「落ち穂ひろい 27」筋力低下 [趣味・カルチャー]
上皇后が仙洞御所で倒れたために大体骨骨折ということが公表されて、俄に話題になったことがありました。
その原因は筋力の低下という問題です。
これはすでに四十代から始まると言われていますが、実は拙宅では家内が数年前・・・と言っても八十才をこえていましたが、リビングで転倒して、大腿骨骨折問ということになってしまって、以来杖を使って動いております。兎に角年齢を重ねて行くに従って筋力は低下していくようです。実はこの私もまったく意識していなかったのですが、つい最近・・・つまり卒寿を越えた頃を境に、二度も転倒してしまいました。一度は近くの図書館へ行った時に、階段を降りるときに歩調を狂わせて転倒してしまいましたが、この時はっきりと判ったことは、一気に立ち上がることが出来なくなっていたということです。その時はたまたま近くに図書館を利用する人がいましたので、手助けをして頂き立ち上がらせて頂きましたが、それから暫くして、その図書館から外へ出て、信号待ちをしていたのですが、歩行許可がでたので、横断しようとして道を進もうとした時です。足をもつれさせて転倒してしまいました。道路の途中ですから、どこにも掴まるものはありません。しかし一気に立ち上がろうとしても体を起こして立ち上がることができ真線でした。つまり筋力が低下しているので、体を支えて起きる力が発揮できないのです。この時もたまたま道を渡ってきた女性に、手を貸して貰ってやっと立ち上がったのでした。
年をとったら、少しづつでもいいから歩けということを聞きますが、しかしそれでも筋力低下は防げないようです。
同じような高齢になる知り合いの女優さんがいるのですが、家の植え込みの手入れをしている最中に、長いことしゃがんでいたために、さて立ち上がろうとした途端に、まったく立ち上がれなくなってしまって、なにかに掴まろうとしても、たまたま何も掴まるところがなくて、暫く七転八倒してしまったと言うことを聞きました。
年齢を重ねるにしたがって、誰でも避けることができない体力の低下と言うことですが、その典型的な現象が筋力の低下という問題です。
家の中だからと言って気を許さずに、充分に用心して移動して下さい。足下に不安のある方は、恥ずかしがらないで、杖を使いましょう。中には一本ではなく、二本の杖を使って転倒を防いでいる人もあるようです。お互いに転倒はしないように、ゆっくり歩くようにしましょう。
筋力の低下は四十代から始まるといいます。若い人も要注意ですよ
藤川桂介
「落ち穂ひろい 26」孤独を思って [趣味・カルチャー]
昔は必ずあった公演の遊具で、今はほとんどいなくなってしまったものというと、どんな遊具があるでしょうか。しかしそれを言うよりも、最近の遊具を考えた方がいいようですね。
みんなで遊ぶジャングルジム。滑り台。一人で楽しめるブランコ。平行棒。これは定番ですが、二人で楽しむシーソーは、ほとんどなくなってしまいました。どうしてでしょうか。簡単に言えば、一人では遊べないと言うことです。たまに一人で遊びに行っても、お友達がいなくてシーソーができないことがあります。その時の孤独感は、今でも思いだします。
遊ぼうとする友達が来ていなかったり、折角来た友達とも、一寸したことで意見が合わなくなってしまって、折角シーソーで楽しく上になったり下になったりしながら楽しく遊ぼうと思ったのに、友達が怒って帰ってしまったりした時などの寂しさは特別です。相手がいないと楽しいシーソーゲームとはならない遊具は、今ではまったく発見できません。それと同じように、縄跳びで遊ぶ時に、一人でやるのはかまいませんが、何人もの仲間が集まって、縄を左右で回す人と、飛ぶ仲間がいないと楽しむことができません。そんなことを考えると、この縄跳びさえも、あまり集団で遊んでいる光景は見なくなりました。みんなで一緒に楽しみたいのに、付き合ってくれる人がいないときには寂しさを味わってしまいます。
昔はそんなことがよくあった野ですが、現代では一人ぼっちになった時に味わう寂しさがどんなモカということをほとんど味わう機会がないようになっています。
それはそれでいいことだなと思うのですが、私はある時突然、遊びたいのに、相手がいなくなってしまった時の寂しさを味わうことがまったくないように鳴っている公園の遊具が、本当に子供たちにとっていいことなのだろうかと考えたことがあったのです。
一緒に遊べる友達がいてくれると言うことは有難いと思ったり、その逆に遊ぼうと思っていた友達が来られなくなってしまったり、時には喧嘩してしまって、一緒に遊べなくなってしまったときの寂しさというものを味わう機会がなくなってしまっている現代の公園は、本当に子供の自然の遊びの中で学んでいく、自然な教育と言うものが、存在しないように思えてきたのです。
港遊ぶと言うことの楽しさは充分に判るのですが、時には友達と遊べないと言うことの寂しさを味わう機会もあっていいのではないかと思うのです。
散歩をしていると、結構いろいろなことを考えさせられる事に出会うものですね。
藤川桂介
「落ち穂ひろい 25」昔々の事です [趣味・カルチャー]
最近昔のことを思い出すことがよくあります。
バブル全盛であった頃の事ですが、テレビ番組でかなり評判になっていたこともあって、若い人は男の子、女の子も含めて、私に会って、テレビ番組の話がしたいと思う人がかなりいました。私もまだ若かった事もあって、なるべく時間がとれる時には、出るだけ多くのファンに会っておこうという気持ちがあって、原稿の空いた時間に面会することにしていました。
そんなある日のことです。
中学生の男の子が、是非会いたいというので、進学の事などを含めて、自分の進もうとしていることと、親の希望していることが違ってしまって、なかなかうまくいかないというケースがあった時代でしたか、きっとそんな相談をしたいというのだろうと考えて、気安く出ていらっしゃいと声をかけてやりました。
それから間もなくのことでした。中学生と思われる少年は、自転車に乗ってやって来ました。どうやら拙宅とは捜遠くないところに住んでいる少年だなと思って、直ぐに応接間へ通して話しを聞くことにいたしました。
すると少年は意外にも、相談事というよりも、わたしの生活についての質問を次々として来るのです。仕事をする時間のこと、三十分の番組の原稿は何枚ぐらい書くのかとか、番組は一本書くといくらぐらいになるのですかとかと、極めて現実的なことを聞いてくるのです。やがて彼は、いつもTプロダクションの仕事はYプロデウサーから来るのですかと、かなり立ち入ったことを、次々としてくるのです。まるで身辺関係のことを探るような質問をして来るのです。
流石に私はここで、ちょっと少年の相談事という要件に、おかしなものを感じ始めました
「君はなにか相談があってきたのではないの?」と聞きました。
すると少年は、うろたえることもなくこう答えたのです。
「母が先生のところへ行って、話してきなさいといわれて来たのです」
まったくうろたえることもなく、訪問について話し始めたのです。
「君はさっきから私の仕事に関して聞いてきたけれども、そういう仕事がしたいのか?」
「ハイ。はははTプロダクションで働いているのですが、就職がしないならTプロダクションとも関係が深い藤川さんとコネを作っておかなくちゃ駄目よ」
といわれてやって来たというのです。
たちまち少年と夢物語でもしようかと思っていた私は、すっかり楽しい話しでもして帰って貰おうという心づもりがなくなってしまって、極めて現実的な状態になってしまったのでした。
私はたちまち少年と話しをしていることに失望してしまって、「そんなことのためにきたのか」と失望をはっきりと表明したのですが、少年はまったく悪びれた様子にもならずに、「世の中兎に角コネ次第ですから」と言い切るのです。
「そんなことをお母さんから言われてきたのか?」
あまりにも少年らしくない返答に呆れて、「そういうお話にはお付き合いすることはできませんから、残念ですがお帰り下さい」と言いました。時代が時代でしたが、あまりにも世慣れた生き方を、早くも少年に教育してしまう母がいるということを知って、愕然としてしまいました。
たしかに昔はそんな風習がありました。実力もないのに強力なコネのお陰で、思いもしない会社へ入ってしまうようなことがあった時代でした。
時代はそんなことで会社の一員にはなれない時代です。現代はあくまでも実力の時代です。その能力を活かすことで会社も発展して行くのです。とてもコネだけで自由になるという事はありません。
世界の時代の深化から、遅れをとってしまったことの一員には、コネを使った人間関係に頼ってきたことによることが、大きなマイナス点となってしまった時代があったのだと回顧して、思わず思い出した話でした。あれは間違いなく実力よりもコネで何とかなるという、親子共々昔々のお話でした。
藤川桂介
「落ち穂ひろい 24」微妙な説得屋でした [趣味・カルチャー]
1800年、1900年頃の事です。
気持ちを文字で書いて伝えようとするよりも、見て判るように絵で表現したり、動いて表現するようにしようという、これまでの生活様式を大きく変化させて行こうという時代の波がうねり出していた頃のことです。
それと同時に若い人には、漫画がカルチャーとして広がっていきましたので、これまでの活字による表現よりも、漫画で気持ちを表現するということが、大学生にも大きなうねりとなって広がっていきました。
サブカルチャーと言われる漫画、アニメ―ションも、社会的には昔と違ってかなりうけいれられてきた分野でしたが、家庭の中では世間で騒がれるほど認知されているとはいえない時代でした。
ちょうどこの頃、就職の時期に差し掛かっていた親御さんについては、折角大学の卒業期になったところで、かなり言い会社への就職を決めながら、漫画家を目指したいと言い出して、親御さんと揉めている家庭がかなりあったのですが、そんな中で私が関わっていたアニメ―ションでは「宇宙戦艦ヤマト」「マジンガーZ」「銀河鉄道999」「ゴッドマーズ」はもちろんですが、活字の方では「宇宙皇子」でも大きな支持を得た作品を持っていたために、多少世間でも知られる存在になっていたこともありましたので、同世代の親の方々から、大変な依頼が持ち込まれるようになってしまったのです。
時代の変化に伴って、同世代の親御さんたちの悩みとなってしまったのは、子供が卒業を間近にしながら、就職を考えずに漫画が書きたいといい出したといって、もめる家庭が多くなっていたのです。特に女子大学生で、漫画家志望のために、就職を拒否するようになってしまったというので、親子の生活に対する思いがまるで変わってしまって、説得が出来なくなった同期の友人たちから、何とか娘を説得してもらえないかという相談が、寄せられるようになってしまったのです。
親から藤川桂介のところへ行って、芸界の現状について詳しく話を訊いて、そっちへ向かってもいいかどうかを訊いてきなさいといって送り出されてきたお嬢さんと話をすることになったの+ですが、
私はやってくる娘さんに対して、業界がそうたやすい世界ではないということを丁寧にお話して、方向転換をしてくれるように説得するという大役を果さなくてはならなくなってしまったのです。
どちらかというと、そういった若い人の味方になって、掩護射撃をおしてやりたい気持ちさえあったのですが、親の立場に立つたら、それを無視するわけにはいかなくなります。つまり意に反してしまって、業界の厳しい面での現状をすることになりましたが、その負担と戦うか、嘱望されている会社の意向とを考え合わせて、フリーに転身することがいいことなのかどうかは、親として賛成できないと、大変難しい説得屋を演じなくてはならなくなってしまったのでした。
かなり高校大学でも優秀で、予定されていた会社からは、期待さていた女性たちでしたので、その後挨拶にお出でになられた女性たちは、私の説得に従って・・・つまり友人たちの希望する職種に就いて、かなり会社にも喜ばれたと言う報告を貰いました。しかし私はやはり女子大学生二人、高校生一人の説得をして、親御さんから感謝をされた事がありましたが、実に複雑な心境になった経験がありました。時代の変わり目ということでは、現代でも充分考えられる問題でしょうが、令和ともなると親御さんも昔とは大分違ってきていて、お子さんの選択に、大変理解を持ってくれているようですね。
たしかにたった一度の人生です。
自分で自分の人生の方向を選択することが、後悔しないですむかも知れませんが、ふと、社会人になるのをきっかけにして、親子共々悩んだ時代があったなと言うことを思い出してしまった話しでした。
しかし生涯の判定は終わって見なくては判りませんね。
大変難しい人生問題に直面してしまったことがあったなと、いろいろなことを思いだしています。
あの頃説得に応じて予定通り就職に向かって行った女性たちは、もうみなお母さんとなっていらっしゃるでしょうね。
時々は再会してみたいと思ったりもいたします。
藤川桂介
「落ち穂ひろい 23」言い訳ばかりです [趣味・カルチャー]
テレビでのヒット作品を生むことが多くなった頃から、脚本家藤川桂介の身辺が、俄にこれまでと違ったことが起こり始めました。
1800年代から1900年代頃の時代の転換期の事でした。
面会を希望する中学・高校生が多くなってきたのですが、今回のお話はそんな訪問者についてのあるお話です。
テレビ・小説に興味を持った某有名女子校に通学注の女子高校生でした。大変明るい性格でしたし、家庭環境もよさそうでしたが、私に面会を求めてきた要件を聞いてびっくりしました。脚本家になりたいということだったのです。大体は簡単に思い立っても、そう簡単に脚本家として成り立つ仕事ではありませんから、いろいろアニメ―ションに対するきょうみのある話を窺ったところで、とにかく脚本家希望であるなら、何か書いた物があったら持ってきなさいと言って、その日は帰って貰いました。
すると彼女は数日後には、早速自作の脚本を持ってやって来たのです。彼女の熱心さの表れだと思って、その思い込みに答えるために、早速持参した原稿を読みました。
誰でもそうですが、初心者でしたら表現が不備なところがあるのは当然です。しかしちょっと厳しいとは思ったのですが、作家希望であるということを考えて、ここはどういう意味なのかと、表現が曖昧なところがいくつも見つかりました。一応説明を聞いた上で、そのままでは書こうと思った意図が通じませんよと指摘した上で、あまり説明不足の表現の箇所が多いので、いちいちそれを問い正していったのですが、彼女は「そう書こうと思っていたんです」という釈明をするのです。「そう書こうと思っていたと言うのであれば、ちゃんと書き直してこなくてはだめではありませんかと、いささか厳しくなって原稿を返すと、次回来る時はおかしなところは、きちんと直して持ってきなさいと言って帰って貰いました。
一寸厳しく言いましたので、自信がなくなれば、もう来なくなるだろうと考えていたのですが、びっくりしたのは、彼女は数日後にはまたやって来たのです。いやに熱心なので、びっくりしたのと、彼女は本気でやってきたのだろうと、その熱心さには感心して、持参した原稿を読むことにいたしました。
「先日注意したことは、全部修正してきましたね」と多少柔らかく注意しながら、推敲してきたはずの原稿を読み出したのですが、またまた表現が的確でないところが目立ちます。「こういうところがちゃんと表現してなくては、この前と同じではないか」と言うと、返事も前と同じで、「そう直そうと思っていたんですけど・・・」の連発担ったのです。
流石に我慢強い私も、もうはっきりと言ってやらなくてはならないと思って、同じような原稿を持ってくるのであれば、もうお会いできませんと言って帰って頂きました。兎に角いちいちこちらの注意に対して、「そう直そうと思っていたんだけど・・・」とまったく反省の気持ちがないのに呆れてしまいました。
作家になりたいという気持ちだけが先行してしまってして、肝腎なものを書くのだという心がけとして、何が大事なのかということが、まったく基本的にできていないという、ただ憧れただけの弟子志願の若者がかなりいたお話でした。
「落ち穂ひろい 22」汗顔の至りです [趣味・カルチャー]
若い頃から、あまりみっともない失敗はしないできた私ですが、今になっても思いだす大失敗をしたことがあります。
「エースを狙え!」という、テニスを扱った人気漫画をアンメーション番組にするというので、私を中心にして男女一人づつ仲間の脚本家に参加することになり、作業をし始めたのですが、兎に角漫画としても大変人気がある作品であったこともあって、テレビとしても大変な人気番組になりました。
普通はそれぞれ文芸部から発注があってから脚本を書く野ですから、それぞれバラバラに話しを書いて行くのですが、暫く番組が好評に進んで行く要になったところで、脚本家はもちろん番組を制作するスタッフ・・・特に脚本家と縁の深い文芸部をしきるスタッフと、いつもバラバラで仕事をしている脚本家が、番組の評価もいいということがわかったこともあって、たまには一緒に飲食を共にして気晴らしの開出もしましょうという誘いがあって、文芸部の代表スタッフと私の他に男女二名の脚本家で、新宿の某所で大変気持ちのいい宴会をしたことがありました。それぞれお酒も飲んで、大変いい気分になっていましたが、そのうちに女性脚本家が私に飲み比べをしましょうと誘ってきたのです。私も大分いい気分になっていたのでしょう。日本酒を冷やでコップに注いで、飲み比べをしようということになってしまったのでした。
当時は若かったこともあるのですが、普通はコップで三杯ぐらいでゆっくりと飲めたのですが、その日は、番組が好評という事もあって、みなかなり盛り上がっていたこともありましたので、私も限度の三杯を超えて更に二杯も飲んでしまった私は、それから間もなく次へ行こうというスタッフの誘いに乗って、お店を出た途端に目が回ってしまって、立ってもいられなくなってしまって、道路に倒れてしまったのでした。
「藤川さん、お芝居しないでよ。立ちなさい」
女性脚本家に発破をかけられてしまいました。もう言い訳をすることさえも出来ません。目が回ってしまって、兎に角立ち上がることも出来ません。ついにスタッフに付き添われて帰宅することになってしまったのでした。勝手口から我が家へ飛び込んだのですが、そのままばったりと倒れてしまったのでした。
びっくりしたのは、娘たちでした。
普段はまったくこのような醜態を見せることはない父親の姿を見て、びっくりしてしまったようでした。
言うまでもなくよく翌日は、無茶に飲み比べなどしてしまったことを反省するばかりでした。それにしても、あとで聞いたところ、彼女は大変な酒豪であったようで、下手に勝負を挑んだ私の大失敗でした。調子に乗りすぎた珍しい大失敗でした。以後、こうした酒の上での失敗は、全くなくなりましたが、最近はビールをコップ一杯で可愛い良い方をしているところです。
藤川桂介
「落穂ひろい 21」夢は見るものではない [趣味・カルチャー]
かつて私は若い人へと言うコメントで、「夢は見るものではない」といってきました。答えをはじめに言っておくと、「夢は追うものですと言うことなのです。
そこで再び「夢」ということに話しを戻しましょう。
若い時には、まだ生きていく間には、さまざまな障害があって、思い描くことはほとんど思うように・・・つまり夢で見たようなことがうまくすすんでは行かないようなことが起こります。そのために若者は、ジタバタとし始めてしまいます。
「私は運が悪いんだ」といって、落ち込んでしまったり、運が悪いんだと思いがちで、落ち込んでしまったり、やけを起こしてしまったりするものです。
そこでこんなことを書くことにしたのです。
年齢を積み重ねてくると、同じように夢は見ることがあっても、それを現実のものとするためには、よほど努力を積み重ねなくては、夢に近づくことが出来ないということを知るようになります。
その結果、あれもこれも夢ばかりというような、考えなくなります。
あれこれと考えた結果、「よし、これに挑んでみよう」ということになって、ようやく夢の実現に挑み始めるのです。もちろんその実現に到るまでには、さまざまな困難と出会うでしょう。そして必死でそれを乗り越えるために頑張るでしょう。
実は夢を見る効用と言うのは、「夢を見ると言うことではなく」「夢を実現するために、さまざまな苦難と遭遇するということに意味があるのです。
そういうことを考えると、本当に「夢を追ってみないと、その味わいを知ることもないでしょうし、夢見たことの喜びに浸ることも出来ないでしょう。
若者は施肥沢山夢を見て、それだけで終えずにその夢を現実の物にするために、必死で起きかけて貰いたいのです。その時本当に夢を見る意味を知ることになるように思えます。
何事も、願ったものが直ぐに手には入らないということを知っているだけでも、かなり前進して行けるような気がいたします。
藤川桂介
「落穂ひろい 20」 嬉しい連休の事情 [趣味・カルチャー]
丁度脚本家として活動できる機会がかなり多くなり、家庭ももって子供も二人持った時代は、寝る時間もいらないほど執筆の依頼が多くて、とにかくその原稿の締め切りに追われていた頃のことです。執筆依頼も一本、二本と言わず申し込みがあって、必死であった頃のことです。兎に角原稿の執筆でほとんど家庭生活には、ほとんど関与することが出来ない状態だったのですが、脚本家としては息抜きが出来る日は土曜日、日曜日ぐらいで、後はほとんどや進むという時間はとれませんでした。プロダクションの担当が催促の電話をしてきたり、やってくるということもない土曜日、日曜日だけは、私の自由なのですが、原稿を間に合わせなくてはならない事情がありますから、まったくサボる機会にも鳴りませんし、子供と遊んでやる時間もありません。
そんな中で働き方改革という問題が議論される時代の走りで、ついに土日はほとんどのプロダクションから原稿の催促にやって来る端とはいなくなり、やっと原稿の執筆をサボって子供の生きたいところへ行ってやったりする機会も出来たのですが、そういった家庭サービスをした分は、原稿執筆が遅れるきっかけとなってしまいます。脚本家たちにとっての唯一自由になる土日ですが、大変苦労していたのですが、そんな中で連休がある時は、ほとんどプロダクションのスタッフはやって来ないということが判った時には、兎に角土日と連休の時間をうまく使って、なんとか原稿の執筆と、普段まったく面倒を見てやれない日常生活に、やっと首を突っ込んでやれる機会となったのでした。
遠い昔のことですが、兎に角連休が来たときには遅れる原稿を間に合わせたり、家庭に多少でも面倒を見てやったりすることが出来る唯一の休息の時ででもありました。
思わず連休がつづく九月といういうことで、嬉しかったり、ほっとしたりした連休の効用について書く気持ちになり巻いた。
藤川桂介
「落ち穂ひろい 19」 弱くなったなあ [趣味・カルチャー]
何でもやろうと思うことはやるべきで、我慢などしなくてもいいという時代です。しかし・・・。最近の事件に思うことがあります。
人の命が軽くなってしまったなと思う事件が、テレビ・新聞・雑誌でしばしば報道されます。特に十代、二十代、三十代の失恋した男性が、ほとんど相手の女性が男性の意のままにならないと言うことで、感情の高ぶるままに殺人に走ることが大変多いように思います。
私も若い頃から、何度失恋を経験して悔しい思いをしたことが何度もあります。その度にしばらくは残念な思いに悩みましたが、結局は縁がなかったのだからと思って諦めました。そんなことは友人たちにもかなりあったようですが、これまで事件に発展したような事はありません。しかし昨今はいささか男性が弱くなってしまったのでしょうか。努力をしてももつれたまま問題が解決しないといって、感情の赴くままに相手を傷つけてしまう若い男性が多いようです。そんな事態に追い込まれてしまったら、もっと自分の思いをくみ取ってくれる女性との巡り会いを期待して、頑張ろうという気持ちにはならないのでしょうか。
そんな時にめそめそしているのでは、相手から見ると、かえって魅力のない男性に見えてきます。自分の良さが判ってもらえないのであれば、思い切って捨て去ってみてはどうでしょう。もっと気持ちのいい女性と巡り会う機会もあるはずです。そのくらいの我慢と、切磋琢磨する自分がなくては、やはり相手にとっては、とても魅力的であるとは思ってくれません。男性は男性らしく毅然として生きましょう。思い通りにならないからということで凶器を振るうというのは、あまりにも子供っぽいし女々しく思えてきます。失恋による殺人事件の報道を見る度に、どうして最近の男性は我慢が出来ないだろうかとイライラとしてしまいます。現代は、女性たちが大変自立心が高まっている時です。男性はそのことをじっくりと考えてみる必要があるようです。昔は日常生活のなかで、我慢しなければならない事が沢山あったので、辛いことがあっても、いつかそんなつらさから抜け出してやろうという、苦難と闘う気力も生まれてきたものです。甘えて育てられた事による結果なのだろうか。男性はただ優しいだけでなく、時には毅然として自分を律することが出来る人が、多くなってくれることを祈りたいと思っている昨今です。
藤川桂介
「落穂ひろい 18」 二律背反の結果 [趣味・カルチャー]
今年わたしは卒寿を過ぎました。
まだ先の話だと思っているうちに、年齢を積み重ねてきました。
若いころは年齢的に二十年も先のことを考えても、まだまだ先のことだからということで、とてもそんな先のことについては、まったく想像の世界でしかありませんでした。
しかし・・・まだまだ先のことだからといって考えもしないでいた年齢に達してみると、たしかに若いころま二十年も先だからとか、だ三十年も先のことだからとか言って無視してきたはずなのに、知らないうちにその年齢に達してしまったことに気が付いて。愕然としていまいます。
あっという間に九十歳を越えてしまったのです。まだまだ到達するには、かなりの年月を費やすと言って、ほとんど気にしないでいたのですが、実際には心理的に思いがけことにぶつかることが多くなりました。
沢山の親しくおつきあいをしてきた人、共に仕事をしてきた人そして小学校・中学校・高等学校・そして大学で出会った友人たちの多くの方々が、早々と他界してしまって、気楽に雑談をすることもできなくなってしまったということがあります。しかし私は幸いにも健康であるために、多少の老化現象は否めませんが、元気で動き回ることもできますし、このような雑文をしたためたりもできます。大変有難いことだと感謝したいと思うのですが、しかしそれだからと言って、特別元気でいることが、一概に「有難いことだ」とは思えなくなってきているのです。時には真反対に、このまま生きつづけて行くことが、「虚しい」と否定する声が心の奥から聞こえてきてしまうのです。つまり「有難うございます」とお礼を申し上げながら、一方では「いえ」と長寿が虚しくなってしまうという、二律背反の問答を繰り返すようになっていたのです。 そこで、その虚しいという気持ちと戦えないかと考えた末に、夢中で最後の一作を書いてみようかと決心したというわけです。出版するとか、しないとかは別問題です。二律背反の「虚しくなる」気持ちと戦おうという気持ちで、必死で原稿を執筆しているのです。その一日、一日は決して虚しくはありません。そんな積み重ねをしながら天命が尽きるまで生きてみようと思うようになりました。
そこで作家ではない方々にお勧めです。別にお金をかける必要もありません。何か夢中で追いかけてみるものを探してみませんか。きっと二律背反の、長寿でいることに付きまとう、「虚しい」という思いをしないでいられるような気がいたします。
藤川桂介
「落穂ひろい 17」季節の変化を知る [趣味・カルチャー]
若いときは動く時代の変化については敏感で、何か流行っているのかとか、どんな食べ物が流行っているのかとか、特にファッションに関しては敏感なものです。しかし季節の微妙な変化・・・つまり植物などの変化などという物に気が付くこともないし、興味も関心も薄いものですが、高齢化すると、時代の波については関心が薄れて、それまでほとんど無関心であった季節の変化に敏感になったりしてきます。
私などもそうですが、朝などの目醒めが早くなってくるのに従って、夜明けの時間が刻々と変わっていくのが、敏感に変わっていくのを感じます。
特に激しく感じるのは、食べ物でしょうか。その代表的なものといえば、おでんや鍋物などしょうか。真夏におでんはありませんからね。
季節の変化といえば、ああ、日の出がこんなに遅くなってきたのかとか、こんなに早くなったのかということで、季節の変化を感じます。兎に角微妙に変化するものに対しての反応です。
高齢化すると、激しいもの、派手なもの、激しいものにはあまり興味を持ちませんが、普段見落としがちなものに気がついたりするものです。そのために口うるさくなって、若い者から嫌がられたりするものです。
お互いに年齢差というものがあるのだなということを知っておくべきですね。
それを理解さえしていれば、悶着を起こすようなことはなくなります。
藤川桂介
「落穂ひろい 16」 昨今の外出事情 [趣味・カルチャー]
昨今は家族がそれぞれ独立したために、いわゆる実家といわれるところには、高齢化した親だけが住んでいるというご家庭が多くなりました。隣近所が同じ家族同士でお付き合いしていた時代がなくなって、昨今では家族構成が激しく変化してきました。高齢化した方が亡くなってしまって、一人暮らしという老人が増えてきたために、ある日突然近所付き合いの方がいなくなってしまうことが多くなり、身近な環境が大きく変わりつつあります。残された人が一人きりになった高齢の方が、若者のところへ引き取られて行ったり、施設へ入ってしまったりすることも多くみられます。
拙宅の場合は両隣の方が、それぞれの事情で一人暮らしを解消して、長年住み慣れた土地を離れて、若い家族に引き取られたり、老人施設へ移って行きました。
これまではちょっと数日間家を空けることがあっても,左右どちらの家の方に、留守にしますのでよろしくお願いたしますと頼んでおけば、ほとんど多くの場合心配なく外出できていたのですが、昨今はそういった関係がすっかり崩壊してしまいました。現在では住宅地の事情がすっかり変わってしまって、古くからその土地に住み続けるという家庭が少なくなり、新たな住民が移り住むようになってきました。そのためもあるのでしょう。昔の隣組という付き合いは崩壊してしまいつつあります。
長期に外出する時なども、ネットを使って外出を、知人・友人たちに知られてしまうと、却って良くないことを考える者の標的になってしまうので、下手に家を空けることは明らかにできません。老人施設へ入ってしまったり、他県にお住いの親族のところへ引っ越してしまったりで、おつきあいのあったおとなお隣りにお願いすることもできなくなってしまいました。
兎に角数日家を空けるということは、大変気楽にというわけには、いかなくなってしまった昨日今日の外出事情です。
時代なのですかね。
藤川桂介
「落ち穂ひろい 15」猛暑のなかで [趣味・カルチャー]
物書きの作業をしている時は、書斎に籠っていますから、兎に角猛暑に襲われている時は、まったく周囲への遠慮なく、半パンに裸という姿で作業をしているのですが、突然来客のあったときには、大慌てになってしまいます。
兎に角浴衣を取り出して格好をつけることになります。
しかし最近の夏の暑さは、ちょっと我慢するのに参ります。
あまり家に籠っているのも良くないということで、時には手紙を出しに、ポストまで歩くんですが、最近はその一がかなり減ってしまったこともあって、ポスとまで猛暑の中を歩くのはかなり負担ですが、もう一つは図書館へたのだった本を鳥に行ったり、返しに行ったりという事も、その往復には高齢になった私たちには負担になります。しかしこれもわずかな運動であると思って、時々書斎から抜け出すことにしています。
昔はこんな時には必ず自動車を運転して、仕事場にしていた軽井沢の山荘へ逃げて仕事をした者ですが、昨今は運転免許証を返却してしまったために、娘の会社での勤務状態次第で、送って貰うことが思うようになりません。
やはり猛暑の中で、書斎に籠って頑張るしかないようです。
藤川桂介
「落ち穂ひろい 14」 運転免許返納のこと [趣味・カルチャー]
連休が来ました。
お出かけになられる方も多いと思いますが、きっとあちこちで事故のニュースが出るでしょうね。その度に思いだす事があるのです。
新聞・テレビの報道で、高齢者の自動車事故がかなり頻繁に報道されると、運転免許証を早く返納してしまった私は、大変複雑な気持ちになるのです。
人それぞれに住んでいるところでの自動車事故についての問題については、一律には言いにくい問題があるのですが、想い出すのは、運転免許証の返納を決断した時のことを、改めて想い出します。
現役であった頃は、自動車は不可欠でしたから、盛んに使いましたし、気休めにも充分に使うという自動車好きであったのですが、運転免許証の返納のために出向いた世田谷警察署では、担当の女性警官から、「よく決心なさいましたね」と言われるほど、まだ返納はもったいないと言われる状態でしたし、私自身もうちょっとは運転を楽しみたいとも思っていたのですが、仕事にけじめをつけたこともあって決心したのです。八十歳前後の事でしたが、その時はきっぱりと決断したつもりだったのですが、その後日常生活の中で、如何に自動車が使われてきたかということを知る機会が、様々な機会に起こりました。来客があった時、前は近くの駅まで送りますよと言ってハンドルを握った利、日常生活の中でも一寸買い物に行こうか、一寸遊びにいこうかと、「ちょっと」という時に利用してきていたのですが、免許証の返納をしてから暫くすると、つい自動車があったら、「ちょっと」済ませることが出来たのにと、ぼやいてしまうようになったのですが、それから暫くした頃から、テレビ、新聞などで高齢者による交通事故のニュースが、さかんに報道されるようになりました。
その度に、やっぱり早めに決心して返納したことは、正解であったと思えるようになリましたし、事故を起こした高齢者の姿を見るにつけて、どうして決心できなかったのだろうかと思ったりしているのです。事故後の家族の話が報道されることになると、なおさら決断のしどころを失った結果であったなと思うことしばしばです。
卒寿の年を過ぎて、やっと車社会から縁が切れた思いを書くことにいたしました。
今はバスと電車で移動をしていますが、ゆっくり生活を満喫出来るようになりましたので、ある程度高齢に達した方は、是非思い切って運転免許証の返納を決断出来る人になってほしいと、説にお祈りする次第です。
藤川桂介
「落穂ひろい 11」 卒寿のご挨拶 [趣味・カルチャー]
卒寿のご挨拶をいたします。
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本来は一六日の当日に公開する予定でしたが、PCの不調で遅れてしまいました。今回はその時の原稿のままで公開いたします。
失礼のお詫びです。
どうぞよろしく乙行き会い下さい。
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せめて最後の作品ぐらい、締め切りなどというせせこましい作業ではなく、まとめておきたいと思って、好きな題材を用意して取り組んでいるところです。
じっくりと、納得できるまで考えて、執筆を続けように心がけているのですが、次第に記憶力が衰えて来てしまって、昔だったら間違いなく古代の組織の規則、官職など、簡単に思い出せるのに、次第に高齢になると、簡単な決まりに関してでも、なかなか思い出せなくなっています。
そんな中でどうして原稿を書き続けようとするのかと言えば、一つは脳の活性化のためです。真剣に忘れたことを思い出そうとしたり、アイデアを煮詰めたりする作業は、それなりに健康維持に役立っているようです。
お陰様で歩行することに多少頼りなさを感じたりして、昔の颯爽と歩いていた頃のことを思い出しては苦笑してしまいます。
それでも映像時代、作家の時代と、応援してくれる若者・・・すでに五十代後半であったり、六十代になっていますが、これまでと変らずに声援してくれています。そんな励ましに勢いを得て、今日も創作に取り組んでいるところです。
6月16日に卒寿を迎えましたが、まったく先が見えません。つまりどこが終わりなのかはまったく見えませんから、兎に角見えない目標を見つめながら、真っ直ぐに生きていこうと思っています。
今年はこの日が「父の日」と言うこともあって、改めて娘たちから贈り物を頂いてしまいましたので、終わりが見えない人生に挑みます。
あなたの天命はここまでですという生存に限りが見えれば、それまで頑張ろうと言うことになるのですが、今のところそういった限界が見えないのが、なんとも困ったことです。
そろそろ終活の問題も真剣に考えなくてはなりません。
こうなったら倒れた時が天命の尽きる時なのだと思って、それまでは、兎に角頑張っていようと思っているのですが、老齢化するにしたがって、やることが兎に角多くなるようです。
今後ともよろしくお願いいたします。
藤川桂介
「ひろいひろい 13」防災訓練について [趣味・カルチャー]
そこでという訳ではありませんが、近隣の隣組で開かれる地震に対する講習という呼びかけに応じて、家内と共に参加してみました。きっとかなりの人が集まると思っていたのですが、集合する場に設定されていた中学校の講堂へ行ってみると、いきなりびっくりしたのは、近隣の住民がかなり集まっているのではないかと予想していたのが、まったく見当違いで、かなり少人数での講習会になってしまいました。
どうも近隣の人たちは、ほとんど地震などが起った時でも、近くの収容所へ逃げ込むというよりも、ほとんどの人は、震災に遭っても自宅で過ごしたいという人が多いと言うことが判明しました。避難所には行きたくないという人が多いと言うことなのです。そういう人は、最低限水だけは常にそれぞれの家庭で蓄えておいて頂きたいということでした。兎に角震災に対する人々の意識が、都会と地方では大きな違いがあるという言ことを知らされただけでも、大いに役立ったのですが、もう一つこれから考えておくべき子t歩ことで考えておかなくてはならないことの一つに、収容されるところが区立の少・中学校なのか都立・私立の小・中学学校なのかということでは、担当が区になるのか都になるのかということで、まったく扱いが違ってくると言うことを知ったことは大きな収穫でありました。
テレビでは他経ず防災のアピールが行われているのですが、旧住宅地か新住宅地かということで、地震など災害の受け止め方に、大きな差があるということを知っておくべきだという大きな収穫があったという報告でした。
水の備蓄・防災ベット・排泄の備え・発電装置・炊き出しの方法・救急用具の使い方の講習などの知識を得ることなどは、大変役に立ちましたが、あまりにも参加者が少く、防災と言うことで考えておかなくてならない問題が、かなりあるなということを知っただけでも参考になりました。
藤川桂介
「落ち穂ひろい 12」 ぱなしのこと [趣味・カルチャー]
この頃しきりに思うことがあります。
原稿を書くと言うこともあるのですが、書斎はなるべく綺麗にしておきたいと言うことがあって、時々は掃除機を遣って簡単な掃除をいたします。
通常作家というと、原稿の書き潰しを丸めて無造作に放り出しておくとか、資料に使っている図書を積み上げたり、広げっぱなしでいたりします。中にはタバコもそんな中で吸うという状態を想像し手島いますが、どうも私は几帳面な一面があって、どうもあまり散らかしっぱなしの部屋で作業をすることができないので、時々は自分で自分の城は綺麗にしているのですが、そんな最中に気がついたのですが、私はどうも「ぱなし」ということが出来ないたちだなと言うことに気がつきました。
「やりっぱなし」「約束しっぱなし」「汚しっぱなし」「食べっぱなし」「忘れっぱなし」「ご無沙汰しっぱなし」「世話をかけっぱなし」
数え上げるときりがない「ぱなし」があると思います。やはりこの「ぱなし」で困ることは、その始末をしないことが多いと言うことなのです。
あなたはどうでしょうか。
少なくてもこの程度のことはしておかなくてはいけないと思いながら、ついつい「ぱなし」のままでいることはありませんか。
藤川桂介
「落穂ひろい 10」 [趣味・カルチャー]
私は若い頃、京都の古寺の大僧正から、扇子に「花開蝶自来」・・・つまり花が開けば、蝶は自ずと集まってくるものですという意味ですが、物書きの私に、焦ることなくゆうゆうと執筆して行きなさいと言う、戒めの言葉と思って大事にしているのです。
単なる暑さしのぎの材料でしかないかもしれませんが、ちょっとした工夫で、大変興味深いものにもなりますということで書くことにしました。
男性も女性も持ち歩いて、暑さしのぎに使いますが、もともとこれは中国から紙張りのうちわが入ってくるようになると、日本ではこれを真似て、ビロー樹というシュロの一種の葉で団扇を作りました。それがヒントになって、やがて木の板を薄く集めて糸で閉じ合わせて開いたり、閉じたりできる檜扇という板扇が考え出されました。それがやがて糸で止めてあったものを紙で張って止めるようになり、平安時代になると紙が主流になって、板が薄くなって骨になったのでした。これが現代でも使われている紙扇ですが、当時の扇は五本骨で、たたむと二センチぐらいの幅の扇になるので、これが珍しいと評判になって、平安末期ともなると京都で作られて輸出されるようになると、国内でも広がっていきました。
この貿易が足利時代までつづき、やがて中国でも供給過多となって売れ行きが悪くなってしまいました。そこで日本の扇商人は脅かして買わせるようになり、やがて手ぶらで行って略奪して帰ってくるようになったといいます。
ところで扇は開くことができるところから、心を開くという縁起がいいものになり、開くと手の形になるところから、手で神を招くようにできるということで神社の祭礼に使われるようになったといいます。紀州熊野の那智神社の火祭りは、扇を焼きあうお祭りといわれていますが、神の前で行う芸能を猿楽といいますが、これが阿国歌舞伎になり必ず扇を使うといいます。そこには扇で神を招きよせようという宗教疑行為が秘められているということです。
これが踊りの一派である花柳流の踊りとして誕生したといいます。花柳流は扇の舞といわれているのはそのためです。昔は、中国人は日本から買った扇をヨーロッパに輸出していたといいますから、一種の伝達貿易というものですが、調べて見ると、かなり興味深いもののようですね。
藤川桂介
「落穂ひろい 9」 [趣味・カルチャー]
この頃天気予報の開設を見ているとテレビなどでは通常使われている太陽暦のほかに、盛んに太陰暦・・・つまり旧暦による紹介が紹介されることがよくあります。
当たり前の天気予報だけでなく、同時にあまり使い慣れていない旧暦の照会をしてくれると、大変天気予報が興味深く聞いていられます。
果たしてあなたはどう思っていらっしゃるでしょうか。
私などはなぜかその旧暦による天気予報の方に、親しみを覚えてしまうのですが、この太陰暦というのは、毎月規則正しく満ち欠けする月の観測から生まれたものです。
古来日本人は農耕中心で生活をしてきましたので、満月から数えて何日目にどういう作業をするかということを考えてきましたから、自然にそうなるのですが、しかし現在の暮らしぶりといえば、和食よりも洋食が中心になって来ていますから、昔のように月の満ち欠けにそれほど興味を持たないかもしれません。しかし私のように月の満ち欠けに興味のある者にとっては、どちらかというとどうしてもその太陰暦で紹介される方に親しみを感じてしまうのです。
大自然の現象は天体の運行と密接に関係があるわけですから、天体の観測が自然のリズムを読み取るための大事な要素になるように思うのです。そんなことを考えながら、太陽暦の紹介の間に、ちょっと挟んで太陰暦の紹介があると、特に親しみを感じてしまう今日この頃です。
自然の歩みと共に暮らして行くことが出来なくなっている現代の生き方には、なぜか滅びの道筋を早足で進んでいるようで残念でなりません。超科学によって、それらを解決していけるようになるといいのですが、もうそんな時代とは巡り会えないのでしょうね。
ちょっと残念です。
藤川桂介
「落穂ひろい 8」 [趣味・カルチャー]
昨今は出かけるときも、あまりはっきりと発表して家を空けることができません。その留守を狙ういやなやつがいるからです。
先日は久しぶりに一週間郊外の作業場で生活を楽しんで来たのですが、帰宅して異常がなかったのでほっとしたところです。
今日はその時に書いたブログを紹介いたします。
毎日食事をする度に思うのですが、我々が箸というものを使うようになったのはいつごろからなのだろかということです。
ヨーロッパ人でも15世紀までは野蛮な状態で食事をしていたようで、手づかみで食事をしていたようです。
スプーンやフオークが使われ出したのは15世紀ごろだったといいます。
それでは日本の場合はどうかというと、「古事記」という歴史書によれば、崇神天皇のところでヤマトトトヒモモソヒメが大物主神の妻になった時、大物主神の本体が蛇である知り、驚いて橋で陰をついて死んだといいます。橋がいかに古くから日本人の生活に登場していたかが判りますね。
しかし箸については中国・韓国もあるのですが、日本の場合には、やってはいけないはし使いというものがかなりあります。
箸を握る、いわゆる握り箸はタブーです。使いにくいだけではなく、握ったままで箸の頭を親指で押さえれば、攻撃の武器になりますし、礼儀作法でいえば相手に対して恭順の意思表示ですから、攻撃しないことが大事です。
そのほかには、渡り箸、突き箸、透かし箸、迷い箸、及び箸、探り箸、回し箸、ねぶり箸、かため箸、こめ箸、箸やすめなど、さまざまなタブーがあります。
時間がある時に、試してみるのも一興ではありませんか。
藤川桂介