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告知と放談の部屋☆ 放93「的中した混乱」 [趣味・カルチャー]

  

テレビの時代を思い出すのですが、番組を維持していくためには、先ず優秀なスタッフを抱えている制作会社を決めてから、番組の方向や意図に基づいて足りないアーテイストを補足そして行きます。何チームも制作チームを組んで番組を維持していくのですが、兎に角最初に組んだチームがメインになっていくのですが、今回の映画制作で何が不安なのかと考えると、やはり映画を制作するメインとなるスタッフの中心となる会社が、どうも今回の素材を動かして行くのには不向きであるということなのです。


 私にとって不安でならなかった原因はそのことでしたが、それに気が付いたのでしょうか、メインとなる監督にしてもプルデユウサーにしても、「日本アニメーション」とは関係のないところから呼びました。小説のイラストを執筆してくれているいのまたむつみさんは欠かせない存在ならば、彼女を中心としたスタッフを持っているカナメプロに映画の制作の中心になって貰うのが常道だと思うのですが、今回は作画の一員として参加して貰うだけです。


 原作者がいちいち制作に口を出すということは控えようと考えていた私は、細かな制作の様子についてはほとんど連絡がありませんが、かつての「さすらいの太陽」での原作者としての立ち位置に失敗して、大阪電通と対立してしまった経験から、推薦した脚本家たちからその進行状態の情報を得るだけです。しかし彼らから漏れてくる情報はどうもあまり芳しくないものばかりなのです。古代を背景にしたアクションに関しては、現代感覚で制作していかなくては若い観客を満足されることは出来ないのではないかということばかりです。全体を動かして行く会社としては、かなり畑違いな分野の作品を受け入れたようですが、一体角川書店とどういう話で今回の制作を引き受けることになったのかまったく判りません。


 脚本に関しては彼らの中で一番年上である富田祐弘君が上層部からの要求、指示についての問題を、上手くまとめていってくれているようですが、ちょっと異質の感性を持っている寺田憲史はかなり不満が高まっているようです。次第に作業は富田、武上という二人が苦心しているようです。そんな不満を聞かされても、その制作には口を挟まないというという立場にありましたから、制作の進行中には沈黙を守りました。


 しかしそれから間もなく制作途中のあるアクションシーンのラッシュを見て欲しいというしらせがあって、プロダクションの試写室ではじめて映画のワンシーンと対面させて貰うことになりました。


 その日は副社長も同席していて、スタッフはかなり緊張しているようです。


 そんな中で東映動画から派遣されて動画に関しての指揮を執っている田宮氏は、私の反応はかなり神経を使っているように思えましたが、その日のラッシュで主人公が連続してアクションを展開する、かなり見せ場になるシーンが転回しましたが、大変満足であるという感想をメインスタッフに残して立ち去った後ですが、当時のアニメーションを知っている一部スタッフからは、かなりその表現の仕方についての不満が出て田宮氏に迫っていましたが、結局資金面・・・つまり製作費の問題を角川から託されている彼には、そう簡単にスタッフの要求に応えることも出来ないでいました。その結果原作者である私に判断を委ねてきたのです。


 勿論若手スタッフの主張するように、私もその感性的な表現があまりにも古臭くて納得出来なと思っていたところだったのです。これまでさまざまなことで原作者でありながら、細かなことにはほとんど口を挟まないで来ていましたが、やはり初めから不安に持っていたことは、現実のものになってしまったように思いました。私にとってはやはり映画制作の原点である制作会社の選定から、すべての問題が始まってしまったのだと、改めて思わざるを得なくなりました。


 問題のアクションシーンについては、もう一度作り直しを求めました。


 田宮氏も我々の要求は判っているのでしょうが、予算についての指示がされているのでしょう。非常に苦しい返答を繰り返したのでした。


 それから間もなくのことでした。田宮プロデユウサーから聞かされたのは、あまりにも思いがけない返答でした。今回の映画製作にかける予算は、6千万円から7千万円であるということです。すでにアニメーション業界では、映画制作ではほぼ二・三億円はかかるといわれている時代です。それを考えるとあまりにも低予算ということになってしまいます。しかも今回は「ファイブスター物語」の二本を同時に上映するというのです。気に入らないところを作り直して欲しいという製作スタッフの希望は僅かに許可されただけで終わりました。私はこの時に社長と副社長の性格が、大きく違うことを始めて知りました。いいものには充分に予算を組んで仕掛かり、それにかかわる人に対する扱いが大変温情的で業界では大変評判だったのですが、今回の話を聞いていると、副社長の指示は明らかに低予算での勝負をしようとしているわけです。どちらがいいのかということではありませんが、夢見る芸術家タイプの社長と現実を見つめる実務派の副社長という二人の性格の違いを知った貴重な体験でした。私にとってはかなり期待していた映画化という話でしたが、如何に低予算で集客ができるかという現実との戦いに挑まなくてはならないということを知らされたのでした。しかし会社としてはあくまでも制作の指揮は副社長が撮っているのですが、作品の制作者としては社長の名前が出ます。果たして完成した時どんな感想をお持ちになるのかと思ったりしたものでした。


その後映画の完成を記者発表する会に、私は副社長と共に出席しましたが。作品についての率直な感想を述べるわけにはいきません。記者の遠慮のない質問にどう答えなくてはならないか大変苦しかったことを思い出してしまいます。


                           「宇宙皇子」(映画化記者会見)1.jpg


                        「宇宙皇子・主題歌楽譜」1.jpg 「映画宇宙皇子主題歌」1.jpg


主題歌は「夢狩人」「かりなき愛を」の二曲の詩を書かせて頂き、歌手にはかねてからお付き合いのあったダ・カーポにお願いいたしましたが、作曲は異色の作曲家で東京工大の教授であった河野洋さんで、すでに「宇宙皇子」を主題にした交響組曲「宇宙皇子」を作曲してコロンビアから発売した方ですが、この時の音楽担当であったデイレクターは、かつて宇宙戦艦ヤマトで音楽を担当した小暮一雄さんでした。


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アニメと音楽の部屋☆ ア56「不安な映画制作決定」 [趣味・カルチャー]

  

角川書店で仕事をするようになってから・・・というよりも、「宇宙皇子」という大きなヒット作品を出版するようになってからですが、社内のさまざまなことにかかわっていらっしゃる方が、様々な形で接触してくるようになりましたが、兎に角原稿を書くということに専念している私としては、出会った方々が社内でどういう立場であるのかということに関してはほとんど知りませんでしたし、どちらかといえば無関心であったということでもありました。いろいろなことで話が持ち込まれてくれば、それについての私の判断で対応をしていただけです。ところが多少時間が経過してくると、それらの人々には微妙に色合いの違いがあるということに気が付き始めました。


接触してこられる方々がそれぞれ所属している部署はもちろんのこと、同じ編集部員であっても社長の意向に沿って仕事をしている人と、副社長の意向に沿って仕事をしている人には、それぞれ競い合う気持があるようなところがあるのに気が付いたのです。


あの「天之稚日子」騒動については、衝撃的であったのは社内に二つの大きな流れがあって、それらの亀裂のために思うような仕事ができなかったことに不満を感じて退社してフリーの編集者として活躍していた人でしたが、ベストセラーの執筆者である私が勝手に他社の出版社と接触することに関しては厳しくなってきていたことはもちろんのこと、同じ社内でもその人が所属している部署によっては、突然作家の意向を無視して進行中の作業についてもいきなり変更が行われることも起こりました。あの「幻想皇帝」を書くきっかけを作ってくれたのが、どちらかというと副社長の系列に入る人であったために、五巻まで書き進んだところでなぜか次の作業に入ることができなくってしまったことがありました。「宇宙皇子」の展開に邪魔になる大きな作品は、控えなくてはならないということから、社長の系列ではない人が手掛けた作品は執筆作業を途中で止めなくてはならなくなってしまったのでした。特にその後、その事情についての説明もないままでしたが、その頃その頃社長は「宇宙皇子」を実写の映画にしようと、かなり積極的に動いていたようです。一方で副社長の系列に属する人々は同じ「宇宙皇子」をアニメーションとしての展開を考えていたようで、どちらが映像化という作業に入ることになるのかということについては、原稿の執筆に集中している私にとっては、特別しゃしゃり出ることでもありませんから、その成り行きについてはどのような結果になるのかを楽しみにしている状態で過ぎていました。しかし映画化という計画あるということを聞かされてからは、すべてお任せで無関心という訳ではいられなくなっていました。


ごく最近まで映像関係の作業にかかわっていたということもありますから、出入りしている編集者と雑談をしながら、様々なうわさが飛び込んでくるようになると、その噂には大変興味を持ち始めました。どうやら一番身近なところでは、直接の担当であるA


編集長は、何とあの宝塚へアタックしようとしていたけれども、残念ながら話は進まなかったということがあったりしましたが、社内には「宇宙皇子」の新しいメデイアでの展開ということで、どちらの系列に属しているかということは関係なく、様々な面での展開を競い合っていた気配があるようでした。


その頃から長いアニメーションの脚本を担当してきた私としては、社長、副社長の流の方々が、どのような動きをしているのかということが気になり始めていましたが、どうも社長が考えている実写作品として映画化するということが、様々な条件があるために、それを具体化するということは困難になったようだという情報が入ってきていたのです。それまで俳優たちによる古代作品が登場するかもしれないと、様々な夢を見ていた私でしたが、残念ながらそれは不可能であるということがはっきりとしてきたようです。もしそれが実現するという目安が付けば、社長と出会う機会がありましたので、何らかの意思表示があると考えていたのですが、ある時から映画化ということについては、ほとんど具体的なことについてお話されることはなくなりましたが、それと変って副社長の系列の方による映画化の話が持ち込まれるようになったのです。漠然と私が希望する方向などを探ってくるようになったのです。どうやらあの映画化という話は副社長の系列の人によって動き始めたようです。ところがその中心となって動き出したSさんは大変親しくお付き合いしている編集ではあったものの、特にアニメーションに関してはほとんどかかわりのない方でしたので、このまま実務に向かうことになるのかと思うと不安になってきてしまいました。


 私はこれまで脚本家としてアニメーションに深くかかわってきていましたので、もし宇宙皇子を映画化する時には、その制作する会社が決定的な力を持つことになると思いました。つまりどんなスタッフが揃っているのかということが決定的な要素になるということです。映画の制作ということについては、特別作家が口をさしはさむことは出来ません。それには営業的な様々な問題がありますから、不安になりながらもほとんどその進行に口を出すことはないままになっていたのです。それでも映画化が具体化してくれば、企画書が提出されるとは思っていましたが、アニメーションに不慣れな人が中


心となって動いて入りということがはっきりとしてくるに従って、不安なことが一気に増えて行ってしまったのでした。私の勝手な願望として、小説の宇宙皇子をイメージアップするのに貢献をしている、いのまたむつみさんが所属している映像づくりの仲間たちを要する、カナメプロにして欲しいという希望を伝えておきました。


 しかしその願いは叶わなかったようです。


 S氏が得意満面ということで報告に現れると、想像もしなかった日本アニメーションという会社が制作会社として決まったというのです。S氏はそれで私が喜ぶと思ってのことでした。かつてあの「宇宙戦艦ヤマト」が、視聴率で苦杯をなめていた制作会社の「世界名作童話」を制作していた会社です。確かにそれはその通りなのですが、それぞれの会社には向き不向きがあります。家庭漫画を制作するということでは定評のある会社ではありましたが、今回のような仮想現実作品がその時代に向けた作品として描けるかということを考えると、一気に私の不安は高まってきてしまいました。どうやら念を押すように推薦したカナメプロダクションは完全に外れてしまっています。こうした会社との話し合いでは金銭的な問題もかなり大きな要素となりますから、そんなことが災いとなってしまったのかもしれません。


 映画化についてはまったくお任せしておかなくてはなりません。


 私は思い描く「宇宙皇子」が世間でいう優良家庭漫画となってしまうのかという、不安と戦うことになってしまったのでした。流石に中心となる「日本アニメーション」もスタッフの編成に不備があるのに気が付いたようで、東映動画からその中心となる田宮武氏を呼び、監督には特撮映画を演出した吉田憲二氏を決めてきたのでした。私にとって貢献できると思い込んで決定してくれた態勢でしたが、結局後から後へと必要なスタッフを補強しなくてはならなくなってしまったのでした。そんな様子をはたから見ていて、「宇宙皇子」は時代の要求する感性で描く画期的な歴史物となることは、不可能であると覚悟しなくてはならなくなってしまったのでした。


 作家にとってはあくまでも小説を書くということが出版社とかわした本来の務めではありますが、たまたま私が目指すアニメーション映画と深くかかわってきただけに、その実績に配慮して頂けなかったのは、実に残念なことではありました。残念ながらそれから暫くは、一体どんな作品作りになるのであろうかという不安が、暫く高まるのを堪えながら、持ち掛けられる進行への協力をすることになったのでした。


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言霊謎解きの部屋☆ 言34「ひとくち言霊」(東西南北に敵あり) [趣味・カルチャー]

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孤立無援の状態でいることを、よく四面楚歌という言葉で表現されますが、古代においては自ら敵を作っていたとしか思えないのが中国でした。


努力してもどうしても融和することができずに、止むを得ずそのような状態になってしまうというのではなく、あくまでも自国の優位を誇らしく思うが故に、周辺の国々を蔑むしかなく、敢えて四面楚歌状態を作り出していたのが中国であったということなのです。


あくまでも、政治、経済、文化、すべての点で、中国が世界をリードする中心の国なのだという、中華思想に基づいた考え方なのですが、彼らは中国を取り巻く周辺の国を南蛮(なんばん)北狄(ほくてき)東夷(とうい)西戎(せいい)と言って蔑んでおりました。進んでいるのは自国だけで、周辺の国々は、すべてかなり遅れている野蛮な者たちだという考え方から生まれた呼び名であったわけです。


ところがこの中華思想というものは、決して中国の独占物であったわけでもなくて、自国の尊厳というものを大事にしようとする者たちにとっては、中国と同じような立場でその周辺の国を見るようになっていったのです。


 中国にとって南蛮とは、インドシナなどの南方の民族のことを差しましたが、室町、江戸時代の我が日本では、タイ、ルソン、フィリッピン、ジャワなどの南方諸島を指していましたし、中国にとっての北狄(ほくてき)とは、北に位置する匈奴(きょうど)鮮卑(せんぴ)柔然(じゅうぜん)突厥(とっけつ)契丹(きったん)、ウルグアイ、蒙古などの遊牧民族のことを指し、東夷といえば、満州、朝鮮、日本を指していますが、わが国では都のあった京都中心として考えれば、関東、東北の武士を指していました。そして最後に、西戎にあたる民族といえば、中国にとってはチベット、トルコのことですが、わが国にとっては、都から遠く離れた所に住まう民、田舎人のことを指していました。特に京都の人は、荒っぽい東国武士のことを指して、そのように言ったりしていたのですが、江戸の末期には、西洋人を蔑んで、西戎などと呼んだりしていたようですが、結局国も、人も、周辺の存在を蔑むことで、自らの存在の優位を確認しながら満足しているのではないのかと、自戒の思いを込めて考えたのでした。


 自己中はいつの時代にも避けられない問題なのかもしれませんね。


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思い出作品の部屋☆ 思17「危機一髪・天之稚日子騒動」 [趣味・カルチャー]

 

雑誌「WOWO」が発売になって間もなくのことでした。



 私はこれで新たな仕事場を広げることになったという、開拓という目的を果たしたという満足感に浸っていました。


 ただ連載を始める時に、編集のUさんに希望したのはイラストレーターが、これまでの人とは違って色鉛筆で描く人だということで、ある種の不安はあったのですが、それも面白い効果を出すことになるのではないかという計算があってお願いしました。しかしやっぱり仕上がってきたものは一寸計算していたものとかなり違っていたのです。直ぐに次回から神々の世界の厳しさを描くことになるので、それに見合う力感と厳しさの漂う表現が、可能になるような工夫をして欲しいとお願いをしたところでした。


ところがその頃、角川書店の中では大変な騒ぎが起こっていたのです。


 角川春樹社長に親しい関係にある人が、私の新たな作品の連載が産経新聞社を背景にした「WOWO」という雑誌に載っているということを、新幹線の駅頭のキオスクで発見してしまったのです。そのためにその情報は直ちに報告されたようなのです。


 たちまち社内には激震が走ったようです。


 当時社長は古代の日本についての造詣が深いということもあって、その原点ともいえる宇宙の草創期の話が角川書店から出版されるということは、許しがたいことだったのでしょう。


 残念ながらまだ私にはその頃まで、社長の超古代史についてまで、並々ならない興味、関心が深いものであるということについては気が付いていませんでした。勿論マスコミではそれらについての話題が取り上げられることがありますから、その程度のことについての智識は持っていたのですが、他社で古代史・・・しかも現在独走状態の「宇宙皇子」の時代よりもはるかに古い、所謂神話の時代ともいわれる時代にまでその関心が及んでいるとは思ってもいませんでした。


私はまったくそういったものの出版については、まったく問題になるようなことはないという思いでいたのです。連載の執筆を依頼してきたUさんの企画に乗って、「天之稚日子」という超古代の神話時代の話を書こうと提案したのです。言うまでもなくUさんは大変喜んでその企画に乗って下さいましたので、私の希望通りに出雲の取材もOKであったことから、大学時代から親友であった島根新聞社の編集局長となっていたU君に連絡して協力を求め、前述のような史跡探訪を行ったりしていったのです。それがキオスクという通勤客の目に触れて、どんな関心を持って貰えるのかその反応に楽しみにしていたのです。新たな出版社との仕事ということもあって、新天地の開拓のきっかけを作ってくれたUさんには感謝していたのですが、そんなある日のこと角川書店からの大変な衝撃ぶりが伝えられてきたのです。


 「天之稚日子」の発表をそれまでまったく気づかず聞いた編集の上層部は、早速私への強い要望を伝えてきたのです。連載の中止というかなり強い要望です。それはとても通常の依頼とはとても思えないものでした。「宇宙皇子」の編集長を越えた人たちから、直ちに連載の中止をして貰いたいという依頼です。場合によっては現在進行中の「宇宙皇子」も発売中止ともなりかねない状況になってしまったのでした。勿論そんなことを望むはずはありませんし、角川書店と悶着を起こすのを覚悟の上だということはまったく考えてもいません。私も予想もしていない反応に狼狽してしまいました。依頼のあった出版社からの作業を、一生懸命にこなして実績を積みたいと思っていただけなのですから・・・。


 私には残念な気持ちがかなりありましたが、現在進めている「宇宙皇子」を中心とした作業に肩入れをしてくれている角川書店の申し入れを拒否するわけにもいきません。超古代の歴史に関しては春樹社長が大変興味を持っていて、その道の造詣の深さのために他社で作品を発表されることは絶対に許可できないという申し入れをしてきたのです。社長自らも連載を止めて欲しいというかなり強硬な申し入れをしてこられたのです。


拒絶することは出来ないと考えました。


 私は仕事を持ち込んできてくれた編集者のUさんに事情を打ち明けて、今後の連載が気持ちよくできなくなったということを告げたのですが、彼女は角川書店の強引な要求に激しく非難してきました。私には何とも返答のしようがありませんでした。しかし彼女はこれまで勤めていた会社が角川書店であったことや、仕事のあり方についてどうしても納得ができないことがあって退社した経緯があったことをはじめて告白されて、この日ばかりはいささか意外なほど興奮気味で角川書店の要求を非難しつづけました。詳細については判りませんでしたが、角川書店を退社してフリー編集者として活躍し始めた彼女は、目下化角川書店を一気に出版界の注目の会社にしてしまった私を、他社で仕事をさせることでこれまで解消できないでいた無念な思いを一掃してしまおうとしたのかも知れません。しかし彼女の思いはどうあろうと、俄かに私自身に降りかかってきた大問題・・・始まったばかりの連載を中止してくれという角川書店からの申し入れを、サンケイ出版に承諾して貰わなくてはなりません。ところがそれから間もなく連絡が来たのは、彼女からではなく、サンケイから引き付いてあの作品を、扶桑社という出版社で図書として出版する予定でいた重役であるI氏から連絡が入ったのです。


私は早速お会いして事態の収拾についてのお願いを説明したのですが、困ったことになりました。彼は私がかなり前から関係のあった、フジテレビの現重役でもあるというのです。I氏は兎に角強硬で絶対に扶桑社で文庫化するというのです。これまでの関係を考えると彼の要求を簡単に説得することは出来そうもありません。


しかし角川春樹社長の意向も無視することも拒否はできません。


私は絶体絶命のピンチに追い込まれてしまったのでした。


しかし何としてもこの苦境を乗り越えなくてはなりません。不調に終わった会談から帰る途中、映像という世界でつながりがあるということがヒントになって、この人にすがるしかないと思いついた人がありました。


当時フジ・サンケイグループで絶対的な権力を握っていたニッポン放送の社長であるK氏とのことです。


かつて「宇宙戦艦ヤマト」のオールナイト放送を行った時に、彼は番組には関係はなかったのですが、人気DJとしてニッポン放送の花形であったということもあって、私とも出会いがあって、親しくお付き合いをさせて頂いていたのです。勿論今はその頃と立場が大きく変わっていたのですが、今やフジ・サンケイグループのトップであるニッポン放送の社長に君臨していたということを思い出した私は、もうこの人にお願いするしかないと考えて、出版界での事情を理解していなかったために起こってしまった不始末を克明に説明して、サンケイ、フジテレビへの失礼を何とか許して貰えないだろうかと懇願したのです。勿論サンケイ、フジテレビの要求はもっともなことではあるのですが、現在仕事の拠点といている角川書店の社長からの申し出を受け入れざるを得ないという苦しい立場を理解して頂いて、I氏との話し合いに乗り出して下さることになったのです。


詳しいことはお話することが出来ませんが、それから間もなくK氏から連絡がありました。扶桑社が出版から退くということが伝えられました


勢いに乗って世界を広げようとした、新人作家の犯した間違いでしたが、思わぬ人間関係のお陰で危機を脱することができたのでした。


現代ではとても通用しないような、影像から活字の世界へ移り住んで間もない頃の失敗談の告白でした。


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思い出作品の部屋☆ 思16「雑「雑誌WOWOで連載始まる」 [趣味・カルチャー]

  

原稿を執筆し始めた時には、これまで経験したことのない異常な現象を体験してしまいましたが、編集担当のUさんのお陰で有能な方に協力して頂き、睡眠できないという現象から解放されて、大宮の氷川神社へ参拝した後はまったく苦しむことなく、楽に思う超古代作品を書き上げることになりました。


1987年(昭和62年)8月1日サンケイ出版の雑誌に新連載の「天之稚日子」400枚が一挙連載になりました。


 執筆中のこれまでにない異変が起こって眠れない日が何日もあったために、その処理をどうしたらいいのか困っていたところを、編集担当のUさんの親しい霊能者のお陰で、大宮の氷川神社へ参詣に向い、いくつかの変わったことを体験しましたが、その後眠れないという異変は解消して、一気に原稿は書き上げることができました。そのお陰で連載に関しての準備は終えることができたのですが、イラストに関してはいささか期待通りという訳にはいきませんでした。勿論事前に何人かUさんが選んだ人の中から、私もこの人にお願いしたらという指示をしたのですが、実際に仕上ったものを拝見したところ、神々の世界の話を書くということでは、一寸厳しさが表現できないということを感じました。その原因はイラストがペンで書かれているために、どうしても淡彩になってしまうのです。ちょっと困ったとは思いましたが、出版には間に合わないために、そのまま変更もしないまま終わりました。


 雑誌はJRの駅の‥‥でも販売されていました。


 サンケイ出版もかなり期待して下さったのでしょう。


 勿論新しい出版社での仕事にどういう反響が帰って来るのかと、興味津々でいたのです。


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出雲の取材の結果を特集記事にされた、巻頭の紹介記事に従って、「天之稚日子」が乗りました。現在評判になっている「宇宙皇子」のシリーズは、壬申の乱以後の世界を背景にした仮想現実の古代小説ですが、今回の話はそれより前の、所謂無の宇宙に起こったビッグバーンによって誕生した日本誕生記からとき起こす超古代史です。つまり「古事記」に基づいた話です。


 「宇宙皇子」とはまったく違った、神々の世界での話です。


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告知と放談の部屋☆ 放92「眠れない神秘的な背景」 [趣味・カルチャー]

 これまで角川書店での作品を書くことが多くなっていたところでしたが、ある日かつて角川書店で編集をしていた女性Uさんが訪ねて来て、サンケイ出版のWOWOという雑誌があるのだけれども、そこで連載をしてくれないかという打診でした。

 このところ新しい作品を書くといっても、ほとんど角化書店での作品に限られてきてしまいまいましたので、そろそろこの辺で気分を変えて新しい作品を書いてみたいという気持にもなってきていましたので、「宇宙皇子」とは違った時代の話を開拓するつもりで考えてみるという話をして終わりました。


 丁度この頃天上編の第四巻「荒魂怨歌抄」を三月に出版してから次の第五巻「天界千年戦☆陰の巻☆」に予定されていた八月まで、数か月の空白期間があったのです。もうお判りだと思いますが、その間は地上編の文庫化が進められていたためです。そこで私はその空白時間を利用して、新しい会社での連載を引き受けたのでした。


 その結果私は「宇宙皇子」の出生の謎となっている天上の神・・・つまり宇宙皇子の父ともいわれている創世記の神は誰なのかということを突き止めておきたいという気持もありましたので、日本が誕生して間もなく起こった、天上界の神々と根の国出雲との間に起こった国譲りについての戦いの背景をするために、史跡を探訪して見ようという気持になりました。たまたま島根県松江の新聞社には編集局長をしていた親友のU君がいたことから、編集のUさんを連れて行き、古代の取材を松本清張さんと共に史跡を取材して歩いた新聞記者などとの聞き取りを行ったりもしてから、伝説の地をあちこち歩きました。ところがここでの史跡歴訪が、その後原稿の執筆にかかった時から、思わぬ異変に発展してしまったのでした。


                        「WOWO連載・3」1.jpg 「WOWO連載・2」1.jpg


 「宇宙皇子」の時代よりもはるかに古い時代・・・つまり日本の創世記の話となる「天之稚日子」を書いている時に、これまでまったく経験したことのない異変に見舞われて苦悩することになってしまったのです。


 原稿執筆に没頭していたところ、いつものことで机の下に潜ませてある毛布を引きずり出して仮眠しようと思うのですが、まったく睡眠できる状態にならないので、数日後私は深夜になって、そろそろ寝所へ行って寝た方がいいと考えて、眠る態勢に入るのですが、なぜか神経を尖らせて執筆していたためか異常に興奮状態にあったためなのか、とても眠る状態にはならないのです。


 そんな異常状態が何日もつづいてしまいます。来る日も来る日も昼はいいとしても、夜になってもまったく眠くなりません。そんな日を何日か繰り返していたある日のこと、たまたまその最中に編集担当のUさんが作業の進行状態を確認してきたのです。


 私は現在起こっている異常に眠れなくなっている状態について説明したのですが、それから間もなく彼女は出雲と関係の深い、三輪山を信仰する霊能者という女性と共に様


子を見にきてくれたのですが、やがて目下私が襲われている異常事態の話をするうちに、


埼玉県の大宮にある氷川神社へお参りに行きませんかといって誘ってくれたのです。


 確かあそこの最新は須佐能命で、出雲と大いに関係の深い神社であるはずです。


 私にはまったく判らないことですが、Uさんと親しい霊能者の話によると、目下氷川


神社には、伊弉諾尊が下りてきているというのです。


 彼は天上の神々が忌み嫌っている黄泉の国・・・出雲国にある死者の国へある神と対面したいという欲求に逆らえずに、神々の禁を侵して黄泉の国へ尋ねてしまうのです。厳しい禁を侵してまで逢いたかった神とは・・・かつて火の神を生んで亡くなってしまった妻の伊弉冉命だったのです。ところが黄泉の国で遭遇した彼女は怪奇な姿となってしまっていて、必死な思いでやってきた夫の命を奪おうと迫ってくるのです。命からがら黄泉の国から脱出したものの、そのために彼は神やらいという追放になってしまったといわれているのです。霊能者に言わせると、その伊弉諾尊が私の作業に感謝して下りてきているというのです。私が何日も眠れなくなってしまっていたのは、神が自分の犯した罪について書いてくれているということに対する感謝を伝えたいという神意なのだというのです。それに応えるためにも氷川神社へ行きましょうということになったのでした。そういうことを除いても、ここは現代人にかなり人気のある神社ですが、ここの祭神は出雲に関係の深い須佐能命です。私が書こうとしているは、天上界の支配者との戦い・・・天上界の支配者である天照大神と地上界の統治者として君臨している大国主命の世界との間に起こった紛争の間に立って、活躍する若神の天之稚日子の話です。何はともあれ眠れないという苦しい現状からの脱出をするために、早速霊能者の誘いに従うことにいたしました。


 ところが拝殿の前で霊能者に従って参拝している私は、その扉についている鏡にこれまでにない異様な現象が起こるのを見てしまったのです。霊能者は私にそっと問いかけてきました。私は拝礼している姿のまま今目撃している美しいあまりにも美しいものについて、声を殺して報告いたしました。残念ですがそれについていくらその詳細について書いたとしても、とても常識では納得できないことをお話することになってしまうことになってしまうでしょうから、今回はここまでにしておきましょう。


霊能者は(そこまで見られたのであれば)とその後に勧められたのが、太陽の気を見ましょうということでした。


とてもそんなことができる訳はないと思いながら、勧めにしたがって本殿前の木の葉隠れに太陽を見上げたのですが、何ということかあの強烈な太陽が見つめられるのです。しかもその表面からは、ぼこぼこと温泉が噴き上げるかのようなものを見たのです。彼女はそれが太陽の発する気であるという説明でした。拝殿につづく異常現象を体験した後で、私は楠に手を当てて健康を授かるように祈って帰りました。


        「大宮氷川神社で」1.jpg 


これまで角川書店での作品を書くことが多くなっていたところでしたが、ある日かつて角川書店で編集をしていた女性Uさんが訪ねて来て、サンケイ出版のWOWOという雑誌があるのだけれども、そこで連載をしてくれないかという打診でした。


 このところ新しい作品を書くといっても、ほとんど角化書店での作品に限られてきてしまいまいましたので、そろそろこの辺で気分を変えて新しい作品を書いてみたいという気持にもなってきていましたので、「宇宙皇子」とは違った時代の話を開拓するつもりで考えてみるという話をして終わりました。


 丁度この頃天上編の第四巻「荒魂怨歌抄」を三月に出版してから次の第五巻「天界千年戦☆陰の巻☆」に予定されていた八月まで、数か月の空白期間があったのです。もうお判りだと思いますが、その間は地上編の文庫化が進められていたためです。そこで私はその空白時間を利用して、新しい会社での連載を引き受けたのでした。


 その結果私は「宇宙皇子」の出生の謎となっている天上の神・・・つまり宇宙皇子の父ともいわれている創世記の神は誰なのかということを突き止めておきたいという気持もありましたので、日本が誕生して間もなく起こった、天上界の神々と根の国出雲との間に起こった国譲りについての戦いの背景をするために、史跡を探訪して見ようという気持になりました。たまたま島根県松江の新聞社には編集局長をしていた親友のU君がいたことから、編集のUさんを連れて行き、古代の取材を松本清張さんと共に史跡を取材して歩いた新聞記者などとの聞き取りを行ったりもしてから、伝説の地をあちこち歩きました。ところがここでの史跡歴訪が、その後原稿の執筆にかかった時から、思わぬ異変に発展してしまったのでした。


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告知と放談の部屋☆ 告12「東京五輪中の更新について」 [趣味・カルチャー]

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次回18日の日曜日も通常の更新日ですが、この週は23日にオリンピックが開幕いたします。ただそれだからと言って特別に細工はしないことにいたしました。通常の更新ということにしたいと思います。25日の日曜日の更新もオリンピック開催中ですが、それをお楽しみ頂くために特別に変わったことをせずに、通常の日曜日の更新に従うだけということにしようと思います。


23日から始まるオリンピックを自宅でテレビ観戦もいいし、時にはブログをお楽しみ頂くのもいいのではないでしょうか。ブログの更新は予定通り週に一回だけ更新いたします。


よろしくお願いいたします。


藤川桂介


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言霊謎解きの部屋☆ 言42「ひとくち言霊」(天子南面) [趣味・カルチャー]

                                           「若菜イラスト」.JPG 


 現代の政界の様子を見つめていると、国民を引っ張っていく強力な指導性を持った政治家が見当たりません。そんなことを考えているうちに、ふと思い出したことがありました。

中国の三世紀頃に作られたということが言われている、指南車というものです。はじめに仙人の木像を乗せて南を向けておくと、歯車の仕掛けで常に南を指すようになるという車のことですが、かつて剣道指南をはじめとして。○○指南とか指南番という表現が使われるものが沢山ありました。つまりある世界の指導的な立場にある者を、指南役と呼ぶことが一般的でした。


リーダーたる者は軽挙妄動して、あっちを向いたり、こっちを向いたりして、ふらふらとしないということを示しているのですが、古代において指導的な立場にある者は、常に南を指し示す指南車のように不動の姿勢を表わす象徴として、目指す方向を変えないということを大事にしていたのですが、国の民を指揮しながら進むべき道を示さなくてはならないのは朝廷に君臨する天皇です。そんなことから日本の古代では、天子南面すということが大事にされていました。中国の道教思想によるものでしょう。都が作られる時の指針として、天皇の玉座は常に南に面していられるようなところが選ばれました。


ところが飛鳥時代を築いた天武天皇から皇位を受け継いだ持統天皇が、後押しをしてくれる藤原不比等の出身地である藤原へ遷都しようとした時、天武天皇の長男である武市皇子は、その地が宮都としては向いていないといって反対しました。


ところが彼女は聞き入れずに遷都を強行してしまいました。


しかし間もなく藤原京は、天子南面すという条件を満たすにはあまりにも難点があるということに気がついたのです。つまり天皇がいる場と、臣下の控える場の土地の高さが逆になっていることに気が付いたのです。つまり臣下のいるところが、天皇のいるところよりも高くなってしまい、見下ろす形になっていることに気がついたのです。これでは天皇もいい気持ちでいられるはずはありません。藤原京はわずか十年という短命の都という記録を残して終わることになってしまったのでした。


都はわずか十年という短い年限で終わり慌ただしく平城京へ移転していったのでした。別の言い方をすると、指導者には常に輝く存在であるというお話なのかもしれません。                                          


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思い出作品の部屋☆ 思15「新たなる野望」 [趣味・カルチャー]

 

 「幻想皇帝」


これはこれまでの「宇宙皇子」を担当する三人の編集とは違って、その上司として活躍していた女性編集者で、これまでは「宇宙皇子」の大ファンとして何かと協力して下さっていたTさんとの話をする中で生まれたものでした。つまり「もう一つ書きたいものがあったらやってみませんか」という誘いがあってって、創作意欲を掻き立てられて誕生した作品なのです。


 もうこの頃の私の創作意欲は抑えがきかない状態にありましたので、「宇宙皇子」が好調に進行しているという背景もあったことから、まったく違った発想の作品を書いてみたいという意欲を抑えられませんでした。彼女の発言は正にそうした今の私の気持ちの高まりに火をつけることになってしまったのです。「宇宙皇子」のシリーズの大好調な成績を背景にして、それとは違った味わいのある作品にも挑戦してみたいという気持に駆られていったのです。かつて角川社長から、50巻を越えるようなことになったら100巻目標になりますよと言われたことがありましたが、Tさんはそんな話に乗って目標は50巻ではなく60巻にしましょうとまでいって、私の創作意欲を掻き立てていったのです。


 その結果1987年(昭和62年)2月に発売された「幻想皇帝」で、是非数十巻という大構想の物語を完結したいと思っていた、大変気に入っていた仮想現実作品で、意欲も溢れる作品でもありました。


 「宇宙皇子」は日本の古代という広大な歴史世界を舞台にした作品として、ある程度安定した地歩を築いていけると確信できるようになっていたところでしたので、今回は1985年に古代の日本と関係が深い中国を取材したくて出かけた時に、わずかではあったのですが、その広大なスケールの中国大陸の一端を知ることになったことが刺激になっていたこともあったことから、思いきった奇想天外と思えるような作品を書いてみたいと思うようになっていたのです。この時から機会があったら仮想現実の思いきった物語を、書こうと思っていたところでした。日本と同じような土壌に発展してきている中国の歴史を、これまでとは違った構想で書いてみたいという気持になっていたのです。


                 「幻想皇帝1・男は峠で、夢を見る」1.jpg


イギリスで産業革命が始まってから、じょじょにその勢いがフランスに及んで、いよいよフランス革命ということになるのですが、その頃の世界を舞台にして、私はそのころフランスの社交界を背景に活躍するジョゼフ・フーシエをヒントにした「風生」という男がその渦中に入り込み、とてつもない野心をもって動き廻るという話を組み立てたのでした。


 市民による革命によって揺さぶられていく王家の乱脈な暮らしぶりを描きながら、その中で生き残っていくフーシェという男が巧みに生きていく様子を書いていったのです。


 イラストに末弥純さんを起用したのも角川書店の意気込みを感じさせていました。兎に角このシリーズを編集を担当したTさんから、「宇宙皇子」とは違ったもう一つのシリーズを起こして欲しいという依頼があって書き始めたものです。


 中国への取材にも何度か行きました。


 その結果SFファンタジーとしての最終的な狙いであったフランスと中国が入れ替わってしまうという大変な意図があったので、その構想を理解して頂くために主人公の風生が動く世界の規模を、私自身がイラストまで描いて出しました。如何に私が乗っていたかが想像できるでしょう。やがて物語が進行するうちに、中国を舞台に話は展開していたはずですが、最期にはそのまま中国の舞台がフランスのそれに入れ替わってしまうという、奇想天外な世界が実現するということになるはずでした。


                「幻想皇帝」(構成イラスト)1.jpg


 私のやろうとしている世界について読者はもちろんのこと、イラストレイター、編集者にも理解しておいて貰いたいという気持があって、自分で大雑把な目標を書いて提出しておきましたが、やがて出版された時には、これをプロの編集者が整理をして載せてくれました。


イラストも大変好きであったので、きっと大きく飛躍できる同志だと思って楽しみにしていたのです。すでにシリーズはスタートして間もない時に、旧知のテレビ番組などの作家であったW氏も、ファンであると宣言してくれたほどで、私はもちろんですがかなりの大作を書ききるつもりで進行していたので、あっという間に五巻まで進行していたのですが、ある日突然私の中心となる作業はあくまでも「宇宙皇子」であるという会社の方針で、そのスケジュールを圧迫してしまうことは出来ないという意向があって、残念ながら膨大な野望を秘めた「幻想皇帝」は、そのまま突っ走らせることができなくなってしまったのでした。


     「幻想皇帝1・男は峠で、夢を見る」1.jpg 「幻想皇帝2・さらば、蒼き浪漫」1.jpg 「幻想皇帝3・奥様、お手をどうぞ」1.jpg 「幻想皇帝4・宿敵のいる風景」1.jpg 


執筆する私自身はもちろんのこと、後輩作家の支援、読者の期待もあったのですが、会社の希望もあって「宇宙皇子」の作業を優先するために、作業を中断することになってしまったのでした。野心的な作品の実験は目的を果たさずに、その途中で作業を中断せざるを得なくなってしまったのでしたが、現在は角川書店に大変お世話になっているということもありましたので、どうして人気シリーズになりつつあったものを中断するのかという抗議に近いファンレターも頂いたのですが、ついにこの異色作品は5巻まで書いたところで中断せざるを得なくなってしまったのでした。


執筆する私自身はもちろんのことですが、読者の期待もあった野心的な作品の実験は目的を果たさずに終わってしまったというお話でした。


 残念なことです。


いつか機会があったら、復活したい作品としていつまでも心に残りつづけている好みの作品です。 


 


 


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