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「落ち穂ひろい 27」筋力低下 [趣味・カルチャー]

 

上皇后が仙洞御所で倒れたために大体骨骨折ということが公表されて、俄に話題になったことがありました。


 その原因は筋力の低下という問題です。


 これはすでに四十代から始まると言われていますが、実は拙宅では家内が数年前・・・と言っても八十才をこえていましたが、リビングで転倒して、大腿骨骨折問ということになってしまって、以来杖を使って動いております。兎に角年齢を重ねて行くに従って筋力は低下していくようです。実はこの私もまったく意識していなかったのですが、つい最近・・・つまり卒寿を越えた頃を境に、二度も転倒してしまいました。一度は近くの図書館へ行った時に、階段を降りるときに歩調を狂わせて転倒してしまいましたが、この時はっきりと判ったことは、一気に立ち上がることが出来なくなっていたということです。その時はたまたま近くに図書館を利用する人がいましたので、手助けをして頂き立ち上がらせて頂きましたが、それから暫くして、その図書館から外へ出て、信号待ちをしていたのですが、歩行許可がでたので、横断しようとして道を進もうとした時です。足をもつれさせて転倒してしまいました。道路の途中ですから、どこにも掴まるものはありません。しかし一気に立ち上がろうとしても体を起こして立ち上がることができ真線でした。つまり筋力が低下しているので、体を支えて起きる力が発揮できないのです。この時もたまたま道を渡ってきた女性に、手を貸して貰ってやっと立ち上がったのでした。


 年をとったら、少しづつでもいいから歩けということを聞きますが、しかしそれでも筋力低下は防げないようです。


 同じような高齢になる知り合いの女優さんがいるのですが、家の植え込みの手入れをしている最中に、長いことしゃがんでいたために、さて立ち上がろうとした途端に、まったく立ち上がれなくなってしまって、なにかに掴まろうとしても、たまたま何も掴まるところがなくて、暫く七転八倒してしまったと言うことを聞きました。


 年齢を重ねるにしたがって、誰でも避けることができない体力の低下と言うことですが、その典型的な現象が筋力の低下という問題です。


家の中だからと言って気を許さずに、充分に用心して移動して下さい。足下に不安のある方は、恥ずかしがらないで、杖を使いましょう。中には一本ではなく、二本の杖を使って転倒を防いでいる人もあるようです。お互いに転倒はしないように、ゆっくり歩くようにしましょう。


 筋力の低下は四十代から始まるといいます。若い人も要注意ですよ


藤川桂介


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「落ち穂ひろい 26」孤独を思って [趣味・カルチャー]

 

昔は必ずあった公演の遊具で、今はほとんどいなくなってしまったものというと、どんな遊具があるでしょうか。しかしそれを言うよりも、最近の遊具を考えた方がいいようですね。


みんなで遊ぶジャングルジム。滑り台。一人で楽しめるブランコ。平行棒。これは定番ですが、二人で楽しむシーソーは、ほとんどなくなってしまいました。どうしてでしょうか。簡単に言えば、一人では遊べないと言うことです。たまに一人で遊びに行っても、お友達がいなくてシーソーができないことがあります。その時の孤独感は、今でも思いだします。


 遊ぼうとする友達が来ていなかったり、折角来た友達とも、一寸したことで意見が合わなくなってしまって、折角シーソーで楽しく上になったり下になったりしながら楽しく遊ぼうと思ったのに、友達が怒って帰ってしまったりした時などの寂しさは特別です。相手がいないと楽しいシーソーゲームとはならない遊具は、今ではまったく発見できません。それと同じように、縄跳びで遊ぶ時に、一人でやるのはかまいませんが、何人もの仲間が集まって、縄を左右で回す人と、飛ぶ仲間がいないと楽しむことができません。そんなことを考えると、この縄跳びさえも、あまり集団で遊んでいる光景は見なくなりました。みんなで一緒に楽しみたいのに、付き合ってくれる人がいないときには寂しさを味わってしまいます。


 昔はそんなことがよくあった野ですが、現代では一人ぼっちになった時に味わう寂しさがどんなモカということをほとんど味わう機会がないようになっています。


 それはそれでいいことだなと思うのですが、私はある時突然、遊びたいのに、相手がいなくなってしまった時の寂しさを味わうことがまったくないように鳴っている公園の遊具が、本当に子供たちにとっていいことなのだろうかと考えたことがあったのです。


 一緒に遊べる友達がいてくれると言うことは有難いと思ったり、その逆に遊ぼうと思っていた友達が来られなくなってしまったり、時には喧嘩してしまって、一緒に遊べなくなってしまったときの寂しさというものを味わう機会がなくなってしまっている現代の公園は、本当に子供の自然の遊びの中で学んでいく、自然な教育と言うものが、存在しないように思えてきたのです。


 港遊ぶと言うことの楽しさは充分に判るのですが、時には友達と遊べないと言うことの寂しさを味わう機会もあっていいのではないかと思うのです。


 散歩をしていると、結構いろいろなことを考えさせられる事に出会うものですね。


 


藤川桂介


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