「落穂ひろい 18」 二律背反の結果 [趣味・カルチャー]
今年わたしは卒寿を過ぎました。
まだ先の話だと思っているうちに、年齢を積み重ねてきました。
若いころは年齢的に二十年も先のことを考えても、まだまだ先のことだからということで、とてもそんな先のことについては、まったく想像の世界でしかありませんでした。
しかし・・・まだまだ先のことだからといって考えもしないでいた年齢に達してみると、たしかに若いころま二十年も先だからとか、だ三十年も先のことだからとか言って無視してきたはずなのに、知らないうちにその年齢に達してしまったことに気が付いて。愕然としていまいます。
あっという間に九十歳を越えてしまったのです。まだまだ到達するには、かなりの年月を費やすと言って、ほとんど気にしないでいたのですが、実際には心理的に思いがけことにぶつかることが多くなりました。
沢山の親しくおつきあいをしてきた人、共に仕事をしてきた人そして小学校・中学校・高等学校・そして大学で出会った友人たちの多くの方々が、早々と他界してしまって、気楽に雑談をすることもできなくなってしまったということがあります。しかし私は幸いにも健康であるために、多少の老化現象は否めませんが、元気で動き回ることもできますし、このような雑文をしたためたりもできます。大変有難いことだと感謝したいと思うのですが、しかしそれだからと言って、特別元気でいることが、一概に「有難いことだ」とは思えなくなってきているのです。時には真反対に、このまま生きつづけて行くことが、「虚しい」と否定する声が心の奥から聞こえてきてしまうのです。つまり「有難うございます」とお礼を申し上げながら、一方では「いえ」と長寿が虚しくなってしまうという、二律背反の問答を繰り返すようになっていたのです。 そこで、その虚しいという気持ちと戦えないかと考えた末に、夢中で最後の一作を書いてみようかと決心したというわけです。出版するとか、しないとかは別問題です。二律背反の「虚しくなる」気持ちと戦おうという気持ちで、必死で原稿を執筆しているのです。その一日、一日は決して虚しくはありません。そんな積み重ねをしながら天命が尽きるまで生きてみようと思うようになりました。
そこで作家ではない方々にお勧めです。別にお金をかける必要もありません。何か夢中で追いかけてみるものを探してみませんか。きっと二律背反の、長寿でいることに付きまとう、「虚しい」という思いをしないでいられるような気がいたします。
藤川桂介
「落穂ひろい 17」季節の変化を知る [趣味・カルチャー]
若いときは動く時代の変化については敏感で、何か流行っているのかとか、どんな食べ物が流行っているのかとか、特にファッションに関しては敏感なものです。しかし季節の微妙な変化・・・つまり植物などの変化などという物に気が付くこともないし、興味も関心も薄いものですが、高齢化すると、時代の波については関心が薄れて、それまでほとんど無関心であった季節の変化に敏感になったりしてきます。
私などもそうですが、朝などの目醒めが早くなってくるのに従って、夜明けの時間が刻々と変わっていくのが、敏感に変わっていくのを感じます。
特に激しく感じるのは、食べ物でしょうか。その代表的なものといえば、おでんや鍋物などしょうか。真夏におでんはありませんからね。
季節の変化といえば、ああ、日の出がこんなに遅くなってきたのかとか、こんなに早くなったのかということで、季節の変化を感じます。兎に角微妙に変化するものに対しての反応です。
高齢化すると、激しいもの、派手なもの、激しいものにはあまり興味を持ちませんが、普段見落としがちなものに気がついたりするものです。そのために口うるさくなって、若い者から嫌がられたりするものです。
お互いに年齢差というものがあるのだなということを知っておくべきですね。
それを理解さえしていれば、悶着を起こすようなことはなくなります。
藤川桂介
「落穂ひろい 16」 昨今の外出事情 [趣味・カルチャー]
昨今は家族がそれぞれ独立したために、いわゆる実家といわれるところには、高齢化した親だけが住んでいるというご家庭が多くなりました。隣近所が同じ家族同士でお付き合いしていた時代がなくなって、昨今では家族構成が激しく変化してきました。高齢化した方が亡くなってしまって、一人暮らしという老人が増えてきたために、ある日突然近所付き合いの方がいなくなってしまうことが多くなり、身近な環境が大きく変わりつつあります。残された人が一人きりになった高齢の方が、若者のところへ引き取られて行ったり、施設へ入ってしまったりすることも多くみられます。
拙宅の場合は両隣の方が、それぞれの事情で一人暮らしを解消して、長年住み慣れた土地を離れて、若い家族に引き取られたり、老人施設へ移って行きました。
これまではちょっと数日間家を空けることがあっても,左右どちらの家の方に、留守にしますのでよろしくお願いたしますと頼んでおけば、ほとんど多くの場合心配なく外出できていたのですが、昨今はそういった関係がすっかり崩壊してしまいました。現在では住宅地の事情がすっかり変わってしまって、古くからその土地に住み続けるという家庭が少なくなり、新たな住民が移り住むようになってきました。そのためもあるのでしょう。昔の隣組という付き合いは崩壊してしまいつつあります。
長期に外出する時なども、ネットを使って外出を、知人・友人たちに知られてしまうと、却って良くないことを考える者の標的になってしまうので、下手に家を空けることは明らかにできません。老人施設へ入ってしまったり、他県にお住いの親族のところへ引っ越してしまったりで、おつきあいのあったおとなお隣りにお願いすることもできなくなってしまいました。
兎に角数日家を空けるということは、大変気楽にというわけには、いかなくなってしまった昨日今日の外出事情です。
時代なのですかね。
藤川桂介
「落ち穂ひろい 15」猛暑のなかで [趣味・カルチャー]
物書きの作業をしている時は、書斎に籠っていますから、兎に角猛暑に襲われている時は、まったく周囲への遠慮なく、半パンに裸という姿で作業をしているのですが、突然来客のあったときには、大慌てになってしまいます。
兎に角浴衣を取り出して格好をつけることになります。
しかし最近の夏の暑さは、ちょっと我慢するのに参ります。
あまり家に籠っているのも良くないということで、時には手紙を出しに、ポストまで歩くんですが、最近はその一がかなり減ってしまったこともあって、ポスとまで猛暑の中を歩くのはかなり負担ですが、もう一つは図書館へたのだった本を鳥に行ったり、返しに行ったりという事も、その往復には高齢になった私たちには負担になります。しかしこれもわずかな運動であると思って、時々書斎から抜け出すことにしています。
昔はこんな時には必ず自動車を運転して、仕事場にしていた軽井沢の山荘へ逃げて仕事をした者ですが、昨今は運転免許証を返却してしまったために、娘の会社での勤務状態次第で、送って貰うことが思うようになりません。
やはり猛暑の中で、書斎に籠って頑張るしかないようです。
藤川桂介