閑話 嵯峨天皇現代を斬る その七の二 [趣味・カルチャー]
第七章「非情な現世を覚悟するために」(二)
為政者の課題「朝廷に頼り過ぎるな」
弘仁四年(八一三)です。
嵯峨天皇は即位してから数年過ぎていますので、為政について落ち着いた指示をしていらっしゃいます。
古代の資料を見ていると、天皇が狩猟に出かけるという記録が、かなり出てきますが、これは天皇の体調を計る上で貴重な手掛かりになるだけでなく、それ以上に貴重な手掛かりとなるのは、それを利用して各地の農作物の様子を確認しているようにも思えるのです。
政庁はそんなある日のこと、次のようなことを発表しました。
「農業作となったのはとしは、土着の民も移住してきた俘囚もみなその被災者となるが、物を恵みあたえるに当たっては、俘囚は対象から外されている。飢饉の苦しみは一様のはずであるから、恩恵が土着民と俘囚を差別して施されるのはどんなものであろうか。今後は俘囚にも公民に準じて恵みを与えよ。ただし、勲位を帯びたり、村長その他特別に粮米支給にあずかっている俘囚は支給する限りではない」(日本後紀)
天皇の俘囚に対する差別をしないという姿勢は、すでに第一章「卓越した指導者といわれるために」「民への気遣いはいつも」の「その一の二」の閑談で触れていますが、基本的に革新的な発想は持ちつづけていました。
しかし天皇はただ俘囚を理解してやれとおっしゃっているわけではありません。
資料の記録によりますと、次のようなことも指示していらっしゃいました。
「移住した夷俘の性格は、内属の民と異なり、朝廷の教化に従うようになっても、野性の心性を忘れていないので、諸国司らにつとめて教諭を加えさせている。しかし、国司らは朝廷の時事に反して世話をすることを怠り、いつになっても夷俘らの要請を取り上げず、夷俘らは憂いや怨みを抱き、ついには反逆を起こす始末である」(日本後紀)
天皇は夷俘たちの性格も理解した上で、そのために恵みを忘れてしまう国司などがいるために反逆をすることになると、極めて冷静に状況を把握していて、それについての対処の仕方を指示していらっしゃいます。
天皇は為政者として季節的な変化が農作物などに影響を及ぼしてしまうことについても、かなり心を煩わせていらっしゃいました。
「治国の肝心なことは、民を豊かにすることで、民に蓄えがあれば凶年であっても、その被害を防ぐことが可能である。ところで現今の諸国司らは、天皇の思いに背き不適切な時期に百姓を労役に動員して、農繁期に妨害をして、侵害のみをもっぱらにして、民を慈しむ気持ちを持っていない。このため人民は生業を失い飢饉に陥っている。格別の災害がないのに、絶えず人民が、飢えているという報告がなされている。このため毎年恵みを与えって、倉庫はほとんど空になってしまった。ここで災害が起これば、どうして救うことができるであろうか。すべて悪しき政治の弊害としてこうなってしまったのである。今後は農業が出来なくなったり、疫病にかかったりした時以外で、朝廷に対して安易に援助を求めてはならない」(日本後紀)
人間の欲求には限りがないものですから、それをすべて為政者に頼って満たしてくれといっていたら、キリがなくなってしまいます。民の方にも現状を突破しようという意欲が無くては・・・
為政者・嵯峨天皇
弘仁四年(八一三)五月二十五日のこと
発生した問題とは
天皇は地方の役人たちに、真摯に為政に立ち向かうよう自覚を促しました。朝廷に従って暮らし始めた蝦夷についてですが、国司たちが指示に従って世話をすることを怠っていて、俘囚(朝廷の支配下に入って、一般の農民たちとの暮しに同化した蝦夷のこと)たちの要請を取り上げないために、憂いや恨みを抱くことになるのです。朝廷は担当する者を数名派遣して、問題の解決に当たらせるようにさせました。帝は何を取り上げるにしても、その原因となるものを分析して、その解決法を指示されます。
「辺境では外からの侵略を防ぎ、不慮への備えでは食料が重要である。近年辺境では大軍が頻繁に動員されて、軍粮を費やし尽してしまったが、なお侵犯事件はあり何が起こるか予測し難い状況である。軍粮の蓄えがなければ、突発事件にどうして対処できようか。そこで、陸奥・出羽両国の官人らへの俸禄の財源である公廨稲(奈良・平安時代諸国に蓄積された、利子つきの貸し出し用の稲)は正税に混合し、替わりに毎年、信濃・越後両国で陸奥・出羽国司及び鎮守府官人の俸禄を支給することにせよ」(日本後紀)
国の財が乏しくなる中で飢饉が発生した為に、世間では飛んでもないことが広がり始めていました。
為政者はどう対処したの
六月のことですが、右大臣が沈痛な面持ちで報告いたしました。
「以前付き合いのあった者を忘れず、苦労した者に酬いるのは、優れた賢人の教えであります。生命を重んじ大切にする点で、貴賤の間に相違はありません。いま、天下に僕隷を有する者がいますが、常日ごろ使役しながら病患となると道端に遺棄し、看護する人がなく餓死する仕儀となっています。この弊害は言い尽くせません。伏して、京職・畿内諸国に命令して、速やかに禁止することを要望いたします。願わくば路傍に無残な死体を放棄されることがなく、天下の多くの人が天寿を終えることができますことを」(日本後紀)
その訴えに対しては、帝は直ちに禁止の命令を出して、それに違反する者は厳罰に処すると、告知するように指示されました。それにしても最近各地に飢饉が起こり、それに対する手当にも財の支出があって、朝廷はその経営に困難を極めていたのです。
天皇は地方の役人たちに、真摯に為政に立ち向かうよう自覚を促しましたが、民にも朝廷に寄りかかるという悪弊は断ち切らないといけないとおっしゃいました。
ところが為政者と民との間にはまだ他にも問題がありました。朝廷に従って暮らし始めた蝦夷についても、国司たちが指示に従って世話をすることを怠っていて、俘囚たちの要請を取り上げないために、憂いや恨みを抱くことになるのです。朝廷は担当する者を数名派遣して、問題の解決に当たらせるようにさせました。天皇は何を取り上げるにしても、その原因となるものを分析して、その解決法を指示されます。
国の財が乏しくなる中で飢饉が発生して、そのために世間では飛んでもないことが広がり始めていたのです。右大臣の沈痛な報告を聞かれた天皇は、自らも改革をしなくてはならないことがあるのではないかと、思い巡らすようになっていらっしゃったのです。それから間もなくです。臣籍降下というびっくりするような決断を発表されるのです。
確かに人間の欲求には限りがないものですから、それをすべて為政者に頼って満たしてくれと言っていたら、キリがなくなってしまいます。嵯峨天皇がおっしゃったように、民の方にも現状を突破しようという意欲が無くては、なかなか希望を達成することはできなくなってしまいます。それは現代の我々にとっても一考する問題なのではないでしょうか。
天皇がこのようなことをおっしゃいました。
「自然界の利は公私が共にすべきではあるが、生物は適切な時期に捕獲しないと、繁殖しなくなってしまう。現在、百姓が好んで小魚(あるいは年魚・アユ・の稚魚か)を捕っているが、多量に捕れても、利用することができない。そこで、山城、大和・河内・摂津・近江などの諸国に指示して禁断せよ。ただし、四月以降は禁止する必要はない」(日本後紀)
確かにこの通りで、欲しいからといってその欲求のままに捕獲してしまっていたら、資源は枯渇してしまいます。これは古代も現代もありません。特に資源が豊かにあるという訳ではない日本の場合は、欲しいからと言って、欲求に従って手に入れてしまっていては、たちまち資源は枯渇して苦しくなってしまうでしょう。
最近でも電力事情を考えないで、国民が電力を好きなように使っていれば、かなり危機的な状態に陥ります。そうかと言って原子力にその救いを求めるようなことになることは、避けなければならないでしょう。兎に角安全な電力の確保をするために、政府に要求するだけではなく、民間でもエコな電力を開発する努力はしなくてはならないと思います。
温故知新(up・to・date)でひと言
時代の様相が変わって、福祉ということでは古い時代とは違って、かなり充実してきていると思います。しかしもう充分というには、ほど遠いものがあります。確かに人間の欲求には限りがないものですから、それをすべて為政者に頼って満たしてくれと言っていたら、キリがなくなってしまいますし、実際にやり切れるものではありません。嵯峨天皇がおっしゃるように、民の方にも現状を突破しようという意欲が無くては、なかなか希望を達成することはできないでしょう。為政者にはもっと福祉の充実をしてくれと要求しながら、それと同時に被為政者たちも、現状脱却のための努力をするべきです。官民一体ということが云われるのはそのためでしょう。古来「雲翻雨覆」ということがいわれます。世の人の態度や人柄はめまぐるしく変わるということです。人情も移ろいやすく、功績のあった幹部、部下も、利用価値がなくなると捨てられてしまう「狡兎良狗」であることを隠していなくてはなりません。現状打破を為政者に求めるだけではなく、自分も困難に立ち向かう努力もしてみましょう。「盤根錯節」といって、困難に出合ってはじめてその人の力量、価値が判るといいます。世の中の難儀な事柄に立ち向かってみましょう。為政者への要求は、それからでもできます。お互いにどのような葛藤をしているのかを理解し合いながら、現状打破を目指して精一杯頑張ってみましょう。その上で為政者にも努力して貰わなくてはなりません。
☆閑談とちょっと気になる新言霊の部屋☆ 閑20 [趣味・カルチャー]
「つつがなくお過ごし?」
コロナ、オミクロンと、次々厄介な病原体が襲いかかってきて、親しい人とも気軽に会えませんし、まして遠方にいらっしゃるかとは、わざわざ出かけて行くことも不安になって、ついご無沙汰ということになってしまいます。兎に角消息が知れないのは不安になるものです。
そんなことからせめて手紙を出そうと思うのですが、その冒頭の書き出しのところなのですが、私などはつい「暫くご無沙汰してしまっていますが、つつがなくお過ごしでしょうか」という、典型的なご挨拶で始まる手紙を書くことになるのですが、よく考えるとこの「つつがなく」というのはどういう意味なのかということに突き当たりました。
そこで一寸調べてみることにしましたので、その結果をお知らせしておこうと思いました。
これが何と聖徳太子の時代から、これは「つつが虫」という虫の名前で、原因不明のきわめて恐ろしい病気として恐れられていたというではありませんか。変に専門的なお話になりますが、これはダニ目のツツガムシ科の節足動物なのだそうで、野ネズミなどに寄生していてつつが虫病を媒介するというのです。
この病原体が突き止められたのは明治時代あたりになってからのようで、それまでは死亡率が40パーセント以上という、極めて恐ろしい病だった
のでした。
事件の発生地として知られているのは、明治以降では新潟県の阿賀野川、信濃川・山形県の最上川、秋田県の雄物川が知られているのですが、大雨などが降った時などに水をかぶってしまう、草原や耕地に人が入るとつつがむしの餌食になるようです。ところで思わず思い出したことがあります。
聖徳太子の住んでいらっしゃった奈良県の飛鳥あたりは、湿地帯だったということなのです。古代の大きな戦争として知られる物部氏と蘇我氏の戦いは、湿地帯に暮らして雨季にはいつもあたりに洪水に見舞われる蘇我氏に対して、大阪の八尾市という乾燥した地域に暮らす物部氏は、極めて農産物にも恵まれていたということを考えますと、いつかはその有利な支配地を取ろうとする蘇我氏と、それを拒否する物部氏との間での戦いになることは、止む追えない状況でした。
言うまでもなく聖徳太子は蘇我氏と共に戦いました。
称徳太子はつつが虫を大変警戒していたという話がありましたが、その話が切実に迫ってきます。
どうぞみなさんは充分に知識を頭に置いて、警戒をしながら地方への観光旅行にお出かけ下さい。
つつがなきことを切にお祈りいたしております。
閑話 嵯峨天皇現代を斬る その七の一 [趣味・カルチャー]
第七章「非情な現世を覚悟するために」(一)
為政者の課題・「神を利用するな」
弘仁三年(八一二)嵯峨天皇にとっては政庁を率いるようになって三年目のことです。
嵯峨天皇はさまざまなことに余裕を持って為政を率いるようになっていらっしゃいましたので、早春には神泉苑へ行幸されて、文化人たちと共に花宴を開かれ、詩を作ったりして楽しみました。この時の催しが、花宴の始まりであったといわれているのですが、これまでの天皇とは確かにひと味違っています。
平安宮の改革にも手をつけられ、それまで日常お使いになっていらっしゃった正寝(おもて御殿)は、仁寿殿といって紫宸殿の北にあったのですが、その西に清涼殿をお造りになられて、休息を兼ねて日常の生活をなさる所として、仁寿殿と交互に使われるようになりました。それともう一つ、平城天皇の退位なさった時の教訓でしたが、お住まいになる「院」というものが存在していなかったということです。そのことについては、第二章「安穏な暮らしを保つために」「その二の一」「戦力の不足を知る」の閑談で詳しく書いてありますのでご覧下さい。
天皇は巷の様子を見届けながら、さまざまなことに目配りをしていらっしゃるのですが、神仏に関わる者たちには、決められたことはきちんと守るように、毅然とした姿勢をお示しになられました。
発生した問題とは
いつの時代になっても、社会的に不安のある時などになると、どういう訳かおかしな神様が登場してきて、何かと不安を抱えている庶民を、巻きこんでいってしまうことがありますが・・・。
天皇は大変気になることがありました。神仏に関することで次々と指示をされています。
「近年、諸寺の僧尼は多数に上り、うわべは真面目に修行しながら、実は戒律を守らず、きちんと精進しないで、しばしば淫犯をなす者がいるという。取り締まるべき僧綱は、阿って取り締まらず、役所の方も糺すことをしていない。また、法会で懺悔を行うに当たっても男女が混雑して区別なく、挙げきれないほどの非礼の行動がなされている。これほど仏教の教えを破り、風俗を乱すものはない。永くこの弊害のことを思うと、懲粛しなければならない。そこで、京職と諸国に命令して、部内の寺・道場などのすべてに立て札を立て、淫犯の類を禁断せよ。もし、禁制を守らず、男女別であるべきところへ一人でも混入するのを容認すれば、三綱(儒教で社会の根本となる君臣、父子、夫婦)と混入した者らには違勅罪を科せ」(日本後紀)
いかにしたら為政を落ち着いた状態にしておけるかということに腐心していらっしゃるのです。社会の乱れがやがて為政を乱すことになるということを恐れていらっしゃることからでした。それでこれまで秘めておられた心情を、朝議において示されたのです。
「近頃、多くの僧侶が法律を犯しているが、薬傷は放置して戒律に委ねるのみで、取り締まりを行っていない。国法が蔑にされ、深刻な弊害となっているので、今後は、僧侶が罪を犯したならば、軽重を問わず、すべて僧尼令により糾せ」(日本後紀)
この頃は雨期だというのに雨の降らない日がもう十日も続いているのです。その影響で京中でも米価が高騰してしまうのですが、官の倉庫の米を放出して低価格で貧民に売却することで救済いたします。天皇は田畑のことを思って心を痛め、ひたすら神霊の助けによって早くいい雨が降ってほしいと、急いで畿内の神社に奉幣せよと指示いたしました。神仏の霊威に対して絶対的な信仰を寄せておられる天皇は、大変神経を使っていらっしゃいます。
「封戸(神戸)を与えられている神社では、神戸が修造に当たるが、封戸のない神社では修造に当たる者がいない。今後は禰宜・祝(神官)が修造に当たるようにせよ。小さな損壊が出来するたびに修繕し、怠って大破に到ることのないようにせよ。国司が頻繁に巡検すべきである。もし、禰宜・祝らが任務を怠り破損が出来した時は、解任せよ。有位の禰宜・祝は位記を没収し、無位無官の者は杖百に処せ。国司が巡検せず、破損した場合は、交替のときに解由を拘留せよ。ただし、風災・火災などの非常の損に遭い修繕できないようなときは、言上して判断を仰げ」(日本後紀)
いかにしたら為政を落ち着いた状態にしておけるかということに腐心していらっしゃるのです。社会の乱れがやがて為政を乱すことになるということを恐れていらっしゃることからでした。それでこれまで秘めておられた心情を、朝議において示されたのです。
「伊勢国の神郡である多気・渡会両郡および飯高・飯野等七郡の神戸百姓らは正税の授受・返納過程での不正や遅延があると刑罰が加えられ、これにより、神事執行に当たって円滑な決済ができなかったり、逃亡する仕儀となっている。このため、以前から出挙を停止しているが、公出挙に与かれないため民は富民から稲を借り、返済する額は元本の数倍にもなっている。このため、違法な出挙を行う者は犯罪者となり、返済する側は弊害を受ける事態となっている。そこで、らいねんからはじめて神税の他に、正税十三万三千束を出挙し、その利息は斎宮の経費に充てよ」
(日本後紀)
この頃は雨期だというのに雨の降らない日がもう十日も続いているのです。その影響で京中でも米価が高騰してしまうのですが、官の倉庫の米を放出して低価格で貧民に売却することで救済いたします。
天皇は田畑のことを思って心を痛め、ひたすら神霊の助けによって、早くいい雨が降ってほしいと急いで畿内の神社に奉幣せよと指示いたしました。
神仏の霊威に対して絶対的な信仰を寄せておられる天皇は、大変神経を使っていらっしゃいます。
夢中で朝廷を率いてこられたのですが、ふと、民は朝廷の為政についてどのような受け止め方をしているのだろうかと、気にされるようにもなっていらっしゃったのです。
すべて満足な状態ではなくなっていることは承知していらっしゃるのですが、そのような思いを抱かせるということは、やはり為政者の責任であると受け止めていらっしゃったのです。
天皇はそんな傾向を知っていらっしゃったので、神仏に関しての思いを政庁の中で徹底していかれたのでした。兎に角神仏に関しては、いい加減に扱ってはならないということです。
「近頃は疫病と日照りが続き、人民は穏やかではない生活を送っている。静かにこのことを思うと、人民の苦しみが思いやられる。ところで、神祇には禍を転じて福となす働きがある。願わくは、神助けによりこの災禍を消滅できることを。そこで天下の名神に速やかに奉幣せよ」(日本後紀)
天皇は指示をされると、大極殿へ出られて伊勢大神宮に奉幣されました。疫病と日照りからの救済を祈ってのことである。
これまで夢中で朝廷を率いてこられたのですが、ふと、民は朝廷の為政についてどのように受け止めているのだろうかと、気にされるようにもなっていらっしゃいます。すべて満足な状態にはなっていないことは、充分に承知していらっしゃいますが、不満であることはすべて為政者の責任だと思いがちなものです。
天皇はそんな傾向を知っていらっしゃったので、
「聖人は怪力乱神を語らず。世を惑わす妖言の罪は重大であるが、諸国は民の狂言を信じて、しきりに報告してきたりするのだが、それらは天皇を批判する言葉であったり、濫りがましい吉凶の予言に関わったりしている。これ以上法や秩序を乱しているものはない。今後、百姓が濫りに神託を称するようなことがあれば、男女を問わず処罰せよ。ただし神託が明白で、しっかりした証拠があれば国司が調査の上で、事実を上申せよ」(日本後紀)
いつの時代でもそうなのですが、不安が広がったりすると、なぜか神頼みの気分が生まれ、そんな心理状態を利用して怪しげな神様が、あちこちに誕生してしまいます。これは決して古代の問題ではありません。現代の我々の問題でもあるのです。
いつの時代になっても、何かと不安を抱えている庶民を巻きこんで行ってしまう怪しい神様が登場します。よく噂の真相を突き止めないと、神を使った者の話術に騙されて、その渦の中に巻き込まれていってしまいます。
温故知新(up・to・date)でひと言
よく話題になることですが、四字熟語では「街談巷説」といって、巷に渦巻く噂話。根も葉もない噂などに慌てふたむいて、「周章狼狽」してしまって適切に処置できなくなってしまったりしたら、まさに「矮子看戯」ということになってしまいます。物事を判断する見識のないまま、付和雷同してしまうということです。噂の渦に巻きこまれてしまって、偽の神様の思うが儘に利用されてしまいます。兎に角時代が不安になった時には、インチキ神様が絶えず登場して、迷っているものを探してさまよい歩きます。どうか迂闊にその魔力にひっかからないで下さい。地道に努力を積み重ねることが大事です。