応決定稿となっている脚本に修正を加えて欲しいという話が合って、山本暎一氏と共に原案監督の舛田氏からの注文や、設定デザインの松本零士氏からの方向性についての希望、豊田有恒氏から寄せられたSF設定のアイデアの提案などの提案があって、結局それらを考慮しながら最終稿を書いて欲しいということになりました。兎に角西崎氏の希望は充たさなくてはなりません。その日から数日してかけて、必要なところを訂正する作業をすることになったのでした。


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言霊謎解きの部屋☆ 言16「ひとくち言霊」(一つ目小僧)  [テレビ]

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  少年時代に友達同士の雑談とか、少年雑誌などの読み物の中には、昔々の不可思議なものが、怪談風に面白い読み物として紹介されていました。そんな中の一つに、傘のお化けである一つ目小僧や一本足のお化け・・・妖怪というものがありましたが、きっと昔の人の想像力が生み出したお化けなのだろうと思っていました。しかしかつて「新説 桃太郎伝」という新聞小説を執筆していた時のことです。その歴史の背景を探っていくうちに突き当たったのですがつまり桃太郎のモデルに違いないと思われる大和朝廷の皇子であるイサセリヒコが、退治しなくてはならなかった鬼がいた島はどこにあったのかと調べていくと、いつか一つ目小僧の原点にたどりついたのです。

それは今の岡山県、古い表記で言う吉備国なのですが、今ではほとんど田園地帯に見えるので想像がつかないでしょうが、超古代の頃は太平洋沿岸あたりは田園ではなく、海が内陸にまで広がっていて入り江には小島がかなりあったのです。その中の一つに、ちょっと大きな島があったのですが、そこには朝鮮半島あたりから日本へ渡って来た鉄の精錬技術を持った人々が、中国山脈を越えて移り住みついてその作業を始めたようなのです。吉備国の入り江に浮かぶ小島です。その山の上では製鉄が行われるようになってから毎晩夜になると火の手が上がって、その麓の村民たちを怖がらせていました。ときには夜なるとこれまでとは違った人相の者が村を襲って、娘を犯すということまでやるようになったのです。そのためにその山奥の得体の知れない集団は鬼のように恐れられ、やがては彼らが住む島を鬼ヶ島と呼ばれるようになったのです。しかし今回はそのことが中心の話題ではありません。実は彼らの行っていた作業が問題なのです。それはタタラというものによる製鉄なのですが、その時には鉄の溶けた炉から火の粉が飛ぶし、ドロドロに溶けた鉄を扱うために、時にはその飛沫が飛んで作業をする人々を傷つけることが多かったのです。その結果目を失う者、腕を失い、足を失う者も現れるのです。恐らくそんな者が闇を利用して里へ下りて行ったりすれば、村人にとっては鬼、妖怪が現れたと恐怖しても止むを得ません。「一つ目小僧」という妖怪の原型は、こんなところにあったのです。関西ではそうした作業を想像させるように、「一本タタラ」などという言葉がありました。きっと作業中に片足を失ってしまった人を見て、一本足の妖怪だと思ったに違いありません。意外に昔話題として取り上げられていた妖怪の中には、その原型を訪ねてみると、古代の生活の一端が浮かび上がってくるようなものが多いのではないでしょうか。



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告知と放談の部屋☆ 放44「発覚!隠しマイク事件」 [テレビ]

 

 いよいよ「宇宙戦艦ヤマトⅡ」の制作が始まります。どうやらこれが「宇宙戦艦ヤマトⅠ」とは違った形での完結編の始まりであるかのような意図があるということが、次第にはっきりとしてきました。しかしこの頃になると、西崎氏の活動も活発になって来ていましたから、仕事もあれこれとはいるもので、その一つ一つをはっきりと記憶していられないような状態になってきていたのです。その仔細の予定を記録しておくような余裕はまったくありませんでした。そんな訳でその頃のことを丁寧にお話することはできませんのでお断りしておかなくてはなりません。これからは思い出せる範囲のお話でご容赦頂きたいと思います。

 そんなある日のことでした。西崎氏は作業にかかるのを機会に主力となるメンバーに集まって欲しいと連絡してきたのです。しかしこの日起こったことは、生涯忘れることがありませんし、これまで彼について抱いていた人間像にかなり修正しなくてはならないような面を見せつけられてしまったのでした。

その日呼び出しを受けた赤坂のマンションは、もう前のような手狭な部屋にカレンダーを積んであるようなところではなく、完全に日常生活ができるゆとりのあるところです。残念ですがこの時誰が新しいスタッフとして呼ばれたのか、ほとんど記憶になくなってしまいましたが、今回も監督という立場でやりたいという要求をしている松本零士氏をはじめ、西崎氏が気に入って契約した人たちであったということはできると思います。ところがそれから暫く待っていても西崎氏が現れないことから、作業の進行状況や、それぞれが体験した彼の指示についての強引さを、笑い話にしながら緊張しそうな場を和やかにしていったのです。しかし約束は午後二時ということだったのですが、一向に西崎氏は現れません。ほとんどの新スタッフもはじめての会議であるということもあって、ほとんどの人はそれぞれ忙しいところを時間通りに集まってきたのです。ある程度大きい応接間では松本氏と私を起点にして、自然に円陣を組むようにして挨拶を兼ねて雑談を始めていました。しかし集まってくれといってきた時間を遥に超過してしまっても、西崎氏は一向に現れる気配がありません。そんなことから目下売れっ子であるベテランスタッフあたりから、いつも自分の都合を押し付ける西崎氏への不満をぶちまけ出したのです。それに呼応するかのように、あちこちから苦笑しながら強引な西崎氏の要求ぶりを披露し始めたのです。それが引き金になったようで、これまで前作の「宇宙戦艦ヤマトⅠ」の制作時代から関係してきた人は、西崎氏の強引な作業な作業の進め方などについての不満を爆発させて発散させていました。彼がまったく現れる気配がないので、そろそろ一同の雰囲気がしらけ始めていました。私も家族との日常生活が放棄状態であったことについての不満を吐き出したりしたのですが、それにつづいて「宇宙戦艦ヤマト1」の放送依頼仕事の依頼が殺到していた松本零士氏は、それについての配慮がないということで、かなり辛辣なことをぶちまけ始めていました。彼はマネージャーを使わない主義なので、スケジュールはすべて本人自身が裁いていたことから、どうしても多方面からの仕事の依頼に行き違いが生まれたりしていたのです。そんなところへ西崎氏からも強引な依頼が飛び込んでくるのですから文句もいいたくなるはずです。目下著作権問題で解決出来ないでいることもあって、不満はこぼすというよりもどちらかというと、それは激しく追及するというようなもので、一同は思わず苦笑せざるを得ませんでした。

そんな時間が一時間をとうに過ぎていたように思うのですが、突然松本氏がそこに敷かれている絨毯の中央部を指さしながら、

「おかしいな。一寸。絨毯をまくれ」

と叫んだのです。

一同は何が起ったのかと座を立ったのですが、指示されたように敷かれていた絨毯をめくると、その下の床はくり抜かれていてそこには何とマイクらしいものがセットされていたのです。一同は一斉にそこを覗き込みましたが、思わず口々に「隠しマイクじゃないのか!」と驚きながら、愕然としてしました。

 松本氏が叫びました。

 「今、話していたことは全部録音されていたぞ。どこに録音機があるんだ!」

 流石に戦場シリーズなどを書いていたこともあって、こういったことには鋭い神経を持っているようで、みな仰天してその録音機のあるところを突き止めようとし始めた時、バツの悪そうな顔で苦笑しながら西崎氏が現れたのです。

もうこうなってしまったらこちらの怒りの要求に従わずにはいられません。

「どこで録音しているんだ。教えろ!」

と松本氏は語気を強めて迫ったのです。

流石に西崎氏もマイクの隠し場所を突き止められてしまったので、釈明のしようもありません。苦笑いしながら隣の部屋だと告白したのです。

「見よう。見よう」

松本氏の要求を拒否することもできずに、盛んにバツが悪そうな苦笑いをしながら、応接間と壁一枚で接している小部屋へ案内すると、その壁には放送局で使用している、いわゆるプロフェッショナルな巨大なリールの録音テープが回っていたのでした。

事の顛末はおおむねこのようなことでしたが、これから一緒に仕事をしようという時に、我々のお喋りが気になって密かに会話を録音しておこうとするのは、どういうことなのでしょう。人を信用できないという本来の性格だったのか、実業家を目指す用心深い配慮から行ったことなのか、私はすっかり混乱してしまいました。

「こんなことをして、どうしようっていうんだ。全部、消せ!」

松本氏の厳命が下って、西崎氏も流石に苦笑しながらそれには従わざるを得ませんでした。これから一緒に仕事をしようというのに、その人たちが信用できないでいる西崎氏を知って愕然としてしまいました。彼の身辺にはそれだけ複雑なものが潜んでいるのだろうか。私のこれまで西崎氏に抱きつづけていた信頼度は、一気にがたがたと崩れて

いきました。はじめて出会った時から、ほとんど真摯な姿勢を崩さずにひたむきにものづくりに向かっていた彼だったのに、いつから変身してしまったのだろうか・・・。それともこれまで隠しつづけていた裏の顔が跳び出してきたのだろうか・・・。

それにしてもこれまで全面的な信頼を寄せて付き合ってきた自分の人の良さには、我ながら呆れてしまい、暫く気合が入らない日がつづいてしまいましたが、それから間もなく「宇宙戦艦ヤマトⅡ」の映画の準備が急ピッチで行われることになったのです。

既にテレビ版の脚本は仕上がっていますから、それを基本にして映画用の話として、主にスケール感を出すための工夫を凝らすために、原案・監督の舛田利雄氏を中心に、打ち合わせをしたのですが、先日の盗聴事件以来腹の虫が収まらない松本氏は、話に口を挟んでくる西崎氏に皮肉をこめて応えたりするもので、はじめて事件を知った舛田氏は呆れたような顔つきになって彼を睨んだりしたくらいでした。


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言霊謎解きの部屋☆ 言15「ひとくち言霊」(垂直と垂平思考) [テレビ]

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古代史をやっていると、当時の人々がどんな気持ちで神仏と付き合っていたかということ・・・つまり神仏をどう受け止め、どのように接してきたかということを知るということが大変大事なことになります。そこで今回は神様には二つの違った立場のタイプの方が存在しているというお話をしたいと思います。一つは天津神(あまつかみ)と呼ばれる天上の神々であり、もう一つは国津神(くにつかみ)と呼ばれる地上の神々という二種類の神々です。ところが今回は、それとはまったく違った神様の区分けがあるというお話なのです。つまり垂直軸の線上にある神々と、水平線軸の線上にある神々という二種類の神々です。前者は大和を中心とした神々で、天上から降臨する上から下へ向かうタイプで、所謂垂直軸の線上にある神々で、この類の神々の特徴はとにかく厳しく清冽であることを重んじて人を見つめて指導しますが、あまりにも長幼上下関係に厳しく、何かにつけて生活を律することから、生命力に弱い人間たちにとってはいささか辛すぎる存在でした。それでも、その神々の威力は想像を超えるもので、心から敬い畏れられていました。都ではそうした朝廷を中心とした皇族貴族が信仰した大和の神々というのは、いうなれば垂直軸の線上にある神々だったところから、人間関係にしても上下関係に厳しく身分関係でもその上下には大変厳しいものを持つようになりました。政治の形にしても、当然のことですが支配する者と支配される者という上下関係を厳しく押し付けてきたわけです。すべて天上の神々を規範として生活を組み立てていきました。ところが同じ日本でもこうした垂直軸の線上にある神とは対照的に、水平軸の線上にある神々が存在していたのです。垂直軸と水平軸というのですからまるでその姿勢は対照的です。その水平軸の代表が沖縄の神々ということなのです。南国沖縄の神々は海の向こうのニライカナイからやって来るといわれています。つまり水平線の彼方からやって来るといわれているのです。だから神になった沖縄の祖霊たちも、海の彼方からやって来ると信じられているのです。そんなところから、墓もみな海に向かって建てられているくらいです。確かに沖縄の人々にとっては、さまざまな食物などの生活に欠かせないものが、すべて南の東南アジア方面から海を通してやってきましたから、彼らの暮らしを豊かにしてくれるものはすべて海の彼方にいる神によってもたらされると考えていたのです。そうした水平線上にある神々は、温暖な空気と穏やかな思想を植えつけていきました。上下の格差を作った大和地方の神々とは違って、沖縄の神々は、極めて楽天的で格差のない思想を植えつけていったのです。同じ日本ですが、地域の違いで、明らかに神の姿に違いがあり、それによって人々にも、生きる姿勢に違いを形作っていきました。垂直線上の神々と水平線上の神々・・・同じ国の神でも、地域によって、随分違った受け止め方が生まれるものだなと思います。その土地によって、人々の気風も大変違ったものを生み出していくもののようです。神々の捉え方にもいろいろとあるものですね。


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告知と放談の部屋☆ 放43「スタッフ編成の真意」 [テレビ]

  

 脚本執筆作業をしている間に、打ち合わせのために事務所へ呼び出されることがあるのですが、この頃から目立つのは私たち脚本家が普段あまり接することがない、作画のデザイナー、アニメーターが出入りしています。私たちは何度か打ち合わせを重ねながら、どうやらテレビ版の「宇宙戦艦ヤマトⅡ」の脚本は完成ということになりましたが、

この作業の間にはっきりとしてきたことは、ただ単に予定されているテレビのための作品ではないということでした。作業に加わる時に西崎氏が私に迫ったことの意味には、どうやらこの作品をきっかけとして、次の映画で「宇宙戦艦ヤマト」をきっちりと完結しようということなのです。

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 事務所にはかなり激しく作画関係のデザイナー、業界で知名度のあるアニメーターなどが現れて、作業に加わるかどうかという契約上の話で出入りするのをよく見るようになっていました。恐らく西崎氏は今回の「宇宙戦艦ヤマトⅡ」の制作や映画版のほうのスタッフとして加わって貰うつもりで接触をしているのかもそれません。勿論現在はまだ「宇宙戦艦ヤマトⅠ」の総集編映画の制作中だということもあるので、あまり気持ちのいいものではありませんが、西崎氏にはまったくそのことについての気がかりはないようです。仕事の内容が変わるのだからメンバーを一新するのは当たり前というような割り切り方をしているようで、前作の「宇宙戦艦ヤマトⅠ」の総集編映画は松本零士氏に総監督という名称も与えたし、その進行は一切彼に托して、西崎氏は完全に今回の「宇宙戦艦ヤマトⅡ」の制作にのめっているようです。しかし設定デザインから人気が集まって来ている松本氏を外すことはできないので、新たな作品にも参加させざるを得ません。今回は前作の作品とは完全に切り離してしまったこともあって、西崎氏はもう今は次回作品の営業展開を中心に動いていて、東映映画社長の岡田茂との関係を深めていたようです。次の映画のスタッフを出してもらう話も進めているようで、前作のはじめからかかわってきたスタッフの現状については、まったく関心がなくなっているように見えました。機会をみて初期のスタッフについては、私も何度か訴えてはいたのですが、スタッフと作業上のこともあって接触の多い松本氏は、かなり強硬に申し入れをしたものの、まったく手ごたえはなく拙宅への、深夜の電話が一気に激しくなってしまったのでした。そのお陰様でこれまではほとんど知ることがなかった彼の状態も、かなり細かく訴えられましたので、激務になっている様子がよく判ります。彼から深夜に電話がかかった時には、ほとんど夜明けまでという長電話になってしまいましたが、話は直接作品についての直接的な話から離れた西崎氏の接触姿勢に対する不満がかなりつづきました。どうも彼は私も原稿を書かなくてはならない立場にあるということを、すっかり忘れてしまったかのように話しまくりました。作業が作画関係についてもある程度どうなっているのかを知ることになったのですが、やはり西崎氏の制作関係者に対する指示はかなり一方的で、スタッフには過度の負担があるということを知ることになったりしました。しかし何といってもこういった時には、実際に資金を投下して制作をする人の意向は無視できません。確かに動画という世界では兎に角かかわる分野がかなり沢山あるので、それぞれの分野で卓越した能力を発揮するアーティストを獲得しようとすると、かなりの資金も投入して交渉していなければなりません。東映動画のように大手といわれる会社ではないことでもあって、西崎氏はかなり苦心していたようです。しかしそれぞれの分野でのエキスパートを契約できたようで、ファンの人気を得られた上にかなり質的にも満足できる作品が期待できそうです。アニメーション雑誌の取材も多くなってきています。 間もなく「宇宙戦艦ヤマトⅡ」のスタッフが発表されましたが、西崎氏の作品に対する気の入れようは普通ではありませんでしたので、松本氏の怒りはこれまで以上なものがありました。

 

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   ふと考えてみると、前回の「宇宙戦艦ヤマト1」の頃とは違った人が出入りするようになっていて、かつてはまったく業界では無視されていた無名であった彼も、今は俄かに注目される人に変わってきているようです。そんな状態を意識しているのか、どれだけ自分を大きく、素晴らしく魅力的な西崎として押し出そうとしているのが読み取れます。当初のスタッフの中には、現在のような存在にならない前のあまり冴えない頃の西崎氏を知っている者も多かったので、次第に彼らは目障りになったのではないかと思われるのです。後年のことになりますが、某新聞の記者が初期のスタッフを取材した時に、彼らは「宇宙戦艦ヤマト」の原作は藤川桂介であるといっていると答えたと、伝えてくれたことがありますが、もうそのことについてもすべては西崎氏の胸の内に仕舞われてしまっていたように思います。今はすべて自分に焦点が自分に集まるように努めているところです。そんな気持ちが高まるのにつれて、事情を知りすぎている初期のスタッフは、彼の周辺から排除してしまおうと考えたのも止むを得ないことだったかも知れません。しかし知りすぎているということでは私などはその筆頭です。よほど用心していないと、いつ仲間からはずされるか判らないぞと思うようになっていたのでした。

 

 

兎に角私にとっては、今回の作品は社会的に認知されて知名度を高め、知名度を獲得する機会になるのだと、何度も自分にいい聞かせて、休む間もなく1978年に公開されるという、「宇宙戦艦ヤマト」の真の完結編となる「宇宙戦艦ヤマトⅡ」を引きついた映画の執筆に向かったのでした。それはまるで大きく飛躍する前の、ジャンピングストンに乗ったような気持ちとでもいうような気持ちでした。それにしてもこの頃から西崎氏の様子が、更に違ってきているのを感じるように思えました。私生活にかなり乱れを感じるようになっていて、出入りのスタッフはその噂を社員から聞いて苦笑しています。もう私にもほとんど彼がどう動きまわっているのかまったく判りません。仕事についても兎に角無茶苦茶な計画をいくつも押し付けてくるのですが、その言動にはかなり強引なものが漂います。事務所でも彼は大変なワンマンぶりを発揮しているようで、プロデウサー補として入社したY君は、あの剛腕総理として著名な田中角栄総理大臣の秘書である人の息子で、彼は父とは違ったタイプのワンマン社長の下で働く苦労を、まるで笑い話のような情報として伝えてくれていたのでした。

 

 

 

 

            

 

 

 

 

 

 


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告知と放談の部屋☆ ド42「作家としてシリーズを書く意味」 [テレビ]

 

 前回は私の「宇宙戦艦ヤマト」に賭ける思いというものについて書きましたが、思いがけないことで脚本の執筆を止めてしまった私は、思わずここまでやってきた仕事について考えて見たりするようにもなっていたのです。

 そんなわけで私はここまでそんな足跡を辿ってきたにかということを、確認してみたくなっていたのです。もしわたしのかかわった動画作品を見ていたと思われる三十代から六十代の視聴者の方々に、「藤川桂介はどんな番組を書いた人ですか」と質問したら、一体どんな返答が返ってくるだろうか・・・恐らく「マジンガーZ」「宇宙戦艦ヤマト」が中心であったかもしれませんし、その後のすべての作品から選んでもいいといったら、「銀河鉄道999」「新エースを狙え(テレビ)」「六神合体ゴッドマーズ」等も挙げられるのではないかなとこと思ったりもするのです。しかしそれらの作品には、ある特徴があることに気が付かれるでしょうか。つまりこれまで積み重ねてきた作品はほとんどの場合、テーマとストーリー展開を持ったシリーズ物であったということです。私が極力そのような作品に仕事を集中していったのには、ある秘めた思いがあったからでした。かつて私が動画界で仕事をし始めた時、若手の動画脚本家であったS氏・H氏から、彼らの立場が動画界では極めて非力で、あまり発言力が認められていない状態にあるということを訴えられたことがあったのです。これまでほとんどドラマ畑で新人時代を過ごしてきた私にとっては、それらの話は大変衝撃的な話でした。脚本家はもっと大事にされていいはずなのに、どうして動画界ではそんなことが行なわれているのだろうか・・・若い私には使命感にも似た思いが生まれてしまったのです。当時はまだ動画界もテレビというメデイアを使って営業を展開するという黎明期であったということでもあったので、社会的な知名度が必要になって来ていたのです。しかしまだ動画界としてはほとんどの動画作品が、コミック作家の原作に頼り、その世界に精通している脚本家が器用にそれを映像化していくといったことがほとんどでした。しかしそれをやりつづけていても、脚本家が社会的な知名度を獲得するということは不可能だと思いました。そこで私はこれまでの脚本家とは違った仕事の仕方を考えたのです。それがシリーズ物の作品を一本の作品と考えて映像化していくことを考えるようになったのです。もしそうだとしたらシリーズ物の作品に、一本、二本という単発作品を書いていくだけという生き方では、時代を捉えた物語性や目的性を追っていくことはできません。同じシリーズの中で少しでも多く作品を書いて、番組の色合いを魅力的なものに仕立てていくという番組作りをしたかったのです。作品数だけで比較すると、私のようなシリーズを書き通すというやり方では、どうしても単発作家には叶いませんでしたが、シリーズ作品としての数では私はかなりの数を記録したのではないかと思っています。そして視聴者に対する影響力から判断すると、単発作品を書きまくっている人よりも感動の差はかなり大きかったと思っているのです。そんなところへ、思いがけず早い機会にそれを実践してみる機会を掴むことができました。小学館の学年誌に書いた「さすらいの太陽」という漫画の原作を書いたことがきっかけで、それを動画作品として世に送り出すことに成功したのです。新しくなろうとしている時代の中で、下積みの暮らしから抜け出して歌手になろうとする少女のひたむきさを明るく描いた作品でしたが、原作者である私は脚本での参加をやめました。映像化するということを考えると、それに新たな脚本家が加わったことによって、本来の面白さにない魅力が加味されると考えたからでした。そんな努力を積み重ねてきた結果でしょうか、ようやく「宇宙戦艦ヤマト」のシリーズによって、世の中の人に認知して貰えそうな脚本家としての一里塚へ到達する時がきたと思えるようになったのです。

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動画の世界での仕事が増えてきたので、シリーズ物のメインライターとして指名された時は、同じ思いで書いて頂ける脚本家のために、番組を作るという思いで全体像が想像できるシリーズ構成表というものを作りました。しかしこの頃まだ動画界は旧態依然とした時代ですから、番組がどういう方向で作られていくかということは、作品の制作会社の担当するプロデウサーの判断によって指示されるので、脚本家自身の判断は特に必要ありません。私の試みていることを冷笑している社長もありました。しかしそうした地道な努力を積み重ねてきた結果、「宇宙戦艦ヤマト」のシリーズは時代に受け入れられるようになってきたのです。

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シリーズ物のメインライターになったら、作家が意図しているテーマのようなもの・・・つまり視聴者に訴えたいことは、一本でも多く書きながら、原作のいいところを壊さないようにすることはもちろんですが、脚本家はそれにさまざまな試みを加えて新たな魅力としなくてはなりません。一本書いただけでは不可能なのです。そこで少しでも多く書いていくということになるのです。私はどのシリーズを受けてもその時その時の時代の姿を映しながら、そこに生きる者の生きざまを視聴者、観客の共感を得たいと思っていました。そのためにも一緒に書いて頂く脚本家には、番組としての目標点を明らかにしておいて書いて頂こうと考えたのです。そこでそのシリーズ構成表は文芸担当プロデウサーに渡しておいて、ほかの脚本家と執筆の打ち合わせをする時に協議をして貰おうと思ったのです。そうした作業の積み重ねで、知名度を浸透させるという思いも、ある程度満たされるようになったと思っているのです。それをもっともっと大きく、幅広いものとするために、そうしたことの集大成として、現在は「宇宙戦艦ヤマトⅡ」のテレビ版、やがて映画版の執筆をすることになっているのです。

少しでも多くの幅広い視聴者、観客の評価を得て、脚本家としての存在としても認知して頂けるような評価を得て、知名度を得たいという熱望を籠めながら、過酷なスケジュウルの作業をせっせとこなしていたのでした。それは私と西崎氏の人間関係についても、その集大成とでもいえる作業であったようにも思える作業に没頭していったのでした。

 

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告知と放談の部屋☆ 放41「ヤマトに賭ける思い」 [テレビ]

 

 前作の「宇宙戦艦ヤマトⅠ」の作業のあり方に、かなり疑問を持っていたこともあって、今回は脚本執筆の依頼を受けないでおこうと決めていたのですが、西崎氏もなかなか引き下がりません。私も沈黙をしたままになってしまったまま粘っていたのですが、ついに彼は説得の言葉を発してきたのです。

「今回は「宇宙戦艦ヤマトⅠ」の完結編なんです。それをやれるのはこれまで苦労してきた、あなたしかいないではありませんか!」

西崎氏は私の中にあったまだ不完全燃焼という思いに、突然点火してきたのです。

今回の作業もかなり過酷になるだろうという想像がつくのですが、取り敢えず助っ人の館俊介氏と手分けをして、結局作業を順調に進めることにしてしまいました。

ところがそんなある日のこと、印刷が出来上がったといって届けられた台本を覗いたところ、突然制作のトップに何か起っているのではないかと不安を感じさせられるような表記を見てしまったのです。いつもは取り敢えず机の脇か机の恥に置いておくことのなるのですが、その日はなぜか受け取ったついでに届いた台本の一ページを繰ってみたのですが、そこに印刷されている制作者、原作者、監督の名の表記が、どうも通常決められている形にはなっていないのです。どうしてこんなことをするのだろうかと、余計な詮索をしたくなってしまいます。今回は舛田利雄氏が原案を書いたのですから、先ず彼の名が書かれてもおかしくないのですが、別の台本では彼に変わって西崎義展氏に変わったり、別の台本では山本暎一氏であったりするのです。いうまでもなく西崎氏は「制作」という肩書で書かれることもあるのですが、時には「原案」であったりもするし、まさかと思う「総設定・監督」などという名称で松本零士氏の名が刻まれたりしています。どうやらこれは原作権にかかわる著作権問題が、まだすっきりとは解決されないままになっている証拠です。今回わざわざ「原案」という形を取り入れてきたのは、恐らく著作権問題で悶着を起こされないようにという、西崎氏の知恵だったのだろうと見当がつくのです。通常「原案」には著作権を要求することができないはずなので、なかなか考えたものだなと思ったくらいです。しかしこんなことではとても解決することにはならないのではないかと思いました。作品の制作中にごたごたするようなことにならなければいいのだがと心配したものです。

三年前に「サンダーマスク」の打ち合わせ中に、私に逢いたいと突然現れてから、さまざまな試行錯誤をしながら、ようやく勝負になる作品の基礎作りができたところです。ここで一気に勝負を挑まなくては、もうその機会はないかも知れません。もめ事を抱え込んだままでは不安になってしまいます。しかし作業を引き受けた以上は、彼がどんな事情があろうと私の責務は果たさなくてはなりません。家庭放棄ともいえるような、過密なスケジュウルと戦いながら頑張りつづけたのですが、思わず暫く執筆の手を休めて、ここまで辿り着いた自分の足跡について考えてみたりしたのです。

(何を目指してここまで突き進んできたのだろうか・・・)

悲喜こもごもさまざまな経験を積み重ねながらやってきたのですが、今回の作業をやり抜けることで、脚本家としての理想的な着地点とすることができるかもしれないという、かすかな期待感も生まれてきていたところです。前回の「宇宙戦艦ヤマトⅠ」の放映が行なわれた頃からやってくるファンの反応ぶりを見ていると、明らかにこれまでとは違った雰囲気があるのです。制作者である西崎氏の勢いがこのまま維持されるのであれば、仕事の仕方にはかなり強引なものはあるけれども、何らかの結果が期待できるかもしれないという思いはありました。それにしても人間観関係というものの不可思議な縁というものがあるものだなと、西崎氏と巡り合うまでのさまざまな人との出会いや、行き違いを思い出したりしてしまいました。その一つ一つについて別れはあったとしても、私は決しておかしな思いを残さないようにしてきました。あの「ミラーマン」という番組へ誘われながら、どうも担当プロデュウサーとは波長が合わずに、潔く番組から去ってしまったことがあったのですが、そんな私を気遣ってくれた代理店の担当部長E氏が、新しい動画番組にスタートから入って貰いたいという依頼をしてくれたのがきっかけとなって、「マジンガーZ」で制作会社の東映動画のプロデュウサー横山賢二氏と出会い、やがて原作者である永井豪氏ともの出会うことになり、新しくいい関係が生まれて、視聴者との接点もかなり開拓することができました。しかしそんな中で幸運の上げ潮に乗って作業を押し進めているだけでは、脚本家として存在しつづけるということはできません。特に業界の中では社会的に認知度の低いのが動画界です。これまでのように気持ちよく作業がしつづけられていったとしても、それ自体が脚本家としての存在感を将来も保証して貰えるようなことにはつながりません。やはり社会的な認知度を高めて、広く一般に評価される状態になる努力をしなくては、将来に不安を抱える状態は解消されないのです。これまでも社会的な認知度の低さのために、悔しいことが何度も経験させられていました。その弱点を解消するためには、どうしても作家自身の努力だけでは不可能であるということを知りました。何か大きな力によって押し出してもらえるような、幸運にでも出会えなければ叶わない夢だということです。私が周囲の反対を押し切ってまでも、思いがけない出会いから始まった西崎氏とのつきあいを切らなかったのは、彼の大人に見て貰える作品を作りたいという意欲に期待したからです。そのために多少の不満はあるにしてもそれを承知で頑張ってみようと腹を括ったのです。それが「宇宙戦艦ヤマトⅠ」を生み出したきっかけだったのです。私も必死でしたが、西崎氏も必死だったのです。

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幸いにも今回の「宇宙戦艦ヤマトⅠ」という作品の作業の結果は、私も西崎氏もその反応について、次の作品を制作する意欲を阻害するようなことになるような、弱気な気持ちにはならないで済みました。もし今回の作品で失敗することになってしまったら、必死であった分だけそののめり込みに対して、冷やかに見ていた人々にとっては嘲笑の対象になってしまうことは避けられなかったでしょう。その分だけ西崎氏は制作者として、わたしは脚本家として、それぞれの存在感を掛けた大冒険をしようとしているのです。「宇宙戦艦ヤマト」という素材に賭ける思いは、二人にとって共通の夢だったのですから・・・。


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