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閑話 嵯峨天皇現代を斬る その八の六 [趣味・カルチャー]

     第八章「説得力のある訴えをするために」(六)


       為政者の課題・「地方は特色を活かせ」


 地方はその地方の特色を取り上げて魅力的にしていかなくては、苦境から脱することが難しいということに気が付いて努力し始めたのですが・・・。


為政者・仁明天皇


天長十年(八三三)五月十日


発生した問題とは


 この都の二月に淳和天皇から譲位されて、皇太子の正良親王が即位して、仁明天皇となりました。


 「武蔵国は広いので、旅をするのに困難が多く、公私の旅行で飢病に陥る者が多数にのぼります。そこで多摩・入間両郡の郡境に悲田院を置き、六人の官人の俸禄をさいて、食料の原資とすることを企画いたしました。割いた俸禄は出挙に登録(利息付貸付)しておきます」(続日本後紀)


朝廷はそれぞれの国の特色を活かそうと考えた結果、相撲が民の娯楽でもあるし、武事の訓練にも欠かせない、最も大事にしているものであるという知らせがあったので、それを利用しようということになって、越前・加賀・能登・佐渡・上野・下野・甲斐・相模・武蔵・上総・下総・安房等などの国に指示して、強力の持ち主を探し出して、朝廷へ差し出すように指示したりいたしました。これまでは豊作を祈念して、神泉苑などではしばしば相撲を取らせたりしてきたのですが、武事にもその訓練のために力が利用できるということで工夫されたのでしょう。地方によって問題も多く、それを解決してくれという要求も多いところから考えられた施策でした。


ところがようやく新たな天皇による為政が始まったばかりだというのに、平安京には相変わらず異常気象が襲いかかり、北山に黒雲がたちこめて山嶺が見えなくなり、終日寒くて多くの人が綿入れを着こんだということがいわれました。しかし現実には、そんなことでは片付かない問題が持ち込まれてくるのです。即位間もない時には馴れないさまざまな行事に遭遇しても、実務に詳しい廷臣たちが就いていますから、為政に関しては支障のないように処理してくれています。間もなく持ち込まれたのは大和国の問題です。年来穀物が稔らないために、規定の稲の貸し付けもできないので、富裕な者から稲を借り受けて飢民の生活の足しにするのですが、その後官人は稲を貸し付けたまま利子を回収することを怠ってしまうということが起こっているのです。国の財政を考えると、収穫時にはきちんと返済させるようにしなくてはなりません。そんなところへ後追いするように京、畿内・七道諸国が飢饉に見舞われてしまいます。


為政者はどう対処したのか 


 「ひとたび穀物が不足すれば、百姓は不満を抱くものなので、必ず貧乏の者を救済するという原則に従い、併せて勧農を行うことにする。これは病む者を救い、国家の基礎をかため、民の生活を安定させることである。時々に沿革はあっても、みなこれを目的にしている。朕は謹んで天命を受けて人民を労り、世界を和平にする方策を立て、仁徳が行き渡り、人々は長命を享受できるようにしたいと思っているが、聞くところによると昨年は穀物がはなはだ稔らず、民は飢え病になっているという。朕は支配者として臨みながら、民を安らかにすることができていない。静かにこの事を思うと憮然たるの気持ちの止むことがない。ここに暑季が始まり作物が繁茂する時期に当たり、人民を憐れむ気持ちがなければ、恐らくは努力がたりないことになろう。京・および畿内・七道諸国の飢民に対して、物を恵み与え、その生活を支え済うことが出来るようにせよ。ことは国司に委ねるので、充分に考慮し、努めて恵みが行きわたるようにし、朕の意とする所に沿うようにせよ」(日本後紀)


天皇はそうした厄介な困難に対処することで、お疲れになって、病を得てしまわれるのでした。


公卿たちは殿上に控えて、京の西山で修行する仙樹(せんじゅ)という


名の呪術で知られた僧侶と僧都らが、共に天皇のために祈祷を行った襖七条と錦七百屯を七大寺(東大・興福・元興・大安・薬師・西大・法隆寺)に分けて送り、転経・薫修(香気が残るように影響を生み出すよき修行)を行って、直ぐに病が癒えるよう祈願した。しかし諸国では疫病によって若死にする者が多いということを聞いた天皇は、修善(しゅうぜん)(仏教の良き修行)なくしてどうしてこの災いを(はら)うことができようか。諸国に司令して修練を積んだ僧侶を、大国では二十人、上国では十七人、中国では十四人、下国では十人程呼んで、三ヵ日間、昼は『金剛般若経』を転読し、夜は薬師悔過(やくしけか)(薬師如来を本尊として懺悔する仏寺)を行なえ。布施は、仏前に穀十斛、僧侶に三斛を施せ。正税をもって当てがうこととし、精進に努めさせよと指示されると、更にこうおっしゃいました。


「雲雨により天は広く慈しみを下し、恥を耐え忍び他人の欠点に寛容であることが君主のとるべき態度で、これより恩沢を施すものである。朕は謹んで皇位に就き政治のあり方について諮詢(しじゅん)し、人民を大いに庇護し、安んじて生活できるようになることを期している。ところで、罪人を放免する赦令は、本来悪人にとり好都合で、暴れ馬に喩えられる危うさを伴う施策である。朕はこのことをしらないわけではないが、悪を悔い自らを新たにし、旧悪変じて善へ遷(うつ)るようにさせたいと思う」(続日本) 


罪人に対する扱いについての指示をされると、この頃疫病が発生し、しばしば若死にする者がいると聞いている。天下諸国に司令して、疫病をもたらす疫気を謝絶し、この災いを攘うべきである。ただし、病人に対する加薬や潔斎については従前の決まりに従ってやれとおっしゃったのでした。


地方の問題に取り組み始めた時に病臥してしまわれたのですが、間もなく回復されるのでした。


兎に角地方の特色を活かしていこうとし始めたところです。正に現代的な課題だったのです。


温故知新(up・to・date)でひと言


 現代の地方創世大臣はそれを強力な形で行おうということだったはずですが、はたしてそれは適切に、有効な形で行われているでしょうか。それぞれ地方には地方の特色があるのだから、それを活かしてその地方を活性化しなさいと言うのはすでに平安時代に行われた大変先進的な発想に思えてなりません。つまり地方は情勢の変化によって「臨機応変(りんきおうへん)に適切な対応処置をとることを促しますし、為政者はそこに住む民が何を求めているのかということについて施策を考えて、政治家はよく気が利いて世話のいき届く公僕でなくてはなりません。そんなことから使われる言葉に、「麻姑掻痒(まこそうよう)という言葉があります。中国の伝説的な仙女といわれる麻姑は、爪が長いので背中が痒い時に借りて掻いてあげるという伝説から生まれたものです。民がこうあって欲しいと思うことを、少しでも早くやるということが大事です。そんなことを考えると、地方にとっては、先ず大都会との連携を速やかにする、


通八達(しつうはったつ)が大事です。つまり道路が四方八方に通じていて交通が便利であることです。さまざまな経済、文化が取り入れられるようにしておくことが大事ということではないでしょうか。



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