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告知と放談の部屋☆ 放55「これが最後の・・・でした」 [テレビ]

 

「ヤマトⅢ」の脚本を渡してから何日か経ったある日、打ち合わせがあるということでアカデミイへ呼ばれていきましたが、なかなか脚本についての返答がありません。おそらくチェックした結果が良くなかったのでしょう。それは充分に承知していましたが、結論としてどういうことになるかは聞いておかなくてはなりません。ところが隣の応接間で待っている私の目の前を、何人もの若いインテリ風の男性が会議室へ入って西崎氏と対面しているようです。それは私の書いた脚本に、手を入れる作業をしてくれる若手の脚本家を、東映の映画畑の中から選んで西崎氏に合わせていたのだということが判りました。しかし結局その結果は思う様にはならずに、脚本家との交渉はまとまらなかったようです。みな西崎氏の要求することには賛成できず拒否をしたようです。結局その日はやはり次の稿は私に書いてくれということになったのです。ところがそれから数日後のことです。会議室へ呼びこまれて、舛田監督、吉田達氏など文芸関係の山本映一氏、山本英明氏と私が集まったところで脚本のコピーが配られ、一同はそれを一斉に読み始めたのですが、数十分すぎたところで舛田監督は突然声を張り上げて、

 「これは誰が書いたのだ!」

 叫んだのです。

 実は同じタイミングで問い質したくなっていました。

 あまりにも登場人物の台詞がひどすぎるのです。特に古代進と森ユキとの情感を表現するラブシーンが酷すぎるのです。監督が真っ先に声を荒げて叫ぶのも仕方のないことです。

 脚本を担当していた私としても納得できません。

 その場の雰囲気がおかしくなっていました。

 私も思わずはっきりと言い切りました。

 「これは私の書いた本ではありません」

 するとついに西崎氏は、いつものような半分照れ臭さを押し殺しながら、

 「申し訳ない。これは私が修正いたしました」

 と、告白したのでした。

 「失礼なことをするな!」

 舛田監督は呆れた顔で和崎氏を見やると、厳しく咎めました。

 結局、このところ何人もの若手脚本家と交渉したのですが、すべて交渉は不成立となって、結局自分で本直しを自分でやってしまったというわけなのでしょう。しかし脚本家でもない者が、脚本家として依頼された私の書いたきゃほんを、許可もなく平気で自己流の恋愛ドラマを書き加えるなどということは、蝶式では考えられないことです。

 その結果兎に角脚本は私が中心となり、山本英明氏、山本映一氏が補佐をするということで、ようやくその日の会議は終ったのですが、もう私にはどうしても書く気持ちにはなれませんでした。

 (やはり始めに申し入れた通り、今回の作業には加わるべきではなかった)

 作品に立ち向かう気持ちの高まりもないまま作業にかかってしまったことを後悔しながら、一応責任は果たし終わりました。しかし私は台本に名前は載せないで下さいと申し入れて失礼したのでした。

ようやく「ヤマトⅢ」の脚本に関しては決着をしたようです。ところがそんなある日のこと、西崎氏から久しぶりに電話があって是非会いたいということなのです。もう二度と会わないと心に決めていた私ですが、その時はまったく拒否をする気はなく、最後の挨拶だという気持で拒否はしませんでした。

彼は応接間へ入るや否や、兎に角さまざまなことで失礼なことばかりしてしまったといって土下座いたしました。これが私の前で行った三回目の・・・彼の最後の土下座でしたが、私はもうそれに対して何の感情も起こりませんでした。

 「もうよしなさいよ」

 それが彼に向って発した、私の最期の挨拶でもありました。

 彼は元のように戻って欲しいと何度も言いましたが、私は一切お断りいたしました。

それでその日は、彼も早々に引き上げていったのですが、それから一日たった後からは、何と東映動画の大ベテランのプロデウサーのI氏を送り込んできたのです。これまでも、それからも、何かと東映動画と関係のある予定のある私へのプレッシャーをかけてきたのでしょう。しかし私はI氏の説得を一切受け付けませんでした。何度も場所を変えて説得をしてきました。それでももう私の気持ちはまったく変わりませんでした。

 これで私は完全に「宇宙戦艦ヤマト」とは縁が切れたのです。

 それからの作業の依頼には一切かかわりませんでした。

 私の手元には、実際に「ヤマトⅢ」の台本は存在していません。

しかしそれにしても西崎義展氏は、どうしてここまで私をひき戻そうとするのだろうか・・・そんなことを考えているうちに、一応それがこれまでの付き合いに対しての感謝であり、誠意であったのかもしれません。もしそうだとしたら、一応その気持ちには感謝しておきたいと思います。

しかしこの時を機会についにして、西崎義展氏との接触は一切なくなってしまったのですが、後に残ったスタッフたちに、彼は私についてどう説明したのかも知りません。私は一切気にしないことにいたしました。そんなことがあってから暫くして、長いこと西崎義展氏と松本零士氏との間で争われていた著作権問題が浮上してきました。一回目の裁判で西崎氏が勝利したということでしたが、松本氏が納得できずに控訴したのですが、新しく指名された弁護士が拙宅へ、松本氏のバックアップになるような資料はないかといってきたのです。あの「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士」にかかる前から、これまでの作業あり方に反省して、せめて自分のスケジュウルだけはきちんと書き止めておこうと決心して作りつつあった日誌を提出いたしました。それには松本氏とも何度も打ち合わせを行っていたことを証明する記録が書き止められています

                                                         「ヤマト・スケジュール表」1.jpg

 

 上の日誌は正に松本零士氏のピンチを救った日誌だったのです。一回目の裁判では西崎氏が勝利したのですが、二回目の裁判で私の「ヤマト」の作業を書き止めてきた日誌が決め手となって、松本氏の勝利となって、「ヤマト」の権利は両者平等に半分づつ持つということになったようです。私と松本氏は、その後さまざまな番組で出会うことになって、交流をつづけることになりましたが、お互いに新たな仕事が殺到していてそれに没頭し始めていたのでした。考えてみるともう40年も前のことだったのですね。西崎氏も数年前に不幸な出来事で鬼籍に入ってしまいました。

「宇宙戦艦ヤマト」はいい時代の思い出と共に仕舞っておきたいと思います。

書き足りないことが沢山ありましたが、お付き合い有難うございました。

来週からはまた気分を新たにお付き合い下さい。


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言霊謎解きの部屋☆ 言21「ひとくち言霊」(青春) [テレビ]

                                                                                                                         「若菜等イラスト・藤川」1.jpg

 

「ひとくち言霊」(青春)

 

思い出多いと言えば、何といっても、純粋に生きている青春時代が一番ではないかと思います。人間関係でも仕事上の付き合いとは違って、あまり複雑な利害関係もなくてつきあえるところから、年をへる毎に学生時代・・・いわば青春時代の友人がかけがいのない人として思い出されてきます。

ところで私たちは、よく「青春時代」という言葉を使います。しかしこれは一体何が原点となっていることなのか、いささか興味を持ったりすることがありませんか。

厳密に言えば、「青春」は年齢的に学生時代の「前期」か、就職をしたばかりの数年間が「後期」とに分かれると思いますが、その純粋性ということでは、何といっても小学、中学、高校、大学といった、学生時代の「青春前期」と言える時代が、一番青春らしさをもった時代であるように思います。

果たして「青春時代らしさ」とは、どんな時代なのでしょうか。ちょっと堅苦しい雰囲気が漂いそうですが、大体、その原点が古代に行われた陰陽五行説からきているのです。

古代においては都を定める時に、四神相応といって皇居の四方に決められた神が存在しているということを大事にしていました。つまり皇居から見て、その左・・・つまり東の方角には、青竜と呼ばれる神と川が存在し、右には・・・つまり西の方向には、白虎と言われる神と田園地帯があり、南の方向には朱雀と呼ばれる神と大きな池があり、その後方には・・・つまり北の方向には、玄武と呼ばれる神があって険しい山が存在するという条件が整っているかどうかということなのです。

これでお判りでしょうが、この東西南北に季節を合わせると、東は春。西は秋。南は夏。北は冬ということになります。日が昇るのは東ですが、青竜に季節の春を組み合わせて考えると、青春というのは季節の始まりになり、すべての生命が芽生えたり、燃え立ったりする季節です。しかもこの青春の場は東にあたるわけですから、常に日の昇るところでもあるわけです。

このような訳ですから、青春はとにかく希望を感じさせるように輝いていなくてはなりません。生命力を感じさせる、燃え立つような活力がなくてはなりません。爽やかさがなくてはなりません。そのようなことを考えていると、

「いかにも青春らしい青春をしている若者が、どのくらいいるだろうか」

ふとそのようなことを考えてしまったりしてしまいます。

時代によって青春の姿には、それぞれ違ったものがあると思うのですが、基本的には前述の条件を満たしていなければならないように思います。

青春とは言いながら、どれだけ青春の条件を満たしている人たちがいるでしょうか。わが身の青春を振り返りながら、現代の若者たちを見つめてみたいと思います。


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告知と放談の部屋☆ 放54「執筆拒否は正解でした」 [テレビ]

 

 裏側で何が起こっているのかということを知らない世間の人は、私が突然執筆拒否をすれば、何という勝手な要求をする奴だと受け止められてしまうでしょう。スタッフにとっても同じことです。藤川という奴も思い上がっているのではないかと非難するような目で見るでしょう。しかも西崎氏から自分のやっていることを正当化した説明をされれば、あくまでも私がやっていることはただ駄々をこねているだけだと思うことになるでしょう。しかしあの執筆拒否にまで達してしまったのには、他の人にはとても想像しない西崎義展氏との付き合いの積み重ねがあった結果だったのです。仕事だけの付き合いしか判らない人にとっては、私の特別な思いは理解できないでしょう。彼はその付き合いの間に、これまで見せなかった姿を露呈してくるようになったのです。流石に我慢の限界でした。それであのような執筆拒否ということになったのですが、結局強引な形で対面を求められ、ついに拙宅へ上がることを許して土下座をさせて謝罪させることになってしまったのですが、気持ちはそれほど晴れ晴れとしたものではありません。業界でのさまざまな関係もあって、止むを得ず「ヤマトⅢ」への参加を決めることになったのでした。

 正月早々のハワイです。

  ホテルは当時政財界で何かと噂のある、財界人の小佐野賢治氏が社長をしていたワイキキの浜辺で評判の、シェラトンワイキキというところで、そのシーフロントのシングルの部屋で宿泊することになりましたが、 日本では経済上向きの時代であったこともあって、年末から正月にかけて楽しむ人も多くなっていましたので、「ヤマトⅢ」の制作にかかわるメインスタッフも、それに参考となる資料を得るためという目的はあったものの、気分的にはかなり解放された雰囲気のハワイ訪問となったのでした。

 到着してから一日目は兎に角歓迎パーテイが開かれるというので、旅装を解いてからは、それぞれ夕食への参加の準備にかかりました。下の写真の左はまだ悠然と煙草をくゆらしている脚本家の館俊介改め山本英明氏、前方でサングラス姿の男性は私と大学の文学部で同期であった吉田達氏で東映の岡田社長の指示で舛田監督の世話をするように、「ヤマトⅢ」の制作に参加してきましたが、これまでの任侠映画とは違ったSF映画であった上にアニメーションというまったく未知の世界の仕事で、かなりぼやいてはいましたが結構初対面のスタッフと楽しい雰囲気を醸し出していました。右の写真はパーテイの前に出会った辻忠直氏で、東映動画ではすでに昵懇の人ですがおそらく美術設定を担当してくれることになるようです。

               「ヤマトⅢ・山本・吉田氏」.JPG 「ヤマトⅢ・辻氏と」.JPG

 

 その日はとにかく自由な気分で楽しんで下さいということで、歓迎会から食事まで実にリラックスして楽しみました。下の写真の右は無理やり取らされたお土産用のもので、私と一緒に写っているのは東映動画のアニメーション監督である勝間田具治氏で、女性はハワイの接客嬢です。右の写真はご覧のとおり食事会の様子で、スタッフとの挨拶を兼ねた交流の機会になって、これまでの仕事に関しての情報交換会といった楽しい機会でした。

                   「ヤマト歓迎会」1.jpg 「ヤマトⅢ・ホテルでの食事」1.jpg

 

夜はそれぞれ決められた部屋で休息ということになりましたが、私はスタッフたちとの交換会は楽しかったのですが、兎に角「ヤマトⅢ」の執筆拒否という意思表示をしたあとであったために、しばらくその日は身の処置の仕方について暫く考えたりしてしまった。

兎に角翌日は早速今回のハワイへの遠征の目的であった、アメリカの人気SF映画「スタートレック」の新作が封切られるというので、「ヤマトⅢ」のメインスタッフ全員はそれぞれ好きな時に鑑賞しておくことになっています。自分たちの作る作品の参考になるところがあったらヒントにしようということでしたので、翌日の会合の時にその感想について話し合おうということになっていましたので、スタッフはそれぞれ勝手に町へ出て、適当な映画館へ行って鑑賞することになりました。

 その時でした。

 「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」の大きなヒットということもありましたので、今回のような贅沢な計画にもなったのですが、その日は西崎氏から参加した人にはそれぞれある程度のお小遣いがプレゼントされました。残念ですがその時の金額についてはすっかり忘れてしまって思い出させません。私はアカデミーの制作担当のY君と共に、ホテルから一番近い劇場でポップコーンを買って鑑賞することにしましたが、残念ながらその時の感想についても印象についても、全く記憶が薄れてしまいましたので書くことができませんが、兎に角はじめての外遊ということでしたので、若いY君を連れだって、町をぶらつきながらショッピングを楽しみましたが、その翌日は映画の鑑賞の結果についての報告をしようという第一日でしたが、自分たちの作ろうとする映画ならこうしたいという自由な発言が多く、兎に角自分たちがこれから作る映画はどういうところが参考になるかということについて、何日かかけて話し合おうということになりましたが、私は舛田監督とハワイへ出発する前に、神楽坂の旅館「和可菜」で大雑把な構成について協議を済ませていましたので、その日はほとんど参加したスタッフの意見を聞いておくことが中心で、ああいったSF作品に詳しい松本零士氏が中心になって感想が披露されたような気がします。流石にここで何もかも決め込もうということは考えられていませんでしたから、適当な時間で協議は終了して自由時間を楽しむことになりましたが、おそらく東映動画から参加したアニメーション関係者は松本零士氏を中心に集まったり、東映から舛田監督と世話役の東映の若手プロデウーサー吉田氏が付き添って、町へ出て行ったりしました。私たち文芸部門を担当する三人は特別町へ出ることもなく、ホテルの海岸を前にした庭で雑談をしながら、それぞれ映画の感想を述べ合ったところで、ハワイの感想などを述べながら、日本からやって来たと思われる観光客の姿を見ながら、その生態に詳しい山本映一さんの薀蓄に聞き入ったりしましたが、彼はドキュメント作品を撮るために、かなり東南アジヤを歴訪していたようで、各地の文化についての話は興味深いものでした。

                                 「ヤマトⅢ‣山本英明・英一氏と」1.jpg

 

左から館俊介改め山本英明氏・藤川・山本暎一氏ですが、残念ですが、英明氏はすでに鬼籍へ入ってしまわれています。

この翌日はいよいよ朝食前に、簡単な問題の整理しておこうということになったのですが、その時のことでした。西崎氏は同行した女性と起き抜けの姿で現したのです。どうやら秘書でもない女性ので、いつの間にか彼が連れてきた女性のようです。一度は予期せぬ女性の登場でびっくりしましたが、怒りを発したのは舛田監督でした。



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告知と放談の部屋☆ 放53「ヤマトⅢ参加拒否の波紋」 [テレビ]

 

 1979年のまだ「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」の話題が尽きないある日のことです。西崎義展氏は先日一寸それらしい気分を漏らしていましたが、「宇宙戦艦ヤマトⅠ」とほとんど同時に始まっていた「機動戦士ガンダム」にも多くのファンが集まっていきているようで、時代の仕掛け人として評価されて話題になっている彼は、世間でも著名な映像界の雄である東映社長の岡田茂氏が、指南役としてついているということもあるのでしょうか、前回は穏やかに話を終えてしまいましたが、今回は真正面からヤマトの続編を制作したいので、協力してくれと言ってきたのです。私は前回あった時に、遠回しではあったものの、もう次の話が合っても書きませんよと言ってあったはずですと、はっきりと答えました。それに対して西崎氏は、あれだけ多くのファンに対して別れの挨拶をしながら、それを忘れてしまったかのように次作にかかりたいといってきたのです。映画制作で営業をしようと志を立てた人としては当然かもしれませんが、あれだけ劇場へ詰めかけた多くの観客に向って別れを告げながら、それほど時もたたないというのに、彼は完全に営業マンに変身してしまったのです。当然のことですが、通常こんなに儲かる素材を、今回限りで止めてしまうなどということをするわけはないはずです。 私は大人気ないといわれても、彼の変節に同調することができないのです。

 あの劇場での感動を、自ら大人の計算で営業の世界へ転身してしまうことは、あまりにも潔くない身の処し方です。純粋なものは大事にしておきたいという気持ちがあって、若い人の純粋な思いを裏切ることは出来ませんでした。

 事務所で彼と会った時にも、次の作品は書かないというのが私のファンに対する真摯な思いであると伝えてあったはずです。もし次作をというのであれば、ヤマトとは違った企画を提案してくるのかと思ったのですが、それは完全に思い違いで、彼ははっきりといってきました。今回も原案を監督の舛田利雄氏に頼んであったのだが、それができたので、「宇宙戦艦Ⅲ」を制作する決心を固めたので脚本に参加して貰いたいというのです。当然ですが私は、はっきりともう作業には加わりませんと「拒否」しました。

 映画であれほどはっきりと別れを告げた以上、そのほとぼりも冷めないうちに次の作品を作りますというのでは、あまりにもその変節ぶりは儲かるからだろうと勘繰られてしまいます。純粋なファンたちの気持ちを逆なでしてしまって、呆れられてしまいます。私を説得をしようとする彼に受話器を置いて拒否の姿勢を鮮明にしたのでした。

 (これで一件落着だ)

 そんな気持ちで、次の仕事にかかることにしたのですが、異変が起こったのはその翌日からでした。

     「思い出の旧宅駐車場」1.jpg

 

 

    (思い出の旧宅駐車場)

 

 

 

  

いつものように朝食を摂り、仕事に出かけることになったのですが、家の前にあった駐車場へ向かおうとしたのですが、食事中に家内が気付いたのですが、駐車場の前に大きな自動車が横付けになっていて、私の自動車は出られないというのです。それでも一寸停めて置くということはよくある話なので「そのうちいなくなるだろう」と気楽に考えて食事をすませると、いよいよ出かけようとして駐車場を見てみると、まだあの大型のアメ車が止まっていて、とても私の車は出られないようです。


 どうもこれは西崎氏あたりがやりそうなことだと判断した私は、止むを得ず勝手口から出て行くことにしたのですが、突然周辺の路地で待ち換えていたアカデミイの若手の社員たちが飛び出してきて、


 「先生、待って下さい!」


 と叫びなら寄って来るのです。私もいささか興奮してきて、


 「帰れ!」


と大声で叫んで彼らを振り切ると、小走りになってバス停へ向かったのです。


普通でしたらこれで終わるだろうと思ったのですが、西崎氏は諦めませんでした。同じようなことを数日つづけられてしまったのです。兎に角自働車が使用できないので、仕事に出かけることもできずに不便です。その度に若い社員たちを追い払うために大声を出して「帰れ!」などと叫ぶのでは、ご近所のみなさんにも迷惑が掛かってしまいます。


 ついに私もこれ以上騒動を繰り返していることはできないと観念して、ついに西崎氏に会うことを承知したのでした。


 西崎氏は悠然として、大型のキャデラックから姿を現してきたのでした。


 さらば宇宙戦艦ヤマトあいの戦士たち」を制作する時に、お互いに制作にかかわる意気込みとした思いは、あの映画の大ラストですべてドラマが結末を遂げた後で、シーンと静まり返った興奮状態の観客に対して、無言の文字が語り掛けていきました。今回で「宇宙戦艦ヤマト」はもうみなさんとはお会いしませんという決別の挨拶が無言の挨拶となって流れていきました。ファンに対する「ヤマト」との別れを告げる挨拶でした。


 ファンたちとのはあのラストの数十秒間という沈黙の交歓は、熱い涙となっていったのでした。


 それからそれほど時を経ぬうちに覆して、「ヤマトⅢ」を作りたいというのです。しかもそのために、すでに舛田監督にその原案さえも依頼してしまっているというのです。


それが私との間で交わした思いをあっさりと保護にして、折角の大当たりをした作品を放り出すことはないという、業界の先輩達からでもけしかけられたのでしょう。大成功に浮かれ上がっていた西崎氏は、あっさり二人で確認し合った信義を反故にしてしまうのです。私の怒りを買うことは充分に判っている彼は、応接間へ入ると直ぐに土下座をしてその態度の豹変を詫びたのでした。しかし私としては、あの潔い決断に共感しあっていたこともあって、こうした彼のあっさりとした変身ぶりが我慢できませんでした。


 こんなことでいい気になって脚本を書き始めたら、もう純粋なファンたちからはやっぱり作家も現実の金儲けには抵抗できないのだなと、皮肉な現実論を突き付けられることになってしまいます。私もすでに三十代を越えようとしている年齢ですし、業界でもかなり実績を上げてきていることもあって、所謂アマチュアの純粋さとは違った思いも理解できないわけではありませんが、今回は私と西崎氏のヒット作品を作りあげるという共通の目的にかかわることであった信義の問題です。それを簡単に現実の利益のために、簡単に押し流されてしまっていいのだろうか。これで直ぐに彼のペースに巻き込まれて「ヤマトⅢ」にかかってしまうなどということは、作家としてあまりにも短期間での変節です。釈明のしようもなくなってしまうでしょう。


 随分葛藤いたしましたが、同じ業界の同志たちからもあまり強硬に突っ張ると、思わぬところから反発を招いて、これからの仕事にも響くことになるかもしれませんよという忠告もあって、あるところで西崎氏の要求に応えることになったのでした。

 

 

 

 


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告知と放談の部屋☆ 告5「ブログのおしらせです」 [テレビ]

 

9日、16日の日曜日のブログ更新ですが、連休もありますので、両日曜日は同時に更新することにいたしました。

その間二週間ほどゆっくりとしてきます。

どうかコロナと炎熱の猛襲に、充分気を付けてお過ごし下さい。

私も山荘で自粛していると思います。

                                     藤川桂介


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告知と放談の部屋☆ 放52「西崎さん、あなたは本気ですか?」 [テレビ]

 

 西崎義展氏の人間性に失望した私は、その頃のおごり切った生活をしていることについては、彼を取り巻くの環境が「宇宙戦艦ヤマト」の人気が高まるのに合わせて多様になっていったことについて、ブログを休載した時にまとめて詳しく説明しておいたつもりですが、それまでの西崎像とは違った姿をさらけ出すようになったのは、「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」の大きなヒットを記録して顕著になりました。もうこの頃になると、彼はほとんど周辺の者の進言などは聞き入れる状態はなくなりました。何といっても時代の大スターになってしまったのですから・・・。

兎に角自信たっぷりで、周囲の者が進言するようなことははじめから無視してしまうという状態で、暫くはこんな状態がつづくのだろうと半ばあきらめていました。私についてはかなり遠慮しているところはあったように思うのですが、しかしそれも前の彼の様子とはまったく違っています。

著作権問題ではついに裁判ということになってしまった松本氏は、自分のこととは別に番組の当初から協力してきたスタッフに、ヤマトとは違う作品を作らせてあげたいといってきましたので、私は気持ちよく承知しました。彼は原作である「マリンスノーの伝説」という作品をそれに充てたいということでした。私もリーダーのH氏と早速打ち合わせに入ったのでした。

西崎氏が自由に動いている間、多少自由になっていた私は1978年11月にニッポン放送で、松本零士氏戦記物の原作である「コックピット」という作品のラジオドラマも書きました。

                                                        スペースロマン・「コックピット」1.jpg

 

ニッポン放送については、「オールナイト放送の」の前からすでに、チーフプロデユウサーのドン・上野氏との関係もありましたから、これを機会に松本作品を何作もラジオドラマとして紹介したりするようになりました。そんなことをしている間に年を越えた1979年4月7日に、「宇宙戦艦ヤマトⅡ」は無事に放送が終わったのですが、しかしそのあとで西崎氏には思いがけない一面があることが、思いがけないことで浮き彫りになることに出くわしたのでした。たまたま放送中の「宇宙戦艦ヤマトⅡ」の打ち合わせがあって、オフィスアカデミーへ出かけていた時のことです。どこからかかかった電話のメモを秘書から渡されると、西崎氏は顔色を変えて会議室から飛び出して、廊下の向こうにある応接室へ走り出て行きました。電話の相手に応対すると間もなく秘書に何かひそひそと指示をすると、私たちテレビ作品のスタッフに対して、

 「申し訳ない。一寸でかけますので、今日はこれで解散にしておいて下さい」

 それだけいうと何か一大事が起ったかのような慌てぶりで、会議室から飛び出して行ったのです。勿論その日は訳も分からずに解散となってしまいましたので、「新エースを狙え!」の打ち合わせに出かけることにしたり、「銀河鉄道999」の脚本執筆に精を出していましたが、その日の変事について真相が判ったのは、それから暫くして西崎氏から呼び出しがあってオフィスアカデミーへ出かけて行った時のことです。

彼は約束通り出てくるようなことがなくなっていましたので、暫くは何をするでもなく、お茶を飲みながら待機していたのですが、話し相手になってくれた秘書に、先日の突発的に起こった変事は何だったのかと訊いてみたところ、こっそりとその真相について教えてくれたのでした。残念ながらそのすべてについてはお話するわけにはいきませんが、世にいわれる闇の世界のドンからの電話で、大ヒットした映画について挨拶がないではないかという上納金を求める電話であったということでした。西崎氏は慌てて一千万円という大金を用意してすっ飛んでいったということでした。

これまでは一見やんちゃな青年という印象があった彼ですが、そうした闇の世界にも通じるラインも持っていたのかと、思わずこれまでの付き合いを点検しなくてはならないなと思うようになったのでした。しかしその詳細を調べる訳にもいきません。それぞれの人生です。すべてを否定的に眺めることもできません。兎に角そういった思いがけない世界にも通じている人なのだなと理解しておくことにしたのでした。

そんなことがあって間もなく、ようやく彼はやって来ました。遅れてしまったことでかなり待たせていることを気にしていたようで、気がせく思いで「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」のヒットについての、慰労の言葉を述べてくれましたがそれから間もなくのことです。多少遠慮気味ではありましたが、折角こうした大きなヒットになったのですから、次のことを考えてもいいのではないかということを話しだしたのです。兎に角映画が思いもしない大きなヒットなり、成人男女のファン層を開拓したために、それが時代の雰囲気も変えつつあるという現象まで生み出してしまいまったので、どうもこのまま「宇宙戦艦ヤマト」のシリーズを止めてしまうことが、もったいないように思えてきたという思いを淡々と話し出しました。

 兎に角「やまとよ永遠に」「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」で、目標とした到達点に達したのだから、これで一区切りしようという気持は、西崎氏も私も共通の認識で来たのです。最後の「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」では、劇場を埋め尽くした観客たちに向って、西崎氏は彼らに対してヤマトはこれでお別れですと、わざわざ映画のエンデイングで宣言したはずです。

 劇場を埋めたファンたちはそれを涙で受け止めながら去っていきました。あのファンの純粋な思いを裏切るようなことは、絶対にできないというのが私の気持ちでしたが、

西崎氏は今回と同じように原案を舛田利雄監督に依頼して、「ヤマト」のⅢを作りたいのですよと打ち明けたのです。

私は思わず笑ってそれを聞き流していましたが、改めて「西崎さん、あなたは本気なのですか?」と笑いながら問い返したのです。

 かつてヤマトの完璧版を作ったら、シリーズを終わりにしようと誓い合った時のことは忘れていなかったようで、一寸バツが悪いといった表情になっていました。

 「西崎さん、あれだけ映画で別れを宣言した以上、ファンを裏切るようなことはできませんよ」

 穏やかに応えておきました。

 あの映画が公開されてから、訪ねて来る若いファンたちは、対話をしているうちに必ず、「先生は次の話がきたら書きますか?」と訊くのですが、私は「これでヤマトとはお別れですと宣言したのですから、私は書きませんよ」とはっきりと答えていました。しかしファンたちは直ぐに笑いながら、「こんなに凄いヒットになったのですから、きっと次のヤマトを作るのではありませんか」と独り言めいていって笑い出すのです。

 あの時のことを思うと、脚本家としての説を曲げて新作にかかわることになってしまったら、純粋な若者たちは「結局先生も金儲けだからやるしかないね」などといって、冷笑することになるのでしょう。

 私はそれが絶対に嫌でした。

 子供っぽいといわれてもいいのです。もうヤマトは書かないという決心で書いてきたのです。若い人たちを裏切りたくない。そんな純粋な気持ちを自ら裏切ることはしたくありませんでした。その日の話し合いはお互いに、これまでの思いを貫こうとするのか、それともせっかくいい機会が訪れたのだから、決意を保護にしても続編の制作に乗り出すかという、問題が提起されただけで別れることになったのでした。


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アニメと音楽の部屋☆ ア32「スタッフの差別感に絶望」 [テレビ]

 

「宇宙戦艦ヤマト」のシリーズを作った制作者として西崎義展氏は、「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」を公開したところで、ついに時代を作った人として大変話題の人となってしまいました。マスコミの持ち上げられ方は、まさに大スター並みで、まさに話題の人となってしまいましたが、その分だけこれまでの西崎氏ではなくなってきてしまいました。私生活も謎めいたところが増えましたし、事務所のものに会う時も、スタッフと会う時も、兎に角大変な貫禄ぶりで、これまでの誰にも気安く会える姿でなくなっていました。その頃のことですが、彼からメインスタッフには、ヒット記念の時計が送られてきました。

                                                     「ヤマトⅡ・記念の時計」1.jpg

 

 勿論私にはご祝儀と共にこの時計が送られてきましたので有難く受け取りましたが、ここでちょっと問題が持ち上がりました。そのきっかけとなったのは、イラストと設定に貢献した松本零士氏からの電話だったのです。

 今回の映画については、すでにメインとなるスタッフたちは前に紹介いたしましたが、その下で働く末端のスタッフについては、ほとんどはじめて放送に登場した時に、「宇宙戦艦ヤマトⅠ」に起用されたスタッフたちだったのです。メインのスタッフに対するご苦労さんという挨拶と契約金とは別の多少のご祝儀が渡されたということですが、末端のスタッフについては、西崎氏から何の挨拶もないというのです。そこでテレビ番組で付き合いが始まってから、彼らと縁の深くなっていた松本氏は我慢できなくなって、西崎氏に対して末端のスタッフにも、契約金とは別にそれなりの特別なご祝儀を配って、慰労の声を掛けてやって欲しいという要求をしたというのです。ところが西崎氏はまったくそれには応える気がないというのです。松本氏は我慢ができなくなって私にその辺の事情を訴えてきたのです。話を聞いているうちに、私も西﨑氏の態度には愕然としてしまいました。

 通常であるならば、今回の大ヒットの映画の制作にとっては、充分に末端のスタッフも貢献しているはずなのに、どうしてそういった差別をするのかという疑念が突き上げてきましたので、私は直ぐに西崎氏に対してその真意を確かめたのです。すると何ということなのでしょう。彼の返答は松本氏へ行ったものとまったく変わりませんでした。どこかに躊躇いでもあるかと思ったのですが、彼の返答にはまったくそれらしいものはなく、契約としての支払いはしてあるので、それ以上の謝礼はまったく考えていないという冷たいものだったのです。巷間30億弱という高額の興行成績を上げるほどの収益を上げた上に、成功者として注目を浴びて大スターとなってしまったほどの人物になったというのに、末端の作業に従事してくれた人たちへの配慮がまったくなく、注目される人物としてこんなことでいいのだろうかと、彼の人物像には正直に失望してしまいました。作品作りで成功を積み上げていく度に、これまでとは違った姿に変化していくことをみたり聞いたりして、私の中の西崎像は俄かに崩れて生き始めていたのです。噂によるとその頃某出版社長が映画を制作した時などは、そのプロデウサーであり監督を務めた彼は、映画の完成パーテイではすべての関係者を招いて、その一人一人と握手をしながらその労に感謝の言葉を掛けながら、額はわずかであってもド祝儀を手渡していったというのです。ここまで大事にされれば、多少の不満はあってもまた協力をしようという気持になるはずです。統率者としての気持ちを伝えるということで、大変評判になっていたのです。そのことを考えると、あまりにも西崎氏のそれは対照的で冷たすぎます。たとえ能力的にはメインには及ばなくても、同じ映画を完成させるために彼らは、いろいろな点で役立ってくれていたはずです。私にはとても考えられませんでしたが、

こんなことには今回のことがはじめてのことではなかったのです。

下に紹介する時計も、実は「宇宙戦艦ヤマトⅠ」の映画が完成した時に、大夫遅れてから送られてきた時計なのですが、これについても訳ありの始まりだったのです。

                                                           「さらば宇宙戦艦ヤマト」(ヒット記念時計).jpg

 

 

 

 

 

本来はテレビで放送した総集編の映画として公開する予定であったのですが、そのお礼として作られるはずであった記念の時計でしたが、丁度その頃西崎氏は松本零士氏との間で著作権問題が持ち上がっていたこともあって、決めてあった予定を俄かに変えてほとんど同時に「宇宙戦艦ヤマトⅡ」として制作をさせていたものを、「やまとよ永遠に」として公開することにしてしまいました。スタッフのメインとなった人はほとんど新しいアーテイストたちでしたが、その下で働くスタッフたちは当初から「宇宙戦艦ヤマト」にかかわってきた人たちです。彼らは当初番組としてスタートした時には、フジテレビの「世界名作童話」シリーズに圧されて苦闘していてくれていたスタッフで、いつかファンの認知を得て貰うようになりたいという願いを秘めて頑張っていてくれていたはずです。それを一番知っていたのは作画に関係のあるイラストや設定上のことで関係の深かった松本零士氏だったのです。彼はスタッフに変わってその労苦に応えるように交渉したのですが、結局受け入れて貰えずに終わってしまったといいます。その話を聞いた時も、スタッフの様子を垣間見ていた私には西崎氏の態度にはいささか納得できないものを感じざるを得ないでいたのです。今回は私も早速西崎氏に連絡をして、テレビ放送にかかわったスタッフには契約以外に最低限でいいからご祝儀を出して欲しいと訴えたのですが、兎に角契約金以外には支払わないという冷たい返答でしかありませんでした。

 

人情としてもここまで作品を愛してついてきてくれたスタッフに対しての態度としては、あまりにも冷たすぎるといって人情論で説得したのですが、どうしてもはっきりとした返事もしないまま笑って言葉を濁すばかりでした。勿論スタッフの待遇という問題は、単に長い付き合いをしてきた私でもまったく埒外のことで、結局適当なところで引き下がざるを得ませんでした。

 

 

付き合いを重ね、仕事を重ねて、ついにだい成功者となった西崎義展氏でしたが、次第に時を経るに従って、これまでまったく見せなかった人間像をさらしてくるようになったのです。流石に私の彼に対する思いは、次第に彼から離れて行くようになってきていました。

その人間性の欠落に絶望して、いよいよ離別すべき時が来たのかなと思うのです。

 

 

 


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言霊謎解きの部屋☆ 言20「ひとくち言霊」(日和見(ひよりみ)) [テレビ]

                                                                                                                       「若菜等イラスト・藤川」1.jpg

「ひとくち言霊」(日和見(ひよりみ)

                                 

昔はよく会話の中で、こんな言葉を聞くことがありました。

「あいつは日和見主義だから」

 「あいつひよったぞ」

 などとつかわれることがありました。裏切って権力を持った者により着く、信用できない者に対する中傷する言葉です。

その日その日の流れ、勢いの赴くままに、そちらのほうへ流れて身を寄せて、ころころと態度を変えて生きている、かなり当てに出来ないタイプの人間のことです。この「日和見」ということは、一体どういうことなのでしょうか。最近は<ほとんどきかなくなってしまいましたね。

日本は古来、豊芦原瑞穂の国と言っていたように、完全に農業国でしたから、その頂点に立つ者・・・つまり支配者は、民の生計を維持するために、先ずその基本である農業を、支障なく進めるための知恵を授けなくてはなりません。それは必ずしも農業ばかりでなく儀式の日取りに関しても、すべて支持を受けて行われるようになっていたわけです。とにかくその原点は、季節ごとの気候の変化その日その日の天候の変化は、かなり重要な問題で、権力者はその変化を知って適切に指示できませんから、指導者としての適格性を欠くことになってしまいます。逆に言いますとその日その日の儀式を含めて農作業は、権力者の指示に従っていればよいということになるわけで、農民たちをはじめ官人も、特に難しいことを考えなくても権力者の言うままに動いていればよいということになるわけです。こうして暮らしの基本というものが、長いことつづいてきますと、やがて権力の職能であったものが農民自身で取り仕切れる者が出てきます。そしてそういった能力のある者が暮らしを指示するようになるのです。しかしそうした能力に恵まれない平凡なものたちは、「日和見」主義に徹して、支持者の指示するままに動くという習慣が身についていったわけです。わたしたちが若い頃にはまだそういったこと

が言われていましたから、その時の風向きに従って調子よく生きて行くと、結果的に他人に迷惑をかけることも多かったし、時には裏切りさえもやってしまう者がいました。

かつて学生運動が盛んであった頃、寝返った者を指して(ひよった)などということが言われましたが、これは「日和見」から起こったことに違いありません。しかしそういった政治闘争をする者でなくても、昨今の世の中を見ているとあまりにも個人主義が徹底しすぎていて、人の指示にはなかなか乗らないものの、時の流れや人の流れには敏感で個人的に「日和見」を行う人が多くなってきているのではないでしょうか。時には突飛な行動に出る者があって、周囲の者をびっくりさせることがあります。やはり「日和見」というのは、王権の職能として政治を行う技術の範囲だけであって欲しいと思いますが、現代ではどうでしょうか。

                                                                                                                      

 

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告知と放談の部屋☆ 放51「西崎義展氏大スターとなる!」 [テレビ]

 

 「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」の大成功という空気の中で、久しぶりに東映動画から「銀河鉄道999」の話が持ち込まれた時にはびっくりしました。ついこれまで戦記物というジャンルに入る作品にかかわってきたというのに、今回持ち込まれた作品は、あまりにも「宇宙戦艦ヤマト」とは違った世界を描くメルヘンです。永遠の命を求めて宇宙を巡る少年の旅を描こうとしている哲学的な作品といってもいいものです。

原作者である松本零士氏も、戦記ものとは違った作品で勝負したくなっていたのだなと思って、私と同じような心境になっているのかもしれないと、勝手に推測して私と同じような心境になっている同志のような思いになったものでした。

「宇宙戦艦ヤマト」の企画をしている時のことを思うと、まったく思いがけない縁で松本零士氏と仕事をすることになりましたが、また改めてまったく方向の違う新たな作品づくりに取り組むことになったのも何かの縁なのかもしれません。

 「宇宙戦艦ヤマト」にかかわった時、

「仕事は減りますよ」

作家にとって大変きつい申し入れをされた日のことを、思い出したりしていました。

しかしこれだけはやり抜いて結果を待つという気持を貫いて、想像を越える反響を得ることができたお陰で、これまでの私を取り巻く環境はすっかり変わりましたが、私はひねくれたところがあるのでしょうか、よかったよかったと寄ってきて下さる人々には感謝しながら、次第に「宇宙戦艦ヤマト」から離れようとしていたのです。

兎に角今回の「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」を最後にして、その結果は別として、これから後は所謂戦記物から離れた日常生活に根差した作品が書きたいと思うようになっていたところです。私はしばらく前から、次はアクションを伴う作品は避けて、青春物を扱う物語が書けたらいいなということを、訪ねて来るマスコミの人や映像関係者に訴えていたのです。すると幸運にもそんな思いに応えるかのように、あちこちから話が飛び込んでき始めていたのです。東映動画から飛び込んできた松本零士氏原作の「銀河鉄道999」の執筆もそうでしたが、スケジュウル表を確かめてみますとそれから間もなく東京ムービー(現TMS)制作の山本鈴美香氏原作の「新エースを狙え!」のテレビ版の執筆を依頼されて、その打ち合わせが行なわれるようになっていました。文芸プロデユウサーはかつて「天才バカボン」で親しくお付き合いをしていたI氏でした。「新エースを狙え!」については、またそれが始まる頃にお話しいたします。

                                   「999ホタルの街」1.jpg 「エースを狙え!」1.jpg 

  

 フジテレビの「銀河鉄道999」は、読売テレビ・・・日本テレビの「宇宙戦艦ヤマトⅡ」の放送が始まる前の月に放送が始まりました。テレビでは同じ松本零士氏と私がかかわっている作品が、同時にフジテレビと読売テレビ・日本テレビで放送されているという状態になりました。同じころダックスという制作会社からの依頼で、「さすらいの少女ネル」という原案と構成を書いてテレビ東京で放送が始まっていて、毎日違った作品の打ち合わせと執筆をするという状態になっていましたが、かつてのように、西崎氏の指示で混乱状態の中で仕事をこなすという異常な状態とは違って、大変生き甲斐を感じる多忙の中に身を置くようになっていたのでした。

 「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」の公開で一気に燃え上がり広がっていった熱気は、映画の余韻もあるのでしょうが、「宇宙戦艦ヤマトⅠ」を送り出してから短期間のうちに、次々と作品を送り出していったこともあってファンの意識も変わってきていていたようです。ただ映像作品を観て楽しむというだけではなく、それぞれの作品を素材にして話をし合うような楽しみを生み出したように思います。次々と送り出される作品や素材を話題にしたファンクラブが、あちこちの町に生まれて活動し始めたようです。中学、高校などでも「ヤマト」に興味を持った同好会などというものがあちこちで生まれて、自分たちなりの作品の分析や研究が行われたりされるようになっていきました。

そのために拙宅へも訪ねてくる青年男女が多く、テレビの打ち合わせをしながら、ファンと接していくというかなり慌ただしい日々を過ごしていました。

それにしても西崎氏と対立しながらも行きがかり上の関係から退くに退けない状態でヤマトの作業をしつづけている松本零士氏も、人気の高まりで仕事が増えすぎる状態と闘いながら、新たな世界との挑戦を積極的に進めているのですが、同じころ西崎氏はテレビが始まる前には必ずフェスティバルなどというイベントを企画して、ファンたちとの交流を熱心に行っていました。

果たしてあの映画のラストシーンでファンに訴えかけた思いについては、どんなつもりでいるのかと確かめてみたくなるほどテレビの放送を積極的にアピールしていました

。彼の周辺にもあちこちで作られた「ヤマト」のファンクラブと称する者たちが、これまで「宇宙戦艦ヤマトⅠ」が送り出されたのをきっかけに次々と作品で描かれた細部についての話はもちろんのこと、そこに登場したメカやキャラクターについての分析をするなどして、その真相について西崎氏に確かめにやってくるということも多くなっていたのです。

東映が映画会社としての勝負をかけて「宇宙戦艦ヤマト」とほとんど同じころ封切った作品は、「宇宙戦艦ヤマト」のヒットには遠く及ばなかった上に話題ということでもまったく問題にならない状態で、時代の空気を一変するような勢いはまったくありませんでした。管理社会が進む窮屈なこれまでの時代の空気は、「ヤマト」の登場によって一気に変わっていくきっかけとなってしまったように思えます。

脚本を書いていたというだけでも、兎に角話題の中心となってしまいますし、何かにつけて持ち上げられることが多くなってしまいましたが、どうも私はそういった風潮に乗って闊歩するようなことはできない質で、持ち上げられれば余計にそれから遠ざかろうと心がけていました。私のようなものでもそういった扱われ方がされるのですから、あの映画を制作した人としての、プロデウサー西崎義展氏の勢いは時代の空気を作った人としての持ち上げられ方は普通ではなくなっていました。それは決して悪いことではありませんが、あの映画の成功をきっかけに、彼はすっかり人が変わったような変貌をしていたのです。まさに時代を闊歩しているといった状態になっていて、彼と営業的なものを作り出そうという人々が、事務所へ押しかける状態になっています。当然ですがもうその頃には前からお世話になっている東映の岡田社長の後押しもあるようで、西崎氏にとっての前途にはまったく敵が見当らないという状態になっていたのでした。

彼の生活については、もう誰も口を出すことはできません。

兎に角彼はしたい放題という状態で、誰もそれを咎めるようなことはできなくなってしまっています。まさに大スターといった状態です。そんなある日のこと事務所で、これまで私の前ではまったく表には出さなかった、彼の暗部を浮き彫りにするような思いがけない出来事と、偶然遭遇することになってしまったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

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告知と放談の部屋☆ 放50「動画からアニメーションヘ」 [テレビ]

 

 こんなことってあるのだろうか。

 それが「さらば宇宙戦艦ヤマト愛の戦士たち」の公開を終えて間もなく漂い始めた社会の空気でした。映画がきっかけとなって、これまでとは大分違った空気が漂い始めているのです。なぜかこれまでの鬱積したようなものが取り払われたような、解放感が感じられます。

 田中角栄内閣のイケイケ時代から、次代の三木武、福田赳夫、大平正芳内閣へと引き継がれていく間に、これまでの開放的であった時代の空気はすっかり変わって、すべてが厳しく管理されて運営されていくようになっていたのです。多くのサラリーマンたちは、徹底した管理システムのなかで窮屈な生活を強いられてきていましたし、会社を運営する人は膨張した経済状態から引き締めを持続するのに必死でした。その参考書として経営者たちに読まれていたのが、山岡荘八さんの「徳川家康」という小説です。もう長いことベストセラーとなっているのは、300年に及ぶ平穏無事な政治を保ちつづけられた智恵・・・つまり家康の家臣の統率ぶりを学んで会社の経営に活かそうというのが目的だったからなのでしょう。役付きにもなればほとんどの人がこの小説を参考にしようと買い求めていたくらいでしたが、管理者になっている人はそれでいいとしても、その人の下で働く人々にとっては、厳しく行動を監視されて働いているのですから、ほとんど自由な時間を楽しむことができない状態だったのです。厳しく縛られたような生活を強いられていて息詰まるような日々を送っていたはずです。そんなところへ「動画」の「宇宙戦艦ヤマト」が送り出されていったのです。かつて国民の星であった不沈艦といわれていた巨大戦艦大和は、第二次世界大戦の終末近くに、アメリカ軍の集中攻撃で九州の坊ケ崎で沈没させられてしまったのですが、それを復活させて広大な宇宙の海へ 送り出して縦横に活躍させるということをやって見せたのが「宇宙戦艦ヤマト」です。どう考えてもあの巨艦を宇宙へ飛ばすなどという発想は、通常の常識ではとても考えられないことは誰でも判りますが、そんな奇想天外なことをやってのけようとすることこそ動画に許された発想なのでしょう。これに思わず納得させてしまう理屈を付与して、あくまでも未来の船として復活させてしまったのが松本零士氏です。戦記物を得意とする書き手を得たことで、魅力的な未来につづく夢の船として説得力を持たせてしまいました。これには思想的に好戦的な意図などいうものはまったくありません。お断りしておきたいと思います。

                  「ヤマト・地底から浮上」1.jpg 「ヤマトⅡスタート・アニメージュ」(1978・10)1.jpg 「ヤマト・いざ、宇宙の海へ」1.jpg

 

 私はリアリテイを尊重するドラマの世界から動画の世界へ飛び込んでから、もう二十年近く時を経てきていましたが、長いこと「動画」は低年齢層が楽しむものというのが世間一般の評価で、ほとんど成人からは無視されていたのですが、そんな状況をいつか跳ね返してみたいと思うようになっていたところでしたが、そんなところへたまたま私を頼りにしてやってきたのが、正体不明の未知の青年西崎義展氏でした。その日から同じ夢を持った同志として、彼と共に新たな動画作品を開発しようと必死で頑張ってきたのですが、ついに「宇宙戦艦ヤマト」という素材を得てその実績を積み上げてきた結果、今日の爆発的な成功に結び付いたのでした。

ご存じの方も多いでしょうが、映画によるその熱気の高まりは、これまでの窒息しそうな時代の空気を一気に突き破り、これまでの重苦しいもので閉塞されてきた時代の空気を一気に突き破り、これまでの時代の空気を一新してしまいました。

 たかが「動画作品」ですが、されど「動画作品」です。

 この時ばかりは、私自身想像ができない反響が跳ね返ってきてびっくりしました。大変嬉しい結果です。とても考えられない世間の受け止め方でした。マスコミの評価と時代の反響は、ほとんど広大な宇宙という海を航海しながら、宿敵と闘うスケール感が、次代の圧迫感から観客を一気に解放してしまったためだと受け止められた結果であると分析してきました。若い戦士たちが地球の危機を救うために、まったく未知の宇宙で苦闘する姿に夢を託しました。その挑戦に応える船として選ばれたのが、ほとんど戦わずに海底に沈んでいた巨大戦艦大和です。すべては新たな世界に夢を賭けて挑むという希望を託した船になったことも大きくかかわっていたと思います。

 素材を見つけ出してから、脚本家としての生命を賭けて挑みつづけてきた結果としては、兎に角満足すべきものとなったと思いました。

窒息しそうであったサラリーマン諸氏も、思わず宇宙という高大な海を舞台に活躍する戦艦ヤマトに、長いこと押し込めていた夢を解放していったようです。それぞれの時代の空気に活を入れることがなくては、こうした成功は得られないのだという教訓を得たようにも思えました。

 時代の空気は一変しました。そんなある日から、突然マスコミでは「動画」という古典的な名称が取り払われて、「アニメーション」という現代的な名称で表現されるようになりました。

所詮ガキのものといわれつづけていたものが、世間の認知を受けて大人も楽しめる世界と変っていったのです。芸術とは距離をおいた、サブキャラクターとしての存在感を、はっきりと認知して貰えるきっかけとなったようです。時代の空気を換えてしまう起爆剤として役立ったのかもしれません。これまで娯楽としてもまったく受け入れられなかった動画というものは、その名称をアニメーションと変えることで、成人たちもまったく抵抗感がなくなりました。

他の脚本家はどう思っていたかは知りませんが、少なくとも成人を相手にしたドラマの世界にいた者としては、飛び込んだ世界がまともな評価の対象にならないでいた「動画」という世界であったために、大変悔しい思いをさせられてきましたが、ようやく胸を張ってアニメーションを手がけていますということができるようになりました。それと同時にそれを制作する人たちにとっても、その素材の選択にはこれまでと違って、自由で広がりのあるものがそれぞれ選択できる余地が生まれたのではないでしょうか。

コミックの世界もかなりその幅を広げていくきっかけとなったことは間違いありません。「宇宙戦艦ヤマト」の大ヒットがもたらした社会現象であることは間違いありません。私が長いこと求めつづけてきた、社会的な認知を得るという目標は果たされたと思いました。時代の意向を汲み取って企画し、脚本を書くということの重要さということを実感いたしました。それが「動画」から「アニメーション」への呼称の変化も生み、新しい時代への幕開けになったのではないかと思っています。

脚本家生命を賭けた作業を、ようやく仕上げた満足感がありました。

 ここらで落ち着いて次の世界を探し出そうと思うようになったのでした。


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