SSブログ

「落ち穂ひろい 25」昔々の事です [趣味・カルチャー]

 

 最近昔のことを思い出すことがよくあります。


 バブル全盛であった頃の事ですが、テレビ番組でかなり評判になっていたこともあって、若い人は男の子、女の子も含めて、私に会って、テレビ番組の話がしたいと思う人がかなりいました。私もまだ若かった事もあって、なるべく時間がとれる時には、出るだけ多くのファンに会っておこうという気持ちがあって、原稿の空いた時間に面会することにしていました。


 そんなある日のことです。


 中学生の男の子が、是非会いたいというので、進学の事などを含めて、自分の進もうとしていることと、親の希望していることが違ってしまって、なかなかうまくいかないというケースがあった時代でしたか、きっとそんな相談をしたいというのだろうと考えて、気安く出ていらっしゃいと声をかけてやりました。


 それから間もなくのことでした。中学生と思われる少年は、自転車に乗ってやって来ました。どうやら拙宅とは捜遠くないところに住んでいる少年だなと思って、直ぐに応接間へ通して話しを聞くことにいたしました。


 すると少年は意外にも、相談事というよりも、わたしの生活についての質問を次々として来るのです。仕事をする時間のこと、三十分の番組の原稿は何枚ぐらい書くのかとか、番組は一本書くといくらぐらいになるのですかとかと、極めて現実的なことを聞いてくるのです。やがて彼は、いつもTプロダクションの仕事はYプロデウサーから来るのですかと、かなり立ち入ったことを、次々としてくるのです。まるで身辺関係のことを探るような質問をして来るのです。


 流石に私はここで、ちょっと少年の相談事という要件に、おかしなものを感じ始めました


「君はなにか相談があってきたのではないの?」と聞きました。


すると少年は、うろたえることもなくこう答えたのです。


 「母が先生のところへ行って、話してきなさいといわれて来たのです」


 まったくうろたえることもなく、訪問について話し始めたのです。


 「君はさっきから私の仕事に関して聞いてきたけれども、そういう仕事がしたいのか?」


 「ハイ。はははTプロダクションで働いているのですが、就職がしないならTプロダクションとも関係が深い藤川さんとコネを作っておかなくちゃ駄目よ」


 といわれてやって来たというのです。


 たちまち少年と夢物語でもしようかと思っていた私は、すっかり楽しい話しでもして帰って貰おうという心づもりがなくなってしまって、極めて現実的な状態になってしまったのでした。


 私はたちまち少年と話しをしていることに失望してしまって、「そんなことのためにきたのか」と失望をはっきりと表明したのですが、少年はまったく悪びれた様子にもならずに、「世の中兎に角コネ次第ですから」と言い切るのです。


 「そんなことをお母さんから言われてきたのか?」


 あまりにも少年らしくない返答に呆れて、「そういうお話にはお付き合いすることはできませんから、残念ですがお帰り下さい」と言いました。時代が時代でしたが、あまりにも世慣れた生き方を、早くも少年に教育してしまう母がいるということを知って、愕然としてしまいました。


 たしかに昔はそんな風習がありました。実力もないのに強力なコネのお陰で、思いもしない会社へ入ってしまうようなことがあった時代でした。


 時代はそんなことで会社の一員にはなれない時代です。現代はあくまでも実力の時代です。その能力を活かすことで会社も発展して行くのです。とてもコネだけで自由になるという事はありません。


 世界の時代の深化から、遅れをとってしまったことの一員には、コネを使った人間関係に頼ってきたことによることが、大きなマイナス点となってしまった時代があったのだと回顧して、思わず思い出した話でした。あれは間違いなく実力よりもコネで何とかなるという、親子共々昔々のお話でした。


 


         藤川桂介


nice!(0)  コメント(0) 

「落ち穂ひろい 24」微妙な説得屋でした [趣味・カルチャー]

 時代が大きく変わって行こうとしている時には、若者も様々に動き始めます。そんな時を私も直面してきました。

 1800年、1900年頃の事です。


 気持ちを文字で書いて伝えようとするよりも、見て判るように絵で表現したり、動いて表現するようにしようという、これまでの生活様式を大きく変化させて行こうという時代の波がうねり出していた頃のことです。


 それと同時に若い人には、漫画がカルチャーとして広がっていきましたので、これまでの活字による表現よりも、漫画で気持ちを表現するということが、大学生にも大きなうねりとなって広がっていきました。


 サブカルチャーと言われる漫画、アニメ―ションも、社会的には昔と違ってかなりうけいれられてきた分野でしたが、家庭の中では世間で騒がれるほど認知されているとはいえない時代でした。


 ちょうどこの頃、就職の時期に差し掛かっていた親御さんについては、折角大学の卒業期になったところで、かなり言い会社への就職を決めながら、漫画家を目指したいと言い出して、親御さんと揉めている家庭がかなりあったのですが、そんな中で私が関わっていたアニメ―ションでは「宇宙戦艦ヤマト」「マジンガーZ」「銀河鉄道999」「ゴッドマーズ」はもちろんですが、活字の方では「宇宙皇子(うつのみこ)」でも大きな支持を得た作品を持っていたために、多少世間でも知られる存在になっていたこともありましたので、同世代の親の方々から、大変な依頼が持ち込まれるようになってしまったのです。


時代の変化に伴って、同世代の親御さんたちの悩みとなってしまったのは、子供が卒業を間近にしながら、就職を考えずに漫画が書きたいといい出したといって、もめる家庭が多くなっていたのです。特に女子大学生で、漫画家志望のために、就職を拒否するようになってしまったというので、親子の生活に対する思いがまるで変わってしまって、説得が出来なくなった同期の友人たちから、何とか娘を説得してもらえないかという相談が、寄せられるようになってしまったのです。


親から藤川桂介のところへ行って、芸界の現状について詳しく話を訊いて、そっちへ向かってもいいかどうかを訊いてきなさいといって送り出されてきたお嬢さんと話をすることになったの+ですが、


 私はやってくる娘さんに対して、業界がそうたやすい世界ではないということを丁寧にお話して、方向転換をしてくれるように説得するという大役を果さなくてはならなくなってしまったのです。


 どちらかというと、そういった若い人の味方になって、掩護射撃をおしてやりたい気持ちさえあったのですが、親の立場に立つたら、それを無視するわけにはいかなくなります。つまり意に反してしまって、業界の厳しい面での現状をすることになりましたが、その負担と戦うか、嘱望されている会社の意向とを考え合わせて、フリーに転身することがいいことなのかどうかは、親として賛成できないと、大変難しい説得屋を演じなくてはならなくなってしまったのでした。


 かなり高校大学でも優秀で、予定されていた会社からは、期待さていた女性たちでしたので、その後挨拶にお出でになられた女性たちは、私の説得に従って・・・つまり友人たちの希望する職種に就いて、かなり会社にも喜ばれたと言う報告を貰いました。しかし私はやはり女子大学生二人、高校生一人の説得をして、親御さんから感謝をされた事がありましたが、実に複雑な心境になった経験がありました。時代の変わり目ということでは、現代でも充分考えられる問題でしょうが、令和ともなると親御さんも昔とは大分違ってきていて、お子さんの選択に、大変理解を持ってくれているようですね。


 たしかにたった一度の人生です。


 自分で自分の人生の方向を選択することが、後悔しないですむかも知れませんが、ふと、社会人になるのをきっかけにして、親子共々悩んだ時代があったなと言うことを思い出してしまった話しでした。


しかし生涯の判定は終わって見なくては判りませんね。


 大変難しい人生問題に直面してしまったことがあったなと、いろいろなことを思いだしています。


 あの頃説得に応じて予定通り就職に向かって行った女性たちは、もうみなお母さんとなっていらっしゃるでしょうね。


 時々は再会してみたいと思ったりもいたします。


         藤川桂介


 


nice!(0)  コメント(0) 

「落ち穂ひろい 23」言い訳ばかりです [趣味・カルチャー]

    3「落ち穂ひろい 23」言い訳ばかりです

 


 テレビでのヒット作品を生むことが多くなった頃から、脚本家藤川桂介の身辺が、俄にこれまでと違ったことが起こり始めました。


1800年代から1900年代頃の時代の転換期の事でした。


 面会を希望する中学・高校生が多くなってきたのですが、今回のお話はそんな訪問者についてのあるお話です。


 テレビ・小説に興味を持った某有名女子校に通学注の女子高校生でした。大変明るい性格でしたし、家庭環境もよさそうでしたが、私に面会を求めてきた要件を聞いてびっくりしました。脚本家になりたいということだったのです。大体は簡単に思い立っても、そう簡単に脚本家として成り立つ仕事ではありませんから、いろいろアニメ―ションに対するきょうみのある話を窺ったところで、とにかく脚本家希望であるなら、何か書いた物があったら持ってきなさいと言って、その日は帰って貰いました。


すると彼女は数日後には、早速自作の脚本を持ってやって来たのです。彼女の熱心さの表れだと思って、その思い込みに答えるために、早速持参した原稿を読みました。


誰でもそうですが、初心者でしたら表現が不備なところがあるのは当然です。しかしちょっと厳しいとは思ったのですが、作家希望であるということを考えて、ここはどういう意味なのかと、表現が曖昧なところがいくつも見つかりました。一応説明を聞いた上で、そのままでは書こうと思った意図が通じませんよと指摘した上で、あまり説明不足の表現の箇所が多いので、いちいちそれを問い正していったのですが、彼女は「そう書こうと思っていたんです」という釈明をするのです。「そう書こうと思っていたと言うのであれば、ちゃんと書き直してこなくてはだめではありませんかと、いささか厳しくなって原稿を返すと、次回来る時はおかしなところは、きちんと直して持ってきなさいと言って帰って貰いました。


 一寸厳しく言いましたので、自信がなくなれば、もう来なくなるだろうと考えていたのですが、びっくりしたのは、彼女は数日後にはまたやって来たのです。いやに熱心なので、びっくりしたのと、彼女は本気でやってきたのだろうと、その熱心さには感心して、持参した原稿を読むことにいたしました。


「先日注意したことは、全部修正してきましたね」と多少柔らかく注意しながら、推敲してきたはずの原稿を読み出したのですが、またまた表現が的確でないところが目立ちます。「こういうところがちゃんと表現してなくては、この前と同じではないか」と言うと、返事も前と同じで、「そう直そうと思っていたんですけど・・・」の連発担ったのです。


 流石に我慢強い私も、もうはっきりと言ってやらなくてはならないと思って、同じような原稿を持ってくるのであれば、もうお会いできませんと言って帰って頂きました。兎に角いちいちこちらの注意に対して、「そう直そうと思っていたんだけど・・・」とまったく反省の気持ちがないのに呆れてしまいました。


作家になりたいという気持ちだけが先行してしまってして、肝腎なものを書くのだという心がけとして、何が大事なのかということが、まったく基本的にできていないという、ただ憧れただけの弟子志願の若者がかなりいたお話でした。


                                                    藤川桂介     

nice!(0)  コメント(0) 

「落ち穂ひろい 22」汗顔の至りです [趣味・カルチャー]

 

若い頃から、あまりみっともない失敗はしないできた私ですが、今になっても思いだす大失敗をしたことがあります。


「エースを狙え!」という、テニスを扱った人気漫画をアンメーション番組にするというので、私を中心にして男女一人づつ仲間の脚本家に参加することになり、作業をし始めたのですが、兎に角漫画としても大変人気がある作品であったこともあって、テレビとしても大変な人気番組になりました。


 普通はそれぞれ文芸部から発注があってから脚本を書く野ですから、それぞれバラバラに話しを書いて行くのですが、暫く番組が好評に進んで行く要になったところで、脚本家はもちろん番組を制作するスタッフ・・・特に脚本家と縁の深い文芸部をしきるスタッフと、いつもバラバラで仕事をしている脚本家が、番組の評価もいいということがわかったこともあって、たまには一緒に飲食を共にして気晴らしの開出もしましょうという誘いがあって、文芸部の代表スタッフと私の他に男女二名の脚本家で、新宿の某所で大変気持ちのいい宴会をしたことがありました。それぞれお酒も飲んで、大変いい気分になっていましたが、そのうちに女性脚本家が私に飲み比べをしましょうと誘ってきたのです。私も大分いい気分になっていたのでしょう。日本酒を冷やでコップに注いで、飲み比べをしようということになってしまったのでした。


当時は若かったこともあるのですが、普通はコップで三杯ぐらいでゆっくりと飲めたのですが、その日は、番組が好評という事もあって、みなかなり盛り上がっていたこともありましたので、私も限度の三杯を超えて更に二杯も飲んでしまった私は、それから間もなく次へ行こうというスタッフの誘いに乗って、お店を出た途端に目が回ってしまって、立ってもいられなくなってしまって、道路に倒れてしまったのでした。


「藤川さん、お芝居しないでよ。立ちなさい」


女性脚本家に発破をかけられてしまいました。もう言い訳をすることさえも出来ません。目が回ってしまって、兎に角立ち上がることも出来ません。ついにスタッフに付き添われて帰宅することになってしまったのでした。勝手口から我が家へ飛び込んだのですが、そのままばったりと倒れてしまったのでした。


びっくりしたのは、娘たちでした。


普段はまったくこのような醜態を見せることはない父親の姿を見て、びっくりしてしまったようでした。


 言うまでもなくよく翌日は、無茶に飲み比べなどしてしまったことを反省するばかりでした。それにしても、あとで聞いたところ、彼女は大変な酒豪であったようで、下手に勝負を挑んだ私の大失敗でした。調子に乗りすぎた珍しい大失敗でした。以後、こうした酒の上での失敗は、全くなくなりましたが、最近はビールをコップ一杯で可愛い良い方をしているところです。


 


         藤川桂介


nice!(0)  コメント(0)