「落穂ひろい 21」夢は見るものではない [趣味・カルチャー]
かつて私は若い人へと言うコメントで、「夢は見るものではない」といってきました。答えをはじめに言っておくと、「夢は追うものですと言うことなのです。
そこで再び「夢」ということに話しを戻しましょう。
若い時には、まだ生きていく間には、さまざまな障害があって、思い描くことはほとんど思うように・・・つまり夢で見たようなことがうまくすすんでは行かないようなことが起こります。そのために若者は、ジタバタとし始めてしまいます。
「私は運が悪いんだ」といって、落ち込んでしまったり、運が悪いんだと思いがちで、落ち込んでしまったり、やけを起こしてしまったりするものです。
そこでこんなことを書くことにしたのです。
年齢を積み重ねてくると、同じように夢は見ることがあっても、それを現実のものとするためには、よほど努力を積み重ねなくては、夢に近づくことが出来ないということを知るようになります。
その結果、あれもこれも夢ばかりというような、考えなくなります。
あれこれと考えた結果、「よし、これに挑んでみよう」ということになって、ようやく夢の実現に挑み始めるのです。もちろんその実現に到るまでには、さまざまな困難と出会うでしょう。そして必死でそれを乗り越えるために頑張るでしょう。
実は夢を見る効用と言うのは、「夢を見ると言うことではなく」「夢を実現するために、さまざまな苦難と遭遇するということに意味があるのです。
そういうことを考えると、本当に「夢を追ってみないと、その味わいを知ることもないでしょうし、夢見たことの喜びに浸ることも出来ないでしょう。
若者は施肥沢山夢を見て、それだけで終えずにその夢を現実の物にするために、必死で起きかけて貰いたいのです。その時本当に夢を見る意味を知ることになるように思えます。
何事も、願ったものが直ぐに手には入らないということを知っているだけでも、かなり前進して行けるような気がいたします。
藤川桂介
「落穂ひろい 20」 嬉しい連休の事情 [趣味・カルチャー]
丁度脚本家として活動できる機会がかなり多くなり、家庭ももって子供も二人持った時代は、寝る時間もいらないほど執筆の依頼が多くて、とにかくその原稿の締め切りに追われていた頃のことです。執筆依頼も一本、二本と言わず申し込みがあって、必死であった頃のことです。兎に角原稿の執筆でほとんど家庭生活には、ほとんど関与することが出来ない状態だったのですが、脚本家としては息抜きが出来る日は土曜日、日曜日ぐらいで、後はほとんどや進むという時間はとれませんでした。プロダクションの担当が催促の電話をしてきたり、やってくるということもない土曜日、日曜日だけは、私の自由なのですが、原稿を間に合わせなくてはならない事情がありますから、まったくサボる機会にも鳴りませんし、子供と遊んでやる時間もありません。
そんな中で働き方改革という問題が議論される時代の走りで、ついに土日はほとんどのプロダクションから原稿の催促にやって来る端とはいなくなり、やっと原稿の執筆をサボって子供の生きたいところへ行ってやったりする機会も出来たのですが、そういった家庭サービスをした分は、原稿執筆が遅れるきっかけとなってしまいます。脚本家たちにとっての唯一自由になる土日ですが、大変苦労していたのですが、そんな中で連休がある時は、ほとんどプロダクションのスタッフはやって来ないということが判った時には、兎に角土日と連休の時間をうまく使って、なんとか原稿の執筆と、普段まったく面倒を見てやれない日常生活に、やっと首を突っ込んでやれる機会となったのでした。
遠い昔のことですが、兎に角連休が来たときには遅れる原稿を間に合わせたり、家庭に多少でも面倒を見てやったりすることが出来る唯一の休息の時ででもありました。
思わず連休がつづく九月といういうことで、嬉しかったり、ほっとしたりした連休の効用について書く気持ちになり巻いた。
藤川桂介
「落ち穂ひろい 19」 弱くなったなあ [趣味・カルチャー]
何でもやろうと思うことはやるべきで、我慢などしなくてもいいという時代です。しかし・・・。最近の事件に思うことがあります。
人の命が軽くなってしまったなと思う事件が、テレビ・新聞・雑誌でしばしば報道されます。特に十代、二十代、三十代の失恋した男性が、ほとんど相手の女性が男性の意のままにならないと言うことで、感情の高ぶるままに殺人に走ることが大変多いように思います。
私も若い頃から、何度失恋を経験して悔しい思いをしたことが何度もあります。その度にしばらくは残念な思いに悩みましたが、結局は縁がなかったのだからと思って諦めました。そんなことは友人たちにもかなりあったようですが、これまで事件に発展したような事はありません。しかし昨今はいささか男性が弱くなってしまったのでしょうか。努力をしてももつれたまま問題が解決しないといって、感情の赴くままに相手を傷つけてしまう若い男性が多いようです。そんな事態に追い込まれてしまったら、もっと自分の思いをくみ取ってくれる女性との巡り会いを期待して、頑張ろうという気持ちにはならないのでしょうか。
そんな時にめそめそしているのでは、相手から見ると、かえって魅力のない男性に見えてきます。自分の良さが判ってもらえないのであれば、思い切って捨て去ってみてはどうでしょう。もっと気持ちのいい女性と巡り会う機会もあるはずです。そのくらいの我慢と、切磋琢磨する自分がなくては、やはり相手にとっては、とても魅力的であるとは思ってくれません。男性は男性らしく毅然として生きましょう。思い通りにならないからということで凶器を振るうというのは、あまりにも子供っぽいし女々しく思えてきます。失恋による殺人事件の報道を見る度に、どうして最近の男性は我慢が出来ないだろうかとイライラとしてしまいます。現代は、女性たちが大変自立心が高まっている時です。男性はそのことをじっくりと考えてみる必要があるようです。昔は日常生活のなかで、我慢しなければならない事が沢山あったので、辛いことがあっても、いつかそんなつらさから抜け出してやろうという、苦難と闘う気力も生まれてきたものです。甘えて育てられた事による結果なのだろうか。男性はただ優しいだけでなく、時には毅然として自分を律することが出来る人が、多くなってくれることを祈りたいと思っている昨今です。
藤川桂介