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言霊謎解きの部屋☆ 言29(神奈備山(かんなびやま)) [趣味・カルチャー]

                                                                                                                        「若菜イラスト」.JPG

  

神の鎮まる山。


蛇がとぐろを巻いた形の丘。松、檜、杉、樫、椎、樟(くすのき)榊などに覆われた常磐木の森。神社の森、鎮守の森はそれですが、この奈良県明日香村の神奈備山も、古代では神が鎮まる山として、かなり大事にされてきたところです。


飛鳥の大事な儀式の場であった欟(つき)の木広場に近く、飛鳥寺の近くにあったのが、よく知られている甘橿岡(あまかしのおか)ですが、ここが神奈備山でした。


この神奈備山というのは、ほとんどの場合、松、檜、樫、椎、樟(くすのき)、榊などの樹木に覆われた常緑樹の森が備わっていたのですが、いわゆる神社や、鎮守の森などはこの類のものです。しかし昨今は、都会はもちろんのこと地方でも開発が進められた結果、森を失った神社がかなり存在しています。鎮守の森のような元日本の風景である姿が失われていくようで、大変残念でなりません。


ところでこの神奈備山が、きわめて大事であったことを表わした事件が古代にはありました。飛鳥時代に、蘇我馬子、蝦夷、入鹿という権勢を誇った一族がいましたが、この中で入鹿は、伝統を重んじる父の反対も押し切って、この大事な神の山である甘橿岡に、大変豪華な別邸を作ってしまったのです。


兎に角ここは神の山なのです。そんなところへ遠慮もなく邸宅を作ってしまうというようなことをしてしまうなと思いますが、それだけ蘇我一族の権力が絶対的になっていて、誰もそれを留めることができなかったということでもあるのです。


案の定、その思い上がりに怒りの火を点じてしまった若き同志たち・・・中大兄皇子が中心となった者によって、所謂大化改新の陰謀が進行していったのでした。


入鹿は暗殺。


蘇我一族はこれを機会にして抹殺されてしまったのでした。


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告知と放談の部屋☆ 放85「お詫びの会とは・・・」 [趣味・カルチャー]

  「宇宙皇子」の衝撃的な売れ行きについては、恐らく誰も考えてはいなかったのでしょう。テレビでは多少知られていた私も、所謂小説を書く作家としてはこれまでの小説ファンにとっては殆ど関心のなかった存在ですしいく、何もかも先端をいくものに興味のある時代です。古代などという先端の文化とはまったく縁のない時代の話です。

そんな本が爆発的に売れたというのですから、一体何が起ったのかとでも思われたに違いありません。発売と同時に興味を持ってくれたのはどうやら若者たちであったようです。テレビでも思いきった企画の作品が見られる状態ではなかったこともあるのでしょう。恐らく小説の世界ではじめて登場した表紙のいのまたむつみさんのイラストに、新鮮な衝撃として映ったに違いありません。そんなこともあってわずか半年の間に、一巻目である「はるかに遠き都よ」が快調な売れ行きを記録して順調なスタートを切ることになると、その勢いを引き継ぐように2巻目である「明日香風よ挽歌を」も八月の夏休みの商戦で同じようないい結果を出しました。角川書店からはここで休んでしまわないで、一気に出版を考えて欲しいという要望が入りましたが、わざわざそのような申し入れをしてきたのには、出版社としての苦い経験があったからなのです。これまでたまたま大きなヒットを出しても、そこで作家がお休みしてしまって次の作品を書かなくなってしまうので、折角盛り上がっていた読者の気分を褪めさせてしまって、それ以後出版社がどう売ろうとしてもまったく勢いは戻らなくなってしまったというのです。そんなことをわざわざ私に伝えてきたのは、営業の上層部から依頼を受けた私を担当する編集長Aでしたが、私自身も映像から活字の世界へ転身が叶うかどうかの瀬戸際でしたから、一気に勝負を決めてしまおうという決心でいたところです。直ちに第三巻目の「妖かしの道地獄道」の執筆にかかっていったのでした。これまでの勢いをそいでしまわないように準備したのですが、10月の秋の商戦である読書週間も勢いは止まりませんでした。


出版の世界へ入ってから、兎に角これまで体験してこなかったようなことが起るので、正に作家としては新人並みの私にとってははじめて出合うようなことばかりなので、半分戸惑わされたりしていたのですが、一巻目、二巻目、三巻目と連打したことが効果あってか販売に勢いがつきました。ここで勢いを止めたくないという角川書店からの要望もあって、作品の執筆はそのまま辞めずに続行して、年明けに原稿を渡すという約束をしました。ほとんど休みもない作業ですが、一見して無茶苦茶な依頼でしたが、私も勝負に出た以上決着をつけるために、あるところまでは頑張ろうという決心をしていたところなので、特別反対もせずに作業にかかったのでした。これまで通常文芸作家が、こんなに間隔を狭めた出版に応じることは応じる作家はありません。一作書き上げるのに一年もの時間をかけることも多いし、多くの場合もっと長期間の時間をかけて仕上げた作品を出版するのがほとんどの作家の仕事のありか方でしたが、時代の影響でしょうか、そうしたのんびりとした作業のしかたが許されたのは昔のことで昨今の業界ではあまり歓迎されません。文芸作品といわれる特別なものは別として、大衆向けの作品では、あまり時間のかかりすぎる作家は歓迎されなくなっていました。


毎月の出版予定を狂わせてしまっては、会社を経営する上でも歓迎されなくなってきています。売れても売れなくても社格を高める文芸作品を出版することも大事ですが、会社としてはよく売れる大衆作品がなくては、出版社として経営が成り立たなくなってしまいます。現在角川書店が行なっている映画と連動して小説を売るという戦略は大変奇抜な戦略で、その評価についてはいろいろあるようでしたが、時代に向いた経営ということでは的確な狙いでした。社長自ら映画の監督も行うという大活躍をしている中での「宇宙皇子」の発売です。本当に売れるかどうかが判らないでいたのは確かな印象でした。


ところが結果は誰も予想しなかった三冊ともベストセラー作品となって、たちまち会社としては衝撃が走り出していたのです。発売前に社内にあったさまざまな不安、不満を一蹴してしまう勢いです。発売については営業的な考慮した結果でしょうが、私に対する評価があまりにも低くて、とても納得できないような気持ちになっているところへ、突然担当のA編集長から連絡があって、是非お詫びの会を開きたいというお知らせでした。角川書店としては、これまでもさまざまな失礼をしてしまったこともあることから、それらについての失敗について、解消しておかなくてはいけないと考えられたのでしょう。このところの「宇宙皇子」の売れ行きを見て、あまりにもこれまでの予想を覆す結果に仰天してしまったのに違いないでしょう。年が変わった1985年の春の商戦を前にして、これまでのさまざまな待遇についての失礼を詫びして解消しておきたいというので、今回出版の営業を指揮する副社長の角川歴彦氏が、赤坂のプリンスホテルの最上階にあるレストランで、食事会を催したいといってきたのです。


 出版前の失礼のために怒り狂って私がどんな態度をとるかによっては、角川書店にとっては大変な収入源を失ってしまいます。そんなことになってしまったら、兄である春樹社長の期待も覆してしまうことにもなりますし、営業を担当する副社長としての大きな失敗になってしまうということを考えられたのでしょう。いささか緊張気味で出かけた私を出迎えて下さったのは、副社長以下営業部長、営業部員の責任者、そして担当のA編集長など上層部の面々でした。


席へついた時には早速副社長が一同を代表して挨拶をされました。


 「これまでいろいろと失礼なことがありましたので、今回はそのお詫びをしたいので、今日はすべて解消して頂いてお楽しみ頂きたいと思っています」


 簡単でしたが「お詫びの会の趣旨について説明をされました。勿論私もこんなことがあるとは思ってもいませんでしたから、


「こんなおもてなしをして頂いて恐縮いたしております。有難うございます」


お礼を述べるのが精一杯でした。


 恐らくテレビの仕事をしている時には、とても考えられない事後処理の仕方を体験することになりました。確かに出版社にとっては、読者を獲得した作家はかけがえのない宝物なのだということを表明してくれたのです。


 かつて社長にお会いした時にも説明をいたしましたが、同じように「宇宙皇子」を執筆する基本的な姿勢について説明させて頂きました。


 もう堅苦しい話はそれで終わって、今後の予定についての激励をされて会食は終了したのですが、これまで多少心の片隅に残りつづけていた、これまでの映像時代で積み上げてきた実績に対する認識が無視されてきたことに対する不満は、その日の対応を受けてすっかり解消することができたのでしたが、もし他の会社で同じようなことがあった場合に、このような仕切り直しをして下さるのだろうかと考えると、決して期待できるものではないと思うようになりました。それだけに角川書店に対しての感謝は特別なものとなったように思いました。


 


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思い出作品の部屋☆ 思9「迂闊には歩けない」 [趣味・カルチャー]

  

本がヒットすると、思いがけないところにその反応が現われるものです。


 拙宅のある深沢というところは、かつて農地の多い沢地であったところが開発されたところであったのですが、私がここへ引っ越してきた1973年(昭和48年)の頃は駒沢オリンピック競技場だけがやたらにめだつところで、それ以外は目立ったところもない地味な住宅地になっていたところです。マスコミで騒がれるような芸能人、文化人といわれる人にとっては、あまり目立つことのない隠れ家として暮らせるところだったので、ほとんど目立ないほど静かで落ち着いたところだったように思えます。


町内やその周辺にはパチンコ屋のような遊興施設などはほとんどなくて、都立の小学校、中学校、高校の他に、私立の学芸大学の付属小学校、中学校、駒澤大学、日本体育大学があるという文教地区のような雰囲気のあるところでした。大変のんびりと下雰囲気のあるところでしたので、私は気分転換を兼ねて町内の文房具店を覗いたり、小さな書店へ入っておかみさんと拙著の売れ方についての雑談をしたりしていたのでしたが、この書店での会話には思いがけない利用者である図書の好きなお客の貴重な動向についての情報収集にもなったものです。お客さんの中の若者が書店のおかみさんに、「宇宙皇子」について何といってきているのかというような、率直な思いが伝えられました。そんな中で嬉しくもあるのですが、作家として何とかして上げたくなってしまう情報もあったのです。「宇宙皇子」があまり売れるために、東販、日販という問屋筋は、各社が制作する図書を書店に収める業務を行っている会社なのですが、売れる本は大手の書店を中心に納品してしまうので、とても深沢の小さな書店にはごく少数の本しか入ってこないというのです。そのために欲しい読者が次々と現れてもその欲求に応えられないという情報でした。その訴えを聞いた私はそのままにしておくことができなくなってしまって、作家の地元である書店へはある程度余計に搬入してくれないかと角川書店へ申し入れしたくらいです。


こうして気楽な散歩をしながら文房具店でも拙作の評判を聞いたりしていたくらいでしたので、それだけ地元には大きな出来事だったのでした。 そんなある日のこと家内から思いがけないことを言われました。


 町内の商店街を気持ちの赴くままに歩いているものですから、たちまち目ざとい主婦たちに留まってしまって、日用品を買いに出た家内へ通報されてしまうことになってしまいました。これまでテレビの仕事をしていた時では仮に評判の番組を書いていたとしても、主婦が関心を持って私の姿などを見つめるということはなかったのですが、小説を書くようになってからは、マスコミでの露出が多くなるということもあって話題にされる機会が多くなってしまうようです。それが若い人の話題になったりすると余計に家庭でも話題になりがちです。拙宅近くの商店通りを歩いていたりすると、どうしても気になる対象になるようで、「お宅のご主人、商店街を散歩していたわよ」などと報告されたりするようになってきてしまったのです。


                                「深沢不動交差点」1.jpg


                                 (深沢不動の交差点)


  まさかこんなことで人の目に就くようなことになっては、あまりみっともない格好で散歩しているわけにもいかなくなってしまいます。窮屈なことが起るのだなと思うようになりました。近所の図書館から講演会を開く申入れがありましたので、同じ町内の奉仕のために協力したりしましたので、かなり多くの主婦の方にも姿をさらすことになってしまいました。そんなこともあって、あまり毎日ふらふらと出歩くことは出来なくなってしまったのでした。


 そんなある日のことです。


 私は家内と新宿の紀伊国屋まで芝居を見るために出かけたのですが、ついでに「宇宙皇子」の状態を見に行って見ようかといって、ごく当たり前の客として書店内を見て回ったのですが、かなりの新書版の図書を集めた本棚のところへ来た時、そのしばらく前から私たちが動くのに合わせて動いてくる青年がいるような気がしていたのです。


 「誰か我々をつけているような気がする」


 こっそり家内に伝えて、急いで店を出ようと移動し始めた時のことでした。後をつけていると思われた男性が慌てて駆け寄ってきて、


 失礼ですが、藤川先生ではありませんか」


と、声を掛けてきたのです。


 「どうもおかしいと思っていたよ」


 思わず私は笑ってしまいましたが、彼は切羽詰まったような勢いで拙作の本とサインペンを差し出しながら、署名を入れて頂きたいと申し出たのです。


 こんなところで見つかってしまうということを知って、情報が流布していくと、こんなところで姿を見破られてしまうということを知りました。


 勿論、サインを入れて渡しましたが、彼は映像時代からファンでしたといって、興奮気味になりながら如何にも思いがけないところで出会えたと興奮気味にいって別れていきました。


 出版の世界での出来事であっただけに、今回の出版が大成功であったということを、町内から繁華街で実感した体験談を紹介いたしました。


 この頃は赤川次郎氏がいろいろなことで取り上げられて評判になっていましたが、出版界の転換期でもあったのでしょう。従来の作家とはちょっと違ったタイプの読み物がもてはやされる時代に突入していたのです。私の作品もそんな運気の中で、大きな成功を収めることができたのでしたが、その分だけ一寸窮屈にならざるを得なくなってしまったのでした。


 多忙な日常の中で、一寸した話題として好事家の研究というものが読み物になっているのを思い出すのですが、赤川、藤川と地上より下に存在するものを筆名にした作家には、女性のファンが多くつくということが書かれていたように思うのですが、それに対して男性受けの筆名を持った作家はファンが限られているということまで書いてあったような気がいたします。兎に角1984年の6月以降の半年間は、映像時代とはまったく違ったことを次々と体験することになってしまったのですが、もうその頃には来年の年明けに出版される予定があるために、その準備にかからなくてはならなくてはならなくなっていたのでした。


 


 


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告知と放談の部屋☆ 放84「テレビファンの支援嬉し」 [趣味・カルチャー]

  

「宇宙皇子」の地上編といわれる10巻が出版され始めたのは1984年(昭和59年)の6月に一巻目が発売されたのをはじめに、二巻目は8月・三巻目は10月とそれほど間を開けずに発売されたこともあったためか、その半年間というものは私自身想像も出来ないような変化に直面してしまいました。短期間なうちにベストセラー作品になってしまったこともあって、ファンクラブが結成されたり、地方の文化関係機関からの講演会とサイン会の申し入れがあったりいたしました。思いがけないことが次々と起こったりしましたので、とてもこれまでとは違い過ぎる日常が始まりました。これから暫くは、この半年間に原稿を書くこと以外に起ったあれこれについてのお話をしたいと思います。


                                   「藤川桂介公開講座」1.jpg


                               (京都嵯峨美術大学での公開講義風景)


  既に前述したことではありますが、今回俄かに人気作品として注目を浴びるようになってしまった「宇宙皇子」の発想をしたのは、テレビ界全体が勢いを失ってしまって、放送界はもちろんですが、私も新たな転換を模索している時のことでした。時代の波に便乗して、脚本家も四十歳を越えた人はいらないなどとかなり挑戦的なことを発言した某局のプロデウサーが現われたりしましたが、いささか新しいものには飛びつくといった時代で、ちょっと古くなったものはみな無視するような風潮がある時代になってきていました。この頃すでに四十代を迎えていた私は、彼の発言に反発を感じながらも、これからアニメーションで生きていくには、かなり困難を伴うようになるだろうと真剣に考えるようになっていた、時代の変わり目のような時でした。一世を風靡した「宇宙戦艦ヤマト」への深いかかわりから抜け出したものの、依然として宇宙を舞台にしたアニメーションが作られていたのですが、そろそろそういった傾向の作品もそれを楽しんでくれる視聴者たちから飽きられてきていたところで、東京ムービーが立ち上げたのが、バンダイという玩具制作会社がスポンサーとなったSF作品である「六神合体ゴットマーズ」という番組でした。お陰様でこれまでとは違った発想で作られましたので、すっかり宇宙を舞台にした作品は飽きられていましたが、この作品から「17歳の伝説」というサブストーリーまで生み出すことに成功はしたものの、そろそろ私のアニメーションでの脚本家としての活動には終止符を打たなくてはならない時が来たのではないかと思って、声から先に転身する場はどこにあるのだろうかと真剣に模索し始めている最中のことでした。


  「このままでは作家として生き残れない」


 そんな危機感から抜け出すために密かに苦闘し始めていたのです。


 私が「六神合体ゴットマーズ」が終わる頃から、あまり次のアニメーション番組に対しての積極的な姿勢を見せないのを知って、ファンの間では何か次に出す作品の準備をしているのではないかと思い出していたのかもしれませんが、私はまったく別の次元で葛藤していたのです。兎に角表向きにはそんな気配を出すようなことはありませんでしたから、きっとファンのみなさんはこれからもきっと仮想現実に基づいた異色作品を生み出そうとするだろうと考えていたと思います。ところが私はドラマ界からアニメーションという世界へ転身してある程度の成功を収めてきたものの、そろそろこの世界での限界を感じ始めていたのです。


 「これから先のことを考えなくては・・・」


 そう思えば思うほど、アニメーションの世界というのは、年齢を積み重ねていくことは大変困難な世界だということを実感するようになっていたのです。これまでかなりヒット作品にかかわってきたとはいっても、それが実績として評価の対象にならないのを実感し始めたのは、「六神合体ゴットマーズ」が人気作品として注目され始めた頃からなのです。アニメーションでは何といっても大事なのは若い感性です。年を経て来たことは決して勲章にはならないのです。この番組の人気が冷め切らない内に、新たな転身の世界を開拓できなかったら、前途に希望は無くなってしまうと考えるようになっていた私は、これまでにない自分に変わってきてしまいました。


「六神合体ゴットマーズ」の番外編として制作した「17歳の伝説」をはじめ、「プラレス3四郎」「キャッツアイ」にはメインライターとしてかかわってはいながら、シリーズを一気に書ききるという熱意が伝わらずに、途中で番組から抜け出してしまいましたし、私らしさを発揮することもないままでした。しかもそれから後、これまでの人気番組に通じると思われる仮想現実の世界を描く「超獣機神ダンクーガ」で勝負をするのかと思っていたら、いきなりその期待感を裏切るように番組のスタートだけで、後を弟子に託して去ってしまいました。


 「藤川桂介は何を考えているのだろう」


 多くのファンはそんなことを考え始めていたところでしよう。


 この間に私は紆余曲折の道筋をたどりながら、やっと宇宙皇子の実現に向かい始めていたのでした。そこで先ずお話しておかなくてはならないのは、「宇宙皇子」というタイトルのことです。これはかなり話の構想を固めていきつつあった頃に、ある歴史書を読んでいるうちに、あの富士山麓の村の中には、「宇宙村」というところがあったという記述があるのを知ったのです。古代の村でありながら、「宇宙」などという言葉を使っていたということに異色な発想を感じた私は、その「うつのむら」という名称から頂いて、物語の主人公を「宇宙皇子(うつのみこ)」としようと決めたのでした。


 これまでは殆ど超未来の仮想現実の世界を描いてきていた私が、日本の古代というこれまでのイメージをすべてひっくり返してしまった世界で、権力によって支配する者たちに戦いを挑む若者・・・小子辺(ちいさこべ)が、超能力者役小角の弟子となって不動明王を具現しようと葛藤する歴史物語として、ファンたちに訴えかけていったのです。テレビで私の作品のファンとなって下さった人たちは、ここでもう一つの驚きに接したことでしょう。


 イラストにいのまたむつみさんを起用したことです。


「プラレス3四郎」で一緒に仕事をした彼女は、業界のあちこちからあまりにも若くして作画監督をやってしまったことに対して反発されて、すっかり嫌気がさして洋画を勉強したいといって、アニメからさよならをすると言い出していたのです。それを思い留まらせるために、拙作原作「ウインダリア」を担当して貰ったり、活字の世界でのイラストを描いて貰うことにしたのでした。私はもちろんのことですが、彼女についても、これまで積み重ねてきていた現代的な世界の表現とはとは違った、古代の歴史世界に挑んで貰うことになったのでした。その分テレビファンのみなさんは意表を衝かれたのではないでしょうか。まさか私がいわゆるSF的な仮想現実を放棄して、小説の世界で勝負し始めるとは思わなかったのでしょうし、当時はまだ無名といわれていた(いのまたむつみ)さんが、まさか予想もしていなかった小説のイラストへ進出するとは思わなかったことでしょう。ファンのみなさんはその日から、「宇宙皇子」の支援者として書店へ走ってくれたのではないかと思います。さまざまな困難を乗り越えた上での私と彼女の初体験する出版でしたが、テレビのファンであった人々が、我々の新しい出発を後押ししてくれたのでしょう。大変嬉しいことでした。


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思い出作品の部屋☆ 思8☆ 思8 「宇宙皇子スタート快調です」 [趣味・カルチャー]

  

 出版が始まる前までは、兎に角「売れるのか、売れないのか」まったく姿の見えない読者という存在が頭から離れなくて、まったく落ち着かない日々を過ごしましたので、発売当日はとてもじっとしていることは出来ませんでした。兎に角書店へ出かけて行って、実際に本を買うお客さんの実像を目撃したいという気持になっていました。確か都心の大きな書店へ行ったと思うのですが、何といってももう30年近くも前のことですから、その書店がどこであったのかも思い出すことができません。


1984年6月は私の誕生月でしたので、これは当初から編集長にお願いして決めていたことでした。地上編宇宙皇子の第一巻である、「はるかに遠い都よ」は、ついに日本全国の書店で発売されることになったのでした。


                                                「宇宙皇子・新書1」1.jpg


  


当然のことですが、その日の新聞の朝刊には他の人の新刊と並んで、角川書店の新刊本の広告が載せられていました。起き抜けに何誌もの新聞を買ってきて、はじめて世間に対して自己主張をしている広告を確認しました。映像で見る藤川桂介と活字の広告に見る藤川桂介には、なぜかそこに重量感の差が出たような気がしました。あとは実際に書店で、拙作の本を購入していく読者の姿を確認することです。


 一体彼らはどんな反応を示すのだろうか・・・。


いささか緊張しながらも、極力平静を装って、大きな書店へ出向いて行きました。しかし書店は静まり返っていて、読者が入り乱れて新刊本を購入するなどという光景はありません。嫌でも真っ先に見たのはレジのところでした。書店さんも協力して下さったのでしょう。そこには「宇宙皇子」が目立つように展示されていましたが、まだそれに手を伸ばして購入していく客はないようです。いわゆる新刊が展示されている平場には、十数冊が数列も積んでありますが、まだ時間が早いということもあって、積まれた山から本が買われていった形跡がありません。夢中で書いた作家としては、その作品がそこに展示されているだけでも、これまでとは違った感慨がありましたが、しかしそれらにまったく手を伸ばして取り上げていくお客の姿が見届けられなかったのは、新たな不安となってつきまとい始めたのでした。暫く店内を一周しながら終始レジのあたりの動きを観察するのですが、特に変わった動きは見られません。


出版界での販売の成否ということについては。その判断の基準となるデーターを持っていませんから、その日の動きについてはまったく判断ができません。映像時代のように、放送になればその直後から、その評判が伝わってくるものですが、出版に関しては、まったく静まり返ったままです。いずれ数日経過したところで、編集長に判断を聞いてみるしかありません。しかしその日の収穫としては、私の三番目の妹が電話をかけてきて、勤めている銀座付近の書店で十冊も購入してくれたということですので、その調子だときっと大変な売り上げを記録するのではないかと思ったものです。翌日編集長から電話があった時に、その話をしたのですが彼はその話にはまったく興味を示しませんでした。


 「なぜだ!?」


 たまたま一人の人が10冊も買ってくれたことはいいことですが、その程度のことでは、決してベストセラーになるということは言えないということだったということです。


 どうやら発売した図書の売れ行きの予想は、出版界独特のやり方で行うというのです。


つまり角川書店が指定した書店があって、そこで三日間のうちで何冊売れるかによってその図書のその後の動きが判断できるというのです。角川ではその調査店で行う調査を、「三日統計」「十日間統計」といって、販売の参考にしているというのでした。その調査店での記録はたとえ一冊でもほとんどその後の展開が読めるというのです。編集長A氏は自信を持って答えてくれたのでした。どうしてそのような統計でその図書の売れ行きが判断できるのかまったく信じられません。案の定指定の調査店で二冊の本がはけたのですが、わが「はるかに遠き都よ」は快調な売れ行きは記録となって、短期間に重版を繰り返していったのです。


映像時代にも毎週ビデオリサーチ・ニールセンによる視聴率の結果が出ていましたが、その計器が一般家庭にセットされているという噂は聞いていましたが、果たしてそれがどういう家庭なのかまったく明らかにはなっていません。角川書店が調査店としている書店が、どこの何という書店なのかはまったく秘密にされていて一般的にはまったくそんなものが存在しているということすら知りません。恐らく上層部の人たちだけが、そこでの結果を知って次の戦略を練ることになるのでしょう。もうこうなるとイラストに対する不安も、古代という時代背景についての疑問も、まったく消滅してしまいました。きっとイラストはもちろんですが古代という作品世界についても、結果として受け入れざるを得なくなってしまったのでしょう。たちまち社長から全軍に指示が下されて、「宇宙皇子」に対する支援が決定したのでした。その結果わたしは直ぐに次の話を書くことになり、八月を目指して出版ということになったのでした。また400枚以上の原稿を一か月以内に仕上げて、その準備に入っていったのでした。2巻目である「明日香風よ挽歌を」も、夏休みの商戦で同じような結果が出てきました。角川書店からはここで休んでしまわないで、一気に出版を考えて欲しいという要望が入りました。これまでの多くの作家は、大きなヒットが出せるとそこで次の作品を書かなくなってしまうというのが通例で、そのために折角盛り上がってきた人気の機運を降下させてしまうことが多いというのです。特に営業部からはそうならないで欲しいという要望が出されましたが、私自身も映像から活字の世界へ転身が叶うかどうかの瀬戸際です。一気に勝負を決めてしまおうという決心でいたところです。直ちに第三巻目の「妖かしの道地獄道」の執筆にかかっていったのでした。


                                「宇宙皇子・新書2」1.jpg 「宇宙皇子・新書3」1.jpg


八月の夏休みの商戦も見事に制覇してしまい、その勢いを決定的にするために10月の毎年行われる出版界の秋の商戦である読書週間に備えて出版されましたが、予想通り一巻目、二巻目と積み上げてきた発行部数はうなぎのぼりとなっていきました。まさにベストセラーを連打していったのです。その頃からついに若い読者からは、「月刊宇宙皇子」という異称を生み出してしまうほどになっていました。しかし私自身はそんなことが言われているということもまったく知らずに、夢中で次の作品の準備にかかっていたのでした。


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告知と放談の部屋☆ 放84「果たして売れるかどうか」 [趣味・カルチャー]

  

いのまたむつみさんの起用について、一部不満のある方がいるということを知りましたが、まだまったく無名の彼女ですしこれまで角川新書の表紙を飾ってきた一流のイラストレーターのそれとはまったく異質の画質です。拒否反応が起こっても止むを得ないことですがその彼女を推薦したのは私です。社内に疑問視する声があるということを放置しておくわけにはいきません。やがてその反応は私自身に振りかかってくるからです。あまり不満の声が広がってしまえば、彼女を諦めて別のイラストレーターを選択し直すようにと言われかねませんし、それに不服であれば今回で角川書店では執筆をつづけることもできなくなってしまうかもしれません。


  


はじめてお付き合いする会社であるということでもあるし、現在いろいろな点で注目されている角川書店を根城にして戦場へ飛び出して行こうとしている矢先でのことです。こんなことで出足を削がれてしまったら勢いを失ってしまいます。先ず味方の陣地での問題を解決しておかなくては身動きが取れなくなってしまいます。時代の空気を読むということでは、テレビ作品を作る中でかなり敏感であったこともあって、いのまたむつみさんをイラストレーターとして推薦したのは、時代の先取りをしたのだという自信でもあったのですが、私がやろうとしていることはこれまで角川書店が積み上げてきたブランドイメージを壊してしまうことになるかもしれないのです。


現在俄かに社内にくすぶり始めた問題には危険を感じてしまいます。私は担当の編集長と編集部員たちはもちろんのこと、書店を巡って販売促進をすることになっている営業担当の説得から始めることにしました。出版についてはすでに社長が許可を与えているということもあって、あからさまに疑問についてぶっつけてくることはありませんでしたが、予想通りいのまたむつみさんのイラストが、読者に受け入れられるかどうかは判りませんよと迫ってきました。しかしこれでそのまま彼らのいうことに屈してしまったら、私の確信はまったく否定されてしまうことになってしまいます。


 「彼女のイラストは、時代が要求していると思っているんです。きっと読者はこれからのイラストとして受け入れてくれるはずです」


 経験上の確信について訴えました。


 「そうですかね。テレビと小説の世界は違いますよ」


 なかなか受け入れてくれる気配はありませんでした。


 疑問を持ちつづけていた彼らは、最後までどうしても納得できないといった様子で終始していましたが、頭から否定してくるようなことはなくなってはいました。結局社長の決済が済んでいるということで、今から大きな変更はできないということなのかもしれませんが、それぞれの書店へ販促を行う営業部員の士気に影響が出るのではなかと心配です。もし今回「宇宙皇子」の出版が読者によって受け付けて貰えないようなことになってしまったら、いのまたむつみさんが出版界への転身を試みることに支障が出てきてしまいます。私自身についても彼女の起用に失敗して、そのままおめおめと映像界へ戻るなどということは出来そうもありません。今は先日の角川春樹社長の出版についての好意が唯一の支えでした。それだからと言ってそれがすべての保証であるはずがないということぐらいは判っています。時代が求めているというものがどんなものなのか、感覚的にかなり自信を持って勝負に出たはずだったのですが、冷静になって考えていると、いつか不安になってきてしまうのでした。                                         「宇宙皇子時計」1.jpg


                                    (キャンペンに使われた時計)


  この頃ほとんど出版界では登場していなかった古代という時代を背景にした企画を出すことにしたのはかなり冒険でしたが、放送界では所謂SF的な作品が作られ過ぎたために、視聴者はみな食傷気味になっています。それを実感していましたから、そのSF的な要素を日本歴史の古代を支配していた超能力という術者に託してみたのです。おもいきり楽しむ世界の背景を変えてみたのです。確かにかなり挑戦的な試みではあったかもしれませんが、角川書店では私の意図を受け止めてくれて、A編集長にはいくつもの編集会議を突破してくれましたし、最終的にそれを面白がって受け止めて下さった社長の英断にも感心いたしました。


 あれこれとややこしい問題はありますが、結局は問題の「宇宙皇子」という作品が売れるかどうかということでしかないということになりました。今回は文庫でなく新書版という成人用を狙った判型の希望を入れて下さったことも問題かもしれません。果たして私の狙ったさまざまな大冒険は成功するのか、はたまた大失敗ということになってしまうのか、発売が近づくに従ってその売れ方については不安ばかりが高まっていったのでした。


 映像時代ではさまざまな番組のメインライターを指示されることが多かったために、毎週出て来る視聴率調査の結果については、大変興味を持ってみるようにしていたことを思い出します。公にはほとんど気にしないということを発言する人がかなりいますが、聴取者の反応次第で番組の行方を決定的にするのです。絶対に無視することは出来ない問題です。気にならないというのは嘘です。しかしそうかといっても、仮に思ったほどいい結果が出なくても脚本家が責任を取らなくてはならないということはありませんでしたが、今回はそんな状態で鷹揚に放置されることはなさそうです。結果次第によっては出版社の経営に影響を及ぼしてしまうことになるかもしれません。当然それを書いた作家自身のこれからの作業にも影響が及んできてしまいます。


 「売れるかどうかなどということは無視だ」


 とてもそんな呑気なことはいってはいられないはずです。


 今回は見えない視聴者を対象にした映像の世界から、出版という見えない読者を対象にした世界にかかわることになりましたが、売れなくてもまったく作家にその責任がのしかかるということはありませんとは言っていられません。まったく読者の共感が得られずに出版社の経営を危うくするような結果になってしまったら、その影響は直ちに作品を生んだ作家自身に降りかかってきます。作家の生活を支えることになる印税が入ってこなくなってしまいます。放送局のように規模が大きい出版社ではありませんから、そんな失敗作品を次々とだすようになってしまったら、会社の存続にもかかわってきて来てしまいます。噂によれば、そうした失敗作品を生んだ編集者はそれらの失敗作品を処理してしまう断裁所へ呼び出されて、制作した図書を目の前で無残にも裁断されていくのを見つめなくてはならないという、残酷な処置を目撃しなくてはならないことになるといいます。売れない本を倉庫に仕舞っておくなどという余裕はなくなっているのです。倉庫に保存していると、それらはすべて財産となってしまって税金の対象になってしまうからです。もしそんな作品ばかり作るようなことになれば、編集者として生き残ることもできなくなってしまいますが、それを書いた作家も執筆する機会は次第になくなってしまうでしょう。出版という異世界に突入した途端に、あまりにも映像時代とは違った厳しさを知って、次第に緊張感は高まってしまうのでした。


 そんな日を何日味わったのだろうか。


 私にとっては将来を決する運命の日は、刻々と近づいてきていたのでした。 


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告知と放談の部屋☆ 告10「GWを前にして・・・」 [趣味・カルチャー]

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今週28日の日曜日は4月最後のブログ更新日ですが、同じ週の29日には昭和の日のために休日があり、つづいて5月2日の日曜日はGWの最中の日曜日の更新日ですので、今回は4月28日、5月2日のブログを纏めて更新させて頂きます。


 お楽しみ頂ければ幸いです。


 今回はコロナ禍との我慢強さの戦いです。どうか充分に用心なさって頑張って下さい。


 


                                  藤川桂介


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告知と放談の部屋☆ 放82「いのまたむつみさんの危機!」 [趣味・カルチャー]

  

 わずか一、二か月の間のことでしたが、やがてイラストの入った表紙の見本が届けられて、いよいよ戦闘の火ぶたが切られる準備が整ったと思いました。


私の書いたあの原稿から、いのまたむつみさんも出版界という不慣れな世界への参入をすることになったのです。しかし今回のような思いを表紙のイラストとして新書版を飾ることは、業界でも異色のことであったに違いありません。


私はこの表紙にまったく不満はありませんでした。


これまでの彼女の仕事といえば、テレビの「プロレス3四郎」と「ウインダリア」での仕事だけですから、現代的なタッチで描かれた作品ばかりですから、日本の古代史の中に登場して活躍する少年や、その仲間となる人物たちを書き分けられるだろうかと、多少心配になることもあるにはあったのですが、私はこの表紙にまったく不満はありませんでしたし、恐らくこれからの時代ではきっとこうした若い人の繰り出すイラストの世界が中心になるという思いでいました。


カナメプロの社長から聞いた、いのまたむつみさんがアニメーションの世界から引退したいという思いは消えてきたかも知れません。私も彼女がもっと活躍する場が広げられるのではないかと満足感を覚えていたのでした。しかしそれはあくまでも長いこと映像の世界で仕事をしてきた者の感想であって、まったく出版界の空気を無視した勝手な感想であったのでした。それだけに「宇宙皇子」は無事に出版されることになるのかどうか、まだ大変不安な状態ではあったのです。


                      「プラレス3四郎・DVD1」1.jpg 「ウインダリアビデオ」1.jpg 「宇宙皇子・新書1」1.jpg


それは間もなく角川書店の内部から始まったのですが、私が作品のイラストレイターに起用したいと推薦した、いのまたむつみさんのイラストについてある部署からくすぶり始めた問題があったのです。恐らく出版の戦略を協議する会議の中で、成人を対象にした新書版を発売してきた角川書店です。スタートの森村誠一氏の「人間の証明」は映画の公開と同時であったということもあって、大変な評判になって好調な売れ行きを示しましたが、それらの表紙を飾っていたのは、当時の第一人者と言わるイラストレーターであったのです。角川から発売されてきた新書版の小説の表紙は、殆どその人が書いているイラストが使われていたのです。新書版の表紙のイラストは当時の一流の方の描く表紙絵で埋まっていたといってもいいでしょう。そんなところへ突然アニメーション畑のいのまたむつみさんのイラストが、「宇宙皇子」の表紙を飾ることになったのです。それはこれまでの雰囲気とあまりにも違いすぎます。出版の準備が進められていくうちに、どこかの部署から持ち上がってきた野でしょう。


 「こんな絵でいいのか」


 恐らく拒否反応を示したのは、営業担当からであったかも知れません。さまざまな書店周りをして営業展開に動き出したところ、これまでの新書版のあまりにも雰囲気と違い過ぎて、書店からでも疑問に近い言葉が投げかけられたのかもしれません。確かにまだいのまたむつみさんは無名に近い存在です。同じころに小説のイラストを描くといっても、アニメーターの描く表紙絵はかなり格下の本の表紙に限られていました。営業に走り回る者にとってはかなり面倒な本を売ることになるわけで、当然ですが会議の席上で問題提起をしてきたに違いありません。そんなところへ予想もしないいのまたさんのイラストが登場したのです。びっくりするのも当然です。というよりは拒絶反応を起こしてしまったのかもしれません。成人読者を狙って作った新書という判型なのに、これまでやってきた販売足品に水を注すことにならないかということです。一気にこれは問題だということになって、彼女は外されてしまうことになりそう出合ったのです。少なくとも私は、彼女の実力を評価したからこそ自分の記念すべき角川書店での勝負作品に、登場して貰うことにしたのです。簡単に社内の空気が否定的だとはいっても、そんな空気に圧されて彼女をひっこめるようなことはできません。


 「今にこうしたイラストが、読者から歓迎される時代が来るはずです」


 必死で編集の上層部に、営業の上層部に訴えていったのです。


 角川春樹社長の現在行っている戦略から、かなり革新的なものを感じていた私は、それに期待して、いのまたむつみさんの援護を訴えたのでした。


 その頃のいのまたむつみさんが、プロダクションの中でどんな立場にあったのかということについては殆ど知りませんでしたが、「プラレス3四郎」から「ウインダリア」の作画で一生懸命に協力してくれていましたので、私は兎に角「宇宙皇子」で一気に彼女がスタートなってくれるのを願いつづけていましたが、有難かったのは、その時私を後押ししてくれたのが若い新人編集者たちでした。


 私は時代の空気がきっとこうしたイラストを受け入れる状態になりつつあると判断していましたので、遠慮もなく自説を強引に訴えていったのです。もしそれが叶わないような事態になってしまったら、作家として角川書店での仕事をすることは出来なくなるでしょう。何日か前に社長と大変いい出会いをしたところでしたが、思わずイラスト問題で、大変緊張させられることになってしまったのでした。


原稿を渡してから発売予定の6月まで三か月しかないというわずかな時間の流れの中で、さまざまな体験をしたものです。確かに角川書店は、これまで作家としての地位を確立していらっしゃる実力者たちの小説を出版してきたところです。恐らくそうした編集部あたりからくすぶり始めた問題だったのかも知れません。それまではそれらの問題提起に対しては編集担当の編集長A氏が、立ち向かっていたのですがついにそれだけではすまない勢いになってきてしまい、私も動員されて営業担当の部長を始め上層部に対して、いのまたむつみを起用した意味について、思うことを力説することになったのでした。まだまだこの世界ではまったくの新人でしかない私は、まるで実績を誇る作家のような自信で訴え続けました。時代はこうしたイラストを求めてきていることに気付かずにいる編集部に危険を感じると、これまでテレビの最前線戦で掴んでいた、時代の要求している感性ということについての感想を訴えつづけたのでした。


「これからは絶対にこうした感性のイラストが尊重される時代になるはずです」


私はかなり自信を持って説明したつもりですが、かなり大胆で、危険を伴う発言をしていたものです。しかしその日の会議から、ようやくイラストについての疑問をいう社員はみあたらなくなりました。会議の様子について新人の編集者で、「宇宙皇子」の担当として決まったS君、Y君、T君といった若者たちは、私の力説したことについて賛同してくれ、上層部の考える時代の捉え方とはまったく違った発想をする私についてきてくれるようになったのでした。


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告知と放談の部屋☆ 放81「角川社長と対面」 [趣味・カルチャー]

  

このところの話は、宇宙皇子の一巻目である「はるかに遠き都よ」の原稿を渡してから発売されるまでの三か月間のお話です。結構新しい生活が始まったために、一日一日細かなことで、何が、いつ起こったのかきちんと仕分けしてお話することがでそうもありません。みなさんには大体その頃こんなことがあったのだなと思って読んで頂ければ有難いと思います。


長い映像の世界での生活から、これまで遠くからしか見ていなかった小説という異世界へ、ある日突然飛び込むことになってしまったので、多少は準備をしつつあったとはいっても、いよいよ正式に仕掛かることになると、これまでとは大分違ったことを体験しなくてはならなくなりました。しかし実際に仕掛かったあたりからは、やはり原稿用紙に向かう気持から変わってきていました。大体これまで使っていた200字詰めの原稿用紙から400字詰めのものに変わりましたので、それと向き合う気分も変わりました。当初はあまり落ち着いた気分にはなれないでいましたが、一枚一枚執筆しつづけていくうちにかなり落ち着いた雰囲気に慣れていきました。


そんなある日のことです。A編集長から社長が会いたいといっているという連絡が入りました。世間的にはその評価はいろいろでしたが、このところ角川春樹社長の独特な生き方がさまざまなメデイアで取り上げられています。一度はお会いしたいと思う青年社長はありました。小説の発売と同時にそれを映画化したものを公開して、その相乗効果でかなりの成果を上げています。森村誠一氏の「人間の証明」という小説の営業展開がかなり派手であったことから、何かにつけて注目を浴びていらっしゃる存在でした。私はこの機会に、「宇宙皇子」という作品で何がしたいのかということを説明して、理解して頂こうと考えました。


目下社長が取り組んでいる作品はかなり現代的なものが中心になってはいるのですが、一方では日本の古代文化への関心も高くて、わざわざ古代の葦船のようなものを作って、同志たちと共に韓国を目指して九州から漕ぎ渡ろうとしていることがマスコミで騒がれていたりしていましたから、いつかで会ってみたいと思っていたところでした。


本社の編集室の奥にある社長室へ案内されましたが、精悍な姿の社長は大変気持ちよく迎えて下さると、特別気張ったところもなく実に気さくに話しかけられたのでした。


多少緊張気味であった私もすっかり解放されて対坐することができたのでした。


 どうやら社長はすでに私の原稿に目を通していらっしゃったようで、いきなり古代という時代についての興味を示されてこられたので、私もすっかり気を許して話し始めました。前述しましたが、当時社長は話題の多い方で古代に関しての関心があるということはさまざまな雑誌で紹介されていましたから、「宇宙皇子」に関してはどんな反応をされるのかとかなり緊張しておりましたが、初対面にしては珍しいくらいに通い合うものを感じる安心感が生まれました。実に通常の対話をするような雰囲気で、気持ちの交歓をすることができたのでした。


私は出版を前にして、「宇宙皇子」の発想の原点となったのはどんなことは始まりであったのかということについて話し始めました。日本の古典である「今昔物語」と西欧のダンテが書いた「神曲」という音楽劇三冊の話です。


             「日本古典文学大系・今昔物語」1.jpg 「神曲・煉獄編」1.jpg 「神曲・地獄編」1.jpg 「神曲・天国編」1.jpg


神の子として生まれた少年が、壬申の乱に駆り出されて戦死してしまった父に代わって、悲惨な暮らしに耐えながら暮らしている農民たちのために、権力を振るって支配する高貴な人々への挑戦を始めるのですが、小子辺(ちいさこべ)・・・宇宙皇子今昔物語に描かれている超能力者である役行者を師として仰ぎ、やがて不動明王に化身して苦界の現世から極楽浄土の来世までのさまざ異世界を経験しながら再び苦界の地上へ戻ってきて、庶民のために活躍するという、長年温めていた構想熱っぽく説明したのです。


 「神曲」では煉獄に生きる者の姿、地獄に生きる者の姿を描きながら、最後に楽園である天国に生きる者の至上の姿を描いて終わるのですが、私はこれとは違った構想を組み立てているのだと説明をしたのです。つまり苦悩する農民のために、宇宙皇子自身が不動明王の化身となって苦界といわれる現世から旅立ち、地獄・煉獄を知りながらやがて楽園である極楽浄土の天国へたどり着くのですが、人間にとって至上の世界を知ったところで再び苦界の地上へ突き落され、庶民のために働くようになるという話になるのですと説明したのです。


社長は笑顔で頷きながら大変乗って下さいましたが、「それでは大変な数の本を書かなくてはなりませんよ」とおっしゃるのです。


私はかつて集英社と出版の話をした時、すべて三冊で終わって欲しいといわれた経験があったことから、多少遠慮しながら「それぞれ異世界を辿るので10巻は必要になりそうなのです」と答えたのです。


ところがそれに対して社長は、「そんな数にこだわる必要はありません。書きたいだけ書けばいいんです」とおっしゃるのです。


あまりにも鷹揚な受け止めかをされたのでびっくりしましたが、あまりの嬉しさに私は、「ひょっとすると50巻ぐらいになるかも知れません」


思わず考えていた勝手な構想を、ぶちまけてしまったのでした。


すると社長は直ぐに、「もし50巻を一巻でも超えることがあったら、100巻ですよ」


釘をさすようにおっしゃるのです。ところが社長はとても冗談とはいえない真顔になって答えられたのでした。


 初対面で確認し合うべきことがすべて話し合えたことも満足しましたが、兎に角どんな話になっても、「頑張って下さい」と励まして下さって、初対面を終えたのでした。


 少なくとも社長とは気持ちの交流が生まれたように思いましたし、今回の出版にはかなり興味を持って下さったように思えました。


 兎に角遠慮気味に言った出版の冊数に対しても、そんなことにこだわらずに書きたいだけ書いて下さいという、思いがけない返答をされたのにはびっくりいたしましたが、


かつて集英社と出版の話になった時に、売れ残りを出さないようにという慎重さで、原則的には三冊で簡潔して下さいという姿勢を崩しませんでした。それで結局「宇宙皇子」の企画は排除されてしまったのでした。しかし集英社はこうした堅実な方針を貫いて会社を守っていたのでしょう。それにしても角川書店の鷹揚な受け止め方には、これから勝負をしたいと思っている作家にとっては、期待と意欲を一気に掻き立てられる体質を持った会社であったと思いました。私はこの日の対面によってますます執筆の意欲に点火されましたが、私のやりたい世界に興味を持って下さったのか、この日を境に社長とは思いがけない親交が始まったのでした。


私はいよいよこれから先は執筆をつづけていくことが保証されたという安心感で、作品世界に没頭していけるようになったのでした。


 


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思い出作品の部屋☆ 思7 「出版までの一歩一歩」 [趣味・カルチャー]

  

出版界での作業のあり方にまったく不慣れであったことから、いろいろと困惑することが多いのですが、これまでとは違った異世界での作業です。これからも暫くは恥ずかしながら失敗を重ねることがあろうかとも思います。思えば初めて集英社で「青い鳥」を書いた時のことです。すでにかなり前にブログで紹介したことがあったと思うのですが、「宇宙戦艦ヤマト」であまりにも無理をした作業をさせられていたために、それから時を経ずに書き出したことが原因で、脱稿間近にして胃潰瘍になってしまったことがあったのです。あと100枚というところで激しい腹痛に悩まされてまったく書けなくなってしまい、慌てて出版を延期にして欲しいと申し出たのですが、懇願する私に編集長は「苦しいでしょうが何とか書き上げてくれませんか」といって、延期を懇願する私の申し入れを承諾してくれません。もう原稿が上ると判断して、その後の作業をさまざまな担当の部署に手配をすませてしまっているというのです。もしここで出版が延期となった時は、かなり多くの人の作業がなくなってしまうばかりか作業費を受け取ることもできなくなってしまうというのです。とうとう編集長の必死な懇願に負けて、近くの病院で特殊な治療薬を注射しながら、何とかそのピンチを乗り越えたことがありました。ひょっとするとあの時のことも、実は編集長のお芝居であったのかもしれません。どうも恥ずかしい第一歩のお話をすることになりました。


 お話を本来の予定に戻します。


 1980年を過ぎる頃からは、それまであまり宇宙を舞台にした所謂SFアクションといえる作品が作られ過ぎたために、脚本を書いていた私ですら少々食傷気味になってしまっていたくらいで、何か毛色の変わった作品と巡り合いたいと思い始めた頃のことでした。それで「宇宙皇子(うつのみこ)」の原点となる発想をし始めたのです。テレビ界全体が勢いを失ってしまって、新たな転機を模索している時のことですが、それに拍車をかけたのは「脚本家も四十歳を越えた人はいらない」などと、かなり挑戦的なことを発言した某局のプロデウサーが現われたこともありました。時代の変化が進みつつあることを実感させられたのですが、彼はさまざまな映像関係者から非難されて、現場の視界からは見えないところへ移されてしまいました。ちょうどこの頃問題の四十代を迎えていた私は、彼の発言に反発を感じながらも、物書きとして生き残っていくために何をしなければならないかということを考えるようになったのです。その結果若い頃夢に見たこともあった、将来は作家となって作業をしつづける時が来たのではないかと思い始めたのです。かつてドラマからアニメーションへと転身した時もそうでしたが、時代の流れが私をその方向へと押しやったといっていいでしょう。放送界の流れが大きく変わっていく流れが、今度は私を活字の方向へと押し流し始めていたのです。


 「宇宙戦艦ヤマト」の超ヒットの影響で、テレビのアニメーションはほとんど宇宙ものになってしまったために、脚本を書く者にとっても楽しみがなくなってしまいましたし、それを見る視聴者も不満が蓄積していったのでしょう。アニメーションだけでなく放送という事業そのものが危機的な状況になっていってしまったのです。時代が転換を求めてきていたのでしょう。それに応えようとして生み出したのが「六神合体ゴッドマーズ」という作品だったのです。番組は大変人気を得たのですが、実は私が次第に小説の「宇宙皇子」執筆に傾いていったのもその頃からのことだったのです。幸いなことにこれまでの脚本家としての実績を積み重ねてきましたし、ヒット作品もかなりありましたので、私を支えて下さるファンの存在も後押ししてくれました。大変不安はありましたが、いよいよ小説で勝負する時がやってきたのかも知れません。しかしそう思ったからと言ってすぐに転身できるわけがありません。それが具体的に小説として出版されることになったのは実に八年後のことだったのです。その間に新聞で絵物語として毎日曜日に連載という話があったりしましたが、それでは私の考えている物語のスケールではとても書ききれません。一回で書ける分量ではとても一年間の52回という回数では書ききれそうもないと判断しましたので、残念ながらそのお話はお断りせざるを得なくなってしまいました。その後には集英社からも企画の依頼があった野ですが、「宇宙皇子」とSFファンタジー作品の二つの作品の企画を持って行ったところ、結局選ばれたのはSF作品の方で「宇宙皇子」は採用に至りませんでした。間もなく誕生したのは「新銀河創世記伝」の「聖戦士キリー」という作品でした。やってみようという本人の希望は、さまざまな理由で採用されずに、あまり希望してはいない方向へ向かわされてしまうのでした。多少の救いといえば、この時は異色のイラストレイターである若菜等氏との出会いがあったことぐらいだったでしょうか。その後も小説や絵物語を書くお話はあちこちからあったものの、その度になぜかいろいろな条件が揃わなくて実現しませんでした。


もう「宇宙皇子」を実現することはできないのではないかと、絶望的な気分になりかかっていったのですが、しかしそれでもなぜか諦めきることは出来ずに、思いつくアイデアや、歴史的な発見などを書き止めていくようにはしていました。例えば役小角などはかなり年配者でありましたから、若い人に読んで貰う作品としてはちょっと問題になりそうでしたので、物語の中心人物としては若者を設定しておく必要があるということを決めたりして、その作品の方向付けについての研究をしたりしながら、作品に血肉をつけていくのに費やしました。そしてその企画が取り上げて貰える時を、根気よく待ちつづける状態になっていたのです。


もう駄目かと諦めかかっていた時のことでした。


きっかけを持って来てくれたのが少年画報社の編集者で、「銀河鉄道999」などを担当していたS氏でした。私とも雑誌の原稿執筆でかなり関係があったのですが、たまたま打ち合わせをしているうちに、彼が角川書店のアニメーションにも関係していたことから小説の話になり、すでにブログで紹介した通り「角川で書いてみませんか」という話に発展したのです。


思わぬことで私はA編集長と出会うことになったのでした。


直ちに長年温めていた「宇宙皇子」の企画を出してみたのです。まさに縁というものですね。これまであれこれと事情があって実現しないものが、とんとん拍子で話が進み、会社での会議でも編集長の努力のお陰で何とか出版に向って走り出せたのです。


兎に角私はこれまで映像の世界に長く留まっていたこともあって、ほとんど出版界での暮らし方ということについては、その実像についてはほとんど知らないといっていい状態です。私が原稿を渡した時から、これまでまったく知らない人々があの本にかかわって動き出していて、その分予想もしないことが持ち上り始めたのでした。


 アニメーションなどという、まったく異世界から参入してくる者への拒否感があったのかも知れませんが、時代の変化ということもあったのかも知れません。新たな物を求める流れは、じょじょに出版にも浸透し始めていたに違いありません。しかしこれまで映画界と同じで長い歴史を積み上げてきている出版界です。かなり変化しつつあるとはいっても、その態勢はかなりの岩盤が存在しています。どうやら私はまたそういった流れからははじかれそうになりながら、頑張らなくてはならないと決心していたのでした。


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