「神仏にも守護神?」


 


 古代では神も仏も神として認識されていましたから、基本的には神仏混交ということになります。しかし現代人にとっては違和感があるかもしれませんが、日本では基本的に神仏混交という習慣を今も続行していることを考えられます。そんなことから、もっと不思議なことがあるのに気が付きました。


寺院にも守護神があって守っているのです。


日本の伝統の宝庫である皇居も、守護神を置いてその安泰を祈っています。今回はその代表的な見本というものを紹介したいと思っています。


平安京が誕生した頃、京の守護のために最澄が創建したという比叡山延暦寺がありますが、この寺を守るために琵琶湖畔にある日吉大社があるのです。ここでは山王の猿が大事に飼育されていますが、神の使いであるという考えによるものです。


   


この神の使いの猿が、京都御所にも活かされているのをご存じでしたか。この猿を木彫りにして鬼門にしているところに飾っているところがあるのです。


 神は絶対的な存在ですから、彼らを守護するなどということは笑止千万と言うことになりそうですが、どうも実際にはそんなものの存在を無視できないものがあるようです。京都御所にはその鬼門である東北の角には「猿が辻」いうところがありますが、その守護には日吉大社の山王の猿がいます。


                    


京都御所の鬼門に当る猿が辻の猿・・・日吉大社の木彫りの猿が、御幣を持って飾られています。


機会がありましたら御所の東北の角・・・つまり鬼門へ廻ってみてきませんか。これの基となっている日吉大社では、山王の猿を実際に飼っているのですが、何度もここへお参りしていた後白河法皇は、自宅近くに新日吉神社を建てて、その本殿前の左右に日吉大社の神の使いである猿を彫刻にして祀ってあります。いちいちお参りに大津にまで通うことが出来な


くなったのか、じれったくなったのか、自宅の直ぐ裏手に新日吉神社を建立してしまったのでした。


平安時代においては、こうした信仰が浸透していたわけですが、それだけ政争も激しかったのでしょう。京都ではこの他にも、修学院離宮の近くに、赤山禅院というところがあるのですが、猿の彫刻が屋根に挙げられて存在しているようです。別の面から京都を探るきっかけにでもなると面白いですね。


  


かつて高野山へ行った時のことなのですが、その地に住んでいらっしゃる方から、「ここへ来て荒神社へ行かないというのは、手抜きになりますよ」と注意されたことがあって、早速足を延ばして「荒神社」へ出向きました。つまり高野山を開いた空海は、この高野山を守るために鬼門に当るところに「荒神社」というものを創建したというのです。


       


  それを言われて思い出したのが、同じ空海が中國から戻って間もなく、京都西北にある古刹神護寺で修行しましたが、やがて空海はこの寺の守護のために平岡八幡宮を創建いたしました。


    


現在の皇居である江戸城には、日枝神社がありますが、これは日吉神社の霊力が協力であることを知った徳川家康の希望で、京都の日吉大社と同じ神・・・つまり大津の日枝山から勧請した大山咋神を祀っているのです。 


   


何処をとっても風水の思想が、現代でも大事にされえいるということがお判り頂けたのではないでしょうか。こんな智識でも旅行なさった時に発揮されれば、ただの観光ではない発見の旅にもなるのではないでしょうか。


本日は意外にも古代のお話をしているようでありながら、現代のお話にもなっているのではないかと思います。