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☆閑談とちょっと気になる新言霊の部屋☆お知らせ10 [趣味・カルチャー]

                                                       「原稿執筆中」1.jpg


  「ブログの更新について」

 台風7号の動きに注目していたのですが、どうやら台風は関西方面を直撃して日本海へ抜け出ていくようです。関係ウする地域のみなさんは、充分に用心して頂きたいと思いますが、幸い関東地区からは警戒が薄れましたので、十八日から二十七日まで、夏休みを取らせて頂くことにいたしました。

 そのために二十日、二十七日の日曜日の更新を、ちょっと早目ですが、本日行わせて頂くことにいたしました。

 台風騒ぎもあって落ち着きませんが、時間が取れましたら、是非ご覧ください。

        ☆☆☆☆☆☆☆

 もう一つお知らせがあります。

 現在放送作家協会が公開している作家がリレーでエッセイを書くというブログを行っておりますが、九月に小生に原稿を提出して欲しいといういらいがありましたので、早速提出いたしました。いずれ正式に掲載日が決まりましたら、改めてお知らせをいたします。

 その節はよろしくお願いいたします。

                      藤川桂介

 

 

令和五年八月十六日

 


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嵯峨天皇現代を斬る その十の二 [趣味・カルチャー]

      第十章 「いい人生を生き抜くために」()


        課題「働く技術の教育」


弘仁六年(八一五)といえば嵯峨天皇即位から六年を経過しています。


嵯峨天皇が文人政治家として古代では異色の為政者であるといわれるのも、格差は当たり前といわれている時代に、底辺にある人々の救済を、教育ということで行おうとしたことではないだろうか・・・。


 この年は嵯峨天皇の臣籍降下という衝撃的な発表があり、国の財政逼迫という問題を、何とか解決しようとし始めていたところです。これが臣下から発案されたものでなく、天皇自らに行われたことに意味があったと思います。


 そのへんの事情についてはすでに第四章「隠れた事情を突き止めるために」「その一」「税制悪化で臣籍降下」で詳しく紹介していますので、天皇の人間性に触れるためにもご覧いただくことをお勧めいたします。


天皇はその後で、為政というものはあくまでも身辺の者の協力なしではなし得ないとおっしゃって、これまで夫人(ぶにん)という身分であった橘嘉智子(たちばなかちこ)を皇后として迎えることにしたのです。如何に時代の困難を乗り切ろうという天皇の気持ちがはっきりと表れています。しかしこれまでの天皇で、女性の立場を認め、その存在感というものをはっきりと宣言なさったのは、異例のことであったのではないでしょうか。これでは公卿たちも真剣にならざるを得ません。天皇は為政の思いを貫くために、あらためて朝議(ちょうぎ)において廷臣たちにこうおっしゃったといいます。


「天が人民を生じ、役人をおいて治めるのは、財物を豊かにして役立たせ、天下に教化を達成するためである。そこで朕は、人民の落ちぶれた状態を救おうと思い、夜明けに到るまで務め、農民が豊作を喜び、婦女が憂えなく、機織(はたおり)できる方法を考えている。しかし、去る五月から洪水が続き、田畑は耕作できなくなっている」(日本後紀)


為政者・嵯峨天皇


弘仁六年(八一五)七月二十五日のこと


発生した問題とは


 百姓が苦しいといっているのに、為政を行う者が、それを無視することはできないと考えられた天皇は、左右京と畿内の今年の田租は、停止すると命じられるのですが、天候は不安定で、日照りが続いて難渋させられたかと思うと、今度は真逆に長雨がつづくようなことが起ってしまいます。言うまでもなく天皇は、その度に伊勢の神、賀茂の神に使者を送って奉幣(ほうへい)して安穏を祈りました。そして更に百姓たちの働くきっかけとなるような施策も発表いたしました。


 「六年ごとに班田することは、条令(田令)で定められている。これより六年間隔で、諸国が一律に班田すべきであるが、大同以来疾疫が起るなどして、規定通りの班田が出来なくなっている国が多い。適法の看点から、あってはならない事である。そこで、遅れて班田した国が六年の間隔を充たすのを待って、全国で一律に校田と班田を行え」


(日本後紀)


 天皇から指示が出た以上は田の作り方も、時に応じたやり方で工夫しなくてはならなかったでしょう。


ところがすぐに天皇は、また新たな発表を行います。


 「畿内・近江・丹波等の諸国では年来旱害が頻発し、稼苗(かびょう)を被っている。他方、罪で処刑されたあと旱魃(かんばつ)に悩まされ、能吏百里崇(ひゃくりすう)が旱天の徐州(じょしゅう)刺史になると、甘雨(よき雨)が降ったと伝えられている。これにより、禍福は必ず国司によることがわかる。今後、日照りとなったら、国司官長が潔斎して、よき降雨を祈願して厳重に慎み、()れ汚すことのないようにせよ。もし、効果がないときは言上せよ。以上を恒例とせよ」(日本後紀)


古代ですから神仏を大事に扱わない手はなかったでしょう。


まだ即位してから五・六年というわずかな治世でしかありませんが、先帝の平城天皇とは違った為政の在り方というものを印象づけたくても、まだまだ何もかも整理しきれないことばかりです。


為政者はどう対処したのか


 この時の嵯峨天皇は徹底していました。


 それについては、第四章「隠れた事情を突き止めるために」「その二」「皇室費用削減は真剣か」に、天皇の徹底した姿勢を明らかにして、臣籍降下がただ単に思いつきではないことを証明されました。かつては親王として暮らしてきた人にも、働くということを実際に体験する機会を与えたことが紹介してあります。


国を統治する者としての課題もあまりにも多い状態でしたが、十月も終わろうとするある日、天皇は身近に見かける皇族、公卿たちの規律について、放置していると乱れるのが気になりました。


天皇は国の財政を立て直すために、本来の身内の方々を、臣籍降下という大胆なやり方で実行しましたが、それは同時には親王をはじめ皇女に、はじめてどう生きることになるかということを学ぶ機会を与えたに違いありません。


これまでとは違った暮らしのあり方を、それぞれ模索しなくてはならなくなったように思います。


新たな指示に関しても、天皇にはそれなりに思うことが秘められて谷違いありません。


衣裳についても、親王・内親王・女御および三位以上の者の嫡妻(ちゃくさい)(本妻)とその子は蘇芳(すおう)の色と象牙の刀子(とうす)(古代の小型の刀)の着用を許可することとか、六位以下の者は、金銀を用いた装飾をしてはならない。内親王・孫王(そんおう)(二世女王)・女御(にょうご)以上の者・四位以上の内命婦(うちみょうぶ)・四位参議以上の者の嫡妻とその子および大臣の孫は、みな金銀を用いた装車に乗ることを許可するが、ほかはすべて禁止するといった命をいたします。


厳しくなった分、これからの暮らしをどうすればいいかということなど、改めなくてはならなくなったのですです。


現在五畿内といわれる大和(やまと)山城(やましろ)河内(かわち)和泉(いずみ)摂津(せっつ)だけに限っても、絶えず旱魃という飢饉に遭遇していて、その手当に腐心しなくてはならない状態にあります。


宮中であろうと官衙であろうと、気持ちを引き締めていないと、どこからほころびが出てくるかもしれません。年も押し詰まる十一月のある日のこと、天皇はこれまで諸国の国司の任期は六年となっていたものを、いきなり四年といたしました。


働き方を考えなさいという、天皇が投げかけた問題だと思います。


あまりにも想定外のことで国司たちはみな困惑してしまいましたが、まだ任期があるからといって、のんびりとしている彼らの気持ちを、引き締めようとされたに違いありません。


勿論天皇がその働き方を行使なさいと言っているわけではありませんが、現代人としては、こうした話につけて、ある問題提起であると受け止めないと、まったく意味がなくなります。


兎に角古代であっても、天皇の提示されたことについては、どうすれば叶うのかということについて考えたに違いありません。


今回敢えてこのような問題を持ち出したのは、現代にも通じる問題提起になるのではないかと思われたからです。経済的な引き締めということは充分に納得できる処置ですし、高所得者の引き締めについても納得ですが、何といっても弱い立場にある者に、生きる術を持たせようという配慮があることに、これまでの為政者とは違った提案であったということなのです。


これまでのんびりとして暮らしてきた方々にも、暮らし方を工夫しなくてはならなくなり、昨今は自分にとって適職ではないと判断すると、あっという間に転職してしまう時代になっていますが、そんなことをしてもアルバイトで暮らしを繋ぎ、適職探しに時間稼ぎをする者の姿を見ますが、それはまさに現代を生きる者の余裕というものです。


天皇が文人政治家として古代では異色の為政者であるといわれるのも、格差は当たり前といわれている時代に、底辺にある人々の救済を、教育ということで行おうとしたことです。果たして現代の若者の余裕のある適職探しについて、どう受け止めればいいのだろうか。そのためにただ自分に甘い判断をして、自由な時間を過ごしているだけの者はいないだろうか。思うようにならないからと言って、それで犯罪を引き起こすというのは、まったく理解できません。


温故知新(up・to・date)でひと言


為政者はあくまでも「呉下阿蒙(ごかあもう)」といって、いつまでたっても学ぶことの進化のないということをいうのですが、それではいけませんね。何事も必死でことに当たらないと達成できないという「射石飲羽(しゃせきいんう)」という言葉の意味を噛みしめて、目標について立ち向かってみましょう。間違って大して努力もしないで、「富貴浮雲(ふうきふうん)」という、地位や財産を得て安住するという夢などは見ないようにいたしましょう。「謹厳実直(きんげんじっちょく)」でなくてはなりません。無心で目標に向かって努力することです。


 


 


 


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