SSブログ

言霊謎解きの部屋☆ 言31「ひとくち言霊」(白鳥) [趣味・カルチャー]

 

                                                                                                                           「若菜イラスト」.JPG

  白鳥といえば、幼いころから、童話の世界で、美しい存在として捉えられて、物語になっていますが、やはりそれだけ目立つ存在であったのでしょうね。芸術の世界でも、白鳥と言えば、すぐにバレーの「白鳥の湖」を思い出してしまうほどよく知られ、親しまれてきています。それだけ古代からそれは、人びとに大変大きな存在感を持っていたのだということもいえます。

皇居の堀にもいますし、清浄な場に相応しい存在ですね。


多分、その美しい姿から考えられたのでしょうが、それは冥界と現世をつなぐ存在だという認識だったようです。誰もが知っていると思うのですが、古代の英雄であるヤマトタケル命が、山へ分け入った時に、魔除けのヒレを身につけていなかったのが原因で妖魔に襲われて命を失ってしまうという話が伝えられていますが、その時亡くなったヤマトタケル命は、白鳥になって飛び去ったといわれています。つまり彼の魂は白鳥となって冥界へ飛び去ったということなのですが、つい最近の新聞報道によりますと、そうした古代の認識を実証するようなことが伝えられています。


奈良時代に編集された常陸国風土記の中にも、鹿島郡白鳥郷のところに白鳥が舞い降りて昼間は少女となって堤を築き、夜は白鳥となって天に帰るという伝説が出ているのだそうですが、千葉県の佐倉市にある高岡新山遺跡から出て来た八世紀の後半の骨壷から、人骨と一緒にハクチョウの翼の骨が入っていたという新聞の報道がありました。


これは冥界と現世をつなぐ存在として、白鳥を捉えている話だと思うのです。通常ハクチョウの骨と人骨が一緒に入っているということは、とても珍しい記録ですが、当時、ハクチョウが冥界と現世をつなぐ存在であると捉えられていた例証のようなものです。そのころの人びとにとってはやはり清浄な姿として捉えられていたのですね。しかし魂が美しい白鳥となって天国へ向かうなどということは、何とも幻想的でロマンチィックな光景ではありませんか。 

nice!(0)  コメント(0) 

告知と放談の部屋☆ 放89「井戸は最初に掘った人のもの」 [趣味・カルチャー]

                         「宇宙皇子・新書7」1.jpg 「宇宙皇子・新書8」1.jpg 「宇宙皇子・新書9」1.jpg 「宇宙皇子・新書10」1.jpg

  

今回は1985年に発売された第七巻「まほろばに熱き(わだち)を」第八巻「愛しき太陽(てだ)に死す」第九巻「さらば夢狩人たち」第十巻「愛、果てしなき飛翔」という宇宙皇子シリーズの地上編という締めくくりに関係する後半の四冊にまつわる話を書きたいと思います。それにしても前年の1984年に始まった「宇宙皇子」は、わずか二年の間に10冊もの作品を書ききってしまうという驚異的な勢いが、出版界に及ぼした影響についてのお話です。


この間に出版界はびっくりするようなさま変わりをしてきていたからです。これまでほとんど現代物の作品が中心であったそれぞれの出版社の刊行物が、雑誌を含めてほとんど古代物中心に変わってきてしまってきたということです。


明らかに「宇宙皇子」の勢いが止まるどころか、ますます勢いづいて行くからです。


 かつてテレビで番組を書いている頃は、「宇宙戦艦ヤマト」が大当たりした影響を受けて、それから後登場する番組には、宇宙を舞台にしたものが中心になってしまったことがありました。視聴者の支持が得られるということになると、どのテレビ局もみなそろって宇宙もののSF作品になってしまったことがありました。どこかの局でそういった流に抵抗して独自色を出した別の作品を放送するようなところはないものかと、随分熱望したことがありました。しかしそれはほとんど駄目でした。依頼のくる話は、くる話もくる話も全て宇宙ものでした。昨今の出版界を見ると、まるであの頃の放送界とそっくりではありませんか。


これは間違いなく私が古代物でベストセラーを連発していることがきっかけで、読者の指示を受けて大騒ぎになっていることが影響したことが原因であることは間違いがありませんが、どこもここも同じ古代物ばかりでは、きっと飽きられてその反動が襲いかかってくるものです。作家まで現代物から突然歴史ものを書き出すありさまで、いささか嫌になってきていました。少しは違った話に挑戦できないものかと考えていた頃のことでした。私を担当する三代目の「野性時代」の編集者となったY氏が、拙宅へきて雑談中に現在の出版界についての不満を話し出した時、彼は思いがけないことを言って気にするなというのです。


彼はお兄さんが著名な占い師であった人でしたが、特別その人との影響を受けるわけでもない自由人で、編集者ではありましたが大変苦労人でした。日本酒の好きな人でしたので、彼が打ち合わせに来る時には様々な出版社から送られてきた日本の銘酒を保存しておいて、それを楽しんで貰うことにしていたのですが、彼は毎回一升すべてを飲み干して帰るようになっていましたので、ついには拙宅に隠匿していた数々の銘酒はすべてこの酒豪によって飲み干されてしまったくらいでした。それは何といっても彼のキャリヤが言わせるのかもしれませんが、時々業界にまだ馴染んでいない私に向って、思いがけないアドバイスをしてくれるようになったのです。


昨今の出版界のさま変わりについて訴えると、彼ははっきりとした口調で言い切るのです。


 「井戸は最初に掘った人のものですよ」


流石に年季を積んでいる編集長としての名言でした。


みんな同じような古代歴史ロマンを手がけて出版はしますが、それで評判になるものはほとんどありません。確かに「宇宙皇子」の独走状態でした。


営業担当の社員から入った情報によると、書く書店は東販、日販という問屋から送られてくる新刊本の箱も、私と赤川次郎さんの本が入っていないと、開封もしないで返してしまうということが起こっているということです。そのお陰で私は、毎月出版できる態勢で原稿を執筆しなくてはならなくなってしまったということになるのですが、それが無理だと感じるようになってしまうようでは、やがて自分で自分の首を絞めてしまうことを世間に知らしめることになってしまうでしょう。


(絶対にそんなみっともない結果だけにはならない)


私はそれからも精一杯頑張るつもりでした。


特に「宇宙皇子」で大ヒットをつづけている最中には、若手編集への嫌がらせ電話を入れては、溜まりつづけているいらいらを解消しようとしていたのでしょうが、Y氏は流石に年季を積んでいた苦労人であったこともあって、さまざまなことで業界に馴れずにいる私を励ましつづけてくれていたのでしょう。珍しい同志でした。彼は何度も強調していたのは誰が流行に乗って慌てて古代物を書いたとしても、決して私の書いている古代物を越える作品は生み出せないということなのです。いささか激しい現状の変化に嫌気を感じている私を、まったく気にすることはないといって励ましてくれたのでした。


それから間もなく彼の報告もあったのでしょうか、連続する作業に対する慰労のためにと、編集部長のO氏が中心となって、かかわる編集たちと共に銀座の高級料理店へ案内して下さった時には、その編集部長からもこんな名言が伝えられました。


「作家はみなそれぞれ看板づくりをして苦闘しているのですが、それを先生はいきなり(金看板)を作ってしまったのです。どうぞ自信を持ってお書き下さい」


という激励でした。


世間のさまざまな商店は、まさにその店先に掲げている看板に対する信頼度が増して、あの店の者なら間違いないといって、通ってくれるお客さんが増えるということと同じようなものだということです。作家もそれぞれ○○○○という名の人が書くものは面白いとか確かだとかいう評価がついて、その売れ行きもある程度は間違いなく消化できるということにもなりますということなのです。確かに私は思いがけない機会を得て、大きなベストセラー作品を送り出すことができてしまった幸運時であったことは間違いありません。


文学界の代表的な賞を頂いた人なのに、なぜか私が書く作品と同じようなタイトルをつけて出版してくる人もいました。


嫌らしいことをする人もいるものだなと思ったりしたものです。


nice!(0)  コメント(0) 

思い出作品の部屋☆ 思10「FC活動始まる」 [趣味・カルチャー]

  

はじめは私のところへファンの一人として訪ねて来た人たちから始まりました。その人達の熱烈な思いを聞いているうちに、その思いを大事にしてあげたいという気持になったこともあって、「宇宙皇子」の推進のために活動して下さっている編集長A氏にして彼らを紹介して、その熱意に応えられないものかと相談したのが始まりでした。女性のグループもいましたし男性のグループもいましたが、やがて編集長は彼らを一つにして、FCという塊となって活動するようにしたのでした。


恐らく1985年・・・つまり「宇宙皇子」が発売された翌年当りであったように思えます。ところがもうその頃には、横浜、名古屋、岡山、福岡にも、そして北海道、四国にもそれぞれ「宇宙皇子」を支持するファンが集まり出して、そのリーダーが生まれていった様子が毎日送られてくるファンレターを見ているうちに、このままにしておくとそれぞれがばらばらに活動するようになってしまって、私のところでは収拾できなくなってしまうと考えて、このそれぞれの地区のFCを一つにして統率していく組織が東京にないととんでもないことになってしまうと編集長に連絡しました。その結果編集長の下に集まった若ものたちが中心になって「宇宙皇子」を統括した組織として、正式に「宇宙皇子」の中心のFCとして形づくられていったのでした。


 その間にどんなことがあったか、途中経過については私にはまったく判りません。兎に角作品を執筆するのが精一杯でしたので、「ここがFCの拠点いなりました」と角川書店の「あすか編集部」の部屋の一角に場を作って頂いて活動し始めたという報告は受けましたが、直ぐには様子を見に行くことができませんでした。


 兎に角ファンクラブの原型は「宇宙皇子」が発売された直後からその動きがあったようなのですが、編集長であるA氏に働きかけて集まってきた人たちをバックアップして上げて欲しいという申入れをしてからは、活動について作家がいちいち指示をしない方がいいという気持でいましたので、編集長へ橋渡しをしたところでその内容に関しては、若い人達の気持ちを尊重して、大人はそれを見守るという形にしたのです。


それから暫くは基礎的なことに関してはどう話し合って固めていったのかは、まったく判りませんが、これからどう進んでいくのかはまったく見当がつきませんでしたが、全国のファンが上手くまとまっていけるようになってくれればいいがと祈るばかりでした。かつてテレビの番組がきっかけとなって、さまざまなファンクラブが結成されていましたし、私が脚本を執筆していた番組のファンクラブも出来ていたことは知っておりましたが、いずれにしてもそれらはあくまでもファンの間で思いの通い合う人たちが結集して、愛する番組を後押ししてくれるようになっていたように思いますし、あの「ゴットマーズ」のように、ファンの熱意を結集して映画まで制作させてしまほどの力を発揮したことさえもありましたが、確かにどのグループもばらばらで点在しているといった状態です。我がファングラブは千代田区富士見2-13-3にあった角川本社ビル、旧角川本社ビル別館にあった「あすか」編集部の一角の狭い部屋に長い作業台を置いたところが最初の拠点になりましたが、楽しみながらその方向付けのために、喧々諤々の議論を重ねながら次第にファンクラブの形を整えていきました。「宇宙皇子」が三巻までの出版が終わった頃には、ファンクラブの中心になる人たちのメンバーも固まり始めましたのと、ファンクラブに入りたいという希望が寄せられてくることが増えてきたことから、かかわったすべての方の紹介はできませんが、その後のことも含めて最後までまとめていってくれたのは、会長を務めてくれたY・N君。主力メンバーの二人のT・S君。T・Nの君。そしてY・Oさんその他数名の女性群人です。すべて写真を載せて紹介したかったのですが、もう今は社会人としてそれぞれの分野で活躍していますので、プライバシーを尊重して写真は省くことにいたしました。


                                  「FC会員手帳」1.jpg


会員証も決まったということもあり、その会員となった人たちを繋ぎ止めていくもとして、会報を作る作業が進み、そのタイトルも「鬼笛伝説」となりました。何とかその体裁を整えて、会員から寄せられたさまざまな投書を選択して編集したりして、何とか会報の0号を完成することができたのですが、私はその途中経過の報告は聞いてはいましたが、常に訪ねていくということは作品の執筆に追われていましたのでほとんど自由になりませんでした。それでも作業の合間に楽しんで貰おうと茶菓子などを差し入れしていましたが、FCに関しては何かにつけて私たちがあれこれと指示をしないで、若い人たちの知恵を絞り合って運営していく方がいいと考えて静観していました。私も相変わらず原稿執筆に追われていたのですが、それでも彼らの様子が知りたくてたまには差し入れの果物を持ってFCのたまり場という編集室を尋ねることがありました。兎に角彼らは狭いところで頑張ってくれていました。ただ折角宇宙皇子というヒーローが生まれたのですから、そのヒーローが駆け巡る飛鳥という歴史舞台を、ファンもヒーローと同じように体験してみる旅行でもできるようになるといいなというようなことを提案したことがありました。それがやがてファンクラブの会報となって、会員を正式に募集するのと同時に、「鬼笛伝説」の0号となった会報に「追体験ツアー」という誘いとなって掲載されることになったのでした。


二つ目のFC拠点になったのは、靖国神社横のアスカ編集部内の部屋で、ここでは会員証が生まれたりしましたが、さまざまな準備が整えられ、会報もついに正式な第一号が発行されるようになったのでした。


                            「会報・鬼笛伝説0号」1.jpg 「会報・追体験ツアー参加募集」1.jpg


ツアーを間違いなく運営してくれるところとして、角川書店の中にあった「角川ツアーズ」というところが協力してくれるようになったことが判りましたので、私もその運営に関して安堵いたしました。


 この頃からは、さまざまな事務的な作業も多くなってしまいましたので、間もなく始まることになるまったく予測のつかない「体験ツアー」の準備にかからなくてはならなくなってしまったのでした。


やがて三つ目のFCの拠点へと移転することになるのですが、それはもう一寸先の話になります。それまでは日本全国から寄せられる会員となる申請を整理しながら、慌ただしく活動していったのでした。そのへんのお話は、また別の機会にいたしますね。


nice!(0)  コメント(0) 

言霊謎解きの部屋☆ 言30「ひとくち言霊」(国の魂) [趣味・カルチャー]

                                                                                                                            「若菜イラスト」.JPG    

   超古代の話になりますが、日本は天上の神々の世界から追放された須佐男命の孫に当たる大国主命(おおくにぬしのみこと)が中心となって、黄泉の国が存在する出雲に君臨していました。彼らは主に先祖の霊を祭るということを大事な務めとしていたのですが、天上界はかつて須佐男命と戦って勝ったこのあるという者に、その出雲を統治させようとしたのです。それを大国主命は拒否したのです

。天上界の天津神(あまつかみ)と地上界の国津(くにつ)神々(かみがみ)との戦いが起こってしまいました。しかし結局は、天上側の勝利に終ってしまい、所謂国譲りをしなくてはならなくなってしまったのです。


このあたりの経緯については、「古事記」等をお読み頂くといいと思うのですが、やがて天上から降臨してきた神々は、すでに手に入れている「権力」「武力」の他に、統治には欠かせないもう一つの資格である「祭り」という権威をも手中に収めようとしました。


地上の支配を、より確実にするために、これらの三権といわれるものを有効に機能させなくてはなりません。そのために、長らくこの出雲国を中心にして日本を支配してきた、大国主命の魂を封じ籠めることにしたのです。彼の魂を封じ込めるということは、絶対に大和朝廷の支配に逆らわないということが必要です。そのためには、どうしても出雲国で大事にしている国の魂を封じ込めてしまうことが必要だったのです。


 神々は大国主命の魂が籠っていると思われる、太刀をはじめ日常的に使われていたものを、大和朝廷の本拠地へ持ち去ってしまったのです。それが飛鳥の天理市にある石上神社(いそのかみじんじゃ)だったのです。


 祭神は魂を活性化したり鎮めたりする布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)ですが、大和朝廷はここに、各国から集めてきたさまざまな国魂を収めて封じ込めたのです。魂を閉じ込める・・・それは恨みで復讐をしないようにという狙いから起こったことに違いありません。当時は国の統治のためには、極めて重要なことでした。ここはそうした魂を、各国・・・今で言う各県を治める支配者を代表としたものが大事にしている魂ともいえるものを、しっかり閉じ込めてあったり、納めてあったりした武器を納めてあったところだったのです。    

nice!(0)  コメント(0) 

告知と放談の部屋☆ 放88「古谷徹さんの純情」 [趣味・カルチャー]

 

これはパーテイの後で上映された時の話ではありません。いよいよ映画「童話めいた戦史 ウインダリア」の公開試写が劇場で行われた時のことです。


 若い女性たちの間で、「約束」を守らなくなっているということが社会的な問題でではないかと話題となっていたことがあったのですが、私はそんな社会状況に一矢報いようとして、アニメーションで若い人たちに問題提起がしたかったのです。最近時代を一巡りして現代でも、同じような問題がマスコミの話題になったことがありました。その人の都合が優先されるという現代的な処理がされるようですが、あなたは約束事を勝手に破られた時、どんな思いになるでしょうか。


そこでもう一度拙作の映画の原典となった、「雨月物語」とそれからヒントを得て書かれた映画の「童話めいた戦史 ウインダリア」話を簡単に紹介しておきます。


          「雨月物語・上田秋成集」1.jpg 「雨月物語・本文」1.jpg


この場合は戦国時代の話なのですが、貧しいながらも仲良く暮らしている農家の若い夫婦なのですが、ある日近くで起こった戦乱がきっかけとなって、若い夫はその戦に加わって功績をあげれば出世して武将にでもなれば、これまでの暮らしとは大替わりして姫君として暮らすことができると・・・。勿論、妻はそんな夢のような話には乗りません。これまで通りに農産物を作って市場へ売りに行って稼ぐわずかな稼ぎで暮らせばいいではないかと窘めるのですが、一度夢を見た青年は野心に燃えて旅立つといって聞きません。若い妻はその時、たとえどんなことがあってもあなたが戻ってくるまでは待っていますというしかありませんでした。


              「ウインダリア設定」1.jpg


この日を境にして貧しい農村で残って夫の帰りを待つ若妻マーリンと、野心に燃えて武将になることを夢みる若者イズーの、それぞれの劇的な日々が始まるのです。


 言うまでもなく何年かの間に二人の運命には大きな変化が刻まれます。


 イズーは戦乱の片方の軍に加わって、出世に出世を重ねて、ついにはその軍の総指揮官ともなるのですが、その頂点に達したところで裏切りに合ってたちまち運命は頂点から突き落とされるように逆転されて、やっとのことで生き延びながらあの愛する妻マーリンの待っている、貧しい村へ戻ろうとするのです。


すでに村は戦乱で荒らされてしまったのか、すっかり昔の姿を失ってしまっていました。これではあの愛するマーリンもとても無事ではいられないだろうと、絶望になりながらやっとのことで村はずれまでやって来ると、イズーの目に飛び込んできたのは、一軒の貧しい農家です。そこからはぽつんと明りさえも漏れています。


大分姿は荒れ果ててはいるのですが、どう見ても我が家ではないか、戦乱に巻き込まれて村はほとんど荒廃してしまっていましたが、


(わずかに我が家は残っている)


イズーは絶望的になっていた気持ちを希望に変えて近づいていきます。


 やがて家に近づいてその小窓から覗くと、何とあの愛するマーリンがいるではありませんか。思わず「マーリン」と叫ぶと入口へ向かうのです。そこへ跳び出して来たのは若妻マーリンでした。二人の若者は、やっとのことで数年ぶりに抱き合ったのでした。


 マーリンは疲れはてて返ってきたイズーを抱えながら、暖炉の火の方話へ連れてくるのです。


 イズーはこれまで野望を夢見て出て行ったけれども、結局その夢は手に入れられた途端に裏切られることになり、追われ追われて生きるか死ぬかの瀬戸際でやっと必死で戻ってきたのだと訴えるのです。ところがそこへ駆けつけてきたのはやっと生き残ってきた村人でした。彼らは誰もいない暖炉の前で、必死で姿のないマーリンに向って謝罪するイズーに呼びかけます。


 「お前は誰に話をしているのか!?」


 はじめて正気に戻ったイズーはそこにはマーリンの姿などないことに気が付くのです。


 村人は呆然とする彼に、マーリンは戦乱の中で非業の死を遂げてしまったというのです。間もなく死霊を集めにくる幽霊船がやって来るといいます。


 イズーの帰りを必ず待っているという約束を果たしたマーリンは、死霊となっても彼を待ちつづけていたのです。


 やがてイズーとの約束を果たしたマーリンの死霊は迎えの幽霊船に向って走っていきます。それを必死で追うイズーの叫び日は悲痛です。


 「マーリン!!」


 約束を守ってイズーの帰りを待ちつづけてくれていた、あまりにもけなげなマーリンの思いは、いつまでもいつまでも幽霊船を見送る村人の心に残りつづけるのでした。


 この悲劇を味わった若者のイズーを演じてくれたのが、声優の古谷徹さんです。


 今回そのことをお知らせしたかったのは、映画が公開された時に観客と共に鑑賞して下さったから絵は、試写が終わって劇場の支配人室へ引き上げてきた途端に、そこにはスタッフ、事務室の人々がいるのもかまわずに、大泣きを始めたのです。


 一体何があったのでしょう。


 きっと映画で描かれた、死んでも彼との約束を守ろうとしたマーリンの思いと約束を破って野望に挑んだイズーの姿が、何か古谷さんの実体験の何かを揺さぶったのかもしれません。


 その場にいた私はもちろんのことほとんどの人は、事務机に泣き伏して思いきり泣いている彼を、誰も止めようともせずに、気持ちの治まるのを静かに見守ったのでした。


今でもその時のことを思い出すたびに、彼の優しさ、純な気持ちを思い出して、懐かしく思う今日この頃です。現代でも約束を守らないで平気でいる人がいるということが、マスコミで取り上げられるほどになっていますが、もう一度あの映画のことを思い出して頂きたいと思います。


 制作配給・あいどる カメプロダクション 


 プロデユウサー・長尾聰浩


 原作脚本・藤川桂介


監督・湯山邦彦 演出助手・政木伸一


作画監督キャラ設定・いのまたむつみ 美術監督・勝又激 音響監督・松浦典良 音楽・門倉聰


出演・古谷徹・神田和佳・井上和彦・松井菜桜子・高島雅羅・柴田秀勝・永井一郎・岩本紀昭・斎藤晶・吉田理保子・矢尾一樹


「童話めいた戦史 ウインダリア」


 もう一度アピールしておきたいと思います。


 


 大事なスタッフが沢山いますが、今回は残念ですが割愛させて頂くとにいたしました。


 


nice!(0)  コメント(0) 

アニメと音楽の部屋☆ ア55「放送作家30周年とウインダリア公開」 [趣味・カルチャー]

  

1986年「童話めいた戦史 ウインダリア」公開をまえにして1985年11月29日には、新宿のセンチュリーハイアットで、放送作家30周年の記念パーテイが開かれましたが、これはさまざまな分野からの来客があって大パーテイになりました。


 放送作家としての一つの到達点でした、ある程度やろうとしたことができたという達成感がありましたが、時代の進化によって変化が求められていると判断して、影像の世界から活字の世界へと転換して角川書店で「宇宙皇子」という古代歴史ロマンを発売して、大きなヒットのきっかけを作ったところです。幸いなことに私の親しい大学の先輩が、ここの総支配人であった縁を利用させて頂いて、その会場にさせて頂いたわけです。


                                            「パーテイ挨拶」1.jpg  


殆ど自己資金でのパーテイが目的でしたので、スタッフはもちろんですが、かなり沢山の会社からの寄付もして頂き、「宇宙皇子」の出版をして下さった角川書店からは、副社長の角川歴彦さんを始め、イラストを受け持って下さっているいのまたむつみさん、


フオーク・デユオのダカーポ、歌舞伎俳優の中村又蔵さんが、私が東京下町の出身ということで、お付き合いのある親方以下50人という親しい火消しのみなさんと共に駆けつけて下さって、パーテイに華やかさを添えて下さいましたが、それ以上に嬉しかったのは、小学、中学、高校、大学の親友たち、お仕事関係のみなさんが、大きな会場いっぱいに駆けつけて下さったことです。しかしプライバシーの保護のために、写真で個人の情況が察知できる方々の紹介はしない方がいいと判断して残念ですが省くことにいたしました。


                                              「放送作家30周年のひ・記念升」1.jpg


  手塚治虫先生にもご招待状を出してはあるのですが、何しろ多忙な方で、その日も大阪で所用があるというお返事を頂いていたので、やはりおいで頂くのは無理ではないかと思っておりました。お祝いの鏡割りをして、参加者にはそれぞれ記念にお渡ししましたが、やがてそれが大変なことに役立つことになりました。それはもう暫く時間経過が必要でした。今回は私の企画した放送作家30周年を記念して、それまでの仕事で支援しつづけて下さったさまざまな番組の制作会社やスタッフはもちろんのこと、その一つ一つの作品を支援して頂いたファンのみなさんへの感謝をこめたものにしようとしたのですが、それを知った映画「童話めいた戦史 ウインダリア」のプロデュウサーであるO氏の申し出を受けて、この機会に映画のアピールがさせて貰えないかということに、協力することになりましたが、その日のパーテイの様子をビデオで記録するという約束をしたものの、残念ながらほとんど使い物にならずに失敗してしまいましたので、私の手元に残ったのは親しい後輩たちに依頼しておいたカメラで撮ってくれていた写真だけということになってしまいましたが、この日の雰囲気の高まりはいつまでも私の心の中に残りつづけていますが、残念ながらプライバシーを考慮して、写真は一切削除することにいたしました。


 


                    「ウインダリア原作」1.jpg                                     


          「ウインダリア・小説」1.jpg 「ウインダリア」1.jpg 「ウインダリア・AR台本」1.jpg


  前にこの作品を書くことになったきっかけについてはかなり書きましたが、今回はこのタイトルについて触れておきたいと思います。


 これは当時の総合雑誌として評判であった花森安治編集の「暮らしの手帳」という雑誌に載っていたフランスのセーヌ川を起点にして、富豪を載せて運河づたいに旅をする青年男女のドキュメントの中で、二人は故郷の「ウイリンダリア」という樹木を使って作った船で、いつか今のようにヨーロッパを運河つたいに旅をしたいと夢を話していたのです。


 私はこの二人の若者の夢を託した故郷の樹木に惹かれて、いつかそれを使った作品を書く時に使おうとしていたのですが、それが今回のきっかけとなったのでした。本当は「ウイリンダリア」というのが正式な樹木の名ですが、映画を観た人たちが直ぐに覚えて頂けるようにという配慮から、少しでも簡単な名称にしようと考えて「ウインダリア」としたのです。


ところで余談についてお話をしている間に、問題の手塚治虫先生がほとんど参加不可能と思われたパーテイの終了近くに、「愛は地球を救う」という日本テレビの番組で、先生原作の「プライム・ロ-ズ」の脚本を書いたお礼にといって、大阪での所用があったにも関わらず、帰途を急いでパーテイに間に合うようにと、わざわざセンチュリーハイアットまで駆けつけてきて下さったのでした。写真は割愛いたしました。


 わたしの喜びはもちろんで、約束を果たして下さったことには、本当に感謝の思い出いっぱいでしたが、この時はもっと喜んだのは会場にいたファンたちでした。たちまち先生を囲んで、その日記念に配った記念の「升」にサインをして頂いたようです。


 その角川書店で仕事をする中で、同じ角川で映像関係の仕事をすることで角川春樹社長と会う機会のあった手塚先生は、「宇宙皇子」についてあんな作品は私が書きたかったと仰ったということを、のちに角川社長から聞かされました。


 いろいろな思いの籠った放送作家30周年の記念パーテイは、無事に終了することができましたが、このホテルはその後、私はその四間もある広い日本間で、所謂缶詰め作業で原稿を書くところになったりしたものです。         


nice!(0)  コメント(0) 

告知と放談の部屋☆ 放86 「若い編集者たちの協力」 [趣味・カルチャー]


1984年6月に発売された地上編宇宙皇子の第一巻目である「はるかに遠い都よ」をきっかけにして、半年の間に第二巻目の「妖かしの道地獄道」第三巻の「妖かしの道地獄道」が発売されて、すべて順調な売り上げを記録していきました。若い世代に対する影響力が勢いづいて、これまでにはなかった新しい読者層の掘り起こしをしたようです。


 その頃から角川書店は、A編集長の下に若手の編集として三人の若者をつけてきました。何かと私の手足となるようにということでしたが、これまでの編集スタッフではない体制を作ってきたのです。S君はこれまで他の出版社で人気作家であったN氏のデーターマンとして働いていた経験がありましたので、A編集長のアシストとして、私と直接接触しながら原稿の受け取り役をして、それを次の作業に受け渡す役割を果しながら、私の原稿の進行状態からイラストのいのまたむつみさんに連絡を取りながら、次回出版予定の本のどのあたりにどんなイラストを描いて貰いたいかを注文したりして、出版のためのさまざまなセクションに連絡を取って、その準備をしていく中心的な役割を果すようになりました。


一寸個性的なセンスを発揮しそうな若者であるY君は、 某社において人気の主婦向雑誌の編集長をしている父親を持ちながら、彼は角川書店で修業中という若者でしたが、父親が業界ではかなり著名な方であったことから、どうしても父親とは気質が折り合わないというので、独自の世界を築きたいと思っている意欲的な青年でしたが、もう一人のT君はそれまで角川春樹社長の監督する眉村卓原作の「時をかける少女」で、新人女優の原田知世さんの相手役に選ばれた、新人俳優の主役を演じて人気俳優となった慶応大学出身の異色編集で、私の企画物に関しての編集をしてくれることになったようです。


次第に新参の作家藤川支援の空気は広がりつつありましたが、それでもまだまだ社内には新しい流れが動き始めているということに気が付かない、旧態依然とした体質のままの編集者もかなり存在していますから、それらの人とどこで巡り合うか判りません。ところが「宇宙皇子」が1・2・3巻と極めて重要なヒット作品になったということもあって、社内の空気がかなり変わってきていたのですが、あっという間に半年が過ぎて1986年が来ると、「野性時代」という青年層を狙った総合誌から依頼のあって、小説の執筆依頼があったのですが、なぜかその作業の間で編集長と連載の方向についての食い違いがあって、ぶつかり合うことが多くなってしまったのです。そのために暫く頓挫してしまったまま連載執筆を拒否するといいう状態にまで発展してしまったのです。


「宇宙皇子」のヒットが続いている最中の連載執筆という依頼ですから、そのシリーズとは当然のことですが違ったタイプの作品を書こうということで、重量感というよりも多少軽量の青春物を書こうと考えたのです。これまで宇宙をドラマチックな海だという発想でヒット作品をかなり書いてきていましたので、今回は宇宙を青春の広場として、自由に動いて楽しむ若者たちを書こうということで、「銀河AV0番地」という企画を考えて執筆し始めたのですが、その原稿にあれこれと注文を付けてきたのが始まりで、編集長とはその基本的な方向性で完全にすれ違ってしまって、ぶつかることになってしまったのでした。


                               「野性時代1986年3月」1.jpg 「野性時代・1986年3月」1.jpg


もう連載の一回目を書き直すのも拒否することになってしまいましたし、二回目はもう連載を止めることにしたのでした。編集長はこれまで「野性時代」を率いてきいているのは自分だということを前面に出して、強引に原稿の変更を主張してまったく時代が求めている変化には頓着していない様子です。彼の頭にはこんな宇宙を遊び場にするような青春物などというものは存在していなかったのでしょう。どうやら時代認識ということでまったく私とは違っているようです。如何にも昔のままの感覚で連載小説を組み立てようとするのです。新しいものを欲しがっている若い読者の思いというようなことについては、まったく関心がないようなのです。兎に角キャリアを振りかざして、新参の作家に注文を付けてくるのです。どうもこういう人に出会ってしまうと、戦って決着をつけるか、自らその作業から退いてしまうかの二つに一つの私流です。こと時はついに一番よくない戦う方向に向かってしまったのです。私には「宇宙皇子」という大きなヒットになってきている作品の執筆もあり、とても「野性時代」での悶着に気持ちを乱すことはしたくないという気持になってきましたので、社長に問題を訴える気持ちになっていったのですが、会社の中にはその編集長問題は副社長に訴えられた方がいいのではないかとアドバイスをする方もあったのですが、いろいろと考えた末に私は会社のトップということでは社長に訴えることで筋を通すべきだと判断して、当初の思いのまま社長に直訴の手紙を送ったのでした。結果はあまりにも鮮やかな結論が出てしまいました。「野性時代」の担当編集長は新しい人に交代ということになってしまったのでした。あまりにも早い決定を知って、はじめて仕事をし始めた新参作家としては、いささか出過ぎたことをしてしまったのかもしれないと、しばらく心につかえてしまうことになってしまいましたが、もう次の「宇宙皇子」の執筆に向わなくてはなりません。そんな姿を見ていた若い編集者たちは、前任の編集長は時代感覚のない古いタイプの編集者であったといって、却って新編集長への交代を喜んでくれましたが、それから数年後には私が書き下ろすことになった作品の出版を前にして、Y君とT君は「野性時代」での私の仕事の担当をする編集として働いて貰うことになりました。新作のアピールを兼ねて特集を企画して「野性時代」に載せてくれたのでした。


    「野性時代・1989年10月」1.jpg 「野性時代1989年・特集1」1.jpg 「野性時代1989年・特集2」1.jpg 「野性時代1989年・特集3」1.jpg


本来の「宇宙皇子」の出版についてはS君が担当してくれているので、イラストの打合せもすべて任せてありますが、彼とも連絡を取りながら、Y君とT君は雑誌「野性時代」に私のアピールができるような企画者を考えたりしてくれたりしていくようになったのでした。


 兎に角1984年から始まった角川書店での仕事は進められましたが、それから数年間というものは、兎に角私にとっても不慣れなことが多くて、戸惑うことが多く、いろいろとこれまでとは違った体験をすることになってしまうのでした。


 


 


 


nice!(0)  コメント(0) 

告知と放談の部屋☆ 放87「嫌がらせ電話の正体」 [趣味・カルチャー]

  

お陰様で私の角川書店での仕事は大変いい状態で進行していました。


 まさに「宇宙皇子」シリーズのスタートであった1984年(昭和59年)はハラハラする緊張のれんぞくの日々でしたが、幸いにも予想を越える売れ行きで、はじめてお付き合いすることになった角川書店との出会いも大変いい関係を築くきっかけとなりましたので、それまでかなり緊張しっぱなしであった気持ちもかなり開放されて、年越しをして直ぐに発売が予定されている作品の執筆には、嫌でも高揚する気分で書き進み、


第四巻「西街道(さいかいどう)(しの)び流し」第五巻「名もなき花々の散華(さんげ)」第六巻「一会(いちえ)に賭けた日々」と、隔月に連打していったのです。通常小説を書く作家としては、なかなか信じられない勢いです。


                     「宇宙皇子・新書4」1.jpg 「宇宙皇子・新書5」1.jpg 「宇宙皇子・新書6」1.jpg  


  もう角川書店の中で嫌な雰囲気が漂うはありません。私を囲む環境は大変いい状態になっていたのです。若い編集たちも大変気分よく作業にかかわってくれているように思えました。


 私も売れ行きが快調であったこともあって、前述しましたがその分だけものを書くという活力もみなぎってきましたし、第一作家本人がシリーズを書くことに楽しみを感じながら書けるので、このへんで休んでしまおうなどという怠惰な気持になるはずもありません。一作書ければすぐに次の作品を書こうという意欲に急かされるのです。それが嫌にならないのですから、自然に作品が考えられないほどの勢いで出版されることになるのです。


 私の作業に協力してくれる若い編集者たちからは私の励ましともなるような提案があったりして、「宇宙皇子」以外の企画についての展開につての話し合いをしたりしていたのですが、そんなある日のことです。「宇宙皇子」のシリーズを中心になって編集作業を進めてくれているS君が、原稿を取りに来たところで雑談をしている最中に、ふと漏らした話があったのです。


最近編集部へ嫌がらせの電話をかけて来るベテラン作家がいるというのです。


テレビの作品を書いている時には、まったくそのような話に出会ったことがありませんでした。特に私の主戦場であったアニメーションという分野では、それにかかわるアーテイストもさまざまな分野にわたった人々でしたから、私のように脚本を書く者に対して、何か注文を付けてくるというようなことはありませんし、まして嫌がらせの電話をかけてくるなどということなど、聞いたこともありませんでした。噂にしても同志の脚本家の中でも、個人的にそれらしいことをされて困っているというような話は聞いたこともありません。しかしそれでも作品やその作家に夢中になった読者が、飛んでない迷惑をかけることがあります。その作品を書いた人に対する思いが集中してしまうことが多いことから、時には作家の家に押しかけてきてまで、その内容に影響され過ぎて困った要求をして迫って来る読者もいましたし、現実と創作の間の微妙な空間が楽しめないまま、すべて現実のものとして受け止めてしまって、つい騒動にまで発展してしまうこともあるようです。幸い私の場合はまともに正面から文句を言ってくるような不埒な人はいませんが、今回は文句を言うのでもなく、ただ単に嫌がらせの電話をかけて来るのですが、それも正面からはねつけるようなことの出来ない、弱い立場である若い編集者にいやがらせの電話を変えてくるというのですから対処の仕方もありません。しかもそれが読者ではなく、作家として生計を立てている人だということを知って、あきれ果てました。角川書店でも何冊かは出版したこともあるのでしょうが、多分その結果が思わしないままでいるのかもしれません。出版社からはいい顔をして貰えないでいるのかもしれません。どうしようもない人ですが、それでも出版社に勤める編集者としては、相手が作家である以上いつお世話になるかもしれませんから、無碍に電話を切るわけにもいきません。適当に先方の嫌がらせを受け止めながら暫くは聞いていてやらなくてはなりません。


さぞかし嫌な時間つぶしをさせられてしまうようになっているのだということを、ついに報告してきたのです。


いつの時代でもありそうなお話です。


 あまり「宇宙皇子」の評判が良いために、妬ましくなってしまったのでしょう。時代が要求している作品を書く工夫もないまま当たり前のミステリー風な仮想現実的な大衆小説を書いている彼の図書については、まったく読者の反応が集まって来ないことから、一番いじめやすい若手の編集者に対して電話をかけてきては、彼をからかいながらその後私がどんな調子で原稿を書いているのかなどと聞いてくるというのです。出版の勢いが考えられないので、藤川桂介には影武者がいて、そいつが書いているとでも言いたいのでしょうが、はっきり言ってそんな邪推は意味のないことです。私は弟子として認めた者たちにも、決して私の書くようなものを追うようなことはせずに、自分独自の世界を開拓するように努力せよといってきているのです。私はシリーズとしての「宇宙皇子」を書き下ろしながら、時には「野性時代」への連載が始まったりしたので、その執筆がどうこなしているのかを探ろうとしたのかも知れません。あれこれと嫌味な質問をしながら、私の執筆情況を探ってくるというのです。


 これまで映像時代には、ほとんどこう言ったたぐいの電話を掛けてくるような同業者はありませんでしたから、私にとってもはじめて聞く話です。しかしテレビ作品を書いている最中では三日に一本三十分番組を書き、その決定稿を一日で仕上げてまた次の作品にかかるという過密状態でも、まったく制作現場に支障をきたすようなことをしたことがなかった私にとっては、兎に角体調が許す範囲で書きつづけていましたから、活字の世界へ移ったからと言って、そのペースを変えることもなく書こうと思った作品を書きつづけているだけで、まったくその仕事の仕方に関して特別な気持ちにはなっていなかったのです。


 いつの時代でもありそうなお話ですが、私はまだ活字の世界へ来てたまたま角川書店で仕事がやれる状態になったばかりで、現在のいいスタートの状態のまま作業ができるのかどうかということについては全くわかりません。もちろん現在の調子は確かに上々の始まりであるということは実感しています。なんとかこの状態をつづけていきたいものだと、日夜願いながら角川書店に対してはここで絶対的な信頼関係を確立しておきたいと気持ちでいっぱいでした。


 まだはっきり言ってテレビの世界での仕事からはっきり手を引いてしまうということにしたわけでもありません。テレビ界全体の不調から抜け出すために、できればこれまで多少ではあるのですが手始めに数冊の小説を書いたり、物語を書いたりしてきましたので、それを土台にしてこれまでとは違った世界にも生きる道筋を作っておきたいという気持ちで挑戦することにしたのですが、しかしそれだからといって、あくまでも取り敢えずやってみようと言うような気楽な挑戦ではありませんでした。


もう角川書店の中で嫌な雰囲気が漂うはありません。私を囲む環境は大変いい状態になっていたのです。若い編集たちも大変気分よく作業にかかわってくれているように思えました。


 私も売れ行きが快調であったこともあって、前述しましたがその分だけものを書くという活力もみなぎってきましたし、第一作家本人がシリーズを書くことに楽しみを感じながら書けるので、このへんで休んでしまおうなどという怠惰な気持になるはずもありません。一作書ければすぐに次の作品を書こうという意欲に急かされるのです。それが嫌にならないのですから、自然に作品が考えられないほどの勢いで出版されることになるのです。


 私の作業に協力してくれる若い編集者たちからは私の励ましともなるような提案があったりして、「宇宙皇子」以外の企画についての展開につての話し合いをしたりしていたのですが、そんなある日のことです。「宇宙皇子」のシリーズを中心になって編集作業を進めてくれているS君が、原稿を取りに来たところで雑談をしている最中に、ふと漏らした話があったのです。


最近編集部へ嫌がらせの電話をかけて来るベテラン作家がいるというのです。


テレビの作品を書いている時には、まったくそのような話に出会ったことがありませんでした。特に私の主戦場であったアニメーションという分野では、それにかかわるアーテイストもさまざまな分野にわたった人々でしたから、私のように脚本を書く者に対して、何か注文を付けてくるというようなことはありませんし、まして嫌がらせの電話をかけてくるなどということなど、聞いたこともありませんでした。噂にしても同志の脚本家の中でも、個人的にそれらしいことをされて困っているというような話は聞いたこともありません。しかしそれでも作品やその作家に夢中になった読者が、飛んでない迷惑をかけることがあります。その作品を書いた人に対する思いが集中してしまうことが多いことから、時には作家の家に押しかけてきてまで、その内容に影響され過ぎて困った要求をして迫って来る読者もいましたし、現実と創作の間の微妙な空間が楽しめないまま、すべて現実のものとして受け止めてしまって、つい騒動にまで発展してしまうこともあるようです。幸い私の場合はまともに正面から文句を言ってくるような不埒な人はいませんが、今回は文句を言うのでもなく、ただ単に嫌がらせの電話をかけて来るのですが、それも正面からはねつけるようなことの出来ない、弱い立場である若い編集者にいやがらせの電話を変えてくるというのですから対処の仕方もありません。しかもそれが読者ではなく、作家として生計を立てている人だということを知って、あきれ果てました。角川書店でも何冊かは出版したこともあるのでしょうが、多分その結果が思わしないままでいるのかもしれません。出版社からはいい顔をして貰えないでいるのかもしれません。どうしようもない人ですが、それでも出版社に勤める編集者としては、相手が作家である以上いつお世話になるかもしれませんから、無碍に電話を切るわけにもいきません。適当に先方の嫌がらせを受け止めながら暫くは聞いていてやらなくてはなりません。


さぞかし嫌な時間つぶしをさせられてしまうようになっているのだということを、ついに報告してきたのです。


いつの時代でもありそうなお話です。


 あまり「宇宙皇子」の評判が良いために、妬ましくなってしまったのでしょう。時代が要求している作品を書く工夫もないまま当たり前のミステリー風な仮想現実的な大衆小説を書いている彼の図書については、まったく読者の反応が集まって来ないことから、一番いじめやすい若手の編集者に対して電話をかけてきては、彼をからかいながらその後私がどんな調子で原稿を書いているのかなどと聞いてくるというのです。出版の勢いが考えられないので、藤川桂介には影武者がいて、そいつが書いているとでも言いたいのでしょうが、はっきり言ってそんな邪推は意味のないことです。私は弟子として認めた者たちにも、決して私の書くようなものを追うようなことはせずに、自分独自の世界を開拓するように努力せよといってきているのです。私はシリーズとしての「宇宙皇子」を書き下ろしながら、時には「野性時代」への連載が始まったりしたので、その執筆がどうこなしているのかを探ろうとしたのかも知れません。あれこれと嫌味な質問をしながら、私の執筆情況を探ってくるというのです。


 これまで映像時代には、ほとんどこう言ったたぐいの電話を掛けてくるような同業者はありませんでしたから、私にとってもはじめて聞く話です。しかしテレビ作品を書いている最中では三日に一本三十分番組を書き、その決定稿を一日で仕上げてまた次の作品にかかるという過密状態でも、まったく制作現場に支障をきたすようなことをしたことがなかった私にとっては、兎に角体調が許す範囲で書きつづけていましたから、活字の世界へ移ったからと言って、そのペースを変えることもなく書こうと思った作品を書きつづけているだけで、まったくその仕事の仕方に関して特別な気持ちにはなっていなかったのです。


 いつの時代でもありそうなお話ですが、私はまだ活字の世界へ来てたまたま角川書店で仕事がやれる状態になったばかりで、現在のいいスタートの状態のまま作業ができるのかどうかということについては全くわかりません。もちろん現在の調子は確かに上々の始まりであるということは実感しています。なんとかこの状態をつづけていきたいものだと、日夜願いながら角川書店に対してはここで絶対的な信頼関係を確立しておきたいと気持ちでいっぱいでした。


 まだはっきり言ってテレビの世界での仕事からはっきり手を引いてしまうということにしたわけでもありません。テレビ界全体の不調から抜け出すために、できればこれまで多少ではあるのですが手始めに数冊の小説を書いたり、物語を書いたりしてきましたので、それを土台にしてこれまでとは違った世界にも生きる道筋を作っておきたいという気持ちで挑戦することにしたのですが、しかしそれだからといって、あくまでも取り敢えずやってみようと言うような気楽な挑戦ではありませんでした。


nice!(0)  コメント(0)