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告知と放談の部屋☆ 放77「変化を求める時代と戦えるか」 [テレビ]

  

私がいよいよ「宇宙皇子」の原稿を執筆し始める頃のことでしたが、テレビ界にはついに激震が走っていました。言うまでもなくあの某局のプロデユウサーによる暴言に対して、ついに大手の映画会社の現場から局に対して抗議が持ち込まれたからです。映画といえばベテランのアーテイストが大活躍している世界です。それを否定するかのようなあの発言は絶対に許されるものではありません。ベテランが存在することで、映画界では新人ではとても達成出来ない作品を生み出せてきましたし、新たな担い手を育てることにも貢献している存在です。


「四十過ぎたら現場には必要がない」というあの発言は、許せるわけはありません。


今後某局との付き合いも断たざるを得なくなるという申入れがあったのでしょう。ついに「GUGUガンモ」の担当で登場した部長は、その役職からも離れることになってしまったのでした。しかし私は彼があのような発言をする前から、その頃の時代の激しい変化の様子を見つめながら、その背景にあるものは何なのか、そしてその変化によってこれまで必死で歩いてきた脚本を書くという世界が、これまで通りでいられるのかそれともかなり変化していってしまうのだろうかとかなり不安になっていたのです。あのプロデユウサーの暴言の背後には、時代が秘めている問題が込められているのではないかとも思うようになっていたのです。彼は彼なりに時代についての受け止め方に対する根拠があったに違いないとありません。しかしそれにしても「これからは四十を過ぎたベテランは必要ない」などという暴言は、あまりにも不用意に公言したとしか言いようがありません。たまたまあの頃私が四十歳を越えていたこともあって大変気になったのですが、現実的にこれから先まで仕事をしつづけることが可能であるという保証は得られそうもありません。今のままでは脚本家として生きつづけられそうもないと考えました。業界ではより活力に満ちた、若い人の感性が求められるようになってきています。年齢が高くなるのにつれて、仕事もこれまで通りにやりつづけられなくなると考えるようになっていたのです。年齢を重ねても核という仕事がしつづけられる世界を開拓するつもりもあって努力をしている最中でしたが、そんな時にあの暴言に出くわしてしまったのです。仲間たちはあの暴言を聞いてどう思っていたのだろうかと、訊いてみたかったのです。そしてあのような発言の背景にはどんな問題があるのだろうかと推測していたのです。


 そんなある日のこと、私が小説を書き始めたという噂を聞きつけた同業の友人が電話をかけてきました。やはり昨今のテレビ局の様子や、仕事についての変化についての話に及んだのですが、若い人を対象にした番組がかなり変わろうとしていることから、これからの仕事の組み立てについては、かなり考えないと苦しくなるのではないかと進言したのです。しかし彼は意外にも時代の変化にはまった無関心で、


「実力さえあれば心配ありませんよ」


私の心配に対して自信たっぷりな口調で一蹴してきたのです。


どうやら彼はドラマ界の人との付き合いがあって、その世界の空気に影響を受けているようで、現在彼が頑張っている世界は、時代の要求を一番受けやすい若年用の世界です。結局私の心配は杞憂であるということで終わってしまい、逆に私は励まされて終わりました。しかし私はそれからも某局プロデユウサーの発言の背景には、時代の要求という問題が潜んでいたのではないかと思うのです。果たして彼は変化を求める時代の勢いと戦い抜けると思っているのだろうか・・・どうも彼の楽天主義には同調できませんでした。そして暫く前に、彼の奥さんから受けた相談について思い出していたのです。どうも彼はあまり仕事に夢中になる性格ではないらしく、いつも暮らしに支障を生じるぎりぎりで頑張っているのを誇りに思っている問いのです。時代の変化に敏感な奥さんは、それに備えてもう一寸真剣になって貰いたいので、何とか彼にアドバイスして欲しいと頼まれていたことがあったのです。しかしどうしても彼のプライドが邪魔をして、時代の変化にはほとんど気にする様子がありませんでした。実は同じようなことで相談をしてきた奥さんが別にもあったのです。しかし私は仕事の展開について、今のうちに将来の設計をしておかないと仕事がし難くなりそうだから用心しておくようにと念を押しておいたことがありました。きっと彼らは私のことをかなり心配性であるという風に思ったでしょうね。それにしても同じようにアニメーションの番組にかかわっている脚本家たちは、仕事についての変化が表れてきているという現実をどのような気持ちで受け止めているのだろうか・・・。時代の要求を無視てこのままつき進もうと思っているのだろうか・・・。少なくともベテランといわれる人は、もっと広い範囲の視聴者と勝負できる世界に活路を見つけ出しておかないと、これまで通りのアニメーションの仕事をつづけるのはかなり困難な時代がやって来そうに思えるのですが・・・。


そんな不安もあって、私はカナメプロからの相談があった時、映画への挑戦をしてみないかと提案して、今までよりも広い世代の人を対象にした作品作りをしようとして、「ウインダリア」という映画の素材の開発にかかったのでした。


どうもここまでくると、同業の脚本家でも四十代を越える人には三つのタイプがあって、はじめから実力があればどんな状態に世の中は変わっても、仕事は切れないと言い張っている人がいるかと思うと、大手の番組制作会社と縁が深くなっているという関係があって、たとえ社会の変化が訪れても最低の支援はして貰えると思っている人、そしてもう一つは私のように、まったく自分の判断で新たな進路を決めようとする人ということになるのですが、何といっても若い人を対象にした特撮、アニメーションにかかわって実績を積んできた人にとっては、いろいろな点で窮屈な思いをし始める人があって、出版部門への活路を求めようとして相談してくる人もありました。しかし俄かに転身しようとしても一朝一夕にはその道が開けるわけはありません。兎に角小説として書くための素材を真剣に開発しておく必要があると、アドバイスしてあげるのが精一杯でした。思えば私が「宇宙皇子」の発想をしたのは、テレビ界全体が勢いを失ってしまって新たな転換を模索し始めた頃からのことで、もう八年も前のことなのです。脚本家についても四十歳を越えた人はいらないなどとかなり挑戦的なことを言われ始めた時、私はふたたび彼の発言に反発を感じながらも、物書きとして生き残っていくために、何をしなければならないかということを真摯に考えてみようとし始めたのでした。


「宇宙皇子」はまずそのための第一歩でした。


時代が目まぐるしく変わり、生活もさまざまなことで変化してくると、ものの考え方も変化してきます。将来に向けた仕事の展開ということを考えると、決して安閑とはしていられない時代が来ているのだと思うようになっていたのです。


「実力さえあれば・・・」


そんな自信とプライドに問題はないだろうか。


 時代の変化に敏感過ぎるのも問題ですが、まったく無頓着なのも問題だとつくづく思ったのでした。


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アニメと音楽の部屋☆ ア54「もうベテランはいらない」 [テレビ]

   

 1983年も秋になると、来年春にスタートする番組がどうなるかが決まる秋の番組の編成が決まる時期がきました。これまでかかわってきたアニメーションの世界も、かなり変化が表れてきたようです。番組の様子が変わるのももっともですが、それを支えてきていた視聴者も時を経るに従って大替わりしてきていました。


 どうやら「ゴットマーズ」を愛してくれていた視聴者も、新しい時代に向った番組からは遠ざかって、その次代を担う世代の若い人たちにアニメーションを後押しする主力として存在するようになってきたようです。そういうことに敏感なそれぞれの放送局は、すでにそうした傾向をキャッチしているのか、発表される番組の素材などを見回してもこれまでのものとはかなり雰囲気の違ったものが多くなってきています。そしてそれと同時に、それらの番組を執筆する脚本家も、男性に交じって女性脚本家がかなり参加してくるようにもなっています。つまりこれまで世の中の流れの中心となってきていた人たちに変わって、次代の若者が担い始めてきていたのです。それにつれて視聴者もこれまでの世代の人たちから次の世代の若者たちに変わってきていました。そうなれば彼らの好みも前の人たちとはかなり違ったものなってきていますし、その楽しみ方も変わってくるものです。そんな空気がまん延する中でした。ついにテレビの某局で部長に昇進したプロデュウサーのO氏は、怖いもの知らずといった調子で大胆不敵な発言をしてしまったのです。


「もう四十歳を越えたアーテストはいらない」


 随分思いきった発言をしたものです。


 このころ局内でも変化があったのでしょうか。これまで私たちもお付き合いがあった番組の制作にかかわってきたプロデウサーたちが、前面から姿を消していったのです。局内での勢力関係に大きな変化があったのでしょうか。


それにしてもあまり無遠慮な発言をしてしまったようです。放送関係者は直接関係がありすぎるために、多少及び腰になっていていたようですが、多少その関係に距離のある映像関係者にはその波紋が広がり始めました。映画の世界ではテレビとは比較にならない長い歴史を経ていますし、そこではさまざまな分野でかなり得意な力を発揮しているベテランが、かなり頑張っているのです。たちまし映画のスタッフから反発に火勝ちたようです。


ところがそんな最中のことでした。東映動画のYプロデウサーから私のところへアニメーション番組の制作に力を貸して欲しいという連絡が入ったのです。しかし私はこれまで経験している作業とは違った本格的な仕事として、「宇宙皇子」という小説の作業にかかろうとしているところなのです。何とかしてこのところの仕事の停滞ぶりから脱出するために、ついに八年間という年月を経て実現する機会を得たところだったのです。それを書き出す前に、確認しておきたいこともありましたのでその準備をし始めていたのです。気持ちが完全に出版の方へむき出しているところだというのに、東映動画からもたらされたのは、何と映像関係者から反発がくすぶり始めている、あの発言をした主である某テレビ局の、しかもあのプロデユウサーが担当する「GUGUガンモ」という作品だったのです。


ひょっとするとO氏の極端な発言は、Y氏が脚本を担当するメインとして私を推薦したことから飛び出した本音であったのではないかと推測したほどです。勿論そこまで考えるのは勘繰りすぎるかも知れませんが、兎に角私のようなベテランが番組制作にかみこんでくることにはかなり抵抗感があったに違いありません。しかし時代の変化ということで言えば、私もかなり前からそのことには実感していることもあって、なるべく番組の制作にはかかわらないでいようと考えていたところです。そんなところへたまたま紹介する人がいて、角川書店で小説を書くことになるところだったのです。


私は先日の発言には反発しているので、親しいY氏の依頼ではあるのですが、受け入れたくないと率直に答えたのです。ところがY氏は腹立たしい思いは理解するけれども、何とかスタートだけでもやって貰いたいといって引き下がらないのです。同じような問答を何度か繰り返しましたが、兎に角スタートの脚本をまとめてくれたら、誰か若手の脚本家に変わって貰ってもいいとまでいってくれるのです。どうやら彼もあまり番組には首を突っ込みたくない様子であることが判りました。問題のプロデユウサーも実績のある私が出て行けば、O氏もそう突っかかることもできないだろうという計算が合ったのかもしれません。兎に角穏便に番組をスタートさせたいという意図がよみとれます。ついにY氏の熱意にほだされた私は、兎に角一回だけは付き合いますということで、仕事を承知しました。


間もなく企画書がファックスで送られてきましたが、細野不二雄原作の「GUGUガンモ」という作品でした。かなり軽いギャグ漫画というもののようです。やはりあえて私がやらなくてもよさそうな原作です。恐らくOプロデユウサーも、これまでの実績から考えてこの番組には向かないと判断して、私の起用には反対していたのかもしれません。私は私で、「動画」と言われる幼児の楽しむサブカルチャーであったものを、成人たちが楽しめるカルチャーとして認めざるを得なくなった「宇宙戦艦ヤマト」で、アニメーションとしてはやり尽くしたという思いがあったのです。そろそろ別の世界での活路を開こうという意気込みに燃え始めていた時のことでした。しばらく前に「プラレス3四郎」で、カナメプロの社長と代理店の旭通の担当であったK氏からも、カナメには新人脚本家がいるので面倒を見てやってくれませんかという依頼があったのを思い出しました。それから彼の力量でこなせる話を書かせながら指導してきたところでしたので、彼を私の弟子として参加させることにしようということを考えたのです。この機会に一人立ちできればいいという思惑もありました。そこで新人脚本家のTを伴って打ち合わせに向うことにしたのでした。


確かな記憶が薄れてしまいましたが、局の狭い会議室のようなところでTを連れて対面しましたが、業界から反発が起こり始めているのを気にしない風に装いながら、実に事務的な打ち合わせをしてきましたが、私はもう二度と会うことはないつもりで、簡単に挨拶すると、それからはほとんど言葉も交わさずに、彼の要求を訊いているだけにしていたのです。すでにTには彼の要求をきちんと聞いておくようにと言ってありましたので、私はほとんどキャラクターにメモを書いたりして真剣には聞いていませんでした。


O氏もかなり私の手前おおへいな口の利き方はできないと思ったのでしょう。脚本の執筆については、いろいろな註文をつけてきましたが、ただ「はい。はい」と聞いていてるだけにして、弟子のTにすべてを託すことにしたのでした。O氏も私が乗っていないのを感じたに違いありません。そのまま簡単に打ち合わせを済ませると、弟子のTに次の脚本を書くように指示を始めたのでした。


実に白けたような雰囲気の打合せはそれで終わりました。


                                            「guguガンモ」1.jpg


約束通りスタートの台本を書きましたので、それからは新たな目標に向かった準備にかかることができるようになりました。いよいよ私自身の進路がかかっている「宇宙皇子」の取材のために、古都飛鳥へ旅立つことにもなりました。


しばらくはテレビの番組とはさよならです。


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告知と放談の部屋☆ 放74「企画に無理がないか・・・」 [テレビ]

  

「もしその気があるのであったら、角川で書きませんか」


「少年画報社」の編集をするS氏が、現在かかわっている角川書店で製作しているアニメーション映画の「火の鳥」の制作の責任者となっているA氏は、出版部門の編集長でもあるのだというのです。S氏は早速私の意志をA氏に伝えますということになってしまったのでした。


まったく思いがけないことで、小説を書くきっかけが訪れることになってしまいました。しかしこんな話がそのまま通じる訳もないという気持だったので、すべてはS氏に託した話はどういうことになって返ってくるか、あまり期待しないで待つことにしたのでした。恐らく彼は現在関係しているアニメーションの監督がりんたろう氏であったこともあったので、かつて私が「ワンサくん」などの脚本を執筆中には、山本暎一氏のアシストとして働いていたこともあって、まったく知らない関係ではありませんでしたから、アニメーション作品で一緒に仕事をしないかという誘いをするためにやってきたのかも知れません。しかもりんたろう氏は東映動画で仕事をするようになっていたということも会ったのです。私にアニメーション作品で一緒に仕事をしないかという誘いをするためにやってきたのかも知れません。ところが一寸前からですが、現在の仕事を離れて活字の世界への転身ということに考えているところだったのです。つまり私は彼の申し出とはまったく真逆になるような思いがあるということを正直に打ち明けたのです。最近あちこちから小説を書かないかという話が持ち込まれて、企画を書いたのですがいろいろな事情がって実現していないと正直に告白したのです。そろそろ時代の変革期でもあることから、アニメーションから別の世界への転身も考えなくてはならないということも率直に打ち明けたのでした。すると間もなくS氏は、わりに気楽な様子で、「もしその気があるのであったら、角川で書きませんか」ということになってしまったのでした。


希望がそのまま実現するとは考えられませんが、現在森村誠一氏の作品の映画化で、巷間大変話題づくりで評判になっている角川書店です。どんな風の吹き回しで話に乗ってくるかもしれないのです。どういう返事が来ても慌てるようなことはないと思える余裕を持っていることにしていました。兎に角現在は「ウインダリア」の映画化に向かった作業をしていたのです。


                                    「ウインダリア」1.jpg 「ウインダリア・AR台本」1.jpg


これは正確に言いますと「ウイリンダリア」というもので、オーストラリアでは知られている市民に愛されつづけている有名な樹の名なのですが、やがて故郷のその木の名をつけた遊覧船を作って、裕福な資産家がフランスのセーヌ川から運河づたいにオランダまで観光しながら旅をするという生活をしている若い青年と恋人がいるという話を、ある有名な家庭雑誌で読んだことがあったことがあって知りました。それを判りやすいタイトルに変えて「ウインダリア」としたものでした。


                                       「ウインダリア・決定稿」1.jpg 「ウインダリア・小説」1.jpg


世の中は大変変化に富んでいて、落ち着かない雰囲気がありました。


 これまで突き進んできた脚本家としての生活も、このまま安閑としてはいられません。


特にアニメーションに関して考えると、やはりこの世界ではその時その時の若い感性が絶対に必要で、ドラマの世界のように年季をつんだ脚本家の奥深さで見せきれるものとは違って、アニメーションでは時代の感性を描ききれるかどうかが生命であると考えるようになっていたのです。そろそろ年齢的なことを考えると、にこのままやっていていいのだろうかという気持にもなってきます。勿論、いくつになっても若い感性を持ちつづけていらっしゃる方はかなりいらっしゃいますから、一律に言えることではありませんが、私についてはここまで夢中でやって来たものの、ある時から活字への誘いが来るようになってから、つい立ち止まって考え込んでしまうようになっていたのです。


 たまたま若い頃・・・中学・高校生時代から文学青年であった父の影響を受けていたせいで、私もいつか「文学界」「群像」「小説新潮」などを読むようになっていたこともあったのですが、その後さまざまな遍歴があって映像の世界の人となっていたのですが、とうとう三十数年を経て気持ちが先祖がえりをし始めたのでしょうか、時代の変化が急を告げるようになってからは、一層その気持ちが強くなってきていたのです。かつてドラマからアニメーションへと転身した時もそうでいたが、時代の流れが私をその方向へと押しやったといっていいでしょう。放送界の流れが大きく変わっていく流れが、今度は私を活字の方向へと押し流し始めていたのです。


 「宇宙戦艦ヤマト」の超ヒットの影響で、テレビのアニメーションはほとんど宇宙ものになってしまって、脚本を書く者にとっても楽しみがなくなってしまいましたが、視聴者にも不満が蓄積していったのでしょう。アニメだけでなく放送界事態に危機的な状況が広がってきています。時代が転換を求めていたのでしょう。これまでとは違った感性で話を展開するものに興味が集まり出していました。実は私が次第に小説の「宇宙皇子」執筆に傾いていったのもその頃のことだったのです。幸いなことにこれまでの脚本家としての実績も積み重ねてきましたし、ヒット作品もかなりありましたので、私を支えて下さるファンの存在も後押ししてくれました。大変不安はありましたが、いよいよ小説で勝負したいと考えたのです。しかしそう思ったからといって、すぐに転身できるわけがありません。


 「少年画報社」のS氏の提案がきっかけとなって、角川への橋渡しを頼みましたが、兎に角あの企画は古代が舞台にしてあるのです。この変化の激しい時代に、果たしてあのような世界を持ち出して、若い人地は興味を持ってくれるのだろうかということが、心配になりはじめたのです。


 企画についての点検を始めていました。


 これまで小説で大事な存在になるであろう「役行者」を書いた人がいるかということを調べました。ところがあまりにも得意な存在であったことからか、明治の作家である坪内逍遥しかいませんでした。それだけに今回はそんな人物を、現代だからこそ描ける形にしてみたいと思いました。しかし物語の背景は古代であることに変わりはありませんから、現在の時代の革新気分には逆行するといってもいいかも知れないのです。よほど考えて出さないと失敗してしまうかもしれません。


 さまざまな不安を抱えることになってしまったのでした。


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告知と放談の部屋☆ 放73「角川で書きませんか」 [テレビ]

  

兎に角1983年という年は、いろいろな点で時代の変化に伴って、世の中が何かにつけて落ち着かない時代でした。これまで脚本家として思いきり仕事をしてきましたが、放送界の様子もじょじょに変化してきていていましたが、特にその中でもアニメ―ションという世界は時代の変化に敏感ですから、取り上げられる素材も変化してきています。そんな中で作業をしつづけて行かなくてはならないのですから、果たしてこれまでのような状態で仕事をしつづけられるのかと考えると大変不安が頭をよぎります。とてもこれまで通りという訳にはいかないような気がしてくるのです。そんなことから、そろそろ活字の世界への転身ということも考えておかなくてはならないのではないかと思い始めていたのですが、どうも自分の目指す新しい試みが依頼人の目指している思いとはなかなかぴったりといかない事態になり、新しい時代の流れに沿った作品として自作の企画を認めて貰うためには、かなり時を要するということを考えさせられました。兎に角焦っても不可能であるということを思い知らされたことをきっかけにして、暫くはあまり思いつめてしまわないようにしようと考えて、現在進行中の仕事のことに神経を集中させるようにしました。丁度カナメプロダクションから依頼のあった映画の素材について、どんなことを取りあげようかということで、スタッフが揃って拙宅へ集まった時のことなのですが、私は昨今の新聞を読んでいて一寸気になることが記事になっていると話したことがあったのです。それは若い女性の間で語られていることだそうですが、どうも友人同士、知人同士の間で約束をしたことを簡単に放棄してしまうようなことがあって、不快な思いにさせてしまうということがかなり起こっているというのです。約束事をきちんと守らずに、自分の都合で反故にしてしまうようなことが行なわれるというのです。兎に角友人同士、社会的な関係の人たちを含めて、一旦約束したことを簡単に破ってしまうことが、平気で行なわれるようになっているというのです。私はこの問題を知った時、江戸時代の作家であった上田秋成という人が、戦国時代を背景にして貧しい若い夫婦が生きていく話を書いているのを思い出しました。「雨月物語」という作品です。


                       「雨月物語・上田秋成集」1.jpg 「雨月物語・序」1.jpg 「雨月物語」1.jpg


若い夫は貧しい暮らしから抜け出すために、出世の機会を求めて戦乱の中へ出て行くというのです。勿論妻は反対するのですが、夫はきっと出世して戻るといって家を出て行くのです。妻はあなたが帰るまで、何があっても待っていますと約束して見送るのですが、やがて戦乱の火の手はその村にまで広がってきます。そして・・・それから数年後に出世も叶わずボロボロになった夫がやっと自宅へ戻ってきた時、愛する妻は戦火の中で命を落としてしまったのです。しかしそれでも彼女は、夫と約束した何があってもあなたの帰りを待っていますという約束を果たすために、霊となっても待っていたという話です。


私はそれを下敷きにした話をアニメーション映画にして、若い女性たちに見て貰ったらどうかという話をしました。時代の良くない風潮にも一矢報いることが出来たらいいのではないかという提案をしたのです。これまでかかわってきたアニメーション作品とは、まったく違ったトーンのものに挑んでみたいという気持がありました。若いカナメプロダクションのスタッフも、その試みには大賛成をしてくれたことは間違いがありません。一同の意気が上がったところで、誰からともなく制作に入る前に、物語の世界をハンチングするつもりで、伊豆高原へでも旅行しようということになったのでした。


 兎に角この頃は佐藤、中曽根内閣の政権が長期にわたっていますので、ほとんど第一次オイルショック・第二次オイルショックの影響のために、目まぐるしく変化していかざるを得ませんでしたので、世相にも様々な変化が起こったり、現象が発生したりしていました。パソコン世代・ロリコン・ネクラ・ネアカ・引き締めと抵抗・若者喫茶店離れ・軽薄短小・女性雑誌続々創刊・全国で校内暴力多発・おしん始まる・中流思考・働く主婦半数以上・中高年女性の麻薬汚染・一人暮らし老人100万人突破・小中学でいじめ流行・やらせ・パフォーマンス・ファミコンブーム・新人類時代・反原発運動・プッツン・都心地価高騰・三原山爆発・バブル世代・世界株大暴落・国鉄民営化・花キン・朝シャン・個性重視といった目立った社会現象として飛び出してきていたのです。そうした空気はさまざまな形で映画やテレビ番組に反映させた作品が現れていました。


1970年から1980年代の10年間は、忘れることはできない興味深い時代です。


テレビ・映画・・・「鎌田行進曲」「積み木くずし」「科学要塞マクロス」「陽当たり良好」「徳川家康」「欽ドコ」「金曜日の妻たちへ」「プラレス3四郎」「キャッツアイ」「スクールウオーズ」「宮本武蔵」「真田太平記」「タッチ」「ゲゲゲの鬼太郎」などが次々と発表されていきます。私がテレビへ送り出していったアニメーション作品も、こうした時代の若い人々の心理的な世界を反映させていたことは間違いありません。しかし今回はそれらとも違う狙いで、「ウインダリア」という物語を書いたのでした。


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  混沌とした時の流の中で、映画の準備をしながら私は竹宮恵子さんの「地球テラへ」の映画の公開が発表されるのに合わせて、1980年の12月には朝日ソノラマ社から依頼を受けていたノベライズ作品が発売されていたのをきっかけにして、これまでお付き合いがなかった「少年画報社」のS記者から、その主題歌を歌ったダ・カーポとの対談をして欲しいという申し出があったのです。彼らとはもう大分前からコンサートなどの構成をしたりしていたことがあったので、私は彼らと赤坂の東急ホテルでの対談を行うことにしたりしました。ところがそれが縁となってS記者からは改めて会いたいという依頼を受けることになったのです。丁度その頃彼は、角川書店が制作している手塚治虫原作によるアニメーションの「火の鳥」の制作の話を掲載するために、監督のりんたろう氏にいろいろなことで協力をしているのだというのです。すると彼は話が弾んできたところでそのうちアニメ作品を角川書店で書きませんかというのです。ところが私はその時、


「お話は有難いのですが、私はそろそろ活字の世界を開拓してみたいと考えるようになっているところなんです」


現状の気分を正直に告白したのです。


するとS氏はどんな計算が合ったのか判りませんが、突然話の方向を変えて、


「もしその気があるのであったら、角川で書きませんか」


気安く誘ってきたのでした。 


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告知と放談の部屋☆ 放72 「運・不運に耐える辛抱」 [テレビ]

  お陰様で映像の世界で何とか目立つ存在になってきましたが、その三十数年という年数の間には思いがけないような経験をするようになるものです。つまりある時から、突然こうしたいという思いがまったく受け入れられないということが起こり始めるのです。つまり不運に見舞われてしまうのです。新人のころはそんな状況に見舞われると、顔には出さないものの大変焦ったり、苛立ってしまったりしてしまうのですが、そんな時にはどうもがいても運の悪さは解消できません。兎に角我慢強くさまざまな状況が好転してくるのをじっと待つしかありません。しかしある程度実績も積み、仕事もつづいて順調にこなしてきていると、別にこれといって大きなミスをしたということもなく、これまでと同じように努力をしているというのに、どうして突然目の前の道が塞がってしまっていて勧めなくなってしまうのです。あなただったらこんな時どうしますか。

普通はお酒などを飲んで憂さ晴らしなどをするのでしょうが、私のように酒があまり飲めない質の人にとっては、大変厄介な巡り合わせとしか言いようがありません。とに角こんな時に焦って事を起こしてしまったら、そのために却って行き詰ってしまうということになってしまうものです。


 今回はそんな運気の流が突然停滞していまい始めた時の話なのです。


 前述しましたが、これまでテレビでの作業が順調すぎるくらいのペースで進んできていたのですが、時代もじょじょに変わりつつあり、それにつれて世情の傾向も変化していくようになると、次第に自分を取り巻く環境も変わっていくものです。これまではほとんどこうすれば時代の要求に応えられると提案すれば、依頼してきた人もおおむねその意図するところを理解してくれましたし、一寸疑問に思うようなところもあっても、その企画を拒否したりするようなことはありませんでしたが、ある頃からこちらがかなり考えて作り出した企画であっても、どう企画の意図を力説しても、気持ちよく受け止めて貰えないことが起こり始めてしまうのです。例えば過日お話しましたが、集英社の文庫の企画を依頼された時のように、結局こちらの準備不足もあったのですが、これまでの傾向から離れた世界を扱った作品で勝負をしようと思って、「宇宙皇子(うつのみこ)」の原点になるであろうと思っていた企画を出したのですが、残念ながら受け入れては頂けませんでしたし、結局その頃の安定した読者の好みであったSFファンタジー「銀河創世紀伝」を書くことになってしまいました。時代の変化に先駆けて、挑戦しようと意気込んでいた企画は、そのまま受け入れて貰えずに、結局これまで読者の受け入れ易い傾向の作品を書くことになってしまいましたし、つい最近の話であった某新聞社の連載に関する企画集英社へ出したものよりも内容を精査した「宇宙皇子」の企画を出したのですが、その狙いに関しては先方もかなり乗り気にはなって頂いたのですが、話を進めていくうちに、その連載一年間の週一という連載で52回という回数でまとめなくてはならないという問題にぶつかってしまったのです。これではこちらの考えているスケールの分量はこなしきれません。完全に実現不可能ということです。今回は自分の予定する構想に合わないということになって、連載を諦めざるを得なくなってしまったということです。


時代の変化に伴った新分野の開拓というつもりの挑戦的な試みだったのですが、いずれも目的を果たすことができませんでした。これまでの実績に乗って考え出した企画ではあっても、それがそのまま受け入れて貰えるとは限らないことになってしまうのです。こんな時には本当に残念な気持ちを味わうことになってしまいます。一度ならず、二度も依頼を貰いながら、実現できないまま終わってしまったのです。ひょっとして自分は運がないのかなどと、一寸悲観的になったこともありましたが、それと同時に新たな時代の流れを読むことに、ズレが生じ始めてきていたのかも知れません。特に「宇宙皇子」の原点になる話の時代は古代ということですから、時代の先端を走り始めている空気とは逆行しているのではないかと思ったりもしました。そんな企画を押し出そうとするのですから、拒否反応に出くわしてしまうのももっともなのかもしれません。兎に角これまであまり順調に仕事が進められてきていたということもあって、かなりショックでした。しかし多少前に進もうという気持は削がれていたものの、何とか気持ちを立て直して、もう一度時代の研究をし直して企画を練ってみようという気持になって、しばらくそれは仕舞っておくことにしたのでした。


気持ちを落ち着かせて、これまでの自分の奇跡を振り返ったりもしました。若い時に時代の変化に伴った文化への関心が揺れて、活字文化にこだわるか新たな映像文化への関心を深めていくかと思い悩んだことがありました画、これまでのラジオという電波による表現の場から、テレビという新たな表現の場に興味を惹かれながら、時代の求める変化ということに揺さぶられつづけてきた結果、さまざまな事情を経過して私は映像の世界に活路を求めてテレビの世界へ飛び込んでいきたのです。それでも活字への興味は捨てきれてはいませんでしたので、兎に角暫くは思い当たるようなことがあれば、雑記帳にメモを取っておくというくらいに留めていくようにしていました。


時代はさまざまな世界の流に翻弄されながら、放送界もこれまでのように順調に発展していくとは思えない停滞期になっているようで、どうも昨今は活気を失ってしまっているとしか思えません。それだからこそ挑み出した新企画ですから気持ちとしては、その試みは止めるわけにはいきません。気持ちが落ち着くのを待って、焦らずにその内容について検討し直してみる気持ちになりました。その内容の目指す方向について更なる魅力を付け加える余裕を持てましたし、思いがけないつくものアイデアを付け加えることもできました。どこへ持ち込もうかなどということもまったく考えずに、当面の仕事に集中していったのでした。不思議なことで気持ちの整理ができると、少しでも早く実現しようとする焦りもなくなっていったのでした。ひょっとすると、これは企画のまま現実化できないままで終わるかもしれないと思ったりもしながら、何が企画としての弱点になったのかということについてゆっくり考える余裕も生まれました。


こんな状態で、何かにつけて不運としか言いようのない状況と葛藤しなくてはならないことと向き合わなくてはならないこともあるのですが、そんな時もいつかいい運が巡る時もあるのだからと思って、その時がくるのをじっと我慢して待つことが出来なくてはなりません。それを実証するようなお話はやがて発表できることになるのですが、それはもう一寸お待ちいただかなくてはなりません。兎に角すべてが順調に進んでいた時でも、ある日突然気が付かない内に時代の気まぐれによって、新たに試みようとした企画も無視されることがあるものです。もしその企画をどうしても実現したい時には、焦らずにじっと我慢して時を待ちましょう。時間をかけてその内容をじっくり検討して充実させていきましょう。いつかその内容が活かされる時がやって来るものです。その間の我慢がしきれないとすべてが潰れてしまいます。


 私は二つの体験をしたことで、運気が整わない時の過ごし方を学びました。


自信のある企画でしたら、その企画が間違いないかを検討し直してみる機会を持ちましょう。どうかそれまでは、順調に進んできたのになぜ急に支障が起こり出すのだろうと焦ったり諦めたりしないで、じっと気持ちを抑えて我慢しましょう。いつかあなたの思いが、純粋で熱意に満ちた魅力的な企画であったら、きっといつか取りあげられる機会は巡ってきます。 

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思い出作品の部屋☆ 思5「小説への誘い多し」 [テレビ]

  

「マジンガーZ」「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」「六神合体ゴットマーズ」とヒット作品の執筆がつづくうちに、その頑張りが浸透したということでしょうか、テレビだけでなく雑誌で何か書きませんかという話が増えてきましたが、小説についてもあちこちから執筆依頼があって、さまざまな仕事の合間を縫ってそれらについても考えておかなくてはならなくなっていました。そんなある日のこと、アニメーション雑誌として人気のある「アニメージユ」で、若い人に起こっているさまざまな問題について、どう受け止めるべきかを提言して欲しいという希望が持ち込まれたので、これまでとは違った世界を開拓するつもりで引き受けました。その結果、間もなく「明日にドライブ!」という人生相談記事を連載することになったのです。友達との関係や好きな人との問題などという、如何にも青春時代にありそうな問題についてお答えしているうちに、ある女子高生からの投書があってびっくりしました。極道の世界に身を置く父親を持っている女子高生からの相談で、同じ極道の世界に身を置く弟分と婚約をさせられそうになっているというのです。どうしたらそれを断れるのかという切羽詰まった相談でした。流石にこんな時には、ただ人生経験だけでは、簡単に答えることもできませんから、私は兎に角学校の担任の先生に相談して、問題の解決には校長先生にも協力して貰うことを勧めました。その後特別新たな事態が発生したという連絡もないので、いい方向で解決したのではないかと思いましたが、青春時代にありがちな友人関係、恋愛問題ということだけではない問題が持ち込まれるので、大変難ししい分野の仕事であるということも実感することになりましたが、私としてはテレビでの作業と同じで、どうせ書けるようになるのであれば、物語が書けないかなと思っていました。勿論、こういうことで雑誌に場を持つのが願いではありませんでしたが、かつて朝日ソノラマから頼まれた「さすらいの太陽」の小説が、意識しすぎということもあってなかなか仕上がらずに苦労したことがありますので、物語を伴った原稿に関してはまだ自分から積極的に書かせてもらおうという気持もありませんでした。


しかし高校生であった頃から、一度は小説を書くようになりたいと考えていたこともあったくらいですから、テレビの仕事にある程度の成果を上げた状態になると、ふと小説を書くとしたらどんなものかなという気持になって、時間のある時にはメモ帳などにさまざまな思いつきを書き止めておくようにしていたのです。そのうちに、もし小説を書くようなことが起こったら、こんな話を素材にしてもいいかなと考えるようになったのが、古典の「今昔物語」を読んだことがきっかけでした。いわゆるテレビ化してもいいようなネタ探しという意味もあったのですが、やがて何か小説を書く時の素材のヒントになるものはないだろうかと気楽に読んでいたのですが、それには日本各地で起こる変わった話が集められていましたので、そんな中から役行者という修験者が、大変神秘的な雰囲気を発散させながらきわめてSF的な能力を発揮して、庶民の苦難を克服してしまうようなことを行ったり、時には権力者にあっと驚くような能力を発揮してするのを知って、大変興味深くなっていったことがありました。そんなことがきっかけとなって、彼の身辺についての調査をしてはメモに取っていくようになっていきました。


そしてやがてこれまでにこの役行者という人間を主人公にした作家はいるだろうかと考えて調べてみたのですが、やはりかなり現実とは言い切れないものがあるためか、明治の作家坪内逍遥以外には誰も正面から取り組んだ作品はないということが判ったのです。私はその時から、彼を使いながら、まったく違った物語を書いてみたくなりましたが、私は彼をそのまま書いても面白くならないと判断して、もし物語を書くのであれば、彼を師として仰ぎ、蝶能力者として能力を身に着けようとする少年を設定してみようと思うようになっていました。しかしそれからも映像の作業を進めながらですから、活字の作業に没頭するということにはならずに、テレビの作業を進めていくあいた時間を見つけたり、テレビの作業をしながら気分転換に物語の素材を集めたり、資料の整理をしたりするのにとどまっていたのです。それでもその時その時に書き止めてあったメモがかなり集まってきていました。役行者についての調査が進むのに合わせて、新たに作り出そうという少年についてのイメージ作りも進めていったのです。


そんなことをはじめてから暫くして、ある新聞社から新聞で連載をしてみませんかという申し出がありました。兎に角話を聞いてみようという気持になりましたので、担当の編集者と会うことになりましたが、やって来た編集担当が持ってきたのは新聞一面に連載されている絵物語で、日曜日に特別に企画された絵物語だといいます。一ページにイラストとそこに物語が簡単に書かれているものだったのです。これを毎週日曜日に連載という形でやりたいので、その企画をお願いしたいということでした。つまりその計画で言いますと54週で修了するというものです。しかし絵物語ですから物語を展開するには限度があって、とてもその時考えていた役行者とその弟子と慕う少年との物語を展開することは、絶対に師と弟子の関係やその活動について書いていくことは無理であると判断しました。新聞連載という大変有難い企画ではあったのですが、考えていたスケールをではとても収容できないと判断して、申し出に関しては残念ながら考えていることを執筆することには無理を生ずるということを説明して、お断りすることになってしまったのでした。


ふと思い出すのは集英社からの文庫作品の企画依頼のことでした。あの時もSF作品と同時に、その頃までに集めてあった古典を下敷きにした古代小説・・・つまり「宇宙皇子」の原点となる話を持っていったのですが、結局それは採用にならず「銀河創世紀伝」というSF作品になってしまったのでした。どうやら私が興味を惹かれる古代を舞台にした話は、現代では取り上げられないかも知れないのだなと思ったりしたものです。


思い出すのは高校時代の部活で参加していた頃に、「渦」という高校の同人誌に「地蔵」という短編を発表した時のことです。


                   「高校文芸誌・渦・掲載・地蔵)1.JPG 「高校文芸誌・渦・掲載・地蔵」2.jpg


当時国語の教師をしていた、筆名中島河太郎・・・中島馨先生からが指導していた「将来の芥川作家だ」などと大変な評価をして下さったことが、担任の先生に伝えられたことがあったものですから、私はいつか小説を書きたいと思うようになったのでした。しかしその後放送文化に変化が起こりだします。これまでと違ったテレビという新たな盛会が切り開かれるという動きが始まりました。それでも活字の世界を捨てることはありませんでしたが、新しい放送文化への興味についても無関心という状態にはならないでいたのでした。


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言霊謎解きの部屋☆ 言27「ひとくち言霊」(睨まれる) [テレビ]

                                        「若菜イラスト」.JPG

 「上司に睨まれちゃってね」

「先生に睨まれちゃった」


「親父に睨まれちゃった」


とにかく睨むということが、よく使われます。


あまりいい意味で使われることはありません。


大抵の場合は、こちらにいけないところがあって、それを咎める意味で相手が睨んでくるわけですが、どうもこれは、日本古来からの大変重要な習俗であった、「見る」という効力を発揮させることの延長だと思うのですが、同じ睨むでも大いに歓迎されていた「睨む」があったのをご存じでしょうか。


江戸時代の市民は正月になると、今日は「睨まれて来よう」などと言って、浮き浮きして家を後にしていったというのです。それはそうです。実は歌舞伎見物に出かけて行ったのです。しかもこれは大抵お正月のことだったのです。江戸時代の歌舞伎の人気俳優と言えば市川団十郎ですが、彼は正月の出し物の一つに「睨み」というものがあって、それを必ず演じたのです。


別に芝居ではありませんから、台詞もなければ演技があるわけでもないのです。


彼は観客を上手から下手に向かって睨みつけて行くのです。


市民が嬉しそうに、「団十郎に睨まれてこよう」といって、いそいそと芝居小屋へ出かけて行ったのは、そのことだったのですが、一体、そうされることで、どれだけご利益があるというのでしょうか。


実は団十郎の信仰にあったのです。


代々市川家は成田山新勝寺のお不動様を信仰していたのですが、その威力を受けた彼が睨むことで、病魔も退散させることができるということが広がっていったのです。今でも団十郎は、節分の時の豆まきの時には、必ず招かれていますが、そうした理由によるのです。


まぁ現代のように理屈っぽくない、おおらかで、信仰心の旺盛な時代のことですから、団十郎に睨まれればその年は息災に生活できるという噂が広がって、正月は必ずその「睨み」という出し物があったのです。


つい最近も歌舞伎座において、それは演じられるようですが、それがいわゆる出し物として定着していくと、当時の風俗を知る上でも出し物としても面白いのではないかと思うのですがどうでしょうか。 

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アニメと音楽の部屋☆ ア53「プライムローズ放映前後」 [テレビ]

  

大分前のブログですでにお話しましたが、1983年という年はさまざまな作品が発表された年でした。それはほとんど二年前から準備されてきたもので、それらの発表がたまたま1983年になったということなのです。「宇宙戦艦ヤマトⅢ」の公開につづいて小説「銀河創世紀伝」の一巻目である「聖戦士キリー」二巻目の「シャングリラの星」が発売になったり、つづいてテレビでは「プラレス3四郎」のシリーズが始まると、更に時を置かずに「キャッツアイ」のシリーズが始まると、それにつづいて8月21日には、日本テレビの「愛は地球を救う」の中で「プライムローズ」が放送されることになったのでした。


二年前の1981年では東映動画の「1000年女王」の映画化に向けた打ち合わせを重ねている最中でしたし、東京ムービー(現TMS)の「マーズ」の企画が持ち込まれていたところでしたが、そんな最中に私にとっては大きな出来事がありました。「宇宙戦艦ヤマト」に関係したために、西崎義展氏に協力する者として私は手塚治虫先生の怒りの対象になってしまっていたようで、「新鉄腕アトム」の脚本執筆を日本テレビがメインライターとして執筆の依頼をしてくれたのですが、手塚先生から「西崎に協力する者には書いてもらいたくありません」ということで、かかわることを拒否されてしまったのです。番組に関係するさまざまな関係者は、何とか先生を説得しようと努めたのですが、先生の姿勢はまったく変わりません。それからも多くの人々が私の番組への執筆が可能になるようにと、時間をかけて努力して下さったお陰で、ついにその年の5月1日に先生との関係を修復する機会を作って下さったのでした。


高田馬場のレストランでの会食をしながら話し合うということになったのです。


ようやく先生と対面を果たしたのですが、兎に角私はどんな思いで青少年に向けたテレビの番組作りをしてきたのかという、作家としての姿勢についてお話しましたし、西崎氏の経歴についてはまったく知らずに付き合ってきたので、彼の生き方について同調するものでもないということを説明して、虫プロ倒産ということについてもまったく知らずに、番組制作に協力していたのだということを説明して、最近の彼の人間性に疑問を持つようになったこともあって、すでに次の「ヤマトⅢ」の作業からは退いてしまっているということを真摯に説明いたしました。それで私の誠意が何とか先生に通じたのでしょうか、二時間余りの対話と食事の間に、先生のわだかまりも氷解して下さったようです。手塚先生は最後に、「今度私と一緒に仕事をして下さい」と優しい言葉をかけて下さって、その日の劇的な対面を終えてまた仕事場へ戻られたのでした。それをきっかけにして、今度は直ぐに「新鉄腕アトム」を書いて貰うという話になったのですが、ほとんど一年間は手塚先生の誤解が解けなくて執筆不可能な状態であったために、すべてが解決した時には、すでに番組の制作は終了間近に差しかかっていたのです。それでも一本だけは書くことができましたが、私の最初で最後の作品となった台本はついに私の手元には保存されていません。兎に角「新鉄腕アトム」という番組はその年の12月23日に終了してしまうのでした。それにしても私をかばいつづけて下さった皆様には、感謝のしようもありませんでした。


それから間もなく手塚治虫先生の「プライムローズ」は、秋田書店の「週刊少年チャンピオン」に連載が始まりました。そしてその年は「ゴットマーズ」の仕事に集中していることになったのですが、ようやく一本書いただけの「新鉄腕アトム」は、翌年の1982年の12月までつづいた番組は、ついにそれで修了することになってしまったのでした。その後からはすでに書きましたが、小説「ゴットマーズ十七歳の伝説」の執筆にかかり、その映像化の作業にかかったのです。しかしその間に「プライムローズ」の連載も進んでいて1983年6月30日で完結すると、手塚先生からこの作品を脚本化して下さいという話があって、直ちにその原作はこれまでの連載原稿がまとめて届けて下さいました。


私の純粋な気持ちを理解して下さった手塚先生が、和解の席で「今度は私と一緒に仕事をしましょう」といって下さった答えは、日本テレビのイベントである「愛は地球を救う」の中で放送されることを予定して書かれていた連載作品であったのです。


完結と同時に早速その映像化の準備となって、早速脚本にまとめて提出しましたが、決定稿は手塚先生の自宅でということになりました。


   「プライムローズ連載・第一回」1.jpg 「プライムローズ・胆原兄弟奮闘」1.jpg 「プライムローズ連載・第一部終了」1.jpg


原稿を持って自宅へ伺ったのですが、和室で原稿をチェックして頂きましたが、緊張して見つめている私に、先生は「ご苦労さまでした」と仰って、作業としてはそれで修了ということになったのですが、先生は原稿を持って立ち上がると、「藤川さん。一寸待っていて下さい」そういい残して奥の部屋へ入っていかれたのでした。


引き留められた意味が分からずに待っていたのですが、ようやくあることを思い出しました。先生と和解の話が行菜われた時に、プロダクションの社長のM氏に先生のサインを記念に頂きたいとお願いしてあったことを思い出しました。


数分後に色紙を持って戻ってこられた先生は、


「色を付けていなくてごめんなさい」


とおっしゃりながらプレゼントして下さったのがこの色紙でした。


先日お願いしてあったことを、忘れてはいなかったのです。


               「手塚治虫氏」1.jpg


           「プライムローズ」(前編)1.jpg 「プライムローズ」(後編)1.jpg


その後は監督の出崎哲氏を中心としたスタッフの作業にお任せして、8月21日の「アイワ地球を救う」で「プライムローズ」は無事に放送を終えたのでした。


 


 私にとっては直接関係のないことではあったのですが、手塚治虫先生と西崎義展氏の間に起こったさまざまな問題が飛び火して、「宇宙戦艦ヤマト」に関係したために手塚先生の怒りが飛び火して大変な迷惑を被ってしまったのですが、兎に角すべて私に関しての誤解は解けたのですが、これで手塚治虫先生との縁は切れてしまうことになるかも知れないと思っていたのですが、それから一年後には感動の再開がありました。それはまたその時がきたらお話しようと思います。


 


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告知と放談の部屋☆ 放71放71 「女性重視時代」 [テレビ]

  

時代の進化によって人の暮らしの様子が変わっていくに従って、その人たちの感性も価値観も変わっていきます。ライフスタイルも変化していきます。かつてはそれが大事だと思っていたことも、むしろそういった感性は否定的になってしまうこともあります。じっくりと考えてから動く者はネグラなどといわれて差別されてしまうような時代です。遠慮がちであった自己表現も、パフォーマンスといわれるようになって気軽になっていきました。


「キャッツアイ」は正にそんな時代に登場してきたのですが、これまで絶対と思われてきたものが、思いがけないことで覆ったりもしてしまいます。そんなことが若い女性の三人組にしてやられてしまうのです。時代は価値観の変化を象徴していきます。そしてそれと同時に、社会での女性の立場がこれまでと大きく変わっていきました。溌溂として動いて、これまで絶対と思われてきたものの重量感が、あっさりと彼女たちの軽快な活動で覆されていく爽快感に拍手が起こります。「キャッツアイ」という女性だけの主人公が活躍するアニメーションに注目が集まるということは、時代の象徴的な現象です。


 そんな三姉妹を演じて下さるのが、眸・戸田恵子・愛・坂本千夏・泪・藤田叔子さんという声優さんたちでした。通常は彼女たちが熱演するダビングの場には、原稿執筆に追われているために出かけられないのですが、そんな私のために、番組の進行中に彼女


たちのサインの寄せ書きをプロデウサーに託して贈って下さったのでした。今では実にいい思い出の記録になりました。


                                           「キャッツアイ」(声優サイン)1.jpg


 (眸・戸田恵子・愛・坂本千夏・泪・藤田叔子)


  あまりせっせと書く状態にはならなくなりましたが、文芸担当のI氏からは、たびたび電話があっていい脚本家がいたら、是非紹介して欲しいという依頼がありましたが、番組センスに合うと思われる人はついに最後まで紹介することができませんでした。それにしても「キャッツアイ」という女性だけの主人公が活躍するアニメーションに注目が集まるということは、時代の象徴的な現象です。お陰様で番組は終了後にも、全話の入ったVDVが発売になりました。一寸窮屈なお話になってしまいましたが、どうしてもそうしたことをお話しておくべき時代が訪れてきたのです。


 


 あまりせっせと書く状態にはならなくなりましたが、文芸担当のI氏からは、たびたび電話があっていい脚本家がいたら、是非紹介して欲しいという依頼がありましたが、番組センスに合うと思われる人はついに最後まで紹介することができませんでした。それにしても「キャッツアイ」という女性だけの主人公が活躍するアニメーションに注目が集まるということは、時代の象徴的な現象です。お陰様で番組は終了後にも、全話の入ったVDVが発売になりました。一寸窮屈なお話になってしまいましたが、どうしてもそうしたことをお話しておくべき時代が訪れてきたのです。


                   「キャッツアイ・1」1.jpg 「キャッツアイ・1から5」1.jpg 「キャッツアイ・2」1.jpg 「キャッツアイ・6から9」1.jpg


  


時代の推移を見つめながら、多少「キャッツアイ」から解放された私は、「プラレス3四郎」という番組で親しくなった「カナメプロダクション」の社長からある相談を受けていたのです。


 つまり番組が終了すると、作画監督を務めていた(いのまたむつみ)さんが、アニメーションの世界から身を退いて洋画の勉強をしたいということを言い出しているというのです。社長はそれを引き留めようとして奔走していたようなのですが、そんなところへ助け舟として登場したのが、アニメーションのグッズを制作販売していた「・・・・」の社長であったO氏でした。彼はカナメプロに資金援助をするので、映画を作らないかという提案をされたというのです。カナメプロの社長がやってきたのは、その映画の原作を書いて貰えないかという依頼のためであったのです。


 いのまたむつみさんの作業を見届けているうちに、ここでいきなり辞めてしまうというのはよほどの決心です。折角のチャンスとして活かしもしないで止めてしまうというつもりになってしまったのは、よほどのことがあったに違いありません。


社長の説明によると,あまりにも若い年齢で作画監督などという重責を果たすことになったことに対する羨望が非難に変わったのでしょう。大分心の負担になるようなことが言われるようになって、かなりそれが心の負担になってしまっていたようでした。


 折角の逸材につまらない決心をさせてしまうということは、プロダクションにとっても損失になってしまいます。自社で作る映画で思う存分力を発揮させてやりたいという願があって、その原作を頼みたいということになったのでした。


 幸いなことにプロダクションにはグッズを制作販売している社長のO氏が、そのバックアップをすると申し出て来たということでした。


 そんなこともあって、丁度時代の転換期であると考えていた私は、これからどういう方向へ向かって行ったらいいのかと真剣に考えるようになっていったのです。その結果


私は、カナメプロからの依頼を受けて映画の原作脚本を書くという、新たな試みに立ち向かってみようという目標を立てたのでした。


 女性が大変尊重されるようになったこともあって、かなり自由奔放にふるまう女性が多くなっていたことがあって、それが日常の中で思いがけない性癖となって現れ、新聞などで取り上げられるようになっていたことがありました。つまり交際している友人との約束を平気で守らないいいということをしてしまう女性が出てきているというのです。


 私はその時、ふとある古典を思い出していたのです。


                       「雨月物語・上田秋成集」1.jpg 「雨月物語・序」1.jpg 「雨月物語」1.jpg


  


江戸時代の作家上田秋成の「雨月物語」という作品でした。


 戦国時代を生きるある夫婦ですが、金もうけを企んだ夫は戦乱の巷へ飛び込んでいくのですが、その時妻はどんなことがあってもあなたが帰ってくるのを待っていますと約束するのです。やがて何年かして、金持ちになっても戻るといって家を出て行った男は、思い叶わずに夢に破れてボロボロになって帰ってくるのですが、妻もその境遇は大きく変わってしまうのですが、それでも夫との「約束」を守って、昔の家で待っていたという話でした。約束を守らない女性が横行する現代女性に問題提起をしたくなったのです。わたしは「約束」ということをテーマにして映画のための原作を書いてみようと決心したのでした。


その話はその時にお話しようと思います。


時代が女性に焦点を合わせてきた時代ということで、拙著の「ウインダリヤ」の誕生のきっかけまで触れることになってしまいました。


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アニメと音楽の部屋☆ ア52「キャッツアイと女性」 [テレビ]

 

実に1983年という時はアニメ界にかなりの変化が表れてきた時代であったように思えます。これまで放送で取り上げられてきた作品のほとんどは、男性が中心になって活躍する作品でしたし、そういった作品の映像化ということではその脚本を担当する者もほとんど男性でした。しかし今回取り上げられた作品の原作は、北条司という男性であるものの活躍するのは眸・愛・泪という女性三人姉妹による怪盗物語です。


 これまではあくまでも男性のヒーローを支えるか、引き立てる役割を果すか、ヒーローが憧れる存在として描かれてきた女性でしたが、時代の価値観が変化していく中で、その存在感に変化が表れてきていました。


新しく社会で注目される存在になり始めていた女性を、無視することはできなくなってきていて、社会での女性を見る目が大分変わってきています。時代は次第にその存在感を無視できない存在になりつつあったのです。時代の変化には敏感であったテレビでは、早速1978年6月には大和和紀原作による「ハイカラさんが通る」という作品を登場させました。しかしまだそれは社会の現象としてはそれほど目立った現象にはなっていなかったこともあったことから、話題にはなりましたが一気に視聴者の注目を浴びる作品にはなりませんでした。新しいものには少しでも早く飛びつく放送界ですが、まだ社会現象になるほどの反応はなかったのです。矢張り変革の始まりという時代であったのかも知れません。それから三年後のことです。もうこの頃になると、世相はかなり前とは違ってきていて、ライフスタイルもどこかに和風を抑えて洋風が中心になってきていたこともあって、新しいもの好きなテレビのアニメーション番組には、「キャッツアイ」という女性が主役になった怪盗の物語が登場してきました。つまり数年前から時代はさまざまなことで変革が進められてくる中で、社会のリーダーも男性を押し分けるようにして飛び出して来る女性もいましたが、市民活動家であった市川房江さんなどが衆院議員に当選したりしてきたのです。


 前述の1978年代の「ハイカさんが通る」では、主人公は女性ではあるものの明治時代から大正時代に転換していく中での、時代の先端をいこうとする女性を中心にした話でしたが、男性の支配に対して精一杯抵抗して新しい時代の呼吸を発揮していこうとする姿を描き出していったのですが、時代の進化の速度は時と共にその変革の速度を早めてきていて、それから数年後の「キャッツアイ」では完全に女性の姉妹が中心となって、いうなればこれまでの男性社会に対して挑戦していくような・・・いわばこれまででは絶対に女性がやらないような、社会に対する挑戦をやってのける話です。


同じ東京ムービーでは、かつて「エースを狙え!」という女性を主人公にしたスポーツアニメーション番組がありましたが、主人公である岡ひろみという新人プレーヤーと、先輩の竜崎麗香・・・通称お蝶夫人という異称を持つ女性プレーヤーを話の中心に置いた作品でしたが、まだこの頃では、彼女たちの葛藤を描きながら、実は彼女たちにからんだ高校のテニス部に存在する、宗方仁という憧れのコーチが存在していたり、藤堂貴之という同じ部員で女性部員の憧れる期待の選手が設定されていて、一見女性を主役にしながら実はそれぞれに宗方と藤堂という男性が、二人の心理的な面で微妙に関係しているという青春時代の物語として組み立てられていました。次第に女性が進出してくる時代の作品ではあるのですが、まだ新たな時代への過渡期に登場した作品といった方がいいかも知れません。女性は完全に自立した存在とはなっていなくて、常に彼女たちの背後には宗方仁、藤堂貴之という男性の存在がいて支えられているという状態でした。ところが今回登場した「キャッツアイ」は、更に時代の進展によって、女性の社会進出が進んできていた時代を象徴している作品のように思えます。女性だけの三人姉妹によって繰り広げられる怪盗のものがたりです。幸いにも時代の変化が激しくなってきていたのですが、これまでの実績もあったことから東京ムービーは仕事を依頼してくれました。しかし今回だけは、ちょっと気持ちではためらうものがありました。自信を持ってシリーズを引っ張っていけるという覚悟が持てなかったのです。感性というものについては大変敏感であった私は、これまで数々のヒット作品にかかわってきた自信を持っていましたが、時代の進化の様子を敏感に感じてきていた私は、刻々と変化してきている感性や価値観というものについて、それをどのくらいうまく表現していけるだろうかということに、かなり不安を感じていたのです。番組のメインという立場でかかわるとしたら、やはりかなり責任を感じるものです。何とかヒット作品にしていかなくてはなりません。果たして時代の空気を掴まえて作品の中でそれを発揮させることができるのだろうかと考えると、一寸不安でもあったのです。既に今回の文芸担当となったI氏は、私を中心に置きながらKという若手女性脚本家を控えに配置してきたのです。作品を考えた結果ですが、昔だったらまだ番組のスタートに当って起用されることはなかったと思われる若い作家をメンバーの中心に入れてきたのです。I氏はそれから間もなく、若手女性脚本家と親しくしている中堅の男性脚本家T氏を配してきましたので、なかなかうまい発注の仕方をしたものだと思いました。


                    「キャツアイ」1.jpg


取り敢えず直ちにスタート台本は書き終えましたが、私を取り巻く環境は確かにこれまでのシリーズを書く時とは大分様子が違ってきています。文芸の責任者となったI氏は、私をホローするための準備を整え始めているのです。


原作をチェックしているうちに、男の感性であったら無視してもっと大胆に目標につき進んでいくだろうと思われるところでも、女性はいかにも女性らしい感性と繊細さを発揮しながら盗みに入るという能力を発揮していかなくてはなりませんし、その戦略についても女婿同士の感性というものがぶつかったり、判断があったり、危機突破のアイデアを発揮しなくてはなりません。私はスタート台本を書きながら、新たな文芸担当のI氏には、これは女性脚本家に任せた方がいいのではないかと率直に申し出ておきました。案の定それから間もなくI氏は、若手女性脚本家が最近結婚した男性脚本家のT氏を配してきました。なかなかうまい発注の仕方をしたものだと思いました。


 こんな経緯があって、私はその後に数本の作品は書きましたが、あまり深入りはせずに、時代の感性というものを上手く取り入れて書ける脚本家を選んでくれるように再度依頼して、じょじょに番組からは遠ざかるようにしていたのでした。


 こういう時代の変わり目はすでに経験してきましたが、時代の空気を読み取るということの重要性を学んできていましたから、決して戸惑って狼狽することはありませんでした。新たに起こってくると思われるこれまでとは違った時代の特性というものは、しっかりと考えておくべきだと思っていました。


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告知と放談の部屋☆ 告9「Blog domain変更のお知らせです」 [テレビ]

                                                      「素材・原稿執筆中」1.jpg 

  これまでブログをご覧頂いてきましたが、2021年2月1日から、ブログがso-net

本体から離れて、「SSブログ」として独立したところで管理されるようになりました。


一応so-netから離れましたが、同じso-netで変わりはありませんので、今後は検索で「SSブログ」と打ち込んで頂けば、同じように開くと思います。


ただこれからお話がテレビから活字の世界のお話になることが多くなると思いますので、ジャンルを「テレビ」から「文化教養」に変更するかも知れませんので、あらかじめお知らせをしておきたいと思います。


突然ですがあれこれお知らせをしておくことにいたしました。


これからもよろしくお願いいたします。


 


                                藤川桂介



  

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アニメと音楽の部 ア51「脚本家とコミック作家の関係」 [テレビ]

 

 時代の変化に伴った困難な問題が次々と持ち込まれる時に動画部長として動かなくてはなりませんでしたが、私は後輩の脚本家たちと会議を開いて、同じ悩みを抱える同志たちの生活を守るために、それぞれの立場に理解しながら協会の基本的な規約を守って貰う努力をしていくように働きかけていきました。幸い部会の会議に参加してくれる脚本家は、ベテラン、新人を問わずに、寺島あき子理事と私のやり抜こうとしている訴えに共感して、協力を約束してくれてさまざまな団体との協議について理解してくれました。そうした気分の盛り上がりを無視できないと思って、わたしは会議を終えた後には必ず協会近くの六本木の喫茶店へ移動して現在のそれぞれの環境について気さくに話してもらうように努めました。脚本家たちにたまっている不満のガス抜きをしようと心掛けていました。当時は私も多少稼げる作家になっていましたので、その日の費用はすべて自費で賄っていました。少しでも後輩のために負担を掛けずに貢献したいという思いからでした。しかし私自身の仕事の激務もありましたが、初代の部長を務めてくれた辻真先氏のように、かなり激しい時代の変化を長期間務めることは無理だと考えて、私が動画へ飛び込むきっかけとなった時から星山博之氏と共にいろいろと業界の知識を注入してくれた鈴木良武氏に、次の部長を託して交替いたしました。

それからもますますアニメーション脚本家の生活の周辺には、これまでとは違った立場の変化が訪れてきていました。その大きな問題は、脚本家とコミック作家の立場に大きな変化が起こって来ていたということです。テレビ番組のアニメーション番組が視聴者に喜ばれて、放送界でも無視できない人気を得るようになってくると、それまでアニメーション番組の進行に関して、かなり脚本家の立場が優遇される時代があったのですが、その立場に変化が起こり始めてきていたのです。既に何度か書いたように思うのですが、動画と呼ばれていた頃からアニメーションという現代的な表記で呼ばれるようになったこの頃ともなると、漫画家もコミック作家と呼ばれるようになってきていて、その立場を強いものにしてきていました。時代の進化というものは恐ろしいもので、それまでは紙の文化かラジオによる電波の文化しか存在しなかった世界に、テレビという分野が加わってきたことでそれまで紙の文化として存在するしかなかった漫画の世界は、テレビという映像文化を支える中心素材として存在するようになってきていたのです。

 当然ですがさまざまな分野からアニメーション番組の原作となるコミックが創作されるようになると、自然に業界における立場も強くなっていきます。そしてかつての動画界ではあまり存在感のなかった脚本家が、影像の世界ではやっと漫画家よりも優位な立場でいられるようになってきていたのも束の間で、時代が進むに従って再びテレビという新しい文化の発展で、コミック作家が原作者としての立場を強固にしていくようになっていきました。今ではコミック作家も自分の書いた作品を、勝手に脚本家にいじられたくないという気持があって、かなり厳しい姿勢でいることが多くなっていると聞いています。こうなってくると業界としては脚本家にばかり気を使ってばかりはいられなくなります。読者の激増によって原作者はもちろんのこと、そうしたコミック作家の作品を利用して商売をするさまざまな業種が増えていきます。そうなればアニメーション業界も、その気遣いは脚本家よりもコミック作家の方に傾いていってしまいます。脚本家の動画部会が原稿料のアップを訴えても、なかなか叶えられなくなってしまいます。動画部長はそのためにかなり努力しなくてなりませんが、先方の訴えもこれまでと同じで、兎に角番組の制作費が限られているので、脚本家だけに料金のアップはできないという返答が繰り返されてしまいます。つい最近協会から送られてきた作家の基本料金を見ても、当時とそれほど変わっていない状態を知りました。

私が動画部長を退く頃も放送界にも色々と変化が激しく起こってきていましたが、今はコロナ騒ぎに翻弄されてしまっています。アニメーションというサブカルチャーの浸透に従って、これまで文芸作品がテレビ化されることが多かったドラマ番組に、コミックの原作を使った作品が次々と制作されるようになってきましたが、アニメーションがさまざまな世界での中心的な存在になっていくのに従って、放送界では文芸作品には背を向けてコミックを原作とした作品を探して映像化することが多くなってきています。

こんな状態になってくると、それに伴って起こってくるのは印税ということでは原作者の権利主張が強くなっていきます。テレビ化されたアニメーション作品が商品として発売されるようになると、そこに新たな印税が派生しますが、これまでのように脚本家が権利として自然に受け取るということについてもかなり影響が出てきます。社会全般に経済が衰退したりするようなことが起こると、たちまち新人脚本家などに印税を放棄してくれれば仕事を発注するなどということで迫ってくる事業者も現れてきたりするようです。つまり制作会社もそれまで予算を出してくれていた放送局が、グッズなどの制作販売を独自にはじめて独占してしまって、制作会社が印税を見込んで番組を制作するようなことができなくなってしまうようになってきてしまったのです。脚本家もしっかりと実力を貯えておかないと業界では通用しなくなってします。

兎に角現在はコミック作家の絶頂期という時代がやって来ました。脚本家優位という時代はあっという間に過ぎ去ってしまいました。脚本家も原作者としての立場を尊重して、その原作を如何に活かしきりながら、独自の能力を発揮できるかを工夫しなくてはなりません。精一杯原作の魅力をよりよく発揮して、その作品の魅力を更に高揚できるように心がけたり、仮に弱点が感じられた時などはそれを排除できる工夫についての話し合いを排除してはいけません。私の親しい脚本家は、あるベテラン作家の作品の弱点を取り上げてそれを強引に自分流に変えてしまおうとしたために、原作者の怒りをかってしまって、結局番組から降ろされてしまいました。あまり馬鹿正直すぎて原作の欠陥を取り上げて、了解を得ないまま自己流で変えようとしたためです。兎に角原作者が魅力のポイントだというところがあったら、それを徹底的に生かしながら、弱点があったらそれについての話し合いをして了解を得乍ら改良の方法を工夫していかなくてはなりません。時代が変化していくうちに、人々の思考も変化していきますし、感性に関しても変化していきます。そのために原作を書く人も世代交代して時代を引っ張っていく人が変わっていきましたし、影像で力を発揮してきた脚本家にも世代交代だけでない時代の感性を発揮できなくてはなりません。お互いに能力を発揮し合って、素晴らしい作品が生まれてくるようにしたいものです。

現代の動画部長は、これまで以上にいろいろ考えなくてはならないだろうなと思って、ただただ激励するばかりです。

いよいよ時代の進化によって、ライフスタイルにも変化をもたらすようになってきたようです。これまでの意識改革もしなくてはなりません。「プラレス3四郎」はそのきっかけでしたが、つづいて変化の波は次第に高まっていきました。コミック作家と脚本家との関係についても、かなり工夫が必要な時代になってきたように思います。


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アニメと音楽の部屋☆ ア50「放作恊動画部長となる」 [テレビ]

 

私がドラマの世界から誘われて動画界へ飛び込むきっかけとなったのは、前にも書きましたが、「ムーミン」というデンマークの作家トーベヤンソンの書いた、童話のアニメーション化の企画が行なわれた頃のことでした。その時にはじめて動画脚本を書く私のところへやって来てくれたのが、虫プロダクションという漫画家の手塚治虫氏が作った動画制作をする会社で、脚本家を目指していた若手の作家であるS氏とH氏でした。

試し書きということで、「アンデルセン物語」の中にある「親指姫」の脚本を書いて下さいという依頼をしに来られたのです。しかしその話の中で、彼らから当時の動画界の様子を率直に聞かされたのです。まだとてもアニメーションなどというハイカラな名称は存在しないない時代のことです。彼らの話をまとめれば、率直にいうと脚本家という名の者が如何に評価の低い存在に置かれているということでした。兎に角長いこと漫画という紙文化の世界であった頃のことですから、動画の世界では紙の世界で存在する漫画家が中心で、ストーリーをまとめるのもそれを漫画として描くのも漫画家ですから、動画という映像として動く世界の作品とする場合も、兎に角彼らが中心で、その次の権力者といえば所謂演出家かその絵を動くようにするアニメーターが中心ということになります。まだこの時代では脚本家という立場の人の存在感はほとんどありません。お話の整理をするくらいが仕事であったのでしょう。そんなところへドラマの世界から動画の世界へ飛び込んでいったのが私でした。その時若手の脚本化を目指すS氏・H氏と出会って、その頃の位置づけについて実情を知らされた私は、兎に角脚本家という位置づけを高めたいと思うようになりました。「さすらいの太陽」という作品で原作者としての立場になることができた私は、じょじょに脚本家の位置づけを注目させていけるようになったと思っているのですが、1980年から2000年代へ差しかかると、所謂旧世代の生活風習の変化が進み始めると、脚本家にも変化が現れていったように思いました。紙の文化からテレビという電波に乗った世界が注目されるようになると、「マジンガーZ」「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」「六神合体ゴットマーズ」「機動戦士ガンダム」というSFアクション番組が、人気を得て注目を浴びるようになり、それを進行するスタッフでも脚本家という立場の者の力は無視できない存在になっていきました。幸いにも脚本家の位置づけを向上させたいと思って努力してきた私は、それらのほとんどの作品のメインライターとして思う存分力を発揮して、脚本家としての存在感を認めて頂いたように思います。

所謂コミック作家たちからもかなり信頼されて、番組の進行を任されて下さるようになったのですが、そんなことのためにかなり脚本家としての立場も変化していったのですが、その間に時代の流もかなり激しく変わりつつありました。そんな中で特に目立ったことといえば、これまで生活の基本であった活字文化から映像文化の時代に変わっていく時代ですから、何かにつけて活字によって表現するよりも、絵画的な形で表現されることが進められてきましたし、そのために日常生活にもかなりこれまでとは違った習慣が生まれてきていました。当然ですがそれを歓迎する人と、戸惑いする人が入り混じっていったのです。

漫画といわれる世界もコミックという表記になっていきましたし、遊びについての世界でもコンピュウターゲームが盛んに開発されていった時代です。動画の脚本を書いてきた脚本家にも、かなり変化が現れてきていました。

そんな頃に放送作家協会の寺島あき子理事から、動画部会の部長になって欲しいという依頼がありました。かなり増えてきている脚本家をまとめて、その権利と暮らしを守るために外部の諸機関との接触をして欲しいということです。これまでは協会の発足以来部長として責任を果たしてこられたT氏の後任として勤めることになったのですが、すべてが順調で上昇機運に乗っていったという前の時代のようなわけにはいきません。私が動画部長に指名された時には新しい問題が次々と起こってきていたのです。つまり日常生活のほとんどのことが、文章によって表記されてきた生活の基本的なものが、絵画的なものに変えられていくので、知識の吸収が不得意な人や高齢の方々などは、戸惑いを感じていたかもしれません。しかし1700年代から1800年代に差し掛かってくると、否応なく時代の変化の波が押し寄せてきましたから、見ただけで何が伝えたいのかということが、簡単に理解できるという簡易さのお陰で、人はそれぞれパフォーマンスによって自己表現するようにもなってきたのです。そんなことからこれまで活字文化の勢いに圧されていた、サブカルチャーとしてあまり評価されていなかった動画の文化も、注目の基になって来ていたのです。これまでは活字文化の勢いに乗ってそれらを原作にした映像作品が制作されるのが一般的であった映像の世界も、一気に注目される作品はコミックを利用して映像化するという潮流になってきていたのです。文芸的な作品もいいのですが、その窮屈さから解放されてコミックによる表現の気安さに楽しみを覚えるようになってきていたのでしょう。つまりサブカルチャーの時代ともてはやされるようになっていったのです。子供が漫画家になりたいといって、親を困らせることが多くなってきました。それを思いとどまらせて欲しいという、親からの説得依頼が次々飛び込んできたものです。兎に角すべての表現や意思の伝達の方法が、文字によるよりも影像的な表現によるものに変化しつつあるようになっていった時代に起こった相談事でした。

私はこれまでの文字による文化が支配する時代に青少年時代を過ごしてきていたということもあって、その生活の仕方についても理解できましたが、影像中心という新しい時代の生活の仕方につても充分に理解はできました。私はそんな中で、所属する日本放送作家協会の動画部会の長に就任したのです。

 脚本家の集団とはいっても、それぞれがそれぞれの生き方に基づいて生きているので、その人達をまとめていくということは至難だと思いましたが、幸いなことに後輩作家たちが協力すると集まってくれたこともありましたので、兎に角脚本家として決めたことはしっかりと守りながら、少しでも生活の安定につながる問題について努力してみようという決心をしました。当時の問題では、脚本家の原稿料を少しでもアップして貰えるようにしてもらうために、動画の制作をする会社の代表と交渉をしなくてはならないという大きな問題と、作品が商品化された場合の印税がきちんと支払われるようにして貰えるようにすることでしたが、時の変化によって放送局からアニメーションの制作会社に対する制作費がかなり引き締められているという状態であるために、新人作家などにはその印税が払わないことを条件にして仕事を発注する会社もあるというのです。少なくともそういった厳しい条件が出されないようにという要求をしなくてはなりませんが、そのためには脚本家自身が自分の姿勢をよほどしっかりとして貰わなくてはなりません。しかしまだ生活が安定しない新人脚本家に、協会の姿勢である権利の主張という問題を納得して貰うという作業は大変なことでした。中には制作会社から印税を要求するならば、仕事を出さないと圧力を掛けられてそのまま先方の言いなりにして作業をする者もあり、協会としての姿勢を徹底して貰うために腐心したこともありました。

 しかし脚本家にとっての問題は、こういったことの他にも大きな問題が生まれてきていたのです。それは次回にお話することにいたします。


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告知と放談の部屋☆ 放70「サインした子が今は・・・」 [テレビ]

 

 番組は1983年6月5日から1984年2月26日まで放送されましたが、兎に角はじめてお付き合いする「カナメプロダクション」という新興の制作会社のスタッフは、みな若くてやる気満々の清新な集団です。それだけに業界の中ではかなり注目されて、DVDも発売されましたし、番組の進行に従ってさまざまなレコードも発売になったりしましたが、そんな番組制作中のある日のこと、原作者の牛次郎さんから私にお願いがあるとプロデュウサーから連絡がありました。ご子息の「宇宙戦艦ヤマト」への熱愛に応えるために、是非、サインを書いてやって欲しいという依頼でした。かつて「宇宙戦艦ヤマト」を執筆中に、虫プロのベテランアーテイストであったT氏から、そのご子息のためにサインをして頂きたいという依頼を受けたことはありましたが、あれから大分時を経過していた話ではありましたが、番組の原作者からの依頼ですから嫌というはずはありません。私は早速次のような色紙を書いて贈りました。

 

果てしない

宇宙

ドラマチックな

ロマンの海

 

「宇宙戦艦ヤマト」については、そのファンの依頼があった時は、必ず同じ思いを書いて差し上げることにしていましたので、きっとこういうことを書いたはずです。恐らくあの頃幼稚園であったか小学校低学年であったご子息は、今ではきっと五十代後半になっていらっしゃるのではないでしょうか。しかし先年かかわりのあるフェイスブックで、その色紙を今でも大事に保存しているという文面と一緒に色紙の写真と共に投稿された方がありました。何十年もしてサインをしたものと依頼をしたものが、ウェブで多面するなどという、実に珍しい出来事があったのです。あまりの奇遇だったので、バーチャル世界の脅威を感じたり感動したりしたことがありました。お父さんはその後仏門へ入られたことはマスコミの報道で知りましたが、そのご子息が成長して、どういう経過をたどってアニメーションという世界へ入って来られたのかまったく知りませんでしたが、Sという名でフェイスブックへ投稿してきた文面から、大雑把に彼のかかわっている世界がアニメーションであったということを知ったのです。それにしても同じフェイスブックというSNSで対面を果たすという、奇遇な出会いを実現してしまったのです。

「あの時の子が、今は・・・」

そんな思いで時の隔たった時代での再会に感動してしまったのですが、彼は今でもその色紙を大事に保存してくださっていること知って、大変嬉しくなったものです。

間違いなく私の書いた色紙です。

あれから五十年以上も経過して、サインをした者とサインを贈られた者が出会えるという、実に現代的なウェブ空間での対面というお話です。しかし兎に角変化する時代と戦いながら大変活躍していらっしゃるのを知って、改めてかなり時の経過があった上での再会に特別な感動を味わいながら、兎に角Sという彼の筆名だけは忘れずに記憶に留めていようと思ったところでした。いつまでも現役で頑張って欲しいと思っています。

 この話を思い出すたびに、きっと思い出す人がもう一人いらっしゃるのです。

 この方もフェイ氏ブックというウェブ空間で、長い時のへだたりを経過した上での再会を果たしたI氏です。彼とはじめてお会いしたのは、わたしが円谷プロダクションで「ウルトラマン」の脚本を執筆して入る時のこととでしたが、大学で同じ放送研究会で出会った先輩の女性から、幼稚園に通っているお子さんがウルトラマンのファンであるというので、一度撮影を見せて欲しいというお願いをされたのですが、丁度その時私は「ウルトラマン」という番組を執筆中で、円谷一監督の作品の「ミイラの叫び」という特撮の撮影があるというので、東宝のプールのある特撮用の撮影所へご案内をさせて頂いたことがあったのです。科特隊の戦闘機が発進したり、怪獣ドドンゴが現われるシーンの撮影を見て貰ったことがありました。その時にお母さんに連れられて来た幼稚園児が、50数年後にまたフェイスブックで再会を果たすことになったのです。I氏は今や空手道場の館長として多くの弟子を率いる指導者になって活躍していらっしゃるのを知りました。

 お二人とは「プラレス3四郎」「ウルトラマン」という二つの番組にかかわったお陰で、予想もしない再会をすることができたわけで、まさに現代の科学が生み出した奇跡であったかもしれません。放送という世界で長いこと作業をさせて頂いたこともあって、30年ぶり50年ぶりという実に長い長い年月を経て実に珍しい再会をさせて頂いたというお話です。五十年もの年月を経て、不可能と思われる年齢差を越えてフェイスブックというウェブという空間で再会を果たせたことに感謝しなくてはいけないかも知れません。

                                         「プラレス3四郎・DVD2」1.jpg 「ウルトラマン・ミイラの叫び」1.jpg

 

もう一度本来のお話に戻ることにいたします。

 今回の「プラレス3四郎」という番組では、その後のさまざまな仕事で縁を深めた人々との出会いをしていたということです。兎に角制作会社の「カナメプロダクション」は、若いスタッフの集団の新興プロダクションでしたから、業界の古くから実績を積んできている制作会社からはかなり目障りな存在であったのでしょうね。長い実績を誇る会社では、かなり修業をしなくてはなかなか担当することのできない作画監督という年季を要するパートを、若いいのまたむつみさんがやってしまうわけで、いささか妬みがましいものを感じさせていたかもしれません。まだ二十歳前後の若いアーテストであった彼女ですから、とても他の制作会社ではとても考えられないことです。かなり冷たい風当りがあったのではないでしょうか。それは番組の終了時になってはじめて知りました。彼女はアニメーションを辞めて洋画の修業をしたいといい出したというのです。困った社長はその悩みを抱えて拙宅へ相談にやって来られたことがありましたが、やがてそれがきっかけとなって制作することになったのが「ウインダリヤ」という作品でした。

深く番組制作にかかわると、それはそれなりに特別な体験をするものです。今回はそういったお話をまとめてお話することになりました。以後のことはその時がきたらお話をいたしますが、「カナメプロ」はその後解散してしまったのでしょうね。連絡が途絶えております。


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アニメと音楽の部屋☆ ア49「プラレス3四郎での出会い」 [テレビ]

 

 時代の変化を求める勢いは、私が敏感に感じていたように1983年になるとテレビで取り上げられる作品にも表れてきます。次第にこれまでその舞台として雰囲気を醸し出してきていた、SFアクションと宇宙という舞台にした作品群はすっかり姿を消して、かなり変化に富んだものが取り上げられるようになっていきました。

お陰様でそれでも私への仕事の依頼は、急激には減りませんでした。しかし持ち込まれる素材については、これまでとはかなり違ってきています。

そんなところへ飛び込んできたのは、「マジンガーZ」以来お付き合いが増えていた旭通信社からの依頼でした。

 プロデユウサーもこれまで担当であったTK氏ではなく、彼に変わって出てきたのは若いYKでした。代理店でも世代交代が進んできたようです。彼の依頼は牛次郎原作ですが、秋田書店で連載中の「プラレス3四郎」という作品のテレビ化という話です。

たしかにこれまでの宇宙を舞台にしたSF作品とはまったく雰囲気の違ったもので、このころ人気が高まっていたプロレスと人形のロボットをコラボした作品で、当時の若者のあいだで興味が高まっていたゲームという楽しみを利用した作品で、少年たちがそれぞれ開発したプロレスラー人形を使って戦うという作品です。

その作品のテレビ化に協力して欲しいという依頼であったのですが、ところがこれまでと違っていたのはあるお願いが伴っていたのです。これまではほとんど東映動画、東京ムービー、エイケンなどという会社としても実績を作ってきていた会社ではなく、若手のアーテストを集めた新興プロダクションの「カナメプロダクション」というところでした。

                                                     「プラレス3四郎・文庫」1.jpg

 

私もまったくかかわりのない、はじめて出合う制作プロダクションです。そして仕事を受けて貰うのにあたって、一つお願いがあるというのです。何事かと思ったら、番組をやるにあたって一人の脚本家志望の若者の面倒を見て欲しいという頼みだったのです。彼はこれまで企画の助手をしながら、脚本を書く機会を狙っていた社員の一人だった武上純希という若者でした。九州の鹿児島から上京して映像の世界での仕事をしようと、さまざまなアシストをしながら機会を得るのを待っていたところでした。

「なんでもいいので、使ってみて下さい」

社長の頼みでもありました。

 私は既に暫く前から若い脚本家の育成に努めてきていたということもあって、その依頼についてはまったく拒否する気持ちもありませんでしたので、弟子として脚本家修業をさせるようにしたのです。つまり「ワンサくん」「宇宙戦艦ヤマト」で田村丸、「まいっちんぐマチコ」で寺田憲史をデビュウさせてきた私は、彼らにつづいた脚本家として、武上純希の弟子入りを認めて、番組に必要な設定資料を集める仕事からやらせることにしました。しかし番組の内容を点検してみると、やはりこれまでかかわってきたさまざまな番組の素材とはかなり違った感性の作品です。確かにその内容は新しい時代に向った作品で、これまでとは違った世界を構築しています。プロレスに夢中になる若者の流行を見事に活かしながら、それを鉄人28号のようにコントローラーを使って、人形ロボットの選手に相手の選手と戦わせるという物語です。

 時代の先端をいく楽しみに乗って書かないと、いい結果は得られないのではないか、そんな不安を感じていました。幸い話の中心は戦いですからその連続を組み立てていくのが身上ですから、これなら私よりもむしろ若手感性に託した方が、いい結果を生むだろうと考えて、なるべく武上に機会を与えていくように心がけていったのでした。

                                    「プラレス3四郎・1」1.jpg 「プラレス3四郎・AR」1.jpg

 

番組のスタート台本を書き上げると、私はむしろプロダクションの若いアーテストとの出会いに興味を持っていました。彼らがこれからのアニメーションという世界をと繰っていくかもしれないという興味もあったからでした。私はさまざまなアーテストと出会うことになるのです。今回の番組の監督をするのはその後ポケモン映画を作る湯山邦彦さんでしたし、作画監督・キャラクターデザインに起用されたのが「異次元童話 ウインダリア」「宇宙皇子」のイラストを担当することになる、二十歳そこそこのいのまたむつみさんでした。

                                               「プラレス3四郎・いのまたむつみ」1.jpg

 

主役とナレーションを担当する声優は、やがて私の原作脚本で主役を演じる古谷徹さんと結婚する間嶋里美さんという人たちですし、プロデユウサーも片岡義朗さん、メカニックデザインを担当する小原渉平さん、豊増隆寛さん美術監督は勝又激さん、音楽は槌田靖識さん、音楽監督は松浦典良さんという、若手バリバリの人たちでで、やがてそれぞれの分野で活躍することになる若いアーテストたちであったのでした。私はいつものようにシリーズ構成表を作って、ドラマの進行予定を示したところで、肝心なはなしの会については脚本を書き、それ以外のところはプロレス風のアクションを武上に書かせていきました。 

 私はあくまでも番組の看板作家のようなもので、私としては兎に角あまり熱中して書くものではないと判断して受けたこともありましたので、若手の武上はドラマの組み立ちは別ですが、次第にその頃の時代の楽しみであるプラレスというスポーツをうまく取り入れて、時代の感性を発揮して器用に書くようになっていきました。

 番組の進行に向けて、DVD・ドラマ編・音楽編のレコードも発売になっていますので、ここで紹介しておきます。

             「プラレス3四郎・DVD1」1.jpg 「プラレス3四郎・DVD3」1.jpg 「プラレス3四郎・テーマ編」1.JPG 「プラレス3四郎・音楽編」1.jpg


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告知と放談の部屋☆ 告8「更新の手違いのお詫び」 [テレビ]

                                                      「素材・原稿執筆中」1.jpg


  17日は更新しないはずでしたが、24日に出すものを誤って発表してしまいました。従って24日は更新いたしません。

次は一月最終の31日に更新いたします。

 

                        藤川桂介


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思い出作品の部屋☆ 思4「銀河創世紀伝と宇宙皇子」 [テレビ]

 

 お陰様でゴットマーズの文庫が爆発的な売れ行きを示したということがあって、集英社からは早速何か小説の文庫で出す企画を頂けないでしょうかという連絡が入りました。

勿論、この頃の世の中は大変経済的に困難な状態であったので、さまざまな業種でその影響をうけているのです。暫く前から私はテレビのシリーズについての話が、これまでのように入ってくる状態ではないと判断していました。現実にテレビ界はオイルショックの影響ですっかり沈滞していて元気がなくなってきているのです。政治を率いる中曽根康弘総理大臣も、これまでの社会改革気分でかなり開放的になって、若者の浮かれ切ったところを引き締め始めていたのです。

 世相として目立つものを摂りあげても、パソコン世代・ロリコン・ネクラ・ネアカ・若者喫茶店離れ・軽薄短小・引き締めと抵抗・小中学でいじめ流行・やらせ・パフォーマンス・ファミコンブーム・新人類時代、プッツン・花キン・朝シャン・個性重視、どれを取り上げても思い出すでしょう。

そのためにこれまで新しがりの若者たちは自由勝手に動きまわろうと、盛んにパフォーマンスを繰り広げるのですが気分だけではどうしようもない厳しい経済状態が浸透してきています。彼らの日常にもかなり変化が訪れてきています。感性も価値観もかなり変化してきていて、旧世代との受け止め方がかなり違ってきていました。かつてのような平穏な暮らしが約束されなくなってきていました。

 コロナショックともいえるような影響で、何かと元気が出ない現代とも似通っているのですが、「ゴットマーズ」が最後の「地球編」をしかかっている頃は、時代的にあまりいい状態はありませんでしたから、これまで活気づいて作業をしつづけて来た私も、その将来に関してあまり手放しで安泰という状態ではなくなってきていたのです。

アニメーションの世界にもかなりこれまでとは違った雰囲気が漂い始めてきています。取り上げられる内容にしても、そこで働くスタッフも、彼らが作り出す作品に集まるファンにしても、その雰囲気はじょじょに変わってきているのです。時代の変化について、かなり真剣に考えておかなくては、いる場がなくなってしまうのではないかと思ったりもしました。そろそろ別の展開も考えなくてはならなくなると考えることが多くなっていたのです。世の中がどこか沈滞している時ですから、そういって空気に影響されて、若い人たちの日常生活に関しての価値観がかなり前の時代とは違ってきています。

 時代の混乱状態を、端的に表している現象です。こんな状態の中で今までのままでいいのか・・・そんな気持ちから、何かテレビの仕事だけではなくやっておくべきことはないかという気持になっていたので、脚本を書く仕事とは別に小説のネタ探しのようなことをし始めていたのです。そんなところへ集英社からのお話が飛び込んできたのです。

 そこで私は暫く前からメモを取り始めていた役行者とその出である少年との話として設定をまとめ始めていたものを出してみようかと考えて、取り敢えず仮のタイトルに「宇宙皇子」とした企画書を持っていったのです。しかしそれだけでは不安であったこともあって、時代的には現代でも通用するように、まん延しているSF風な話も持っていったのです。応接室で二つの企画について私の思い込みにつて説明をしましたが、結局いろいろ話し合った結果、集英社はやはり「ゴットマーズ」の影響もあったのでしょうか、編集長、副編集長もSF物である「銀河創世紀伝」の方を選びました。

 「宇宙皇子」はかなり長編になるということでひっかかったのです。集英社は大変堅実な会社でしたから、三冊以上になる作品は出さないことになっていたのです。かなり長編になると説明をしたこともあって、彼らは残念ながらということで、これまで慣れているSF作品の方を選んだのでした。私はこれまでの仕事とはまったく傾向の違う作品で勝負したいという気持もあったのですが、放送という世界とはまったく違った活字の世界のことです。反対もできないことから、決定を承知して引き下がったのです。

 かつて「さすらいの太陽」を小説として出すことになった時に、あまり意識しすぎて失敗した経験があったこともあって、今回はあれから時間も経ているということもあって、兎に角楽な気持ちで書くことにいたしました。

 一体、読者がどんな反応をしてくるのかも判りません。

 兎に角夢中で書いたような気がします。

 わりに短期間で原稿を仕上げられましたので、早速神田神保町の集英社の編集部へ届けました。兎に角I編集長、A副編集長が読んで、その結果をお知らせするということになったのでした。

暫くして編集部から連絡が入り若手のイラストレーターを選んだので、近々会って欲しいということになりました。その人のお父さんは、童画界の大御所である若菜恵さんだということで、その息子さんである若菜等さんに担当させたいというお話でした。彼とのお話はやがて集英社の応接室で対面した結果、下のような表紙のイラストが完成したのですが、彼との対面をした時のびっくりしたお話は、次回のブログですることにして、兎に角出来上がった「銀河創世紀伝」の一巻目である「聖戦士キリー」を提出したのでした。下の本は完成した本ですが、このイラストを描いた若菜等氏については、次回のブログでお話したいと思いますので、ここでは兎に角集英社文庫が出ることになったということで終わりにしておきたいと思います。

                                                        「銀河創世紀伝1」 1.jpg

 

 「マジンガーZ」「宇宙戦艦ヤマト」「機動戦士ガンダム」「六神合体ゴットマーズ」というヒット作がつづいたために、放送界はすっかりSF作品がアニメ―ション番組を占拠いてしまった状態でしたので、それが何年もつづいたこととファンの価値観や感性というようなものが、じょじょに変化してきています。そんなことをひしと感じるようになっていた私は、将来の見通しに危機感を感じていたので、本当はこれまでとは違った作品を書きたいという思いがあって、日本の古代を背景にした「宇宙皇子」という企画を出したのですが、やはり集英社では「ゴットマーズ」での体験から、発想を切り替えることができなかったのでしょう。どうしても日本の古代という話には乗り切れなかったのです。しかも堅実な社風もあって、ちょっと長い話の展開になるという私の説明を聞いて、そんな小説を出して下手をすると、会社としては大きな赤字を背負うことになってしまうという判断があって、結局無難なSF作品を選択することにしたのでしょう。しかしいずれにしても、私はアニメーションという世界の他に出版界へ進出する切っかけを掴むことになったのでした。


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告知と放談の部屋☆ 放69「ハードロッカーの若菜氏登場」 [テレビ]

 

 編集長の紹介で、集英社の応接室で待っていると、やがてイラスト担当の若菜等氏が登場しました。ところがその時の彼のいでたちに度肝を抜かれてしまいました。挨拶を交わしたのですが、彼は兎に角大変リラックスした様子で、ごく日常的な気軽な姿で現れたのですが、膝小僧が擦り切れたジーパンに、ポロシャツ・腰にはジャラジャラとした金具を巻き付けてぶら下げています。この人がイラストを担当するのかと愕然としてしまいました。

 新しもの好きな若者が跳び出してきていた時代です。洋楽・・・いわゆるジャズバンドの世界でも、さまざまなバンドが結成されていましたが、そんな中でも極端に跳ねた活動をする激しいハードロックのバンドをやっているということでしたが、彼は話す様子も実に落ち着いていて誠実な印象の若者でした。きっと童画界の大御所である若菜恵氏の子息ということもあって、厳しくしつけられていたのでしょう。きっと編集長たちは、彼のデビュウの機会を頼まれていたのかもしれません。小説が宇宙を背景にして展開するSFアクション作品です。これならきっと彼の登場する作品としては問題がないと考えたのでしょう。一見して突っ張っている若者のように思えるのですが、しかし彼も緊張していたのか大変謙虚で、真面目な態度で私の希望を聞いていました。

大変印象度のいい青年で、私にとっても新しい世界へ踏み出すきっかけとしてもいい出会いになると考えてほっとしたのでした。

 前回紹介した「銀河創世紀伝」の一巻目「聖戦士キリー」が発売になった時、私が読者の反応がどうかと気になっていたのですが、まだあまりはっきりとしたことは聞いていませんでしたが、そんなある日のこと若菜氏から電話が入ったのです。まだ仕事を始めて間もない関係ではあったのですが、はじめて親しく話をすることになりました。彼も大変本の売れ行きについては大変気になっていたようで、近くの書店へ足を運んだというのですが、その時一寸変わったお客がいたのに気が付いたというのです。

あの表紙を飾っていた「聖戦士キリー」という本を十数冊も買っていったというのです。まったく見ず知らずのお客が、どうしてあのようにまとめて買っていくのだろうかと、その様子を観察していたというのですが、やがて支払いを済ませて帰ろうとしているお客に声を掛けたのだそうです。どうもその人は近くのバーを経営している人だというのですが、お客にこのお本を配りたいということだったのです。どうやらこの人は若菜氏の描いたイラストが気に入ったようで、彼と同じ趣味のお客に配りたいというのです。その様子からすると、今でいうニュウハーフであるらしくみせへやってくる同好者に配ってあげたいというのだそうでした。仮にどんな興味の持ちようによる反応であったとしても、大変興味深い話でした。

 私は改めて本を取り上げて、彼の書いてくれたイラストを眺めたのですが、書店のお客の反応に納得したものです。若菜氏の書いた男性像は確かに大変なイケメンで、ニュウハーフの人たちにとっては大変興味ある男性像であったようでした。

私の狙いは決してそうした人に向けた話ではなかったのですが、やはり表紙に描かれた男性像が気にいったのでしょう。これは間違いなく若菜氏の画力の結果です。はじめて出会った時の印象から考えると、とてもキリーのような甘い雰囲気のある男性を想像させませんでした。やはり人は見かけによらないものだということを実感したのでした。

彼の中にああした美形を描く力が秘められていたのでしょう。それはそれで新たな発見をしたなと思ったのでした。しかし私はこの頃、かなりいろいろな世界から仕事をして欲しいという話が持ち込まれていたのですが、小説を書き始めたという噂が広がったのでしょうか、コロンビヤレコードから今回の話の音楽版をレコード化して発売したいという申し出を貰ったのです。こんな素材で音楽物のレコードを制作しようということを考えたりするというのは、一寸考えにくいものですが、これまでとは違った発想でものを作るという革新的な発想をする若手のデレクターとして付き合いが深まっていきましたが、実はそのプロデユウサーであり、チーフデイレクターとなったK氏は、かつて「宇宙戦艦ヤマト」の映画制作にあたって、その音楽を制作する担当として、コロンビヤレコードから送り込まれてきた若手の担当者であった人だったのです。異色の音楽作品とのコラボレーションというということになりますが、小説をネタにして音楽を制作するという狙いでLPが制作されたのですが、それ以来彼とも長い付き合いになり様々仕事をすることになりました。

                                                     「銀河創世記伝・音楽編」1.jpg

 

カバーイラストも当然ですが小説と連動させるという狙いから、若菜氏に作業を依頼しました。

そんなことから打ち合せの最中に彼との個人的なん話を交わす機会が増えてきたのです。矢張り彼も父親の存在感とぶつかり、それから逃れて自由に生きることを考えて、一時は洋画家を目指したようでしたが、画商に利用される生活を知って所謂画家として生きるという夢は諦めて、もっと広い世界での活動を始めたというのでした。

長男でしたが家を出て苦労しながらここまで辿り着いた自分のキャリアとの共通点を感じて、同じ境遇にあった同志としての共感を持ってお付き合いがつづいたのでした。

兎に角集英社三冊で完結させる必要もありましたが、やはりあまり読者の反応は良くなかったのではないかと思います。短期間で打ち切ることになってしまいました。

                                       「若菜等・シャングリアの星」1.jpg 「若菜等・地球へ」1.jpg

 

その後集英社の主催する作家と読者とのパーテイで出会ったりしているうちに、若菜氏の個人的なことについての話も聞く機会がありましたが、お父さんが著名な童画家であっただけに、彼はどうして画業に向わずにハードロッカーになったのか、あの粗野な若菜像はどうして作られていったのかということを知ることになったのです。彼は父親との葛藤から家を飛び出して、一時洋画家を目指したというのですが、そこにもいろいろと問題があって、思い切ってフリーのイラストレーターを目指すようになっていたというのです。なかなか逞しいやる気を持った若者で、さまざまな葛藤をしながら世に出てきたのでした。これから次第に縁が濃くなっていくのですが、機会を別にして若菜美形についてもお話したいと思います。


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言霊謎解きの部屋☆ 言26「ひとくち言霊」(霊山) [テレビ]

                                                                                                                   「若菜イラスト」.JPG  

   

旅行をした時に、よく出会うことですが、ちょっと田舎へ行くと、近くの山に、霊山といわれるところが、必ず存在しているのに気がつくでしょう。

一体、この霊山という名称は、どこから起こったのでしょう。

もちろん有名な修行者が開いて、寺を創建した縁でそんな呼び方をする場合が多いと思いますが、わたしはもっとそれより前のことを考えました。

わたしの小さな頃の、昔のことですが、遊んでいた子供たちは夕方になると、

♪カラスが鳴くからかーえろ

などと歌いながら家へ帰って行ったものです。

カラスばかりでなく、鳥たちは山のほうへ帰って行きました。

最近は開発が進みすぎてしまって、鳥たちが山へ帰っていく光景には出会わなくなってしまいましたが、昔、昔、古代という時代には、人の死後、天国へ送る形としては、水葬、風葬、土葬、火葬、いろいろとありましたが、水葬と共にもっとも古典的な方法としては、風葬につうじることなのですが、鳥葬というものがありました。つまり、死者をあるところに放置しておくのですが、やがてそれを鳥たちがついばんでいくことになります。

その鳥たちは、今も昔も変わりません。

山へ・・・木のあるところへ戻って行くのです。

つまり死者の魂を運んで行くということです。

もうお判りになったでしょう。霊山という言葉の原点というのは、人の魂を運んで行くところが山だったところから、すべての山は聖なる霊山だったはずなのです。

その後修行者によって開かれた山を、霊山と呼ぶようにったものとは違いますが、すでに鳥葬という風習が失せた現代では、もうほとんど考えられない言葉でもあります。どうか、時には、こうした言葉の起源というようなものも追ってみるのも面白いのではありませんか。

 

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アニメと音楽の部屋☆ ア48「GMで藤川杯ゴルフコンペ」 [テレビ]

 

 1982年三月には、長い間原案が完成しないことから苦労しましたが、ついに完成して劇場で公開されました。

                                「1000年女王・映画」1.jpg 「1000年女王・決定稿」1.jpg

 

 このあとで「ゴットマーズ」の「ギシン星編」が番組のノベライズ作品として文庫化されて集英社から発売になり、たちまち売り切れて書店から姿を消してしまいうという人気ぶりをしめしたのもこの頃のことでした。そしていよいよ3クール目に当る「地球編」にかかることになるのです。人気番組として突っ走ってきましたが、いよいよそのシリーズも完結に向って走り出したのです。改めて感慨深いものがあります。特別問題もなく作業は順調に進んでいったのですが、思えば番組が始まった頃は緊張の連続で、スポンサーとの打ち合わせの時に一寸立場の違いが起こってしまったこともあったために、険しい雰囲気が漂ってしまったということもありましたので、それから暫くはスポンサーがどんな反応をするのだろうかと、戦々恐々と言った状態で作業を進めていました。兎に角制作の上層部にあって責任を持たされている者には、通常の番組を担当するのとは違った緊張感が漂っていたものです。まずは視聴者の反応次第ではスポンサーであるバンダイは、番組の提供から降りてしまうかもしれません。そんなことになってしまったら、東京ムービーという会社にとってもその経営状態に、暗雲が立ち込めてしまうことになってしまいます。しかしその緊張感から解放されたのは、2クールの26本のうちで半分である13本が放送されたところまでの反応が、心配するようなことにならずに視聴者の反応も大変いい状態であることが確認できましたので、放送が始まってから間もなく始まった、バンダイにとっての試練の時である玩具製品の商戦が、ある程度成功してくれれば放送の途中で番組が早期に打ち切りになるというような、悲惨な結末にならないで済んだようです。むしろバンダイからの連絡は、2クール26本の制作を延長するということになったのです。それですべての心配はなくなったのかというと、決してそうではありませんでした。シリーズの成果に責任を感じていた私はなおさらでしたが、延長が決まってからの制作に当るスタッフの気持ちの問題です。視聴者の人気が高まり始めると、どうしてもそれに安住して、気持ちが緩み始めてしまうものです。末端のスタッフでもいつか責任感を欠落して、気軽に仕事がきついということをこぼしたりするようになります。兎に角一つの作品の評判がいいということで、長くつづくということは大変有難いことですが、その人気を維持するということは、それなりに大変神経を使う必要があります。同じようなトーンのまま作業をつづけていると、どうしても「馴れ」ということが広がって行って、その分だけ気持ちが緩んでいってしまうという難しいことも起こりがちになることです。つまりいつの間にか緊張感を欠如して、どうしても一寸した問題は、適当に処理して作業を進行させていってしまいがちになるものです。そんなことを発生させないために、「ゴットマーズ」では、すでに二回ほどゴルフでの親睦会を開いたことがありましたが、特に1982年の前半を経過する頃になると、もう間もなく番組の制作が終わるということがはっきりとしてきていますから、あまり気持ちを緩めてしまって緊張感を失ってしまうことになりがちです。そこで今回は、私が藤川杯のカップを寄付することにしてその争奪戦という刺激と楽しみを付け加えたりしました。しかし私のゴルフの実力はといえば、どう考えても凄いとは言えません。兎に角みなさんについていくのが精一杯という状態でした。運動神経はかなりいい方だったとは思うのですが、兎に角仕事が多忙過ぎる時代でしたから、とても練習場へ足を運ぶ時間はほとんどありませんでしたから、実力が延ばせるわけはありません。スコアは120前後で、何とかみなさんについていくのが精一杯でした。それでも関係する人々が、親しく懇親することで、あとわずかな残りの作品をしっかりやり抜きましょうという気持の引き締めには大いに役立ったように思えます。1982年9月8日に、西熱海ゴルフ場でゴットマーズ制作の最期の懇親会が開かれたのでした。下の写真はその時のものです。

                                    「素材・GM藤川杯ゴルフコンペ」1.jpg

 

 この頃のアニメ界には、みなでゴルフかテニスをして楽しむことが広がっていて、参加者はかなり実力を伸ばしている人もいて楽しんだものです。東映動画の「銀河鉄道999」の監督西沢信孝氏を中心としたスタッフは、夏のわずかな休暇を利用して軽井沢の民宿に泊まり、みな思いきりテニスを楽しんでいましたが、東京ムービーはかなりゴルフを楽しむ人が多く、重役の音頭取りでよくプレーを楽しんだようです。今回紹介することにした写真は、ゴットマーズ関係者を中心としたコンペで、長いことGMを引っ張って来られた今沢監督、制作担当の赤沢、文芸担当の小野田、後輩の脚本家田口.そしてなぜか弟子の寺田憲史、日本テレビの担当プロデウサーの姿もあるようです。競技中は楽しむ気分が横溢していましたが、それでもそれぞれは優勝者となる名誉を獲得しようと、真剣にプレーをしたものです。

                                             「Lynxセット」1.jpg

 

 これはその頃手に入れた初心者向きにいいと勧められて買ったLynxというセットですが、もう大分前にゴルフからテニスに変わってしまいましたので、昔の思い出として地下室の物置室に眠りつづけています。

 恐らく現代ではきっと息抜き、懇親の会の楽しみ方も変わってきたでしょうが、ひょっとするとこうしてみなで集まって楽しむというような雰囲気はなくなっているかもしれませんね。コロナの影響もあってビジネスライクに仕事は片づけていくだけで、とてもそう気楽に出会って、密な状態で交流することもできなくなっているかもしれません。

 当時はさまざまなことで日常に変化が訪れてきている時代でしたが、それでも現代のすさまじい変化の時代からすると、その始まりといった方がいい現象であったかもしれません。じわじわとこれまでとは違った日常が訪れつつあった時代でした。それだけに私たちは、じょじょにそうした時代の波にゆさぶられながら、仕事を進めていかなくてはなりませんでした。やがて出版でも注目されるようになった私は、そんなある日のこと、出版と映像関係者、アーテイスト、一般の人が結集した、ゴルフ大会が藤川主催で開かれることになったのでした。


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