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告知と放談の部屋☆ 放101「若者は変化を支持した」 [趣味・カルチャー]

  

兎に角書籍を買う人が、ビルの入り口の階段からかなりの高い階数まで、その階段を埋め尽くしている若い人が埋めている姿を目撃して、会場まで一歩一歩階段を踏みしめながら私のやったことの結果がこうした若者の集団を作りあげてしまったのだと思いましたが、いったい何が彼らをこのようなことに走らせてしまったのだろうか・・・ふと考えたりしたのですが、まったく答えは出せませんでした。


 もしかつて私が夢を見た作家たちであったら、こんな光景を目撃して何というだろう。


「これは何をしているのだ」


 恐らく不可思議な目をして、見たに違いありません。


恐らくサイン会が開かれるのだと説明しても、それがどういうことなのかまったく理解できないまま無視して立ち去って行ったでしょう。


しかしこの頃は、何につけても旧習を打破して、新たな日常を確立しようとしている時代ですから、かつては出版関係でいえば芥川賞・直木賞の選考が決定する前夜ともなると、その受賞の評判が高い候補作家の周辺にはマスコミが押しかけて、作家と共に選考委員会から連絡の入るのをお祭り騒ぎで待っていたものです。しかし最近は次第にそうしたバカ騒ぎは薄れてきていましたので、仮に受賞したからといってもその受賞者がサイン会などを開いても、それほど読者が集まるということはなくなってきていたのです。文学賞が輝いていた時代は去りつつありました。むしろそういった作品よりも、自分たちでこれは面白いと思った作品は口コミでその評判を広げてくれる時代です。私が各地のファンクラブからの要望に応えるために出かけた時の実体験なのですが、ごく近くの書店で数名の芥川賞・直木賞作家がまとまって合同サイン会を開くという計画があるのを知りましたが、時間がきてもほとんどサインを求める読者がやって来ないというので、作家たちは喫茶店に集まって雑談をして暇つぶしをしながら、お客が集まるのを待っていましたが、結局数名しか読者が集まらずに寂しいサイン会のまま終わったのを知っています。


私たち年配の者にとっては、作家たちの著作物はもちろんのこと、その日常までが懐かしく、憧れであった、ゆったりとした時の流の中にあった別世界の存在だったのです。その世界では数か月に一冊、時には一年に一冊、気の向いた時に執筆する作品を出版して世に送り出すと、読者はその時をようやくできたかといった気持ちで買いに走り、宝物を手に入れたかのように満足していましたし、作家もそれで生計を立てていたのです。良き時代ではそれでも充分に作家はゆとりのある生活ができましたし、出版社もそれで大きな収入を得て経営していました。世の中自体がそんなことでも充分に暮らしが成り立つ状態にあったからかも知れません。文芸で生計を立てる人々の世界に繋がる人は、ゆとりを持って交流を楽しみ、気の合う人との付き合いについてもおおらかなものでした。彼らは数か月に一冊、何年かに一冊出版することに精魂を注いで創作をしますが、その新しい作品にお目にかかれるのを、いつのことかいつのことかと心待ちにしていて、新しい作品が出ればたちまち書店へ行って買い求めていってくれました。それが面白ければ読者が口コミで広げていって何版も数を重ねていきます。作家に支払われる印税も日常の生計と比べても、かなり大きなものになりました。特にそんな熱心な読者を沢山持っている作家を何人も持っている出版社は、当然ですがその作家たちには特別な待遇で付き合って貰おうといたしますから、作家からの多少のわがままも拒否はできません。執筆を条件にかなりの金銭も融通してくれます。みな悠然とした交遊を楽しみ日常も気ままに暮らしていられました。世の中での作家のステータスもその才能ゆえに特別な存在でしたから、読者には滅多に会うこともできないという存在感がありました。私のように旧世代に属する世代の者でしたら、こんな作家たちの世界を多少でも知っていましたから、とても気軽に会いに行けるなどとは思わないでしょう。とてもサイン会などという催しが行われるはずもないということも承知しています。作家はあくまでも読者とは別の世界にいて、ゆったりと流れの中で葛藤する我々に向って、永遠であると確信して語りつづけてこられたことも知っています。


しかし今の私は、あれほど夢見て憧れた世界を具現しているのだろうか・・・いや、すでに明治・大正・昭和・平成・令和と時を重ねていくうちに、私たちを取り巻く世界は、想像もしないほど忙しない時を刻んで変化してきました。読者も刻々と変化を遂げながら新たな価値観を夢見るようになってきました。


かつて私たちに夢を見させてくれた作家たちは、映画・活字・ラジオというわずかな表現の場を利用するだけで、読者にその内容の濃さで勝負してきましたが、現代の作家たちはとてもそのようなのんびりとした作業のあり方では、時代の刻む時の速さに追い付かずに、昨日まで待っていてくれた読者はすでに今日の読者ではなくなっています。


私たちはかつて別世界で暮らしていた作家たちの余裕に憧れてきましたが、今はそれらの一つ一つを点検しながら、現代に置き換えるとしたらどういうことになるのかという、反面教師として存在させなくてはならないのです。あの夢の世界として憧れた世界は、あくまでも反面教師として生かさなくてはなりません。


時代は激しく変化していきましたし、さらに新たな変化を求めているのです。


ぐずぐずしていると、今日の読者は明日の読者ではなくなっているのです。新たな作品を求めてさまよっているしかなくなるでしょう。


現代の作家は、常に新鮮でありつづけなくてはなりません。


ある日若者たちは、変化を支持しようとしました。


現代の若い人々は、あのテレビで親しんでいた作品の脚本家が、今度は意外にも小説で呼びかけているではないか。これまでとまったく違った世界で、(何をしようとしているのだろうか)そんな興味を持って下さったに違いありません。昔であったらそう簡単には作家という存在を知って貰い、やがてそれを広い範囲に広げていくということなどできないで終わっていかもしれません。まさに私はテレビ時代の申し子だったのかもしれません。想像もしないような多くの若い人たちに集まって頂いて、私と「宇宙皇子」の門出を祝って頂きました。私は幸運にもこうした多くの読者に支えられて、八十七歳の高齢になるまで元気でやり通してこられました。


これまでの出版界ではほとんど存在しなかった「月刊宇宙皇子」などと揶揄されてしまうほどの勢いで、連打して出版をつづけていったことが、時代の感性に応えることになったのでしょう。もし昔のようにじっくりと、気の向くままにのんびりと書いていたら、読者は待ちきれなくなって、次の巻を買う意欲を失ってしまうことになってしまったでしょう。かつて私が夢を見た作家たちが悠然と交遊していた時代とは、真逆の忙しない時代の流れを掴みきれるかが勝負でした。話もイラストも変わりました。


若い人たちは私と共に変わることを支持してくれました。


あの想像を越える人気には、そんな秘密があったような気がいたします。


しかし現代の私は、もう一度あの夢の世界であった作家たちの日常に、どれだけ近づけて生きられるのだろうかと考えるようになりました。あとは天命がそれを許すかどうかという問題だけです。すべての制約を取り払って、思いのままに書いていこうと思っているのです。正に荒野独行の心境になっているのです。


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思い出作品の部屋☆ 思20「池袋パルコで初のサイン会」 [趣味・カルチャー]

  

1989年3月4日・・・平成元年に、私にとって作家となったはじめて公に活動することになる催しがありました。これまではファンクラブが主催する「宇宙皇子体験ツアー」であったり、ファンクラブによる様々な地域での「サイン会」であったり、「講演会」が行われてきましたが、今回はいよいよ角川書店が各地の書店と協議を行った上での、はじめてのサイン会としてかなり大掛かりなキャンペンをして行われたものです。。数名の平常の編集担当者はもちろんのこと、文芸作品を担当してきた重役の編集局長であるSさん・編集部長のOさんに、「野性時代」の編集長であるYさんまで様子を見に駆けつけてくれました。私にとってはファンクラブへ入っている人だけではなく、広く一般の読者とのはじめての対面をすることになるので、一体どのくらいの人が集まってくれるのだろうかと大変気がかりでしたが、それとは同時に大変楽しみででもありました。


                          「パルコ三省堂0」1.jpg 「パルコ三省堂1」1.jpg


 確かに「宇宙皇子」という新書版も文庫版も大変な勢いで売れていますが、サイン会となった時に、どのくらい人が集まってくれるのか判りません。これまであまり興味を持っていなかった人で、今回わざわざ出かけてくる人がどのくらいになるか、大変興味深いものが会ったのです。言うまでもなく角川書店の社内でも、担当する編集部や図書の販売を担当する営業部からも、かなり緊張して集まっています。その物々しい雰囲気に、当事者である私は彼ら以上に緊張していました。


その日は自宅を出て池袋のパルコへ着いた時、その入り口で思いがけない若者たちの姿を見てびっくりしてしまいました。彼らは階段に並んでいるのです。丁度「地上編宇宙皇子」が公開される直前であったということもあって、かなりキャンペンは浸透していたのでしょう。明らかにサイン会を目当てでやってきた人たちに違いありません。


パルコの階段を一歩一歩登ってサイン会場である三省堂まで、何階まで上がってきたのでしょうか。現在は新しいビルに建て替えられてしまいましたから想像できないかも知れませんが、私もあの頃の三省堂が何階にあったのかはっきりとしなくなってしまっていますが、それでもかなりの階数を上がって行ったことは覚えています。


パルコに集まっている若い人々は、「藤川先生が到着しました」というアナウンスがピル全体に流れると、思いなしかあたりの熱気が一気に高まって溢れたように思いました。


早速サインをする準備が整えられて、休む暇もなく著作に対するサインを書き始めたのですが、握手をしながら読者の欠けてくれる励ましの言葉に感謝しながら握手をして、次の読者へのサインにかかることになります。その後は私の編集を担当する者がせっせと落款を押して渡すという流れ作業でした。最後はあまりの熱気の高まりで背広をぬがなくてはならない状態でしたが、約束の二時間という間は、作家と読者との距離が考えられないほど近くなったなと思いました。読者の問いかけに応えながら、握手を交わして同志としての交流を確認して別れていきましたが、かつて私が夢を見た作家たちの世界では、まったく見られなかった読者との姿です。現代では作家と読者との間はごく近くなり過ぎました。そのためにマスコミの大きな話題になった事件が起こったりしました。訪ねて行った作家の家で、刃物を出して刃傷沙汰になることもあったのです。憧れる人と憧れられた人との間には、かなりショッキングな事件も報道されました。舞台で熱唱する歌姫に、硫酸を振りかけるというファンの暴挙としか言いようのない事件もありました。スターとファンとの距離が近くなると、その分物騒な事件を呼び込むことになります。読者との距離が遠く別世界の人として崇められていた時代・・・スターとファンとの距離があった時代の方が正しいのかもしれません。


もう娯楽というものの質も大替わりしてきているのです。しかし世の中の多くの人を苦しめている、歪みを正そうとして活躍する現代のヒーローである「宇宙皇子」に、自分の思いを重ね合わせて夢見る若い人に、危険な行為に走らせるような者が現われたりはしませんでした。彼らにとって作家という存在は、私たちがかつて畏敬するという存在であった作家が、現代では敬愛する存在になっていることのためなのかもしれません。


これだけ多くの若い人たちが集まってくれるのを確認した角川書店の面々はもちろん


、今回の催しを受け持って下さった三省堂書店の関係者も大満足であったはずです。兎に角若者たちは本当に欲しかった本を買ったという喜びを伝えてくれました。


私にとっては「やったぁ!」という達成感でいっぱいでした。


サイン会の途中では、背広は脱がなくてはならないほど汗が吹き出してしまいまいました。 


確かに「宇宙皇子」という新書版も文庫版も大変な勢いで売れていますが、サイン会となった時に、どのくらい人が集まってくれるのか判りません。これまであまり興味を持っていなかった人で、今回わざわざ出かけてくる人がどのくらいになるか、大変興味深いものが会ったのです。言うまでもなく角川書店の社内でも、担当する編集部や図書の販売を担当する営業部からも、かなり緊張して集まっています。その物々しい雰囲気に、当事者である私は彼ら以上に緊張していました。


その日は自宅を出て池袋のパルコへ着いた時、その入り口で思いがけない若者たちの姿を見てびっくりしてしまいました。彼らは階段に並んでいるのです。丁度「地上編宇宙皇子」が公開される直前であったということもあって、かなりキャンペンは浸透していたのでしょう。明らかにサイン会を目当てでやってきた人たちに違いありません。


パルコの階段を一歩一歩登ってサイン会場である三省堂まで、何階まで上がってきたのでしょうか。現在は新しいビルに建て替えられてしまいましたから想像できないかも知れませんが、私もあの頃の三省堂が何階にあったのかはっきりとしなくなってしまっていますが、それでもかなりの階数を上がって行ったことは覚えています。


パルコに集まっている若い人々は、「藤川先生が到着しました」というアナウンスがピル全体に流れると、思いなしかあたりの熱気が一気に高まって溢れたように思いました。


早速サインをする準備が整えられて、休む暇もなく著作に対するサインを書き始めたのですが、握手をしながら読者の欠けてくれる励ましの言葉に感謝しながら握手をして、次の読者へのサインにかかることになります。その後は私の編集を担当する者がせっせと落款を押して渡すという流れ作業でした。最後はあまりの熱気の高まりで背広をぬがなくてはならない状態でしたが、約束の二時間という間は、作家と読者との距離が考えられないほど近くなったなと思いました。読者の問いかけに応えながら、握手を交わして同志としての交流を確認して別れていきましたが、かつて私が夢を見た作家たちの世界では、まったく見られなかった読者との姿です。現代では作家と読者との間はごく近くなり過ぎました。そのためにマスコミの大きな話題になった事件が起こったりしました。訪ねて行った作家の家で、刃物を出して刃傷沙汰になることもあったのです。憧れる人と憧れられた人との間には、かなりショッキングな事件も報道されました。舞台で熱唱する歌姫に、硫酸を振りかけるというファンの暴挙としか言いようのない事件もありました。スターとファンとの距離が近くなると、その分物騒な事件を呼び込むことになります。読者との距離が遠く別世界の人として崇められていた時代・・・スターとファンとの距離があった時代の方が正しいのかもしれません。


もう娯楽というものの質も大替わりしてきているのです。しかし世の中の多くの人を苦しめている、歪みを正そうとして活躍する現代のヒーローである「宇宙皇子」に、自分の思いを重ね合わせて夢見る若い人に、危険な行為に走らせるような者が現われたりはしませんでした。彼らにとって作家という存在は、私たちがかつて畏敬するという存在であった作家が、現代では敬愛する存在になっていることのためなのかもしれません。


これだけ多くの若い人たちが集まってくれるのを確認した角川書店の面々はもちろん


、今回の催しを受け持って下さった三省堂書店の関係者も大満足であったはずです。兎に角若者たちは本当に欲しかった本を買ったという喜びを伝えてくれました。


私にとっては「やったぁ!」という達成感でいっぱいでした。


サイン会の途中では、背広は脱がなくてはならないほど汗が吹き出してしまいまいました。


「パルコ三省堂2」1.jpg 「パルコ三省堂3」1.jpg 「パルコ三省堂4」1.jpg 「パルコ三省堂5」1.jpg 「パルコ三省堂6」1.JPG


「パルコ三省堂7」1.jpg 「パルコ三省堂8」1.jpg 「パルコ三省堂9」1.jpg 「パルコ三省堂10」1.jpg 「パルコ三省堂11」1.jpg


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「パルコ三省堂22」1.jpg 「パルコ三省堂23」1.jpg 「パルコ三省堂24」1.jpg 「パルコ三省堂25」1.jpg


二時間を経過して、やっと作業の終了ということになったのですが、まったく休みなしで書きつづけるのですからかなり疲れます。記録された写真でもはじめは背広を着たままでスタートするのですが、やがて後半になると下にきているトックリ姿になっています。かなりの重労働です。しかし読者たちが一人一人弾んだ声で励ましの言葉をかけてくれるのは嬉しいことでした。しかしこうした大手の書店でサイン会がやれるということはかなり制約があるようで、今回のような大掛かりなサイン会が開かれるのはかなりいろいろな条件を充たさないと限られるというのです。しかし今回のような催しのニュースが広がりますと、是非私のところでもやって欲しいというお願いが飛び込んでくるようになります。私からも編集長には、それがどんなに不便なところであっても行けたら行ってあげたいという気持で希望を伝えるのですが、やはりそれにはこれまでの実績でその地方での書店の売り上げがどの程度なのかということが、最終的に決め手になるということでした。作家の都合も配慮して出かけて貰わなくてはならないし、担当の編集と営業を担当する者の費用も掛かるということから、ある程度売り上げに期待できないところでは、なかなかいけないのだということが判りました。それだけにこうした大手の書店でサイン会が開けたということは、作家としての位置づけを決定する大きな成果でしたし、それがかなり多くの読者に歓迎されたことは、これからも書きつづけることの自信も与えて貰えたのでした。


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告知と放談の部屋☆ 告13「お知らせです」 [趣味・カルチャー]

                                                          「原稿執筆中」1.jpg

  

   「お知らせです


19日と26日が更新日ですが、連休がありますので、一緒に19日に投稿いたします。どうぞゆっくりご覧ください。


 ようやく落ち着く秋ですが、直ぐに冬将軍が到来してしまいます。


 精々短な季節を楽しみましょう。


 


                                 藤川桂介


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言霊謎解きの部屋☆ 言36「ひとくち言霊」(月夜の自殺行) [趣味・カルチャー]

                                                                                                                          「若菜イラスト」.JPG

  

 昨今の暗い話題つづきの中で目立つのは自殺という問題です。


 どんな時代にも、思いつめて死を選ぶということはあり得ることですし、それを完全に阻んだり、思い留まらせるための名案もなかなか見つかりません。それは死を選ぶ事情にはそれぞれの複雑な理由があって、それについては誰も迂闊に深入りすることができないという事情があるからです。


 昨今のネットで知り合ったもの同士で死を選んで行くということとは、ちょっと違った死の姿を古代の中に見つけました。これも「宇宙皇子」という小説を書いている間に、熊野を取材していて出会ったものです。


 もちろん現代でそのようなことは、行われてはいないことは当然のことなのですが、それがきっかけで調べて行くうちに、そこには現代でも通じる問題が潜んでいたということに辿り着きました。それは和歌山県の那智の港あたりから、補陀落渡海(ふだらくとかい)ということに挑戦していく者がかなりいたというのです。


 観音信仰の究極の願望は、いつか観音菩薩のいらっしゃる聖地である補陀落へ行きたいと思うことは、信仰に厚い時代のことだけに自然の成り行きであったように思うのですが、現代のそれのように、ただただ時代に絶望して、仲間を誘って死のうなどという、後ろ向きで救いのない自殺とは違って、補陀落渡海をする者には観音様の聖地へ行きたいという熱い思いがあり、希望に満ちたものだったのです。それがどうして現代の自殺行為と同次元で語られなくてはならないのかというと、実はこの補陀落渡海も、取材してから間もなく自殺行為だったということに気がついたからなのです。


 おおむねそれを行った者は老僧が多いようだったのですが、出かける時は小舟を用意して、その中に静かに収まれる囲いを作りその周囲を釘で打ちつけてしまうのです。そして月夜に海へ出て行くのですが、流れに任されるままでそこに乗っている人にはどうにもなりません。


 ということは、表向き観音聖地へ行くのだと言いながら、老人は自ら去るということを美化して表現したに過ぎないのではないだろうか。つまり美名に隠れて行った、自殺行為だったのだということです。それを行う者がかなりの老僧であったことを思うと、尚更その感が強くなるのです。ただ現代のネット心中の場合とは大分違うのは、そこに多少でも希望が存在していたということでしょうか。


 余談ですが、この補陀落という地名の原点は、ダライ・ラマが指導するチベットのポタラ宮から起こったものだと言われています。実はここが観音菩薩の聖地であることを考えると、納得できない話ではありません。兎に角如何なる事情があろうと、如何なる理由があろうと、自ら命を絶つということは、許されるものではありません。生きる目標を是非持っていましょう。


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告知と放談の部屋☆ 放100「テレビでカルチャー講座」 [趣味・カルチャー]

  

1989年(平成元年)2月のことです。


「宇宙皇子」による若い人の人気が定着してきたということもありましたし、三月にはその映画が公開されるということもありましたので、そのスポンサーとしてかなりの肩入れをしてきたテレビ東京からは、私に出演依頼が飛び込んできました。


これまでは講演とはいっても、あくまでも若い世代の人たちに向けた新しい時代に向かうための変化に、勇気を持って臨もうというような激励を兼ねた話をすることにしていたのですが、今回はいきなり若い主婦という、年齢的にも社会人としても大分若者たちとは違った層の人たちに話をして欲しいというのです。つまり新しい時代をどう受け止めるべきなのか、新しい時代の若者とどう向き合えばいいのかというようなことについて、彼らが歓迎している「宇宙皇子」という新しいカルチャーとして受け止めましょうという講座として話して欲しいということでした。


若い人には最近かなり群がり族などという者たちがいて、なんでも新しい流行に乗って日常生活をリードしていくのだという思い込みではしゃぎ切っているのですが、同じ若者でもそういうことには馴染めない・・・つまりどちらかといえば落ち着いた慎重派と言った方がいいと思われるおとなしい若者たちもいるのですが、そんな彼らをネグラなどと言って馬鹿にして押しのけてくることから社会問題になったりしていたのです。


私は時代の変化を慎重に見極めようとしている、おとなしい若者たちを励まそうとする気持ちもあって「宇宙皇子」を誕生させたのです。


私は人を差別する歪んだ世の中を正すために、戦う若者小子辺(ちいさこべ)・・・成長して宇宙皇子とわれる主人公が仲間と活躍する物語を、当時の時代の問題として出版したのですが、世の中の若者たちがどのような反応をしてきたかというと、意外にも群がり族からはじき出されていたおとなしい若者たちが、圧倒的な支持を表明するように書店へ走ってくれました。それが大きなベストセラー化したのですが、その映画化が発表されたこともあって、テレビ東京ではそういった若者に起こった新たな現象について、ヤング主婦を対象にしたカルチャー講座ということで、これまでの旧習から新たな道を探している時代の要求を勘違いして群がるネアカ族に対して、地道に新たな時代の進もうとしている流れを知って貰おうという気持があって講座の主人公としました。


兎に角私にとってははじめての経験で、いささか緊張して局へ出向きましたが、その控室に予定されていたところでは、私の前に話をする予定であった芥川賞作家といわれるN氏が、評判通りでぐでんぐでんに酔っぱらってしまって応接セットに寝込んでいたのです。案内の女性係員は流石に私をその部屋の案内するのをためらって、別の部屋へ向かいました。Nという作家は私と同年の人ですが業界では大先輩ということになりますが、多少良いものは書くといっても好きにはなれないタイプの作家です。そんな部屋で出会ってしまったら、たちまち新人作家として絡みつく標的になってしまうでしょう。時代の転換期ということですが、彼の書いた戦時中の体験を書いた「蛍の墓」がヒットしたこともありましたので、その話の後で私の「宇宙皇子」を歓迎する若者たちとの接点を探ってみようというのが、その日の主婦向け講座の狙いだったのでしょう。あのような泥酔状態でカルチャー講座などというものがこなせるのだろうかと余計な心配をしたものですが、私はどうもああいう無頼を平気でまき散らしているような人は好きになれませんので、テレビ時代もそうでしたがあまり酒癖の悪いアーチストとはほとんど付き合っていないくらいだったのです。


私がいつか作家の仲間になりたいと思って読んでいた「文学界」等の文芸誌では、大正昭和の作家たちの交流する様子が、如何にも優雅な雰囲気であったかが記事となって紹介されていたものです。どうやら同じ昭和でも戦後にのし上がってきた作家は、どうも時代に反逆するようなタイプの人が多くて、私生活も乱れた生活を誇らし気にさらけ出している人が多いのです。これも戦前戦後の価値観が交錯する複雑な時代が生んだ世代の人たちであったと思うしかありません。どうやら私のように戦前の価値観によって育ちながら、戦後の新しい価値観との狭間で育ってきた世代は、サンドウイッチ世代ともいえるもので、大変荒れるタイプになるかおとなしい戦い方をするタイプに挟まれながら、慎重に時代の流れを見つめていました。


カルチャー講座では、なぜ彼らはあのように「宇宙皇子」に夢中になるのかということを、作家としてどう捉えているのかということで話して欲しいということでしたので、


彼らもはっきりとした自己主張がしたいものを秘めているのだという話をいたしました。


人にはネアカ族のようにかなり派手に自己主張する者もいれば、その思いを秘めてはいるけれども、貰がってそれを行うようなことは苦手なネグラ族といわれながら、時代の流れの中でその行方を見ているのですというということをお話しました。


相手は主婦でも若い世代の方が中心でしたから、中には「宇宙皇子」に夢中になっている若者をお子さんに持っていらっしゃる方もいらっしゃると思いますので、若ものに生まれた二つのタイプについてお話してみました。


小説の「宇宙皇子」が登場した時代は、兎に角戦前からつづく価値観を弱めながら、戦後の新しい価値観を定着させようとし始めた時代です。何もかも新しい表現の仕方を尊重するようになってきた頃のことです。卑近な例でいえば表現することの手段として文字で行なっていたことを絵画で表そうとするようなものです。現代のアニメーションの原点ともいえるような絵で自己表現をするようになりつつあった時代で下から、そんな中でいつか世の中では、新しい文化に飛びついて群がるネアカの若者たちは、そういった流行についていけずにいる若者たちを、ネグラな奴といって差別して無視するようになってしまったのです。新しい価値観が浸透しつつあった世の中で群がって自己表現しようとはしゃぐ者と、着実に時代の向かおうとする者との間にはいつか亀裂が生まれて広がりつつありました。


 これまでの「宇宙戦艦ヤマト」のように宇宙を舞台にした仮想現実の氾濫に飽きてしまった若者たちは、時代に逆行するような手段を使って・・・つまり文字によって物語を展開する作品に、これまでアニメーションでしか見ていなかったイラストをその物語の表現の手段としてしまったのです。これまでの出版の常識を覆した価値観の転換として、若者たちは受け止めてくれたと思いました。つまり出版というジャンルの表現のあり方に鮮度を感じてくれたのではないでしょうか。


 古いものはすべて否定する短絡した風潮に抵抗して生まれた「宇宙皇子」は、時代の転換期に登場した新しい形の文化でもあったのです。しかも古いものはすべて無視する風潮に抵抗するように、古代史の面白さを知って貰いたいというつもりで、新しもの好きの風潮には挑戦してみたのです。


果たして私の話したことがどれだけヤングミセスに浸透できたのかは判りませんが、これまでとは違った構想というジャンルで、「言葉」を通して訴えることの難しさを感じました。文章では一度書いてから推敲といって書き直す機会があるのですが、電波に乗って放送されたものは簡単に訂正して提供することはできません。今回の私の主張がどの程度受け止めて頂けたかは判りませんが、書いて表現することから言葉として発信するということの怖さも感じました。間違いはそのまま流れてしまいます。仮に間違ったと思っても簡単には訂正できません。


若い読者と私との距離は一冊の本のお陰で一気に近くなっていきましたが、これを機会にして、俄かに若者と向き合う思いについて、一般の方々にお話する機会がじょじょに増えていったのでした。


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アニメと音楽の部屋☆ ア56「不安な映画制作決定」 [趣味・カルチャー]

  

角川書店で仕事をするようになってから・・・というよりも、「宇宙皇子」という大きなヒット作品を出版するようになってからですが、社内のさまざまなことにかかわっていらっしゃる方が、様々な形で接触してくるようになりましたが、兎に角原稿を書くということに専念している私としては、出会った方々が社内でどういう立場であるのかということに関してはほとんど知りませんでしたし、どちらかといえば無関心であったということでもありました。いろいろなことで話が持ち込まれてくれば、それについての私の判断で対応をしていただけです。ところが多少時間が経過してくると、それらの人々には微妙に色合いの違いがあるということに気が付き始めました。


接触してこられる方々がそれぞれ所属している部署はもちろんのこと、同じ編集部員であっても社長の意向に沿って仕事をしている人と、副社長の意向に沿って仕事をしている人には、それぞれ競い合う気持があるようなところがあるのに気が付いたのです。


あの「天之稚日子」騒動については、衝撃的であったのは社内に二つの大きな流れがあって、それらの亀裂のために思うような仕事ができなかったことに不満を感じて退社してフリーの編集者として活躍していた人でしたが、ベストセラーの執筆者である私が勝手に他社の出版社と接触することに関しては厳しくなってきていたことはもちろんのこと、同じ社内でもその人が所属している部署によっては、突然作家の意向を無視して進行中の作業についてもいきなり変更が行われることも起こりました。あの「幻想皇帝」を書くきっかけを作ってくれたのが、どちらかというと副社長の系列に入る人であったために、五巻まで書き進んだところでなぜか次の作業に入ることができなくってしまったことがありました。「宇宙皇子」の展開に邪魔になる大きな作品は、控えなくてはならないということから、社長の系列ではない人が手掛けた作品は執筆作業を途中で止めなくてはならなくなってしまったのでした。特にその後、その事情についての説明もないままでしたが、その頃その頃社長は「宇宙皇子」を実写の映画にしようと、かなり積極的に動いていたようです。一方で副社長の系列に属する人々は同じ「宇宙皇子」をアニメーションとしての展開を考えていたようで、どちらが映像化という作業に入ることになるのかということについては、原稿の執筆に集中している私にとっては、特別しゃしゃり出ることでもありませんから、その成り行きについてはどのような結果になるのかを楽しみにしている状態で過ぎていました。しかし映画化という計画あるということを聞かされてからは、すべてお任せで無関心という訳ではいられなくなっていました。


ごく最近まで映像関係の作業にかかわっていたということもありますから、出入りしている編集者と雑談をしながら、様々なうわさが飛び込んでくるようになると、その噂には大変興味を持ち始めました。どうやら一番身近なところでは、直接の担当であるA


編集長は、何とあの宝塚へアタックしようとしていたけれども、残念ながら話は進まなかったということがあったりしましたが、社内には「宇宙皇子」の新しいメデイアでの展開ということで、どちらの系列に属しているかということは関係なく、様々な面での展開を競い合っていた気配があるようでした。


その頃から長いアニメーションの脚本を担当してきた私としては、社長、副社長の流の方々が、どのような動きをしているのかということが気になり始めていましたが、どうも社長が考えている実写作品として映画化するということが、様々な条件があるために、それを具体化するということは困難になったようだという情報が入ってきていたのです。それまで俳優たちによる古代作品が登場するかもしれないと、様々な夢を見ていた私でしたが、残念ながらそれは不可能であるということがはっきりとしてきたようです。もしそれが実現するという目安が付けば、社長と出会う機会がありましたので、何らかの意思表示があると考えていたのですが、ある時から映画化ということについては、ほとんど具体的なことについてお話されることはなくなりましたが、それと変って副社長の系列の方による映画化の話が持ち込まれるようになったのです。漠然と私が希望する方向などを探ってくるようになったのです。どうやらあの映画化という話は副社長の系列の人によって動き始めたようです。ところがその中心となって動き出したSさんは大変親しくお付き合いしている編集ではあったものの、特にアニメーションに関してはほとんどかかわりのない方でしたので、このまま実務に向かうことになるのかと思うと不安になってきてしまいました。


 私はこれまで脚本家としてアニメーションに深くかかわってきていましたので、もし宇宙皇子を映画化する時には、その制作する会社が決定的な力を持つことになると思いました。つまりどんなスタッフが揃っているのかということが決定的な要素になるということです。映画の制作ということについては、特別作家が口をさしはさむことは出来ません。それには営業的な様々な問題がありますから、不安になりながらもほとんどその進行に口を出すことはないままになっていたのです。それでも映画化が具体化してくれば、企画書が提出されるとは思っていましたが、アニメーションに不慣れな人が中


心となって動いて入りということがはっきりとしてくるに従って、不安なことが一気に増えて行ってしまったのでした。私の勝手な願望として、小説の宇宙皇子をイメージアップするのに貢献をしている、いのまたむつみさんが所属している映像づくりの仲間たちを要する、カナメプロにして欲しいという希望を伝えておきました。


 しかしその願いは叶わなかったようです。


 S氏が得意満面ということで報告に現れると、想像もしなかった日本アニメーションという会社が制作会社として決まったというのです。S氏はそれで私が喜ぶと思ってのことでした。かつてあの「宇宙戦艦ヤマト」が、視聴率で苦杯をなめていた制作会社の「世界名作童話」を制作していた会社です。確かにそれはその通りなのですが、それぞれの会社には向き不向きがあります。家庭漫画を制作するということでは定評のある会社ではありましたが、今回のような仮想現実作品がその時代に向けた作品として描けるかということを考えると、一気に私の不安は高まってきてしまいました。どうやら念を押すように推薦したカナメプロダクションは完全に外れてしまっています。こうした会社との話し合いでは金銭的な問題もかなり大きな要素となりますから、そんなことが災いとなってしまったのかもしれません。


 映画化についてはまったくお任せしておかなくてはなりません。


 私は思い描く「宇宙皇子」が世間でいう優良家庭漫画となってしまうのかという、不安と戦うことになってしまったのでした。流石に中心となる「日本アニメーション」もスタッフの編成に不備があるのに気が付いたようで、東映動画からその中心となる田宮武氏を呼び、監督には特撮映画を演出した吉田憲二氏を決めてきたのでした。私にとって貢献できると思い込んで決定してくれた態勢でしたが、結局後から後へと必要なスタッフを補強しなくてはならなくなってしまったのでした。そんな様子をはたから見ていて、「宇宙皇子」は時代の要求する感性で描く画期的な歴史物となることは、不可能であると覚悟しなくてはならなくなってしまったのでした。


 作家にとってはあくまでも小説を書くということが出版社とかわした本来の務めではありますが、たまたま私が目指すアニメーション映画と深くかかわってきただけに、その実績に配慮して頂けなかったのは、実に残念なことではありました。残念ながらそれから暫くは、一体どんな作品作りになるのであろうかという不安が、暫く高まるのを堪えながら、持ち掛けられる進行への協力をすることになったのでした。


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告知と放談の部屋☆ 放99「生きることの難しさ」 [趣味・カルチャー]

  

多少業界で目立つ存在になるということは、いろいろな意味で有難いこともありますが、そのために今回のように新年会で思いがけない出版社の重役同士が激突するところに立ち会うことになってしまったことは、私にとってあまりにも衝撃的な出来事でした。会社同士が仕事上のことでぶつかり合うことは通常よくあることで、友人同士の日常の会話の中でもよく聞かされる話ですが、ぶつかった原因である本人がいるところで、その存在のあり方が原因でぶつかり合ってしまったのは、とてもよくある話とは受け取れませんでした。とにかく私としては二人の間に入って仲裁するという器用な処理ができるほど修練を積んではいませんから、兎に角議論をぶっつけてきOさんの気持ちを静めて頂いて、その場から離れて頂けるように、「近々連絡を入れますから」と言ってその場から去るようにお願いいたしましたが、華やいだいい気分でいたところに持ち込まれた議論のために、すっかり激してしまった角川書店の副社長には、精々不快な議論の基になってしまったことに申し訳ありませんでしたと、本来はとても謝らなくてはならないような状況でもなかったのですが一応お詫びをしておきました。きちんと両出版社のぶつかり合いが解決したわけではありませんでしたが、取り敢えず新年会からはそのまま退出することになりました。


私が何をしたからという訳ではありませんでしたが、新年会でのぶつかり合いはあまり気分のいいものではありません。しかし二人の議論を聞かされているうちに、現在業界に私が登場してからは、これまでのように平穏な状態ではなくなっていたのです。それはすべて「宇宙皇子」という大きなヒット作品を生み出してしまったことによるのです。その間に状況は一変してしまっていたのです。


私に落ち度はないはずです。しかしO氏が敢えて新年会という場ではあったのですが、


すでに角川書店以外の社が立ち入れないような状況にされているということについて、抗議してきたのは、そこに私もいたことが原因であったかもしれないと考え始めたのです。


 帰宅したあとで平静さを取り戻して考えるのですが、確かに私と「アニメージュ」との付き合いはかなり密であったかもしれませんが、映像の世界でのアニメーションの変化に従って、新たな生き方を模索し始めるようになってからは、若い頃からの目標であった出版界への転身を目標にして活動し始めました。映像への関心が消え失せてしまったとか、興味がなくなったということはありませんが、時代の流れが私を特に必要だとは思わなくなっていたのでしょう。次第に業界の人々との接触も薄れていたのです。従ってあの徳間書店の・・・「アニメージュ」との接触も薄れて行きました。私の出版への働きかけについては、かなり前にお話しましたが、集英社から角川書店との出会いが生まれました。映像界での実績の積み重ねを知っている編集者が、私について橋渡しをしてくれたのがきっかけで、やがて「宇宙皇子」の誕生までに到達したのでした。幸運にも社長との出会いも幸運でした。まったく別の業界での実績を実感していなかったものの、そんな私がこれまでとはまったく違った日本の古代史に挑むという挑戦に興味を持って頂いたのが始まりましたが、これまでとは違った業界への挑戦ということを考えて、兎に角ぐずぐずしている余裕はありません。一気に勝負に出たのです。それが「宇宙皇子」という小説でした。私は映像界からの転職をするきっかけを作り出すために必死で、目標となった角川書店での出版を確実にするために、精一杯エネルギーを注ぎつづけてきていたのですが、そのために配慮しておかなくてはならないことがあったということに、神経がいき届かなくなっていたことに気が付きました。あの時一寸でも前に転身のために角川書店と仕事のきっかけを掴んだので頑張っていますとでも、Oさんに挨拶をしておけば、今になって余計な心配をしないで済んだのにと、転身に夢中で執筆中の「宇宙皇子」の連打に没頭してきたのです。


 千慮の一失ということがありますが、「仕事のはじまりであった頃に、ちょっとO氏に挨拶をしておけばよかった」


 私はこの業界で上手く生きていくために欠かせない気配りが足りなかったと後悔しました。


 確かに映像界でもこうした配慮には事欠かないことが多かったことがかなりありましたが、忙しい時は忙しいなりに、その時ご無沙汰になっている人間関係への気配りはかなり神経を使っていました。そんなことを考えると、まず転身する時に、すでにお世話になっていたO氏への挨拶をしておくべきであったのかもしれません。改めてはじめてといっていい世界への転身に夢中で、映像界におけるかなり細かな目配りを考えると、今回は兎に角夢中で飛び込んできてしまったことで、いささか気配りを怠ったかもしれませんでした。


 ところが後悔先に立たずで、新年会から数日後に、Oさんから電話があり徳間書店にはすでに受け皿を用意してあったようです。書店としてはかつての青春物語として映画化されて、藤山一郎の歌う主題歌と共に大ヒットとなった、石坂洋二郎原作の「青い山脈」の現代版の原作を書いて、映画化をしたいというお話でした。しかもその映画は私の監督で制作して貰いたいというのです。その為のバックアップ態勢は出来ているというのです。普通であったら直ぐにも話を受けて、そのつもりになるだろうと思われるような話です。


 私はかつてアニメージュ文庫で、「エプリルシャワー物語」という学園を舞台にした青春物語を書いたことがありましたので、その後の私の成長ぶりを考えた結果、成人向きのドラマを映画にしようという企画になったようです。私はかなりOさんのお話には興味がありました。しかしその時は迂闊にそれ以上に乗っていくことだけはしないでいました。しかもその時は、「宇宙皇子」のアニメーション映画の監督も依頼したいという話になりました。つまりその出版までも徳間に移してやることもできるという、実に挑戦的な企画でした。スタッフに関しても徳間が責任を持って編成できますからということでした。いろいろと有難い依頼ではありますが、現在お世話になっている角川書店の立場を考えて、温めてお返事をいたしますといって電話は切ることにしました。


 私は暫く前に、作家としての活路を広げたいという思いから、サンケイ出版社の「WOWO」という雑誌に古代史の大作になる「天之稚日子」という連載を承知してしまったことがあったのですが、それが角川書店の社長の目に留まってしまったことから、それに絡んだフジテレビ・ニッポン放送も巻き込んだ騒動になってしまったことがあり、業界のしきたりに不案内であったことを反省しなくてはなりませんでした。


 私は今回の徳増書店からの好条件を、簡単には受けられないという平静な判断が迂闊な動きを制止してきました。さまざまな補佐をして貰ったにしても、特別にそんな分野の訓練をしたこともないのです。ドラマにしてもアニメにしても、自分のスタッフを持っているわけではありませんから、映像作品を作る上での力不足は決定的です。迂闊に徳間の出してきた条件を呑むわけにはいきません。しかも今となっては角川書店の「地上編宇宙皇子」の映画の公開が迫って来ていたのです。もしそんな矢先に徳間書店の話が表になってしまったらかなりの打撃になってしまいますし、私に対する信頼感も一気に薄れてしまうでしょう。ついに私はさまざまな要件を検討した結果、ついに今回のお話には乗れないという丁重な言葉を添えて返事をさせて頂いたのでした。


 業界でたまたま目立つ存在にいたお陰で、生き方を問われるような問題に直面することになってしまったのでした。それにしても同じ業界で上手く生きていくということは、実に難しいことなのだなと、つくづく思ったものでした。私はあの日からこれまでのような姿勢で安閑としては生きられなくなるのではなかという不安が、常につきまとうようになってしまったのでした。しかし徳間書店の重役にとっては、あの頃の角川書店の勢いに何としなくてはならないものを感じていらっしゃったのかも知れません。


 今回はちょっと堅苦しいお話になってしまいました。


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告知と放談の部屋☆ 放98「新年会で角川・徳間両書店激突!」 [趣味・カルチャー]

  

「宇宙皇子」が出版された1985年から1989年という間は、作品も大変元気であったこともあって、この間にはいいこと有難くないこと、思いがけないことが次々と起こるものです。私はようやく出版界に多少でも存在する場を見つけたばかりでしたが、


そのお陰で多少目立った作家になってしまったことに、困惑してしまうようなことに出くわしてしまうことになってしまいました。


 ようやく出版界で生きるきっかけとなった角川書店で、現在「地上編宇宙皇子」の映画を制作する副社長と、これまで映像界でヒット作品を連打していた時代に、何かとお世話になっていた徳間書店の重役で、「アニメージュ」というアニメーションを中心とした映像雑誌を率いていらっしゃるO氏が、1987年の出版界と関係がある業界との新年会で激突してしまったのです。


                                    「宇宙皇子映画パンフ1」1.jpg 「映画宇宙皇子・パンフ内容」1.jpg


  


出版と同時に「地上編宇宙皇子」の映画化を発表して、その宣伝に力を注いでいる角川書店は兎に角注目される存在でしたが、そんな正月の新年会に私は角川書店の副社長から誘いを受けて出席をいたしました。ところが華やいだ宴が進むうちに、もうすでに一杯ひっかけていたと思われるOさんが、笑顔を浮かべながら角川書店の副社長に対して、


 「藤川先生を独占しないで下さいよ」


 いきなり挑戦的な言葉で話しかけてきたのです。


 困ったことになりました。


 これまでざっと映像界での私と徳間書店の・・・「アニメージュ」との付き合いを考えると、特に若者を対象にしたテレビ番組・・・つまり(映像作品・特撮編)の「忍者部隊月光」「怪奇大作戦」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「ミラーマン」「突撃ヒューマン」「怪獣ブースカ」「チビラくん」「マイティ・ジャック」「怪奇大作戦」「ウルトラセブン」「ロボコン」「緊急指令10・4・10・10」「Xボンバー」。(映像作品・アニメーション編)の「新ムーミン」「さすらいの太陽」「マジンガーZ」「グレートマジンガー」「新エースを狙え」「超人バラタック」「新鉄腕アトム」「新鉄人28号」「キューティハニー」「プライム・ローズ」「マリンスノーの伝説」「キャッツアイ」「プラレス3四郎」「銀河鉄道999」「1000年女王」「六神合体ゴットマーズ」「童話めいた戦記・ウインダリア」「キョウダイン」「氷河戦士ガイスラッガー」「機甲艦隊ダイラガー」「超獣機神ダンクーガー」と、主だった私がかかわった作品だけでも、かなりの数の作品は徳間書店の「アニメージュ」に協力して頂いてバックアップして頂い、Oさんは私にとっておつき合いの濃い方で、大変親しくお付き合いさせて頂いていた方でした。私の仕事を見つめていて下さって、かなり評価をしてきて下さっていたのはいいことなのですが、こんなところでいきなり挑戦的な物言いで迫ってくとは想像もしていないことでした。私はあわててOさんを制止しようとしたのですが、それよりも早く角川副社長はかなり激した目つきになって、


 「冗談じゃない。先生はうちの大事な作家です。他に渡すわけにはいきませんよ!」


 突き放したのです。


 お互いにお酒が入っている状態で、遠慮のない激しい主張のし合いになってしまいました。私はお二人の間に入って、何とか気持ちを静めて下さいという素振りで抑えにかかるのですが、とてもそんなことで収まる気配ではありません。


 たしかにこのところ私がほとんど角川書店での仕事で忙殺されていて、ほとんど他の会社での仕事ができなくなってきていたのです。これまでかなり業界ではアニメーション界は徳間書店の「アニメージュ」という雑誌が中心になってリードしてきている状態になっていたところでしたから、新番組が出る時は「アニメージュ」で取り上げられる機会が多くなるほど注目作品になるといった状態でしたから、私の場合でも「六神合体ゴットマーズ」の成功以来、それまでの私に対する評価を変えてきていたのが、Oさんであり「アニメージュ」でした。しかし現在は角川書店が「宇宙皇子」の出版をし始めてから、その勢いに乗って「ニュウタイプ」という新しい感性のアニメーション関係の雑誌を出版してきたりしましたので、かなりその販路を広げてきていたのです。これまでは文芸作品や歴史作品などの小説を出版してきた角川書店ですが、時代の進展に従って社長がその才能を活かされて映画の監督を行って出版と小説とのコラボレーションを行うようになって、いつか徳間書店とは小説の出版以外の、若者志向の映像にかかわる若者志向の雑誌でも、お互いに無視した状態ではいられなくなってきていたのです。


そんなところへ数年前から一気に業界の注目の人となってしまったのが、両社と縁の深くなってしまった私が登場しえしまったのです。その取材活動はもちろんですし仕事を依頼することも自由なはずなのですが、このところの情況では、角川書店以外の出版社が私に執筆依頼をする余地がないように思えるのです。俄かに業界の注目の人となってしまった私は、大変難しい存在になってしまっていたのです。


 現状のまま私を取材することになれば、それは自動的に角川書店での私の活動に勢いをつけるだけで、徳間書店についてはほとんど効果が薄れてしまいます。


そこでO氏は角川書店の副社長に対して、「藤川先生を独占しないで欲しい」と申し入れてきたのです。現状ではとても仕事を頼みたくても、とてもそんなことができる状態にないことは、連打する「宇宙皇子」の出版状況を見ていても明らかです。そんな不満もあって、私をもっと自由に他社で仕事ができるような、自由を与えて欲しいという直談判だったのです。もちろんそんなことに角川書店が同意するはずはありません。


それからは暫く笑顔を浮かべながらではあったものの、Oさんの追及は厳しいのに対して、角川の副社長の反論はそこに私がいるということもあったのでしょうか、かなり真剣な気持で角川書店の立場で押し返すのでした。お互いに会社の立場にたっての主張


をぶっつけ合うといった調子の激論がつづきましたが、ようやく二人の言葉が切れた時を狙って、「そのうちご挨拶に伺いますから」と言って、Oさんをなだめながらその場から離れるように仕向けました。


 角川の副社長は暫く気持ちが収まらないといった調子でビールをあおっていました。


 会社間の戦いというものはいくらもある話で、絶えず耳にはしていたのですが、問題の私をそばにおきながらの激論を聞かされるのは、非常に困惑してしまいます。


現在お世話になっている角川書店に加担すべきなのか、それとも映像時代からのおつき合いを考えて、徳間書店に加担すべきなのかと迷った結果、近々ご挨拶に伺いますということで引き取って頂きましたが、薄笑いを浮かべながらその場から去っていったOさんの姿が頭から離れなくなってしまいました。


余りにも強烈な光景を見つめることになってしまった結果でした。


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