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「落穂ひろい 11」 卒寿のご挨拶 [趣味・カルチャー]

 

    卒寿のご挨拶をいたします。


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本来は一六日の当日に公開する予定でしたが、PCの不調で遅れてしまいました。今回はその時の原稿のままで公開いたします。


失礼のお詫びです。


どうぞよろしく乙行き会い下さい。


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 せめて最後の作品ぐらい、締め切りなどというせせこましい作業ではなく、まとめておきたいと思って、好きな題材を用意して取り組んでいるところです。


 じっくりと、納得できるまで考えて、執筆を続けように心がけているのですが、次第に記憶力が衰えて来てしまって、昔だったら間違いなく古代の組織の規則、官職など、簡単に思い出せるのに、次第に高齢になると、簡単な決まりに関してでも、なかなか思い出せなくなっています。


 そんな中でどうして原稿を書き続けようとするのかと言えば、一つは脳の活性化のためです。真剣に忘れたことを思い出そうとしたり、アイデアを煮詰めたりする作業は、それなりに健康維持に役立っているようです。


 お陰様で歩行することに多少頼りなさを感じたりして、昔の颯爽と歩いていた頃のことを思い出しては苦笑してしまいます。


 それでも映像時代、作家の時代と、応援してくれる若者・・・すでに五十代後半であったり、六十代になっていますが、これまでと変らずに声援してくれています。そんな励ましに勢いを得て、今日も創作に取り組んでいるところです。


 6月16日に卒寿を迎えましたが、まったく先が見えません。つまりどこが終わりなのかはまったく見えませんから、兎に角見えない目標を見つめながら、真っ直ぐに生きていこうと思っています。


 今年はこの日が「父の日」と言うこともあって、改めて娘たちから贈り物を頂いてしまいましたので、終わりが見えない人生に挑みます。


あなたの天命はここまでですという生存に限りが見えれば、それまで頑張ろうと言うことになるのですが、今のところそういった限界が見えないのが、なんとも困ったことです。


そろそろ終活の問題も真剣に考えなくてはなりません。


 こうなったら倒れた時が天命の尽きる時なのだと思って、それまでは、兎に角頑張っていようと思っているのですが、老齢化するにしたがって、やることが兎に角多くなるようです。


今後ともよろしくお願いいたします。


        藤川桂介


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「ひろいひろい 13」防災訓練について [趣味・カルチャー]

 この数年来すっかりなれたといってもやはり親しい方との別れは、やはりさびしいものですね。取り留めのない話題にしても、遠慮なく話し出せる友人と話をする機会がなくなってしまうと言うことが、次第に寂しいものだと感じられるようになりました。

そこでという訳ではありませんが、近隣の隣組で開かれる地震に対する講習という呼びかけに応じて、家内と共に参加してみました。きっとかなりの人が集まると思っていたのですが、集合する場に設定されていた中学校の講堂へ行ってみると、いきなりびっくりしたのは、近隣の住民がかなり集まっているのではないかと予想していたのが、まったく見当違いで、かなり少人数での講習会になってしまいました。


どうも近隣の人たちは、ほとんど地震などが起った時でも、近くの収容所へ逃げ込むというよりも、ほとんどの人は、震災に遭っても自宅で過ごしたいという人が多いと言うことが判明しました。避難所には行きたくないという人が多いと言うことなのです。そういう人は、最低限水だけは常にそれぞれの家庭で蓄えておいて頂きたいということでした。兎に角震災に対する人々の意識が、都会と地方では大きな違いがあるという言ことを知らされただけでも、大いに役立ったのですが、もう一つこれから考えておくべき子t歩ことで考えておかなくてはならないことの一つに、収容されるところが区立の少・中学校なのか都立・私立の小・中学学校なのかということでは、担当が区になるのか都になるのかということで、まったく扱いが違ってくると言うことを知ったことは大きな収穫でありました。


テレビでは他経ず防災のアピールが行われているのですが、旧住宅地か新住宅地かということで、地震など災害の受け止め方に、大きな差があるということを知っておくべきだという大きな収穫があったという報告でした。


水の備蓄・防災ベット・排泄の備え・発電装置・炊き出しの方法・救急用具の使い方の講習などの知識を得ることなどは、大変役に立ちましたが、あまりにも参加者が少く、防災と言うことで考えておかなくてならない問題が、かなりあるなということを知っただけでも参考になりました。


 


     藤川桂介


 


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「落ち穂ひろい 12」 ぱなしのこと [趣味・カルチャー]

 

この頃しきりに思うことがあります。


原稿を書くと言うこともあるのですが、書斎はなるべく綺麗にしておきたいと言うことがあって、時々は掃除機を遣って簡単な掃除をいたします。


通常作家というと、原稿の書き潰しを丸めて無造作に放り出しておくとか、資料に使っている図書を積み上げたり、広げっぱなしでいたりします。中にはタバコもそんな中で吸うという状態を想像し手島いますが、どうも私は几帳面な一面があって、どうもあまり散らかしっぱなしの部屋で作業をすることができないので、時々は自分で自分の城は綺麗にしているのですが、そんな最中に気がついたのですが、私はどうも「ぱなし」ということが出来ないたちだなと言うことに気がつきました。


「やりっぱなし」「約束しっぱなし」「汚しっぱなし」「食べっぱなし」「忘れっぱなし」「ご無沙汰しっぱなし」「世話をかけっぱなし」


数え上げるときりがない「ぱなし」があると思います。やはりこの「ぱなし」で困ることは、その始末をしないことが多いと言うことなのです。


あなたはどうでしょうか。


少なくてもこの程度のことはしておかなくてはいけないと思いながら、ついつい「ぱなし」のままでいることはありませんか。


 


藤川桂介


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