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ドラマと特撮の部屋☆ ド42「天上編ビデオ発売の謎」 [趣味・カルチャー]

  

副社長が指揮したアニメーション映画「地上編宇宙皇子」が公開されてから二年後に当たる1991年10月に、社長名で制作・販売された「天上編宇宙皇子」のビデオが発売されました。前回お話した映画の公開前に発表された「カセットブック」でのラジオドラマの発売と、今回の「天上編宇宙皇子」のビデオ制作には、あくまでも社長の指揮によるものなのですが、私は現代まで長い年月を経て、やっと二つの行為には共通の思いが込められていたと思うようになったのです。


社長はなぜあのような謎めいたことをしたにかということを考えると、当時はその真意が呑み込めないでいたのですが、映画の公開後から三年近く経たところで「天上編宇宙皇子」のビデオをわざわざ東映動画に依頼して制作販売をされた行為の真意を推測しているうちに、社長の行った不可思議な決断にはなぜか私に対する配慮をして下さった結果、私は今回の作業には納得していないということを、別の形で表現したのではないかと思うのです。そしてそれは親交のあった社長が私にその行為で思いを伝えてくれたように思うようになりました。


 すべては「宇宙皇子」が副社長のラインで、アニメーション映画として制作されるということが決まった時から、行き違いが始まっていたように思えてきます。一応建前としては映画の制作者としては社長の名前で製作されてはいたのですが、実際に制作の指揮を執っていたのは副社長です。角川書店としては「宇宙皇子」の出版をきっかけにしたブームに乗って、映画化という積極的な展開で決定的な勢いをつけたいという思い込みがあったのですが、その制作が始まるに従ってあまり喜ばしくない話が現場から漏れてくるようになってきていたのです。それが決定的になったのは制作途中である部分だけですがラッシュで見てみようということになって、原作者の私も試写室へ招待されたことがあったのですが、その日見せられたシーンの展開の感性がとても現代的であるとは言えないことから、そのまま黙認してしまえるものではありませんでした。映像作家としてのプライドが許せなくなってしまったのです。出版という仕事にかかわるようになってから、もし自作が原作として映像化される時には、必要以上に作業には干渉しないと決めていたのですが、この時ばかりは失望が先走って、思わず同席していた副社長に対して宇宙皇子が幻想の空間を激走するシーンの撮り直しを要求してしまったのでした。恐らく映画監督を何作も行っていたことのある社長は、きっと私が指摘した問題点に納得していらっしゃったに違いありません。


いつかこんなことが起るのではないかと心配していたことが、ついに起こり始めたのですが、どうも今回の映画制作のために決定された制作会社の選定には、はじめから問題が潜んでいたのです。どうも副社長から任されたTさんは私がテレビで活躍していた頃のことを知っていたことから、一寸軽率な判断をしてしまわれたのではないでしょうか。やがて大きなヒット作品になった「宇宙戦艦ヤマト」がテレビ放送をしている時のことですが、同じ時間帯の別の局で放送になっている、「世界名作童話」の制作をしていた「日本アニメ―ション」は常に視聴率で「宇宙戦艦ヤマト」をリードしつづけていたのです。私はいつも無念な思いをさせられていましたので、そのことが頭にあったのでしょう。今回の映画制作の中心となる会社として、その「日本アニメーション」を決定したのです。私にとってはきっと積年の悔しい思いを解消する機会になったのではないかと思ったのかも知れません。しかしその憶測はあまりにも人間観察力に問題があったようです。あのヤマトを圧倒していた作品作りをしていた会社に制作させるのだから、原作者も満足するに違いないという思い込みがあったに違いありません。変更を求めてもすでに状況は不可能でした。当初私が望んでいた「カナメプロ」という制作プロダクションで製作できれば、作画の中心に宇宙皇子のイラストを担当している「いのまたむつみ」さんが中心になって絵作りをしてくれるという計算があって、安心して世に評価を問える作品になるという計算があったのですが、まったくアニメーションについての智識に乏しい人が、あまりにも勝手な判断で映画制作という要となるプロダクションに決めてしまいました。そんな判断の間違いが、このようなことで跳ね返ってきてしまったのでしょう。作業の進行と同時にほころびが噴出してしまったのを社長は逐一情報を得ていたに違いありませんでした。映画制作は副社長が行うということになっている以上、下手に口出しは出来ない社長は、自分が思い描いていた古代史の世界ではない作品になってしまっています。私が感じている無念な思いと共感があるのでしょう。それを解消しようとする思いから、「天上編宇宙皇子」のビデオで制作をしてやろうと決心したに違いありません。古代を背景にした現代的な感性でアクションも描ききれなくてはならないということは、プロダクションとしてもそれに相応しいスタッフが欠いていることをスタッフからも指摘されて、あちこちからそれらの接ぎ当てをするように補充したりしましたが、それ以後制作が進むに従って問題が続出してしまっていました。ざっと見まわしたところ、メインスタッフもただ寄せ集めをしただけという状態で、完成を待つしかありませんでした。私の不満はもちろんですが、制作の中心となっていた副社長も、同時に上映される「ファイブスター物語」との兼ね合いということを考えると、今のままでは私に不満を募らせてしまうだけだと判断されたのでしょう。これまでいくつもの作品の監督を受け持ってこられた社長としては、このままでは期待を裏切られることになると感じられたのは当然です。必死で小説の執筆をしているであろう私自身が作品に対する期待感が薄れ、やがて小説を執筆する勢いを失うと心配されて、情況を挽回するために、映画のプロデユウサーとして俄かに東映動画から呼ばれてきたT氏に対して、「天上編宇宙皇子」のビデオを制作したいという依頼をされたのです。


新たなチーム編成を整えると、もちろん古代を描くための条件を理解して頂き、少なくとも視聴者を楽しませる作品作りということでは、実績をつみ重ねてきたプロデユウサーだけあったこともあって、古代史をエンターテイメント作品として仕立て上げるために、用心して貰いたい要点についての綿密な打ち合わせも行い、お陰でその作業は実に順調な手続きで準備が整えられていったのです。私も折角の機会でしたので、背景になる絵に関しては特別に注文して、時代の背景として、視聴する人のイメージを妨げないようなものが描ける方ということで、松本健治氏に美術監督を依頼したりいたしました。


はじめの制作会社決定に計算違いをしてしまったことから、俄かに私が前から付き合いの濃い東映動画からT氏に依頼して映画の仕切りをして貰っていたことから、現在の苦境を打開するために私のいう基礎的な条件を充たした「天上編宇宙皇子」のビデオの制作しようということになりましたが、映画の公開に先立った地上編宇宙皇子の「カセットブック」の発売をしたりしたこことも、すべては映画制作の時にその制作会社の選択を誤ったことに対する作家の思いに応える社長の思いやりであったということを感じたのでした。1991年10月です。ビデオが完成して発売になりました。 


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すでに新書版と文庫の「天上編宇宙皇子」10巻は発売されていますが、私にとっては「地上編宇宙皇子」とこの「天上編宇宙皇子」は、古代を背景にした世界を描く基本的な約束事が描かれたシリーズでしたので、かなりつづけて書いてきたブログも、宇宙皇子に関してはこの話が発売になるのを機会に終わりにしたいと思っていました。


 シリーズは「地上編」「天上編」で語り尽くされています。その後シリーズとしては「妖夢編」「煉獄編」「再び地上編」とつづいていますが、時代の経過によって次第にその勢いは薄れて行きました。しかし宇宙皇子が発散した困難な時代を生き抜こうとする清冽な思いは今日でも生きつづけています。


まだもう暫く「宇宙皇子」に関係するお話はつづきますのでお付き合い下されば感謝です。


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ドラマと特撮の部屋☆ ド41「カセットブック発売の謎」 [趣味・カルチャー]

  

1985年の「宇宙皇子」シリーズという小説の発売された時から数年間・・・つまり1989年ぐらいまでの四年強という時代は、小説の大きなヒットということもあって、兎に角私の身辺はこれまでとは違って、とても表現できないくらいに過剰なくらいの作業に立ち向かわなくてはならなくなっていましたが、時間がたって思い返すと、その間に関係者が行った様々な行為には、秘められた思いというものが込められていたのだということが次第にはっきりとしてきます。


今回は1988年年12月に、社長が行った「宇宙皇子カセットブック」の製作・発売ということと、やがて1991年10月に制作・発売した「天上編宇宙皇子」のビデオとの行為には、思いがけない社長の思いが込められていたように思えてくるのです。すべては1989年3月に行われた、「地上編宇宙皇子」のアニメーション映画の公開の前後に行われたということです。今回はそのはじめの行為である「カセットブック」の発売についてお話しようと思いますが、社長はどうして映画が公開される直前にわざわざ「宇宙皇子」のラジオドラマを発売するようなことをしたのでしょう。どうも公開されるアニメーション映画との関係があったとしか考えられません。


 実は「宇宙皇子」の映画に関しては副社長が指揮を執っていたのですが、一応映画の制作者は社長ということになっています。しかしその内容は社長の意に叶った者とはなっていないということに気が付いたからではないでしょうか。


 しかしあの頃「宇宙皇子」は連打する状態で、の出版界の空気というものは大変な勢いで、出版社が絡んだ依頼ではなくさまざまな公共機関からの講演会の依頼が私のところには飛び込んできていたのです。冒頭の話とは違ってしまいますが、当時の私を取り巻く空気というものもお話しておこうと思います。1985年に出版されるとその半年後には、私の住んでいるところのごく近くの図書館もある深沢区民センターから講演の依頼があって、市民のみなさんとの対話をさせて頂くことになりました。前にも書いたことがありましたが、この時を機会に書店へ伺うと若い読者とも出会うことがあり、そこで率直な意見を聞くことができましたが、意外にも小説の内容についての注文ではなく、このあたりの書店だとなかなか目的の「宇宙皇子」を手に入れることが出来ないというのです。いつも渋谷・新宿の大手の書店まで早めに出かけて、やっと手に入れるということでした。作家としては地元で自作が容易に買って頂けないのは残念なことですから、帰宅してから直ちに角川書店にお願いして、出版と同時に近くの書店に配本をして頂けるようにお願いしたことがありました。


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これは講演会を行ったいい結果ということであったと思うのですが、もう一寸高齢の社会人である「学校図書館研究会」という方々は、若い人にどんな映像作品が好まれるのか、そしてどんな小説が好まれるのかということで、私に「宇宙戦艦ヤマト」についての話と「宇宙皇子」を生み出したきっかけについての話をして欲しいということで中央沿線の三鷹の教育関係の会館へ招かれたことがありましたが、この時の講話が大変によかったということで、その後も再び同じようなテーマでお話をしたことがありました。


やがて上尾図書館。亀有図書館、八潮図書館などからの講演依頼がつづきました。


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兎に角作家が講演会のような形で一般的に姿を現してしまいますと、社会人として覚悟しておかなくてはならないのは、日常生活の場で様々な人々とすれ違うことも多いのですが、もちろん私はこれまで通り自由に散策に出て、近くの文房具店や書店を数軒巡って息抜きをすることがあるのですが、その間に自宅に電話が入って、「今、お宅のご主人が散歩している姿を見かけたわよ」という報告が入ってきたりしたようで、講演会などで姿を公にさらしてしまうと、今までのように見知らぬ存在として気楽な散策などは出来なくなります。更に広げたお話をすると、電車などでの車内広告でその月の出版物が公表されることにもなります。そんなことがきっかけで、「神戸学院大学女子高」や「奈良智辯学院」から講演の依頼があったり、集英社の文化振興団体と中国新聞が共同で企画をされた週国地方の高校を巡る講演会に駆り出されたりいたしました。


 「地上編宇宙皇子」の映画制作が発表されたのは、そんな最中のことでした。


やがてその制作の進行状態が盛んにマスコミに発表されて、映画の公開が待ち遠しという状態になっていた最中に、1988年12月1日に「宇宙皇子カセットブック」というラジオドラマ集が日本コロンビアから発売になりました。その制作・発売はあくまでも社長名で行なわれています。


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私にとっては脚本家になるきっかけとなった分野で、学生時代には脚本賞などを受賞したりしていた世界でしたが、大学を出る頃から始まったテレビという新しい文化に活路を求めて飛び込んで行きましたが、兎に角ラジオドラマという世界には、ある種の郷愁という感慨もありましたが、すでにお話しましたが今回は脚本家としてではなく、あくまでも原作者として向かい合うことになりました。ドラマを制作するのは、当時芸術祭参加作品を制作しつづけてきた文化放送の演出家の鈴木久尋さんが制作するということで、私は若手の放送作家の中から富田祐弘・寺田憲志・武上純希氏という面々は映画制作のための脚本を共同で執筆してもらいましたので、今回のラジオドラマには若手の放送作家から神戸一彦・武上純希に若手の作家で弟子でもある森川潤氏を指名して執筆して貰い、出演者はほとんど青二プロダクションの実力者が中心になって固めて貰いました。映像とは違った独自色の出せる分野での演技で楽しんで頂けたのではないでしょうか。思いがけずプロローグの語りを私がやれということになりましたが、かつてラジオの構成番組を担当していた頃、今回は思い切って脚本家が語ってみて下さいという提案があって、音楽番組の中の一ページを語ったことがありましたので、恥ずかしげもなくデレクターの提案に乗って、オープニングを録音させてもらったのでした。


兎に角大学時代を思い出すようなスタジオの雰囲気を思い出しながら、30分のドラマが録音されていくのを見学させて頂きました。しかしおそらく小説が朗読作品としてはかなりの数の作品が制作されてきたと思うのですが、今回のように本格的なドラマとして制作されるということは実に珍しいことではないでしょうか。私はそんな意味でも大事にしているシリーズなのです。


こんな作品を社長が、なぜ映画の公開が迫っている時に、制作・販売などしたのだろうか。時を経て考えると、どうもその行為には、何か秘められたものが会ったのではないかと思えてきたのです。しかもそうした社長の不可思議な行為の裏には、もう一つの謎があったのではないかと思われるものが会ったのです。それは映画が公開された後から発売された「天上編宇宙皇子」のビデオの発売です。じっくりと思い返してみると、社長の二つの行為には、ある思いが込められていたのではないかと思うようになってきたのです。兎に角今回の「カセットブック」発売は1988年12月ということですから、はもう30数年も前のことです。手に入れたくても容易には出来ないと思います。


ラジオドラマが好きだという方がいらっしゃいましたら、是非発行所の角川序店か制作協力の日本コロンビア株式会社にお問い合わせ下さい。しかし現代ではそんなことをするよりも、


「ネットで検索すれば、たちまち手に入ることができるのではありませんか」


あっさりとそう言われてしまうかも知れませんね。


 それよりは、先ず次のお話を読んでみて下さい。


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告知と放談の部屋☆ 放97「イベントとファンクラブ2」 [趣味・カルチャー]

  

 ファンクラブの東京の拠点であるだけに、各地のファンクラブからの私が参加して貰いたいという希望に、どう応えていくのかということではスタッフの会議でのおおきな問題でもありました。そんな中から浮かび上がってきたのが東京での大きなイベントです。まだファンクラブが発足して間もないのです。とても大きなことは行っておりません。宇宙皇子体験ツアー」という行事の企画と実行ということだけでも、容易なことでは運営できるものではないのです。それを行いながらそれが毎年夏の行事として定着していましたから、その時期を外したところで各地へ出かけて行って、読者と一般の興味のある人達との親睦を図ってはきたのです。それぞれの町で行なわれたイベントは、わざわざ東京から出かけて行く私を楽しませてくれました。いや、当日集まって下さったみなさんも、同じ思いでいて下さったことでしょう。


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  二回目の時は読者から私に感謝状が贈られるという思いがけないことが用意されました。勿論東京ではこの後からもクリスマスのファンクラブ祭りは行われましたが、東京についで大きな集まりになったのは大阪でしたが、お母さんに連れられてやってきた小学生までいました。


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 次は仙台で行なわれたクリスマスイベントです。この日は角川書店からS編集部長が若い人の様子を知りたいと同行してこられました。先生に案内されてきた学生たちは、かなり緊張していたことを思い出します。


 


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次もクリスマスイベントを兼ねて、宮城の野口英世記念館がファンクラブの催しとなりました。私に対する質問コーナーでは、かなり女性から活発な質問があって、参加者たちも楽しんだように思います。


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次は福岡ですが、ここでは編集長としての作品の受け止め方についての講演もあり、実作者である私との作品の受け止め方が面白かったのではないでしょうか。


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こうした各地でのイベントの開催は、ただ読者たちの受け止め方を生な形で受け止めて貰えて、角川書店の幹部社員の方々にも、かなり参考になったのではないかと思います。最後になりましたが、広島の読者のみなさんとの記念写真を紹介いたします。残念ながら、みなで原爆記念館などを訪問した記録写真が見つかりませんでした。


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若い世代の人々との映像時代からの接触がありましたので、京都のPHP出版から依頼があって、何冊かの若い人に向けたエッセイを出版いたしました。


 


機会がありましたら、是非若い人に読んで頂きたいものです。


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これは少しでも多くの人に読んで貰いたいという希望から、タイトルも変えて新しいものも加えた物にもいたしましたが、やがて徳間書店からも、いろいろなところへ出かけて行ったおかげでしょうか、かなり違った青春を生きている若者がいるということを知りました。そんなことから珍しい若者の人生相談ということを狙った「せいしゅん隣組」という本も出版しています。


 この頃は「宇宙皇子」をはじめとした若者文化が様々なことで広がり、さまざまなことで波紋を広げていました。


 宇宙皇子ファンクラブはそんな時代をリードしていく中心的な活動をしていきました。


 


 1985年から1988年という4年間というものは、まさに「宇宙皇子」がさまざまなことで話題であったことは間違いがありません。それは激烈な時代を生きる人々の暮らしを背景にした「地上編宇宙皇子」と、極楽浄土のあるという「天上界編宇宙皇子」の作品が連打さていった時代でありました。


 


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思い出作品の部屋☆ 思17「イベントとファンクラブ1」 [趣味・カルチャー]

  

ファンクラブの東京の拠点であるだけに、各地のファンクラブからの私の参加を希望するという希望に、どう応えていくのかということではスタッフの会議での大きな問題でありましたが、そんな中から浮かび上がってきたのは、東京での大きなイベントというものがまだ行われてはいないということでした。地方からの希望は沢山あるのですが、「宇宙皇子体験ツアー」という行事の企画と実行ということだけでも、容易なことでは運営できるものではありませんが、それを何とか事故もなく終了することができたばかりです。


「宇宙皇子体験ツアー」というものは、小説の援護射撃ということでは大変有効な企画したから、ファンクラブとしては発足すると同時に大きな役割を演じてくれたことになりました。この企画は1985年から毎年陰の大役を見事に演じ切ってくれたのですが、ツアーに参加できる読者は200人弱という幸運な方だけに限られていましたので、あれだけ大きなヒット作品になりましたので、ツアーに参加できなかった日本全国各地に存在している読者からは、次第に欲求不満が出てきます。特に東京はファンクラブの拠点として確立していましたから問題はないとしても、横浜・名古屋・大阪・福岡などの地方の都市はもちろんのこと、それぞれ県単位でも独自のファンクラブが生まれていて、それぞれの土地に相応しいリーダーが生まれて独自に活動をし始めていましたから、東京の本部に対して、私を中心に各地へ来て貰って直接話ができる機会を作って欲しいという要求が、頻繁に入ってくるようになっていたのです。


その結果編集長との協議をした結果、地方へ出かける予算が取って頂けるようにというお願いをしなくてはならなくなってしまいました。兎に角ファンクラブには大量の資金が与えられていたわけではありません。ほとんどは自発的な活動だったので、兎に角援助して頂かなくては思うような活動もできません。まして全国の各地からの集会要求に応えるためには資金が必要になりますので、編集長の協力は絶対に必要でした。しかしそれ以上に問題なのは角川書店としての出版の予定がありますから、私の都合でそれが思うようにならなくなってしまうということには出来ません。ファンクラブのスタッフは相談ということで、よくやって来るようになっていました。確かに彼らの全国のファンの要望に応えて上げたいという純粋な熱意を思うと、無碍には拒否は出来ません。結局いろいろ検討した結果、私が現状を更に厳しくする過密スケジュウルを我慢するという決心をすることで話し合いは決着したのでした。


そんな中でようやく第一回目の体験ツアーをやり遂げたのですが、ファンクラブのスタッフたちには、ツアーに参加できなかったファンたちから、読者たちとの親睦を図って欲しいという希望が集まり、ファンクラブとしては「体験ツアー」という大役を果たしてほっとしていたのですが、そのまま息継ぎをしている暇もなく読者から寄せられる希望に応えることについて新たな知恵を絞らなくてはなりませんでした。そこで考えられたのが、「クリスマスイベント」を行ってはどうかという提案でした。勿論私はまったくそうした独自の計画にはかみこむ余裕がありませんから、そのプロセスに関してはまったく判りません。次の出版に向った作業にかかっていましたので、スタッフからイベントについての報告を聞くだけでやり過ごしていました。しかし宇宙皇子が出版され、体験ツアーが行われ、畳み込むように東京のファンクラブ主催のクリスマスイベントが12月22日に行われることになったのでした。


やはり東京の中心であるファンクラブとしての存在感を示すためにも、みなそれなりに意味のあるものにはしておきたいという気持になってきたところです。しかし1985年ですからまだファンクラブが正式にスタートしてから数か月のことです。銀座のヤマハホールで「クリスマスイベント」を行ったのでした。勿論私は会場いっぱいの読者を前にして、冒頭の挨拶をいたしました。ファンクラブのお披露目という意味もありましたが、日本の各地域の人たちがわざわざ東京まできて参加してくれたことには感謝でしかありません。作家の私もその反響の大きさに、改めて感動しながら宇宙皇子に対する反響は普通ではないと実感いたしました。


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これが毎年年末の行事として定着していくことになったのですが、それは東京だけに限られず、地方各地に誕生している「宇宙皇子ファンクラブ」の活動に組み入れられていきました。


 全国の若い人たちと出会って話をするということができるということでは、出版で言うお客様の時代意識や生活感というものが生で知るいい機会に恵まれるのです。これまで何度か経験しましたが、所謂出版社の編集者は、大体会社にいて持ち込まれる作品に目を通すという作業はするものの、生の読者の動向についてはほとんど受け取る機会を得られないままでいることがほとんどだったのです。


 私にとって大変厳しい日程をこなさなくてはならないことではありましたが、その分各地の若者たちと直に話ができるという収穫もあるのです。私は彼らが組んできた予定のイベントには喜んで参加をすることにしたのでした。すべての記録を紹介することは出来ませんが、それぞれの地方へ編集長をはじめファンクラブのスタッフは、私と共に出かけて行って親睦を図りました。宇宙皇子についての話と読者たちからの質問に応える時間は、これまでには考えられない和やかで親しみを増した時間になりました。しかしどこへ行っても必ず最後はサインをしなければならなかったのは、なかなかくたびれるものでした。


 私は若い人が、小説をどのように受け止めてこられたのか、若者としての受け止め方を、生の声として受け止めることができた、大変参考になるしんぼく会でしたが、ファンクラビのスタッフは、地元の世話役との親睦に務めながら、東京がその中心であるために地方の会員の要望を受け止めながら、角川書店の意向、私の意向に配慮しながらほとんど問題を起こさずに、ファンクラブの維持を見事に果たしていったのでした。しかしこの頃、当時はまだジャニーズ人気もそれほど大きなものではなく、特に現代ようにアイドルを追い回すようなこともそれほど大きな動きにはなっていませんでしたので、それぞれの歌手についているファンも宇宙皇子の会員の数には叶わないほどであったといわれました。まして作家にとってのファンクラブというものが、これほど大きな形で運営されていたものはありませんでしたから、みなさん異様に思われたでしょうね。


そんな人気を支えてくれていた縁の下の力持ちたちは、みな二十歳前後のスタッフで、ファンクラブという大きな親睦組織を維持しながら支えていくということに、ほぼ四年間という間を充実したものにしてくれました。その中でも毎年行われるようになったクリスマスのイベントは、東京だけでなく各地で行われるようになっていきました。次回はそんな中でも目立った地方のグループによる「クリスマスイベント」の催しを、大座パですが紹介したいと思います。


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告知と放談の部屋☆ 放96「宇宙皇子体験ツアー 3・4」 [趣味・カルチャー]

  

こうして爆発的に読者たちから受け入れられている「宇宙皇子体験ツアー」でしたが、私はこの企画から鮮度が感じられなくなった時には止めなくてはならないと思っていました。つまり若い人に歴史の跡と小説の進行とが、読み進めていく間に更に古代への興味とつながっていける手掛かりとでもなればいいのですが、ただだらだらと企画だからということでつづけていては、やがて一気に興味を失うことになりますし、様々な問題も噴出してくるものです。そこで私はファンクラブにも「地上編」と「天上編」が終わるころまでには、残念だけれども読者に新鮮な歴史世界と出会って貰うところはほとんどなくなってしまうので、そろそろ体験ツアーも終わることを考えておかなくてはならなくなると、ツアーの反省会の時に話しました。


 そこで・・・今回はこれまでとは違う、歴史を楽しもうという目的で、これまでとは違ったゆとりのある企画にいたしました。そのきっかけとなる天上界を知って貰うためにも、現在生きている世界には、須弥山という現世と天上との境だと思って進行するところがいくつも存在しているので、これまでは関西中心の体験ツアーであったので、三回目のツアーは関東の須弥山といわれている妙高山を中心にその周辺を巡る旅にしてみなかという企画を提案したのです。第三回「宇宙皇子体験ツアー」は1987年8月1日に行われたのでした。


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  ファンクラブは史跡といえるところがほとんど見当たらないところでの企画にかなりましたので、これまでのようなかなり強硬な予定で史跡を巡るというようなことは避けて、妙高山を須弥山と考える信仰があることから、天上界についての知識となるような話をいろいろとしたり、ファンクラブが工夫して企画した運動会が行われて、会員同士の連帯感を生むリラックスしたツアーになりました。しかしお気づきになられるかも知れませんが、恒例の七夕祭りに異変があります。これまでのような見事な笹が手に入らなかったので、短冊での勝負になってしまいました。それではこれまでとはいささか気分を変えた「体験ツアー」の一部始終をご覧下さい。宇宙皇子を愛するファンの懇親会といった雰囲気のイベントでありました。


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  異色の体験ツアーではありましたが、ここでいよいよ締め切りとなる最後の企画を考えることになりましたが、もう一度原点に立ち戻って「体験ツアー」を行って企画の目的を思い切って終了しようということで終わりました。


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  こで1988年8月に、炎熱の中を四回目の「宇宙皇子体験ツアー」が行なわれることになりました。かつてと同じような炎熱の中をかなり強行軍の旅程になりましたが、かつての多くの体験ツアーがこうであったようなことを思い出しながらでした。これで「体験ツアー」となった古代歴史の故郷であった明日香村を中心とした旅は終焉ということになりましたが、こうした大きな集団を事故もなく運営してこられたのは関係した角川書店のみなさんはもちろん、私のおつき合いを通して協力して下さったみなさん、そして完全に陰の人となって働いてくれたファンクラブの諸君には、感謝のしようもありません。関係者一同、協力をして頂いたみなさんへの感謝の気持ちを噛みしめながら、ファンクラブとツアーとのかかわりについてのお話を終わりたいと思います。


有難うございました。


 


   


  


 


  


  


 


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告知と放談の部屋☆ 放95「宇宙皇子体験ツアー1・2」 [趣味・カルチャー]

  

「宇宙皇子」が出版された直後から、自発的にその支持者が三々五々集まって拙宅へやってきたのは1985年のことでした。その後で彼らの思いに応えるために編集長のA氏に彼らを紹介したのが始まりで、やがて編集部の一部を活動の拠点として提供して頂き、独自に活動を始めることにしたのが「宇宙皇子ファンクラブ」のスタートでした。しかし「宇宙皇子」の方向については間違えないように、多くの読者との協調をして貰いながら、独自に活動するとしてもまったく私の知らないことを、勝手に働きかけてはいけないということもあって、編集長に目を光らせて頂きながら、「あすか編集部」の一部をお借りしてそこをファンクラブの正式な拠点としたのでした。その後その時の事情から拠点を転々と変えながら、スタッフも次第に固まってきて「宇宙皇子」の出版に合わせた会報も制作されるようになりました。


 若者たちにはそうした編集にも特技を持っている者もいて、編集長と私はほとんど口出しをせずに、自分たちでどういう形で運営していかれるのかということを考えて貰いました。時間を経過していく中で、かなり優秀な若者たちも集まってきたこともあって、さまざまな意欲的な企画も出てきて、先ずはその機関紙である会報の0号である「鬼笛伝説」が誕生することになったのですが、そこで私はファンクラブの推進力となることを考えて、彼らの注目の対象になるファンクラブの企画として、小説の中で主人公である宇宙皇子が駆け巡る歴史的な世界を、読者もその体験を共有するという意図で、古代史に世界を旅することはどうだろうかと提案しました。それが「宇宙皇子体験ツアー」の旅の始まりでした。幸い旅行を扱うところが角川書店の中にありましたのでその協力も約束されて、ましごく少人数のスタッフではありましたが、企画の推進を任されて動き始めたのでした。それぞれ知恵を絞ってその大きな企画を動かすことになったのですが、編集長がその責任者についていて下さって、読者への呼びかけが行なわれたのです。ほとんどファンクラブのスタッフによってその案が練り上げられて進行していったのでした。みな二十歳前後の若者ばかりですが、経理的なことは会社に任せるとしてもその他のかなりなれない大きな事業の運営に関しては、数名のスタッフが知恵を絞って行うことになりました。私は小説の執筆に追われていましたので、彼らの実務に関しては書くことができません。作業に立ち会っていたわけではありませんでしたので、困ったことがあればいつでも相談に乗るということを約束して仕事をつづけていたのでした。


 第一回の体験ツアーの様子については、すでにブログで紹介いたしましたので、その時の解放を紹介するだけにしておきますが、現地では私が史跡と小説の主人公とどうかかわって登場したところなんかということを開設するということにんありましたが、横浜・東京・名古屋・九州という四か所からそれぞれ50人ぐらいの希望するファンを載せて、最終の集結点として決めた、奈良の金剛山の頂上にある駐車場で出会うという企画で出発いたしました。実はこの第一回の試みには幸いにも予想を越える応募者がって、やむを得ず抽選での当選者が参加者ということになりました。


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私はもちろんでしたが、イラスト担当のいのまたむつみさんも参加されて、大変な賑わいでしたが、それ以外にもかなり多くのゲストが作家して下さいました。


 第一回目の「宇宙皇子体験ツアー」が大変な評判となって、つづけてやって欲しいという熱望があつまりましたので、一年後の1986年の夏休みを利用して第二回の「体験ツアーが行われました。前回と同じで、抽選で当たった方180人が参加しましたが、お婆ちゃんがお孫さんの付き添いで参加してこられたのはびっくりしましたが、大変嬉しくも思いました。しかし行き先は大峰山です。宇宙皇子が師と仰いで存在した修行者の役小角が開いたというところです。大丈夫かな。


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  みなハードスケジュールの中炎熱の八月ですが、誰も倒れた人がいませんでした。


近くの天河神社へも行ったんですよ。


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           「体験2七夕」1(198682).jpg 「体験2その気になって」1(198681).jpg 「体験2七夕表彰」1(198682).jpg 「体験2採点」1(198682).jpg


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 兎に角宇宙皇子が小説の中で走り回り活躍する古代史の遺跡を尋ねながら、男子は自分が宇宙皇子になったつもりで、鬼笛を持って参加してきたりしましたが、物語の中に飛び出した龍と戦うつもりのような気持ちだったのでしょう。七夕遊びについては前回と同じように、ツアーの大きな楽しみ多いイベントになりましたが、願いを書き止めた願い事を吊るして飾る竹を宿に頼んでおくということも、ツアーを支えているファンクラブスタッフの努力の一つです。しかし私も言い出しっぺとして、バスが次々と遺跡へ移動するたびに乗り換えて、それぞれの地域から来た読者に宇宙皇子の活躍する古代についてのお話をしながら、現地へ着いたらそこで史跡の解説もしましたので、ほとんど休みがなく大変な苦労でした。しかしファンクラブのスタッフは、地方のファンから寄せられる様々な希望に、どう答えるべきなのかということで、東京へ戻ったらまたみなでデスカッションをすることになるのでしょう。出版の勢いと同時にファンクラブの活動も、かなり精力的な活動をしていくようになりました。それは「宇宙皇子体験ツアー」が紹介できた後で、イベントなどの活動についても、いずれお話したいと思っています。


 


 


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アニメと音楽の部屋☆ ア58「脚本家としてやれることは」 [趣味・カルチャー]

  

かつて活躍していたテレビ・アニメーションの世界が大替わりしていく中で、突然出版界に出現したのが「宇宙皇子」でしたが、どうしてあの本があのように出版と同時に火がついてしまったのでしょう。ほとんどの方は気が付かなったに違いありません。出版界の方はこれまでまったく無視をしてきた映像の世界から、俄かに移動してきたような混乱状態になってきていました。そんなところに開花したのが「宇宙皇子」だったのです。


 これまでとまったく異質な進化したロボット社会が跋扈するアニメーションに馴染めない、ある意味で映像の世界から見放された世代の人々は、かつて夢を見てきた世界を、別の形で展開する「宇宙皇子」にのめり込んできたのではないでしょうか。これまでには考えられない小説の世界に、希望を求めた若い集団が想像を越えた社会現象をもたらしてきたように思えます。何もかも時代の進展で起こる社会現象であることに違いありません。そんな時代の変化の中でもみくちゃになりながら、私は活字の世界と映像の世界に挟まれながら、何とか「トランスホーマー・ザ・ヘッドマスターズ」のテレビシリーズ第一話を書き上げなくてはなりませんでした。


今回はこれまでと違った進化した世界を描こうという意図のもとで、新たな魅力をグレードアップしたロボットの姿を展開して見せようというのです。しかしなかなかそこに展開する世界に馴染めないのです。


私はこれまで映像作家として活動している頃には、慕ってきた若い脚本家に対して「引き出しの多い作家となるように努力しなさい」とアドバイスしつづけていたのですが、実はこの頃になると携帯でもパソコンでも、「検索」という便利なものが用意されていて、知りたいことのあらましについては簡単に手に入れられる状態になってきていたのです。これまでの脚本家には、生きていく中で広がる人間関係、社会生活を通して、自然に体感したりしていく知恵というものがあって、脚本家が話の進行上で困難にぶつかっても、「あの時の経験を利用して、ドラマの中での困難な情況を突破すればいいのではないかということが閃いて、そのお陰で困難を突破することが多かったのです」が、実社会生活が複雑化してくる中で出て来る問題が多くなってきている現代では、ただ「検索」を利用しただけで簡単に困難を乗り越えられることを知ってしまうと、特別その人の特色のある智恵の発揮ということが見られなくなってきていました。しかも現代のように日進月歩で進化していく時代になっている時に、このロボットたちを使ってどう表現すれば、今起こっていることが表現しきれるのだろかと考えこんでしまうのです。


私は兎に角与えられた映画の「トランスフォーマ」の設定書を見つめながら、このロボットのメカをどう動かすことが、そのシーンの中で生きるのであろうかと考えると、とても文章的に書ききれないということにぶつかってしまったのです。


これまでの人生経験上、様々なことに出会い、思いがけないことを発見するようなことがいろいろありましたので、それらのものが知識となって脳裡に蓄積されて、編集者やプロデユウサーから、ここは他にもっと面白いアイデアはありませんかとか、ここで人生が変わるようなきっかけは作れませんかとか、何とかこの危機を突破するアイデアはないでしょうかなどという要求が出た時にそれではこんなものはどうでしょうと、書かれたものとは違ったアイデアが提案できる状態であったのです。それで脚本家としての真価を認めさせることになったのです。そんなことから様々なアイデアがいろいろな心の中の引き出しの引き出しにしまってあることが、作家たちの誇りでもあったのですが、現代の映像界では、そういったため込んできた知識では解決しないものが、縦横無人に動きまわるのです。そうした生命体の動きは一体どうしたら脚本家として書き止められるのでしょうか。そんなことを考えると、現代の進化した生命体であるロボットを描くには、活字でその動きを描ききるということは不可能なのではないかと思うようになったのです。影像を動かして縦横に活躍させるには、もうアニメーターでなくては不可能ではないかと思うようになったのです。知能まで持ってしまったメカニズムは、もう文章で書き止めることは無理だと思うようになりました。とても人間的な発想をするわけありませんし、ロボット同士にそうした心の働きと言うものがどう働くのだろうかと考えると、とても表現することは不可能だと思うしかなくなってしまうのです。


 「とても脚本家としてこのロボット社会を描ききることは出来ない」


 これらの社会現象も、すべて時代の進展で起こる社会現象であることに違いありません。そんな時代の変化の中でもみくちゃになりながら、私は活字の世界と映像の世界に挟まれながら、何とか「トランスホーマー・ザ・ヘッドマスターズ」のテレビシリーズ第一話を書き上げていたのでした。


                                             「トランスフォーマー」(テレビ台本)1.jpg


  私は悩んだ末に、当面の話の進行となる目安を書くと同時に、これ以上は書きつづけることが困難であるということを申し出て、後は脚本家の仲間であるTA氏とYAにシリーズを書いて貰うことにして、実作業からは遠ざからせて頂いたのでした。


 時代は変化と変身の時代だということで、その後ミリオン出版から出たトランスフォーマの雑誌に、「時代はメタモルフォーゼ」ととらえたエッセイを書かせて貰いましたが、


テレビ・アニメーションはロボットが、これまでにない生命体として動きまわる様子を、如何に生き生きと描かれるかによって勝負するようになっていったのでした。


もう脚本家がその姿を書ききることには限界があります。もはや現代のアニメーションは、アニメーターの手腕で出来不出来が決まってしまう時代になってしまったのでした。


私は悩んだ末に、当面の話の進行となる目安を書くと同時に、これ以上は書きつづけることが困難であるということを申し出て、後は脚本家の仲間であるTA氏とYAにシリーズを書いて貰うことにして、実作業からは遠ざからせて頂いたのでした。


 時代は変化と変身の時代だということで、その後ミリオン出版から出たトランスフォーマの雑誌に、「時代はメタモルフォーゼ」ととらえたエッセイを書かせて貰いましたが、


テレビ・アニメーションはロボットが、これまでにない生命体として動きまわる様子を、如何に生き生きと描かれるかによって勝負するようになっていったのでした。


もう脚本家がその姿を書ききることには限界があります。もはや現代のアニメーションは、アニメーターの手腕で出来不出来が決まってしまう時代になってしまったのでした。


                                       「トランスフォーマ談話」(平成23年8月2日・ミリオン出版)1.jpg


私に時代の進化を知らしめた番組でしたが、もう何年も前から私のするべき世界ではなくなっていたということを、改めて知らされたのでした。そしていずれ私は、活字の人間になったのかそれとも映像の世界に留まりつづけるのかということを、そろそろきちんとしておかないと、私自身その立ち位置に混乱が起ることになってしまうだろうという時が訪れると思えてきたのでした。


 たかがアニメ―ションされどアニメーションです。


 「トランスフォーマ」という番組にかかわったお陰で、これからの進むべき道筋を決定的にした瞬間でした。


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アニメと音楽の部屋☆ ア57「トランスフォーマの不安」 [趣味・カルチャー]

  

 1988年。


時代は大きく変化してきていました。


 私が出版界へ転身を図って、角川書店での作品の発表の場を得て、幸いにもその最初の機会に大変なヒットを出すことに成功したところです。「宇宙皇子」という大長編になる歴史世界での若年層に向けた小説です。出版されてから一年もしない頃に、読者の中からの発意で出版界では珍しいファンクラブなどというものが発足した翌年のです。


これまで「宇宙皇子」が短期間の間にベストセラー化してしまったこともあって、ブログではそれらの出来事を次々と書いてきてしまいましたが、ここらあたりで話は後先になってしまうのですが、「宇宙皇子」が発売されてそれほど時がたたない1988年3月の出来事について、お話しておかなくてはならないことがあったということについて思いだしました。これまで長いこと仕事を積み重ねてきた映像の世界から、転身を図って間もない私に、何と映像の世界から声がかかったのです。「宇宙皇子」というシリーズは間断なく必死で書きつづけ、それと同時に人気を日増しに上乗せ行く状態でしたが、そんな最中に映像界から久しぶりに仕事の依頼が飛び込んできたのです。


「マジンガーZ」「機構戦史ガンダム」「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」「六神合体ゴットマーズ」などというテレビ視聴者を熱狂させたテレビアニメーションが、時代の推移で姿を消していくのに合わせて私のテレビを通した活動も勢いを失い、新しい活動の世界を求めて出版界へ転身を図り始め、そのきっかけとなったのが「宇宙皇子」という作品のヒットだったのです。その読者たちによって結成されたファンクラブが活動を始めて間もない1988年の3月のことでした。久しぶりに思いがけない話が飛び込んできたのでした。暫く実作業から遠ざかって新天地での作業に専念していた時のことなのですが、長年親しくお付き合いをしてきた東映動画のYプロデユウサーから仕事の依頼があったのです。優秀な若い演出が率いる新番組にかかわってくれないかという話でした。


 「トランスフォーマ・ザ・ヘッドマスターズ」というアメリカ映画の第三作目で、この映画で新しいロボットが開発され、玩具として発売されるということなのです。


 かつて私がその開発に夢中であった、SFアクションという世界は、どうやら玩具販売に欠かせない世界に変身してきていたのです。


 時代の変化によって、アニメーションの世界では中心的な推進役を担ってきた世界は、完全に玩具と切り離しては存在しなくなっていたのでした。力をこめたテレビ版を制作するという話ですが、兎に角出版界へ転身したばかりで思いがけない大ヒットを記録したところでもあります。久しぶりに映像界から頂いたお話ではあるのですが、お話に乗ることは、一寸難しい雰囲気になっていたのです。まだこのまま映像の世界に戻るきっかけを放棄してしまっていいのかという気持もありましたが、現在出版界で起こっているブームを無視することもできません。そのへんの難しさを理解して貰った私は、兎に角スタートのあたりでの協力は約束しました。大雑把な話の運びと、シリーズ構成を執筆するということを約束して帰りましたが、兎に角第一話に関しては、何とかまとめなくてはなりません。ところがそれからこれまでにない脚本家としての新たな格闘をしなくてはならなくなってしまったのでした。


                                                「トランスフォマー2011」1.jpg


この時私には6年前のことが甦ってきました。


「機構艦隊ダイラガー」という作品を東映本社制作で行なった時です。その設定書を含めてメカのデザインが届けられましたが、もうこのころからそれまでの玩具の世界では大変な変革期にきていて、「マジンガーZ」のような巨大ロボットが活躍する世界から、やがて「六神合体ゴットマーズ」のように、そのスタイルがどうであれ、さまざまな役割を分担するロボットが何体も合体しているロボット物に変わって行きました。そのために純粋な思いで番組を制作しようとしていたスタッフからは、そういった武骨さをあからさまにして活躍させることに抵抗を感じさせてしまって、かなりスポンサーとの間に挟まって苦労したことがありましたが、それから数年もしない内にテレビ界では時代と共に受け止める視聴者の感性も大替わりしてきていて、陸上で活躍するロボットも、これまで以上に何体ものロボットをみにつけていて、相手によって次々と戦うための戦力として送り出すようになりました。これまでは地上での活躍をするヒーローととして活躍する存在であったものだったのですが、それは宇宙の場にまで広がり、時によって陸上と同じように武器のロボットを送り出して活躍するようになりました。いうなればあの「機構艦隊ダイラガー」はそれでもかなり初期的なロボットを扱うように、艦隊として繋がるロボット戦隊を宇宙で活躍させました。私は理屈抜きでこうしたロボットが宇宙に存在した上にまるで地上の生物であるかのような縦横無尽の活躍をする話には、どうしてもついていくことができなくなっていたのです。これも全体の流れを決めたところで、弟子である二人の脚本家にその後の作業を託して、私自身は身を退いてきたのです。生々しい歴史上の事件に翻弄されながら、必死で生きていこうとする人間たちを書くようになっていた私にはあまりにも時代の生み出す異常な世界との接点が生み出しにくくなっていたのです。今回の話も結局話の流れは作りましたが、どうも脚本として執筆し始めると、映画で描かれている進化したロボットっと世界を書ききれないという問題と直面してしまったのです。実際にそうした世界を描くには、新しい時代の波に乗って生きようとする若い世代の人の方の方が、視聴者の波長と上手く一緒に生きて行けるのではないかと思って、脚本を執筆することは後輩のT氏に任せることにしました。


                     「機甲艦隊ダイラガー」1.jpg 「ダイラガー台本 1」1.jpg


その後1985年には、またまた「超獣機神ダンクーガ」という話が飛び込んできた時には、再び地上での活躍をする存在としてのロボットではあるのですが、時代の進展によってその存在そのものが更にこれまでを越えた存在とは違う者にしなくてはならなくなりました。更に進化したロボットの世界を描こうという話が持ち込まれてきたのです。アニメーションの世界も、時代と共にどんどん視聴者の要求に応えようと、業界は苦闘していたのです。思えばかつて私が夢を求めて取り組んできたSFアクションというジャンルは、夢の物語を受け付けない鮮烈な現実と対峙していく姿を描かなくてはならなくなってしまいました。ここには珍しい記録が残っていましたので紹介いたします。「超獣機神ダンクーガ」の初期的な作業の記録です。私はこれも弟子の寺田憲史・武上純希に任せて実作業からは身を退いたのでした。


            「獣戦機ダイガン・スタッフ」1.jpg 「獣戦機ダイガン企画」1.jpg 「獣戦機ダイガン・構成表」1.JPG


時の経過とともにあまりにも生きる世界に変化が起ってしまいまって、安住できる場を失ってしまったように思います。これまで私の書いてきた夢の世界はどんどん遠ざかってきてしまっていたのでした。


 


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告知と放談の部屋☆ 放94「武蔵野次郎氏激賞」 [趣味・カルチャー]

   

「宇宙皇子」の映画化ということのキャンペーンが盛んにおこなわれ始めている最中のことです。注目はその内容について読者の話題を集めている最中でしたが、そんな最中に「野性時代」での私の成人向けの作品の作業は粛々と進行していました。


 会社の状態は兎に角「宇宙皇子」と「ファブスター物語」の同時封切りということで、そのキャンペーンが盛んに行われていまして、そのための素材の仕方についての相談があれば、言うまでもなく協力していました。その間にも脚本家たちからもたらされる制作現場の様々な問題については、あまり予算をかけないで製作するという方針もあって、私としても一部内容の撮り直しをお願いしたこと以外は、もうこれ以上はお願いできないという気持になっていましたので、多少の不満は我慢するしかないということを伝えて頑張って貰うしかありませんでした。


 映画の完成まではもうほとんどかかわることもないことから、私は挑戦し始めた成人物作品の二巻目の執筆に没頭していました。一巻目の「御霊狩り」は宇宙皇子の読者とは違った人々の間で注目を浴び始めていましたが、世間的にはほとんど騒がれることはありません。勿論、これまで成人物の作品の読者は、恐らく「宇宙皇子」の影響もあってあまり興味を持たなかったかも知れません。しかし若手編集者たちが工夫して私をアピールするための特集をしてくれましたので、取り敢えずこれまでとは違った読者の開拓ということでは大いに役立ったのではないかと思っていました。これで若年層の読者とはまた違った読者にも、様々な素材を発表できることになりそうだなと思っていたところ、二巻目である「野盗狩り」の発表を前に、大変なニュースが飛び込んできたのです。


 産経新聞の文芸欄にベテラ評論家である武蔵野次郎氏が、拙作「御霊狩り」について激賞してきたというのです。早速新聞を読ませて頂きましたが、作家として物語を書く者はこうでなくてはならないという熱烈な一文でした。「野性時代」の編集部では直ちに第二巻目である「野盗狩り」の発売に当って、その一文を転載させて頂くことになったのです。


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             「野性特集 5」1.jpg 「篁2・野盗狩り」1.jpg


  若手編集者たちはその反響の大きさに感動して大騒ぎでしたが、私はあくまでも成人向きの小説は書けないのではないかという偏見を、一掃する切っ掛けになるのではないかと、氏の一文は私にとって大変な激励文だと思って感謝の手紙を書いたのを思い出します。


 ところがこの頃から編集部内には二つの微妙な空気が生まれてしまったようです。言うまでもなく社長からはこれで大きな賞も狙えるという雰囲気になりましたが、一方の副社長は、目下進めている映画の公開で大きなヒットを考えている最中です。


 勿論このあたりの様子については、現在だから冷静に判断できるのであって、当時は兎に角社内には微妙な空気が漂ったことだけが感じられただけで、自体が様々に動くのに翻弄されるばかりでした。副社長から映画の新しいキャンペン用というポスターが完成したので、是非お会いしたいというお誘いがあったのです。しかも今回は家内も一緒にということで、赤坂の料亭で会いましょうというのです。評論家としても名の知れた方の大変高い評価をして頂いた評論が発表された直後のことです。私は大変気分よく出かけました。


 当初は公開を間近にした映画の二メーターもある新しいポスターなど、新しいキャンペン用の素材を紹介して頂き、是非映画の成功が実現できますようにという、大変嬉しい意気込みを聞かせて頂き、間もなくお食事が用意されて雑談をたのしみました。


 ところがその後で、私にとってはあまりにも意外なお願いが始まったのです。


 改めて私と家内を前に副社長は丁重に申し出たのです。


 「先生。お願いですから、賞狙いだけはしないで頂きたいのです」


 私はあまりにも突然の発言でしたので、一瞬呆然としてしまいました。


 何と答えればいいのか、返答に窮してしまいましたが、これまでも○○賞が欲しくて書いてきた作品はまったくないのです。恐らく今回の武蔵野次郎さんの激賞する作品のことを言っていらっしゃるのでしょう。しかし私自身は、かつて書いた「天之稚日子」「幻想皇帝」そして今回の「篁・変成秘抄」にしても、〇〇賞を狙いたいという思いで書いたものではないのです。


 「私は正直に、ああした作品を書くのは、あくまでも若年読者だけでなく、成人読者に向けた作品も書きたいという気持から、書かせて頂いただけで、決して〇〇賞が欲しくて書いたものではありません。しかし今回のことをきっかけにして、時にはそういった作品も書くことがあるかもしれません。これは作家としてはどうしようもない性の様な気がするのです。基本的にはこれまで通りに娯楽作品を書きつづけるつもりですが、どうか時にはそんな作品を書くかもしれません。その時はどうかお許し下さい」


 私は妙に堅苦しくなってお答えしたのでした。


 「よく判りました。どうかこれまで通り、よろしくお願いいたします。実はこれまでに例がありまして、人気作家が賞を狙って書き始めるとたちまち売れない作家になってしまうことが多いのです」


 副社長も本音と思われることを、堅苦しい口調で訴えてこられたのでした。


 利に徹する人として当然のことかもしれませんが、私は作家として書きたいという自然な発想だけは譲れないことだけは伝えたはずです。それからは間もなく帰宅となったのですが、どうやらその日の重要な要件出会ったはずの映画のキャンペンということよりも、実はあの「篁・変成秘抄・御霊狩り」の出来栄えに関して、私が本格的に〇〇賞を狙い始めるのではないかと考えられた副社長は、「宇宙皇子」のような売れる作品を書かなくなるのではないかと心配になった結果、釘を刺すのが目的であったように思えます。映画の制作は大詰めになりましたが、それでも「篁・成秘抄」も「幻術師刈り」「風流狩り」「熟寝狩り」とい若手編集者たちはその反響の大きさに感動して大騒ぎでしたが、私はあくまでも成人向きの小説は書けないのではないかという偏見を、一掃する切っ掛けになるのではないかと、氏の一文は私にとって大変な激励文だと思って感謝の手紙を書いたのを思い出します。


 ところがこの頃から編集部内には二つの微妙な空気が生まれてしまったようです。言うまでもなく社長からはこれで大きな賞も狙えるという雰囲気になりましたが、一方の副社長は、目下進めている映画の公開で大きなヒットを考えている最中です。


 勿論このあたりの様子については、現在だから冷静に判断できるのであって、当時は兎に角社内には微妙な空気が漂ったことだけが感じられただけで、自体が様々に動くのに翻弄されるばかりでした。副社長から映画の新しいキャンペン用というポスターが完成したので、是非お会いしたいというお誘いがあったのです。しかも今回は家内も一緒にということで、赤坂の料亭で会いましょうというのです。評論家としても名の知れた方の大変高い評価をして頂いた評論が発表された直後のことです。私は大変気分よく出かけました。


 当初は公開を間近にした映画の二メーターもある新しいポスターなど、新しいキャンペン用の素材を紹介して頂き、是非映画の成功が実現できますようにという、大変嬉しい意気込みを聞かせて頂き、間もなくお食事が用意されて雑談をたのしみました。


 ところがその後で、私にとってはあまりにも意外なお願いが始まったのです。


 改めて私と家内を前に副社長は丁重に申し出たのです。


 「先生。お願いですから、賞狙いだけはしないで頂きたいのです」


 私はあまりにも突然の発言でしたので、一瞬呆然としてしまいました。


 何と答えればいいのか、返答に窮してしまいましたが、これまでも○○賞が欲しくて書いてきた作品はまったくないのです。恐らく今回の武蔵野次郎さんの激賞する作品のことを言っていらっしゃるのでしょう。しかし私自身は、かつて書いた「天之稚日子」「幻想皇帝」そして今回の「篁・変成秘抄」にしても、〇〇賞を狙いたいという思いで書いたものではないのです。


 「私は正直に、ああした作品を書くのは、あくまでも若年読者だけでなく、成人読者に向けた作品も書きたいという気持から、書かせて頂いただけで、決して〇〇賞が欲しくて書いたものではありません。しかし今回のことをきっかけにして、時にはそういった作品も書くことがあるかもしれません。これは作家としてはどうしようもない性の様な気がするのです。基本的にはこれまで通りに娯楽作品を書きつづけるつもりですが、どうか時にはそんな作品を書くかもしれません。その時はどうかお許し下さい」


 私は妙に堅苦しくなってお答えしたのでした。


 「よく判りました。どうかこれまで通り、よろしくお願いいたします。実はこれまでに例がありまして、人気作家が賞を狙って書き始めるとたちまち売れない作家になってしまうことが多いのです」


 副社長も本音と思われることを、堅苦しい口調で訴えてこられたのでした。


 利に徹する人として当然のことかもしれませんが、私は作家として書きたいという自然な発想だけは譲れないことだけは伝えたはずです。それからは間もなく帰宅となったのですが、どうやらその日の重要な要件出会ったはずの映画のキャンペンということよりも、実はあの「篁・変成秘抄・御霊狩り」の出来栄えに関して、私が本格的に〇〇賞を狙い始めるのではないかと考えられた副社長は、「宇宙皇子」のような売れる作品を書かなくなるのではないかと心配になった結果、釘を刺すのが目的であったように思えます。映画の制作は大詰めになりましたが、それでも「篁・成秘抄」も「幻術師刈り」「風流狩り」「熟寝狩り」という五巻は確実に書ききったのでした。う五巻は確実に書ききったのでした。


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  実はこの後で武蔵野次郎氏から、私にとって人生の内でも衝撃となるような知らせが飛び込んでくるのですが、私が求めた理想の世界にもどろどろとしたものが支配していることを知ることになったのでした。その真相については、私の胸の内にだけ仕舞っておこうと決めました。あの「篁・変成秘抄」を発想した時の純粋な思いだけは、終生大事にしたいと思っているのです。大変入手が困難になってしまっているかも知れませんが、機会がありましたら、是非、「御霊狩り」「野盗狩り」でもお読み頂きたいと思います。


 今回は私が「荒野独行」を決意した始まりのお話になってしまいました。


 


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思い出作品の部屋 思18「篁・変成秘抄・御霊刈り」 [趣味・カルチャー]

    「宇宙皇子」は確かに大きなヒット作品となりましたが、その読者となった人はやはり若い世代の人のものとして評価されてしまいましたので、作家としては満足できなくなっていたのです。そんなところへサンケイ出版の雑誌である「WOWO」へ執筆をすることになったのですが、その結果角川書店との間で一寸した大問題が持ち上がってしまって、私も大変苦しい立場に立たされてしまったのですが、よやくその問題が鎮まった頃、書きたいものがあったらやってみませんかという話を持って来て下さったのが、これまで「宇宙皇子」の作業には直接かかわってはいなかったのですが、編集部とかなり近いところにいて私とも接触のあったTさんでした。前から今の勢いがあるうちに成人向けの作品も書きたいというある欲求がかなり前からあったところだったこともあって、「幻想皇帝」という仮想現実の大作にかかったのですが、ヒットしつづけている「宇宙皇子」に支障があるかも知れないという危惧から出版の途中で打ち切りということになってしまったのです。勿論そのことにはまったく説明されることはありませんでしたので、今になって推測することではありますが、間違いはないように思えます。

しかしそんなことがあったためでしょうか、成人向けの小説が書きたいという気持は次第に膨らんでいってしまっていたのです。

そんなところへ今度は社長のラインからの話として「野性時代」への連載のための企画を考えてという話が飛び込んできたのです。

 1987年の年末近くに、「野性時代」の新編集長として就任したT・Y氏が、私に逢いたいということでやってきたのですが、成人に向けた小説が書きたいという気持が次第に膨らみ始めている最中のことです。これまで文芸作品を執筆する作家を相手にして仕事をしてきたT・Yが「野性時代」の編集長として就任して私の担当として動くようになったのでした。その結果1988年2月号の「野性時代」に新たな成人向きの作品として執筆したのが、「小野篁・変成秘抄・御霊狩り」でした。

 「宇宙皇子」を執筆するようになってから古代史に興味が広がって取材するうちに、これまでいつからか興味を惹く人物として、平安時代に「野狂」と揶揄される実に異色の政治家がいたのです。すでに私はこれまでに、彼の故郷である小野の業・・・小野妹子の出身地を取材に出かけたことがあったのです。ところが篁資料館というものはあるにはあったのですが、謎めいた彼らしく、その軌跡がたどれるほどの資料は得られません。興味があるという私に所長はいいものが見つかったら教えて下さいというくらいでした。私はますます篁を主人公にした話が書きたいと思っていたところでした。

 すでにその頃、平安時代の朝廷の上層部の中では娘を天皇のところへ嫁がせて、やがて男子を生ませることが出世の糸口であるということが、貴族の中で囁かれていた時代に、数奇な生まれ方をしたのが小野篁ではないのかという発想で、成人向けの仮想現実作品を書いてみようということになったのです。

編集長は直ちに若手で「宇宙皇子」の作業で手伝っているK・YとR・Tを呼んで、企画ページの準備をするように指示したようです。小説の連載に入る前に、私のアピールができるような企画をするようにということのようです。

私は久しぶりに「幻想皇帝」以来の成人向きの小説となる企画の構想を練り始めました。この頃の私は兎に角書くということについては異常なくらいにのっていましたので、その素材探しに困るようなことはまったくありません。

実は古代の世界を調べたり書いたりしているうちに、平安時代の小野篁という人物に興味を持って、彼の出身地である小野郷まで取材に行ったことがあるのですが、現地にはまとまった資料がなくて、博物館とは言いながら、いいものが会ったら教えて下さいと言われてしまうほど、篁という人は謎多い人はいないように思うのです。

平安時代を書いた「嵯峨王朝史 新嵯峨野物語」(大覚寺刊)にかなり詳しく彼の足跡を書きましたので、読んで頂けると有難いと思いますが、朝廷では左大臣になるほどの要人でありながら、京の大路で霊体に出会ったとか、珍皇寺の井戸から地獄へ行って閻魔大王の秘書として働き、黄昏には西の清凉寺の井戸から現世に戻ってきたなどという逸話も残っている人です。しかし性格はかなり異質な方のようで、時には絶対的な権力を持っている遣唐大使にも曲がったことが許せないといって、遣唐副使という大役を拒否してしまったりもする人でした。私はこの「野狂」と揶揄される異色の人を主人公にして仮想現実の話を組み立てようと考えた結果、「篁・変状秘抄」というシリーズを起こすことにしたのです。

「幻想皇帝」では様々な社内事情から途中でそれを完結できない状態になっていましたので、どうしても別の話で仮想現実の世界を描いてみようと考えるようになっていたのですが、どうもあの時私に企画のきっかけを持ち掛けて下さったTさんは、今考えてみますと社長とは関係の薄い副社長のラインにいらっしゃる人だったのだということに気づきます。そんなことを考えますと、微妙に社内での力関係が影響していることが感じられました。しかし書きたいという意欲が横溢していた状態にありましたので、「宇宙皇子」のシリーズは決められた時間で執筆して、その空き時間を使って映画の制作に協力しながら、新たな成人向けという作品の創作に熱中していったのでした。

 「篁・変成秘抄」の第一巻として「御霊刈り」が仕上がりました。

 イラストには天野喜孝さんにお願いすることにいたしました。これまでアニメーションでの活躍は知っていましたが、書籍での作業でどういう仕事をして下さるか楽しみでした。

  

                                                「野性・篁・変成秘抄1」1.jpg 「篁1・御霊狩り」1.jpg

  「宇宙皇子」は確かに大きなヒット作品となりましたが、その読者となった人はやはり若い世代の人のものとして評価されてしまいましたので、作家としては満足できなくなっていたのです。そんなところへサンケイ出版の雑誌である「WOWO」へ執筆をすることになったのですが、その結果角川書店との間で一寸した大問題が持ち上がってしまって、私も大変苦しい立場に立たされてしまったのですが、よやくその問題が鎮まった頃、書きたいものがあったらやってみませんかという話を持って来て下さったのが、これまで「宇宙皇子」の作業には直接かかわってはいなかったのですが、編集部とかなり近いところにいて私とも接触のあったTさんでした。前から今の勢いがあるうちに成人向けの作品も書きたいというある欲求がかなり前からあったところだったこともあって、「幻想皇帝」という仮想現実の大作にかかったのですが、ヒットしつづけている「宇宙皇子」に支障があるかも知れないという危惧から出版の途中で打ち切りということになってしまったのです。勿論そのことにはまったく説明されることはありませんでしたので、今になって推測することではありますが、間違いはないように思えます。

しかしそんなことがあったためでしょうか、成人向けの小説が書きたいという気持は次第に膨らんでいってしまっていたのです。


そんなところへ今度は社長のラインからの話として「野性時代」への連載のための企画を考えてという話が飛び込んできたのです。


 1987年の年末近くに、「野性時代」の新編集長として就任したTY氏が、私に逢いたいということでやってきたのですが、成人に向けた小説が書きたいという気持が次第に膨らみ始めている最中のことです。これまで文芸作品を執筆する作家を相手にして仕事をしてきたTYが「野性時代」の編集長として就任して私の担当として動くようになったのでした。その結果1988年2月号の「野性時代」に新たな成人向きの作品として執筆したのが、「小野篁・変成秘抄・御霊狩り」でした。


 「宇宙皇子」を執筆するようになってから古代史に興味が広がって取材するうちに、これまでいつからか興味を惹く人物として、平安時代に「野狂」と揶揄される実に異色の政治家がいたのです。すでに私はこれまでに、彼の故郷である小野の業・・・小野妹子の出身地を取材に出かけたことがあったのです。ところが篁資料館というものはあるにはあったのですが、謎めいた彼らしく、その軌跡がたどれるほどの資料は得られません。興味があるという私に所長はいいものが見つかったら教えて下さいというくらいでした。私はますます篁を主人公にした話が書きたいと思っていたところでした。


 すでにその頃、平安時代の朝廷の上層部の中では娘を天皇のところへ嫁がせて、やがて男子を生ませることが出世の糸口であるということが、貴族の中で囁かれていた時代に、数奇な生まれ方をしたのが小野篁ではないのかという発想で、成人向けの仮想現実作品を書いてみようということになったのです。


編集長は直ちに若手で「宇宙皇子」の作業で手伝っているKYRTを呼んで、企画ページの準備をするように指示したようです。小説の連載に入る前に、私のアピールができるような企画をするようにということのようです。


私は久しぶりに「幻想皇帝」以来の成人向きの小説となる企画の構想を練り始めました。この頃の私は兎に角書くということについては異常なくらいにのっていましたので、その素材探しに困るようなことはまったくありません。


実は古代の世界を調べたり書いたりしているうちに、平安時代の小野篁という人物に興味を持って、彼の出身地である小野郷まで取材に行ったことがあるのですが、現地にはまとまった資料がなくて、博物館とは言いながら、いいものが会ったら教えて下さいと言われてしまうほど、篁という人は謎多い人はいないように思うのです。


平安時代を書いた「嵯峨王朝史 新嵯峨野物語」(大覚寺刊)にかなり詳しく彼の足跡を書きましたので、読んで頂けると有難いと思いますが、朝廷では左大臣になるほどの要人でありながら、京の大路で霊体に出会ったとか、珍皇寺の井戸から地獄へ行って閻魔大王の秘書として働き、黄昏には西の清凉寺の井戸から現世に戻ってきたなどという逸話も残っている人です。しかし性格はかなり異質な方のようで、時には絶対的な権力を持っている遣唐大使にも曲がったことが許せないといって、遣唐副使という大役を拒否してしまったりもする人でした。私はこの「野狂」と揶揄される異色の人を主人公にして仮想現実の話を組み立てようと考えた結果、「篁・変状秘抄」というシリーズを起こすことにしたのです。


「幻想皇帝」では様々な社内事情から途中でそれを完結できない状態になっていましたので、どうしても別の話で仮想現実の世界を描いてみようと考えるようになっていたのですが、どうもあの時私に企画のきっかけを持ち掛けて下さったTさんは、今考えてみますと社長とは関係の薄い副社長のラインにいらっしゃる人だったのだということに気づきます。そんなことを考えますと、微妙に社内での力関係が影響していることが感じられました。しかし書きたいという意欲が横溢していた状態にありましたので、「宇宙皇子」のシリーズは決められた時間で執筆して、その空き時間を使って映画の制作に協力しながら、新たな成人向けという作品の創作に熱中していったのでした。


 「篁・変成秘抄」の第一巻として「御霊刈り」が仕上がりました。


 イラストには天野喜孝さんにお願いすることにいたしました。これまでアニメーションでの活躍は知っていましたが、書籍での作業でどういう仕事をして下さるか楽しみでした。


                                        「野性特集1」1.jpg


         「野性特集2」1.jpg  「野性特集3」1.jpg 「野性特集4」1.jpg 


  1988年7月にはその二巻目である「野盗狩り」を発表いたしましたが、それをきっかけに、営業を展開しつづけている副社長とその周辺の人々からは、微妙な反応が生まれてきていたのでした。


 


 



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