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アニメと音楽の部屋☆ ア23「メインスタッフに違和感が・・・」 [テレビ]

 

 番組というものはたとえどんな反応になろうと、契約した本数はつづけて制作されていきます。勿論それでもあまりひどい反応だと二十六本という約束ではなく、無理矢理十三話で打ち切られてしまうことがあります。お陰様でそういった運命をたどった番組には出会ったことがありませんが、脚本家にとっては視聴者の反応がいいか悪いかで、原稿を執筆する勢いに影響することはいうまでもありません。しかし今回の「宇宙戦艦ヤマトⅠ」に関しては、いろいろな思いがあって始まりましたから、「名作童話」のシリーズの人気を越えることはなかなかできませんが、作品としては絶対に負けていないという自信はありました。SF番組としても同じような作品が沢山ありますが、その中でも異色の存在感は示せているという自信はありました。放送の回数が増えていくようになると、次第にファンの間ではじょじょに噂にはなり始めています。それにしてもズイヨウが制作するフジテレビの「アルプスの少女ハイジ」は1974年1月6日~12月29日まで放送されたために、我が「宇宙戦艦ヤマトⅠ」は、その出足を挫かれてしまいました。しかしフジテレビはそれから間もなく、1975年1月5日から日本アニメ制作の「フランダースの犬」を放送し始め、しかもそれはその年の12月28日までつづいたのです。「宇宙戦艦ヤマトⅠ」は、視聴率競争で苦い思いをさせられつづけていました。

 前回は一寸本来のお話とは違ったお話をしましたので、今回から数回は「宇宙戦艦ヤマトⅠ」のワンクール・・・つまり13本が放送された1974年12月から1975年3月30日までを中心にしたお話をしようと思います。

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 作業はこれまでどおりのペースで進められていましたが、「名作童話」にしてやられていることについても、比較するにはあまりにも内容が違い過ぎることもあって、スタッフはほとんど視聴率の結果については失笑しているだけです。気にすることはありませんでした。むしろ彼らはこれまでの動画界ではやらないような内容であり、これまででは経験しないような政策態勢で作業をしているという、高ぶる気分さえ感じ取っていたのでないでしょうか。シリーズの原点となる脚本を書きつづけている私は、西崎義展氏との付き合いの始まりからの経緯を考えても、このまま引き下がってしまうことはできませんでした。もしかすると彼のところには、そんなに悪くない情報が集まってきているのかもしれませんが、現在のところの結果については、あまり落胆している様子はまったく見せませんでした。

しかも私には「宇宙戦艦ヤマトⅠ」の制作が始まる頃でしたが、かなり親密な付き合いをしてきた東映動画からあるアタックがありました。狭い動画界でのことですから、いろいろな情報が集まっていたのでしょう。親しいYプロデウサーから西崎氏との仕事は止めた方がいいとアドバイスをされたのです。それにたいして私は真剣に、今回の作業については、これまでの動画界では試みられないような企画であるということもあるので、どうしてもやり通したいのだと真剣に説明いたしました。ところがそれを苦笑しながら聞いていたY氏は、帰ろうとする私に対して、「このまま仕事をつづけるのであれば、東映動画からの仕事は減りますよ」とまでいわれたのです。しかしそこまで聞かされても私は引き下がろうとは思いませんでした。今自分がやっていることは、きっと動画界に大きな刺激を与えることになるという、開拓者になるような気持ちでいたのです。その気持ちの支えとなった理由の一つは、西崎氏の引き下がる様子を見せない姿でした。作品の内容から考えてもじょじょに返ってくる視聴者の反応についても、期待感があるものが多くなりつつあったのです。

兎に角それまで一般的には見慣れた「名作童話」ですが、視聴者の中にはまだその童話を読んでいない人もいるでしょうし、かつて読んだことのある人もいるでしょう。親しまれる内容ですから抵抗もなく見られます。それが習慣になって、番組が終わっても、次にどんな作品が取り上げられるのかと期待して待っています。そのうちに動画を扱う雑誌などが「ははを訪ねて三千里」が準備中であるということでも発表されると、その完成を楽しみにしながら、これまで馴染んできた路線に近いような番組を選んでみているのです。

 なかなかその雰囲気とはまったく違った「宇宙戦艦ヤマトⅠ」については、評判を聞いて一寸覗いたとしてもそのまま定着することはないでしょう。しかし番組が進むに従って、対象年齢が大分違ってきているのに気がつきました。いわゆる少年少女よりももう一寸高年齢の若者にということで制作し始めたので、いわゆる「名作童話」を見つづけている視聴者ははじめから対象がということになります。なかなか「宇宙戦艦ヤマトⅠ」にはチャンネルを変えて貰えないのは当然です。しかし時間がたつにつれて大学生から接触を求めてくることが増えてきていたのです。企画をする時にこれまでとは違って高学年年の視聴者に向けた冒険活劇という目標を立てましたが、それがようやく実り始めたのかと思うようになっていたのでした。そんなことあるのか、一緒に脚本を書くことで協力してくれている山本暎一氏は、所謂エンターテイメントということを重点に置くよりも、時代の空気に背くような発想をするよりも新しい左翼主義的な思想に乗った作品を書くことが多くなってきていました。彼も時代の空気を無視して制作することに疑問を感じ始めていたのかもしれません。しかし戦記物をベースにしてきた松本氏にとっては、いささか向かう方向が違ってきたので、次第に不満をいうことが多くなってきていました。しかし私は山本氏と同じように時代の空気というものを無視してはいけないとは思うのですが、それを彼のように真正面から取り上げてしまうと、一寸堅苦しい話になりがちになると考えるので、全面的には乗り切れませんでした。しかし西崎氏は相談に乗って貰っていることもあって、どちらかというと松本案に乗りながら、山本案についてはまったく否定しては来ません。そんなことから山本、松本両氏の間では、次第にぶつかってしまうことが多くなりました。そんな空気を感じるのか、山本氏はそれからあまり打ち合わせに直接出てこなくなり、会議の前に西崎氏と事前に打ち合わせをするというようになりました。そのために西崎氏が発言することの背後には、山本氏の意向があるのではという疑念がスタッフに広がり、いつか打ち合わせにはどこかすっきりとしないものが漂い始めてしまったのでした。


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ドラマと特撮の部屋☆ ド36「ロボコン・ゴレンジャー異聞」 [テレビ]

 

今回は「宇宙戦艦ヤマト」の放送が始まってから半年も経過した1975年頃のお話をしようと思います。視聴率が一気に上昇するということはありませんでしたが、それでも着実に番組に対するファンは増えていったようで、これまでとは違ったファンといえる女子高校生たちが、私の作品に興味を持って接触してくるようになっていました。中学生世代から一寸視聴者の年齢層が上がってきたのでしょうか。自宅近くの高校の文化祭に呼ばれて番組の話をしに行ったりしました。やはり女学生にとっては「さすらいの太陽」「ムーミン」などに対する興味があったようで、その延長で「マジンガーZ」や「宇宙戦艦ヤマト」を書く私に興味を持ってくれたようでした。兎に角多忙なスケジュウルを縫いながらですが、はじめてファンとの交流に力を得たようにも思えたものでした。ところがこの頃には、友人の脚本家上原正三氏が東映本社と開発した「がんばれロボコン」と「ゴレンジャー」という作品の、助っ人をして欲しいといってきたのです。

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本来なら一人で書ききってしまってもいいのでしょうが、彼はどうもそういった勢いはないようで、どうしても助けて貰わないと間に合わないのだというのです。「宇宙戦艦ヤマト」の作業が大変面倒ではあったのですが、その合間を縫って協力することになったのですが、実は彼と私には、これまでほとんど知られていない長い付き合いがあったのです。

 今回は今年一月二日に肝臓癌のために急逝した脚本家上原正三氏について、私の思い出を中心に、これまでほとんど知られることがなかった彼との関係について、敢えて書いておくことにしました。

 私がはじめて彼とであったのは、「ウルトラマン」を書き始めて間もなくのことでしたが、上原氏は円谷プロで活躍し始めた先輩の金城哲夫氏を頼って、沖縄から東京へやってきた直後で、プロダクションの新人社員として働き始めた頃のことでした。円谷プロダクションの事務室で出会いましたが、兎に角東京にはまったく業界に通じる人もいないということもあったので、何かと私に相談をしてくるようになりましたし、私も少しは役立ってやりたいと思いました。彼が作家を志望しているということを聞いてからはなおさらでした。私も結婚して長女を得たころのことでしたので、まだまだこれから必死で地歩を固めていかなくてはならない時代でしたから、同志を得たつもりで、兎に角不慣れな東京暮らしのサポートをしてあげようと決めたわけです。南国沖縄育ちという性格もあって大変楽天的なところがありましたから、大変楽しい付き合いをすることになりましたが、それから間もなくのことです。彼は同じころに入社したM嬢と早くも恋仲になっていたということを告白してきたのです。そして作家として生きるために円谷プロを止めてしまって独立をすることにしたのです。そしてそれからは同じ事務所にいた新入社員のM嬢と懇意になっていたこともあって、やがて結婚したいと告白してきました。そんなある日のことです。M嬢のお母さんがわざわざ東京からかなり離れた郊外の家から、わざわざ拙宅の赤坂の一ツ木まで出ていらっしゃって、上原氏の人柄について聞きたいというのです。私はお母さんとTBSの隣のビルにあった「トップス」という洋菓子店で彼についての人柄を丁寧に説明して、お嬢さんとの結婚に関しては何も心配はないと力説して帰って頂いたことがありました。それから間もなくのことです。上原氏は彼女と婚前旅行に行きたいと報告してきたのです。ところが彼らは私たち夫婦も一緒に行くとお母さんに報告したようで、旅行から帰ってくると間もなく、彼女のお母さんから電話が入り、大変お世話になりましたという丁重にお礼を言われてしまったのです。私も家内も二人の旅行には同行してはいませんし、その時はじめて二人が私たちを山車に使って婚前旅行を決行したということを知ったのです。突然のことでしたが、私も家内も見事に彼らをかばって処理をいたしました。しかし一緒に旅をしたはずなのに、記念の写真が一枚もないのにお母さんは気が付いていなかったのでしょうか。

 いつもその時のことを話しては笑ったものです。やがて結婚の時は金城氏と私が仲人となって、M嬢の家まで結納の品を届けに行きましたが、その時にはすべて私がお祝いものに筆書きを受け持って生きました。

 二人の生活が始まりましたが、まだまだ新人作家でしかない彼は、それほど稼げるわけではありませんでしたので、新居を決める時の保証人になって欲しいといってきたり、それから多少書けるようになったころにはもうちょっといいところに住みたいのだけれど資金が足りないといって、暫く貸してもらいたいといってきたりしました。とにかく慕って来る以上助けてやりたいと、私は父から貸してもらって彼に融通してやったことがありました。お互いにこれから業界で実績を積み上げていかなくてはならない次代でしたが、兎に角深夜に夫婦で出会うことが多くなり、赤坂にあったボーリング場へ出かけて息抜きをして交流しながら、お互いに激励し合っていたものです。彼があまり必死で仕事をしないといって、奥さんから頼まれて説教をしたこともありましたが、まあ、それだけは作家のペースということもあるので、ほどほどにして止めておきましたが・・・

それから長い付き合いになっていったのですが、それからはお互いに忙しくなりそう絶えずは逢えなくなりましたが、それでも毎年お正月だけは、必ず家族を連れて挨拶をしに来てくれ、家内の用意した料理で祝宴を楽しみ、その年の思いを述べあって別れていたものです。それが数年前のあるパーテイで出会った時のことですが、彼は突然癌に侵されてしまったというのです。このままだとあと五年という寿命だと宣告されたというのですが、兎に角すぐにその摘出の手術をしたというのです。しかしそこでまた新たに転移している癌が発見されたようで、近々また手術をしますという話だったのです。しかしその後・・・メールで激励をしていたのですが、やがてその返信も途絶えがちになってしまって、結局先日の息子さんからの訃報の知らせということになってしまったのでした。

上原正三はようやく沖縄という生まれ故郷の歴史に着手する時が来たと思われる時に

、私との青春時代の思い出話をすることもなく静かに去ってしまったのでした。あれこれと面倒を見てあげていた後輩脚本家だっただけに、それにしては何の別れの挨拶を交わすこともなく、思い出の中でだけ生きる人になってしまったのでした。今は彼が残していったお子さんたちがその絆を繋いでいてくれます。


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告知と放談の部屋☆ 放35「世の中コネ次第という中学生」 [テレビ]

 

 脚本を書く上で作家が密かに意図していることがありました。この「宇宙戦艦ヤマトⅠ」では、番組を見る人に宇宙を旅するという解放感を与えることができたらということです。果たしてその狙いが的中するのか、それとも見当違いになってしまのうか、それがいつになったらはっきりするのか判りません。恐らく小説「徳川家康」に夢中な人達は、SF作品の「宇宙戦艦ヤマトⅠ」などといっても歯牙にもかけてくれないでしょう。しかしいつか私の胸に秘めていた管理社会からの解放という思いは、そのうちに肌で感じ取ってくれる世代が現れると期待していました。まさに孤独な楽しみでした。時代の空気を読み取るという「さすらいの太陽」以来の勝負ですが、久しぶりに試してみたい気持ちになっていたのでした。暫く様子を見つめるしかありません。当たり前な食事時間を摂るようなことはせずに、おにぎりをかじりながら、想像のできないような過酷な執筆作業をつづけていったのでした。

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 兎に角期待をこめて送り出した作品に、期待通りの評価が得られないということは、企画からかかわってきた者としては我慢できるものではありません。しかし現実はあくまでも現実として受け止めなくてはなりませんが、戦艦大和を宇宙へ飛ばしてしまうという一見滅茶苦茶な発想を提案した私としては、視聴者が窮屈な日常からの解放感のようなものを感じ取ってくれなくては意味がありません。そういうことについては、まだはっきりと意思表示をするような反応はありませんでしたが、それについての結論を求めるには早すぎるのかもしれません。番組に託した思いが視聴者に浸透していくには、かなり時間が必要なようです。作品に託した作家の密かな楽しみは、もう暫くお預けという状態でした。

 「宇宙戦艦ヤマトⅠ」の放映は予定通りに進んでいきます。

しかし視聴率ということでは相変わらず「名作童話」には遅れをとっております。しかしその分西﨑氏のところへは、さまざまな情報が持ち込まれているようです。勿論そういったことについては、脚本家にとっては関係がありません。私のところにもじょじょに興味を持ってくれる視聴者が出てきてはいました。

 私が「さすらいの太陽」の原作者であったり、特撮の「ウルトラマン」「マジンガーZ」を執筆していたこともありましたので、作家とはいっても多分漫画家なのだろうというくらいの認識だったのでしょう。ある日のこと郵便配達夫がわざわざ玄関までやって来て、是非サインを下さいといって色紙を持ってきたほどで、私はコミック作家ではないということを説明するのに困ったほどでしたが、それから間もなくのことです。SFファンという少年から電話があって、是非会いたいという真剣なお願いでしたので、いきなり拒否してしまうことができませんので、逢うことを承知しました。動画作家の友人からは、いわゆるファンという人の中には兎に角無作法な者もいるので、よほど覚悟しておかないと飛んでもない迷惑を掛けられてしまいますよとアドバイスをしてくれましたが、今回の少年の連絡の取り方が常識的なもので決して不快になるようなところがありませんでしたので、冷たく扱うことはできませんでした。

 それから間もなく一寸やんちゃな感じの、物怖じしない感じの現代少年が、自転車に乗ってやってきました。

応接間へ上げてじっくり話を聞いてあげるつもりで、家内が用意してくれた茶菓を勧めながら相手をしたのですが、彼がいきなり訊いてきたのは現在の仕事の状態についてのことでしたので、思うようなゆっくりとした時間も取れない生活をしているという実話を話してやりました。彼はそれを興味深く聞いていたのですが、やがてこんなことを言いだしたのです。

「脚本家は一本書くと、いくらぐらい原稿料が貰えるのですか」

 あまりにも予想しない現実的な質問です。

 私の書いた作品についての思いについて、少年らしいことを聞いてくるのではと思っていたところだったので、あまりにも現実的な質問に、思わず唖然としてしまいました。

 「そんなことを訊いてどうするのだ。キャリヤを積んでいい脚本を書けば、それなりに高い原稿料は払ってもらえるよ」

 通り一遍の返事をした上で、将来動画の世界を目指しているのかと訊いたのです。

すると彼はやがて動画関係の仕事がしたいのですと答えただけで、彼の好きな作品について語るわけでもなく、極めて現実的な質問を繰り返すのです。

 「君はどうしてそんなことばかり訊くの?」

 私は思わず聞いてしまいましたが、すると少年はまったく悪びれずに、

「世の中すべてコネ次第ですから・・・」

実に大人ぶったことを平然と言うのです。

私と親しくすることで、そのコネで業界に近づこうというのか・・・。あまりにも世の中の辛酸を味わい尽くした口調で言い放つので、そんなことをどこで教わったのかと問いただしました。すると彼は大真面目で、「母が教えてくれました」というのです。私は愕然としてしまいました。まだ中学生だというのに世渡りなどについて、大人の知恵を植え付けようとしたのでしょうか。思わずお母さんはどんな仕事をしている人なのと訊いてしまいました。すると彼はまったくためらうこともなく、このところ私が実績を積んできている東映動画で、何らかの作品作りにかかわっていることが判りました。どうもお母さんは私の口利きで将来の道筋を考えてやろうとしたのでしょうか。しかしこれから未来を切り開かなくてはならない少年には、あまりにも無駄な教育をしたものだと思いました。夢を語るよりも現実を語らなくてはならないような時代になっているのでしょうか。可哀そうでしたがもうこれ以上かかわっていてはいけないと思い、兎に角今大事なのはしっかりと勉強して、どんな仕事をしてもそれに耐えられる力をつけるようにしなさいといって、帰って貰うことにしたのでした。これも時代が生み出した母子像なのだろうか・・・なんともやりきれない気持ちになってしまった体験でした。少年時代にはもっと夢を見て育って欲しいと思いましたが、あの名作童話にのめる少年少女が多いということも、実は時代の窮屈さに影響されて穏やかな物語に惹きつけられるのではないのかと思うようになったのです。あの少年も、きっとそのうち「宇宙戦艦ヤマト」に解放感を感じて楽しんでくれるようになるかもしれないと思い始め、一時は落ち込んだ気持ちを立ち直らせたのでした。


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告知と放談の部屋☆ 放34「おにぎりで執筆つづく」 [テレビ]

 

(「宇宙戦艦ヤマトⅠ」について、実作者の一人としてその始まりから終わりまでを、思い出すままに書き留めようと思うのですが、この期間中には複雑で込み入ったことを

あまりにも連続的に体験していったために、その周辺への影響などを含めて書きつづけることの困難を感じましたので、とにかく実体験をとおして私がどう感じたのか、どう思ったのかということを、可能な限り整理して書くことにいたしました。しかしあまり目まぐるしく作業が飛び込んでくるようになっていましたので、その一つ一つについてすべてを記憶に留めておくことはできませんでした。作業が進むに従って記述がはっきりとせずに進めることが多くなりそうですが、どうぞその件は御配慮頂きお赦し頂きたいと思います)

番組が始まると想像以上に慌ただしい日常が訪れましたが、シリーズのメインライターとなったのですから息が抜けないのも当然のことです。しかし月日をかけて真摯に模索してきたことが具体的な形として完成させることができたわけで、これまでとはひと味もふた味も違った感動を味うことができました。しかし感動に浸っていられるのも、三十分というわずかな間で、直ぐにその感動を断ち切って次の脚本を書き進めなくてはなりません。書き上げればその検討を済ませると、同時に次の回の打ち合わせをして帰り、また次の日の朝九時までに書き上げなくてはならないのです。作品の制作に支障を生じるようなことはできませんから、ただひたすら夢中で執筆に没頭することになったのでした。基本的に几帳面という性格的であったこともあって、約束したことは基本的に破るようなことはいたしません。動画の世界では特にその点は大事で、一つの分野を担当する者に支障が生ずると、他の分野を受け持っている人たちに次々と迷惑が掛かってしまうのです。翌朝に渡さなくてはならないという約束事はきちんと守りました。そのためには食事のためにいちいち書斎を出てキッチンへ向かう時間も惜しいので、家内の作る握り飯を運んでもらって、それをかじりながら書くということも平気でやりつづけました。連日同じような手間で次々と脚本は書かれていきました。z

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今思うとそんな日々を過ごした1974年10月から翌年の1975年まで3月までの数か月は、実にいろいろな意味で有意義な日々であったと思うようになったように思います。兎に角フジテレビが放送する「名作童話」に視聴者を奪われてしまっていて、野心的な作品を送り出して勝負をしようとした私たちは、兎に角我慢をしつづけなければならなかったのです。私はこの間「宇宙戦艦ヤマトⅠ」を中心とした作業をしながら、寸暇を惜しんで他の制作会社の作品を執筆していくという、とても通常の神経では理解できないような日常でした。

「宇宙戦艦ヤマトⅠ」が放送されるようになった頃のことですが、改めて業界で流れてくる情報によると、なぜかSF作品については名古屋地区で視聴率が取れないと、作品の維持は難しいということです。それだけSF作品については実績がある地区なのでしょう。大分前からそんな情報をキャッチしていたこともあって、企画書を作る頃から、関西地区の放送局を選んで動いていたのですが、結局大阪の読売テレビから日本テレビという系統で放送が決定しました。思い通りのスタートとなったのですが、いざ始まってみると、期待したほどの反応は現れませんでした。実際に見た人の反応はそれほど悪くはないのですが、残念ながらこちらが力をこめた作品にしては、あまり期待した視聴率が取れません。何といってもこれまでの動画界で扱われてきた作品とは、あまりにもかけ離れた素材で登場したということもあったのでしょうか。興味を持って迎えられなかったというか、その前に戸惑われてしまったのかもしれません。ある程度予想はしていたのですが、裏番組であるズイヨー映像がフジテレビを拠点にして制作する「アルプスの少女ハイジ」が、かなり前にスタートしていてすっかり視聴者の視聴権を獲得してしまっていたのです。予想していた以上にその浸透力は強かったこともありますが、名作童話ということもあって、家庭で見る番組としては親子で安心して楽しめる番組です。そんな気分が浸透しているところへ突然異質なものが参戦するのですから、これまでの視聴者の傾向から判断すると、いきなり雰囲気の違うものを見せられるのですから親しめないのも止むを得ません。期待したような爆発的な反応はありませんでした。兎に角放映をつづけていく間に、じょじょに浸透していくのを待たなくてはなりませんでした。

考えてみるとこの時間枠は、「ムーミン」以来安心して観ていられる番組が引きつづいて放送されていたのです。そんなところへいきなりガミラスという謎の星から核攻撃を受けて、放射能に侵されながら地下都市を築いてやっと生きているという、深刻な状態の地球から始まる話です。SF作品に対する関心の強いといわれる中京地区であっても、これまで展開していた楽しみを中心としたものとはかなり異質な作品の登場ということになってしまったのでしょう。しかし私はこれまでにない作品を企画したという気持ちがあって、夢中でその実現に取り掛かってきた作品です。それだけにかなり挑戦的になっていて、西崎氏がやってみたいといったかつての夢の巨大戦艦大和といわれるものを、いきなり予想外な宇宙へ飛び出させてしまうようなことぐらいのことをしなかったら、動画としてはあまりにも意外性のない作品になってしまいますよと言い切ってしまったのです。しかしそれには私なりの時代感というものがあったのです。

当時の会社の経営者、団体の統率者・指導者などは、こぞって多くの家臣を見事に統率して三百年という長い年月を平穏無事に統率していった、武将徳川家康から学ぼうとして山岡荘八氏の小説「徳川家康」を読んでいたのです。きっと厳しい管理社会になっていることに不満のある人が沢山いるはずです。私はそうした息苦しいような気分を一新するために、あの巨大戦艦大和を宇宙空間へ送り出すことで、宇宙という海を縦横に動きまわらせることになって、ある種の解放感を表現することができるのではないだろうかと考えたのです。視聴者は宇宙戦艦ヤマトの乗組員の一人になって、十九万八千光年という、気の遠くなるような冒険活劇が展開できたら、きっと宇宙という海の長い航海を楽しんでくれるようになる・・・密かにそんな期待を抱きながら、過酷な現実の作業をこなしていったのでした。


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言霊謎解きの部屋☆ 言13「ひとくち言霊」(小町) [テレビ]

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この頃はあまりいろいろなことがあるので、ちょっとしたことでは、話題になってもすぐに忘れ去られてしまうことが多いようです。世間の噂となることと言えば、よほど大事であるか、芸能人の話題ぐらいのもので、ごく通常の人の場合は、よほど大事件でも起こさない限り、人から人へと伝えられていくようなことはありません。

もう、現代ではほとんど死語になってしまったように思いますが、まだ禁煙があまり叫ばれていなかった頃のことですが、町のあちこちにタバコを売る店があって、そこにはお婆ちゃんか、可愛い娘さんが店番をしていました。そんなことから、その町でも早速評判になって、若者はその娘さんのことを町の名をとって、例えば深沢小町というような呼び方をしていたものです。この〇〇小町というのは、世界の三大美女と言われる、平安時代の女性である小野小町が発端のように思っていたのですが、実はその真相といえば、古代の・・・例えば平安時代の「源氏物語」を書いた紫式部にしても、それは決して彼女の本名ではありません。この場合は出身が藤原氏だったところから、その花の色が紫であるのを使って、式部という役職名をつけて呼ばれていたわけです。決して式部という名でもなかったのです。そんな例から言えば、小野小町というのは、小野町の小町ちゃんといったところでしょうか。とにかくあの頃の慣習としては、止むを得ないことだったかもしれません。大工町には大工町の小町がいただろうし、呉服町には呉服町の小町がいました。つまり、その町を代表する可愛い子ちゃんがいたものなのです。

そんなところから、特に名前を知らないことから、「あの子は○○小町だよ」と呼んでいたものだったわけです。そんな風習が伝えられていって、やがて名前は知らなくても、目立った子がいると、○○小町と呼ばれるようになったもののようなのです。それにしても、昨今ではほとんどそんな話を聞くことはなくなりましたね。タバコといえばコンビニで年齢を伝えて買うようになりましたから、〇〇町の小町ちゃんといって、出会えるのを楽しみにすることもなくなってしまいました。

時代の流れで仕方がないと割り切るか、何事ものどかな風習がなくなるのは寂しいなと思うかはご自由にというわけですが、どうもそんな余裕を楽しむ気分が失われてしまって、残念に思えてなりません。

あなたの町の小町ちゃんはいませんか?


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アニメと音楽の部屋☆ ア22「覚悟の執筆開始」 [テレビ]

 

「なぜ西崎氏の仕事にかかわらない方がいいのでしょう」

その詳しい理由(わけ)についてはまったく判りませんので、親しいプロデウサーであるY氏に問いただしてみることにしました。彼は何か良くない情報でも得て居たのかもしれませんが、私はこれまでの作業について、まったく疑問を持ちませんでしたし、むしろその熱意の示し方や、努力を惜しまない姿に、敬意すら抱いていたくらいで、西崎氏に対してはほとんど嫌なものを感じることがありませんでした。兎に角今回の制作についてはこれまでにない企画を立ち上げるという画期的なものなのでしたから、是非やってみたいのですと、率直に新番組への取り組みをしようとする思いを訴えたのですが、その日の対話を終えて帰る時に彼はぽつんと、「仕事が減りますよ」そう呟いたのでした。それでも私は覚悟をした上で、「今回の企画に関しては、たとえどうなっても、挑戦することに意義を感じているんですよ」

真摯に訴えて別れることになったのでした。Y氏はただ他の番組へ持っていかれるという気持ちでチャックしてきたのかもしれませんが、その頃東映動画では時代の変転に乗って、内部にあらたな編成を求める動きが始まっていたのです。西崎氏の独自の動きが刺激を与えていたのかもしれません。兎に角時代はかなり管理社会といわれるくらいで、かなり息苦しさを感じさせていたところです。そんなことがあの東映動画の内部にも起こっていたのでしょう。詳しいことはまったく判りませんが、これから一年後にはその結果がはっきりとしてきます。しかし私も今回の作業にかかわることで、仕事を減らされるかもしれないのです。それでもその作業から手を引くということはまったく考えませんでした。兎に角何か新しいことに挑戦するということは、非常に意欲を掻き立てるものだったのです。それはこれまでマイナーな作家といわれてきた松本氏にとっても、思いがけず飛翔するきっかけだったかもしれません。成果についてはまったく判りませんが、兎に角挑戦してみる価値のある規格であると確信していました。ついに神に祈る思いで脚本を書き始めたのでした。大変慌ただしい作業でしたが、脚本の執筆ができる準備に必要な設定が次々と仕上がってきています。

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艦長の沖田十三をはじめとして、若い乗組員古代進、島大介、森雪をはじめ、かなりの数の中心メンバーのキャラクターがはっきりとしてきました。ついにそんなある日のこと、スタート脚本に仕掛かって欲しいということになったのでした。

 第一話に関してはかなり細かなことまで、打ち合わせが行なわれましたが、兎に角メインスタッフからそれぞれ必要と思われることが述べられました。

打ち合わせは夜八時から九時近くまで行われましたが、用意されたタクシーで帰宅しますが、ゆっくり休んで翌日から執筆の態勢を整えるというような悠長な話にはなりません。実は放送がかなり迫って来ていたこともあったので、一刻も早く仕上げて、翌朝には印刷屋が九時までには取りにくるので、それに間に合わせなくてはなりません。そのプリントされた台本がその日の夜には練馬の制作マンションに届けられて、ゆうがたすぎからメインスタッフによる検討会が行なわれることになるのです。そこでの手直しの要求があればそれを書き留めた上で、次の話の打ち合わせを行うということになります。また同じような状態で夜九時ごろまで打ち合わせをして帰宅して翌朝九時に撮りに来るはプリント屋さんに渡さなくてはなりません。これからの日々はほとんど日常的な楽しみはお預けです。

じょじょにマスコミの取材が始まり、西崎氏のプロパガンダが始まっています。脚本はすべての作業の手掛かりとなるものです。過酷ともいえる作業は連日つづけられました。音楽については作曲編曲を宮川泰氏が担当して、それをコロンビアがそれを制作するということになりましたが、その担当プロデウサーとしてとして紹介されたのは、かねてから付き合いのあったデュオのダ・カーポとの関係で、すでによく知っている小暮一雄氏でした。気心が知れた人との共同作業となって、大変嬉しい環境になりました。主題歌も阿久悠氏が作詞担当で、歌手には佐々木いさお氏に決まりましたが、彼はかつて私の書いた「オヤスミナサイ」という「怪奇大作戦」というドラマ作品で、二役をこなす主人公を演じたことがありましたが、円谷プロダクションの長男である一氏がTBSでドラマの制作部に籍を置いていた時に演出した「煙の王様」というドラマに起用されて、若い歌手からドラマに出演するきっかけになったもので、同じTBSの制作部で演出する飯島敏宏氏に紹介でもあったのでしょう。彼は新鮮な双子の兄弟が絡んだ殺人事件の犯人と犠牲者の役を見事にこなしていました。そんな彼が今度は本来の歌手として参加してくれることになったのでした。そろそろこのあたりで、私の書く回よりも先行して書いて貰わなくては間に合わなくなると判断もあって、西崎氏は山本暎一氏、私の弟子である田村丸氏にも書いて貰うように指示することになったのでした。テレビが放映され始めると、兎に角ストップができない状態になりますので、兎に角制作の手掛かりとなる脚本の執筆がすべての始まりになります。もう一刻も猶予もありません。

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  夜九時ぐらいまで打ち合わせをして、翌朝九時に印刷屋が原稿を回収にくるまでに書き上げておくという、考えられないようなペースで執筆しつづけなくてはなりません。

私にとってのこれまで体験したことのないような作業がつづきました。ここまで来たら、泣き言など言っている場合ではありません。必死な毎日でした。ついに我が「宇宙戦艦ヤマト」は、ついに1979年10月14日、日本テレビ系の大阪の読売テレビから発進したのでした。


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告知と放談の部屋☆ 放33「発進前の危機か・・・」 [テレビ]

 

 物語の原点を決定してから、地球を救おうとする謎の女性スターシアを決め、同じ星である連星でありながら地球を制圧しようとするガミラスと、その指導者のデスラーが設定されました。その頃の地球はガミラスの核爆弾の攻撃のためにその放射能汚染が進み、地球は刻々と侵されていきつつあるのです。そんなところへ放射能の除去装置を取りに来るようにというスターシアからの救済の声があったのです。地球防衛軍基地ではその呼びかけに応えるために、第二次世界大戦の末期にアメリカ軍の猛攻を受けて、九州坊ケ崎に沈没している不沈艦といわれた戦艦大和の復活を考えることにしたのでした。兎に角地球を絶滅の危機から回避するために、一刻も早く新たに宇宙戦艦として甦らせて旅立たなくてはなりません。兎に角戦艦大和という存在を活かそうということから、その装備については点検して、新たな「宇宙戦艦ヤマト」に活かせるものはそれを利用しようということで、あれこれスタッフは議論を重ねていました。地球には様々な攻撃が襲いかかろうとしているのです。スターシアの星までの航路が決められ、そこで起こる冒険ともいえる出来事、事件も協議されていきました。それらの打ち合わせが行なわれる度に、必要があれば各パートの担当者がビルの各階から呼ばれて、メインスタッフからの注文を受けたり、問題に応えたりして直ちに次の打ち合わせのための設定をラフに書き上げてきてくれます。

番組の決定的な魅力の存在となる「宇宙戦艦ヤマト」のキャラクターが決定ということになって、ついにスタートの話をどんなものにするかということについての協議に入りました。この頃から西崎・山本・藤川の打ち合わせは、連日午後三時ごろから、スタッフから寄せられる各パートの仕上げの状態をチェックしたりしながら、時には松本氏にも加わって貰って、かなり熱っぽい議論が行なわれるようになりました。

先日スタッフとの顔合わせをして意気投合したこともあって、映像作品・・・特に動画においては、かなり多くのパートに人材を得なくてはならないということを知りましたが、その度にそれぞれのパートに有能な者が参加してチームとしてバランスが取れていないと、完璧な作品にはならないということも実感しました。ドラマ番組のように監督の能力次第で作品の出来が支配されることが多いのと違って、動画の場合は各パートのアーティストの能力に託されることになるので、そのバランスが整わないと満足できる作品にはなり得ません。出来のいい動画というものには、そうした条件があるということを知っておく必要があるということが理解できただけでも、今後の動画作品に対する私の動画感に一つの見方を与えてくれたような気がします。

 これまで一つのシリーズを持続するためには、かなり多くのアーティストの協力が必要になるということを再認識すると同時に、毎週放送するための条件を充たすために、それぞれの制作会社は、ほとんどのシリーズ作品を制作するためにほとんど制作チームを五班編成にしていましたが、それには更に苦心されていることが秘められているのだということをしりました。例えばAというティームには上から下までバランスの取れたアーティストが集められていますが、B・C・D・Eとなると、どうしてもAチームにかかわった人たちとは一寸力に賭ける人を組み入れざるを得なくなるのです。そのためにシリーズとしてはどうしてもメインライターの書く作品だけが力量の揃ったAチームで制作されることが多くなります。その他のチームはどうしても少しづつスタッフの力量に不足する者でも起用せざるを得ない状態で制作されることになってしまいます。作品の出来については、自ずと差が表れてしまうことになります。

 最近は各パートの作業もデジタル処理がおこなわれるので、そうした問題も解消されつつありますが、当時はそうした問題を抱えたままでの作業でした。それでも今回はそうした弱点を露呈しないために、かなりの能力者を集めてくれたようです。しかもそれらの人が一つのビルの各階に控えて作業をしていくので、その一つ一つの作業の結果は、直ちに最上階の制作陣に提出されて検討され、手直しがあればその場でしじが出されるという状態です。恐らく当時としてはまったく異色の制作風景であったように思われました。たしかにこのように手をかけていく作品作りということは、これまでの動画界ではあり得なかったはずです。

 テレビの放送に向けた作業が慌ただしくなってきましたので、松本氏の設定を書く作業は、これまで以上にせわしなくなっていましたが、地球の様子が決定したところで、そろそろ放射能の除去装置を取りに来るようにという、謎の女性スターシアの呼びかけに応えて旅立たなくてはなりませんが、それにはかなりSF的な知識が必要です。多少高学年の視聴者に満足してもらうためには不可欠なことになります。そのためには時によって豊田有恒氏にも加わって貰ったりしなくてはなりません。其れと同時に兎に角出帆する前には、かなり決めておかなくてはならない「宇宙戦艦ヤマト」の戦いの基本姿勢というものを固めておかなくてはなりません。企画が始まった頃の高学年の青少年を対象にした冒険活劇作品という条件を充たすために、打ち合わせを重ねていきました。地球はガミラスの核攻撃のために、その放射能で死滅するという危機状態が刻々と迫っているのです。「宇宙戦艦ヤマト」の旅には、には極めて大きく重い使命が課せられることになりました。もう単なる冒険活劇作品ではなくなっていったのです。脚本家の私としては、ますます意欲が掻き立てられますが、旅のあり方については、かなりさまざまな問題があって、松本氏の持論だけでは進められないことがありました。時にはその扱いについては議論が険しくなることもあります。航海の途中では敵とも遭遇してしまいますが、そのお処理の仕方や乗組員たちの姿勢に関しては、それぞれ主義主張する方向が違うために対立が生まれたりもしました。そんな時には結局脚本が書き上がった段階で判断し用ということになったのでした。

私にとっては協議の結果をどうまとめられるのかは、いつも大変緊張する問題でしたが、これまでこのようなことで脚本を書いていったことはありませんでしたから、大変興味深い作業になってしまいましたが、でしたが、ちょっとやりづらい面もあっても、兎に角これまでにない制作のあり方に挑戦することになるので、その意気込みに共感してくれるスタッフもいてくれたので、大変感激をしたり感謝をしたりもいたしました。こうして次第にチームに一体感というものは生まれるのですね。

しかしここまで作業が行われ始めると、他の動画制作会社にはその噂が広がってしまいます。すでにスタッフのメンバーが決まった段階で、兎に角狭い業界のことですから、どこの誰が指揮をとっているのかということも広がっていたのでしょう。私もこの頃になって、親しく付き合ってきたYプロデウサーから、

「あっちの仕事にはかかわらない方がいいですよ」

思いがけない進言がありました。しかしそれについての説明はないままです。私はこれまで密かに聞かに企画の作業をしつづけてきたために、余計なことを考えさせてしまったかも知れません。発進前の危機は解消しておかなくてはなりません。なぜ西崎氏との作業に関わっているのかという、心情だけでも理解して貰っておこうと考えて出かけることにしました。


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アニメと音楽の部屋☆ ア21「熱っぽいスタッフ招集」 [テレビ]

 

 豊田氏は小説を書くという本業がありますから、練馬のビルへ打ち合わせにやって来ることはほとんどありませんでしたから、恐らく西崎、山本氏からの相談に対して、SFアドバイザーとして相談に乗ってくれていたようです。

こちらの希望することについては、西崎、山本、藤川が直接出会って協議した問題を、直ぐに松本氏へアシスタントプロデュウサーから伝えられていきましたが、当初の企画書に乗せられた宇宙戦艦ヤマトの姿は、戦記物を数多く手がけてきた松本氏ですから、宇宙戦艦ヤマトの姿はもちろんのこと、航海の途中で遭遇するであろう未知の外的に対処するための武器、装備など、とても私たちには想像できないようなものが、次々とお届けられてきます。所謂企画書という形のものではなくこれまで私たちが作った企画書を基本にして、彼が変えたいところを作画して提出してくるようになっていました。シリーズの細部についての検討や、航海についてはまだまだこれから詰めていかなくてはなりません。兎に角これまでの制作とはまったく違った展開で、期待感が大いに膨らみます。

 そんなある日のこと、西崎氏から番組の制作にかかわるメインスタッフのメンバーが発表されました。いきなりの発表でびっくりされたかもしれませんね。これが西崎氏の決定した、テレビの「宇宙戦艦ヤマト」を制作するメインスタッフのみなさんです。

                                                  「ヤマトPART1の主力スタッフ」1.jpg

 

わずかに私の手元に残っている資料の中に発見しましたが、誰が「宇宙戦艦ヤマト」の原点にかかわったのかということを証明する記録です。

 次第に準備が進められていくようになったところで、西崎氏から彼らと顔合わせをと打ち合わせを兼ねた、宴を開きたいという連絡がありましたが、まだ動画界ではそれほど人脈が豊富にあるというわけでもありませんでしたから、ほとんどの方が初対面ということになります。その日は西崎氏がわざわざ迎えに来てくれるというのです。そこへ現れたのは現代ではまったく流行らなくなった巨大なアメ車のキャデラックで、自ら運転手となって拙宅まで迎えに来てくれました。あまり大袈裟な姿を始めて見てびっくりしましたが、大柄であったこともあって彼にはお似合いのスタイルだったかも知れません。しかし彼の私への気遣いは兎に角他の人とは明らかに違っていました。まったく業界では知られていなかった彼が、「サンダーマスク」という番組の打ち合わせ中に、私を頼りにして現れたのがきっかけで知り合ってからあっという間に三年もの付き合いがつづいてきていたことになりました。その間に彼は彼なりに元かかわりのあった虫プロの関係者や、私とのかかわりからさまざまな人間関係を作って動き始めたようです。必死で動いていた成果もあって、じょじょに存在感を示して動くようになっていましたので、ついに企画は日本テレビ系列で放送が決まったようでした。

兎に角多年の夢を実現するきっかけが掴めたという報告です。そしてその時彼は今回の準備のために、5千万円という大金を銀行から借りだしたということを告白しました。

彼にとってもこの作品の成果によっては、かなりの覚悟をしなければならないという状況にあったわけです。お互いに今回の企画については、これまで業界で挑もうとしなかった分野への挑戦であり、その仕事の進め方についてもこれまで考えられなかった形で進めたいという試みでもあったのです。

 二人とものの結果に賭けていたのでした。

 あの時の思いは、恐らく他の人には判らない情景であったと思います。

気持ちはすっかり高揚していて、これからいよいよ実作業が始まるのだという高ぶりは、車内での会話からも充分に受け止められましたし、私自身もこうした形で作業にかかわるのだという意気込みを胸に秘めて、スタッフとの対面の場へ向かいました。

もうかなり間のことになってしまったということもあって、着いたところがどこであったか、何という旅館であったかもはっきりとした記憶がありませんが、多分熱海当たりの旅館であったように思います。そこにはすでにメインスタッフが集まっていて、大変友好的な雰囲気で対面いたしました。ドラマの世界では考えられない打ち解けた雰囲気で、西崎氏と私を迎えてくれました。これまで企画の実現を夢見てきたものが、現実のものになる体制が整えられたわけです。

この時を境にして、練馬のビルにすべてのスタッフが、それぞれのパートで準備作業に入り始めました。松本零士氏も必要なことがあれば、西崎氏の呼び出しに従って自転車に乗って打ち合わせにやって来るようになりました。勿論、緊急に決めなくてはならないのは番組の中心的な存在となる「宇宙戦艦ヤマト」をどんな姿のものとなるのかということですが、兎に角今回の企画の原点にあった、実際の巨大戦艦大和がどんな規模のものであったのかということを点検してみようということで、作画関係のスタッフたちで調べてみましたが、SF作品を作るのに向いたメインスタッフたちですから、その結果は松本氏がやってきた時に談論のきっかけになったようでした。

                        「ヤマト・戦艦大和研究2艦央」1.jpg

 

 松本氏はそれらの希望を考慮しながら、独自のデザインを何度もラフ稿として提出してきましたが、西崎、山本氏からも豊田氏から得たSF的なアイデアも考慮して貰うよう注文も出されたりしました。しかし松本氏はそれに応えて、短期間の間にその決定稿を仕上げてくれたのでした。しかしいつまでも時間をかけてのんびりと打ち合わせを重ねていることはできません。兎に角冒険の旅の全容を一刻も早く決めなくてはなりません。「戦艦大和」が「宇宙戦艦ヤマト」に姿を変えて旅立たなくてはならないのです。その時を狙って、ガミラスのデスラーは新たな攻撃を用意しているはずです。という危機的な状態を想定して話の展開についての協議を進めていったのでした。


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アニメと音楽の部屋☆ ア20「チャンス到来!」 [テレビ]

 

 ドラマ番組にしても動画番組にしても、これまではほとんど制作会社から企画書を渡されて脚本を書いてきたのですが、今回はそうしたものから一切条件を排除して、企画自体を制作する時から作業に加わったのです。二年前に「サンダーマスク」という番組を書いている時に、突然現れて話を聞いてくれといって接触してきた西崎義展氏でしたが、その当初の希望であった特撮物に関しては思い通りの結果にならないで終わってしまったのですが、それでお付き合いが途絶えることなく、彼は積極的に接触してきたのです。その後は私も思ってもいないような番組の制作を依頼されながら、兎に角新たな番組の制作を模索しつづけていたのです。その結果がようやく動き出したように思えました。

 現在はそれに動画の監督である虫プロの山本暎一氏が加わって、西崎氏のアドバイザーとなって、番組制作の原点となる企画書の作り直しをはじめました。今回ははコミック作家の松本零士氏の知恵を加えて、これまでの動画界では絶対にやらないであろう企画の完成を目指したのでした。

勿論今回の企画の整理にしても、一回の打ち合わせだけで済むはずはありません。松本氏の新たな提案があったとしても、まだいろいろと紆余曲折があると思います。兎に角私にとっては、「さすらいの太陽」の原作を書いて以来の挑戦的な気持ちで挑む番組作りです。密かに心に刻みつづけてきた荒野独行の思いが恵まれる時がやってきたように思いました。これまでの市民文化的な作品とは違った、動画界では見られなかった雰囲気の作品が誕生するはずです。まさに荒野の開拓者になったような気持ちになっていたのでした。

 恐らくこの頃から西崎氏と山本氏は豊田有恒氏に声をかけて、SFアイデアなどを吸収しているようで、それらを新たに作った企画書に加味してきていました。松本氏からこれまでの企画書の変更が出てくるのを待ちながら、取り敢えずここまでの状態でもう一度大雑把な企画書を制作してみようということになり、私は前の物とは違った企画書を纏めることにしたのでした。

                   「ヤマト・岩盤に囲まれたヤマト」1.jpg

         「ヤマト・岩盤で攻撃を防御するヤマト」1.jpg 「ヤマト・初期宇宙戦艦ヤマト研究」1.jpg

 

松本零士氏がすでに企画のすべてについて再検討中であることを付け加えることにして、そろそろ実際の営業活動に動き出そうということになったのです。かねてからSF作品は中京地区を中心にヒットするというデーターがあるのを知っていましたので、それを西崎氏に教えていたこともあって、西崎氏は豊田氏と私に同行させて、関西テレビへ放送への協力を要請するために、企画の内容を説明しに行ったりしたのです。少なくともこれまで、先日の東急エージェンシーへ出向いた時以来につづく動きで、作家が自らその営業展開のために、番組制作者と共に営業活動までやるということははじめてのことでした。兎に角まったくすべてが白紙の状態というところから番組を立ち上げていくという作業に加わっていくということは、私にとってもまたとない経験になりますから、可能な限りで協力するようにしていました。

果たしてこの作品を見た時、視聴者はどんな反応をするだろうか・・・そう考えるだけでも浮き立つ気持ちを抑えられませんでした。これまですでに十七年弱という脚本家生活を重ねてきて、さまざまな経験を積み重ねてきましたが、今回のようなことはまったくはじめての経験です。まだ外部の人にはほとんど何も話してはいませんでしたから、周囲の人はまったく私がこんな作業をしているとは思わなかったでしょう。企画に関しては事前に外部へ漏れたために、さまざまなところから妨害されて頓挫してしまうということも訊いていましたので、この間の動きについては兎に角極秘の動きです。長いお付き合いで親しくしている、東映動画のY氏にもまったく打ち明けてはいませんでした。その結果必ずしも思ったことが実るかどうかもまったく判らないのです。結果は番組を制作することになる西崎氏に任せるしかありません。周囲の人には、すべてが決まってから報告すればいいと思いながら、期待と不安とを交錯させた緊張感のある日々を送っているのでした。

この間の密かな活動は、私にとってこれまでにない楽しい極秘の活動期でした。

何かこれまでとは違った物づくりを、それぞれの分野で活躍する人々の知恵を結集して作り上げようという試みが実に異色でしたが、やはり何といっても動画の世界では作画の基本となる、すべてのキャラクターをデザインしてくる松本零士氏の仕上がりにかかっています。西崎氏のアシスタントとなる助手が松本氏宅へ詰めて、ラフデザインが上ると運んできました。

(実はこの頃から拙宅へ届けられたラフ稿ではありましたが、テレビ番組が終了するまでに膨大な数が蓄積されていったのですが、その後テレビ番組が始まった頃から、これまでにない大学生のファンが連絡してくるようになっていましたので、番組に対する熱烈なのめり込みぶりを訴えてきた私大Nの学生、卒論に「宇宙戦艦ヤマト」を取り上げて書きたいという私大Tの学生に、ほとんどプレゼントしてしまったのです。この頃はまだ現在のようなアニメーションに対する受け止め方はない時代ですから、熱心な若者の熱意に応えて上げたいという気持ちがあってプレゼントしてしまったのですが、現在こうしてブログを書いていると、つくづくあの時に放出してしまわなければよかったなと後悔仕切りの現状です。)

 余分なことを書きましたが、兎に角この頃の作業はかかわったそれぞれが、役割分担でせっせと作業をこなしていました。どうやら西崎氏はすでに山本氏の協力でスタッフの編成についての準備を始めているようで、番組を制作するための拠点も練馬区にできました。ビルを借り切ったようで、その最上階がメインスタッフの拠点になりました。

そこでは西崎、山本、松本、藤川で細かなところの調整や整理が行われていきました。

私にとっても、今回のことではこれまでにない挑戦の機会が巡ってきたような気がしてきます。

思いきり飛翔するチャンスが来たと思ったのでした。


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告知と放談の部屋☆ 放32「コミック作家松本零士氏の登用」 [テレビ]

 

西崎、山本氏は制作スタッフの選出に瀬力的に動き回っているようでしたが、その間に私は更に話を書き直していきました。一応体裁は整ったようですが、まだこれで動ける状態にはなれません。「宇宙戦艦ヤマト」の航海の目的や目標を定めて、その航海を二十六話・・・つまり二クールの予定を決めなくてはなりません。しかも今回は、高学年青少年を視聴者に納得して貰える作品にしたいということを目標としていることです。

そういうことではSF的にかなり正確な情報が必要になることになり、一応山本氏がまとめた航海の基本的な構想と、私の考えている登場人物の、航海中のドラマを絡ませて、宇宙空間でどんなことが可能かということの検討をしなくてはなりません。できるだけSF的に嘘のない展開にしたいということで、その基本については西崎、山本氏が各方面から知恵をもらって、公開の予定表を考えることになりました。さまざまな人の知識が投入されて、かなりこれまでの動画とは違った世界を持った企画になってきたように思えます。

 「宇宙戦艦ヤマト」の企画がじわじわとかまってきていた頃、「グレートマジンガ―」がスタートしていきますが、やはり「マジンガーZ」の強烈な鮮度と衝撃的な登場で視聴者を感動させた勢いはありません。この時から私は同じ路線でのグレードアップということは、ほとんど不可能であることを知りました。その結果は視聴率にも反映されていきました。次第に番組としてのパワーを失っていったのです。

 そんな中での「宇宙戦艦ヤマト」の作業です。

 私の書く設定用のストーリーも三稿目になっていました。

 そろそろ現在揃ったものを集めて、企画相を印刷してみようということになったのでした。

                    「ヤマト設定・ストーリー」3.JPG 「ヤマト設定・ストーリー」4.JPG

 

このへんのころになると、大変さまざまなことが起こりますので、詳しいことがお話できません。企画書にしてもこれから紹介するものは最初に作られたものとは違うのですが、そろそろ今回の企画を営業にかけたいという西崎氏の願望もあって、私の親族が務めていた代理店の東急エイジェントの重役に紹介して貰い、彼と一緒に逢いに行ったりいたしました。しかしその線からいい返事が貰えないことから、企画書も作り直されたのですが、それがこれから紹介する企画書です。しかしこの企画書の前に、本当の基本的な企画書があったのですが、どうも拙宅から借り出しをした方が、返却をおろそかにしているようで、いくら探しても見つかりません。もしお忘れになっている方がいたら、至急返却して下さいとお願いしておきます。

そんな訳で完成したのがこの企画書でした。

                                         「ヤマト・企画書」1.jpg

 

基本的には同じようなものですが、兎に角参考までに載せてあったストーリーも省略して作り直しをいたしましたが、ここで新たに持ち上がったのは、ここで描かれている「宇宙戦艦ヤマト」の姿では、テレビの動画として映像化するにしても親しみを持ってもらうということでは困難がつきまといます。やはり映像的な表現をするためには、どうしてもコミック作家の書くものででないと夢見る存在にはなり難いでしょう。

私はこれまでほとんどコミック作家については、ごく限られたお付き合いと智識しかありませんでしたから、そんな世界についてかなり詳しい知識を持っている山本暎一氏にお任せすることにいたしました。

彼の説明によると、今はまだマイナーな作家でしかないのですが、戦記物をよく書いている松本零士氏がいいのではないかということになりました。西崎氏はそれから間もなく、松本氏の作業場を見つけて、是非会いたいという連絡を入れたようです。

それから数日後のことです。

 松本零士氏は大変気さくに、自転車に乗って打ち合わせの場所までやってきました。

 中年のおじさんはお馴染みの毛糸のキャップが印象的でした。すでにあの企画書は渡されていたようで、あの企画に乗って作業をすることはできないという返事をしてきたのです。

 勿論それは承知の上での話し合いです。私もこれまでは、時々「男おいどん」を見たことがあるのですが、その庶民的な作風の彼とはまったく違った世界である戦争物は、どんなものがあるのだろうかと、何冊かの戦記物の作品を見てみることにしました。矢張り山本氏のいう通り、戦記物を書いている松本氏は実に生き生きとしています。

 彼もこちらの申し出そのものについては拒否ではなさそうでしたので、更に検討して貰うことにして別れたのでした。

                              「松本画」1.JPG 「松本画」2.JPG 

      (小学館「オーロラの牙」より)

 こんなタッチで「宇宙戦艦ヤマト」を描いて貰えたら、我々三人にとってもある程度目的は果せるのではないかということで、西崎、山本氏はもちろん私も松本氏の作画に賛成いたしました。そしてさらに彼はSFに関してもかなり独自の智識を持っていらっしゃったからです。前に出した最初の企画書については、全部自分流に構想を組み立て直しさせて下さいという条件を出してきましたので、三人とも反対はありませんでした。早速彼にすべてを託しました。松本氏がどう全体像を作り変えてくるか楽しみになりました。これがあの「宇宙戦艦ヤマト」の本格的な始まりになったということではないでしょうか。私にとっても、何か新たな世界は開かれ始めたきっかけとなったように思えたのでした。


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