「現世と来世について」


 日本の創世記といえば、まず神々の歴史から始まったことは、ほとんどの方がご存じでしょう。


 一応日本の国史ともいわれる「古事記」があるので、そこに乗っている神話時代というものを素直に受け止めると、やがて天孫降臨が行われて、豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)が作られて、そこに生きるか弱い人間たちが生きていけるように、さまざまな試練を与えながら支えてくれたことになっています。


 やがてその中から日本の各地に(おうきみ)といわれる者が現われて、民を率いていくようになりましたが、の中から王の中の王が選ばれて大王となり、やがて天皇という存在になって、民を統治するようになったわけです。


 つまりここまでは天に存在する神が暮らしのほとんどを支配して来たのですが、地上での支配をする王の時代から大王の時代に移って行く頃になると、海を越えて異国の神が入って来るようになりました。


 それが仏という存在です。


 とにかく古代においては、神仏共に威力のある力を持った存在であるところから、民は神と同格の者として、仏も畏敬の念で接するようになっていきました。


 日本では自然のすべてのところに神が存在している八百万神(やおよろずのかみ)という思想でしたが、彼らは清冽な暮らし方を指示して、民に折り目正しい生き方をするように厳しく教育をしていったのです。ところがその一方である仏の場合はそういった神の厳しい生き方よりも、慈悲の精神で民と接したのです。これまで神の厳しい指導の下で暮らしてきた民にとっては、仏と接している時だけが救いになったはずです。しかも現世を指揮する神に対して、仏は来世を取り仕切っていましたので、死後の世界を知ることができない民にとって、兎に角来世については仏に庇護を願うしかありませんでした。


 現世の神か、来世の仏か・・・次第に神の国であった日本に定着していって、神仏混淆という状態が始まったのですが、それは現代でも同じようなものですね。


神社へ祈願に行ったり、結婚の仲立ちを頼んだりしながら、やがて現世から去る時には、寺院へその橋渡しを頼んだりしているのが現状です。


 日本はこの他にもキリスト教も受け入れているし、一神教の国々とはちょっと違う宗教観を持っていますが、とにかく宗教に関してはかなり寛容な民族であるように思います。


 明治時代のある時期、廃仏毀釈などという不幸な時代がありましたが、とにかく現代は古代から引きつづいて、現世は神に願い、来世は仏に願うということを、なんの抵抗もなく受け入れている日本です。


 この神仏混淆というファジーな感性は、はたしていいことなのかまずいことなのかを時々考えてしまいます。しかし一神教の国がかなり挑戦的であるのを考えると、やはり神仏混交というのは、日本らしい穏やかな国民性の基本なのかも知れないと考えたりもしているのですが、みなさんはどう思われるでしょうか。