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嵯峨天皇現代を斬る その九の四 [趣味・カルチャー]

       第九章「人間関係をうまくやるために」(四)


         課題「心の持ち方で人生が決まる」


 最近地震が起こり被害が人民に及んでいる。吉凶は人の善悪に感応して、天がもたらすものであり、朕の言葉が理に背き、民心が離れてしまっているのではあるまいか・・・。


為政者・嵯峨天皇


弘仁九年(八一八 


発生した問題とは


去年は旱魃で秋の収穫が損われ、現在は日照りで田植えを行うことができなくなってしまったことから、嵯峨天皇は自らの不徳のせいだと、天の下す罰を恐れて内裏正殿を避けて謹慎し、使人を手分けして派遣して群神に奉幣しようと思っていらっしゃいます。天皇と皇后の使用する物品、および常の食膳等は、いずれも削減すべきであると指示していらっしゃいます。そして左右京職に指示して道路上の餓死者を収めて埋葬し、飢え苦しむ者には特に物を恵み与えよともおっしゃいます。不順な天候が続き、雨期なのに日照りが十日にもなっているのです。


 そんなところへまた地震が起こります。


天皇は次第に追いつめられています。


 第二章「安穏な暮らしを保つために」その二「為政者として心掛けること」というお話の中で、すでに紹介しましたが、嵯峨天皇の心情を端的に表明していると思われる史実の記録を、もう一度披露しておきます。


 「天命を受けて皇位に就く者は、民を愛することを大切にし、皇位にある者は物を済うことを何より重視し立派な精神を践み行う者である。朕は日暮れ時まで政務に従い、よる遅くなっても寝ずに務めているが、ものの本性を解明するに至らず、朕の誠意では点を動かすことができず、充分な調和を達成できないまま、悪徴がしきりに出現している。最近、地震が起こり、被害が人民に及んでいる。吉凶は人の善悪に感応して、天がもたらすものであり、災害はひとりでに起こるものではない。恐らくは朕の言葉が理に背き、民心が離れてしまっているのではあるまいか。朕は天が下す刑罰をおそれ、心が休まらない」(日本後記)


 天皇の気持ちはどうあろうと、人民としては安定しない気象状況にはかなり苦しめられています。


 「常陸の国では去年十一月の格に決められている法によって夷俘に支給した口分田は六年後から租を徴収することになりましたが、彼らは手厚い恩恵に浴しているとはいえ、貧しいので、伏して、しばらくの間田租を免除して優遇することを要望いたします」(日本後記)


そうかと思うと陸奥国からはこのようなことが報告されます。


 「反乱を起こした俘囚吉弥侯部於夜志閉らの仲間六十一人を捕らえましたので、慣例に従い身柄を進上すべきですが、犬羊のようなつまらない彼らであっても、なお、家族のことを思っていますので、伏して、城下に留めおき、その妻子を呼び寄せることを要望します」(日本後記)


というのです。


天皇はすべて望む通りに許しました。


 「朕は才能がないのに、謹んで皇位につき、民を撫育しようとの気持ちは、わずかの間も忘れたことはない。しかし徳化は及ばず、生気は盛んにならず、ここに至りはなはだしい咎めの徴が下されてしまった。聞くところによると、『上野國(かずさのくに)等の地域では、地震による災害で、洪水が次々と起こり、人も物も失われている』という。天は広大で人が語れるものではないが、もとより政治に欠陥があるため、この咎めをもたらしたのである。これによる人民の苦悩は朕の責任であり、徳が薄く、厚かましいみずからを天下に恥じる次第である。静かに今回の咎のことを思うと、まことに悲しみ痛む気持ちが起こって民が危険な状態にあるとき、君一人安楽に過ごし、子が嘆いているとき、父が何も心配しないようなことがあろうか。そこで、使者を派遣して慰問しようと思う。地震や水害により住居や正業を失った者には、使者らが現地の役人と調査したうえで、今年の祖調を免除し、公民・俘囚を問うことなく、正税を財源に恵み与え、建物の修復を援助し、飢えと露宿(ろしゅく)生活を免れるようにせよ。圧死者は速やかに収め葬り、できるだけ慈しみ恵みを垂れる気持ちで接し、朕の人民を思う気持に副()うようにせよ」(日本後紀)


 


為政者の対応つい鬱積しがちな気分を開放しようとされた帝は、嵯峨別院へ行かれたり、神泉苑へ出かけられたりされるのですが、従った重臣達に、こんなことをおっしゃるのです。


 「天命を受けて皇位に就く者は、民を愛することを大切にし、皇位にある者は物を済(すく)うことを何より重視し立派な精神を践()み行う者である。朕は日暮れ時まで政務に従い、夜遅くなっても寝ずに努めているが、ものの本性を解明するに至らず、朕の誠意では天を動かすことができず、充分な調和を達成できないまま、悪い徴(しるし)がしきりに出現している。最近、地震が起こり、被害が人民に及んでいる。吉凶は人の善悪に感応して、天がもたらすものであり、災害はひとりでに起こるものではない。恐らくは朕の言葉が理に背き、民心が離れてしまっているのではあるまいか。朕は天が下す刑罰を恐れ、心が安まらない」(日本後紀)


 各地では農民たちが中心になって、空海の作った、呪力の籠った言霊である「雨を喜ぶ歌」(精霊集)を神仏に捧げて歌い、箕(みの)や笠をつけて雨乞いの踊りを神仏に捧げています。そんな時でした。天皇は空海に講和を依頼するのです。


「あやまちを犯すものは暗い迷いの心をもち、福をなすものは明るいさとりの心をもつ。明るさと暗さは一つにはならない。迷いの心の強いときは、さとりの心は弱く、さとりの心の強いときは、迷いの心は弱い。さとりの知恵が強ければ、あらゆる徳が完成し、愚かな迷いにより、さとりの心が弱ければ、あらゆる災禍が侵してくる。この主旨を充分理解しているのは、わが師釈尊のいわれる全智というものである。伏して思うに、わが皇帝陛下は、安定した心と、深い知恵を身につけられ、知恵と、慈悲の心が、その胸中にあふれておられる。自らの足を、この汚れた世に踏み入れられ、その手をあらゆる生ある者のためにさしのべられ、この世の万民の父とし、あらゆる国の母となっておられる。堯の子の丹朱は不詳の子であって、釈尊の子善星は、凶暴であった。そのように、万民は愚かであって罪深く、旱魃、疫病と、病がいたるところに起こっている。この塗炭の苦しみをあわれまれて、尊い御身を屈して仏を請かれた。心を清らかな香りのように洗いきよめ、身体を花のようにつつしみ深くされた。多くの僧は思いを凝らして、「大般若経」を転読し、三つの解脱の教えに思いを深めた。なにとぞ願わくば、すべての災禍も、空の一字によって、万民の悪業を融かし去って、すべての存在は仮のものにすぎぬという、人無我、法無我の二つの道理によって、わが大王に幸せを多くもたらせたまえ。風雨が激しく吹き降らずとも、恵みの水は田にあふれ、柳の枝を用いずとも、疫病はすべてほろびるようにさせたまえ。上御一人は、苦しみにただよわせられることなく、下、万民も何事もなく安んじさせたまえ。五種の天神、八道の神々、ともに法のめぐみを浴びて、ひとしくさとりの道へ登らせたら」(性霊集)


これは天皇だけではなく、現代の我々にとっても、心の支えとしておいてもいいのではないでしょうか。


温故知新(up・to・date 


 なにか一人ぼっちを感じたりしている人の心の支えとして、秘かに胸に秘めていてもいいのではありませんか。古くから


和光同塵(わこうどうじん)」という言葉があります。賢人が自分の才智を目立たないようにして、俗塵にまみれ世間一般の常識に従うことも大切だと心得ておきましょうということです。これが誠の知恵ではないかということなのです。矢鱈に知識や博学をひけらかすことがいい時代に思えてしまうのですが、善悪を心にとどめて、「体元居正(たいげんきょせい)」正しい立場に身をおいていることが大事です。「精神一到(せいしんいっとう)」でいきましょう。つまり精神を集中して事にあたれば、どんな難事でも成し遂げることができるように思えます。余計なことに気を散らしている余裕はありません。



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