「高みの見物」


 自分には関係がないという場合に、よくこんな言葉を聞くことがあります。何か騒動が起こっている最中ですが、「私は高みの見物だよ」と落ち着いて騒動の鎮まるのを見つめている人を見たりします。


 政治の世界などでは、絶えずこんなことがありますね。


 「保守派と革新派の主導権争いが山場へ差し掛かっているけど、もともと私は中立派だから、高みの見物だよ」


 如何にもその人は、如何にも高いところから見ているという風に聞こえるのですが、この「高見」の「見」は当て字なのだそうで、「白い」というのを「白さ」とか「厚い」を「厚さ」と言ったり、「深い」を「深み」という風に形容詞に「さ」とか「み」をつけて名詞の方たちを取ることがあるそうで、「高見」は本来「高み」であって、高いこと、高い所の意味なのです。


 つまりあの常套句は「私は高いとこるにいるので、騒ぎ儀巻き込まれないでどう落ち着くかを静観しています」というようなことになるのです。


 なかなか厄介なのが日本語ですね。


 これを使えば「甘味」「苦味」「辛味」の「味」は当て字で形容詞に接尾語の「み」がついているので「甘味」といって「味」が付いているのは当て字なのですね。


 もう一度文法を勉強しなくてはと思ったりします。