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アニメと音楽の部屋☆ ア56「不安な映画制作決定」 [趣味・カルチャー]

  

角川書店で仕事をするようになってから・・・というよりも、「宇宙皇子」という大きなヒット作品を出版するようになってからですが、社内のさまざまなことにかかわっていらっしゃる方が、様々な形で接触してくるようになりましたが、兎に角原稿を書くということに専念している私としては、出会った方々が社内でどういう立場であるのかということに関してはほとんど知りませんでしたし、どちらかといえば無関心であったということでもありました。いろいろなことで話が持ち込まれてくれば、それについての私の判断で対応をしていただけです。ところが多少時間が経過してくると、それらの人々には微妙に色合いの違いがあるということに気が付き始めました。


接触してこられる方々がそれぞれ所属している部署はもちろんのこと、同じ編集部員であっても社長の意向に沿って仕事をしている人と、副社長の意向に沿って仕事をしている人には、それぞれ競い合う気持があるようなところがあるのに気が付いたのです。


あの「天之稚日子」騒動については、衝撃的であったのは社内に二つの大きな流れがあって、それらの亀裂のために思うような仕事ができなかったことに不満を感じて退社してフリーの編集者として活躍していた人でしたが、ベストセラーの執筆者である私が勝手に他社の出版社と接触することに関しては厳しくなってきていたことはもちろんのこと、同じ社内でもその人が所属している部署によっては、突然作家の意向を無視して進行中の作業についてもいきなり変更が行われることも起こりました。あの「幻想皇帝」を書くきっかけを作ってくれたのが、どちらかというと副社長の系列に入る人であったために、五巻まで書き進んだところでなぜか次の作業に入ることができなくってしまったことがありました。「宇宙皇子」の展開に邪魔になる大きな作品は、控えなくてはならないということから、社長の系列ではない人が手掛けた作品は執筆作業を途中で止めなくてはならなくなってしまったのでした。特にその後、その事情についての説明もないままでしたが、その頃その頃社長は「宇宙皇子」を実写の映画にしようと、かなり積極的に動いていたようです。一方で副社長の系列に属する人々は同じ「宇宙皇子」をアニメーションとしての展開を考えていたようで、どちらが映像化という作業に入ることになるのかということについては、原稿の執筆に集中している私にとっては、特別しゃしゃり出ることでもありませんから、その成り行きについてはどのような結果になるのかを楽しみにしている状態で過ぎていました。しかし映画化という計画あるということを聞かされてからは、すべてお任せで無関心という訳ではいられなくなっていました。


ごく最近まで映像関係の作業にかかわっていたということもありますから、出入りしている編集者と雑談をしながら、様々なうわさが飛び込んでくるようになると、その噂には大変興味を持ち始めました。どうやら一番身近なところでは、直接の担当であるA


編集長は、何とあの宝塚へアタックしようとしていたけれども、残念ながら話は進まなかったということがあったりしましたが、社内には「宇宙皇子」の新しいメデイアでの展開ということで、どちらの系列に属しているかということは関係なく、様々な面での展開を競い合っていた気配があるようでした。


その頃から長いアニメーションの脚本を担当してきた私としては、社長、副社長の流の方々が、どのような動きをしているのかということが気になり始めていましたが、どうも社長が考えている実写作品として映画化するということが、様々な条件があるために、それを具体化するということは困難になったようだという情報が入ってきていたのです。それまで俳優たちによる古代作品が登場するかもしれないと、様々な夢を見ていた私でしたが、残念ながらそれは不可能であるということがはっきりとしてきたようです。もしそれが実現するという目安が付けば、社長と出会う機会がありましたので、何らかの意思表示があると考えていたのですが、ある時から映画化ということについては、ほとんど具体的なことについてお話されることはなくなりましたが、それと変って副社長の系列の方による映画化の話が持ち込まれるようになったのです。漠然と私が希望する方向などを探ってくるようになったのです。どうやらあの映画化という話は副社長の系列の人によって動き始めたようです。ところがその中心となって動き出したSさんは大変親しくお付き合いしている編集ではあったものの、特にアニメーションに関してはほとんどかかわりのない方でしたので、このまま実務に向かうことになるのかと思うと不安になってきてしまいました。


 私はこれまで脚本家としてアニメーションに深くかかわってきていましたので、もし宇宙皇子を映画化する時には、その制作する会社が決定的な力を持つことになると思いました。つまりどんなスタッフが揃っているのかということが決定的な要素になるということです。映画の制作ということについては、特別作家が口をさしはさむことは出来ません。それには営業的な様々な問題がありますから、不安になりながらもほとんどその進行に口を出すことはないままになっていたのです。それでも映画化が具体化してくれば、企画書が提出されるとは思っていましたが、アニメーションに不慣れな人が中


心となって動いて入りということがはっきりとしてくるに従って、不安なことが一気に増えて行ってしまったのでした。私の勝手な願望として、小説の宇宙皇子をイメージアップするのに貢献をしている、いのまたむつみさんが所属している映像づくりの仲間たちを要する、カナメプロにして欲しいという希望を伝えておきました。


 しかしその願いは叶わなかったようです。


 S氏が得意満面ということで報告に現れると、想像もしなかった日本アニメーションという会社が制作会社として決まったというのです。S氏はそれで私が喜ぶと思ってのことでした。かつてあの「宇宙戦艦ヤマト」が、視聴率で苦杯をなめていた制作会社の「世界名作童話」を制作していた会社です。確かにそれはその通りなのですが、それぞれの会社には向き不向きがあります。家庭漫画を制作するということでは定評のある会社ではありましたが、今回のような仮想現実作品がその時代に向けた作品として描けるかということを考えると、一気に私の不安は高まってきてしまいました。どうやら念を押すように推薦したカナメプロダクションは完全に外れてしまっています。こうした会社との話し合いでは金銭的な問題もかなり大きな要素となりますから、そんなことが災いとなってしまったのかもしれません。


 映画化についてはまったくお任せしておかなくてはなりません。


 私は思い描く「宇宙皇子」が世間でいう優良家庭漫画となってしまうのかという、不安と戦うことになってしまったのでした。流石に中心となる「日本アニメーション」もスタッフの編成に不備があるのに気が付いたようで、東映動画からその中心となる田宮武氏を呼び、監督には特撮映画を演出した吉田憲二氏を決めてきたのでした。私にとって貢献できると思い込んで決定してくれた態勢でしたが、結局後から後へと必要なスタッフを補強しなくてはならなくなってしまったのでした。そんな様子をはたから見ていて、「宇宙皇子」は時代の要求する感性で描く画期的な歴史物となることは、不可能であると覚悟しなくてはならなくなってしまったのでした。


 作家にとってはあくまでも小説を書くということが出版社とかわした本来の務めではありますが、たまたま私が目指すアニメーション映画と深くかかわってきただけに、その実績に配慮して頂けなかったのは、実に残念なことではありました。残念ながらそれから暫くは、一体どんな作品作りになるのであろうかという不安が、暫く高まるのを堪えながら、持ち掛けられる進行への協力をすることになったのでした。


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告知と放談の部屋☆ 放99「生きることの難しさ」 [趣味・カルチャー]

  

多少業界で目立つ存在になるということは、いろいろな意味で有難いこともありますが、そのために今回のように新年会で思いがけない出版社の重役同士が激突するところに立ち会うことになってしまったことは、私にとってあまりにも衝撃的な出来事でした。会社同士が仕事上のことでぶつかり合うことは通常よくあることで、友人同士の日常の会話の中でもよく聞かされる話ですが、ぶつかった原因である本人がいるところで、その存在のあり方が原因でぶつかり合ってしまったのは、とてもよくある話とは受け取れませんでした。とにかく私としては二人の間に入って仲裁するという器用な処理ができるほど修練を積んではいませんから、兎に角議論をぶっつけてきOさんの気持ちを静めて頂いて、その場から離れて頂けるように、「近々連絡を入れますから」と言ってその場から去るようにお願いいたしましたが、華やいだいい気分でいたところに持ち込まれた議論のために、すっかり激してしまった角川書店の副社長には、精々不快な議論の基になってしまったことに申し訳ありませんでしたと、本来はとても謝らなくてはならないような状況でもなかったのですが一応お詫びをしておきました。きちんと両出版社のぶつかり合いが解決したわけではありませんでしたが、取り敢えず新年会からはそのまま退出することになりました。


私が何をしたからという訳ではありませんでしたが、新年会でのぶつかり合いはあまり気分のいいものではありません。しかし二人の議論を聞かされているうちに、現在業界に私が登場してからは、これまでのように平穏な状態ではなくなっていたのです。それはすべて「宇宙皇子」という大きなヒット作品を生み出してしまったことによるのです。その間に状況は一変してしまっていたのです。


私に落ち度はないはずです。しかしO氏が敢えて新年会という場ではあったのですが、


すでに角川書店以外の社が立ち入れないような状況にされているということについて、抗議してきたのは、そこに私もいたことが原因であったかもしれないと考え始めたのです。


 帰宅したあとで平静さを取り戻して考えるのですが、確かに私と「アニメージュ」との付き合いはかなり密であったかもしれませんが、映像の世界でのアニメーションの変化に従って、新たな生き方を模索し始めるようになってからは、若い頃からの目標であった出版界への転身を目標にして活動し始めました。映像への関心が消え失せてしまったとか、興味がなくなったということはありませんが、時代の流れが私を特に必要だとは思わなくなっていたのでしょう。次第に業界の人々との接触も薄れていたのです。従ってあの徳間書店の・・・「アニメージュ」との接触も薄れて行きました。私の出版への働きかけについては、かなり前にお話しましたが、集英社から角川書店との出会いが生まれました。映像界での実績の積み重ねを知っている編集者が、私について橋渡しをしてくれたのがきっかけで、やがて「宇宙皇子」の誕生までに到達したのでした。幸運にも社長との出会いも幸運でした。まったく別の業界での実績を実感していなかったものの、そんな私がこれまでとはまったく違った日本の古代史に挑むという挑戦に興味を持って頂いたのが始まりましたが、これまでとは違った業界への挑戦ということを考えて、兎に角ぐずぐずしている余裕はありません。一気に勝負に出たのです。それが「宇宙皇子」という小説でした。私は映像界からの転職をするきっかけを作り出すために必死で、目標となった角川書店での出版を確実にするために、精一杯エネルギーを注ぎつづけてきていたのですが、そのために配慮しておかなくてはならないことがあったということに、神経がいき届かなくなっていたことに気が付きました。あの時一寸でも前に転身のために角川書店と仕事のきっかけを掴んだので頑張っていますとでも、Oさんに挨拶をしておけば、今になって余計な心配をしないで済んだのにと、転身に夢中で執筆中の「宇宙皇子」の連打に没頭してきたのです。


 千慮の一失ということがありますが、「仕事のはじまりであった頃に、ちょっとO氏に挨拶をしておけばよかった」


 私はこの業界で上手く生きていくために欠かせない気配りが足りなかったと後悔しました。


 確かに映像界でもこうした配慮には事欠かないことが多かったことがかなりありましたが、忙しい時は忙しいなりに、その時ご無沙汰になっている人間関係への気配りはかなり神経を使っていました。そんなことを考えると、まず転身する時に、すでにお世話になっていたO氏への挨拶をしておくべきであったのかもしれません。改めてはじめてといっていい世界への転身に夢中で、映像界におけるかなり細かな目配りを考えると、今回は兎に角夢中で飛び込んできてしまったことで、いささか気配りを怠ったかもしれませんでした。


 ところが後悔先に立たずで、新年会から数日後に、Oさんから電話があり徳間書店にはすでに受け皿を用意してあったようです。書店としてはかつての青春物語として映画化されて、藤山一郎の歌う主題歌と共に大ヒットとなった、石坂洋二郎原作の「青い山脈」の現代版の原作を書いて、映画化をしたいというお話でした。しかもその映画は私の監督で制作して貰いたいというのです。その為のバックアップ態勢は出来ているというのです。普通であったら直ぐにも話を受けて、そのつもりになるだろうと思われるような話です。


 私はかつてアニメージュ文庫で、「エプリルシャワー物語」という学園を舞台にした青春物語を書いたことがありましたので、その後の私の成長ぶりを考えた結果、成人向きのドラマを映画にしようという企画になったようです。私はかなりOさんのお話には興味がありました。しかしその時は迂闊にそれ以上に乗っていくことだけはしないでいました。しかもその時は、「宇宙皇子」のアニメーション映画の監督も依頼したいという話になりました。つまりその出版までも徳間に移してやることもできるという、実に挑戦的な企画でした。スタッフに関しても徳間が責任を持って編成できますからということでした。いろいろと有難い依頼ではありますが、現在お世話になっている角川書店の立場を考えて、温めてお返事をいたしますといって電話は切ることにしました。


 私は暫く前に、作家としての活路を広げたいという思いから、サンケイ出版社の「WOWO」という雑誌に古代史の大作になる「天之稚日子」という連載を承知してしまったことがあったのですが、それが角川書店の社長の目に留まってしまったことから、それに絡んだフジテレビ・ニッポン放送も巻き込んだ騒動になってしまったことがあり、業界のしきたりに不案内であったことを反省しなくてはなりませんでした。


 私は今回の徳増書店からの好条件を、簡単には受けられないという平静な判断が迂闊な動きを制止してきました。さまざまな補佐をして貰ったにしても、特別にそんな分野の訓練をしたこともないのです。ドラマにしてもアニメにしても、自分のスタッフを持っているわけではありませんから、映像作品を作る上での力不足は決定的です。迂闊に徳間の出してきた条件を呑むわけにはいきません。しかも今となっては角川書店の「地上編宇宙皇子」の映画の公開が迫って来ていたのです。もしそんな矢先に徳間書店の話が表になってしまったらかなりの打撃になってしまいますし、私に対する信頼感も一気に薄れてしまうでしょう。ついに私はさまざまな要件を検討した結果、ついに今回のお話には乗れないという丁重な言葉を添えて返事をさせて頂いたのでした。


 業界でたまたま目立つ存在にいたお陰で、生き方を問われるような問題に直面することになってしまったのでした。それにしても同じ業界で上手く生きていくということは、実に難しいことなのだなと、つくづく思ったものでした。私はあの日からこれまでのような姿勢で安閑としては生きられなくなるのではなかという不安が、常につきまとうようになってしまったのでした。しかし徳間書店の重役にとっては、あの頃の角川書店の勢いに何としなくてはならないものを感じていらっしゃったのかも知れません。


 今回はちょっと堅苦しいお話になってしまいました。


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告知と放談の部屋☆ 放98「新年会で角川・徳間両書店激突!」 [趣味・カルチャー]

  

「宇宙皇子」が出版された1985年から1989年という間は、作品も大変元気であったこともあって、この間にはいいこと有難くないこと、思いがけないことが次々と起こるものです。私はようやく出版界に多少でも存在する場を見つけたばかりでしたが、


そのお陰で多少目立った作家になってしまったことに、困惑してしまうようなことに出くわしてしまうことになってしまいました。


 ようやく出版界で生きるきっかけとなった角川書店で、現在「地上編宇宙皇子」の映画を制作する副社長と、これまで映像界でヒット作品を連打していた時代に、何かとお世話になっていた徳間書店の重役で、「アニメージュ」というアニメーションを中心とした映像雑誌を率いていらっしゃるO氏が、1987年の出版界と関係がある業界との新年会で激突してしまったのです。


                                    「宇宙皇子映画パンフ1」1.jpg 「映画宇宙皇子・パンフ内容」1.jpg


  


出版と同時に「地上編宇宙皇子」の映画化を発表して、その宣伝に力を注いでいる角川書店は兎に角注目される存在でしたが、そんな正月の新年会に私は角川書店の副社長から誘いを受けて出席をいたしました。ところが華やいだ宴が進むうちに、もうすでに一杯ひっかけていたと思われるOさんが、笑顔を浮かべながら角川書店の副社長に対して、


 「藤川先生を独占しないで下さいよ」


 いきなり挑戦的な言葉で話しかけてきたのです。


 困ったことになりました。


 これまでざっと映像界での私と徳間書店の・・・「アニメージュ」との付き合いを考えると、特に若者を対象にしたテレビ番組・・・つまり(映像作品・特撮編)の「忍者部隊月光」「怪奇大作戦」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「ミラーマン」「突撃ヒューマン」「怪獣ブースカ」「チビラくん」「マイティ・ジャック」「怪奇大作戦」「ウルトラセブン」「ロボコン」「緊急指令10・4・10・10」「Xボンバー」。(映像作品・アニメーション編)の「新ムーミン」「さすらいの太陽」「マジンガーZ」「グレートマジンガー」「新エースを狙え」「超人バラタック」「新鉄腕アトム」「新鉄人28号」「キューティハニー」「プライム・ローズ」「マリンスノーの伝説」「キャッツアイ」「プラレス3四郎」「銀河鉄道999」「1000年女王」「六神合体ゴットマーズ」「童話めいた戦記・ウインダリア」「キョウダイン」「氷河戦士ガイスラッガー」「機甲艦隊ダイラガー」「超獣機神ダンクーガー」と、主だった私がかかわった作品だけでも、かなりの数の作品は徳間書店の「アニメージュ」に協力して頂いてバックアップして頂い、Oさんは私にとっておつき合いの濃い方で、大変親しくお付き合いさせて頂いていた方でした。私の仕事を見つめていて下さって、かなり評価をしてきて下さっていたのはいいことなのですが、こんなところでいきなり挑戦的な物言いで迫ってくとは想像もしていないことでした。私はあわててOさんを制止しようとしたのですが、それよりも早く角川副社長はかなり激した目つきになって、


 「冗談じゃない。先生はうちの大事な作家です。他に渡すわけにはいきませんよ!」


 突き放したのです。


 お互いにお酒が入っている状態で、遠慮のない激しい主張のし合いになってしまいました。私はお二人の間に入って、何とか気持ちを静めて下さいという素振りで抑えにかかるのですが、とてもそんなことで収まる気配ではありません。


 たしかにこのところ私がほとんど角川書店での仕事で忙殺されていて、ほとんど他の会社での仕事ができなくなってきていたのです。これまでかなり業界ではアニメーション界は徳間書店の「アニメージュ」という雑誌が中心になってリードしてきている状態になっていたところでしたから、新番組が出る時は「アニメージュ」で取り上げられる機会が多くなるほど注目作品になるといった状態でしたから、私の場合でも「六神合体ゴットマーズ」の成功以来、それまでの私に対する評価を変えてきていたのが、Oさんであり「アニメージュ」でした。しかし現在は角川書店が「宇宙皇子」の出版をし始めてから、その勢いに乗って「ニュウタイプ」という新しい感性のアニメーション関係の雑誌を出版してきたりしましたので、かなりその販路を広げてきていたのです。これまでは文芸作品や歴史作品などの小説を出版してきた角川書店ですが、時代の進展に従って社長がその才能を活かされて映画の監督を行って出版と小説とのコラボレーションを行うようになって、いつか徳間書店とは小説の出版以外の、若者志向の映像にかかわる若者志向の雑誌でも、お互いに無視した状態ではいられなくなってきていたのです。


そんなところへ数年前から一気に業界の注目の人となってしまったのが、両社と縁の深くなってしまった私が登場しえしまったのです。その取材活動はもちろんですし仕事を依頼することも自由なはずなのですが、このところの情況では、角川書店以外の出版社が私に執筆依頼をする余地がないように思えるのです。俄かに業界の注目の人となってしまった私は、大変難しい存在になってしまっていたのです。


 現状のまま私を取材することになれば、それは自動的に角川書店での私の活動に勢いをつけるだけで、徳間書店についてはほとんど効果が薄れてしまいます。


そこでO氏は角川書店の副社長に対して、「藤川先生を独占しないで欲しい」と申し入れてきたのです。現状ではとても仕事を頼みたくても、とてもそんなことができる状態にないことは、連打する「宇宙皇子」の出版状況を見ていても明らかです。そんな不満もあって、私をもっと自由に他社で仕事ができるような、自由を与えて欲しいという直談判だったのです。もちろんそんなことに角川書店が同意するはずはありません。


それからは暫く笑顔を浮かべながらではあったものの、Oさんの追及は厳しいのに対して、角川の副社長の反論はそこに私がいるということもあったのでしょうか、かなり真剣な気持で角川書店の立場で押し返すのでした。お互いに会社の立場にたっての主張


をぶっつけ合うといった調子の激論がつづきましたが、ようやく二人の言葉が切れた時を狙って、「そのうちご挨拶に伺いますから」と言って、Oさんをなだめながらその場から離れるように仕向けました。


 角川の副社長は暫く気持ちが収まらないといった調子でビールをあおっていました。


 会社間の戦いというものはいくらもある話で、絶えず耳にはしていたのですが、問題の私をそばにおきながらの激論を聞かされるのは、非常に困惑してしまいます。


現在お世話になっている角川書店に加担すべきなのか、それとも映像時代からのおつき合いを考えて、徳間書店に加担すべきなのかと迷った結果、近々ご挨拶に伺いますということで引き取って頂きましたが、薄笑いを浮かべながらその場から去っていったOさんの姿が頭から離れなくなってしまいました。


余りにも強烈な光景を見つめることになってしまった結果でした。


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