SSブログ

嵯峨天皇現代を斬る その十の四 [趣味・カルチャー]

      第十章 「いい人生を生き抜くために」(  


        課題「四十歳の祝いと初老を知ること」


 四十歳は初老の始まりです。ここから新たな人生が始まると言っていいでしょう。これは古代も現代もないのではありませんか。ここを起点としてこれからどう生きようとされるのでしょうか。


為政者・淳和天皇


天長二年(八二五)十一月二十八日のこと


発生した問題とは


「人生、いつまでも若くはない。その時その時やって置かなくてはならないことがある、新たな人生が始まるということを知るべきだ」


そんなことをおっしゃって淳和(じゅんな)天皇に譲位されたのですが、その皇太子には御子の正良(まさら)親王が就いていらっしゃいます。嵯峨天皇から太上天皇となられて間もなくのことです。


そんな十一月二十八日のこと、四十歳を祝賀する宴が太上(だじょう)天皇ご夫妻がお住いの、冷然院(れいぜんいん)で行われることになりました。


そのことについては、すでに二年前の淳和天皇に譲位された後、身軽になられた太上天皇は、幼少の頃乳母を務められ、その後侍読としてもお仕えになっていらっしゃる、今は後宮の(みかどのいし)という地位に就いている笠朝臣道成(かさのあそんみちなり)を呼んで、太上天皇の在位中の為政について振り返ってみようとなさったことがありました。その時道成は思わず四十歳の祝いについて触れたことがありました。


堯・中国古代の伝説の聖王は星の運航をみて農耕の暦を定め、舜(中国古代の説話に出る五帝の一人)は暴雨、雷雨に迷わず天子の位に就きました。孔子は『天命を受けた王者が出た後一世代三十年を経て仁の世になる』と述べています。漢の高祖より恵帝・少帝・孝文帝まで四代、四十年となりますが、祖霊桓武聖帝から淳和天皇まで、暦を調べますと四十年、天皇は四帝であり、嵯峨太上天皇と淳和天皇の年齢は四十歳におなりになられます。真に立派な政治によるめでたい(しるし)です。伏して考えますに、陛下の四十の算賀の後は、これまでの四十年が終わり、陛下を初代とする新しい四帝の時代が始まりますということでした。


 多分祝いの日には、皇太子がそんなことを唐国の篆書(てんしょ)から学ばれてお祝いを言葉を述べられるでしょうと説明されたことがありました。


為政者はどう対処したのか


 盛大な宴は華やいだ雰囲気に包まれ、朝から延々と続けられて太陽が西に傾くと燭を(とも)し、更に興趣を盛り立てるように雅楽寮の者たちが音楽を奏し続けています。そんな中を中納言良岑安世(よしみねやすよ)が、冷然院の正殿の南の階から降りて舞い、群臣もそれに続きます。これまでの形式に則った宴とは違った、形式通りというものではなく、楽しむということを優先して考えられた、大変気持ちが解放された、いわゆる遊宴といわれるものなのでしょう。嵯峨太上天皇が今上であったころから行われるようになったもので、これまでにない新しい宴の形でした。


その日の宴はやがて夕暮れになったころ、雪が降り出したのですが、今度はその中を妓女たちが、舞器を持って舞います。豪華で大変華やいだ宴になりましたが、やがて皇太子正良親王が進み出て、太上天皇に対して挨拶を致します。


 かつて道成が予言したように、皇太子は太上天皇の前に進み出て、こうご挨拶いたします。 


「私は『礼の極致にあっては格別責めることなく天地が互いに合致し、大音楽にあっては個別楽器の音や声は弁別できないものの法則に適っている』と聞いております。堯(中国古代の伝説の聖王)は星の運航をみて農耕の暦を定め、舜(中国古代の説話に出る五帝の一人)は暴雨、雷雨に迷わず天子の位に就きました。「孔子は『天命を受けた王者が出た後一世代三十年を経て仁の世になる』と述べています。漢の高祖より恵帝・少帝・孝文帝まで四代、四十年となります。桓武聖帝から淳和天皇まで、暦を調べますと四十年、天皇は四帝であり、嵯峨太上天皇と淳和天皇の年齢は四十歳におなりになられます。真に立派な政治によるめでたい徴です。伏して考えますに、陛下の四十の算賀の後は、これまでの四十年が終わり、陛下を初代とする新しい四帝の時代が始まります。天子としての良き運が集中し、至徳はますます盛んになり、陛下の行いは虞舜に一致し、仁は漢の文帝よりも敦く、いよいよ礼楽につとめ寿命は長くなりましょう。私は皇太子として、陛下の長寿を仰ぎ見、天下が歓びを同じくし、人々が慶んでいるのが判ります。私も大変幸せであり、心からの喜びです。わずかな贈り物で陛下を汚すことになりますが、謹んで衣・琴などを献上いたします。これは物というより私の誠意を示すものです。およそ聖人の寿命は天から受けるもので、臣下がそれを祝福しても利益はありません。しかし心中の思いを言葉に表さずにはいられません。願わくは陛下が日月星辰と共に皇位の坐を守り、遠く長寿を仰ぎ、変わらぬもののたとえである南山(比叡山を北というのに対して高野山をいう)と同様でありますことを」(日本後紀)


 確かに四十歳は人生の内で一つのくぎりです。古代も現代もありません。


温故知新(up・to・date)でひと言 


 


 昨今は全体的に長寿になっているようなので、四十歳といってもまだ青年といった印象で、昔で言う初老という印象はまったくありません。しかしそれだからと言って、まったく年齢というものを意識せずにのんびりとしていることには疑問を感じます。時は知らぬうちに過ぎ去っていきます。いろいろなことで、間違っている余裕はありません。取り返すことが出来ない時間が過ぎていくのです。前車覆轍(ぜんしゃふくてつ)などという言葉をご存知でしょうか。 前の車のひっくり返った轍の跡は、あとから行く車にとって良い戒めであると言います。先人の失敗はよい教訓になるということです。虚心平気(きょしんへいき)です。先入観やわだかまりを持たず、人の意見も素直に聞ける心穏やかな気持ちになって進んで行きましょう。竹頭木屑(ちくとうぼくせつ)いう言葉があるように、竹の切れ端木の削りくずのような、取るに足らないつまらない物でも、何らかの役に立つことがあるということを頭に置きながら、注意深く周囲を観察して、学べるものは学んで心豊かな人になっていきましょう。


 


 


 


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。