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「落穂ひろい 30」年賀状 [趣味・カルチャー]

 

新玉の年が開きました


おめでとうございます


 


お陰様で、卒寿を越えて無事にまる一年を目指しております。


今年も天命に従って、許される限り、ブログをはじめ可能な限り創作を楽しんでいこうと決心しているところです。


みなさまの健康と発展を祈りつつ、私も一日、一日を大事にしていきたいと思っています。


 どうぞよろしくお願いいたします  


                                                                藤川桂介


 


令和五年元旦


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「落ち穂ひろい 31」影武者騒動 [趣味・カルチャー]

 長い映像作家としての活動を止めて、活字の世界へ転身した時の事です。なんといっても文芸の世界にはほとんど知り合いもありませんでしたから、作品の発表の場を提供して下さった角川書店に対して、ある種の実績を実証しなくては、転身したものの、その世界では生き延びられるかどうかはまったく不明という状態でした。映像時代ではかなり実績を上げてきた事はたしかでしたが、文芸という世界はまったく未知の世界です。出版したら読者の興味をひいて、一気に勝負して行けなくては、転進作戦は成功しないと決心して作業を開始したのですが、幸いなことに、心配した出版の結果は思いがけない反応で大成功という状態でした。出版界がその作品の表紙に、当代の人気イラストレイターを起用していたのに対して、私はこれからの時代を担うであろうと考えた若いアニメ―ションの世界でイラストを描いていた女性を起用して作品のイラストを担当して貰いました。もちろん出版界の常識を愚痴壊すようなイラストを盗用してきたのですから、角川書店でもかなり抵抗はあった野ですが、それが却って大成功となったのでした。

映像時代に開拓したファンが、出版という別世界で頑張り始めた私が、どんな物を書き始めたのかという興味もあったのでしょう。古代の歴史物というこれまでとはまったく違った世界で勝負に出た私の作品を、興味深く思って買って下さったのでした。


ここでのんびりしていては、結果的にその後のいい展開にならなくなってしまいます。勝負に出た以上、一気に攻め込まなくては駄目だと決心しました。そこで私は作品を連打しようと決心したのです。休むことなく次の作品を執筆していきました。ベテラン編集者の告白によれば、多くの作家は最初に出した作品が成功という状態であった場合は、ほとんど次回の作品は暫く書かずに、ひと息入れてからかなり時間をかけて次回作を出すと言われていました。それが常識的であったようでしたが、しかし私にはとてもそんなのんびりした気分にはなれませんでした。兎に角いいスタートを切ったのですから、その勢いを大事にして突っ走ろうと決心したのです。一巻に四百字詰めの原稿用紙で四百八十枚というかなり多い分量の原稿を、毎月執筆していったのです。その出版のペースに、読者は乗ってくれて、その売り上げは前回をはるかに超えたものになっていきました。そんなことから、業界ではなぜかおかしな噂が広がり始めたようでした。


 「藤川には影武者がいるのではないのか」という噂です。


 通常では考えられない勢いで出版されるのですから、これまでのんびりとしたペースで出版していた作家から考えると、とても考えられないペースで出版する藤川桂介には、影武者がいて執筆を助けているのではないかというのです。


 兎に角「宇宙皇子」は毎月発売になるのです。若い読者たちは、みな「月刊宇宙皇子」などと言って、そのハイペースな出版にびっくりしながら、冗談めいた表現をして楽しんでくれていたのでした。


 私は兎に角布団に寝ることもなく、机の下に置いた毛布を時々かぶって寝るだけで、食事も家内が運んでくれる握り飯を食べて、必死で執筆し続けていたのです。そんな姿を見たこともない人には、とても想像できない姿だったでしょうね。


 はっきり言って、私には影武者などと言う者はいません。


 弟子志願の若者は何人かいましたが、私は彼らに、自分の世界を開拓しなさい。決して私の真似はするなといって、それぞれのテレビ作品を書くように勧めていたくらいなのです。自分の作品は自分で書きました。たった一人で5百枚弱長編のもの作品を、必死で書き続けていたのです。


現在でも毎年私の誕生日には、当時励ましてくれていた読者代表が、遊びに来てくれ、当時の爆発的な人気が全国的に広がっていった様子を、共に思い出して楽しんでいるのですが、例の影武者騒動については、彼らも私のエネルギッシュな作業には、信じられなくなったといって、大ヒットぶりを思い出しています。


それにしても人はいろいろと推測して噂話をするものです。


世間の反応のあり方というものが、どんなものになったのかというくらいのお花にしておくことといたしました。気楽な思い出話にさせていただきました。


 


        藤川桂介


 


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「落ち穂ひろい 29」時は平等です [趣味・カルチャー]

 

先年行われた選挙では、裏金うんぬんとかがかなり取り上げられて、違法な形で豊かな生活をする者にとって、厳しい追及の声が飛び交いました。確かに多くの国民は、決められた法に従って平等な日常生活を送ってきています。


 この豊かに恵まれる人と、なぜか恵まれない人という不平等と言うことは、どうしても生まれてしまう事になるのが、この世の定めというものでしょうか。


 しかし冷静になって考えていると、日本だけでなく、全ての人にとって平等なことが与えられているのではないかと思うことがあるのです。


 それは「時」と言うものです。


 それはアメリカの大統領であろうと、中国の総統出有ろうと、日本の総理大臣出有ろうと、そして我々庶民であろうと、間違いなく神が平等に与えてくれているのが「時」というものです。それなのにどうして、彼らと我々との間には、作業についても、暮らしについても、大きな開きが出てきてしまいます。生まれた時から、同じ時の流れを与えられているのに、人間はことごとく暮らしぶりを見てみると、大きな開きが出てきてしまいます。


 この世に生まれてきたからには、全ての人は、みな平等である「時」を与えられて生きて行くのですが、どうしてその暮らしぶりについて大きな開きが生まれてしまうのでしょうか。


 その問題を簡単に答えるとするのであれば、それぞれの時間の使い方に違いが生まれてきてしまうからのではないでしょうか。


 私達にしても、日常生活の中で、全ての時間を有効に活かして生活しているだろうかと考えると、なかなか素晴らしい一日であったとはいえないような時間を過ごすことが多いように思えます。


 時の使い方を上手にこなしていく人、下手な人によって、暮らしの充実感には、大きな開きが生まれていってしまっているように思えます。


 「時」というものの使い方次第では、その結果については思いがけない大きな開きが出てしまうということです。


 もちろんあまり窮屈に考えないで、毎日、毎日の時間を、どのような使い方をしているのか、考え直してもいいのではないでしょうかと、提案しておきます。せっかく神様は全ての人間に対して、「時」という平等なものを与えてくれているのですから。


 そうだ。


 こんな私の思いつきを読む時間をとらせてしまって、申し訳ない時間を過ごさせてしまいましたね。


 どうぞ、ご容赦下さいませ。


 


藤川桂介


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「落ち穂ひろい 28」不得意だったこと [趣味・カルチャー]

  

年末が近づくと、いやでも思い出すのが年越しそばのことです。


 私は多少世に知られたそば屋の長男として生まれたのですが、、父の教育が間違ったのか、跡継ぎのつもりで楽しみにしていたことが、まったく見当違いになってしまった事です。もちろんかなり大きくなるまでは、父の後を継いでそば屋になろうかと考えていたことがあったのですが、どうもこれではまずいなと思うことが、中学校から高校生になる頃になって、これではとても跡継ぎになって活躍することは、無理だなと思うことが発生したのです。


 現代ではあまり流行りませんが、昔はそば屋というと、そばセイロを何段も高く積んで担いで、自転車で注文のあった家まで運んで行くそば屋の店員がかなりいましたし、それを誇らしげに振る舞っていた店員が沢山いました。それが天丼のように重いものをハイ子ででも十個でも積んだお盆を担いで、自転車で注文された家まで運んでいたのですが、私は自転車は乗れるものの、品物を積んだお盆を担いで自転車に乗るということが、どう訓練してもやれませんでした。


 そんなことから店では、釜前と言ってそばをゆでる釜の横にいて、店で食べる人の品を用意したり、出前に行く人の品物を準備して、調理台を担当する父親に渡すという役割を受け持つことにして手伝っていたことがあったのです。横にあるそばをゆでる釜での作業がない時は、目の前にある洗い場を使って、使用済みの丼を洗って、新しく使用できるようにしなくてはなりません。


 通常の場合は高校までは学校から帰って、手伝いをすることが多かったのですが、なんと言っても大変だったのは、大晦日の年越しそばの注文をこなす時が、調理場を担当する父と、よほど呼吸を合わせないと、殺到する注文をこなすことができません。


 大学時代の大晦日は、兄弟姉妹、親戚の者の手伝いも来て、大変な作業をこなしていたのです。


 そんな経験があったことのお陰でしょうか、これまで物書きという仕事を八十才過ぎまで現役でやっていましたが、やがて第一線を引き下がって今日になりましたが、家内が体調不良のために、日常の調理作業が困難になってしまったので、私が父とのコンビで、真似事の調理をやっていた経験を活かして、日常の調理をやるようになりましたが、そんな時にはいつも、父からもっと真剣に調理について、いろいろ手はずについて、もっと学んでおけば良かったのに残念だなと思うことしきりです。


 出前が不得意だった事から、物書きとして暮らしてきましたが、今は昔の経験を活かして、できるだけ家庭での料理を手助けしている日常です。


 年末が近づくと、いつも懐かしく年越しそばで大賑わいであったなと、しみじみ思いだす今日この頃です。


 


         藤川桂介


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「落ち穂ひろい 27」筋力低下 [趣味・カルチャー]

 

上皇后が仙洞御所で倒れたために大体骨骨折ということが公表されて、俄に話題になったことがありました。


 その原因は筋力の低下という問題です。


 これはすでに四十代から始まると言われていますが、実は拙宅では家内が数年前・・・と言っても八十才をこえていましたが、リビングで転倒して、大腿骨骨折問ということになってしまって、以来杖を使って動いております。兎に角年齢を重ねて行くに従って筋力は低下していくようです。実はこの私もまったく意識していなかったのですが、つい最近・・・つまり卒寿を越えた頃を境に、二度も転倒してしまいました。一度は近くの図書館へ行った時に、階段を降りるときに歩調を狂わせて転倒してしまいましたが、この時はっきりと判ったことは、一気に立ち上がることが出来なくなっていたということです。その時はたまたま近くに図書館を利用する人がいましたので、手助けをして頂き立ち上がらせて頂きましたが、それから暫くして、その図書館から外へ出て、信号待ちをしていたのですが、歩行許可がでたので、横断しようとして道を進もうとした時です。足をもつれさせて転倒してしまいました。道路の途中ですから、どこにも掴まるものはありません。しかし一気に立ち上がろうとしても体を起こして立ち上がることができ真線でした。つまり筋力が低下しているので、体を支えて起きる力が発揮できないのです。この時もたまたま道を渡ってきた女性に、手を貸して貰ってやっと立ち上がったのでした。


 年をとったら、少しづつでもいいから歩けということを聞きますが、しかしそれでも筋力低下は防げないようです。


 同じような高齢になる知り合いの女優さんがいるのですが、家の植え込みの手入れをしている最中に、長いことしゃがんでいたために、さて立ち上がろうとした途端に、まったく立ち上がれなくなってしまって、なにかに掴まろうとしても、たまたま何も掴まるところがなくて、暫く七転八倒してしまったと言うことを聞きました。


 年齢を重ねるにしたがって、誰でも避けることができない体力の低下と言うことですが、その典型的な現象が筋力の低下という問題です。


家の中だからと言って気を許さずに、充分に用心して移動して下さい。足下に不安のある方は、恥ずかしがらないで、杖を使いましょう。中には一本ではなく、二本の杖を使って転倒を防いでいる人もあるようです。お互いに転倒はしないように、ゆっくり歩くようにしましょう。


 筋力の低下は四十代から始まるといいます。若い人も要注意ですよ


藤川桂介


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「落ち穂ひろい 26」孤独を思って [趣味・カルチャー]

 

昔は必ずあった公演の遊具で、今はほとんどいなくなってしまったものというと、どんな遊具があるでしょうか。しかしそれを言うよりも、最近の遊具を考えた方がいいようですね。


みんなで遊ぶジャングルジム。滑り台。一人で楽しめるブランコ。平行棒。これは定番ですが、二人で楽しむシーソーは、ほとんどなくなってしまいました。どうしてでしょうか。簡単に言えば、一人では遊べないと言うことです。たまに一人で遊びに行っても、お友達がいなくてシーソーができないことがあります。その時の孤独感は、今でも思いだします。


 遊ぼうとする友達が来ていなかったり、折角来た友達とも、一寸したことで意見が合わなくなってしまって、折角シーソーで楽しく上になったり下になったりしながら楽しく遊ぼうと思ったのに、友達が怒って帰ってしまったりした時などの寂しさは特別です。相手がいないと楽しいシーソーゲームとはならない遊具は、今ではまったく発見できません。それと同じように、縄跳びで遊ぶ時に、一人でやるのはかまいませんが、何人もの仲間が集まって、縄を左右で回す人と、飛ぶ仲間がいないと楽しむことができません。そんなことを考えると、この縄跳びさえも、あまり集団で遊んでいる光景は見なくなりました。みんなで一緒に楽しみたいのに、付き合ってくれる人がいないときには寂しさを味わってしまいます。


 昔はそんなことがよくあった野ですが、現代では一人ぼっちになった時に味わう寂しさがどんなモカということをほとんど味わう機会がないようになっています。


 それはそれでいいことだなと思うのですが、私はある時突然、遊びたいのに、相手がいなくなってしまった時の寂しさを味わうことがまったくないように鳴っている公園の遊具が、本当に子供たちにとっていいことなのだろうかと考えたことがあったのです。


 一緒に遊べる友達がいてくれると言うことは有難いと思ったり、その逆に遊ぼうと思っていた友達が来られなくなってしまったり、時には喧嘩してしまって、一緒に遊べなくなってしまったときの寂しさというものを味わう機会がなくなってしまっている現代の公園は、本当に子供の自然の遊びの中で学んでいく、自然な教育と言うものが、存在しないように思えてきたのです。


 港遊ぶと言うことの楽しさは充分に判るのですが、時には友達と遊べないと言うことの寂しさを味わう機会もあっていいのではないかと思うのです。


 散歩をしていると、結構いろいろなことを考えさせられる事に出会うものですね。


 


藤川桂介


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「落穂ひろい 33」看板ということ [趣味・カルチャー]

 

江戸時代になると、江戸へ出てくる承認などは、自分の出身地を明らかにして、お客さんに知ってもらうために、店には木に店の名を彫られたものが下げられていたり、大きな文字で書かれた看板がぶら下げられていたりしていました。時には大きな額にして店の正面の屋根の下に掲げられている看板も有りました。


「三河屋」「駿河屋」「紀伊國屋」「越後屋」「信濃屋」「伊勢屋」「備前屋」「駿河屋」「浪速屋」「土佐屋」「讃岐屋」「讃岐屋」「上総屋」


等々店主の出身地を店名にしたものが店の入り口にはぶら下がっていたものです。


 しかしそうした者は、現代ではほとんど消えてしまって、店名もすっかり横文字の店が多くなってしまいました。それだけにこの店は何を商っているのかと言うことがほとんどでした。店名で表示してあるように、店主の出身地と商っているものは密着していて、その土地の名産品とか、生産品が、はっきりとしていて、通りがかりであっても、販売している者が、ほとんど検討が尽きました。


 昔の看板はほとんど店主と販売品がはっきりとしていて、通りかりの見知らぬ人にもよく判りました。


 そんなわけで、「看板」というものは、仕事をする者とって大変大事なものです。中でも販売するものを店の前に展示することができない、作家のようなものは、筆名を世間の人に知ってもらえるということが、極めて大事なことで、そういうことがまったく浸透していないと、たとえ小説を発売しても、世間の人にその作者が誰なのかと言うことが知れていないと、興味を持って買ってはもらえません。


 兎に角せっせと興味を引く作品を書いて、作家の名を知って頂かなくては、とても生活ができる状態には鳴りません。


 出版界で言われている名言ですが、「作家はまず看板作りをする仕事で、その看板が多くの人に知られる金看板なのか、銀看板、銅看板なのかによって、売れ行きもはっきりと違ってくるのです」ということが言われているのです。


 そういうことで言えば拙作「宇宙皇子(ウツノミコ)」は発売と同時に大変な数の読者を獲得することが出来ましたので、出版社の重役から「藤川さんはスタートから金看板を作ってしまいました」と評価して下さいました。大変幸運な出発をすることが出来たわけで、その後の仕事の展開に大変効果がありましたが、「看板」が世間の人に知れ渡るために、現代ではコマーシャルを使っていますが、おおきな資本を持っている会社は別として、個人が商いをするような仕事をする人にとっては、古典的ではありますが、少しでも一般の人に知ってもらって、その人の発売する商品がどんなに魅力的であるかと言うことを知って頂くために、昔のように「大きな看板」となるような努力をしなくてはなりません。


 起業する人は、兎に角「看板作り」と言うことを、どう努力して行くのかが、大変ですね。


      藤川桂介


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「落穂ひろい 32」群がると言うこと [趣味・カルチャー]

 

時代は何年かすると繰り返していくということを、つくづく感じる昨今です。


私の体験上の記憶になりますが、時代の変わり目であった八十年代、九十年代にはなにか変わったこと、流行り物というものがあると、やたらの人が群れるということがありました。漫画原作であったり、ファッショングッズであったり、歌謡のヒット曲が出たり、小説のヒット作品が生まれたりすると、それに人の関心が集まって、それを発売する会社がそれをあおったりして、俄に大衆の感心を集めてしまい、集まりだした群衆はみるみる内に大きな群れとなって、世間の注目の的となっていきます。こういう群がり現象が生まれるとちょと困ったことが生まれます。


 その大きな群れには参加せずに、おとなしく流行とは違った独自のことに興味を持ったり、考え方をする者がいると。彼を排除したり差別したりしてのけ者にしてしまうことがかなりありました。


群がっている者にとっては、自分たちと一緒に騒げない者は相手にしないということにしてしまいます。私はそういう者たちを群がり族と言って、群れの勢いに乗って言いたいこと、やりたいことを先導するので大変困ったことだといって、そういった群れには同調しないで、のけ者扱いにされている人を掩護した時代がありました。


 ところがあれから数十年もすると、多少かたちは変わっても、また同じようなことがはやりだしてしまうと言うことが起こります。


時代は繰り返すということが言われますが、まさにその通りだと言いたくなるようなことが、現代にも起こってきています。


 つまり群がり現象という言うものです。


 どちらかというと、リーダーマンという人々に群がってなにかをやり遂げようとか、みんな一緒にやり抜けよう。楽しもうということを強調している人がいますが。昔のように、そういった群がり現象には加担しないで独自の活動をする人を、排除するようなことをしていないでしょうかと言うことをお聞きしたかったのです。


 そうした群がり現象が、三十年後の今日にも、ほとんど同じような現象が生まれてきているからなのです。


 しかし時代が進化してきているためでしょうか、かつて大変困ったことだと思い続けていたことが、現代では大変姿を変えてきていたということを知りました。


 昔であったら、群がる者トと同調しないといって、排除されてしまそうな人々が、イアは「博士ちゃん」という特別な言い方で評価してくるようになっていると言うことです。


 現代ではいっしょに群がらない人ではあっても、それは独自の研究するためであって、決して悪いことではないという持ち上げ方をするようになったことです。


 決してあいつはただ単に変わり者ではないのだという受け止め方をするようになってきたからです。


つまりその群がり賊の仲間に入らないといっても、決して無視したり排除したりするようなことはせずに、それ以上には干渉しないと言うことです。


 兎に角群がって大騒ぎとなる現象で満足すると言うことでは、まったく変わりませんが、兎に角彼らとまったく違う生き方をする人を、決して排除するのではない存在であることを認めるようになってきていることです。


 さて貴方はその群がり族の一人で、大騒ぎがすきな人でしょうか。それとも静かに独自な対象物を見つけて、それについての研究を楽しむタイプでしょうか。いずれにしても、それぞれの個性を尊重する傾向にあるということについては、いいことだなと思っていただけるでしょうか。


 是非、群がって生きることが楽しい方には、なにか学ぶということがありますかということを、お訪ねしておきたいと思っていました。


 かつての経験から申し上げますと、楽しく群がっているうちに、じがいの大きな転換期に出会ってしまって、すっかり用心することを忘れていた人は、その新たな転換について行けなくなってしまったことがあったのです。


 それぞれどう楽しみ方をしていても、目に見えない時代の変化に置いてきぼりにされないようにしていましょう。


藤川桂介


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「落ち穂ひろい 25」昔々の事です [趣味・カルチャー]

 

 最近昔のことを思い出すことがよくあります。


 バブル全盛であった頃の事ですが、テレビ番組でかなり評判になっていたこともあって、若い人は男の子、女の子も含めて、私に会って、テレビ番組の話がしたいと思う人がかなりいました。私もまだ若かった事もあって、なるべく時間がとれる時には、出るだけ多くのファンに会っておこうという気持ちがあって、原稿の空いた時間に面会することにしていました。


 そんなある日のことです。


 中学生の男の子が、是非会いたいというので、進学の事などを含めて、自分の進もうとしていることと、親の希望していることが違ってしまって、なかなかうまくいかないというケースがあった時代でしたか、きっとそんな相談をしたいというのだろうと考えて、気安く出ていらっしゃいと声をかけてやりました。


 それから間もなくのことでした。中学生と思われる少年は、自転車に乗ってやって来ました。どうやら拙宅とは捜遠くないところに住んでいる少年だなと思って、直ぐに応接間へ通して話しを聞くことにいたしました。


 すると少年は意外にも、相談事というよりも、わたしの生活についての質問を次々として来るのです。仕事をする時間のこと、三十分の番組の原稿は何枚ぐらい書くのかとか、番組は一本書くといくらぐらいになるのですかとかと、極めて現実的なことを聞いてくるのです。やがて彼は、いつもTプロダクションの仕事はYプロデウサーから来るのですかと、かなり立ち入ったことを、次々としてくるのです。まるで身辺関係のことを探るような質問をして来るのです。


 流石に私はここで、ちょっと少年の相談事という要件に、おかしなものを感じ始めました


「君はなにか相談があってきたのではないの?」と聞きました。


すると少年は、うろたえることもなくこう答えたのです。


 「母が先生のところへ行って、話してきなさいといわれて来たのです」


 まったくうろたえることもなく、訪問について話し始めたのです。


 「君はさっきから私の仕事に関して聞いてきたけれども、そういう仕事がしたいのか?」


 「ハイ。はははTプロダクションで働いているのですが、就職がしないならTプロダクションとも関係が深い藤川さんとコネを作っておかなくちゃ駄目よ」


 といわれてやって来たというのです。


 たちまち少年と夢物語でもしようかと思っていた私は、すっかり楽しい話しでもして帰って貰おうという心づもりがなくなってしまって、極めて現実的な状態になってしまったのでした。


 私はたちまち少年と話しをしていることに失望してしまって、「そんなことのためにきたのか」と失望をはっきりと表明したのですが、少年はまったく悪びれた様子にもならずに、「世の中兎に角コネ次第ですから」と言い切るのです。


 「そんなことをお母さんから言われてきたのか?」


 あまりにも少年らしくない返答に呆れて、「そういうお話にはお付き合いすることはできませんから、残念ですがお帰り下さい」と言いました。時代が時代でしたが、あまりにも世慣れた生き方を、早くも少年に教育してしまう母がいるということを知って、愕然としてしまいました。


 たしかに昔はそんな風習がありました。実力もないのに強力なコネのお陰で、思いもしない会社へ入ってしまうようなことがあった時代でした。


 時代はそんなことで会社の一員にはなれない時代です。現代はあくまでも実力の時代です。その能力を活かすことで会社も発展して行くのです。とてもコネだけで自由になるという事はありません。


 世界の時代の深化から、遅れをとってしまったことの一員には、コネを使った人間関係に頼ってきたことによることが、大きなマイナス点となってしまった時代があったのだと回顧して、思わず思い出した話でした。あれは間違いなく実力よりもコネで何とかなるという、親子共々昔々のお話でした。


 


         藤川桂介


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「落ち穂ひろい 24」微妙な説得屋でした [趣味・カルチャー]

 時代が大きく変わって行こうとしている時には、若者も様々に動き始めます。そんな時を私も直面してきました。

 1800年、1900年頃の事です。


 気持ちを文字で書いて伝えようとするよりも、見て判るように絵で表現したり、動いて表現するようにしようという、これまでの生活様式を大きく変化させて行こうという時代の波がうねり出していた頃のことです。


 それと同時に若い人には、漫画がカルチャーとして広がっていきましたので、これまでの活字による表現よりも、漫画で気持ちを表現するということが、大学生にも大きなうねりとなって広がっていきました。


 サブカルチャーと言われる漫画、アニメ―ションも、社会的には昔と違ってかなりうけいれられてきた分野でしたが、家庭の中では世間で騒がれるほど認知されているとはいえない時代でした。


 ちょうどこの頃、就職の時期に差し掛かっていた親御さんについては、折角大学の卒業期になったところで、かなり言い会社への就職を決めながら、漫画家を目指したいと言い出して、親御さんと揉めている家庭がかなりあったのですが、そんな中で私が関わっていたアニメ―ションでは「宇宙戦艦ヤマト」「マジンガーZ」「銀河鉄道999」「ゴッドマーズ」はもちろんですが、活字の方では「宇宙皇子(うつのみこ)」でも大きな支持を得た作品を持っていたために、多少世間でも知られる存在になっていたこともありましたので、同世代の親の方々から、大変な依頼が持ち込まれるようになってしまったのです。


時代の変化に伴って、同世代の親御さんたちの悩みとなってしまったのは、子供が卒業を間近にしながら、就職を考えずに漫画が書きたいといい出したといって、もめる家庭が多くなっていたのです。特に女子大学生で、漫画家志望のために、就職を拒否するようになってしまったというので、親子の生活に対する思いがまるで変わってしまって、説得が出来なくなった同期の友人たちから、何とか娘を説得してもらえないかという相談が、寄せられるようになってしまったのです。


親から藤川桂介のところへ行って、芸界の現状について詳しく話を訊いて、そっちへ向かってもいいかどうかを訊いてきなさいといって送り出されてきたお嬢さんと話をすることになったの+ですが、


 私はやってくる娘さんに対して、業界がそうたやすい世界ではないということを丁寧にお話して、方向転換をしてくれるように説得するという大役を果さなくてはならなくなってしまったのです。


 どちらかというと、そういった若い人の味方になって、掩護射撃をおしてやりたい気持ちさえあったのですが、親の立場に立つたら、それを無視するわけにはいかなくなります。つまり意に反してしまって、業界の厳しい面での現状をすることになりましたが、その負担と戦うか、嘱望されている会社の意向とを考え合わせて、フリーに転身することがいいことなのかどうかは、親として賛成できないと、大変難しい説得屋を演じなくてはならなくなってしまったのでした。


 かなり高校大学でも優秀で、予定されていた会社からは、期待さていた女性たちでしたので、その後挨拶にお出でになられた女性たちは、私の説得に従って・・・つまり友人たちの希望する職種に就いて、かなり会社にも喜ばれたと言う報告を貰いました。しかし私はやはり女子大学生二人、高校生一人の説得をして、親御さんから感謝をされた事がありましたが、実に複雑な心境になった経験がありました。時代の変わり目ということでは、現代でも充分考えられる問題でしょうが、令和ともなると親御さんも昔とは大分違ってきていて、お子さんの選択に、大変理解を持ってくれているようですね。


 たしかにたった一度の人生です。


 自分で自分の人生の方向を選択することが、後悔しないですむかも知れませんが、ふと、社会人になるのをきっかけにして、親子共々悩んだ時代があったなと言うことを思い出してしまった話しでした。


しかし生涯の判定は終わって見なくては判りませんね。


 大変難しい人生問題に直面してしまったことがあったなと、いろいろなことを思いだしています。


 あの頃説得に応じて予定通り就職に向かって行った女性たちは、もうみなお母さんとなっていらっしゃるでしょうね。


 時々は再会してみたいと思ったりもいたします。


         藤川桂介


 


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「落ち穂ひろい 23」言い訳ばかりです [趣味・カルチャー]

    3「落ち穂ひろい 23」言い訳ばかりです

 


 テレビでのヒット作品を生むことが多くなった頃から、脚本家藤川桂介の身辺が、俄にこれまでと違ったことが起こり始めました。


1800年代から1900年代頃の時代の転換期の事でした。


 面会を希望する中学・高校生が多くなってきたのですが、今回のお話はそんな訪問者についてのあるお話です。


 テレビ・小説に興味を持った某有名女子校に通学注の女子高校生でした。大変明るい性格でしたし、家庭環境もよさそうでしたが、私に面会を求めてきた要件を聞いてびっくりしました。脚本家になりたいということだったのです。大体は簡単に思い立っても、そう簡単に脚本家として成り立つ仕事ではありませんから、いろいろアニメ―ションに対するきょうみのある話を窺ったところで、とにかく脚本家希望であるなら、何か書いた物があったら持ってきなさいと言って、その日は帰って貰いました。


すると彼女は数日後には、早速自作の脚本を持ってやって来たのです。彼女の熱心さの表れだと思って、その思い込みに答えるために、早速持参した原稿を読みました。


誰でもそうですが、初心者でしたら表現が不備なところがあるのは当然です。しかしちょっと厳しいとは思ったのですが、作家希望であるということを考えて、ここはどういう意味なのかと、表現が曖昧なところがいくつも見つかりました。一応説明を聞いた上で、そのままでは書こうと思った意図が通じませんよと指摘した上で、あまり説明不足の表現の箇所が多いので、いちいちそれを問い正していったのですが、彼女は「そう書こうと思っていたんです」という釈明をするのです。「そう書こうと思っていたと言うのであれば、ちゃんと書き直してこなくてはだめではありませんかと、いささか厳しくなって原稿を返すと、次回来る時はおかしなところは、きちんと直して持ってきなさいと言って帰って貰いました。


 一寸厳しく言いましたので、自信がなくなれば、もう来なくなるだろうと考えていたのですが、びっくりしたのは、彼女は数日後にはまたやって来たのです。いやに熱心なので、びっくりしたのと、彼女は本気でやってきたのだろうと、その熱心さには感心して、持参した原稿を読むことにいたしました。


「先日注意したことは、全部修正してきましたね」と多少柔らかく注意しながら、推敲してきたはずの原稿を読み出したのですが、またまた表現が的確でないところが目立ちます。「こういうところがちゃんと表現してなくては、この前と同じではないか」と言うと、返事も前と同じで、「そう直そうと思っていたんですけど・・・」の連発担ったのです。


 流石に我慢強い私も、もうはっきりと言ってやらなくてはならないと思って、同じような原稿を持ってくるのであれば、もうお会いできませんと言って帰って頂きました。兎に角いちいちこちらの注意に対して、「そう直そうと思っていたんだけど・・・」とまったく反省の気持ちがないのに呆れてしまいました。


作家になりたいという気持ちだけが先行してしまってして、肝腎なものを書くのだという心がけとして、何が大事なのかということが、まったく基本的にできていないという、ただ憧れただけの弟子志願の若者がかなりいたお話でした。


                                                    藤川桂介     

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「落ち穂ひろい 22」汗顔の至りです [趣味・カルチャー]

 

若い頃から、あまりみっともない失敗はしないできた私ですが、今になっても思いだす大失敗をしたことがあります。


「エースを狙え!」という、テニスを扱った人気漫画をアンメーション番組にするというので、私を中心にして男女一人づつ仲間の脚本家に参加することになり、作業をし始めたのですが、兎に角漫画としても大変人気がある作品であったこともあって、テレビとしても大変な人気番組になりました。


 普通はそれぞれ文芸部から発注があってから脚本を書く野ですから、それぞれバラバラに話しを書いて行くのですが、暫く番組が好評に進んで行く要になったところで、脚本家はもちろん番組を制作するスタッフ・・・特に脚本家と縁の深い文芸部をしきるスタッフと、いつもバラバラで仕事をしている脚本家が、番組の評価もいいということがわかったこともあって、たまには一緒に飲食を共にして気晴らしの開出もしましょうという誘いがあって、文芸部の代表スタッフと私の他に男女二名の脚本家で、新宿の某所で大変気持ちのいい宴会をしたことがありました。それぞれお酒も飲んで、大変いい気分になっていましたが、そのうちに女性脚本家が私に飲み比べをしましょうと誘ってきたのです。私も大分いい気分になっていたのでしょう。日本酒を冷やでコップに注いで、飲み比べをしようということになってしまったのでした。


当時は若かったこともあるのですが、普通はコップで三杯ぐらいでゆっくりと飲めたのですが、その日は、番組が好評という事もあって、みなかなり盛り上がっていたこともありましたので、私も限度の三杯を超えて更に二杯も飲んでしまった私は、それから間もなく次へ行こうというスタッフの誘いに乗って、お店を出た途端に目が回ってしまって、立ってもいられなくなってしまって、道路に倒れてしまったのでした。


「藤川さん、お芝居しないでよ。立ちなさい」


女性脚本家に発破をかけられてしまいました。もう言い訳をすることさえも出来ません。目が回ってしまって、兎に角立ち上がることも出来ません。ついにスタッフに付き添われて帰宅することになってしまったのでした。勝手口から我が家へ飛び込んだのですが、そのままばったりと倒れてしまったのでした。


びっくりしたのは、娘たちでした。


普段はまったくこのような醜態を見せることはない父親の姿を見て、びっくりしてしまったようでした。


 言うまでもなくよく翌日は、無茶に飲み比べなどしてしまったことを反省するばかりでした。それにしても、あとで聞いたところ、彼女は大変な酒豪であったようで、下手に勝負を挑んだ私の大失敗でした。調子に乗りすぎた珍しい大失敗でした。以後、こうした酒の上での失敗は、全くなくなりましたが、最近はビールをコップ一杯で可愛い良い方をしているところです。


 


         藤川桂介


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「落穂ひろい 21」夢は見るものではない [趣味・カルチャー]

 

かつて私は若い人へと言うコメントで、「夢は見るものではない」といってきました。答えをはじめに言っておくと、「夢は追うものですと言うことなのです。


そこで再び「夢」ということに話しを戻しましょう。


 若い時には、まだ生きていく間には、さまざまな障害があって、思い描くことはほとんど思うように・・・つまり夢で見たようなことがうまくすすんでは行かないようなことが起こります。そのために若者は、ジタバタとし始めてしまいます。


 「私は運が悪いんだ」といって、落ち込んでしまったり、運が悪いんだと思いがちで、落ち込んでしまったり、やけを起こしてしまったりするものです。


 そこでこんなことを書くことにしたのです。


 年齢を積み重ねてくると、同じように夢は見ることがあっても、それを現実のものとするためには、よほど努力を積み重ねなくては、夢に近づくことが出来ないということを知るようになります。


 その結果、あれもこれも夢ばかりというような、考えなくなります。


 あれこれと考えた結果、「よし、これに挑んでみよう」ということになって、ようやく夢の実現に挑み始めるのです。もちろんその実現に到るまでには、さまざまな困難と出会うでしょう。そして必死でそれを乗り越えるために頑張るでしょう。


 実は夢を見る効用と言うのは、「夢を見ると言うことではなく」「夢を実現するために、さまざまな苦難と遭遇するということに意味があるのです。


 そういうことを考えると、本当に「夢を追ってみないと、その味わいを知ることもないでしょうし、夢見たことの喜びに浸ることも出来ないでしょう。


 若者は施肥沢山夢を見て、それだけで終えずにその夢を現実の物にするために、必死で起きかけて貰いたいのです。その時本当に夢を見る意味を知ることになるように思えます。


 何事も、願ったものが直ぐに手には入らないということを知っているだけでも、かなり前進して行けるような気がいたします。


 


 


         藤川桂介


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「落穂ひろい 20」 嬉しい連休の事情 [趣味・カルチャー]

 九月は連休が何度かあり、思わずかつて連休が嬉しい贈り物であったことがあったのを思いだしてしまいました。

 丁度脚本家として活動できる機会がかなり多くなり、家庭ももって子供も二人持った時代は、寝る時間もいらないほど執筆の依頼が多くて、とにかくその原稿の締め切りに追われていた頃のことです。執筆依頼も一本、二本と言わず申し込みがあって、必死であった頃のことです。兎に角原稿の執筆でほとんど家庭生活には、ほとんど関与することが出来ない状態だったのですが、脚本家としては息抜きが出来る日は土曜日、日曜日ぐらいで、後はほとんどや進むという時間はとれませんでした。プロダクションの担当が催促の電話をしてきたり、やってくるということもない土曜日、日曜日だけは、私の自由なのですが、原稿を間に合わせなくてはならない事情がありますから、まったくサボる機会にも鳴りませんし、子供と遊んでやる時間もありません。


そんな中で働き方改革という問題が議論される時代の走りで、ついに土日はほとんどのプロダクションから原稿の催促にやって来る端とはいなくなり、やっと原稿の執筆をサボって子供の生きたいところへ行ってやったりする機会も出来たのですが、そういった家庭サービスをした分は、原稿執筆が遅れるきっかけとなってしまいます。脚本家たちにとっての唯一自由になる土日ですが、大変苦労していたのですが、そんな中で連休がある時は、ほとんどプロダクションのスタッフはやって来ないということが判った時には、兎に角土日と連休の時間をうまく使って、なんとか原稿の執筆と、普段まったく面倒を見てやれない日常生活に、やっと首を突っ込んでやれる機会となったのでした。


遠い昔のことですが、兎に角連休が来たときには遅れる原稿を間に合わせたり、家庭に多少でも面倒を見てやったりすることが出来る唯一の休息の時ででもありました。


 思わず連休がつづく九月といういうことで、嬉しかったり、ほっとしたりした連休の効用について書く気持ちになり巻いた。


 


          藤川桂介


 


 


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「落ち穂ひろい 19」 弱くなったなあ [趣味・カルチャー]

 

何でもやろうと思うことはやるべきで、我慢などしなくてもいいという時代です。しかし・・・。最近の事件に思うことがあります。


 人の命が軽くなってしまったなと思う事件が、テレビ・新聞・雑誌でしばしば報道されます。特に十代、二十代、三十代の失恋した男性が、ほとんど相手の女性が男性の意のままにならないと言うことで、感情の高ぶるままに殺人に走ることが大変多いように思います。


私も若い頃から、何度失恋を経験して悔しい思いをしたことが何度もあります。その度にしばらくは残念な思いに悩みましたが、結局は縁がなかったのだからと思って諦めました。そんなことは友人たちにもかなりあったようですが、これまで事件に発展したような事はありません。しかし昨今はいささか男性が弱くなってしまったのでしょうか。努力をしてももつれたまま問題が解決しないといって、感情の赴くままに相手を傷つけてしまう若い男性が多いようです。そんな事態に追い込まれてしまったら、もっと自分の思いをくみ取ってくれる女性との巡り会いを期待して、頑張ろうという気持ちにはならないのでしょうか。


そんな時にめそめそしているのでは、相手から見ると、かえって魅力のない男性に見えてきます。自分の良さが判ってもらえないのであれば、思い切って捨て去ってみてはどうでしょう。もっと気持ちのいい女性と巡り会う機会もあるはずです。そのくらいの我慢と、切磋琢磨する自分がなくては、やはり相手にとっては、とても魅力的であるとは思ってくれません。男性は男性らしく毅然として生きましょう。思い通りにならないからということで凶器を振るうというのは、あまりにも子供っぽいし女々しく思えてきます。失恋による殺人事件の報道を見る度に、どうして最近の男性は我慢が出来ないだろうかとイライラとしてしまいます。現代は、女性たちが大変自立心が高まっている時です。男性はそのことをじっくりと考えてみる必要があるようです。昔は日常生活のなかで、我慢しなければならない事が沢山あったので、辛いことがあっても、いつかそんなつらさから抜け出してやろうという、苦難と闘う気力も生まれてきたものです。甘えて育てられた事による結果なのだろうか。男性はただ優しいだけでなく、時には毅然として自分を律することが出来る人が、多くなってくれることを祈りたいと思っている昨今です。


 


           藤川桂介


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「落穂ひろい 18」 二律背反の結果 [趣味・カルチャー]

 

今年わたしは卒寿を過ぎました。


まだ先の話だと思っているうちに、年齢を積み重ねてきました。


若いころは年齢的に二十年も先のことを考えても、まだまだ先のことだからということで、とてもそんな先のことについては、まったく想像の世界でしかありませんでした。


しかし・・・まだまだ先のことだからといって考えもしないでいた年齢に達してみると、たしかに若いころま二十年も先だからとか、だ三十年も先のことだからとか言って無視してきたはずなのに、知らないうちにその年齢に達してしまったことに気が付いて。愕然としていまいます。


 あっという間に九十歳を越えてしまったのです。まだまだ到達するには、かなりの年月を費やすと言って、ほとんど気にしないでいたのですが、実際には心理的に思いがけことにぶつかることが多くなりました。


 沢山の親しくおつきあいをしてきた人、共に仕事をしてきた人そして小学校・中学校・高等学校・そして大学で出会った友人たちの多くの方々が、早々と他界してしまって、気楽に雑談をすることもできなくなってしまったということがあります。しかし私は幸いにも健康であるために、多少の老化現象は否めませんが、元気で動き回ることもできますし、このような雑文をしたためたりもできます。大変有難いことだと感謝したいと思うのですが、しかしそれだからと言って、特別元気でいることが、一概に「有難いことだ」とは思えなくなってきているのです。時には真反対に、このまま生きつづけて行くことが、「虚しい」と否定する声が心の奥から聞こえてきてしまうのです。つまり「有難うございます」とお礼を申し上げながら、一方では「いえ」と長寿が虚しくなってしまうという、二律背反の問答を繰り返すようになっていたのです。 そこで、その虚しいという気持ちと戦えないかと考えた末に、夢中で最後の一作を書いてみようかと決心したというわけです。出版するとか、しないとかは別問題です。二律背反の「虚しくなる」気持ちと戦おうという気持ちで、必死で原稿を執筆しているのです。その一日、一日は決して虚しくはありません。そんな積み重ねをしながら天命が尽きるまで生きてみようと思うようになりました。


 そこで作家ではない方々にお勧めです。別にお金をかける必要もありません。何か夢中で追いかけてみるものを探してみませんか。きっと二律背反の、長寿でいることに付きまとう、「虚しい」という思いをしないでいられるような気がいたします。


 


         藤川桂介


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「落穂ひろい 17」季節の変化を知る [趣味・カルチャー]

 

若いときは動く時代の変化については敏感で、何か流行っているのかとか、どんな食べ物が流行っているのかとか、特にファッションに関しては敏感なものです。しかし季節の微妙な変化・・・つまり植物などの変化などという物に気が付くこともないし、興味も関心も薄いものですが、高齢化すると、時代の波については関心が薄れて、それまでほとんど無関心であった季節の変化に敏感になったりしてきます。


私などもそうですが、朝などの目醒めが早くなってくるのに従って、夜明けの時間が刻々と変わっていくのが、敏感に変わっていくのを感じます。


特に激しく感じるのは、食べ物でしょうか。その代表的なものといえば、おでんや鍋物などしょうか。真夏におでんはありませんからね。


季節の変化といえば、ああ、日の出がこんなに遅くなってきたのかとか、こんなに早くなったのかということで、季節の変化を感じます。兎に角微妙に変化するものに対しての反応です。


 高齢化すると、激しいもの、派手なもの、激しいものにはあまり興味を持ちませんが、普段見落としがちなものに気がついたりするものです。そのために口うるさくなって、若い者から嫌がられたりするものです。


 お互いに年齢差というものがあるのだなということを知っておくべきですね。


それを理解さえしていれば、悶着を起こすようなことはなくなります。


 


         藤川桂介


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「落穂ひろい 16」 昨今の外出事情 [趣味・カルチャー]

 

昨今は家族がそれぞれ独立したために、いわゆる実家といわれるところには、高齢化した親だけが住んでいるというご家庭が多くなりました。隣近所が同じ家族同士でお付き合いしていた時代がなくなって、昨今では家族構成が激しく変化してきました。高齢化した方が亡くなってしまって、一人暮らしという老人が増えてきたために、ある日突然近所付き合いの方がいなくなってしまうことが多くなり、身近な環境が大きく変わりつつあります。残された人が一人きりになった高齢の方が、若者のところへ引き取られてったり、施設へ入ってしまったりすることも多くみられます。


拙宅の場合は両隣の方が、それぞれの事情で一人暮らしを解消して、長年住み慣れた土地を離れて、若い家族に引き取られたり、老人施設へ移って行きました。


 これまではちょっと数日間家を空けることがあっても,左右どちらの家の方に、留守にしますのでよろしくお願いたしますと頼んでおけば、ほとんど多くの場合心配なく外出できていたのですが、昨今はそういった関係がすっかり崩壊してしまいました。現在では住宅地の事情がすっかり変わってしまって、古くからその土地に住み続けるという家庭が少なくなり、新たな住民が移り住むようになってきました。そのためもあるのでしょう。昔の隣組という付き合いは崩壊してしまいつつあります。


 長期に外出する時なども、ネットを使って外出を、知人・友人たちに知られてしまうと、却って良くないことを考える者の標的になってしまうので、下手に家を空けることは明らかにできません。老人施設へ入ってしまったり、他県にお住いの親族のところへ引っ越してしまったりで、おつきあいのあったおとなお隣りにお願いすることもできなくなってしまいました。


 兎に角数日家を空けるということは、大変気楽にというわけには、いかなくなってしまった昨日今日の外出事情です。


 時代なのですかね。


        藤川桂介


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「落ち穂ひろい 15」猛暑のなかで [趣味・カルチャー]

 

物書きの作業をしている時は、書斎に籠っていますから、兎に角猛暑に襲われている時は、まったく周囲への遠慮なく、半パンに裸という姿で作業をしているのですが、突然来客のあったときには、大慌てになってしまいます。


兎に角浴衣を取り出して格好をつけることになります。


しかし最近の夏の暑さは、ちょっと我慢するのに参ります。


あまり家に籠っているのも良くないということで、時には手紙を出しに、ポストまで歩くんですが、最近はその一がかなり減ってしまったこともあって、ポスとまで猛暑の中を歩くのはかなり負担ですが、もう一つは図書館へたのだった本を鳥に行ったり、返しに行ったりという事も、その往復には高齢になった私たちには負担になります。しかしこれもわずかな運動であると思って、時々書斎から抜け出すことにしています。


昔はこんな時には必ず自動車を運転して、仕事場にしていた軽井沢の山荘へ逃げて仕事をした者ですが、昨今は運転免許証を返却してしまったために、娘の会社での勤務状態次第で、送って貰うことが思うようになりません。


やはり猛暑の中で、書斎に籠って頑張るしかないようです。


 


     藤川桂介


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「落ち穂ひろい 14」 運転免許返納のこと [趣味・カルチャー]

 

 連休が来ました。


 お出かけになられる方も多いと思いますが、きっとあちこちで事故のニュースが出るでしょうね。その度に思いだす事があるのです。


 新聞・テレビの報道で、高齢者の自動車事故がかなり頻繁に報道されると、運転免許証を早く返納してしまった私は、大変複雑な気持ちになるのです。


 人それぞれに住んでいるところでの自動車事故についての問題については、一律には言いにくい問題があるのですが、想い出すのは、運転免許証の返納を決断した時のことを、改めて想い出します。


 現役であった頃は、自動車は不可欠でしたから、盛んに使いましたし、気休めにも充分に使うという自動車好きであったのですが、運転免許証の返納のために出向いた世田谷警察署では、担当の女性警官から、「よく決心なさいましたね」と言われるほど、まだ返納はもったいないと言われる状態でしたし、私自身もうちょっとは運転を楽しみたいとも思っていたのですが、仕事にけじめをつけたこともあって決心したのです。八十歳前後の事でしたが、その時はきっぱりと決断したつもりだったのですが、その後日常生活の中で、如何に自動車が使われてきたかということを知る機会が、様々な機会に起こりました。来客があった時、前は近くの駅まで送りますよと言ってハンドルを握った利、日常生活の中でも一寸買い物に行こうか、一寸遊びにいこうかと、「ちょっと」という時に利用してきていたのですが、免許証の返納をしてから暫くすると、つい自動車があったら、「ちょっと」済ませることが出来たのにと、ぼやいてしまうようになったのですが、それから暫くした頃から、テレビ、新聞などで高齢者による交通事故のニュースが、さかんに報道されるようになりました。


 その度に、やっぱり早めに決心して返納したことは、正解であったと思えるようになリましたし、事故を起こした高齢者の姿を見るにつけて、どうして決心できなかったのだろうかと思ったりしているのです。事故後の家族の話が報道されることになると、なおさら決断のしどころを失った結果であったなと思うことしばしばです。


卒寿の年を過ぎて、やっと車社会から縁が切れた思いを書くことにいたしました。


 今はバスと電車で移動をしていますが、ゆっくり生活を満喫出来るようになりましたので、ある程度高齢に達した方は、是非思い切って運転免許証の返納を決断出来る人になってほしいと、説にお祈りする次第です。


 


                                       藤川桂介


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